ざんねんな作家事典

提供:chakuwiki

ざんねんなモノ事典 > ざんねんな人物事典 > ざんねんな文化人事典 > 作家

あ行[編集 | ソースを編集]

石川啄木
  1. 文豪三大外道と呼ばれるダメ作家の中でも、ざんねんエピソードの質量ともに1位をひた走る男。この人よりクズな作家はおそらく、今後も現れないと思われる。
  2. 「はたらけど はたらけどなお わが暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る」で有名だが、以下のエピソードを見れば「ならない方がおかしい」と感じていただけると思われる。
    • 残っている写真からわかる通り童顔で女性にモテたが、あまりにモテすぎており、芸者を何人も侍らせていた。
      • FURIN GA BARENAI YOU NI RO-MA JI DE NIKKI WO KAITE ITA。DAGA TAKUBOKU GA SHINDA ATO KAMISAN MO BENKYO SHITE ORI ZENBU BARETE SHIMATTA
    • その結果、お金が稼いだそばから昇天していき、知人という知人から借りまくった。
      • 友達に「おごるから」といって酒を飲みにつれていき、何件もはしごした挙句、勘定はツケと称してその友人に払わせ、しかも交通費まで揺すった。もはや強盗である。
        • さらにその金で女遊びして歩いて帰った。
      • 生涯の借金は今のお金で数千万に及ぶという。
      • 「一言も言い訳できません」と前書きした手紙で、言い訳を1m33㎝も書いたという。
      • 死後、記念館を作りたいので融資してくれと言う話に対し友人曰く「あいつにはもう十分金を貸した」。
  3. 母親に甘やかされていたため嫁姑問題はメチャクチャに脱線しまくり、嫁さんは家出するも、結局啄木の友人が呼び返すまで面倒だから放置していた。
  4. しかも中学時代には内申点(のようなもの)がズタボロで、最終的にカンニングがばれて先生から怒鳴られ退学になっている。
  5. 「俺に頭を下げさせたヤツらはみんな死んじまえ」という趣旨の短歌を残している。
  6. 金田一春彦曰く「啄木が来るたびに物がなくなるので石川五右衛門の子孫かと思った」。
  7. 近年ではこうしたダメダメな逸話のせいで『ゴールデンカムイ』や『スナックバス江』で散々にバカにされている。
石原慎太郎
  1. 『太陽の季節』で芥川賞を獲るなど腕は確かだが、すさまじく字が汚かった。その汚さは版元が「慎太郎係」という専任の校正係を配属させるほどだった。
井上ひさし
  1. 作品へのこだわりから、とんでもなく筆が遅かった。その遅さは『笑点』で「また井上ひさしに原稿頼んだんだろう」とネタにされるほどだった。
  2. また筆が進まなくなると妻を殴るなどし、あまりにも激しいDVによって妻に逃げられることにもなった。
    • 編集者は原稿ほしさに「あと2、3発殴られてください」などと煽った。
  3. 「九条の会」の会員で、徹底した天皇制批判論者であったにもかかわらず、文化功労者を辞退せず、芸術院会員にもなったことは批判の種になっている。
岩井志麻子
  1. 岡山の黒アワビ。
  2. 本業はホラー作家なのだが、あまりにもヒョウ柄と下ネタのイメージが強すぎて…。
  3. 胸いっぱいサミット(関西テレビ)で「韓国人は手首切るブスみたいなもん」と発言し、番組側が謝罪する事態となってしまった。
内田百閒
  1. 世の中に 人の来るこそ 嬉しけれ とは言うものの お前ではない
  2. 子どもレベルの悪戯をやらかしては、へこへこ謝ってくる場面がエッセイの中にもある。
    • 例:墓地から何本も卒塔婆を引き抜いて、知人宅に並べてくる。
  3. 乗り鉄趣味全開の『阿房列車』など、マニアックな嗜好丸出しの随筆も多い。
遠藤周作
  1. しょっちゅういたずら電話をかけて阿川弘之・北杜夫・佐藤愛子ら作家仲間をからかっていたが、あるとき自分が騙された
  2. 対談の相手に教えた「自分の電話番号」が、実際には東京ガスの事務所だった。

か行[編集 | ソースを編集]

賀東招二
  1. 環境活動家のグレタ・トゥーンベリを幼稚な文言で批判して炎上し、謝罪に追い込まれた。
    • 『フルメタル・パニック!』のコミカライズを担当した漫画家からは「今後宣伝はしませんし続編も描くことはないだろう」と絶縁宣言されてしまった。
菊池寛
  1. 1930年に広津和郎が「女給」という小説を雑誌「婦人公論」に発表した際、主人公を口説く「吉水薫」という登場人物が明らかに菊池をモデルにしていると思われたため本人が「自分はこんな口説き方はしない」と「婦人公論」の発行元の中央公論社に「僕の見た彼女」という名前の抗議文を送ったのだが・・・。
    • 抗議文の名前を中央公論社の社長が「僕と小夜子との関係」と勝手に改題し、それを「婦人公論」に載せてしまう。
      • とうとう菊池はぶち切れて直接中央公論社に乗り込み、「婦人公論」の編集長を殴ってしまった。
        • 結局これがきっかけで「女給」の小説は話題となってしまい、「女給」を原作とした映画や歌まで作られてしまった。
  2. 女遊びが激しかったため詰め寄ってきた妻に「60歳になったら真面目になる」と宣言していたのだが、59歳で亡くなってしまった。
  3. 戦後は文藝春秋で侵略戦争を指導したという理由で公職追放されてしまった。
  4. 喫煙者だったが灰皿を使う習慣がなく、畳や椅子の肘掛けで火を揉み消していたため、家は焼け焦げだらけだったらしい。
北杜夫
  1. 躁鬱病を世に知らしめた存在として名高いが、本人にとっては諸刃の剣だった。
    • 最終的にはこの病気のせいで株に手を出し、自己破産する羽目になってしまった。

さ行[編集 | ソースを編集]

斎藤茂吉
  1. すさまじい癇癪持ちで、「俺と戦う者は必ず死ぬ」とまで言い放った。
    • そのくせ外面はよく、家族や内弟子にのみ雷を落としまくったため、妻に浮気された挙げ句それが新聞にすっぱ抜かれてしまう事態に陥った。
坂口安吾
  1. なんといってもライスカレー百人前事件が有名。
    • 坂口が檀一雄の家に身を寄せていたところ、妻にライスカレーを100人分注文するように要求し、妻はそれを受けて近くの飲食店にカレーライスの出前を頼んだ。
    • あまりにも量が多すぎるからか実際には30人前分しか運ばれなかったが、次々とライスカレーが置かれる様子を妻と檀一雄はただ茫然と眺めるしかなかった。
    • このようなぶっ飛んだ注文をした背景としては、第2次世界大戦後からヒロポンなどの覚せい剤や睡眠薬を濫用していたことがあるとか。
  2. 晩年の1953年に息子が生まれたのだが、その2年後に48歳で亡くなってしまった。
佐藤大輔
  1. 死去した後に遺族の意向で彼が手掛けていた一部の作品が封印されてしまう。
  2. 大の遅筆としても知られ、亡くなった時点で完結まで至ったのは『征途』しかなかった。
    • 90年代のある歴史雑誌のインタビューでは「9月に出す本は9月に書くんです」と語っている。
  3. 晩年は心臓の養生をしながら熱心に新刊の校正に取り組んでいたが、2017年に虚血性心疾患で52歳の若さで急死。
    • 密葬に参列した編集者からは「佐藤さん、慣れないことするから…」と惜しむ声が聞かれたという。
椎名誠
  1. エッセイにおいてキセル乗車をしていたことを自慢げに書いていた。(むろん犯罪である)
島崎藤村
  1. 「破戒」の執筆にのめり込みすぎて家を生活困窮状態にし、子ども3人が次々と栄養失調で亡くなる事態に。
  2. 妻が亡くし家事に困っていたところ、見かねた兄が娘(藤村から見て姪)を派遣してくれたが、手を出して孕ませた。
    • 責任を取るどころか海外逃亡し、現地での生活を「仏蘭西だより」として新聞に掲載。3年余り日本に帰ってこなかった。
    • 帰国後に禁断の関係を再燃させてしまう。さすがに今度はまずいと思ったか清算を試みるが、その方法が経緯の一切合切を小説のネタに取り入れて発表することだった。その作品が『新生』である。
      • こうしたあまりのゲスぶりに芥川龍之介は強い不快感を示し『「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった』と非難した。
      • 姪自身の手記によると、「叔父に都合の悪い場所は可及的に抹殺されている」。
島田清次郎
  1. 弱冠20歳にして自著『地上』第一部が3万部の販売高と当時としては大ヒットを記録、続編も同じような売れ行きを見せ、著作は即日完売、重版に次ぐ重版と一躍文壇の寵児となった。
    • 同作は生田長江の激賞を勝ち取って大正時代最大ともいわれるベストセラー作家となり、若年層の圧倒的な支持を得た。
      • また、出席した国際ペンクラブの第一回大会で日本人初の会員に推され、『地上』の翻訳出版も決定する。
  2. しかし「精神界の帝王」や「人類の征服者」と自称するなどの不遜な発言や奔放な女遊び、ソビエト的な社会主義を標榜しながら豪勢な生活を送っていたなどの言動が文壇で顰蹙を買う。
  3. さらに、舟木錬太郎海軍少将の令嬢を誘拐、監禁、婦女暴行するという事件が起こり、結局無実として告訴取り下げとなったものの、このスキャンダルにより人気が失速する。
    • 出版社からは作品を受け取ってもらえなくなったうえ出入り禁止を喰らい、新作『釈迦』は紙型工程までできあがっていたものの、結局未刊に終わってしまった。
  4. その後も吉野作造や菊池寛の自宅に押し掛けて居座るなど問題行動が多く、結局精神病院に収容されてそこで生涯を閉じた。
    • 絶筆となった自伝的長編小説『母と子』も未発表に終わった。
鈴木三重吉
  1. 中原中也に匹敵するレベルの酒乱。
    • 酒癖が悪すぎて師匠である夏目漱石に「酒をのむならいくら飲んでも平生の心を失わぬ様に致したし」と叱責されたり、雑誌『赤い鳥』に寄稿していた北原白秋から絶交を言い渡されたりした。
    • 師匠たる漱石、高浜虚子や寺田寅彦といった先輩たちには手向かいしない代わり、芥川龍之介、内田百閒、小宮豊隆、森田草平といった自分と同じ漱石山房の門弟たちには散々からんだ。あるときなど芥川が「前にあった刺身の皿を投げつけてやりたいくらい腹が立った」と述懐するほど。
瀬戸内寂聴
  1. 大学在学中に結婚して子供を産んだのだが、ある時夫の教え子と不倫し夫や自分の子を捨てて不倫相手と京都に逃げてしまった。
  2. 一時期犯罪被害者の会の設立に協力するなど犯罪被害者への支援を行っていたが、死刑反対のシンポジウムに参加した際に死刑反対を表明したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と死刑を望む被害者遺族を批判するような発言をして彼らから抗議を受けた。

た行[編集 | ソースを編集]

太宰治
  1. 文豪三大外道「軟弱の太宰」。
    • 豆腐メンタルな文豪は数多くいるが太宰はその極地であり、生涯に5回も自殺を図り、最後の1回で本当に死んだ。
    • しかもそのたびに女をとっかえひっかえしており、2回目の自殺は心中だが相手の女だけ死んだ。
      • 内縁の妻が「初代」で翌年別の女と結婚するって何かのジョークかこの野郎。
  2. ちなみに「走れメロス」は借金取りから走っていた当時の太宰自身がモデルである。
    • メロスは帰ってきたが、太宰は人質解放の締め切り日まで逃げ惑い、井伏鱒二と将棋を打っていた所を借金取りに捕まった。
  3. 作風(あと顔も)が似ている芥川龍之介を尊敬し、芥川賞を欲しがっていたが生涯取れず、「なんでくれないんだよ」と抗議の手紙を送る。
    • しまいには審査委員の川端康成の「作品はともかく本人の生活態度が気に食わん(意訳)」という発言を受け、「てめえ、ぶっ殺してやる」という手紙を送った。小学生か。
    • さらには「佐藤春夫から受賞の確約をもらっている」というトンデモアピールを『新潮』に掲載。佐藤からは即刻否定された。
      • 否定されたのち、10mの巻紙に綴った謝罪の手紙を佐藤に送っている。
谷崎潤一郎
  1. 何と言っても「細君譲渡事件」が強烈。
    • 結婚→嫁の妹と浮気→ある同業者が嫁を不憫に思って接するうちに本気の関係になる。
    • 最終的に和解するが、嫁も含めた当事者3名の連名状として結果報告の声明文を公開。
    • しかも谷崎は翌年に、嫁の妹とは全く違う女性と再婚。
  2. 芥川龍之介が「『話の筋の面白さ』は作品の芸術性を高める材料にならない」と発言したことに強く反発。5カ月にわたってそれぞれの投稿論文で激論を繰り広げるも、芥川の自殺により決着が付かないまま終わった。
  3. フェティシズムやマゾ的嗜好丸出しの男を描いた作品が多い。
    • 『痴人の愛』や『春琴抄』は特に……
      • ちなみに『痴人の愛』のヒロインであるナオミの外見に関する描写を精査すると、実はぽちゃな体格で顔立ちも田舎くさい(本文でも「いまいちイモい」)らしい。
檀一雄
  1. 上記の太宰治の借金取りの話や坂口のライスカレー百人前事件など文豪のトラブルに何かと巻き込まれがちだった。
  2. 檀本人も女性関係においては女優の入江杏子とホテルで同棲生活を続け、その様子を「火宅の人」に書くなどだらしないところがあった。
  3. 1976年に一雄は亡くなるのだが、そのことがきっかけですでに芸能活動を始めていた娘の檀ふみを養子にしようとある男が檀の自宅に押し掛けてきたことがある。
筒井康隆
  1. 出たがり。
    • とにかく自分の作品が舞台・映画・ドラマになるたびに(チョイ役・メインキャスト問わず)出演している。出演しなかったのはほぼ『時をかける少女』のみ。
      • 小説家以前は役者志望であり、日活のニューフェイスに応募するも落選している。
      • 外国映画が大好きなあまり、少年期では木戸銭を工面するため親の私物をたびたび盗んで売っていたことをエッセイで公表している。
    • かつて有限会社形式の劇団を所有しており、そこで演じることを前提にした戯曲作品も多く執筆した。しかし、5000万円もの負債で倒産している。
  2. 実の両親(特に父親)との関係が極めて険悪だった。
  3. すぎやまこういちと並び立つ、煙草大好きを公言している著名人の一人。
  4. 直木賞には3回(1967年下期・1968年上期・1972年上期)ノミネートされたが、いずれも受賞できなかった。
    • 但し1968年上期の「アフリカの爆弾」は選考委員の松本清張が「これが受賞作でも不満は無かった」と評価されていたが、反対意見も多く結局受賞作なしということに。
      • 反対意見の中には、そもそもこれは文学ではないという身も蓋も無い論評まであった。
    • 後にこの経験から、作家志願者が文学賞(直廾賞)の選考委員を次々と殺していく小説「大いなる助走」を執筆した。
      • 筒井本人は後に「もし直木賞を貰っていたら作家としての成長が止まっていたのはほぼ明確だったので、貰わなかったことを寧ろ感謝している」と執筆当時を振り返っている。

な行[編集 | ソースを編集]

中村うさぎ
  1. 可愛いペンネームに騙されてはいけない。90年代のライトノベル黎明期を駆け抜けた作家の一人であるが、行き過ぎた浪費癖により何度も破産寸前に陥っている。
    • 当人もそのことをノンフィクションで何度もネタにしている始末。
  2. 後輩の倉田真由美から「500m歩くだけで死にかける」とまで言われるほどのモヤシ体質。
    • さらに2013年にはスティッフパーソン症候群という100万人に1人しか罹患しないほどの難病に襲われている(一命は取り止めた)。
  3. 現在ではもはや全くライトノベルには携わっておらず、エッセイの方がライトノベルより多い。
    • まともに完結させたのが『宇宙海賊ギル&ルーナ』くらいしかない。代表作の『ゴクドーくん漫遊記』はアニメ化もされ無事完結したかに思えたが、外伝は「地獄に落ちた亡者ども 前編」で打ち切り。
中原中也
  1. 文豪三大外道「酒の中原」。
    • とにかく柳生十兵衛もかくやというくらい酒癖が悪く、太宰に対してはのび太をいじめるジャイアンも震え上がるレベルで絡み酒にひた走っていた。
    • 青山二郎の義弟のバーで、あまりに暴れまくるせいで1年で閉店まで追いやった。
    • しかも酒乱の癖に、大柄な坂口安吾にはどんなに酔っぱらってもガチ絡みはしなかった(中原は151㎝の小男だった)ため指さして嗤われたらしい。
    • 酒席で檀一雄と乱闘になった際、草野心平に助太刀してもらったが、中原は草野のことを陰では「くだらぬ詩人」と罵倒していた。

は行[編集 | ソースを編集]

百田尚樹
  1. 出たがりバラエティ構成作家から小説家(笑)への出世作「永遠の0」はコピペ作品だった。
  2. コピペ愛国ポルノに感銘を受けた安倍晋三と意気投合してお友達となってしまい、以後分不相応な地位に上がっては暴走の日々を送っている。
  3. 同類であるやしきたかじんをダシにした「殉愛」で失望されたが、激甘な業界や総理のお友達なので普通に失職もせずにいられている。
  4. しかし「海賊と呼ばれた男」のイベントでは素行の悪さを忌避されて呼ばれなかった。
  5. ついにはコピペで作られた「日本国紀」でネトウヨ以外からは笑い物となった。
  6. 自身が関与したある政治運動に重大な違法行為があったと発覚するも、「知らんがな」と逃げた。
    • 一部では「もうけが無いから逃げた」とおちょくられる事態に。
  7. 社民党の土井たか子氏が亡くなった際にTwitterで「酷い売国奴だった」と発信し、非難された。
    • 左翼は勿論、右翼の方々からすら「(立場の違いはあれど)亡くなった直後くらいはそっとしておいてやれよ」と酷評される始末…。
  8. 2014年の東京都知事選挙では田母神俊雄氏以外の候補のことを「人間の屑」と発言して激しいバッシングを受ける。
  9. 「わざと下品な言動を繰り返すことで右翼のイメージダウンを狙っているのではないか?」という説もあるのだとか。
福島正実
  1. 日本にSFという文学ジャンルを普及させた「SFの鬼」とも呼ばれた作家であり「SFマガジン」編集長でもあるが、覆面座談会事件(詳しい内容はこちら)において当時の人気SF作家たち(星新一、小松左京、筒井康隆、眉村卓ら)を遠慮なく批判したため、その作家達と絶縁、勤めていた早川書房を退社する羽目になっている。
星新一
  1. 「ショートショートの神様」とも呼ばれたSF作家だが、何故か星雲賞(SFファンが選ぶ年間ベスト賞)を一度も受賞できなかった。
    • 1984年には有志のSFファンから「星雲賞特別賞」を受賞される予定だったが、星側が寸前になって受賞を拒否してしまった。
      • 手塚治虫(1989年没)や小松左京(2011年没)らは没後に星雲賞特別賞を受賞したが、何故か星の死去時は授賞されず…。
  2. 生前は自らの作品の映像化を殆ど許さず、アニメ化の話を持ちかけたガイナックスに対しては「自分の作品がいじられるのは真っ平御免だ。やるなら俺が死んでからにしてくれ」と断った。
  3. 更に小松の証言によると少年愛の傾向があったらしく、「『ピーターに合わせてくれるんだったら大長編を書く』とかつまらんこと言ってた」「一人で中華饅頭を食いながら、郷ひろみが出演しているテレビ番組を見ていたそうだけれど、鬼気迫るな」と発言している。

ま行[編集 | ソースを編集]

三島由紀夫
  1. 太宰治のことを嫌っていたが、最終的には太宰と同じ最期に行き着いた。
  2. 典型的なナポレオンコンプレックスで、ボディビルを始めたのも貧弱な体躯を克服するためだった。
    • 子供のころは虚弱体質で、綽名は「蝋燭」「アオジロ」だった。
  3. の形状が苦手で、「蟹」という漢字を見るのも怖くて駄目だったが、むき身の蟹の肉や缶詰の蟹は食べることができた。
    • 但し蟹の絵のパッケージは即座に剥がして取っていたという。
  4. 一時は川端康成・谷崎潤一郎・西脇順三郎らと共にノーベル文学賞の有力候補にも挙がっていたが、遂に受賞することはなかった。
    • 実際に1968年、川端が受賞した際のインタビューでは「運が良かった」「翻訳者のおかげ」「三島君が若すぎるということのおかげです」と答えている。
三谷幸喜
  1. 高名な喜劇作家だが、凄まじいまでの遅筆。これによって関係の悪化など色々と不都合をかこっている。
  2. 「古畑任三郎」は長く人気が続いている代表作品だが、警察の人事制度に関する描写がめちゃくちゃだった。
    • 平の巡査が3年以内に本庁の部長級とか、ありえるわけがない。
  3. 元々小劇場系の劇団から名を挙げてきたので、橋田寿賀子と並んで「壮大なスケール」の作品とは無縁。
  4. アニメ『サザエさん』の脚本執筆依頼が来た時に、「タラちゃんが筋肉増強剤を使ってムキムキになりオリンピックに登場する夢を見る話」を書いたところ、プロデューサーから「君はサザエさんの心がわかっていない」と激怒され、目の前で脚本を破られ、そのまま降板させられた。
向田邦子
  1. 高名な脚本家、エッセイスト、小説家だが、凄まじく悪筆な上に遅筆。
    • 向田のシナリオを清書し印刷する懇意の印刷所が存在したが、それでも誤植することも珍しくなかった。
      • 一例では「狼狽」を「猿股」と誤植され、演じていた女優がどういう表情すればいいんですかと聞くレベルだった。
  2. 遅筆が原因でドラマの出演者と喧嘩になったこともある。
森鴎外
  1. 世界に通用する名前にしようとして子供・孫の名前に現代で言うキラキラネームを付けてしまう。
  2. 本業は医者で陸軍軍医として活動したこともあったが、脚気対策に良いとされる麦飯を提供しなかったため陸軍から大量の脚気患者・死者を出してしまった。
    • 明治時代の医療界では脚気を細菌性疾患とみなす説が一定の支持を得ており、なおかつオリザニンを発見した鈴木梅太郎が農学者であったという事情もあり、栄養欠乏症であることを頑なに否定していた。
  3. 変に論争好きなところがあり、本職の医学はおろか文学関連でも論争を吹っ掛ける悪癖があったが、大抵論破されてしまうレベルだった。
  4. 『舞姫』におけるエリスの悲劇は、ほぼ実話(つまり本人が海外留学中にやらかした)らしい。

やらわ行[編集 | ソースを編集]

やなせたかし
  1. 『アンパンマン』の原作者。
  2. 仕事を依頼すればなんでも引き受けてくれた。アンパンマンが売れる前は司会やらコピーライターで食いつないでいた。
  3. 仕事を無料でも引き受けていたため同業者から批判が上がっていた。
    • 全国のご当地キャラ200ぐらい描いて、2か所を除いてノーギャラだったという。
    • JR一金がないところがアンパンマンだらけなのもこれが理由なのかもしれない。
山田悠介
  1. 作家なのにもかかわらず文章・構成がめちゃくちゃ。
    • 特に彼の代表作でもある「リアル鬼ごっこ」の文芸社版の初版は文章が破綻しているところがいくつも見受けられた。
      • なおその後出された文庫版では幾分かましになっている模様。
      • ちなみに本人は学生時代まともに読書したことすらなかったらしい。
      • たしかこれ自費出版だったような気がする。(文芸社は自費出版が多い)
山本弘
  1. 人の粗探しで食ってる人。
    • いわばこのざんねんなものシリーズを商業でやって、それを飯の種にするという手法で儲けてきた。
      • 下記の通り柳田理科雄の科学考証[1]をさんざんバカにして来たくせに、自分はSF考証[2]に関して柳田と同レベルの揚げ足取りで笑いものにしている。
    • 特に柳田理科雄への執着は異常で、「いくら叩いても言い返してこない」のをいいことに半ばパブリックエネミー状態で扱っていた。
      • 自身の小説でも「これなら柳田理科雄から突っ込まれやせん」というセリフをキャラクターに吐かせている。
  2. ただ、明らかに間違った意図で行われているトンデモ言説を声高に否定するという思考は間違っちゃいない。「アポロは月に行ってる」「9.11や3.11は自演ではない」といったアタリマエの事実に対しいや、それは○○の陰謀だと言い出すヤツを断じる書籍を何冊も作っており、そこは(個人の意見としては)評価に値する。
  3. TRPGのリプレイも執筆しているが、作品中での女性PCに対するセクハラが目立った。
吉行エイスケ
  1. 妻のあぐりが107歳まで長生きしたのに対し、自身はわずか34歳で心臓疾患で死去した。
    • 晩年は小説を書くのをやめ株式売買をしていたが、なかなか稼げず美容師をやっていたあぐりに頼りっきりだった。
  2. 新興芸術派の代表的な一人として活躍していたが、死去後に作品を自身の息子の淳之介や妻のあぐりにまで批判された。
    • 淳之介は「自身の父の作品は1つも最後まで読んだことがない」といい、エイスケの全集が発売されるときも「売れるとは思わない」と語っている。
      • 実際その全集は売れずに絶版となり、彼の作品が再び世に出るのは1997年に連続テレビ小説で妻のあぐりを主人公にしたドラマ「あぐり」が放送されるまで待つことになる。
    • あぐりは「作品が難解でわからなかった」と語っている。
    • これについて同時代の小説家伊藤整は「読むに堪える本が新興芸術派にはなかった」と分析している。

脚注[編集 | ソースを編集]

  1. 作品内の事象が「現実世界の科学法則」においておかしくないかという検証。
  2. 作品内での事象が「作品内での理由付け」において矛盾が生じていないかという検証。

関連項目[編集 | ソースを編集]