ざんねんな内閣総理大臣事典/平成時代・令和時代

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2022年7月8日に発生した安倍晋三元首相の銃撃事件に関する話題は慎重にお願いします。

全般[編集 | ソースを編集]

  1. この時代の首相は全体的に小粒ばかり…。
    • 大物と言えるのは(毀誉褒貶はあるだろうが)小泉氏と安倍氏くらいで、比較的マシなのは小渕氏くらいかと。それ以外は微妙な首相が多い。
    • 「何も功績が無い」だけならまだマシで、特に非自民連立政権と民主党政権は「そもそも機能不全に陥っていた」と酷評されがち…。
    • 4年以上務めたのが小泉と安倍くらい。岸田が約3年、他2年以上でも海部と橋本が入るのみ。
  2. 何となく、状況が昭和時代の戦前に似ている気がするのは僕だけだろうか…?
    • むしろ中国の代に似ている。こっちも停滞期だったし。
      • 明末に限らず、中国の末帝廃帝少帝が連発しまくった時期を彷彿とさせる。

平成元年〜平成12年[編集 | ソースを編集]

宇野宗佑[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた「キング・オブ・ざんねん」。
  2. 女性スキャンダルで歴代最短の総理大臣となる。
    • 最短ではなく歴代4番目です。
    • 日本国憲法制定後でも羽田孜(64日)のほうが5日短い(宇野は69日)。
    • 純粋な在職日数だけなら宇野氏より短い首相もいるのだが、宇野氏はその理由がざんねんなので、ざんねんな首相の代表格として名前を挙げられることが多い。
  3. これが元で、参院選で自民党は社会党に大敗した。まさに、戦犯である。
  4. こち亀でも日暮熟睡男が「宇野首相って誰!?」とネタにされていた。
    • 1992年に日暮が登場した際、両津勘吉が「(日暮が寝ていた間)首相が竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一に変わった。」と説明しており、それについてのツッコミ?である。
      • ただしアニメでは1996年に登場したため、「細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎」の順番に変更された。
  5. 平成の首相で唯一、大卒の学歴を持っていない人物。
    • 彦根高等商業学校(今の滋賀大学の前身)を卒業後、神戸商業大学(神戸大学の前身)に進学したもののシベリア抑留の影響で卒業できずに中退してしまった。
    • 大卒でなければ首相になってはいけないというわけでもないのに、大卒の学歴を持ってないのが残念とか意味不明。
  6. 上記の理由から、歴代最低の首相候補としてしばしば名前が挙がってしまう。
    • とはいえ東條英機や近衛文麿のように国家に甚大な害をもたらしたわけでは無いので、歴代「最悪」の首相とは呼ばれないことが殆どである。
  7. ざんねんな総理大臣の代表格として名前を挙げられがちだが、勉強熱心な人物であり首相以外であれば有能だったと擁護する意見も多い。
    • 第2次大平内閣では行政管理庁長官として特殊法人を整理しスリム化したことが評価されている。
    • 外務官僚からは「歴代外務大臣(宇野氏は竹下内閣で外相を務めていた)で一番良かった人」と言われていたそうだ。
    • また福田赳夫内閣や竹下内閣で宇野氏と一緒に仕事をした石原慎太郎も実は宇野氏に期待していたらしい。(福田内閣では宇野氏は科学技術庁長官を、石原氏は環境庁長官を務めた。また、竹下内閣では石原氏は運輸大臣だった。)

海部俊樹[編集 | ソースを編集]

  1. 愛知出身の政治家。第76・77代首相を務めた人物。
  2. 竹下登率いる経世会の傀儡政権だったと言われており、首相個人のリーダーシップは殆ど発揮されなかったと言われている。
    • ちなみに裏で操っていたのは主に小沢一郎(と金丸信)。その意味では細川護熙氏や羽田孜氏、鳩山由紀夫氏と共通する。
    • そもそも海部氏が首相になれたのはリクルート事件からまだ時間が経っていなかったのもあり、(前任の宇野宗佑もそうだが)金銭的に汚いイメージが無かったからという消去法的な理由に過ぎなかった。
      • 三木武夫の弟子だったというのもあり、本来は経世会とは対立する立場だったのだが…。
        • 海部は早稲田大学出身だったためプライベート面では竹下とは親しかったらしい。
  3. 2009年の選挙では首相経験者であったにも関わらず落選し、高齢のため比例復活も叶わず政界を引退した。
    • まあ首相辞任から直後の選挙で落選した片山哲や菅直人氏よりはまだマシな扱いか。
  4. 首相としての評価はあまり高いとは言えない海部氏だが、文部大臣としては有能だったらしい。
  5. 国民人気は比較的高く、支持率は平均すると小泉内閣にも匹敵するほどだったが、歴史的評価はお世辞にも高いとは言い難い。
    • バブル崩壊に対処できなかったことと、湾岸戦争の時の優柔不断な態度が海部内閣の評価が低い理由。もっとも、バブルに関しては中曽根や竹下の責任も大きいと思うが。
    • 日本人に好かれるような性格だったため県知事には向いていそうな人物だったが、首相の座は海部氏には荷が重すぎた。
  6. ルパン三世の映画「ナポレオンの辞書を奪え」に登場する海辺首相のモデルとなった人物。
    • 幹事長に逆らえない、自分では何も決められない首相として皮肉られていた。

宮澤喜一[編集 | ソースを編集]

  • 「宮沢喜一」と書くことも。
  1. 自民党が下野(1度目)した時の首相。
  2. 政治家の中でも壊滅的に人望に乏しい人物と言われている。
    • 特に酒を飲むと暴言を吐きやすくなる。
    • 師匠で同郷(宮沢は広島出身)の池田勇人からはそれなりにかわいがられていたものの、先輩の大平正芳からは嫌われていた。
    • 田中角栄も宮沢のことを毛嫌いしており、「(宮沢は)官僚としては一流だが、政治家の器ではない」と酷評している。
      • 経歴的には決して凡庸と言えるような人物では無かったのだが、角栄や大平から嫌われまくっていたために首相になるのが遅くなってしまった。(首相就任時72歳。ちなみに同い年の角栄は54歳、中曽根は64歳)
      • 他にも伊東正義や海部俊樹、田中六助など宮澤氏を嫌っていた政治家は多かった。
    • 一応、小渕恵三が首相だった時には大蔵大臣として積極的財政政策を実行し「平成の高橋是清」と呼ばれるなど、有能な一面もあったんだけどね…。
  3. 東大法学部を卒業しており英語が堪能など秀才として有名だったが、同時に学歴厨としても非常に有名な人物であり、料亭で竹下登(早大卒)を侮辱して激怒させている。
    • 初対面の人に対していきなり学歴を聞くなど失礼な言動が多かった。
      • 自身の番記者に対しても出身大学を訊き、その記者が東京大学卒業でも法学部卒ではない場合、「近頃じゃあ法学部じゃなくても東大卒って言うんですか」と嫌味を言っていた。
  4. 河野洋平(当時の内閣官房長官)が談話を発表した時の首相であったため、右寄りの方々からの評価は低い。
    • ろくな証拠も無いまま慰安婦強制連行を認めてしまったのが非常に不味かった。
      • この結果、韓国を図に乗らせてしまったと言われている。
    • ちなみに河野は宮沢と同じ宏池会所属。
    • 更に言うと2002年サッカーワールドカップの日韓共催の後押しをしたのも宮澤である。
  5. 通常1年以上首相を務めた人物は亡くなった後に大勲位菊花大綬章(勲章)を受勲するのだが、宮沢本人と遺族の意向で辞退した数少ない人物である。
    • ちなみに晩年は以前より人柄が温和になっていたという。
  6. 今の若い人は宮澤エマ(孫娘)のことは知っていても宮澤首相のことは知らないという人が多いと思う。
  7. 彼以降は、2022年時点で官僚派出身の首相は出てきていない。
    • もっと言えば東大法出身の首相も宮澤氏が最後である。(鳩山由紀夫氏は東大卒だが工学部なので)
  8. 佐藤栄作内閣で日米繊維交渉の解決を命じられたが、結局解決できなぁった。
    • しかし、佐藤栄作からは同じ大学の出身であるせいか寵愛を受けていた。
      • たとえ上司に対しても間違っていることははっきり批判する大平と異なり、宮沢氏は上司である佐藤に対しておべっかを使いまくっていたのも大きいかと。
        • 勿論、政治家としての力量は明らかに「大平>>宮沢」。基礎学力や記憶力では宮沢が勝っているかもしれないが…。
  9. 漫画「高校鉄拳伝タフ」の主人公の宮沢熹一のモデルとなった人物らしい。
    • …が、「キー坊は好きだが宮沢首相は好かん」という意見が少なくなかったのだとか。
  10. 首相在任時には自身がハト派にも関わらず、陸上自衛隊のカンボジアへの派遣を実施した。
    • これとPKO協力法の成立が在任中の数少ない功績とも言える。
  11. 在任期間中に宮沢りえに関する出来事が多かったのか、彼女の親戚と勘違いされる事があった。

細川護熙[編集 | ソースを編集]

  1. 熊本出身の政治家。第79代内閣総理大臣を務め、自民党を下野させ初の非自民による連立政権を築いた人物だが…。
    • 所詮烏合の衆だったために各政党の足並みが揃わず、僅か8か月で政権を投げ出してしまう…。
      • その後羽田孜氏に引き継ぐも、こちらも2ヶ月しか続かず、結局、自民党に政権を戻すことに…。
        • もっとも、その自民党政権も首相は社会党だったが…。
      • ちなみに後の民主党政権にも、細川・羽田政権で幹部だった人が多い。
    • 佐川急便から献金を受けていたことを当時野党だった自民党から追及されたのも痛かった。
  2. 2014年に同じく首相経験者だった小泉純一郎氏に担がれて東京都知事選挙に立候補するも、自民党が推薦する舛添要一氏に敗れた。
    • ちなみに細川氏は熊本県知事の経験がある。
      • 一応、県知事としては有能だったらしい。
    • 余談だが細川小泉コンビは腐女子に(ある意味)人気らしい…。
  3. お父さんの細川護貞氏も息子の政界入りに反対しており、「あの性格ではいつか投げ出す」と言っていた。本当にその通りになったが。
    • そう言えば護熙氏の母方の祖父の近衛文麿もたしか似たような結果になっていたような…。
      • 余談だが護熙氏の弟の護煇氏は母方の家系を継ぐために近衛家の養子となり、近衛忠輝に改名している。(日本赤十字社の社長を務めた人物でもある)
    • 朝日新聞社を退職した後政治家になることを決意するが、その際は父親に「そんなヤクザみたいな仕事をするなら二度と家と関わるな」と言われ勘当された。
      • 金銭面を含めて実家の支援が全く得られず、旧華族の出身とは思えないほどの貧乏暮らしをしていたのだとか。
  4. 唯一功績と言えるのは選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制)くらいだが、これも自分達が有利になるように導入したものだと言われている。
  5. 実は肥後細川家の第18代当主なのだが、政治家としてはお世辞にも有能とは言い難かったため、バカ殿という不名誉なあだ名が付いてしまった。
  6. 細川内閣の評価は鳩山(孫の方)内閣並みに低いと言われている。
    • 一応、細川氏は首相を辞めてから数年後に政治の世界から離れ陶芸家・茶人として転職したため、引退後も政治の世界を引っ掻き回し続けている鳩山氏よりはマシという意見も多い。
  7. 「護熙」は読めない、または書けない人が少なくないのでは…?

羽田孜[編集 | ソースを編集]

  1. 第80代の内閣総理大臣だが、諸事情で在任期間は歴代2番目・平成以降では最短の64日となってしまった。
    • あの宇野宗佑よりも短いのである。
  2. 父親である武嗣郎が脳出血で倒れ半身不随になったことをきっかけに、10年近く務めていた小田急バスを退職して1969年に政界入り。
    • 初当選後は農林関係でキャリアを積み、1985年の中曽根内閣に農林水産大臣として初入閣。
  3. 1987年に竹下登を中心とした経世会(竹下派)が結成されると竹下派七奉行の一人に数えられ、金丸信からは「平時の羽田」と称された。
  4. 1989年の海部内閣発足後は金丸から「熱病にうかされている」と言われるほど政治改革を強く主張し、「ミスター政治改革」と呼ばれることに。
  5. 1992年に金丸の佐川急便事件をきっかけに起きた竹下派分裂の際には竹下から中立の立場を求められたが、同期の小沢一郎側に立ったことで竹下から「(羽田)孜がこんなに無定見とは知らなかった」と酷評されてしまう。
    • その後当選同期の小沢、奥田敬和、渡部恒三らとともに改革フォーラム21(羽田・小沢派)を結成したが、自民党党内からは冷遇されてしまう。
  6. 翌1993年に宮澤内閣が政治改革関連法案の成立を断念すると、羽田・小沢派は野党が提出した内閣不信任決議案に賛成し自民党を集団離党。
    • 新たに結成された新生党では党首に就任し、直後の衆議院選挙では55議席を獲得。非自民・非共産の連立政権では首班候補として最有力視されていた。
      • しかし新生党代表幹事の小沢の判断で日本新党代表の細川護熙を連立政権の首班とすることに合意し、細川連立政権では副総理兼外務大臣として入閣することに。
  7. 細川政権では政治改革法案などを連立与党の中核として実現させたが、翌1994年4月8日に金銭スキャンダルなどを理由に細川総理が電撃辞任。
    • 連立与党は後任に羽田を推すことで合意。同月25日に国会で首班指名され、第80代の内閣総理大臣に就任した。
    • 当初、小沢は自民党の渡辺美智雄を推したかったようだが、渡辺の離党表明後同調した議員が少なかったこともあり離党を撤回。止むを得ず羽田内閣にゴーサインを出したという経緯がある。
  8. 首班指名直後、社会党の影響力低下を狙って小沢を中心に新生党・日本新党・民社党・自由党・改革の会が5党統一の衆院会派「改新」の結成を発表。
    • これに社会党の村山富市委員長は猛反発。連立与党の党首会談を途中退席し、翌26日に連立政権からの離脱を表明。
  9. 少数与党内閣として発足することになった羽田内閣は組閣に手間取り、組閣日となった4月28日は羽田が一人で全大臣の臨時代理を務めた。
  10. ようやく全大臣が任命されると平成6年度の予算案の成立に全力を注ぎ、綱渡りの末6月23日にようやく予算案は成立。
    • その日のうちに自民党は羽田内閣の不信任決議案を衆議院に提出。羽田は解散総選挙も考えたが結局断念し、同月25日に内閣総辞職を表明。
  11. 同月30日の自社さ連立の村山政権が発足すると新生党は野党に転落。その後は小沢の主導で野党勢力が合流し、1994年12月に新進党が結党。
    • 羽田は党首選挙に立候補していたが、小沢の支持を受けた海部俊樹に敗れてしまった。
  12. 翌1995年12月、海部党首の任期満了に伴い行われた新進党の党首選挙では小沢と激突したが、またしても敗北。
    • 羽田支持グループはこれ以降、党の運営を巡り小沢と対立。翌1996年の衆議院選挙で新進党が破れると小沢との確執が表面化。
      • 羽田と親しかった人によると、本人同士は政治路線の違いはあれど、関係性は良好だったとか。ただ、側近たちはお互いにものすごく仲が悪かった。(民主党羽田グループなんて、羽田以外は全員小沢一郎憎しみたいな人の集まりだった。)
    • 同年12月に羽田は新進党を離党。その後は太陽党・民政党の党首を務め、1998年4月に発足した2代目の民主党では初代幹事長に就任した。
  13. 2003年に小沢が民主党に合流する頃にはかつての確執もなくなり、2009年の衆議院選挙後の首班指名投票では小沢に片腕を支えられながら投票を行った。
    • 議員生活の晩年は脳梗塞の後遺症などの影響もあり、2009年の衆院選立候補を最後に政界を引退し、2017年に東京都の自宅で老衰のため82歳で死去。
      • 孜氏の長男も孜氏が亡くなった3年後に亡くなってしまった。
  14. 「省エネルック」とも言われる半袖ジャケットのスーツを推進していたが、クール・ビズほど定着はしなかった。
  15. 1992~1994年に放送された子供向け番組「ウゴウゴルーガ」でキャラクターが
    • 「羽田派の旗揚げとハタハタのからあげ、いただけないのはどっち?」とネタにしていた。

村山富市[編集 | ソースを編集]

  1. 片山哲以来の社会党出身の首相だったが、実権は連立を組んでいた自民党が握っていた。
    • そもそも議席数自体は自民党の方が多かったので…。
    • 村山本人ですら自民党を含む有力議員から首相就任を説得された時に「どこの国の話じゃ」と固辞し続けていた。
      • その後の首班指名選挙でも自民党が自身への投票で話をまとめたことを全く知らされず、側近の野坂浩賢(水面下で自社さ政権成立に奔走)に「わしが当選したらどうするんじゃ」と言っていたらしい。
  2. 阪神・淡路大震災の対応で批判を浴びた。
    • 地震の発生から約4時間後にようやく非常災害対策本部が設置されるというお粗末さでは、批判を浴びるのも当然か…。
    • 後に村山本人も「対応が遅れたと言われると弁解の余地はない」と当時を振り返っている。
    • ただ自衛隊の出動要請が遅れたのは兵庫県側の事情もあるし、当時はまだ法律もマトモに整備されていなかった時代だから全てを村山首相のせいにすることはできない、という意見もある。
      • 社会党支持者とかアンチ自衛隊的な人たちは、これを理由に「だから村山は悪くない」と言うんだけど、6,000人以上もの国民を見殺しにしたという事実がある中で、一国の宰相が法律が整備されていないことを理由にして国民の命よりもそちらを重視する行為のどこに正当性や擁護できる余地があるのかと言いたい。単純に国民の生命・生活・財産を守る、そのためならどんな批判を受けようと必要なことは何でもするという覚悟がないままに首相をやっていただけじゃねえかと。
    • 当時内閣官房副長官を務めていた石原信雄は「村山以外の誰が総理大臣であっても迅速な対応は不可能だった」と村山を擁護している。
      • 但しその一方で石原は「内閣が迅速に行動を起こすようなシステムになっていなかった遠因は、内閣の権限強化に反対し続けていた社会党」「その社会党から出た総理大臣のときに迅速な行動が必要な事態が起こってしまったのは、大変辛い話なんです」と回顧している。
  3. 村山談話は河野談話と並んで右寄りな方々からの評判が悪いらしい…。
  4. 1994年にサミットのためイタリアに行ったのだが、そこで出された飲み物を一気に飲んでしまい体調を崩してしまった。
  5. 統一教会のやっている行為を事実上黙認する内容の答弁書を出した実績がある。
    • 「所管する東京都は問題があると認めていないし、霊感商法をやっているかどうかも確認できてないから、国としてはなんの処置もしません。」という何処までもお粗末な内容。参考
  6. 村山内閣は誕生した経緯で言えば戦後最も闇が深い内閣と言われている。
    • あの評判がお世辞にも良いとは言えない民主党政権ですら一応は国民から期待されて誕生した(一応選挙には勝っているからね)わけだが、村山内閣は国民の希望が一切考慮されず、単に自民党が政権に復帰したいからという理由で社会党と馴れ合い誕生した政権である。
      • とはいえ村山氏は社会党の中ではまだ良心的(考え方が比較的現実的)な人物ではあったから、他の人物(土井たか子など)が首相にならなかったのだけは不幸中の幸いか。
  7. 政治家としての評価はともかく、人柄だけで言えば歴代宰相の中でもトップクラスに素晴らしかったらしい。
    • 他人の意見に耳を傾ける性格であり、連立を組んだ自民党のメンバーだけで無く、アメリカのビル・クリントン大統領とも親しかった。
      • ただし小沢一郎氏との関係だけはあまり良いとは言えなかった。(村山内閣が誕生した際に社会党・新党さきがけ以外の細川・羽田内閣の与党が下野してしまったため)
    • 少なくとも学歴厨の宮沢喜一氏や、イラ菅と呼ばれた菅直人氏よりは人望はあったと言われている。

橋本龍太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和2桁生まれで初入閣、その後も党や政権の重要なポストを歴任し1996年に内閣総理大臣に就任。
  2. 就任後は行政・財政構造・経済構造・金融システム・社会保障構造・教育の六大改革に取り組んだが…。
    • 在任中に消費税の引き上げ(3%→5%)を実施したのが痛かった。
      • 増税の影響で北海道拓殖銀行や山一證券が破綻、慌てて財政再建路線を転換したが参院選の惨敗の責任を取って総辞職。
        • もっとも増税自体は村山内閣で決まっていたことだが…。
          • これは約20年後の第二次安倍政権にも同じことが言える(こっちは経済改革は概ね奏功したといえるが)。
        • 新自由主義者だったこの人と小泉首相が日本のさらなる経済発展を妨げたという厳しい評価が多い。
        • 詳しくはもし橋本政権による緊縮財政がなかったらを参照。
  3. 政界随一の政策通として知られていたが、一方で記者が分からないことを聞くと必ず嫌味っぽく返答したと言われている。
    • 竹下登は「怒る、威張る、拗ねるが橋本になければ、アイツはとっくの昔に総理になっていた」と評した。
    • 政界で唯一の友人といえるのは同期同学年の小渕恵三ぐらいだった。
  4. 一方で沖縄の普天間飛行場の返還に一定の道筋を付けたり、日本の総理大臣として初めて北朝鮮の拉致事件について答弁で発言したりするなど、ある程度評価できる点もある。
  5. 辞職後2001年の自民党総裁選に再出馬したが小泉純一郎に敗れ総理復帰は叶わず。
    • 晩年には闇献金事件も判明し政界を引退。その翌年の2005年に68歳で亡くなってしまった。
      • 亡くなる直前まで自身の経済政策の失敗を反省し後悔していたという…。
    • 小渕と橋本が亡くなったことによって経世会は著しく弱体化してしまった。
  6. 生まれも育ちも東京のくせに、岡山県第2区から初出馬するにあたって、岡山県総社市出身だと嘘をついた。
    • 挙げ句に死後は総社市名誉市民にまでなった。
  7. 経済政策は弱肉強食的、外交面は中国寄りだったため亡くなった今でも嫌っている人が多い。
  8. 初登院の際には、母親が付き添ったことから、マスコミから「マザコン代議士」と叩かれた。

小渕恵三[編集 | ソースを編集]

  1. 中選挙区時代は福田赳夫や中曽根康弘と同じ旧群馬3区から出馬していたが、この2人が大物だったために小渕氏の得票数は常に少なく、いつもギリギリで当選する形だった。
    • また、福田と中曽根は有権者に対してご馳走を振る舞い、(福田は懐石料理を、中曽根はお洒落な西洋料理を振る舞ったため)それぞれ福田料亭、中曽根レストランと呼ばれたが、小渕氏はどうしても資金力が弱く、おにぎり程度しか出せなかった。
      • ちなみに小渕飯場と呼ばれた。
    • ちなみに群馬であまり人気が無かったのは、小渕氏が自民党総裁選で同郷の福田ではなく、小渕氏の派閥の師匠だった田中角栄に投票したためとも言われている。
  2. 中学生の頃に生まれ育った群馬から東京に引っ越したが、編入した学習院中等科では周りが名家の子息ばかりだったことから学校に馴染めず、孤立していたらしい。
    • ちなみにあだ名は「群馬」。
  3. 1998年に同じ派閥の橋本龍太郎氏の後継として首相に就任するが、ライバルの小沢一郎氏が率いる自由党との足並みが揃わずストレスが溜まり、さらに元々心臓に持病があったのもあって脳梗塞を引き起こし、辞任後に亡くなってしまった。
    • ちなみに同じ派閥の青木幹雄氏が首相臨時代理を務めている。
    • 戦後の首相の中では最も若い62歳で亡くなった。
  4. 周辺事態法や通信傍受法、国歌・国旗法、男女共同参画社会基本法、沖縄サミットなどの功績があり平成ではかなりマシな首相だったという評価がある一方で、赤字国債を増やしたことや労働者派遣法の改悪など批判されている面も多い。
    • また、創価学会を母体とした公明党と連立を組んだのも小渕内閣からであり、保守派の方々からの批判は少なくない。
    • 今でこそ名宰相と言われているが、もし今もご存命だった場合、史実ほど持ち上げられていたかどうかは正直微妙。
    • 赤字国債を増やしたことのどこが批判対象なのだろうか?日本は橋本の緊縮財政で疲弊していたから、赤字国債を発行するのは正しい選択だぞ。
  5. 首相というより、竹下登内閣で官房長官(平成おじさん)を務めていた印象の方が強いかもしれない。
  6. この人が亡くなってから経世会が著しく弱体化してしまった印象がある。
    • 小渕氏の後継の首相として清和会の森喜朗氏が選ばれ、さらにその後継の小泉純一郎氏によって壊滅させられてしまった。
      • ちなみに小渕氏は「凡人」というあだ名が付いていたが、小泉氏自身は「小渕氏は凡人では無い」と言っており良きライバルとして見ていたようだ。
  7. 濃い味が大好きで、どんな料理にも醤油やソースなどをかけまくっていた。
    • 脳卒中になってしまったのもこれが原因と言われている。

森喜朗[編集 | ソースを編集]

  1. 肩書が変わるたび、毎回問題発言を繰り返しているのに、失脚する気がない。
    • その最たる代表は天皇を肯定したうえでの「神の国」発言。
    • 「子ども産まない女性に税金は…」と、「結婚しない自由」「産まない自由」を真っ向から否定するなど。
    • ただ人望は厚く調整役としてはそこそこ有能という評価もある。マスコミも森の失言を叩きすぎだと思う。
    • 前任の小渕と後任の小泉に挟まれた不運な総理大臣とも言える。
      • 大平正芳と中曽根康弘に挟まれた鈴木善幸みたいなもんか。
    • さらにこの人の怖いところは現在進行形であること
  2. 失言が多いという点は麻生氏と似ているが、ユーモアのあった麻生氏と異なり他人を見下すような発言が多かったことから好感度はさらに低い。
  3. 高校時代はラグビー部に所属しており、早稲田大学進学後もラグビー部に入部したが猛練習や文化の違いに体がついていかず、僅か4ヶ月で退部。
    • ラグビー部を退部した時点で退学も決意していたが、監督の大西鉄之祐に「将来、ラグビーに恩返しができるような立派な人間になってみろ!」と叱責され、辛うじて退学を思いとどまった。
      • この大西監督の叱責が2019年のラグビーワールドカップの日本招致を成功させた…と言えるのかもしれない。
  4. 衆議院議員選挙で初めて立候補をした際には、田中角栄から「泡沫候補」と呼ばれ、公認を得ることができなかった。
    • 結局知り合いだった衆議院議員の今松治郎が岸信介の側近だったという縁から、岸の秘書である中村長芳を通じて岸の応援演説を要請。
      • この森の要請を岸は快諾。東京から遥々石川まで応援演説に駆け付けた効果もあり、森は下馬評を覆してトップ当選を果たした。

平成13年〜令和元年[編集 | ソースを編集]

小泉純一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 神奈川出身の政治家。第87・88・89代内閣総理大臣を務めた人物。
  2. 当時としては平成最長の政権を築いたが、その功績は疑問視されており、郵政民営化などの新自由主義的な経済政策は批判的な意見も多い。
    • 北朝鮮の拉致被害者を取り戻したことを評価する意見もあるが、今ではむしろ官房長官だった安倍晋三氏の功績と言われている。
    • 「勢いだけはあったが、その割に功績が乏しい首相」と言われがち。
    • それまでは先進国の中でダントツで格差が小さい国だった日本だが、小泉改革によってアメリカイギリスより少しマシ程度の格差社会になってしまった。
    • こんな首相だったが、竹下内閣や橋本内閣のような消費税の引き上げを行わなかったため人気は殆ど下がらなかった。
  3. 郵政民営化に関しては保守派の方々から猛烈に批判されてはいたものの、「靖国神社に毎年参拝することで保守派を黙らせた」と言われている。
    • 靖国を政治利用した人物として批判の声も多い。
  4. 自慢だった平成最長政権の記録も2017年に安倍氏に抜かれた。
    • 小泉氏が唯一勝っているのは支持率の高さくらいか。
    • 批判してんのは保守派というより自民党を支持している団体の一つである全特だけだろ。中途半端な民営化に終わったからダメという批判はあるけど。
  5. 実は逮捕歴がある。
    • 大学生の頃、婦女暴行事件を起こして逮捕されている。
  6. 離婚歴がある。そしてそれ以降、結婚していない。
    • ちなみに元妻は宮本佳代子氏。エスエス製薬の会長の孫娘である。
    • 子供は俳優の小泉孝太郎氏と政治家の小泉進次郎氏の他、そして宮本佳長氏がいる。
  7. この人が天下を獲ってから日本が徐々に右傾化していったと言われている。
    • プライバシーにうるさくなったのも小泉政権以降と言われている。
  8. この人の滅茶苦茶な改革が、後に自民党が下野する遠因になったとも言われている。
    • 安倍、福田、麻生の各氏が苦戦したのも小泉改革のせいと言われている。
    • だが自民党が下野した2009年の総選挙では息子の進次郎氏に地盤を譲り、本人は引退している。
    • ほんまに自民党をぶっ壊してしまった(左右分裂など本当の意味で解体はされなかったが)。

安倍晋三[編集 | ソースを編集]

  1. 生まれは東京なのに、山口の総理大臣扱いされてる。
    • この人と真逆である。
    • もっと言えば、自称「岩手の豪族の子孫」らしい。
  2. たまに暴走する。
    • 1次政権の時は教育基本法を強引に改正し、参院選に惨敗する。
    • 2次も安保法制などを可決する。
      • 安保法制の可決のどこが暴走なんだろうか?もし暴走だというのなら、次の選挙で自民党は大惨敗していたと思うが。
      • 安保法案もテロ等準備罪もあんなに騒いでた割にはすぐ忘れられている。そんなもん。
  3. 胃腸が弱いのを揶揄されてしまう。
    • だがそういう人は安倍氏だけでなく他の潰瘍性大腸炎の患者さん達のことも差別している本当にざんねんな人たちである。
    • こんな別の人物相手なら誹謗中傷で訴訟されかねないことを言われ続けても職務を全うしたのは功績では。
      • 現に安倍政権を批判してた人でも自分が同レベルの誹謗中傷(やそれに近い批判)をされたら訴訟した、なんて事例もあったし。
  4. 歴代最長政権を築いた人物だが、熱狂的な支持者とその真逆の猛烈なアンチがおり、評価が二分されている。
  5. 第一次政権の頃はバリバリの保守政治家だったが、再登板後は二階俊博氏や菅義偉氏などの影響を受けて左傾化していったと言われている。
    • とはいえ日本共産党のようなガチ左翼では無いが。
    • 逆に言えば好意的に捉えるならばバランス感覚を持つようになった、とも言える。
      • あまりにも真ん中に寄っていたため左翼からは「極右」と呼ばれ逆に右翼からは「売国奴」と呼ばれてしまう可哀想な首相であった。
    • もっとも後の自社さ連立政権となる「リベラル政権を創る会」に参加したり、介護保険制度(自民党内は反対派が多かった)の創設に尽力するなど初当選時からリベラル的な考えはもっていたんだけどね。
  6. 「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎた」と発言し、保守派の方々を失望させてしまった。
  7. 一部の人から戦犯の孫と言われてしまっている。
  8. 誰かさんに「種無しスイカ」と言われてしまった。
  9. 外交面では歴代でもトップクラスの実績を持つが、反面、国内政策(主に経済)においては外交ほどは実績を残せなかったと言われている。
    • 目玉だったアベノミクスも成功したかと聞かれると正直微妙。
    • とはいえ国民があまり協力的では無かったから成功しなかった、とも言えるので多少は同情もできるわけだが…。
    • リーマンからのリセッションもあったとはいえ、一定程度の賃上げと雇用拡大に繋がったという意味では成功したと思う。ただ100点満点とは言えないが。
    • 株価を上げることにも注力していたが、本当であれば国民の多くがもっと積極的に株を持つよう誘導していれば、庶民も株価上昇の恩恵で潤ったのに、そこまで手が回らなかった、国民の投資に対する悪感情を打ち消せなかったのも問題だったんだろうなあって感じ。
  10. 安倍は四天王に匹敵する後継者を育てようとしたが、それを成し遂げることがなかった。
    • 2012年の選挙で初当選した議員も2021年で4期目になるのに、出世争いに名乗りを挙げられる議員に乏しい。
      • …まあ4期目の小林鷹之は2024年の総裁選に出てたけど。

福田康夫[編集 | ソースを編集]

  1. 前の人や次の人に比べて親中派だと思われているため、右寄りな方々からの評判はあまり良くない。流石に民主党政権よりはナンボかマシだったとは思うけど。
    • ただこれに関しては福田氏が首相を務めていた頃がちょうど北京オリンピックと重なっていたため、中国に対して強気の態度をとれなかったという同情論もある。
  2. 渾名は「チンパンジー」「のび太くん」など。
  3. 元々政治家になる気はなく石油会社で働いていたが、給料の安さを理由に政界に転職し、父親・福田赳夫の秘書として働いた。
    • ちなみに赳夫曰く「康夫は政治家に向かない」とのこと。
  4. 総理大臣としてはパッとしない評価の福田氏だが、小泉内閣の官房長官としては優秀だったという評価も多い。
  5. 2012年に自民党が与党に復帰した際には安倍晋三氏や麻生太郎氏などと異なり、表舞台に立たず息子の福田達夫氏に譲った。
    • もっともこれは安倍氏や麻生氏に比べて高齢だったってのもあるが。
  6. 前後の人たちがマスコミに叩かれまくったのは有名な話だが、実は福田氏もマスコミの餌食になっていた。
    • 首相を辞任する時の会見では福田氏に対して失礼な質問をした記者に対して「あなたと違うんです!」という名言を残している。
  7. 中国製毒入り餃子事件での対応が一国の宰相としてあまりにもお粗末だった。
    • 中国で毒を盛ったのに「日本で混入した」と主張する中国政府。そんな中国政府の姿勢を「非常に前向き」と論評したりしてりゃ、そらどっから銭をもらったのか、それともハニトラにでもあったんですかと。
    • その後も胡錦濤に向かって「国民の関心が非常に高いから解決に協力してほしい」と宣う等、国民の生命を守るという首相として持っていて当たり前の感覚の欠如が甚だしいことがわかる発言をしていた。
    • だいたい中国政府が中国国内で混入した可能性が高いと認める旨、日本政府に連絡した後も、国民にはその情報を隠蔽し続けていた等、もはや中国共産党永田町支部かなというような対応をしていたら、そらもう。

麻生太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 民主党への政権交代を許すことになってしまった自民党の首相。
    • 首相になったばかりの時にリーマンショックが運悪く起きてしまいその対応に苦戦した。
  2. 森喜朗と同じく失言が多く、かつ森と同じく失脚する気配がない。
  3. 射撃でオリンピックに出場したことがあるのだが、日本は射撃の分野が比較的弱いためあまり成績は良くなかった。
  4. この人との共通点が多いと言われている。
    • 自民党が下野した時の首相、宏池会に所属している、経済政策がハト派、英語が得意、など。
      • もっとも、人望は麻生氏の方がありそうだが…。
      • ただ外交政策は結構違う。(宮澤氏はハト派だが麻生氏はタカ派)
  5. 漢字が苦手だったことをマスコミに散々叩かれまくっていた。
  6. アメリカ大統領で言えばハーバート・フーヴァーに似ている。

鳩山由紀夫[編集 | ソースを編集]

  1. 理系が総理大臣になれば日本はよくなるという幻想を打ち砕く。
    • 後継の菅直人氏と共に、理系政治家のイメージを著しく損ねてしまった人物と言われている。
  2. 一応研究者としては優秀らしい。
    • 大学時代には野球をゲームとして考察した論文を発表したこともあるらしい。
  3. 未だに政治関連でなんかコメントするたび「お前にだけは言われたくない」と言われているような…。
  4. 韓国国内で土下座して謝罪している姿を撮影されてしまった。
    • 「鳩山由紀夫クソコラグランプリ」で散々ネタにされてしまった…。
  5. 子供が選ぶ「こんな大人になりたくない」という有名人ランキングで1位になったことがある。
  6. あまり知られていないが、徴兵制推進派である。
    • 実をいうと在日米軍基地はすべて撤去して日本軍を持とうと考えている自主防衛論者でもある。
    • さらに言えば近衛内閣の大東亜共栄圏構想を彷彿させる、東アジア共同体構想を提案していた人物でもある。ある意味、自民党より右翼的な人物。
  7. 小渕元首相が亡くなった際は、本来は野党第一党の党首が追悼演説を行うのだが、当時民主党代表だった鳩山氏は小渕氏の遺族から嫌われていたため、代わりに社民党の村山元首相が行うことに…。
  8. 「日本列島は日本人だけのものじゃない」と発言し、物議を醸したことがある。

菅直人[編集 | ソースを編集]

  1. 鳩山由紀夫氏と並ぶ、国民から呆れられた総理大臣の代表格。
    • 流石に「日本を焼け野原にした東条英機(東條英機)や近衛文麿よりはマシ」と評価されることも多いが、そもそも比較対象がその2人の時点で擁護になっていない…。
  2. 東日本大震災と福島第一原発事故の対応で非難を浴びた。
  3. 息子の菅源太郎氏が岡山1区から出馬しているが、落選している。
    • 源太郎氏がここから出馬したのは菅氏の本籍地だから。
    • ちなみに源太郎氏は中学校では生徒会長を務めていたが、その中で政治的主張を行ったために全校生徒から嫌われ生徒会長を罷免されたらしい。
  4. 師匠の市川房枝からは嫌われていた。
  5. 従姉と結婚したことが一部の人たちからネタにされている。
  6. 叩き上げ政治家の代表格と言われることが多い(世襲議員ではないのは事実だが…)が、菅直人氏のお父さんは有名企業の役員であり、直人氏もなかなかのボンボンである。
    • 直人氏のお爺ちゃんも医師であり郡会議員を務めていた。
    • 菅家は岡山に広い土地を持っているらしい。
  7. 菅直人氏が応援に駆けつけた候補者は高確率で選挙で落選しており、党内でも煙たがられているのだとか…。
  8. 自身のTwitterにて、維新の会の橋下徹氏のことを「ヒトラー」と揶揄し、大炎上。
    • 「スターリン」と呼ばれたいのだろうか、菅氏は…。
  9. 見た目だけは仏様のような優しそうな雰囲気を醸し出しているが、実はかなり短気な性格であり些細なことでも癇癪を起こすことから「イラ菅」と呼ばれ恐れられていた…。
  10. 下の吉田茂の節にも書いてあるが、山口で生まれたにもかかわらず選挙区が東京だったため、山口出身の首相としてはカウントされていない。
    • 「選挙区≒出身地」というシステムだから。
    • 「保守派が強い山口のことだから、社会主義者の菅氏を地元出身の首相としてカウントしたくない」という都市伝説すら残っているらしい…。
  11. 一応「麻雀点数を計算できる電子計算機」という特許を持っており、政治家になどならなければもしかしたら優秀だったかもしれない、ざんねんな人物でもある。
    • あと弁理士の資格も持っている。
    • そういう意味では鳩山由紀夫氏と共通する。
  12. 2012年の選挙では首相経験者であったにも関わらず選挙区では落選、比例で復活した。
    • しかも海部俊樹氏と違って直近だったにも関わらず、だ。
  13. 橋本内閣の厚生大臣だった頃に堺市の小学校でO157による集団食中毒事件が発生。
    • その際、証拠も無いのにカイワレ大根が原因だと決めつけたため、風評被害によって多くのカイワレ農家が倒産した。
      • その責任をとってカイワレを食べまくるパフォーマンスを行った。
    • 一応、薬害エイズ事件を解決したことが数少ない功績と言われているが…。
  14. 生粋の日本人でありしかも名家の出身なのだが、何故かネット右翼の間では在日朝鮮人カンチョクトということになっている。
    • なお、ネット右翼の上記の言い分が正しいと仮定すると公職選挙法10条1項と矛盾が発生する。これは最低限の教養として押さえておこう。
  15. しばしば直人と誤解される。
  16. 無政府主義者なのに政府のトップについたという究極の矛盾をやってのけた。
  17. 原敕晁さん拉致事件を計画し実行した北朝鮮のスパイ辛光洙の釈放嘆願を韓国政府に出している。(当時、韓国内で収監されていた。)
    • 本人曰く知らなかったということだが、要望提出の1年前に国会で辛光洙の名前を出して拉致事件について共産党が質問をしており、真っ赤な嘘だったことが明らかになっている。
    • ある意味、北朝鮮による日本人拉致を応援する勢力の一員だったと言っても過言ではない。

野田佳彦[編集 | ソースを編集]

  1. 日本の黒歴史である、ミンス党政権の最後の総理大臣。
    • ルーピー鳩山や、未納兄弟の4人目の菅直人、枝野など、ホントの意味でざんねんなヒトたち揃いのミンス党の中での数少ない良識人である。
      • 民主党の中でも非主流派で保守寄りに位置する。
    • 最大の功績は、内閣総辞職をしてミンス党政治を終わらせたこと。
  2. 淫夢やらどじょうやらつくられたコラ画像の多さでは他首相の追随を許さない。もちろん悪い意味で。
  3. まだ若手議員だった時にオールスター感謝祭に出演したことがあり、予選落ちを経験したことがある(1994年秋)。

令和2年以降[編集 | ソースを編集]

菅義偉[編集 | ソースを編集]

  1. 総理就任早々日本学術会議の任命拒否を行い問題になる。
    • 「学者」がああだこうだと騒ぐが、あんたらが赤いのが悪いんじゃないのかと。そもそも学術会議を完全民営化して政府から切り離してしまえば問題にもならないのに、それはそれで嫌がるのはなんでんなんだろう。
  2. オリンピックも不発&横浜市長選で自民系候補が大敗すると雲行きが怪しくなる。
    • 東京オリンピックで天皇陛下が開会宣言をされていた際に起立しなかったので、保守派の方々から厳しく批判された。
  3. 結局総理大臣&総裁職を引きずり降ろされた。
    • 総理の椅子はパンケーキみたいに甘くは無かったらしい。
  4. 生まれも育ちも秋田なのに神奈川出身の首相扱いされている。
  5. 貧農の倅を自称しているが、実は義偉のお父さんはイチゴのブランド化に成功して富を築き上げた人物。そして町会議員も務めていた。
    • なお義偉のお母さんは学校教師を務めていた。(ちなみに義偉には2人のお姉さんもいたが、どちらも教師になっている)
    • ちなみに生まれ育った秋田を去ったのは農家を継ぐのも教師になるのも嫌だったから。集団就職ではなく、家出である。

岸田文雄[編集 | ソースを編集]

  1. 東大に合格できず早大に進学するしかなかった。
    • 一応、初の開成高校出身の首相ではあるが…。
  2. 聞く力がモットーだが「聞く人間を間違えてるのでは?」といわれる。
  3. 安倍から「禅譲」されると本気で思っていた。
  4. 元々はハト派の人間だったのに首相になってからは安倍氏以上の強硬派になっている。
    • 東側諸国の好戦的な姿勢等、国際情勢が大きく変わっておりタカ派化するのも仕方ない。
    • 強硬派になった結果、むしろ支持率が上がった。(2023年)
    • 強硬派のくせに強者には媚びるのが小物臭くて嫌われるのか。
  5. 当初、金融所得増税をやろうとするも国民の猛反発を受けて取り下げた。
    • しかし懲りずに防衛増税とかぶち上げてしまう。まあこの情勢では仕方ないというしか。
    • そうして付けられたあだ名が「増税メガネ」
      • 岸田本人もそう呼ばれていることを気にしているのだが「レーシックでもすればいいのか?」と的外れなことを言ってしまう。
        • X(旧:Twitter)では「脱メガネ」がトレンド入りし、メガネを外した岸田のコラ画像が出回ってしまった。
          • 余りにも増税を連発し過ぎた結果彼を殺害しようとした男が再評価される始末。
          • 意外にもメガネを外すとイケメンである。
      • 他にも「増税クソメガネ」「増税ウソメガネ」などの酷いあだ名(というか悪口)を言われている。
    • あれだけ言われたらそりゃ減税するがそれすら事務作業が増えただの選挙対策だのと批判される
  6. 就任当初しばらくはなんでもかんでも「検討します」しか言わないので「検討使」と呼ばれていた。
    • 他にも閣僚の更迭が相次いだ事により「更迭ジーグ」とも揶揄されていた。
  7. まるで岸田本人が卑猥な言葉を話しているかのような生成AIのフェイク動画を作られたうえに、ニコニコ動画へ投稿されてしまう。
  8. 元雨上がり決死隊の蛍原徹とも対面した事があったのだが本人の政治手腕的には寧ろ蛍原の元相方である宮迫博之の方が近い存在だったりする。
  9. どう考えても前任より遥かに支持率は低いはずだが、引きずり降ろされてはいない。国民以外からの評価は悪くないのか。
    • 稀代の名宰相(と少なくとも支持者には称されていた)安倍晋三も既に亡く、この状況で別の総理になるよりは、という考えが長く続いた結果と考えられる。
  10. 広島サミットまではなんとかなっていたが、それ以降の1年あまりは惨憺たるものだった。
  11. 政権末期に関してはざんねんなのは本人よりむしろ党内だった。
    • 本人のやらかしが息子の件くらいしかない
  12. その割には戦後の内閣の中でも長く続いた部類に入ってしまうという不思議。

石破茂[編集 | ソースを編集]

  1. 一般の自民党員や国民の支持は高いが国会議員の間での人望がなく、総裁選で4回も負けている。
    • 一時自民党を離れていたというのも大きい。
  2. 一時期は自分の派閥である「水月会」を立ち上げたものの、勢力を拡大できず派閥からグループに格下げした。
  3. 他候補者が×××すぎて自民党でも比較的マシだといわれている。
    • 一応憲法9条改正かつ国防軍論者である。
      • 俗に言う軍事オタクである。
      • 思想的に鳩山由紀夫と変わらない…あとはわかるよね。
  4. 2002年に防衛庁長官として初入閣して話題になったが、当時はパソコンなどで「いしばしげる」を変換すると「石橋ゲル」と誤変換されてしまい、2chなどのネット界隈では「ゲル長官」と呼ばれていた。
    • こう呼ばれていることは石破本人も知っており「嬉しかった」とコメントを残している。
  5. 5回目でやっと総裁になれた。勝因はだいたいこんな感じ。
    • 清和会などの裏金問題で派閥の力が弱まった。
    • その影響で候補者が9人も出てきた。
    • 議員票で優位に立っていた小泉進次郎は発言が不安定で自滅し党員票を伸ばせなかった。
    • 結果、決選投票の相手が右寄り過ぎる高市早苗になり、これではまずいと思った議員がこぞって入れてくれたおかげ。
    • そんな単純な話でもないんだよなあ。というのも……
      • …… 派閥の力が弱まったのではなく、むしろ比較的勢力を維持していた旧・岸田派が結束して最終投票で石破に乗っかっている点。
      • …… 高市早苗が右寄りすぎてマズいのではなく、中道右派まで取りに来るアピールをした左派政党との選挙戦を考えたときに、単純に高市よりはだいぶ左の石破茂を担いだほうが、接戦を落とさないと踏んだ議員が多かった。(こっちはもっと単純な理由か)
      • 加えて言えば、勝手に高市応援団としてメチャクチャやってた頭の悪いネトウヨどもも足を引っ張っていた気はする。
  6. 自分が自民党総裁になれると思っていなかったのか、総理・総裁についた途端に、主張を120度くらい転換した。(180度とまでは言わんけど)
  7. 自民党総裁に就任した途端、日経平均先物が大暴落。開票結果の発表が金曜の引け後だったから、次の月曜日はブラックマンデー化した。
    • そら金融所得課税の強化だの、経済よりも幸福だの宗教団体の親玉かよって言いたくなるようなことを言ってりゃねえ。
  8. 地方創生と年寄りへのバラマキを声高に主張。(2024.10首班指名後の演説にて)
    • 地方創生というと聞こえは良いが、彼が地方創生担当大臣だった時代にやったのは地方への補助金バラマキでしかなかった。その補助金を得るために地方自治体はよくわからん事業をやるべく、東京のコンサルのパワポ・プレゼンに膨大なコンサル料を納入し、彼らが潤ったというね。
      • ぶっちゃけこれなら、ふるさと創生事業で1億円金塊作った津名町の方がよっぽど賢いわと小一時間(ry
    • 「年寄りへのバラマキ」っていうのは低所得者向け給付のこと。年寄り以外に生活保護受給者らも対象になる一方、きちんと働いて納税している人には財源負担のための増税がやってくる。

関連項目[編集 | ソースを編集]