ざんねんなアメリカ大統領事典

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18~19世紀[編集 | ソースを編集]

ジョージ・ワシントン[編集 | ソースを編集]

  1. 初代大統領。
  2. アメリカの歴史上最も偉大な英雄として有名だが、インディアンからはメチャクチャ恐れられている。
    • 東部でインディアンに対するジェノサイドを行ったがもちろん誰にも裁かれていない。
      • 後のヒトラーさながらに憎悪をむき出しにした発言も残している。
  3. 天然痘と結核という2つの重い伝染病に罹ったせいで子供ができなかった。
  4. 大統領の威厳を保つために他人と握手をすることはほとんど無かった。
  5. 成人してからは歯をほとんど失っており演説が苦手だった。
  6. 少年時代に桜の木を切ったことを素直に打ち明けた逸話で知られるが完全なでっち上げ。
    • そもそもワシントンの少年時代にはアメリカ大陸に桜は生育していなかった。

ジョン・アダムズ[編集 | ソースを編集]

  1. 2代目大統領。
  2. ワシントンやトーマス・ジェファーソンと並ぶ建国の英雄の一人だが、大統領としては目立った功績が少ないと言われている。
    • もめ事を起こさなかったのが最大の業績のような気がする。
  3. 息子のジョン・クィンシー・アダムズも6代目大統領を務めている。

トーマス・ジェファーソン[編集 | ソースを編集]

  1. 彼が大統領に就任した頃には妻は既に亡くなっており、娘がファーストレディを務めていた。
  2. 軍人だった頃にはリッチモンドをイギリス軍に占領された際に敵前逃亡したことがある。
  3. インディアンを元々住んでいた土地からミシシッピ川の西側に強制的に移住させた。
    • 道中で亡くなったインディアンの方々も多かったのだとか…。
    • さらにインディアンに白人文化やキリスト教、農耕生活を強制させた。

ウィリアム・ハリソン[編集 | ソースを編集]

  1. 第9代アメリカ合衆国大統領であり、史上最もざんねんな大統領と言われている。
  2. ハリソンの大統領就任宣誓はメチャクチャ寒い日に行われた。にもかかわらずハリソンは薄着で2時間近く演説を行った。
    • ちなみにこの就任演説はアメリカ史上最も長い記録である。
  3. 就任演説で頑張りすぎて風邪を引いてしまい、(当時としては高齢だった68歳だったためか)運が悪くそれをこじらせてしまい肺炎まで発症。そのまま亡くなってしまった。
    • 最も在職日数が短いアメリカ大統領である。わずか31日。
    • ただし風邪の原因は別にあるという異説あり。
  4. 一応軍人としてはかなり優秀だったらしく、ティッペカヌーの戦いと呼ばれるインディアンとの戦いに勝利し名声を得ている。
  5. 孫のベンジャミン・ハリソンも大統領を務めている。

ミラード・フィルモア[編集 | ソースを編集]

  1. 1850年の妥協と呼ばれる北部、南部それぞれに有益な法律を制定したが一時的な南北衝突の回避にしかならず、身内だったホイッグ党の分裂も招いてしまった。
    • カリフォルニアを州に昇格させる」「ワシントンD.C.での奴隷の売買の禁止」は北部に、「テキサスの領土の一部をニューメキシコに返還する代わりにテキサスの借金を政府が肩代わりする」「ニューメキシコユタの2つの準州を設置。将来州に昇格した場合は奴隷制の是非を住民投票で決める」「逃亡した奴隷の逮捕を容易にする」は南部に有利だったと言われている。
  2. 日本を開国させるため黒船でペリーを送り込んだ大統領だが肝心の日本ではそこまで知名度が高いわけではない。

フランクリン・ピアース[編集 | ソースを編集]

  1. カンザス・ネブラスカ法に署名したことから南北の対立を激化させてしまう。
    • 元々はアメリカ西部へ続く大陸横断鉄道建設用地を確保するための法律だったのだが、カンザスネブラスカという2つの準州での奴隷制度の是非が議論されていた。
      • その際、「それは住民が決めること」という住民の主権を尊重した内容を盛り込んだのだが、これは北部における「奴隷の所持」を禁止したミズーリ協定を実質無効化したものであったため、南北関係がさらに悪化してしまう。
    • この法令のせいでカンザスでは住民投票どころか、奴隷制支持派と反対派の内戦になってしまい、南北戦争の前兆となってしまった。
      • 民主主義の短所が全面的に出てしまった。
  2. 結果、奴隷制に反対していた北部からの支持は激減し、身内だった民主党にすら見放されてしまった。
  3. 南北戦争の際には南部を支持したため完全に嫌われてしまった。

ジェームズ・ブキャナン[編集 | ソースを編集]

  1. 弁護士としては優秀だったが大統領としての能力は低くアメリカの分裂と南北戦争を招いてしまう。
    • それでリンカーンの株を上げることとなった。
  2. 歴代で唯一、独身を貫いた大統領でもある。

エイブラハム・リンカーン[編集 | ソースを編集]

  1. 初代のジョージ・ワシントンと並んでアメリカ史上最も偉大な大統領として人気が高いが…。
  2. 彼が奴隷解放宣言を発表したのはあくまで南部の奴隷制度を廃止させてアメリカの分裂を阻止するためであり、人道主義的な理由などでは決して無かった。
    • 実際、北部の黒人奴隷に関しては放置プレイ。それどころかリンカーン自身も黒人奴隷を保有していた。
    • インディアンへの迫害は酷かった。まあ他の大統領も大概だが…。
  3. 髭を生やした肖像画が有名だが元々は髭を生やしておらず、グレース・べデルという女の子から「髭を生やした方が貫禄が出て良いと思うよ」という手紙が届いたからである。
  4. 死後に墓を掘り返され遺体を誘拐されたことがある。
  5. 同じく暗殺されたケネディとの共通点を色々とでっち上げられている。
    • 例えばケネディにはリンカーンという名の秘書がいたがリンカーンにケネディという名の秘書はいなかった。
  6. もっとも前の代と後の代の大統領が最悪のため比較的マシである。

アンドリュー・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

  1. リンカーンが亡くなった直後に大統領に就任するが、奴隷制廃止を主張する議会と対立したため急速に信用を失ってしまう。
  2. 陸軍長官を「自分が気に入らないから」という理由で罷免したため弾劾裁判にかけられてしまう。
    • 辛うじて罷免は免れたものの、次の上院議員選挙で落選した。

ユリシーズ・グラント[編集 | ソースを編集]

  1. 南北戦争時の北軍の将軍であり軍人としては非常に優秀だが、大統領としては閣僚のスキャンダルが多発したり荒廃した南部の復興に失敗するなど評価が低い。

ジェームズ・ガーフィールド[編集 | ソースを編集]

  1. 自身の選挙活動の際に応援してくれたある弁護士に対して何の役職も就かせなかったため、逆恨みで銃撃されてしまう。
    • その後感染症により死去。
  2. 在職日数はウィリアム・ハリソンに次いで2番目に短い。

20世紀[編集 | ソースを編集]

セオドア・ルーズベルト[編集 | ソースを編集]

  1. 第26代大統領で、フランクリンの遠縁の従兄。
  2. ポーツマス条約で「日露戦争は日本がギリギリ勝った」ということにしてくれたため親日派だと思われがちだが、その後は日本を脅威と捉えて反日寄りの政策を打ち出している。
    • 日本が東洋最強の海軍戦力を揃えたのに対し、アメリカは太平洋に展開できるだけの海軍戦力をまだ持っていなかった。
      • そして当時アメリカはフィリピンを植民地として持っており、フィリピンが日本に狙われていると判断したため「グレート・ホワイト・フリート」を日本に寄港させて牽制した。
    • ハワイの日系人の本土への移住を禁止したり、日本からの移民を制限する法律も作った。

ウッドロウ・ウィルソン[編集 | ソースを編集]

  1. 国際連盟を提唱した張本人なのに本人は国民の反対により不参加となってしまう。
  2. パリ講和会議に出席した際当時大流行していたスペイン風邪で死にかけ大したことができなかった。
    • ウィルソンが元気だったらドイツなどへの過酷すぎる賠償請求はなかったとされる。
      • すなわちウィルソンの病気がなければヒトラーの台頭も避けられたかもしれないということである。
  3. ノーベル平和賞を受賞した1919年に脳梗塞を発症し、一命は取りとめたが、左半身不随、左側視野欠損、言語障害といった重い後遺症が残ってしまう。
    • しかしこのことは国民に知らせず、しかも副大統領もやる気がなく儀典に出席したぐらいで何にもしなかった。
    • 長期間のリハビリを経た後、末期になってようやく閣議に出席できるまでに回復したが、言語に明瞭さは戻ったものの機械的で感情を欠き、政策も無為無策だった。
    • これ以降、憲法が改正され副大統領が大統領の権限を代行できるという規定が設けられた。

ウォレン・ハーディング[編集 | ソースを編集]

  1. オハイオ州副知事と上院議員を経て第29代大統領に就任したが、お友達を優遇しまくったためにスキャンダルが多発してしまう。
  2. 本人もギャンブルが好きであまり仕事をしなかったため、現在でも史上最低の大統領と言われてしまっている。
    • 議会にあまり介入せず、重大な職務を閣僚に丸投げすることも多かった。
    • 他の大統領は「腹黒い人物だったが能力はとても高かった」とか「就任した時期が悪かった」とか「他に相応しい人物がいなかった」など擁護できる点が何かしらあるが、ハーディングにはそういうのが一切無いため。
      • ただアメリカの分裂を招いたわけではないので、やらかしたこと自体はそこまで大きくも無かったり…。
  3. アラスカ出張から帰る途中で重い食中毒を発症し、カリフォルニアの病院で亡くなってしまった。
  4. KKKと関わっていたという真偽不明の噂あり。

ハーバート・フーヴァー[編集 | ソースを編集]

  1. 共和党所属のアメリカの政治家。第31代大統領。
  2. 世界恐慌の際に有効な手を打てなかったため、歴代でも評価の低い大統領である。
    • そのせいでFDRの株を上げてしまうことに…。
    • ただ何もしなかったってのは間違いで、鉄道公社の救済や失業者に対する給付金などの政策をとってはいた。
    • なお当時失業者が建てたバラックの集まりは「フーヴァー村」と通称された。
  3. こんな彼だが、エンジニア、経営者としては有能だったらしい。
    • 日本で言えば菅直人氏や鳩山由紀夫氏みたいな感じか。
      • むしろ麻生太郎氏だと思う。鉱山と縁があり不況の際の対応のまずさから似ている。
  4. 終戦直後に訪日しマッカーサーに日本国民への食料援助を勧めたという史実があるが日本ではあまり知られていない。
  5. 親日家であり、日本との戦争に反対しており、FDRを戦争を行った張本人と批判していた。

フランクリン・ルーズベルト[編集 | ソースを編集]

  1. 本名はフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)。ワシントン、リンカーンと並びアメリカで最も偉大な大統領の一人と言われることが多いが…。
  2. 第二次世界大戦当時の大統領であったため、日本人からはメチャクチャ嫌われている。
    • まあ先に攻撃したのは日本なんだけど…。
  3. そもそもこの人自身が反日主義者だったと言われており、ハルノートを出すなど日本を煽ることも結構していた。
    • 日本が真珠湾攻撃を仕掛けてくることも察知しており、わざと攻撃を受けたという説が濃厚。元々戦争をしたがっていたFDRの思う壺になってしまった。
      • 唯一読みが外れたのは真珠湾攻撃の被害の大きさであると言われている。
      • まともな一次史料が存在しない説のどこが「濃厚」だというのだろうか。
    • 日本人だけでなく日系アメリカ人に対しても厳しかった。
      • この他黒人に対する人種差別の解消や公民権の適用にも消極的だった。
    • 遠縁の従兄だったセオドア・ルーズベルトが比較的親日だったのとは対照的。
    • 一方、中国に対しては好意的だった模様。日中戦争の差には蒋介石を支援していた。
  4. 自由主義国家の代表格でありながら、共産主義国家のソビエトと仲良しだったことから批判されることも多い。
  5. 唯一3期まで務めた大統領であるため、嫌っている人も多い。
    • とはいえ当時はまだ憲法で3選禁止が決まっていたわけでも無いし、戦時中という非常事態ではあったのである程度理解できる部分もあるが…。
  6. ニューディール政策によって世界恐慌から脱出したと言われるが、「農業調整法(AAA)によって食料品の価格を高騰させた」「雇用の多くは一時的なものだった」「一度は成功していたのに急に緊縮財政に変えてからまた失業者が急増した(≒ルーズベルト不況)」などの理由から批判の声も多い。
  7. 歴代の米国大統領で唯一、重度の身体障碍を持っていた人物。
    • 急性灰白髄炎(ポリオ)というウイルス性感染症によって両足が不自由だった。
    • 21世紀なら強みにもできたであろうがあの時代ゆえに隠すしかなかった。
    • 車椅子姿の写真はあまり残っていない。
  8. 日本が敗戦間近になりアメリカの勝利が目前という状況の中で脳卒中を発症し、亡くなってしまった。
    • アメリカの勝利を見ることができなかった。
    • FDRが亡くなった際には敵国の首相だった鈴木貫太郎からも弔電が送られてきた。
      • 一方ドイツはラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵っていたという。
    • 死亡直前に測った血圧では190~300という異常値を記録していた。

ハリー・トルーマン[編集 | ソースを編集]

  1. FDRの死によって副大統領から大統領に昇格した人物。
  2. 第二次世界大戦終結時の大統領だが、日本に2回も原子爆弾を落としたため、アメリカでも嫌われている。
    • FDRが英雄視されることが多いのに対して、トルーマンが英雄視されることは少ない。
  3. 合衆国大統領なのに在任中ほとんどホワイトハウスで過ごさなかった。
  4. 歴代米国大統領としては最後の高卒の大統領である。

ドワイト・アイゼンハワー[編集 | ソースを編集]

  1. 軍人としては非常に優秀な高い人物だったが大統領としてはあまり評価が高くない。
    • 国内政策には無関心で、実業家の閣僚に丸投げしていたという。
    • 一応、外交面の功績はまあまあ大きいらしい。日米安全保障条約を締結したのもこの人と岸信介。
  2. キューバと断交してしまった張本人。
    • その後オバマ氏が回復させるまで55年間国交が無かった。
  3. 副大統領を務めていたニクソン(後の37代大統領)との関係が色々複雑だったらしい。
    • 自らの後継としてニクソンが大統領選に出馬した際にはやむを得ず支持する感じだった。
    • まさかコーラの好みの違いが響いたわけではないはず。
      • アイゼンハワー:コカコーラ党、ニクソン:ペプシの元顧問弁護士
  4. 現職米国大統領として初めて来日を計画したが、直前に来日したハガチー大統領新聞係秘書が羽田空港でデモ隊に取りかこまれて米軍のヘリで脱出する羽目になったため中止になった。

ジョン・F・ケネディ[編集 | ソースを編集]

  1. 第35代アメリカ合衆国大統領を務めた人物。
    • 当時の日本の首相は池田勇人。日本が高度経済成長に入る直前に米国大統領を務めた人物ってこと。
  2. 1960年の選挙では共和党のニクソンを破って翌年から大統領に就任したが、ニクソンに勝っていたのはルックスだけ。それ以外の要素は圧倒的に不利だった。
    • ニクソンがドイツ系だったのに対しJFKはアイルランド系。宗教はニクソンがプロテスタントだったのに対しJFKはカトリック。また、演説の内容はニクソンの方が一枚上手だった。
      • 後にジョー・バイデン氏が就任する前まではJFKが米国で唯一のカトリック大統領だった。
  3. 人気の高い大統領だが、その割に功績はあまり多く無く、評価がいまいち芳しくない。
    • スキャンダルもあり、マリリン・モンローなど複数の相手と不倫していた。
    • ピッグス湾事件やベトナム戦争における優柔不断な態度はかなり批判されている。
    • 最大の功績であるキューバ危機の回避についても、ソビエトのニキータ・フルシチョフが譲歩してくれたおかげであり、これが無かったら本当に第三次世界大戦になっていた可能性があったと言われている。
    • 選挙運動でもマフィアの力を借りて不正を行ったという疑惑あり。
  4. 1963年にテキサス州で遊説のためパレードを行っていた際に暗殺された。
    • 米国史上最も若くして亡くなった大統領である。
  5. 彼の兄弟姉妹や子孫、さらには甥や姪にあたる人物たちもケネディと同じく暗殺されたり事故で死んだりと悲惨な死に方をしている者も多い。
    • そのため「ケネディ家の呪い」という言葉がある。
    • 子孫の1人が陰謀論に傾倒するざんねんな政治家状態になったものもいる。
  6. 少年時代から重病で何度も死にかけている。
    • 政界入りした後にも脊椎の手術を経験している。
    • 兄のジョセフが第2次大戦で戦死していなければとても政治家になれなかったであろう。

リンドン・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

  1. 暗殺されたJFKの後を継いでアメリカ大統領に就任した人物。
    • 人権擁護や福祉政策に力を入れ、黒人の公民権を認めた人物。そのため内政面での評価は高いが…。
  2. 外交面での評価がきわめて低い。
    • ベトナム戦争を泥沼化させた戦犯と言われている。
    • アメリカ国内でも激しい反戦運動が起こった。

リチャード・ニクソン[編集 | ソースを編集]

  1. ライバルである民主党の拠点があるウォーターゲート・ビルに盗聴器を仕掛けたとして、弾劾をかけられそうになった共和党の大統領。
    • 弾劾裁判になる前に辞任したため回避できたものの、途中で亡くなった人を除けば在任中に大統領の座を降りた唯一のアメリカ大統領となってしまった。
  2. 1960年の大統領選挙で民主党のジョン・F・ケネディ候補と戦うが、実は討論の内容自体はニクソンの方が一枚上手だった。
    • しかしそれでもJFKが勝利した。その理由はニクソンのルックスがお世辞にもイケメンとは言えなかったからである。だからテレビ討論会を見た人たちはみんなJFKに投票した。
      • もしラジオしか無い時代のままだったらもしかしたらニクソンが勝っていた…、かも?
    • これからはテレビの時代とケネディが白黒の画面でもきれいに映るようなメイクしたのに対し、ニクソンはそのまま出たためやつれたおじさんみたいな絵になってしまったからだという。
  3. 一応フォローを加えると政治家としては(特に外交面では)非常に有能らしく、前任のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)が解決できなかったベトナム戦争を終結させたり、中国にヘンリー・キッシンジャーを送って関係改善させたり、高い失業率やインフレに悩まされてきたアメリカ経済を改善したり、日本に沖縄を返還するなど、功績もかなり多い。
    • むしろウォーターゲート事件さえ無ければ「ケネディよりマシだったんじゃね?」説すらある。
  4. 日本の総理大臣で例えるならば田中角栄ってイメージかな?悪人っぽいけど仕事はメチャクチャできる人。
  5. 皮肉にもウォーターゲート事件以降、政治的なスキャンダルに対して○○ゲートと名付けられてしまうことが多くなってしまった。

ジェラルド・R・フォード[編集 | ソースを編集]

  1. ニクソン辞任により副大統領から大統領昇格!しかし…
    • ちなみに副大統領もスピロ・アグニューの辞任を受けて就任したもの。
  2. ニクソンに恩赦を出したりした結果、勝利州数ではフォード27州対カーター23州で上回っていたのにわずか2パーセントの僅差でカーターに敗れた。
    • そのためアメリカ史上唯一大統領選で未勝利の大統領になってしまった。
  3. 転倒したところを当時のコントで真似され運動音痴のイメージが定着してしまった。
  4. 在任中に2回も暗殺未遂にあっている。

ジミー・カーター[編集 | ソースを編集]

  1. 第39代のアメリカ大統領に就任した民主党所属の政治家。
    • 1976年の選挙で共和党のジェラルド・フォードを破った。
  2. しかし外交政策、国内政策共に失敗したため支持率が急落し、1980年の選挙では共和党のロナルド・レーガンに敗れた。
    • 在任中に実施した経済政策が失敗した上にイラン革命による石油危機によって国内では酷いインフレーションと不景気に見舞われた。
      • また航空会社の規制を緩和した結果、航空会社の倒産が急増し、(コスト抑制のため機材の老朽化や未熟なパイロットが増えたことから)事故も増えた。
    • 将来的にパレスチナ人国家を作ることを約束したが、これがユダヤ系アメリカ人やイスラエル人の怒りを買った。
    • イランアメリカ大使館人質事件を防げず、人質救出作戦にも失敗したことから保守派の方々からは「弱腰外交」だと批判されている。
    • 「人権外交」を掲げていたが大きな成果を出せず、イラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻も防げなかった。
      • 日本で言えば鳩山由紀夫氏みたいな感じか。あ、流石に鳩山氏よりはカーターの方がマシかもしれんが。
  3. 何故か核に縁がある人物。
    • 若い頃はアメリカ海軍の原子力潜水艦で働いていた。
      • カナダのチョーク・リバー研究所で事故が発生した際にも技術者として事故処理に当たった。
    • 自身が大統領だった頃にスリーマイル島原子力発電所事故も発生している。
  4. 一応、大統領以外でなら有能らしい。
    • ジョージア州知事時代は人種差別の撤廃や、貧富の差による教育格差の解消に取り組んだ。
    • 大統領を辞めた後は積極的な外交活動を行い、2002年にはノーベル平和賞を受賞し史上最強の元大統領と言われた。
    • 最初から元大統領ならよかったのにと揶揄されることも。

ロナルド・レーガン[編集 | ソースを編集]

  1. 共和党所属の第40代大統領。
    • 外交面ではソ連のゴルバチョフに勝利した大統領として人気が高い。
  2. しかし双子の赤字を拡大させたため、経済面での評価は微妙。
    • この時導入された新自由主義がアメリカ社会で軋轢を生むことに。
      • 同じ時期に首相を務めていたイギリスのマーガレット・サッチャーや日本の中曽根氏もレーガンと似たような政策を実行したため今でも一部の労働者からは嫌われている。
  3. 日本の中曽根康弘首相とは親友とも言える関係だったが、同時に日本の対米従属を強化させてしまった。
  4. 1981年には一命は取り留めたものの、銃撃されてしまい重傷を負っている。
  5. 俳優時代にはいわゆる「赤狩り」に協力し多くの同僚を破滅させた。
  6. 1984年にラジオのマイクテストで不適切なジョークを口走ったことがある。
    • 「私は今しがたロシアを永遠に非合法化する法案に署名しました。我々は5分後に爆撃を開始します。」
      • この翌日、ソ連ウラジオストクから特殊部隊旅団司令部のあるウスリースクに向けて「これから米軍と戦闘状態に入る」という内容の暗号電報が流れた後30分後に取り消された、という。
        • ペンタゴンもその暗号を傍受していたといわれている。
    • その2年後には「Son of bi*ches」と口走ったのをマイクに拾われたこともある。

ジョージ・H・W・ブッシュ[編集 | ソースを編集]

  1. お父さんの方のブッシュ大統領。
    • 冷戦終結時の大統領である。
  2. 湾岸戦争後の不景気と「増税はしない」という公約を破ったために人気が低下。
    • 1992年の選挙ではクリントンに敗れた。
  3. ブロッコリー嫌いが過ぎて農家から大量のブロッコリーを送り付けられたことがある。

ビル・クリントン[編集 | ソースを編集]

  1. 民主党所属の第42代アメリカ合衆国大統領であり、ヒラリー・クリントンの夫。
    • ちなみに妻のヒラリーも政治家である。
    • 二人の冷えた夫婦関係はしばしばジョークのネタにされた。
  2. モニカ・ルインスキー氏との不倫スキャンダルが報じられ大バッシングを受け、弾劾裁判にかけられた2人目の大統領となってしまった。(ちなみに1人目はアンドリュー・ジョンソン)
    • 辛うじて無罪となり、罷免は免れたが…。
    • 大統領執務室で×××したことが発覚してしまう。
  3. 当時アメリカで深刻な問題になっていた財政赤字を黒字に持っていったり、IT産業の発展によってアメリカ経済を復活させるなど、経済面では優秀な大統領である。
    • だが外交面ではお世辞には有能とは言い難い。特に日本に対しては(アメリカが貿易で有利になるように)円高になるように要求したり、年次改革要望書を突きつけるなどして当たりが強かった。
      • 中国との関係は最初は親密だった(クリントン大統領が台湾不支持を表明したほど)ものの、コソボの中国大使館を誤って空爆したことから当時の中国副主席だった胡錦濤から猛抗議を受けている。

21世紀[編集 | ソースを編集]

ジョージ・W・ブッシュ[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカ合衆国第43代大統領にして、同国大統領で歴代五指に入るであろうアホ。
    • ベトナム戦争時代は成績が下から25番目で筆記試験が最下位タイ、空軍に入隊するも飲酒運転で逮捕と若い頃は完全にドラ息子状態。
      • 本人も「諸君、成績がCでも大統領になれるぞ」とスピーチしたり、愛読書に「はらぺこあおむし」と答えたりと、自分がアホであることは率先してネタにしていた。
        • しかも子供の頃に読んで印象に残った絵本を「はらぺこあおむし」と答えたため、嘘をついているのがバレてしまった。(この絵本が出版されたのはブッシュ氏が大学生の頃である)
    • 大統領時代に、ブラジルの大統領に「君の国って黒人いるの?」という中学校の社会科レベルの質問をした。
    • 1度のスピーチで「APEC」と言わねばならない所を「オペック」と読んでしまったことが3回もあった。
  2. で…政治に関しては…。
    • 言うまでもなくアフガニスタンとイラクでのやらかしで星条旗に思いっ切りドロを塗り、以降も中東情勢をメチャクチャにしくさった。
    • 世界最大のCO2排出国でありながら知らぬ存ぜぬを貫き、地球温暖化の影響を無視し続けた。
    • このアホなオッサンが南部のレッドネック層に癒着しすぎたせいで、後の更なるアホなオッサンを8年後に国のトップに据えてしまうことになる。
  3. 恐らく史上最もジョークのネタにされたという、不名誉極まりない称号を有する。
    • 例:ブッシュとチェイニー副大統領が亡くなった。閻魔大王は二人をウソ発見器にかけた。チェイニーは慌てて命乞いをした。
      「冗談ではない、私はいつも考えています。イラクに真の平和が訪れ、イラクの人々がアメリカと仲良くできる未来を作ることを」
      するとブザーが鳴って、チェイニーは地獄に落ちた。
      それを見て、慌ててブッシュは命乞いをした。
      「冗談ではない、私はいつも考えています
      即座にブザーが鳴った。
  4. しばしば「ダメな方のブッシュ大統領」と呼ばれ、父親と比較される。
    • ただし父親の方が1期4年しか大統領を務められなかった(ドナルド・トランプが大統領を辞める前までは現職なのに選挙で負けた最後の大統領だった)のに対し、息子の方は2期8年務めている。
    • パパブッシュ落選以降行われた大統領選挙で得票率が過半数の共和党候補は息子ブッシュ2期目の2004年のみ。(ブッシュ1期目の2000年とトランプ当選の2016年は一般投票で敗北した選挙人投票で勝利。それ以外は民主党候補が勝利。)
  5. 就任1年目こそ90%以上の高い支持率を叩き出したが、末期の支持率は20%を下回り、逆に不支持率が70%を超えることに…。
  6. しばしば20の倍数の年に選出された大統領にはテカムセの呪い(テカムセは先住民の偉い人)がかけられ暗殺されるか病死すると言われていたが、ブッシュ(子)大統領は免れた。これは(不謹慎ながら)そもそもブッシュ氏自身がアメリカにとって呪いだったからという噂すらある。
    • ちなみにロナルド・レーガン氏も暗殺こそされなかったものの、暗殺未遂事件の被害に遭っている。
  7. もっとも、アメリカ自身を除く旧西側諸国にとっては他の大統領よりも平和な時代だったので近年は再評価する意見も多い。

バラク・オバマ[編集 | ソースを編集]

  1. 史上初の黒人大統領だが白人の血も入っている。
    • 今の国際社会ではそれを残念だと思うこと自体十分「ざんねん」に値する。
  2. アメリカ初の国民皆保険制度を導入したが未だに反対意見が多い。
    • 本来救済対象となるはずの貧困層ですら反対しているらしい…。
    • 保険会社に補助金出して保険料やすくしてねという政策だったため(日本のような国民皆保険やると年100兆円かかるので無理)保険料が高止まりになったことが原因。
  3. 大統領就任1年目にノーベル平和賞を受賞したことには批判の声も大きい。
    • 個人的には「これを励みにもっと頑張れ」というメッセージに思えた。
  4. スポーツ万能だが大統領在任中はマリンスポーツを止められていた。

ドナルド・トランプ[編集 | ソースを編集]

  1. 共和党所属の政治家。第45代アメリカ大統領。
  2. 過激な発言が多く、身内の共和党内でもトランプ氏を敬遠する議員が多かったらしい…。
    • 単に過激なだけなら「金髪の面白いおじさん」で済んだのだが、トランプ氏の場合は人種差別を助長するような暴言が多かったため。
    • 戦時に文化財を意図的に破壊することを肯定する発言の前科もあり。
    • 天安門事件を暴動呼ばわりして中国の民主派からも非難された。
    • 極めつけは2021年に支持者の前で行った暴力を煽る演説。
      • その直後大量のトランプ支持者が連邦議会に突入するというアメリカ史上前代未聞の事件が起きた。
        • 連邦議会議事堂に南軍旗を持ち込ませた史上初の大統領として歴史上永遠に名を残す結果となった。
  3. ジョージ・H・W・ブッシュ(父親の方)以来の再選を果たせなかった大統領である。
    • ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)ですら再選できたのに…。
  4. アメリカ史上最悪の大統領ワースト4の1人だともう言われている…。
    • ほかの3人は南北戦争がらみでブキャナンやピアソンは戦争を止められず、A・ジョンソンは終戦がらみの処理の混乱で低評価なので、トランプはアメリカ国内を内戦一歩手前まで追い込んだ男として評価されるのだろう。
      • ピアソン→ピアース
    • でも任期中にロシアや中国が大規模な戦争をやらなかったのは評価できる。
      • この結果としてバイデンの高齢さだけあって再評価される。もっともトランプ本人も高齢だが。
      • 数年すればここに「ドナルド・トランプ」が載りそう。

ジョー・バイデン[編集 | ソースを編集]

  1. トランプ氏を破って第46代大統領に就任するが史上最高齢の大統領というのもあって健康問題が心配されている。
  2. 飢餓撲滅を目指す会議で演説した際に、交通事故で亡くなっていた共和党議員の名前をあげて「○○議員は何処にいる?」と問いかけていた。
    • そのせいか認知症疑惑まで出る始末。
  3. ロシアに強気の姿勢を見せなかったためにウクライナ紛争が起こったと批判されている。
    • それどころか中東でも戦争が起きた。
    • 結果として↑のトランプが再評価される様に。

関連項目[編集 | ソースを編集]