ばかせつ
- バカがバカに考えたバカな仮説を集める。
- 勝手な思い付き、車輪の再発明、巷に溢れてる説などもありです。
- 間違い、ネタバレなど大量に含まれます。見たことによる損害、恥、その他不利益に関する責任は一切負いません。
- チャクウィキは何ではないかで言及されている内容にあたるものは削除されることがあります。
分割項目[編集 | ソースを編集]
歴史[編集 | ソースを編集]
アレクサンドロス大王より唐太宗の方が凄い説[編集 | ソースを編集]
- 唐太宗は唐の第二代皇帝。
- でも実質、中国全土を平定したのはこの人。
- 30歳までに平定した範囲の面積・人口はアレクサンドロスと太宗でほぼ同等。
- 唐太宗の方は、その後、突厥をも平定してる。
- 太宗の中華統一時の年齢は30歳、ベッソス処刑によるペルシア帝国滅亡時のアレクサンドロス大王の年齢は27歳。
- 同じ年齢時の武功は20歳前後までは太宗の方が上、20代はアレクサンドロスの方が上。
- 群雄を平定した太宗と群雄割拠を招いたアレクサンドロス大王。
- 太宗から高宗への継承がうまくいったかっていうとアレだけど、唐朝は太宗の死後250年続いた。
- 太宗自身の即位も血生臭い。まあ、アレクサンドロスの父であるフィリッポス2世の死もだいぶ怪しいけど。
- 太宗から高宗への継承がうまくいったかっていうとアレだけど、唐朝は太宗の死後250年続いた。
- 太宗は貞観の治という内政上の功績も大きい。
- ほぼ戦争ばっかのアレクサンドロスとは全然違う。
- 若くして大帝国を築いたって意味では清の順治帝はもっと凄い。
- ただ、あれは事実上ドルゴンがやったみたいなとこあるし。
フランスへの貢献度、ナポレオン<<<ナポレオン3世[編集 | ソースを編集]
- ナポレオンがやったことと言えば無茶な戦争と皇帝即位とルイジアナ売却とナポレオン法典制定あたり。
- 世界史的には凄く重要だが、フランスの役に立ってるのはナポレオン法典制定ぐらい。
- 無茶な戦争のせいで人口バランスが崩れたのが一番の痛手。
- タレーランがいなかったら領土も酷いことになってたのは間違いない。
- 一方、ナポレオン3世はパリ改造・鉄道建設をはじめとするインフラ整備、産業改革による経済成長、植民地の獲得、メキシコ出兵・普仏戦争での敗北など事績がある。
- 現代のフランスのイメージと礎を築いたのはナポレオン3世と言っても過言ではない。
- 悪いイメージを作ったのもナポレオン3世って部分はある。
- 現代のフランスのイメージと礎を築いたのはナポレオン3世と言っても過言ではない。
- ナポレオン3世も対外戦争で失敗してるけど、クリミア戦争は勝ってたし、伯父さんほど酷くはない。
- まあでも、対ヨーロッパ外交ではフランスの役に立たないことばっかしてる気もする。
アヘン戦争の勝敗、国力だけで見れば普通[編集 | ソースを編集]
- アヘン戦争時の清と英国では単純に規模で言えば清の方がずっと大きいイメージですが、そうでもない説。
- 国土面積的にはカナダ・オーストラリアがある大英帝国の方が既に断然大きい。
- 人口もアヘン戦争時点でインドの大半を制圧してる英国と清ではさほど差はない。
- これに産業革命後の英本国のパワーが加わるので経済力も同等か英国が上。
- 国力同等でも清のホームでやってアウェイの英国が勝ってるので、そういう意味では番狂わせ。
- その辺で社会制度や技術力の差が出てる。
- 当時の中国人も、「英国って天竺の支配者だし、まあ負けてもおかしくないな。」とか思ってそう。
- その点で、「あの清が負けたのか、これはあかん」ってなった日本と差が出たんだろう。
- 技術力の差ははっきりしてたので洋務運動はやったけど、社会制度改革まで進まなかったのは、なまじ大国同士の戦争だったからそういう差が見えづらかったせいかもしれない。
- 実際、自国より明らかに小国である日本に負けてから変法自強運動が始まってる。
地理[編集 | ソースを編集]
南極には「南極列島」がある説[編集 | ソースを編集]
- 西南極は氷床がなくなると島と海になる。
- 氷床消滅後の隆起まで計算に入れてもそうなる。
- 西南極が「南極列島」で、東南極が真の「南極大陸」。
- 主な島は40万平方kmほどの南極半島(グレアムランド・パーマーランド・エルスワースランド)、60万平方kmほどのマリーバードランド、現状も島と認識されているアレクサンダー島(4万平方km)。
- 世界屈指の巨大列島。
- 山がちな地形で火山も多い。
- 大まかな地形は、日本海周辺や北米西部に似てる。
- たぶん日本にイザナギプレート、北米にファラロンプレート、南極にはフェニックスプレートとかつての巨大海洋プレートが沈み込んだのが原因。
- 南極列島の火山列と山脈はどう見てもプレート境界の特徴。
- たぶん、南極太平洋側は、南極プレートじゃなくて、別の「南極太平洋プレート」。
自然科学[編集 | ソースを編集]
草食恐竜、人間食べちゃう説[編集 | ソースを編集]
- 実は、草食動物も小動物をときどき食べる。
- なので、草食恐竜も小動物はつまんでいたと思われる。
- 数十tクラスの草食恐竜から見たら人間も小動物。
- なので、人間も食べちゃうかもしれない。
- 特に子供は手ごろなサイズ。
- ブラキオサウルス、アルゼンチノサウルスあたりが危険。
- なので、人間も食べちゃうかもしれない。
- 数十tクラスの草食恐竜から見たら人間も小動物。
- 草食だから安全だって調子に乗ってると死ぬ。
アフリカ大陸の絶滅が軽微だったのは人類が在来種だから[編集 | ソースを編集]
- 他の大陸で多くの大型獣が絶滅したのに対してアフリカではゾウやカバが健在です。
- これは人類がアフリカ大陸の在来種だからではないかという説。
- アフリカでは人類の進化に合わせて他の生物も対応できたのであまり絶滅しなかった。
- 逆に言うと南北アメリカやオーストラリアではヒトが外来種だったので大量絶滅がおきた。
- 人類発祥の地アフリカほどではないが、100万年以上の人類史があるアジアも絶滅はやや軽微。
- アジアゾウやインドサイが生き残っている。
- アフリカでの文明発展が遅れたのもこのせいかも。
- 動植物や病原体が人類に適応しているので、環境利用に制約が大きい。
- 原人以来の歴史があるアジアは古くから発展してるので、これは関係ないかもしれない。
数学[編集 | ソースを編集]
頭髪何本あってもハゲ説[編集 | ソースを編集]
- 頭髪がほとんどない人はハゲと呼ばれるが、実際のところ何本あってもハゲであるという説。実は、以下の通り高校数学で証明できてしまう。
- 髪の毛の本数が1本しかない者はハゲである。またハゲの頭に毛髪を1本足してもハゲである。
- 同様に髪の毛の本数がk本の者はハゲであるとき、k+1本しかない者もハゲであることが成り立つ。(kは任意の自然数)
- よって、数学的帰納法に基づき、頭髪が何本あったとしても、その人はハゲであると言える。
- 上記の証明が正しいと仮定する。
- 当該人物の髪の本数をα、ハゲであるかないかの境界線となるべき髪の本数をβ(α,β∈N)と置く。
- このとき、変数αについてβ<αが成り立てば当該人物はハゲではない、としても一般性を失わない。
- αをゼロからβに限りなく近づけて行きその過程でα=β-1=kとなるとき、k+1=β<=αであるので当該人物はハゲではない。これは矛盾である。
- 従って、上記の仮説は誤りである。 ■
- ところがこの証明にもツッコミがつく。βを境界線としてそれ以下をハゲ、β+1本以上あればハゲでないと定義しても、その1本の差って視覚的にも実質的にもどれほどの違いがあんねんというやつ。結局、この説の正誤に関する議論は一向に尽きない。
- ちなみに、上記仮説はエウブリデスによる「ハゲ頭のパラドックス」であり、「砂山のパラドックス」の前身とされる。
ソファ問題の答えは無限説[編集 | ソースを編集]
- ソファ問題とは「L字型の通路を通り抜けられる、最大のソファの面積」を求める数学の未解決問題。
- ソファを縦にすれば無限に長いソファも通れる。
- 柔らかいソファでも果てしなく通り抜けられる。
- ちゃんと平面で変形なしじゃないとルール違反なんだろうけど。
- あるいは天井が立てたり横にするには低すぎたりとか。
小町算、もはや小町算と言ってはいけないんじゃないか説[編集 | ソースを編集]
- 数遊びの一つで小町算というのがある。1~9までの数字を順に並べ、数字の間に「+」、「-」、「×」、「÷」のいずれかを入れるか、何も入れずに隣り合う数字を一つの数としてみなして(例えば5,6,7の間に何も入れず567という数に見立てる)、数式を作り、=100になるようにするというものである。
- 小町算の名称の由来は、これが自分でトライアンドエラーを繰り返しながら正解を見出すほか解法がなく、解法探しに時間がかかってしまうことから、「花の色はうつりにけりないたづらに、我が身世にふるながめせしまに」という小野小町の詠歌を引用して、こんなものに時間をかけても無駄だぞという戒めがなされたからだとされている。
- しかし、現代においては解法は全部で101通りであることが確認されており、また、スーパーコンピューター等を使えば1/1兆秒くらいで全解法が出るんじゃないかと思う。
- もし3.の仮定が正しいとすれば、2.の前提は完全に崩れてしまうことから、小野小町の詠歌もクソも関係なくなってしまうため、小町算なんて呼称を使うのも不適切になってしまうのではないか。
音楽[編集 | ソースを編集]
スピッツ「チェリー」は『インディゴ地平線』のボーナストラック説[編集 | ソースを編集]
- シングルとしてヒットを飛ばし、アルバム『インディゴ地平線』のラストをも飾っている有名曲「チェリー」。
- しかし、『インディゴ』構想当初では、11曲目の「夕陽が笑う、君も笑う」が最後の曲で、チェリーはその後から編入されたんじゃね?という説がある。
- 曲調が他の曲に比べかなり明るかったり、発表時期の違い(と言っても同じ1996年)、『インディゴ』特有の籠った音質をしていないあたりが主な理由。
- いやまあ、「夕陽が笑う〜」の方がチェリーよりも大トリ感が出てるってのが一番大きいか。
- 「インディゴ地平線」「渚」「虹を越えて」「夕陽〜」など、空(や海)の風景を描く他の曲とイメージが合ってないという面もある。
童謡「アブラハムの子」、反アラブ主義説[編集 | ソースを編集]
このページのトークに、アブラハムの子に関連する動画があります。
- 一人はのっぽで あとはちび。
- これはアブラハムと正妻サラの子であるイサクと、後妻ケトラの子6人のことと考えられる。
- イサクと6人の子は歳が離れている。このため「一人はのっぽで あとはちび」なのである。
- ところで、アブラハムには8人の子がいる。
- 残りの一人は追放された長男イシュマエルである。
- イシュマエルはアラブ人の始祖、つまりアラブ人がハブられている。
- 残りの一人は追放された長男イシュマエルである。
- さてこの曲は体の各部を動かし、曲が進むにつれて動かす部位が加わる。
- 最初は右手、旧約聖書で右手といえばヤコブの末子であるベニヤミン(ベニヤミンは「右手の子」という意味)であり、これは曲の1番が末子を指していることを意味する。
- そうすると7番はイサク、それまで体の部位だったのに、ここでは「回って」となる。
- この異質さはケトラの子6人が東方へ移されたのに対し、イサクはアブラハムの遺産を相続しカナンに居続けた対比と考えられる。
- またイサクを回るというのは「岩のドーム」のことであろう。「岩のドーム」内部の聖なる岩はイサクが神に捧げられかけた台であり、この岩の周りを巡回できるように「岩のドーム」は造られているからである。
- そうすると7番はイサク、それまで体の部位だったのに、ここでは「回って」となる。
- ところで、歌詞で表されているのは7人の子であるが、曲は「回って」の次、8番目まで続く。8番は当然長男イシュマエルなのだが、そこで追加される歌詞は「おしまい」。そうイシュマエルはおしまいだと主張しているのである。
- 最初は右手、旧約聖書で右手といえばヤコブの末子であるベニヤミン(ベニヤミンは「右手の子」という意味)であり、これは曲の1番が末子を指していることを意味する。
ことわざ[編集 | ソースを編集]
清水の舞台から飛び降りる覚悟で何かやっても特に意味はない説[編集 | ソースを編集]
- 「清水の舞台から飛び降りる思い」でとかいうフレーズがあるが、そんな思いをしようがしまいが何も変わらないという説。
- 「清水の舞台から飛び降りる」という言葉がある。「怪我せず降りたら念願成就」or「落ちて死んだら成仏できる」という言い伝えがあることが転じて、「必死の覚悟で物事をなそうとする」ことを表す慣用句である。
- しかしながら、実際のところ、あの高さから飛び降りて怪我するのは確実だろうが、一方で、今の救命技術なら死ぬこともまずないだろう。よって念願成就も成仏もまずありえない。
- よってこの慣用句の前提条件は「偽」となる。
- 2.を前提とすると、「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で何かやったとしても、その効果として意図していることが成就するわけでないことから、そんな覚悟はなんの効果もうまず特に意味はないといえるのではないか。
朝三暮四の猿の反応、それなりに根拠がある説[編集 | ソースを編集]
- 朝三暮四は、結果は同じなのに差があると錯覚させる、または錯覚すること。
- サルに栃の実を「朝は三つ、夜四つやる」というとサルが怒り、「朝は四つ、夜三つやる」というとサルが喜んだ話に由来する。
- 結局もらえる栃の実は七つなのにアホやなという話。
- でも猿には猿なりの事情があるのかもしれない。
- 結局もらえる栃の実は七つなのにアホやなという話。
- サルに栃の実を「朝は三つ、夜四つやる」というとサルが怒り、「朝は四つ、夜三つやる」というとサルが喜んだ話に由来する。
- 人間でも朝食と夕食では同じ量食べても結果は違うと言われている。
- 寝る前にたくさん食べると胃がもたれたり眠りを浅くするので良くない。
- 朝食でエネルギーをとった方が午前中に活動しやすいらしい。
- サルも消化器は人間と大差ないはず。
- なので、朝たっぷり食べれる方がサルたちにとって価値が高い。
- 栃の実を夜の間とっておけばいいと思うかもしれないが、その間に横取りされる危険が大きい。
- 人間社会でも朝三暮四と見せかけて、利子とかの関係で損得の差が発生してる場合があるので気を付けよう。
人の噂、やっぱり七十五日[編集 | ソースを編集]
- 特にネット時代以降、過去の犯罪歴や逮捕歴などは半永久的に残ってしまうものとされているが…。
- 考えてみよう。あなたは七十五日前に轢き逃げで逮捕された人の名前を覚えているか?
- 事件自体に特筆性のあるもの(著名人が被害者or加害者だったり、被告が逮捕時や裁判で頓珍漢な問答を行ったり、その事件がきっかけで法律ができるなど後世に影響を及ぼした、などなど)でもなければ、だいたい覚えていないのである。
- 仮に事件自体はよく知られていたとしても、その被告の名前まで知っている人は案外少ない。余程の大事件でもなければ。
- 事件自体に特筆性のあるもの(著名人が被害者or加害者だったり、被告が逮捕時や裁判で頓珍漢な問答を行ったり、その事件がきっかけで法律ができるなど後世に影響を及ぼした、などなど)でもなければ、だいたい覚えていないのである。
- 「ウェブ検索すれば出てくる」って?知り合いの名前をエゴサする奴でもなければ職場にいても感づかれまい。
- Yahoo!ニュースは1週間もすれば消えるし、大手新聞のサイトもそこまでではないが消えやすい。
- ただ就職活動をする際、近所づきあいをする際にデメリットが生じる可能性は否定できないが。
- 2022年現在「10年以上炎上し延焼し続けている」物事と言えば、淫夢と恒心くらいか。ケツ毛バーガー事件でさえ、ここで言及しなければ忘れてた人は多かっただろう。
- この2つに共通する点というと、「炎上の火元から別の火種に燃え広がり、それが山火事のごとく燃え盛っている」という点である。
- そして、その山火事が消火されることなく各所を燃やし、また広がり続けることでより拡大していったという代物である。
- ただこの2つにかかわると、その「半永久的に炎上し続ける山火事」に巻き込まれることになるのだが。
- この2つに共通する点というと、「炎上の火元から別の火種に燃え広がり、それが山火事のごとく燃え盛っている」という点である。
- 淫夢・恒心レベルでない閉鎖的な環境(小規模なコミュニティでちょっといざこざがあった程度)での炎上であれば、仮に本名がバレたとしてもそれを第三者が見つけるのは至難の業。
- その炎上を外に持ち出そうとアンチがやろうとしても、「私怨で私人の名前を書く変な人」としてそのアンチが冷ややかな目で見られるだけだろう。
- そのアンチが持ち出そうとするネタも、ネットの海の中では糞定期も同然なのである。
- やれ惚れた張っただの、やれ誰々がセクハラパワハラしただの、そんなことはネットリアル問わずよくあることで、暇つぶしに使われることはあれど、本気で解決しようと考える人はあなた含めそんなにいない。
- そのアンチが持ち出そうとするネタも、ネットの海の中では糞定期も同然なのである。
- その炎上を外に持ち出そうとアンチがやろうとしても、「私怨で私人の名前を書く変な人」としてそのアンチが冷ややかな目で見られるだけだろう。
- ネット時代を考えると、75日では長すぎで、1ヶ月、いや1週間で旬が過ぎる事柄も結構ある。
- そして1年も経てば、「そういやこんなこともあったな」と蒸し返される程度で、意外と人間は忘れやすい生き物なのである。自分から蒸し返さない限りは。
- 自分から蒸し返す、話題の材料を与えすぎると、反復的な学習が身に付きやすいのと同様人間の記憶に定着しやすくなってしまう。
- この際に自分から下手な態度を取り始めると、一気に燃え広がる要因になる。蔵の火災では酸素が切れるまで放置するのが正しいのと同様、沈黙していたほうが鎮火しやすい。
- 上述の恒心の炎上パターンがまさしく↑に該当する。自分の不手際から炎上したのに、弁護士を雇って開示請求させたものの、それ以上の行動は取らないという悪手をやってしまったのだ。
- 企業系や芸能人など、炎上を本気で解決したいなら損害賠償請求までしっかりやれば「絶対に触れてはいけないあの人物」までいって鎮火しうる。それがイメージ改善につながるかはその後の行動次第だが。
- 自分に非がない場合(単なる風評被害、誹謗中傷など)であれば裁判をして勝訴するのが良いが、非が確実にある(パワハラ疑惑等)のであれば真摯に受け止め改善するのが良い。その中間にある場合は状況次第で対応すべき。
- そして1年も経てば、「そういやこんなこともあったな」と蒸し返される程度で、意外と人間は忘れやすい生き物なのである。自分から蒸し返さない限りは。
- ただ、だからといってやらかしてもいいってわけではもちろんない。
- 「この項目を見てすぐ忘れられると思いやりました」なんて言えば、間違いなく「事件自体に特筆性のあるもの」として後世に名を残してしまうだろう。
身体・健康[編集 | ソースを編集]
適度な運動が爽快なの快便になるから[編集 | ソースを編集]
- 程良い振動と体温上昇で腸がハッピーに、連動して脳もハッピー。
- 過度な運動だと、胃腸が揺すられ体温が上がり過ぎて気持ち悪くなる。
- 腸が人間の本体って話もあるし、脳とかオマケです。
貧乳、実は超巨乳説[編集 | ソースを編集]
- 貧乳って実は超巨乳なんじゃないかという説。
- おっぱいの小さいことを貧乳、大きいことを巨乳という。
- しかしながら、貧乳の女性を横から見たときに見える胸の曲線と胸の内側で接する円を描いてみると、巨乳の女性のそれよりもはるかに大きな円になる。
- よって、貧乳のほうがその背後にあるものが大きいといえ、貧乳は巨乳以上の巨乳であると言えるのではないか。
- つまり子供もおっさんも超巨乳なのか。なんてことだ。
- そういうこと。人類は超巨乳から普通の乳に変化していく動物なのである。
交通[編集 | ソースを編集]
一般道の片側2車線道路、実は左側が追越車線説[編集 | ソースを編集]
- 交通法規上は、片側2車線の道路では左車線が走行車線、右側が追越車線とされている。
- しかしながら、実際のところ左車線には路上駐車している車がいたりして、まともに走れないため、低速であっても右車線を走行したがるドライバーが多い。
- さらに、右車線には右折のために減速・停車している車もいて、交通が集中する。
- 一方で、左車線は路上駐車・左折車をうまく避けられさえすれば、空いていて、右車線よりも流れていることが多い。
- こう考えると一般道の片側2車線道路は左が追越車線で右が走行車線ということになるのではないか。
- なお、実際に、都市部であれば、京都の河原町通等、そういう感じになっている道路は結構多い。
新幹線の「4時間の壁」、飛行機+2時間位なら対抗できる説[編集 | ソースを編集]
- 新幹線の旅客需要を考える上でよく出てくる「4時間の壁」、実は飛行機+2時間くらいなら十分速達需要が生まれてくるのではないか?
- 飛行機の場合、羽田〜福岡や羽田〜新千歳でも1時間くらいなのだが、トランジットに20分、余裕を持った到着には20分かかり、さらに市街地から空港へのアクセス時間を考えると、飛行機+2時間なら新幹線を始めとする鉄道に勝算がある。
- もっともこれより長い区間でも、飛行機では拾いにくい需要(例:大宮〜盛岡、乗り換えを要するが名古屋〜熊本など)もあるので、それなりの需要は生まれる。
- 例として東京〜博多は5時間半くらいかかるため飛行機需要が高いと言われているが、これは福岡空港が福岡市街に近接しているのも要因と思われる。
- 空港が遠い金沢・広島・青森では新幹線が優勢、どっちも遠い函館では飛行機が優勢なので、新幹線駅が市街地に近接していれば勝算はあると思われる。
- 山口は新幹線が小郡を中心に比較的停まるのに対し空港は宇部・岩国だが、これは宇部・小野田方面の工場への需要が高いからかもしれない。
- 空港が遠い金沢・広島・青森では新幹線が優勢、どっちも遠い函館では飛行機が優勢なので、新幹線駅が市街地に近接していれば勝算はあると思われる。
- よって東京〜札幌も、新千歳が遠いのに対し新幹線が札幌駅まで来るのであれば、距離の割に善戦するのではないか?
日常その他[編集 | ソースを編集]
権利、使ったもの勝ち説[編集 | ソースを編集]
- 世の中にはいろいろな権利がある。そして一部の権利は行使に当たり条件が付けられているものがある(例:商品を獲得するには代金支払いが必要)。また、この権利行使の条件は規則などにより明文化されているもの(有給休暇取得には6カ月以上の勤務が必要、など)とそうでないもの(有給休暇は病気の時に使うものだ、など)がある。
- さて、このような不文律を権利行使しない理由としているものの多くは「権利を使う前に義務を果たせ」と言うが、何が権利で何が義務なのか具体的に答えられたためしがない。となると、不文律の義務はそもそも存在しないのではないか。
- となると、対価として明文化された義務がない権利は何も気にせず自由に行使できることになる。言い換えるとそこに権利があったから使って得しただけである。
- もちろん明文化されている場合でもそれがローカルルールならそれに反する法律を提示すれば無効になるし、法律なら憲法を提示すればよい。
- よく「勝手に権利を使うと社会(会社などでも言い換え可能)が回らなくなる」と言われるが、(これ自体まゆつばものだがあえて本当だと仮定するならば)勝手に自粛してくれる人のおかげでこちらが権利を気兼ねなく使えるわけである。ゼロサムゲームでこちらは得しているわけである。
- アマルティア・セン『不平等の経済学』にいわく、「平等に与えられている権利をあえて行使しないことによる不利益があっても、それを不平等と言ってはならない」。
野獣先輩、実は発見されている説[編集 | ソースを編集]
- 野獣先輩の現在は未だ不明で、日夜様々な説が立証されている。
- しかし野獣先輩は既に存在が確認されているが、表向きには存在しないことにされている。
- 今見つかった場合、大騒ぎになるのは目に見えているから...。
- 仮にリークしようものなら、最悪自分にまで飛び火しかねない(BB素材を作られる等)し。
振り飛車、不利じゃない説[編集 | ソースを編集]
- AIの評価値が低い振り飛車ですが、別に不利じゃない説。
- 振り飛車で勝ててる人もいるというシンプルな事実。
- 何十手も先で効いてくる手はAIで評価されにくいのかもしれない。
- 玉を取ることより、玉を守ることをメインに構成すれば、振り飛車党AIも出来そうな気がする。
- ただ、設定をミスると、千日手大好きなポンコツAIになりかねない。
キリスト教の神は海水魚大好き説[編集 | ソースを編集]
- 神は地上を一掃するためノアの大洪水を起こした。
- 海洋生物には基本関係ない。
- レビ記によると鰭と鱗のある魚は清いものに含まれる。
- それ以外の水中生物は清くない。
- この清い清くないというのは、つまり食べていいかどうかって話なんだけど。
- ヨナ書では大魚が神の使いとして現れる。
- キリスト教のシンボルは魚。
- 十二使徒の1/3が漁師。
庶民出身の為政者、庶民には厳しい[編集 | ソースを編集]
- 庶民出身の元首・政治家は庶民派と持て囃されますが、実際は逆という説。
- 自分が元庶民だから庶民の悪いところが分かる。
- 救済すべき弱者という認識がない。
- 自分が庶民から成りあがってるから、お前らもいけるやろと考えがち。
- 庶民に自助努力を強いる。
- 栄達するのは努力もあるけど、普通は運と才能が必要。
- これは身一つで成り上がってきた実業家にも顕著だったり。
- 庶民に自助努力を強いる。
- あくまで、そういう傾向があるんじゃないかという仮説。
- 結局は個人個人で異なるのは言うまでもない。
大手金融勤務を名乗っている人、ほとんどオリックス社員説[編集 | ソースを編集]
- 覆面座談会などいろんなところで「大手金融勤務」と名乗っている人をみることがあるが、これに該当する人は総じてオリックス社員ではないかという説。
- 大手金融に該当する企業というと、メガバンク、3大損保、4大生保、5大証券に加え、3大信託銀行、GSやJPM等の外資系金融、リース会社のオリックスがあげられ、だいたいこの中のどれかで働いていれば、その大手金融勤務の要件を満たす。
- とはいえ、実際のところメガバンク勤務の者ならメガバンク勤務と名乗るし、3大損保・4大生保なら大手保険勤務を名乗る。これは信託や証券、外資系金融も同じである。
- しかしながら、リース会社勤務の者が、大手リースという言葉を使うことはあまりない。
- そうなると消去法的に「大手金融勤務」を名乗っている人はオリックス社員の可能性が高いといえるのではないか。信じるか信じないかはあなた次第。
あらゆるコンテンツは「プロ」に食われる説[編集 | ソースを編集]
- ここでは、「素人」「プロ」を次のように定義する。
- 素人:そのコンテンツに対するノウハウをほとんど持たないが、興味のみで参加を決意した人→「面白さ」重視のコンテンツとなる。
- プロ:そのコンテンツに対する豊富なノウハウを持ち、自身の知識や技術力を発揮するために参加する人→「知識・技術力によるガチバトル」を取りあげるコンテンツとなる。
- なお、「素人」と「プロ」の間に「アマチュア」「セミプロ」などの区分を設けることもできるが、ここでは触れない。
- さて、近年、様々なコンテンツが「プロ」たちに席巻される状況が頻発している。例えば
- 一般人参加型クイズ番組:進学校や大学等のクイズ研究会のみが出場し、彼らに重点を置いた番組構成となり、出題も難問化しやすい。
- 鳥人間コンテスト:その昔は段ボールで作ったお粗末な機材も目立ったが、現在は大学や工場などが高品質の素材を使用し、航空工学に基づいた設計開発を行ったものを使用している。
- YouTube:商業YouTuberが流入し、彼らが「おすすめ動画」を独占する状況。
- ニコニコ動画の場合も「人気が高い順」でソートを掛けることも可能だが、上位投稿者を忌避する人が比較的多く、そこまで商業ユーザーがいるかというとそうでもない。
- もっとも商業化するにしても単価はYouTubeより安いから来ないだけなのかもしれないが。
- ニコニコ動画の場合も「人気が高い順」でソートを掛けることも可能だが、上位投稿者を忌避する人が比較的多く、そこまで商業ユーザーがいるかというとそうでもない。
- …なんだか「昔はよかった」理論でしかないように見えるが、とりあえず続けよう。なぜ「素人」が駆逐されてしまうのか。それは「プロ」の流入による全体的なレベルの上昇によるものと考えられる。
- プロ視点からだと、既存のコンテンツで行われていることは「知識・技術のレベルが低い」。そこで自分が参入すれば自身の独壇場となることは明白であり、実際そうなってしまう。
- 参入した「プロ」はひときわ目立つ存在のため、コンテンツもそれをよりクローズアップするようになる。
- これに対抗し勝利したいと考える「別のプロ」が参加を決意し、「プロ同士の戦い」が始まる。これが繰り返され「プロ」がコンテンツ内にあふれることになってしまう。
- こうなると「素人」は少数派となるが、こちらは特筆する技能がないため目立つことはない。結果、マスメディアのようにリソースが限られているところでは予選やオーディションで落とされ、YouTubeのような自由参入・自由競争の場では高い知識や技術力を持つ「プロ」に圧倒されてしまう。
- 結果、「素人」は駆逐され、コンテンツ自体が「素人が楽しむもの」から「プロがしのぎを削る場」に変質する。
- また、「素人」はエンタメ性重視というが、素人よりも高いエンタメ性を持ち、かつ確保しやすい「芸能人」がいるため、「素人参加コンテンツ」は芸能人に取られてしまう。
- 事実、クイズ番組で問題の難易度が低かったり「おバカ解答」を笑うタイプのものは例外なく芸能人参加のものである。
- 「素人参加コンテンツ」を保護するためには以下の3点が考えられる。
- 別途「素人参加枠」を新設しそこへの「プロ」の参加を認めない方針にする。ただ、自由競争に反する形にはなり、ほとんどのコンテンツが営利目的で行っている以上採算が合わない中いつまで予算を割けるかのも時間の問題である。
- 「素人」になんの特技もないなら、彼らに過激なことをやらせる。ただ、コンプライアンスが特に重要なマスメディアではどこまでできるかが問題であるし、自由参入ができるところだとコンプライアンスの知識がないあまり法に触れるようなことまで手を出してしまう(いわゆる「迷惑系YouTuber」がこれに該当)危険がある。特にSNSが高度に発達した現在、炎上して個人の社会的評価が著しく低下するだけでなくそのまわり(家族や友人、通学先、勤務先など)に悪影響を及ぼす可能性もある。
- 「プロ」にとって旨味(金銭収入や名声を得られる、など)がないようなコンテンツとする。「素人」同士が内輪でひっそりと楽しむものにする。これが一番現実的か。最もいつそのコンテンツが有名になって「プロ」に目をつけられるか時間の問題だが。
- 「素人」が勝ち進むには、よりニッチな方向性に向かい「素人中のプロ」として戦うか、人一倍の努力をして他を押しのける「プロ」になるしかない。
- 特に黎明期のものや人気が高いものはまだ「プロ」の枠が開いている可能性が高いので、そこに入り込むしかない。
- 成熟したものの場合「プロ」に入り込むのは至難の業だが、それでも何倍もの努力をすれば不可能ではない。ただその努力が報われるかは別問題だが。
- 結局なんでもかんでも「プロ」を目指すなら生半可な気持ちではダメであり、素人らしく遊びたいくらいなら「上の上」の人たちのことなど気にしないほうがいいというのが世の常らしい。
借民、実はバカじゃない説[編集 | ソースを編集]
- 「バカが、バカなテーマで、バカな情報を集める」というコンセプトのChakuwiki。
- しかし、利用者は実は博識なのではないか?
- ご当地の噂やもしwikiを見ていると、地理や歴史に相当通暁している人が多く参加している。
- 一人一人の知識は小さくとも、集合知で相当なものになっている。
- そして、一文一文は短くとも文字中心の文章を読むことができる。相対的、いや絶対的に見てバカとは凡そ言えないのでは?
- 一人一人の知識は小さくとも、集合知で相当なものになっている。
- もっとも、「何かに熱中する人間」という意味での「○○馬鹿」には思いっきり当てはまると思われる。
- Chakuwiki全般へのネタ殺し感が否めない。
「規制退場」はあまり意味がない説[編集 | ソースを編集]
- 本論
- コンサート終演直後、アナウンスなどの指示により座席エリアごとに退場させ最寄り駅まで向かわせる「規制退場」。時々電子掲示板やSNSで指示に従わず帰る人が問題となっているが、ここでは規制退場自体にあまり意味がないことを確認したい。
- なお、ここでは公演(アンコール含む)途中で帰ることや、ほぼすべての観客がいなくなってから席を立つことは含まないものとする。
- 「規制退場」の目的は混雑の緩和とされている。しかし、座席エリアに区切って退場させたとしてもその退場列はかなり混雑しており、混雑によって起こりうる問題(階段での転倒事故など)が緩和されるとは言い難い。
- また、物理的に無理でない以上、規制退場の指示を無視する観客は一定数いる。彼らの行動を追ってみると、観客の責任において自由な時間で退場することにより混雑をうまく避けて退場することができている。実際、それで事故やトラブルが起きたという話は聞かない。
- この手のイベントでは、係員の指示に従わない場合は最悪退場処分とする(コンテンツや運営会社によってその厳しさは異なる)そうであるが、規制退場の指示を守らないことに対してできる処罰は(物損や他者への傷害がない限りは)あまりないと考えられる。
- 規制退場を守らないことで退場処分とするというのも考えにくい。規制退場させる(勝手に退場させない)ことが目的にもかかわらず、該当の観客を解放しているためである。
- 規制退場を無視されるだけで起こる被害はほとんど考えられず、法的手段に訴えることも難しい。
- 電子チケット(スマホアプリ)に端末のGPS情報を取得させ、該当時刻に該当エリアを移動した観客を特定しその観客をブラックリストに入れることが考えられるが、電源を切られていては意味がない(そして、公演中は電源を切るよう指示があるところも多い)。
- 係員による声掛けや足止めも考えられるが、人件費などの面から難しいであろう。
- ちなみに筆者は、会場駐車場へ車両(おそらく出演者を宿泊施設へ移送するもの)が入庫しているところに出くわし、警備員に一旦止められたことはある(もちろん入庫完了後は何もなく通してもらえたが)。
- 以上、規制退場の効果の薄さと自由に行動したときの問題の少なさより、規制退場の意味はあまりないといえる。
- 補遺
- 退場の要領を把握する観点から、退場時刻の目安や進路(強制力なし)くらいはアナウンスしてもよいかと思われる。
- 規制退場を行う現状においては、一番有利(公演を全て見ることができ、かつあまり混雑しないタイミングで退場できる)なのは「出演者が退場し規制退場の全体案内があったタイミング」である。はじめに退場するエリアの観客はそれから少し後に動き出すため、まだほとんど退場客はいないためである。
- 仮に他のエリアの退場が始まっていても、少なくとも途中までは混雑フリーで移動できる。
- まれに、規制退場の全体案内時から出口を封鎖することがある。この場合も近くにいる係員に「帰りの電車(飛行機やバスでも可)に間に合わない」と言えば通してもらえる可能性が高い。
- 会場から出た後は、最寄り駅・停留所までの道路やその先の交通も混雑する。これを避けたいのであれば、少し歩くことは覚悟したうえで別路線の駅や停留所を目指すとよい。
- ただし、規制退場を無視する場合は「自己責任」となる。怪我をすればその分の医療費がかかるし、人や物に損害を加えた場合は(故意・過失によらず)法的責任が発生する。
未来人、仮に来ていたとしても現代に対して影響を与えていない説[編集 | ソースを編集]
- 過去に行けるタイムマシンとタイムパラドックスは度々創作でも問題視されがちだが、仮に来ていたとしても現代には特段影響がないと考える。
- まず、タイムマシンが開発されるような、現代の何億倍もの技術が進んだ文化だとしても、過去に行けるタイムマシンの開発には相当な労力と経費(燃料費等)が必要なのではないか?
- 仮にどこまで行けても片道切符だとすれば、技術的に遅れた世界では修理も難しいだろう。
- また、多くのフィクション作品でも言及されているように、未来人が過去に行って過去を変えることは原則禁じられているはず。この世界でも。
- また仮に未来人が過去に行って未来を変えた場合もパラドックスが発生するが、これに関しては今の未来で既に「織り込み済み」と考えてもよさそうだ。
- まず、今仮に「俺は30世紀から来た男だ、今後この国は○○になる」といったところで、今の人からすれば「は?」で済まされる、良くてオカルト紙で扱われるのが精いっぱいだろう。
- 特に第二次世界大戦中の日本など、言論の自由がほとんどない所に飛んでも結局は×××されるのみだろう。
- また、今論争があるもの(邪馬台国の位置など)で「本当の○○は××にあった」といったところで、多数ある意見のうちの一つを強化しただけに過ぎず、未来を大きく変えることはできない。
- 時代の有力者を暗殺するにも、条件などが揃ってないとならないだろう。テレポーテーションが使えたとしても、なんだかんだで困難だ。
- また、未来人が未来の技術を持ち込んだところで、その時代の技術や環境が応用できなければ無理なのである。
- 実在世界の人物でも、レオナルド・ダ・ヴィンチあたりは本当に未来人だったのかもしれない。未来から来て暗黒中世を大国に改竄しようとしたけど、結局絵描き売りになるのが精いっぱいだったのかもしれない。
- 2.のようにタイムリープに莫大な金額が掛かるのなら、多額の黄金やその時代で活躍できそうな武器などを輸送するのは(例え過去の改変が固く禁じられていなかったとしても)難しいだろう。
- そうしてくぐり抜けた末に未来を変えたと思っても、結局長い歴史のなかでそれが「正史」として修復されてしまう。
- 「なんかすごい武器を持ってきた軍団が来たけど、終わってみたらすぐ終わっちゃった」みたいな感じで。
- まず、今仮に「俺は30世紀から来た男だ、今後この国は○○になる」といったところで、今の人からすれば「は?」で済まされる、良くてオカルト紙で扱われるのが精いっぱいだろう。
- 未来人が来たところで、その世の中からしてみれば市井の一般人でしかない。戸籍も恐らくないような状況で、説得力のある人物になろうとしたら、現代の市井の一般人が財を成すより困難だろう。
- 21世紀序盤に来るとした場合、アフリカの後発国あたりなら戸籍も定着してないのでうまく紛れ込むことはできるかもしれない。少なくとも日本ではまず無理だろう。
- まあアフリカの後発国に来て財を成すのもハードだから、まあ難しいだろう。
- 21世紀序盤に来るとした場合、アフリカの後発国あたりなら戸籍も定着してないのでうまく紛れ込むことはできるかもしれない。少なくとも日本ではまず無理だろう。
- 一介の技術者や大富豪がタイムリープしてくるならともかく、何らかの形で一般人が来た場合は未来を変えられる可能性は大幅に下がる。
- まず、歴史の知識だってどれだけあるかもわからない。仮にあったところで、結局は4.になる。
- 現代で例えると、「10年前の○月○日のロト6の当選番号」を暗記しているかといえば、恐らく99%の人は覚えてないだろう。G1レースの競馬の着順くらいは知ってる人もいそうだが、全員が知ってるわけでもないし、大きく稼げるわけでもないだろう。
- 科学の技術だって、自分の得意分野ならともかく、その技術の基礎となる部分(プログラミングであれば機械語など)を知っている人はそうそういないし、未来から来てもその点では苦戦することだろう。
- まず、歴史の知識だってどれだけあるかもわからない。仮にあったところで、結局は4.になる。
- というわけで、未来人が過去に戻っても社会の趨勢に大きな変化を及ぼすことはまあないだろうと思われる。もし仮にタイムマシンができたとしても、安心してほしい。
- なお、これは概ね異世界転生にも言えることだ。変なことを考えず、おとなしくこの世の生活を満喫しておくべきだ。
馬名の「○○オー」はマンノウォー由来説[編集 | ソースを編集]
- 語尾にオーがつく競走馬は日本に多数いますが、その由来は米国史上最高の競走馬・マンノウォーではないかという説。
- 元祖「○○オー」はおそらく1948年のダービー馬であるミハルオー。
- ひょっとしたらもっと前にもいるかもしれないが、大レースを制したのはこの馬が最初。
- 「○○オー」が広まったのもミハルオーにあやかってのことと思われる。
- ひょっとしたらもっと前にもいるかもしれないが、大レースを制したのはこの馬が最初。
- ところで、ミハルオーの祖父はマンノウォーなのである。
- ゆえにマンノウォーの「ォー」から語尾の「オー」をもらってきた可能性は十分ある。
- これなら「オウ」じゃなくて「オー」なのも納得。
- 占領統治下で「ウォー」をそのまま持ってくるのは憚られたというのもありそう。
- ゆえにマンノウォーの「ォー」から語尾の「オー」をもらってきた可能性は十分ある。