ざんねんな鉄道車両事典
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国内[編集 | ソースを編集]
共通[編集 | ソースを編集]
- 多扉車
- ラッシュ時の切り札だったが、今やホームドア化の障害になっている。
- 京王6000系に至っては4ドア化までしたが、結局(ry
- ワイドドア車もだが、座席が少ない点では不評。
- 京阪5000系は昇降座席を設けて朝以外の着席率を高めたが、コストと特許のせいかほかの車両には採用されず。
- 普通・快速用2ドア車
- 登場当時はフラッグシップ的車両で登場するが、扉が少なく通勤ラッシュ時に遅延が続発したりするなどして3ドアに改造されたり地方線区に転属するケースが多い。
- ハイデッカー車両
- バブル時代に眺望目的で導入されたが、バリアフリーの時代が求められると採用されなくなり早期廃車の憂き目にあった車両多数。
- 2010年代以降の導入例は近鉄50000系や80000系くらいじゃないか?
- 小田急ロマンスカーの10000形はハイデッカー構造が災いして、古い7000形よりも先に引退させられた。
- 振り子式車両
- 急カーブでもスピードを落とさず走行できるというメリットはあるが、その反面揺れやすく、乗り物酔いする人が多い。
- 自然振り子車両はコーナーの前に緩和曲線、強制振り子車両はカーブを認識させるための装置を設置する必要があり、トータルコストが速度アップのメリットを帳消しにしてしまう。
- 最近の車両は低重心設計の採用で、カーブの遠心力をある程度克服出来るようになったので、高コストな振り子式車両を導入するメリットがますます薄れている。
- フリーゲージトレイン
- 新幹線と在来線で異なる軌間の運転に対応し、高速運転に対応できる、夢の車両。
- 20年余りにわたり3車種によって様々な試験が行われていたが、開発を事実上断念。
- 高速化の方が問題と思いきや、在来線で踏切が閉まらないという事態が発生。
- 役人の尻拭いとして、近鉄に導入してもらうことになった。
- レールバス
- 車体をバス同様に製造した、安い車両。
- 標準寿命より短く、30年程度でほとんど置き換えられてしまった。
- むしろ30年ならかなり持った方かと。
- 鉄道車両の郵便車
- 国鉄分割民営化の犠牲になった。中にはクモユ143のように短期間の使用に留まった車両もあった。
- 実は鉄道による郵便輸送は現在ではコンテナによって行われている。
- 二階建て車両
- 定員を増やすため導入されたが、同時に遅延の原因にもなった。
- 215系がいい例。
- どうしても出入り口が平屋部分にしか作れない(2ドア以下限定になる)ので、それを一般路線に乗せるというというのが厳しかった。
- 元々ダイヤに余裕がある優等列車(東北新幹線MAX、スーパービュー踊り子)や、グリーン車故に乗車が少ない部分(横須賀線、東海道線のグリーン車)などに使う分にはなんとか…。
- 多層建て列車
- かつては多く見られたが、固定編成化や系統分割により大幅に減少。
- セミステンレス車両
- オールステンレス車両の特許開放と内部の普通鋼部分の電食による劣化が普通鋼製車両より早かったこともあり採用されなくなった。
- ケーブルカー
- 山の斜面に作られることが多いが、ロープウェイより輸送力が少ない&環境負荷が重いため最近は新設例がない。
- 斜行エレベーターやエスカレーターに代替されたケースも。
- ロープウェイ
- 上記より建設例が多いが廃止されると跡地の特定が困難。
- カーレーター
- ゴンドラを斜面にしかれたベルトコンベアで運ぶ。エスカレーターとは違い途中で速度が変えられるので早く終点まで到達できる。
- しかし運行の際に側面のレールがゴンドラをベルトに押さえつけているため、ガタガタと振動する。そのため唯一現存する須磨浦山上遊園でさえ乗り心地の悪さが評判ですとかかれてしまう。
- 他にも現在のびわ湖バレイにもあったが、程なくしてロープウェイに置き換えられた。
- 折り戸車
- 戸袋窓が不要かつ構造も簡単なので近鉄30000系や小田急10000形、国鉄12系客車など、多くの車両に採用されたが雪に弱く故障しやすいと言うデメリットがあるため、近年ではほとんど採用されなくなった。
- 内開き構造ゆえ、下車する時はそのスペースを空けて待機しなければならない。
- 幅が狭いので、身障者が乗る車椅子の乗降には不便だった。
- 近鉄は21000系をリニューアルする時に、身障者用に幅広のプラグドアをわざわざ増設した。
- 連接台車
- カーブに強いというメリットがあるが、保守の手間から連接台車を採用した車両は短命で廃車されることが多い。
- 小田急10000形やE331系がいい例。
- 小田急50000形も。
- 近年では採用されるケースが路面電車くらいしかない。
- 車体長がどうしても短くなりがち。
- 増結用中間車
- 乗客が多くなったので両数を多くするために途中から製造されて組み込まれた車両。
- 最初の製造から時間がたちすぎてしまい次形式のベースで作られる場合があり一目でわかる。
- そして増結前の車両の寿命が来ると一緒に廃車されるため、短命に終わる。
- 一例として103系最終製造車は赤羽線10両化の組み込みだったため20年足らずで廃車された。
- E231系4600番台はE235系に組み込まれているが。
- 先頭化改造車
- 短編成化する際に中間車に運転台を付けた車両。
- 昭和中期は一般の先頭車と同じ顔つきが多かったが、近年はやっつけ仕事が多い。
- だいたい「食パン」になる。
海外[編集 | ソースを編集]
- BN-Holec(KRLジャボタベックKL3-94/96/97/98/99/2000/2001形電車)
- インドネシアのジャカルタ都市圏で運用されたベルギー・オランダ産のステンレス製VVVF通勤電車。電子機器の会社「Holec」を名前に使っている。
- ジャカルタの架線電圧が不安定である事から故障頻発で性能を生かしきれなかった。
- 冷房改造したりして日本からのお古と一緒に活躍させようとしたものの、やはり運用面で色々あって…。
- KFW I-9000形
- 後述するKRL-Iに次ぐ、PT-INKA社で作られたインドネシア国産のVVVF制御の冷房付きの20m3扉の新車。ドイツ復興金融公庫支援の下、ドイツ産の部品を大いに組み込んだ。
- しかし、この車両も故障が頻発してジャカルタ首都圏からの運用離脱となってしまった。
- KRL-I形電車
- インドネシア初の国産電車としてPT-INKA社で作られたステンレス製20m3扉4両編成の冷房付きVVVF制御車。機材は日本の東芝。
- しかし、運用開始してから故障が頻発して紆余曲折を経て運用離脱、休車となった。
- KTX-I(KORAIL100000系)
- 韓国初の高速鉄道用電車だが一般車の座席の半分が進行方向の反対を向いているのであまり評判が良くない。
- 向きを変えられるようにする話もあったが流れてしまった。
- 導入当初の200系新幹線みたいだな。
- 映画上映サービスもあったがいまいち受けがよくなく廃止。
- 中華之星(中国国鉄DJJ2形)
- 中国が自力で開発した高速鉄道用車両だったがブレーキや電気系統のトラブルが頻発し実用化を断念した。
- その後はフランスや日本などの技術を導入したどこかで見たような車両ばかり導入している。
- 新時速(中国国鉄X2000系)
- スウェーデンのお情けで中国へ渡った車両。
- 1編成しかもらえなかったので替えが効かなかった。
- 整備しないので、みるみるボロボロになった。
- ソ連国鉄ER200形電車
- おそらく東側陣営初の高速鉄道用車両だがどう見ても日本の0系新幹線を野暮ったくしたようにしか見えない。
- 首都モスクワとレニングラードを結ぶ特急で俊足ぶりを見せていたが運用は何と週に1往復だけだった。
- ペンシルバニア鉄道GG1形電気機関車
- アムトラック成立後の塗装が安っぽいおもちゃのように見えてしまう。
- レイモンド・ローウィによるデビュー当初の流麗な塗装との落差が激しすぎる。
- USSLRV
- アメリカの路面電車近代化のために計画されたが…。
- 製造を請け負ったのは鉄道とは縁がないボーイング社。しかも車体や台車は日本の東急車輛製造に丸投げ。
- アメリカに持っていく際に海風に晒したため、導入後1年と持たずに腐食した車体が出た。
- そして導入したボストンやサンフランシスコでは故障が続出。
- 損害賠償などの訴訟合戦に発展したり、他都市では導入が見送られてしまった。
- アメリカの鉄道技術の低下ぶりを見せつける結果となった。
- 一方東急車輛はボーイングの技術を利用した軽量ステンレス車体を開発していくのだった。
- X-12型機関車
- 史上初の原子力機関車として登場する予定だったが、超大型で線路が耐えれない、事故が発生したときのリスクが高いことから1両も製造されなかった。
- エアロトレイン
- GMが長距離バス技術を応用して作ったディーゼル特急列車。
- アルミ車体の流線型機関車と後のタルゴにも似た連接客車を組み合わせ空気バネも入れ意欲的な技術を盛り込んだが・・
- だが非力なエンジンで峠越えもままならず整備難も災いし安定せず。
- ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴとたらい回しにされながら10年ほどで退役。
- TGV 001
- 1960年代にSNCF(フランス国鉄)が研究していたガスタービン車の技術を高速鉄道に応用しようとして開発された車両。
- しかし完成翌年の1973年にオイルショックが発生し石油を大量に消費するガスタービンは経済的にまずいとされ実用化には至らなかった。
- 一応この車両は非電化の鉄道車両では世界最速となる時速318kmを記録したことはある。
- 結局TGVを電気で走らせるために原発が増設されることになった。
- 第2編成は振り子式の予定だったが研究が進まず開発中止に追い込まれた。
- そして現在に至るまでTGVの営業列車に振り子式車両が登場したことはない。
- 2419号食堂車(休戦の客車)
- 元は国際寝台車会社(ワゴン・リ社)が1914年に製造した食堂車。
- 1914年に運転を開始したが、同年の第一次世界大戦勃発に伴いいったん運行を停止後、1915年に営業を再開した。
- 1918年、フランス軍に徴用され工場で軍用の客車に改造される。
- 同年10月28日、改造を終えた客車は工場を出庫。29日朝にサンリスにてマキシム・ウェイガン大将に引き渡され、列車は11月7日、コンピエーニュの森の中のルトンド駅構内に移動。翌日にはドイツ代表団を乗せた列車も到着し、交渉の後11月11日、車内で連合国とドイツの休戦協定が調印された。これは第一次世界大戦における西部戦線での戦闘に終止符を打つものになった。
- 第一次世界大戦が終戦。1919年9月、2419号車は徴用を解かれワゴン・リ社に返還された。
- ワゴン・リ社は、客車をチャリティーのため各国で展示することを計画していたが、フランス政府は車両を軍事博物館での展示のため寄贈することを求め、客車は10月9日付けで政府に寄贈された。
- ワゴン・リ社は工場で2419号車を休戦協定調印当時の姿に復元する作業を行ない、車籍は1920年1月3日に抹消された。
- その後、再び食堂車に改造され1921年、2419号車はワゴン・リ社の工場からパリ市内の軍事博物館へ輸送された。車両が大きすぎて門を通れないトラブルが発生したが、中庭でドイツから接収した大砲などとともに展示されていた。
- しかし屋外で展示されたため車体は劣化し、痛みが目立つようになった。このため休戦協定が調印されたコンピエーニュの森に新たに博物館を建設し、客車をそこに移す計画が浮上。1927年地元住民やアメリカ人富豪による寄付により博物館が開館した。
- 時がたち欧州は第2次世界大戦に突入。1940年博物館の壁が壊され、保管されていた2419号車を1918年の休戦協定が調印されたのと全く同じ場所へと引き出だされた。
- ヒトラーらナチス・ドイツの幹部やシャルル・アンツィジェらフランス代表団も車内に入り、ヒトラー側が休戦の条件を一方的に読み上げて退出した後、独仏休戦協定の調印が行われた。
- 客車自体は歴史的車両であるとされドイツのベルリンの車庫で保管された。
- その後テューリンゲン州のオーアドルフ強制労働収容所に疎開していたが、1945年4月、連合国軍が現地に突入した際に、証拠隠滅のため親衛隊の手で収容所ごと放火され破壊。第2次世界大戦の終結を見届けることはできなかった。