あべのハルカス
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あべのハルカスの噂[編集 | ソースを編集]
- 近鉄大阪阿部野橋駅が高さ300mの超高層ビル化する。横浜ランドマークを抜いて日本一の高さに。恐らく。
- オフィスフロアには、シャープの本社が入居するとかしないとか。
- でもシャープ自体が経営難なので…(ry。
- 事務所を置いたが数年で撤退した。ここの照明はシャープ製。
- 近鉄の幹部曰く「平成の通天閣」。
- このビルが完成したら、ただでさえ小さい通天閣がさらに小さく見える様になってしまいそうである。
- 展望フロアからは通天閣が見下ろせる様になる予定。
- ところが、'14秋時点で既に休日で通天閣の方が入るのに順番待ちだが、ハルカスは並ばなくて入れることがあるらしい。通天閣が700円くらいとハルカス1500円の差か?(いや、もちろん展望台スペース・キャパの問題もあるんやろけど。)
- 余談ながらあべのハルカスの16階(ここは無料で行ける)の展望スペースの高さは80mと通天閣の展望台の高さとそれほど変わらない。
- 夜に展望台にある場所から寺田町駅付近を見るともう一つ通天閣が浮かび上がり「TWO天閣」になるらしい。
- このビルが完成したら、ただでさえ小さい通天閣がさらに小さく見える様になってしまいそうである。
- 建物の密集した繁華街のど真ん中に建設される為、色々と大変らしい。
- 「スカイツリーが出来るから、日本一ではない」等と主張している人がたまにいる。
- スカイツリーは鉄塔、こっちは高層ビルなので、「日本一高い高層ビル」と称しても何の問題もない。
- ランドマークタワーかて東京タワーより低いやん…。
- 鉄塔はどこの山奥でもあるだろ
- それを言うと生駒山の電波塔はスカイツリーよりも高いことになる。(生駒山の高さは標高642m)
- お前ら何か勘違いしている…
- それを言うと生駒山の電波塔はスカイツリーよりも高いことになる。(生駒山の高さは標高642m)
- スカイツリーもハルカスも鉄道会社が主体となっている点では共通点がある(スカイツリーの運営母体は東武鉄道)。
- 名称は「あべのハルカス」に決定したが・・・この名前に反応する人が多数・・・
- 本人までネタにしてる。
- あべの○○(カタカナ)シリーズの建物は、まだまだ続く
- 駅名も、あべのフォーディーバとか、あべのブリッジに変えたりして・・
- 「あべの春春」か?(「春」は「春日(かすが)」の「春」なので)
- 「あやせハルカス」と間違える人もいるみたい。
- もはや、一部ファンのこじつけとしか思えない件。綾瀬はるかは知名度があるけど関係ないし、戸松遥なんて人に至っては、大阪府民の大多数からすれば誰それ?という感じ。便乗でも、あべのハルカスの盛り上げに貢献してくれりゃ文句はないんだが、そういうことでもない訳で。
- こういうのを「頭が固い」って言うんだよな。ジョークなんだからこじつけに決まってるだろ。嫌味を言うだけの輩と比べれば、どちらが盛り上がるのかは火を見るより明らかというもの。
- ジョークっていうのはもっと笑いが起こるようなものをいうし、こじつけで無理やり投稿増やすことと盛り上がるということとは全くもって違う。
- こういうのを「頭が固い」って言うんだよな。ジョークなんだからこじつけに決まってるだろ。嫌味を言うだけの輩と比べれば、どちらが盛り上がるのかは火を見るより明らかというもの。
- アベノミクスと聞いて「ああ、天王寺にできる新しいビル」というおばちゃんが多数いる。
- 何やら東京駅の近くに390mくらいの高層ビルが出来るのが発覚したらしく、ここが日本一高いビルであるのもあと数年となってしまった。
- と言っても計画変更がない限りは400mの大台を最初に突破する機会は大阪側にもある…はず!
- こんな訳の分からん発想で競争やってった結果、りんくうゲートタワービルとワールドトレードセンタービルみたいにムダなものを作って大阪府市ともに財政難になったというのに、なぜ学習しない……
- 結局その前の2023年に東京都内に330mのビルが完成し、そちらに譲ることになった。
- と言っても計画変更がない限りは400mの大台を最初に突破する機会は大阪側にもある…はず!
- ここ何年かは成人の日にこの年の新成人が階段で下から最上階に登るイベントが恒例となっている。階段の数は1600段くらいあるとか…。
- 高すぎるが故に、大阪空港に離発着する航空機が迂回せざるを得ない事態に。
- 建設を前に大阪空港に関係する高さ制限が緩和された(梅田あたりは今も200mを超える高層ビルは建てられない)。
- 一部では、大阪にこんな高いビル作ったって失敗するだろと心配の声も聞かれたとか。(←曖昧な情報です、すみません)
- いや、実際そういう意見は東京の評論家を中心に結構あった。
- パルケエスパーニャと共に、近鉄が威信をかけた事業といえる。成功しているようで何よりだ。
- パルケエスパーニャより更に、成功しているといえるだろう。
- かつては近鉄の全ての通勤型車両にハルカスをPRするシールが貼られていた事がある。中には京都線や名古屋線といったハルカスから遠く離れた路線・駅でもPRしていた事も。
- 大阪の高い塔であった通天閣から当ビルを200mほど見上げるという光景が現れた。
- ココのキャラクターは、「あべのべあ」、回文である。
- あれをみるたびに「匂いがつかないムシューダ」のCMに出てくる青いぬいぐるみのやつを思い出すのは私だけやろか。
あべのハルカス近鉄本店[編集 | ソースを編集]
- タワー館とウィング館の2棟からなる。
- ウィング館はあべのハルカスができる前からあり、今は専門店街になっている9階建ての旧棟(近鉄百貨店はタワー館に移った)。
- 百貨店も一部ウイング館に入っています。
- ウィング館は1988年の増床の時近鉄大阪阿部野橋駅の真上にできた。
- ウィング館ができたきっかけは6年後に関西国際空港の開港を控えていたため。関空からJR1本で行けるここが大阪の玄関口になると見込んだらしい。
- タワー館とウィング館では同じフロアでも高さが違うところがあり、ウィング館⇔タワー館の間にエスカレーターや連絡エレベーターががあったりする、面白い構造。
- そのためウィング館には3.5階なんていうフロアがあったりもする。元は4階だったがタワー館ができた時に階層を合わすために改称した。
- 一方タワー館は、B2階から14階(60階)まである新棟で、11階までが百貨店。
- ウィング館はあべのハルカスができる前からあり、今は専門店街になっている9階建ての旧棟(近鉄百貨店はタワー館に移った)。
- ここのセンターEVの窓の話、9階あたりまではウィング館が見えるが、10階以降は急に外の景色になりびっくりする。
- センターEV,西EVには混雑緩和のためか種別があり、表を見て目的地のフロアに停まるエレベーターに乗らないといけないのでちょっと面倒。
- センターEV(各階停車)の中に案内のお姉さんがいた。
- センターEV,西EVには混雑緩和のためか種別があり、表を見て目的地のフロアに停まるエレベーターに乗らないといけないのでちょっと面倒。
- ほかの近鉄は非常に誰でも入りやすい(庶民的)イメージがあるが、ここは少し高級感が出ている(それでも都心にあるほかの百貨店に比べれば入りやすい)。
- 実は百貨店としては日本最大の売り場面積を誇っている。
- 1988年に今のウイング館が増床された時も「西日本一の売り場面積」を売りにしていた。その時点で大阪で一番広かった阪急百貨店うめだ本店を抜いた。
- 当時の日本一は横浜そごう。
- 1988年に今のウイング館が増床された時も「西日本一の売り場面積」を売りにしていた。その時点で大阪で一番広かった阪急百貨店うめだ本店を抜いた。
- 大阪市内の百貨店の多くは書籍売り場を廃止しているが、ここにはジュンク堂書店が入っている。
- 鉄道模型の店である「ポポンデッタ」もある。
- エスカレーターの案内放送は「情熱大陸」のナレーターである窪田等が担当している。
- 女の人の声が多いだけに妙に落ち着いた感じがする。
- レストラン街には大阪では老舗のラーメン店「古潭」がある。
- 値段も手頃で、百貨店にしては安い。
- ウイング館の下の方の階は専門店街「ソラハ」になっているが、何気に家電量販店のエディオンや100円ショップのキャンドゥが入っている。
- ハルカスができる前は「ラ・セレナ」という名前だった。
- 大阪市内にある百貨店としては唯一大阪環状線の外側にある。
- ハルカスができる前にあった本館は当初村野藤吾デザインだった。
- 今のウイング館ができた時に外装がリニューアルされた。
- ハイヒールモモコは事実上のイメージキャラクター。
旧店舗時代の噂[編集 | ソースを編集]
- 昭和の昔は、阪和沿線住民の憧れの百貨店だった。買い物ならここへ、勤めるならここへが念願だった。
- そのころ屋上には遊園地があった。
- 観覧車があった。
- 乗る人が少なくて、いつもガラガラだった。
- 眺望は、あまりよくなかった。
- 線路が環状に敷かれミニ電車が走ってた。
- 乗る人がすごく多くて、いつも列ができていた。
- 円形の人工池が作られ、数隻の船が中央を軸にグルグル回っていた。
- 乗る人があまりいなかった。
- 乗ると、水しぶきがかかったがその水が汚くて臭かった。
- 屋上に上がったそのすぐ前に、手前のほうへ急傾斜で傾く円形のミニジェットコースターがあった。新幹線ひかり号のような車両が猛スピードで旋回走行していた。
- 屋上遊園地では一番人気だった。
- 事故を起こしてからはいっさい動かなかった。
- メリーゴーランドがあった。
- 平成時代だと考えられないが、乗る人がとても少なかった。子供しか乗っていなかった。
- 大人になってから乗ったら、大勢の客から奇異の眼で見られた。
- コーヒーカップがグルグル回るのが、あった。
- これも平成時代だと考えられないが、乗る人がとても少なかった。
- 平成時代と違い、デートで遊園地に行くカップルが少なかったからだろう。昭和時代のデートと言えば普通映画館。
- これも平成時代だと考えられないが、乗る人がとても少なかった。
- 屋上に上がったその辺りにゲームセンターが、あった。
- その中に、右から軍艦が進んできてそれを潜望鏡で見て魚雷を撃つゲーム小屋があった。軍艦マーチが鳴っていた。日本海海戦ゲームと呼ばれていた。
- やっている人が、非常に少なかった。軍艦や海戦に興味を持つ子供が少なかったから。
- その中に、体重計があった。お金を入れて乗るとやがてカードが出てきて体重が適正かどうかの計算式(身長ー110)が載っていた。中高年女子たちに意外と人気があった。
- その中に、右から軍艦が進んできてそれを潜望鏡で見て魚雷を撃つゲーム小屋があった。軍艦マーチが鳴っていた。日本海海戦ゲームと呼ばれていた。
- 観覧車があった。
- そのころ、最上階の7階に大食堂があった。
- 何時に行っても、満員状態だった。
- 平成時代のように入口で客を規制していなかったので、客は食べている客の椅子の背後に密着して立って空くのを待った。食べ終わった客が立ち上がった瞬間に、椅子取り合戦になった。
- 10人掛けくらいの円卓テーブルが10数個置いてある食堂だった。
- あらかじめ食券を買うシステムだった。
- このころの買い物客の定番コースは、2つのパターンに分かれていた。
- 1つは、2階歩道橋から入りエレベーターで7階へ行き昼食。子供がいるときは屋上遊園地へ。階段で降り腹ごなしをしながら各階へ。最後にデパ地下で夕食の買い物。
- もう1つは、1階か2階から入りエスカレーターで順番に各階を見ながら上がっていく。最後に昼食をとり、食後エレベーターでデパ地下に直行する。
- ただ百貨店ゆえに価格が高くほとんど買い物せず、デパ地下から上がり2階歩道橋へ出て向かいの天王寺ステーションデパートへ行きそこで安い服を買い込むのが普通のパターンだった。
- そのころ屋上には遊園地があった。
15階以上の噂[編集 | ソースを編集]
- 16階は美術館、オフィスをはさみホテルがあり、その上に展望台が。
- 美術館に関しては実はハルカス建設前から今のウイング館に「近鉄アート館」として存在していた。
- 16階にも無料で入れる展望スペースがある。
- 高さは80mくらいで、何気に通天閣のそれと同じくらいの高さがある。
- 天気が良かったら展望台から関空等がよく見えるそう。
- 富田林市にあるPLの塔なんかもよく見える。
- 2階から直結EVがある。
- 展望台からは通天閣をはるか下に見下ろせる。
- オフィス部分にはシャープの本社が入るという話もあった。
- 防火のため、幾つか何も施設がない階が存在する。
あべのハルカス美術館[編集 | ソースを編集]
- 絵画を保有し常設展をやってる美術館と異なり、よその美術館から美術品を借りてきたりして企画展示をやってるだけの美術館。
- 近鉄系美術館の松柏美術館又は大和文華館の友の会会員になると入館料が割引になる。