ざんねんな鉄道車両事典/私鉄
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全般[編集 | ソースを編集]
- ワイドドア車
- 多扉車と同じく、ラッシュ時の切り札だったが、今や東京メトロ東西線でしか役割を果たしていない。
- 小田急1000形のワイドドア車は、後の改造でドアが開く幅が狭くなった。
- しかし外側の扉口はそのままなので外から見ると半開きしているように見える、
北海道・東北[編集 | ソースを編集]
- 定山渓鐡道2300形
- 東急7000系に似た外観を持つ車体とは裏腹に防寒の観点から固定窓を採用したため、夏場は気分が悪くなる乗客が続出し、ゲ○電と揶揄される始末だった。
- 吐気用の袋も用意されていた。
- それゆえにどこも譲渡されなかった。
- 足回りが旧型車の使い回しなのも譲渡されなかった理由らしい。
関東[編集 | ソースを編集]
京成[編集 | ソースを編集]
- 京成AE形(初代)
- 成田空港の開業に合わせてスカイライナー用の車両として登場。しかし空港の開業遅れで運用開始が遅れ、さらに過激派に車両を焼かれるなど、散々な目に遭った車両であった。
- 成田空港駅が現在の位置にできるのに合わせ、AE100形が登場。初代AE形はあまり活躍できずに廃車となった。
- 走行距離が短かったため、車体だけを通勤型のものに乗せ変えた3400形として生まれ変わっている。
- 京成AE100形
- 地下鉄乗り入れも視野に入れたが、都が消極的だったので乗り入れることはなかった。
- 羽田空港乗り入れも視野に入れていたものの、京急空港線の蒲田付近のカーブに対応できていなかった。
- スピードアップの観点から2代目AEが登場するとシティライナーに転用された車両を除いて持て余し、廃車となった。
- そのシティライナーも本数削減→廃止で結果的には全滅。先代のほうが機器だけ生き残る結果となった。
京王[編集 | ソースを編集]
- 京王6000系
- これまで京王の車両は引退後、他社に譲渡されることが多かったが、6000系は車体の長さが20メートルもあるのか、他社に譲渡されず大半が解体された。
- 鋼製なのが災いしてか、平成生まれの車両も含め早々と廃車に。
小田急[編集 | ソースを編集]
- 小田急10000形
- ハイデッカー構造がバリアフリー化の障害となり、7000形よりも先立たれてしまった。
- 50000形も特殊構造が災いして早々と定期運用から撤退してしまった。
- 小田急20000形 (RSE)
- ハイデッカー構造や、編成中ほどのダブルデッカー車がバリアフリーの障壁となり、上記の10000形と同じく2012年に引退した。
- 2014年に富士急行に譲渡された際は、短縮後の3両編成にダブルデッカー車が組み込まれなかった。これはダブルデッカー車の貫通扉が、片側は2階部分にしかないことも要因のひとつである (反対側は通常の高さに貫通扉がある) 。
- これらはJR側の車両である371系にも同様のことが言える。まぁこっちは後年車椅子対応席が用意されたけど。
- 小田急30000形 (EXE)
- 観光輸送のみならずビジネス利用も考慮された仕様だったが、1996年のグッドデザイン賞は受賞したのに対して小田急ロマンスカーで初めてブルーリボン賞を逃してしまった (ローレル賞も受賞せず) 。
- 一方で一説によると乗り心地に関しては歴代ロマンスカートップクラスと言っても過言ではないらしい。
- 順次EXEαへのリニューアルが進められており、EXEαの2本目からは窓側にコンセントが付けられているが、EXEαの1本目にはコンセントが付いていない。
- 券売機や予約サイトではEXEとEXEαの区別がされていない。
- 小田急50000形 (VSE)
- 特殊構造が災いして上記の30000形よりも早く引退してしまった。
- ちなみに本形式の引退で小田急から連接台車の車両は消滅した。
- 小田急電鉄 喜多見検車区の保存車両たち
- 喜多見検車区には1形 (開業当初の車両) ・2200形・2600形・9000形 (初の地下鉄直通車両) ・3100形 (NSE) ・10000形 (HiSE) ・20000形 (RSE) が保存されている。
- いずれも、複々線開業に伴う運行本数増加により増えた車両の留置スペースを確保する目的で、一部車両が解体されることとなった。
- なお、車両が解体される大野総合車両所へは、深夜に他の車両の牽引によって回送されたが、こちらには多くの鉄道ファンが集った。踏切通過後は遮断機が上がると踏切の内側で回送車を追いかける人も少なくなかった。
- 小田急3000形
- 藤子作品をラッピングした車両があったが東京都から屋外広告物条例違反である旨指摘を受け運転中止となった。
- 試験的に防音カバーを装着していたが本格採用されず。
- そのカバーも一部から変態カバーと呼ばれる始末。
京急[編集 | ソースを編集]
- 京急600形(3代目)
- 1人掛けと2人掛けに切り替わるツイングルシートなる物を採用したが、結局使われないという理由で4次車でこの装備自体廃止となった。
- その後オールロング化改装も受けることに。まあこれは2ドア→3ドア+オールロングというもっとすごい改装となった2000形の前例があるので一概に残念なわけじゃないけど。
- しかもそれで浅草線に乗り込んだ結果、都から顰蹙を買ったそうな。
- 京急1000形(2代目の6次~14次車)
- 京急なのに赤くない。
- 一応言い訳「ステンレスを赤く塗るのは無理」(先頭の赤い部分は普通の鉄)。
- 批判に晒されながらも9年作られ続けていたが、2015年ロールアウトの15次車は全面ラッピングでほぼ赤くなり、2017年ロールアウトの17次車ではついに全面塗装で赤くなった。
東武[編集 | ソースを編集]
- 東武1800系格下げ車
- 5050系置き換え用として特急形車両である1800系を通勤形に改造したが...。
- お察しの通り特急形を通勤形にするのは無理があった。ドアが片側5ヶ所しかないため乗降に多くの時間を要し、遅延の常習犯に。
- そもそもこの車両は後継車が来るまでの繋ぎのために導入したものであり、8000形の導入であっという間にお役御免となった。
- 東武2000系
- 20m車の導入をしない東急と営団地下鉄日比谷線に屈して導入した18m車。
- 日比谷線乗り入れ終了後にMT比を変えて野田線に転属したところ、故障が多発して転属は一部をもって立ち消えとなった。
- 東武20000系
- 地下鉄日比谷線直通車両をリフレッシュするために導入した18m車。
- しかし日比谷線の20m車化が決定し、お役御免になる。日比谷線のためだけに導入したのに!!!
- 25年も働いたからいいでしょ
- のちに改造の上で宇都宮線に転属されたがその内容はこれまでの東武らしさをことごとくぶち壊している。
- 5ドア車から改造した車両はドアを塞いだ跡がバレバレ。
- これはいろはやフルーティアにも同じことが言える。
- いずれもステンレス製ゆえパテ埋めができないので仕方ないところではある。
- これはいろはやフルーティアにも同じことが言える。
- トイレなし・オールロングシート・18m車で定員減という有様。これで東武日光・新藤原まで行く運用もあるから…
- 5ドア車から改造した車両はドアを塞いだ跡がバレバレ。
- 03系にも言えるが、衝突事故にあった編成が存在する。
- 東武30000系
- 東武が20m車10両編成で運転する半蔵門線に直通するために製造した車両。
- しかし当時10両編成を保守できる検車場がなかったため、6両+4両の分割車両にしてしまった!
- 既に東上線には10両固定編成の地下鉄直通用9000系がいたのに、なぜ分割編成にした…
- 当時はまだ半直運用はラッシュ時の輸送力増強程度にしか考えていなかったらしく、地上線の準急(いわゆる伊勢崎や新栃木発着の赤準急)にもつかせられるように6両編成と4両編成を分割できるようにしたというのも理由の一つ。
- 連結部に人が乗せられず定員が少なくなるので、混雑率190%越え(当時)の東急田園都市線からクレーム殺到。
- 分割できるメリットは、太田行きフラワーエクスプレス号の運転のみだった。
- 仕方がないので10両固定編成の50050系に置き換え。
- 30000系のほとんどは東上線に転属してしまった。
- そして東上線で10両固定化改造を受けたらしい。
- 30000系のほとんどは東上線に転属してしまった。
- 同じような境遇の車両として小田急1000形と京急1000形1800番台が存在する。(これらの車両も地下鉄に乗り入れる分割車両だが、その分割構造のせいで乗り入れ先から出禁にされた)
東急[編集 | ソースを編集]
- 東急5000系(初代)デハ5001号
- 言わずと知れた「青ガエル」のトップナンバー。東急で運用を退いた後は上田電鉄で使用され、引退後は東急に里帰りを果たした。ここまではいい。
- 2006年、渋谷区側の要請によりボディカットの上床下機器をすべて外されてハチ公口に展示される。保存というよりモニュメント扱い。
- 土地柄故落書きやいたずらの標的にされることも多々あり、ハロウィンやポムポムプリン仕様にして何とか乗り切っていた。
- 最終的に一般人からは「ハチ公口というより青ガエルの前といったほうが通じる」ぐらいには定着したものの、2020年に渋谷の再開発により縁もゆかりもない秋田への移送が決定。
- 上記の通り渋谷のモニュメントとして考えればわりと筋の通った話であるが、保存車両として考えればとんだ転落車生である。
- 同じように金沢で保存されていた5200系のトップナンバーは「東急車輛産業遺産車両」として永久保存されている。どうしてこうなった。
- 東急2000系
- 3編成しか製造されなかったこともあり、東武非乗り入れ車両に。
- そのため2003年以降日中の運転がほとんどなかった。
- 新デザインのカーテンを搭載していたが普通のものに交換された
- 2018年に大井町線転属。同時にIGBT化。
- しかもそれから少しして9000系に編入。
- 東急2020系・3020系・6020系
- 形式名が残念。
- 2000系→3編成しか作られず、3000系→目黒線にしか導入されず、6000系→大井町線にしか導入されず、と千の位を無駄遣いしまくった結果、7000系の次の新車が必要になったときに旧8000番台がまだ大量に残っていたために8000番台が使えず詰んで、仕方なくxx20系などという意味不明な番台を使用。
- 導入後まもなく2000系が9020系に改番され形式消滅。ならこれを2000系にすればよかったのに。
- 形式名の由来はおそらく2020年東京オリンピックから。だがその東京オリンピックは(ry
- 3020系は相鉄直通開始から半年経つまで相鉄直通に対応していなかった。目黒線最新車両なのに。
営団・東京メトロ[編集 | ソースを編集]
- 営団03系
- 地下鉄サリン事件や中目黒駅脱線事故など、とにかく酷い目に遭っている。
- 6000系みたいに特にラストランのイベントもなく、ひっそりと引退した。(まぁ6000系のラストランはあれだったからなぁ...)
- 営団06系
- 21世紀の地下鉄車両の基本モデルとして位置づけられたが、1編成しか製造されず、6000系よりも先立たれてしまった。
- 営団07系
- 有楽町線にホームドアが設置されると特殊なドア配置が災いして早期引退となった。
- だが東西線に転属しただけ廃車になった06系よりはマシ。
- その東西線では大開口ホームドアのおかげでドア配置の問題を克服できた。
- だが東西線に転属しただけ廃車になった06系よりはマシ。
都営[編集 | ソースを編集]
- 都電8000形
- 老朽車を置き換えたい、でも将来都電を廃止したいという意向もあってつくられた使い捨て電車。
- 徹底的なコスト削減により130両分の予算で131両製造という偉業を成し遂げる。
- 乗り心地や騒音など望むべくもなく、乗客の足がかゆくなった。ただ軽量なのでタクシーを振り切ったとか。
- 兄弟が高岡市で走ってる。
- 都営10-300形
- 同期のE231系は現役なのにもかかわらず、8両編成の車両は早期引退を余儀なくされた。
- E231系の本格的な引退は2030年頃になりそう。
- 本家以上に「走ルンです」を体現してしまった。
- 10-300形に経年の浅い10-000形の中間車を挟んだ10-300R形は2017年に老朽化で全車解体された。
- その際に新造された先頭車は約10年でお役御免となった。
その他(関東)[編集 | ソースを編集]
- 埼玉高速鉄道2000系
- 車両改修工事に伴いドア上にLCD画面が設置されたが、あくまで広告用なので行先案内は3色LEDのまま。
- だが2020年に新型LCDに交換されることが決定した。
- 秩父鉄道2000形
- 元東急7000系だが、冷房化が難しいのと全長が短いせいで早期廃車となってしまった。
- 事故以外で廃車になった7000系は本形式が最初である。
- 相鉄11000系
- JRへの乗り入れを想定していたが結局直通は後輩の12000系に任せて線内封じ込めとなった。
- まぁリニューアルされたら直通する可能性はあるが。
中部[編集 | ソースを編集]
名鉄[編集 | ソースを編集]
- 名鉄7000系
- 鉄道ファンや利用者の人気は高かったものの現場での扱いが悪かった。
- 運転台が高すぎて他社に譲渡すらされなかった。
- 運転台に入るのに側面にあるステップを2階まで登る必要があった。
- 消費電力も大きかったそうだ。
- 運転台が高すぎて他社に譲渡すらされなかった。
- 名鉄1600系
- 空港アクセス特急を見越したものの、空港線開業時に登場した2000系がその役割を担ったため、当初の目的を果たすことは少なかった。
- 「パノラマsuper」とか言いながら、全然パノラマじゃない。
- しまいには特急政策の見直しにより要らない子となってしまい一部特別車化。その際ク1600は改造されず9年の短命に終わった。
- とにかく不具合が多い。1700系化されても。
- 登場早々前面貫通幌をぶっ壊したのが代表。
- 名鉄3700系(初代)
- 終戦直後に輸送難に陥ったため導入した車両
- しかし国鉄モハ63ベースの20m4ドア車だったため運用に制約が出て早々に手放してしまった、
- しかし混雑緩和に大きな威力を発揮したのは社史にも記載されている
- 名鉄8800系
- 観光輸送に特化した特急車だが、それがアダとなり観光客減に伴い改造することになったのだが…
- 窓割りとあわない座席が出現した。
- 個室は残したものの、通勤には不評だったらしい。
- 足回りはパノラマカーの使い回し。そのため110km/hまでしか出せなかった。
- 晩年にはかなりガタが来ていたようにも思う。
- これらが重なって登場から21年の短さで形式消滅。
- 名鉄6000系
- 通勤車両ながらクロスシートを装備したことが評価されブルーリボン賞を受賞したが、そのクロスシートが「1.5人掛け」と揶揄されるほど狭く、同じ座席を採用した6600系共々ロングシート化された。
- 名鉄モ800形(2代)
- デビューからわずか5年で廃線の為、故郷から追い出された可哀想な低床車両。
- その後豊橋や福井に移籍したが、後継で出た低床車両により劣勢となりニート化。
- そして福井からは追い出された。
- 一方豊橋の方は劣勢の主なポイントとなっていた井原のカーブが、通れるようになり。ニートを脱却し、福井から追い出された仲間を引き取った。
- ネット上だと初代の方が若干人気があるようで、地味。(最近はそうでもないが)
- 名鉄7500系
- 機器が先進的すぎた結果他のSR車と併結できず、運用上での厄介者に。
- 特別整備が途中で打ち切られ、未施工車はそのまま廃車された。
- ただ機器は1030系に流用されただけマシかもしれない。
- 残った車両もバリアフリー化に対応できないことから、7000系よりも先に廃車。
- 低床なのが災いして逆段差ができるほどだった。
その他(中部)[編集 | ソースを編集]
- 富士急行2000系 2002編成
- 2014年2月に引退する予定だったのが、引退記念イベントが記録的豪雪により中止となった。
- 富士急行5000形
- 地方私鉄の車両にも関わらず冷房を搭載するなど、意欲的な設計が評価されてローレル賞を貰ってるが、試作車のため2両編成1本しか造られず。
- 増備するお金もなかったので、以降は他社からの中古車でしのいでいる。
- 試作車ゆえ、保守部品に事欠くようになり、1000・1200形(京王5000系)よりも先に引退。
- 試作車ではなく事故車の廃車補充。
- 伊豆箱根鉄道7000系
- JR直通の快速列車用として導入された車両。
- が、直通の計画がお流れになってしまい、乗り入れることはなかった。
- その際に一部をを指定席車にする予定だった。先頭車と後尾車は3ドアなのに中間車だけ2ドアなのはこの名残。
- 直通計画が無くなったので、以後の車両増備は3000系で行われた。
- が、直通の計画がお流れになってしまい、乗り入れることはなかった。
- 大井川鉄道3000系
- 元小田急3000形(SE)を買い取り、ロマンス急行「おおいがわ」としてデビューしたが...
- 客をSL急行に取られてしまい、僅か4年で運用から外された。
- 2代目は京阪旧3000系だが、どういうわけか自身よりも古い元南海21000系や元近鉄16000系よりも先に廃車になってしまった。富山に譲渡された仲間は健在なのに。
- 営団地下鉄由来の台車の老朽化が激しかったためらしい。地鉄はJR西日本から台車をもらって交換した
近畿[編集 | ソースを編集]
近鉄[編集 | ソースを編集]
- 近鉄2600系
- 後の2610系の基礎を作った4扉固定クロスシート車だったが、当初は座席の背ズリが低くビニールレザー張りだった。
- 加えて当初は非冷房だった。
- 冷房改造と同時に2610系と同じ座席に改造されたが、試作的要素が強かったためかロングシート化は行われず、同時期に製造された2410系よりも先に2004年に全廃された。
- 加えて当初は非冷房だった。
- 近鉄2610系
- 長距離急行用として4扉ながらオールボックスシートを採用したが、さすがに無理があったのかボックスシートはあまりにも狭く通路側の肘掛けすらなかった。そのため1990年代の車体更新時にL/Cカーに改造された名古屋線所属車両を除きロングシート(トイレ前を除く)に改造された。
- 近鉄3000系
- 京都市営地下鉄烏丸線乗り入れ用として登場した近鉄初のオールステンレス・電機子チョッパ制御車だが、結局どちらも後が続かず、地下鉄乗り入れも叶わなかった。
- 結果4両1編成のみの存在となったが、異端車的存在のためか同時期に作られた8600系よりも先に廃車になってしまった。
- 近鉄というよりもアメリカの都市鉄道あたりが走らせてそうな見た目。
- 近鉄10000系
- 日本初の2階建て車両である初代ビスタカーだが、試作的要素が強かったために座席予約のコンピュータ化に対応できず1971年に登場からわずか13年で引退。
- 加えて河内国分駅で追突事故に遭い、事故車両は独特の流線型の前面が大破して復旧に伴い18200系と同様の貫通型に改造されてしまった。
- 近鉄12000系
- いわゆる元祖スナックカーだが、後に登場した12200系があまりにも大所帯だったためその陰に隠れる存在となった上、登場間もない頃に2編成を事故で失ってしまった。
- スナックカーの名前の由来となったスナックコーナーも有効に利用されたとは言えず、数年後には車内販売の基地となった上、更新時に撤去された(12200系も同様)。
- 定員確保のためトイレはTcの運転室後部に設置され、2両編成だと使いにくい位置だった。
南海[編集 | ソースを編集]
- 南海2000系
- 高野線ズームカーの第2世代として登場したものの、橋本までの複線化が完成した後は大運転(平坦区間と山岳区間の直通運転)の減少や2300系投入により車両が余剰となり、一部が南海本線に転属した。高野線に残った車両も橋本以北の運用に入ることも多い。
- 南海2300系
- 高野線橋本以南での2両ワンマン運転用として登場し、当初は難波直通の快速急行としても運用されたものの、1-2列転換クロスシートのため座席数が少なく、後に定期運用において橋本以北に入ることはなくなった。
- 南海8200系
- 南海初の界磁チョッパ制御車として登場したが、6連×3本が製造されただけで、後にVVVF化を含む更新を受けた際に6200系に編入され、50番台の車番となった。
京阪[編集 | ソースを編集]
- 京阪600系(旧)
- 旧型車の車体更新車で、車体の製造こそ2000系と同世代だが、車体強度が低かったため冷房の取り付けができず、昇圧に当たっては大半の車両が高性能化などの改造が行われず廃車解体された。
- 一部の車両は1800系(初代)の走行機器と組み合わせて1800系(2代)となり昇圧後も生き残ったが、やはり冷房化されず改造後5年程で6000系に置き換えられ廃車された。
- これに対し同じような車体更新車である700系(旧)はまだ車体がしっかりとしていたため、冷房取り付けと高性能化を行い1000系に生まれ変わり現在も活躍中。
- 京阪3000系(初代)
- 後継車である8000系の登場で一気に陳腐化した。
- 利用客は8000系に乗りたいがために待つほどの人気であったため、淘汰が前倒しされた。
- しかも先代の方が何故か生き残った。
- 大井川鐵道に譲渡された車両も車齢が最も若いながらも1編成しかないため、見捨てられた。
- 京阪9000系
- ラッシュ時の特急用として3扉クロスシート車として登場したが、転換クロスシートではなく一方向きの固定クロスシート車であったため不評で、3000系(2代)の登場に伴いオールロングシート化され、本形式独自の塗装も他の車両と同じ現通勤車標準塗装に変更された。
- 加えて10000系7連化の影響で5編成のうち4編成が7連に短縮された。
阪急[編集 | ソースを編集]
- 阪急2200系
- 阪急初の電機子チョッパ車として登場したものの、価格の高さなどで試作のみに終わった。
- 後にVVVFの試作車が加わったものの、1992年にはチョッパ制御車は電装解除されて6000系に組み込まれ、残った車両も1995年の阪神大震災で被災、VVVF試作車も1両が廃車(代替新造)され残る1両は電装解除された。それに伴い6000系に編入され形式消滅。
- 先頭車は最終的には7000系と組まれたことから2019年に再改番されて7000系に編入された。
- 阪急2800系
- かつての京都線用特急車だが、一般用格下げ時に2→3扉に改造されたために車体強度が低下し、冷房改造が早かったために構造が特殊だったのと、制御装置が更新されていなかったため先輩の2300系よりも早く廃車に追い込まれた。そのため方向幕取り付け改造を行った車両は存在しない。
- 阪急5200系
- 阪急最初の冷房車として登場したが、試作的要素が強かったなどの理由で先輩の3000系や5000系よりも早くに引退した。
- 阪急8200系
- 関西初の座席収納車両として登場したが、登場後に阪急の利用客が減少して座席収納の必要がなくなり、普通の座席に改造された。
- 2両編成2本が造られただけで、その後の増結車は8000系が増備されることに。
阪神[編集 | ソースを編集]
- 阪神3801・3901形
- 西大阪線(現阪神なんば線)難波延伸を見込んで設計されたが、難波延伸そのものが途中で計画中断された上、4連×3編成のうち1編成が脱線事故で廃車となり、残る2編成を6連と2連に組み換え前者は8701・8801・8901形(以下8801系とする)、後者は7890系に改造された。8801系は本線の特急や急行に運用されたものの直通特急の運用からは外され、難波延伸を見ることなく2009年2月に廃車された。
- しかも8801系が廃車された1ヶ月後に当系列の目的だった難波延伸が実現したのは何とも皮肉だった。
- もう一方の7890系は2019年現在も現役。
- 阪神8000系第1編成
- 1984年に8000系のプロトタイプとして1編成登場したものの、車体は従来の車両とほとんど変わらなかった上、1995年の阪神大震災で3両が廃車となり、残る3両が量産車と組まれて6両編成になった。このため大阪側と神戸側で外観が異なる結果となった。因みにこの編成(8523F)は直通特急の運用には入らない。
- 2020年2月から直通特急の運用にも入るようになった。
- 阪神9300系
- 従来の赤胴車とは違うカラーリングで登場したが、その色合いが宿敵の巨人を思わせるため、株式総会で株主から批判されまくった。
- 結局8000系リニューアル車にもこのカラーリングは波及し、今ではすっかり馴染んでいる。
中国・四国[編集 | ソースを編集]
- 一畑電車7000系
- 86年ぶりの新車であったが、投入理由は中古で導入する2両編成ですら電気を多く消費し勿体無いからであった。
- 広島電鉄3500形
- 1980年に当時衰退傾向にあった路面電車の復権を目指して開発された「軽快電車」であったが、当初は2車体の予定だったのに無理やり3車体に変更させられ、性能低下や故障頻発などの弊害を起こした。
- この影響かどうかはわからないが、受賞確実と言われていたローレル賞も、並行して開発されていた長崎電気軌道2000形が受賞した。
- 広島電鉄5000形
- 通称「GREEN MOVER」。1999年に広電では初となる低床電車としてドイツのシーメンス社によって作られた。
- しかしシーメンス社が外国の会社であったために作られた車両が広島の気候には合っていなかったこと、車両価格や部品調達のコストの問題などによって2002年に増備が打ち切られた。
- さらに追い打ちをかけるようにその2年後の2004年にこの車両のベースとなっていたシーメンスの「コンビーノ」シリーズがリコールの対象になりこの車両も2007年以降にシーメンスの関連工場に送られた。
- 現在運用されている車両は12編成のうち半分以下であり、残りは荒手車庫に放置された状態になっている。
- しかもそのうち一部の車両は部品調達の問題から一部の部品が取り外されている。
- 伊予鉄道610系
- 久々の自社発注車であるが制御装置は京王5000系から、台車は東武2000系からはぎとって使用している。
- 東武20000系の注文流れを流用したといわれているが伊予鉄は否定している。
- 阿佐海岸鉄道DMV93形
- …鉄道車両?
- それもそのはず。車体はトヨタのマイクロバス4代目コースターである。
- 実は道路も走れる。というか鉄道で走ってる距離の方が短い。
- そのためブルーリボン賞・ローレル賞でノミネート対象にされなかった。