こんな歴史上の人物は嫌だ
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飛鳥時代以前[編集 | ソースを編集]
こんな卑弥呼は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 口癖が「地獄に落ちるわよ」。
- ハニワ幻人を使って地上を征服しようとしていた。
- 正体はやまたのおろち。
- 実は男の娘。
- 平民からは「お前の呪術はインチキ臭ぇんだよ」とかなりのクレームが入っている
- 氷見の子。
- 引きこもりなので当然外見は(ry
こんな聖徳太子は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 10人の話をいっぺんに聞いた後は、全て聞き流しただけだ。
- 彼の作った十七条憲法は、後年の政治家などが絶対に改正できないように巧みに作られているため、今でも使われている。
- 実は女の子だった。
- 本名が聖徳太子で、後世のあだ名が厩戸皇子。
- 本名が辛子明太子。
- 名前のとおり、厩橋生まれ。
- 必殺技は飛鳥文化アタック。
こんな小野妹子は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 女性だ。
- 赤の袖なしジャージを着ている。
- 実は妹子ではなく芋子
こんな蘇我入鹿は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 世界最古のフォーク歌手として知られる。
- 特技は水中から高さ数メートルまで飛び上がること。
- 中大兄皇子が暗殺しようとする度にシーシェ○ードが阻止に入り、大化の改新が起こらず、後々の日本の歴史が大きく変わってしまう。
- ことでんのキャラクターだ。
- 名の由来は父の蝦夷が「こんな子が要るか!」と出生を喜ばなかったことにちなむ。
- 「入鹿、いるか?」といつも名前を使ったダジャレを言われ、馬鹿にされる。
- 乙巳の変で首をはねられてもなぜか生きていた。
こんな中大兄皇子(天智天皇)は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 大化の改新を起こしたら、某海犬から訴えられた。
- 長野大兄王子だ。
奈良時代・平安時代[編集 | ソースを編集]
こんな阿倍仲麻呂は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 唐に長くいたため日本語を忘れていた。
- 実は何回か日本に帰っている。
- 泳いで参った!!!
- パスポートを持っていなかったので、不法入国として日本に強制送還された。
- もしくは帰国前に現地人に…おっと、誰か来たようだ。
- 「麻呂は~~でおじゃる」が口癖。
こんな菅原道真は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 完全に藤原北家の手先と化していた。
- 大宰府で武装蜂起を起こした。
- 生前から雷を操る能力を持っていた。
- 政敵の藤原時平はそれにより倒された。
- 人を呪い殺す能力もまた然り。
- 政敵の藤原時平はそれにより倒された。
- 現在はバカの神様として知られる。
- ここのシンボル。つか名誉会長。
こんな藤原道長は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 体から満月並みの光を発していた。
- 「藤原にあらずんば人にあらず」という言葉を残した。
- 文学など全く理解しない。
- 武力で日本を征服し、征夷大将軍となって幕府を開いた。
こんな紫式部は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 同時期に「緑式部」や「赤式部」といった偽物が活動していた。
- 死の直前に自らの作品を全て焼き払わせた。
- 髪型がベリーショート
- 物語で人が殺されるシーンが異常にリアル
鎌倉時代~安土桃山時代[編集 | ソースを編集]
こんな平清盛は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 好物はヘイケガニ。
- 極めて平凡な考えしかしなかった。
- 率いていたのは平氏一門ではなく平家BOY。
- 戦ではダーク潮干狩りやダークおくりびとを多用した。
- 鹿ケ谷の陰謀に加担していた。
こんな源頼朝は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 池禅尼への恩なんか覚えているわけがない。
- 平家に勝った瞬間に「あんな狭い所ゴメンだわ~」と鎌倉を見捨てた。
- 奥州藤原氏に返り討ちに遭いミイラにされてしまった。
こんな木曾義仲は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 「信濃の国」でボロクソに貶されている。
- 友人に曇将軍、雨将軍、霰将軍など。
- 「旭新聞」という軍誌をひそかに刊行していた。
- 書かれているのは平家や頼朝の悪口ばかり。
- 倶利伽羅峠で維盛勢へ突撃させたのはGの大群。
- 巴御前に自分の身代わりをさせて前線へ放り出した。
こんな源義経は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 運動不足で、ぶくぶく太っていた。
- 八艘跳びどころか、1cmもジャンプできなかった。
- 兄を殺して、幕府を開いた。
- 後世では、梟雄の代名詞となっている。
- 弁慶や佐藤兄弟に謀反されて殺された。
- 本当に大陸に渡ってアジアからヨーロッパまで制圧した。
- ジンギスカンは義経本人ではなく、彼の家臣団の一人。
- 実は鞍馬天狗は彼の幻覚だった。
こんな武蔵坊弁慶は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 力加減を誤ったため安宅関で弑逆をはたらいてしまった。
- 衣川で義経を裏切り、ノリノリで首級を鎌倉へ送付。
- 集めた刀を平家に横流ししていた。
こんな日蓮は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 弟子の生命を大切にするあまり、弟子の助命嘆願のために鎌倉幕府の言いなりになって布教活動した。
- 法華経を広めたいのか、時の幕府を讃えたいのか、同じ人が書いた経典とは思えない位ちぐはぐだ。
- 弟子や信者に苦難を与えるため、御書はすべてサンスクリット語で書かれている。
- 弟子によって訳や解釈が全然違っている。
- 袈裟の色はルーマニア国旗カラーだ。
こんな足利義満は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 南朝を武力で潰した。
- もしくは南北朝の溝をさらに深くしていた。
- 金閣を金だけで作ろうとしたため結局完成しなかった。
- 体も金ピカ。
- 一休さんととんちで勝負して圧勝する。
- 明の永楽帝に対してちょくちょくケンカを売っていた。
- 倭寇とはマブダチ。
こんな毛利元就は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 三本はおろか二十本の矢でも簡単にへし折れる怪力だ。
- 話で常に「〜の元なり」と締めるのが大好き。
- 名前の読み仮名を覚えてもらえず「毛利元ナントカ」としか呼ばれない。
- 尼子氏との戦いで「このクソアマ!」と罵倒する。
こんな織田信長は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 尾張の小大名のまま一生を終える。
- 一度も戦に勝ったことがない。
- 頬に止まった蚊すら殺せないほどの、博愛主義者。
- キリスト教に心酔し、神の王国を作るために仏教や神道を徹底的に弾圧した。
- 殺されたのも実はお坊さんの陰謀だった。
- 保守的だ。
- スピードスケートを好み、フィギュアスケートを激しく嫌った。
- 本業は猿回しだ。
- 第六天魔王だ。
こんな豊臣秀吉は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 本当に猿だった。
- 大阪では彼のことを語るのが禁句となっている。
- 今の大阪の商業都市としての繁栄を齎したのは徳川家康であり、彼の敵であったことがその理由。
- 明智光秀より大阪では人気がない。
- 今日では「秀吉をののしる会」というのが大阪人の手で開催されている。
- 徳川家康との仲が極めて良かった。
- それゆえ、豊臣政権への反抗勢力が生まれなかった。
- 仮に本当に猿だったら、飼い主は一体誰だったんだろう?
- おそらくは、織田信長→徳川家康か、母親の大政所→正妻の北政所→淀殿でしょうね。
こんな黒田官兵衛は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 有岡城からの救出以降、体臭が酷く20m以内に近寄れない。
- 両手両足が使えなくなってやむを得ず「五体不満足」に。
- 秀吉ら他武将から「グロ田官兵衛」といじめを受ける。
- 姓も秀吉によって黒田から「愚露田」と強制変更される。
- 姓が嫌だと養子縁組も拒否され断絶してしまう。
- 姓も秀吉によって黒田から「愚露田」と強制変更される。
- 降伏や退却、切腹しか提案できない。
江戸時代[編集 | ソースを編集]
こんな徳川家康は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 狐と呼ばれていた。
- スネ夫みたいな性格だった。
- 豊臣家へ忠実に従ったため、関東の一大名として生涯を終えた。
- それ故、今なお日本の首都は京都にあった。
- 極めて短命。
- 織田信長と同じく、本能寺の変の後で光秀の刺客により殺害された。
- あるいは、桶狭間の時に織田側の兵士によって殺害。
- 自分とこの兵士だったらもっと嫌だ。
- それどころか生後すぐに病死した。
- 今川に人質としか向かう途中、誘拐した戸田康光に殺害された。
こんな大石内蔵助は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 京都で芸者遊びに興じているうちに、芸者たちに討ち入りのことをばらしてしまい、吉良の間者に見つかってしまう。
- 京都で芸者遊びに興じているうちに、スカウトされて芸者置屋の亭主に収まってしまう。
- 吉良公に「蛭餡丼」というゲテモノ料理を食わせた。
- やたら前衛的な太鼓をたたく。
こんな吉良上野介は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 武芸に優れており、赤穂浪士47名を全員始末してしまう。
- 赤穂浪士の首を47個、泉岳寺まで運んで浅野内匠頭の墓前に並べ「ほれ、あんたの家臣じゃ。極楽で仲良く暮らすがよい」。
- まさにキラー上野介だな。
- 右手で触れた物を爆弾に変える能力を持っている。
- 読みは『きら うえのすけ』。
こんな平賀源内は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 一生高松藩を出ることはなかった。
- エレキテルの原理は分かっていたのに復元できなかった。
- 西洋の文物が大嫌い。
- 自らの発明品を使い世界征服を企んでいた。
- どうしようもない大酒飲みで暴れるため、町方に常にマークされていた。
- 土曜日に牛肉を食べるという流行を作った。
- 新種の兵器を開発した。
こんな二宮金次郎は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 友達の名前が熱海金次郎 小田原金次郎 真鶴金次郎 川崎金次郎 横浜金次郎 新橋金次郎 品川金次郎 湯河原金次郎等。
- 本をよく見たらDSだった。
- バカ日本語辞典だ。
こんな坂本龍馬は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 土佐で剣の道に尽くすだけで生涯をとじた。
- 尊王攘夷派となり、新撰組の襲撃を受けて……
- 実は卑怯
- 船酔いがひどいので船が嫌い
- 作曲家だ。
明治時代以降[編集 | ソースを編集]
こんな伊藤博文は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 「韓国」の紙幣に描かれている。
- しかも10万ウォン紙幣で。
- 安重根と一緒に
- しかも10万ウォン紙幣で。
- フグを食べて重い中毒になり後遺症が遺ったため、日本では二度とフグ食が解禁されることが無かった。
- 重度の男好きとして有名だ。
- しかも成人男性よりも小さな男の子が好きなショタコン。
こんな東郷平八郎は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- バルチック艦隊が対馬、津軽、宗谷のどこを通るのか判断できず、連合艦隊を3つに分けて配置して、対馬の艦隊は壊滅。
- 病院船の従軍看護婦を呼びつけ、バレエの練習をさせる。これを「東郷ターン」という。
こんな乃木希典は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- 西南戦争で軍旗を奪われた時には「いいよいいよ、只の布切れじゃん、また作ればいいさ」と言って周囲を呆れさせた。
- 日露戦争旅順攻略戦の戦闘中には、やたらと最前線に出たがって、命が惜しい幕僚たちを困惑させる。
- 「儂も一人ぐらい露助を撃ってみたいものだ」
- 降服したロシア軍の将軍ステッセルに対し、最大限の侮辱を与えた。
- 軍刀はおろか、軍服や下着、軍靴まで没収し、代わりに日本の兵卒の軍服とフンドシ、草履を着用させて水師営での会見に臨ませた。
- メイド服やバニー姿、女子高の制服を着用させた。
- 昼食には納豆にクサヤ、白魚の踊り食いを出し、「全部食え」。
- 軍刀はおろか、軍服や下着、軍靴まで没収し、代わりに日本の兵卒の軍服とフンドシ、草履を着用させて水師営での会見に臨ませた。
- 晩年、学習院院長(校長)に就任したが、生徒からは全く慕われず、いじめ、不登校、生徒の犯罪や自殺が多発するようになった。
- 明治天皇崩御のあと、夫人と自刃したが、巨大な爆弾を使用したため膨大な市民が巻き込まれた。
こんな東条英機は嫌だ[編集 | ソースを編集]
- そもそも「A級戦犯だから史実の東條英機が嫌だ」というのはNGでお願いします。