もし「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が○○だったら
もしあの番組が○○だったら > テレビ東京系 > ローカル路線バス乗り継ぎの旅
- 放送後3か月間は当該回の内容を追加しないでください。
- 各回の内容については放送順で。
ルール全般[編集 | ソースを編集]
現在でもバスが存在しない区間でタクシーが使えたら[編集 | ソースを編集]
- この項目は太川蛭子の新シリーズが始まる前に設置されたものです。
- 徒歩が減るので太川陽介と蛭子能収のコンビは25弾以降も健在だった。
- 10弾の日和佐~牟岐や15弾の及位~横堀は間違いなくタクシー移動だった。
- それでも17弾のしまなみ海道は高速道路のため橋は徒歩で渡らなければならない。
- 21弾と25弾のリベンジ企画もやっていた。
バス車両だが他の交通機関扱いになる路線に乗れなかったら[編集 | ソースを編集]
過去に鉄道の不通区間の代行バス、JR線として扱われているBRTに乗車した事があります。
- バスなのに乗れないという悲劇が続出する。
- 東北の回(特に太平洋沿岸)が想像を絶する苦戦を強いられる。
施設の送迎バスが使用可能だったら[編集 | ソースを編集]
- 「送迎バスが施設利用者であれば使用可能なこと」「同区間を走る路線バスが存在しないこと」「送迎バスが高速道路を通らないこと」「その施設に立ち寄ること」を条件に送迎バスを使える特例が存在したら?
- なお、「住民の善意による送迎」は許可されている模様。
- 19弾では宿の送迎でバス不通区間を通過したが、Z3弾では宿の送迎を呼びましたが前日の徒歩区間の途中からのスタートとなりました。
- 例えば駿河健康ランドの送迎を利用すればさった峠を越えることができる。
- ただしこの場合、由比駅までは路線バスを使わないとならないことになっていた。
- 一応、「施設の存在を知っているかどうか(住民や案内から教えてもらえるか)」も条件には入りそう。
- 果たしてこれをローカル「路線バス」の旅と言えるかどうかは…
デマンドバスが使用可能だったら[編集 | ソースを編集]
- デマンドバスは過疎地などで存在するが、事前予約が必要。しかし住民専用かどうかは地域によって分かれる模様。
- 場所によっては徒歩区間が大きく減っていた。
- 予約制という性質からして、その日の移動パターンが大きく制限されていた。
- 例えば「朝9時にバス運行、前日17時までに予約必要」な場合、「前日16時までに到着→デマンドバスのルートを知る→デマンドバス出発の地点まで進んで宿泊→翌朝9時に移動開始」となっていた。
- 現にバスの廃線・デマンド化が進んでおり、今でも蛭子太川ペアであれば検討くらいはされていたと思われる。
- さすがに「住民専用バスに乗車」となったらネット上で大騒動になっていた。
路線バス以外の車は使用禁止だったら[編集 | ソースを編集]
宿に泊まるときなどに送迎の車を利用できることがあるが、OPで使用して問題になったりこのルールはまちまちだったりする。
- 宿泊するときはその宿に向かうバスがない場合、徒歩で行かなければいけなかった。
- 第13弾は夜間に徒歩で上越国境を渡らなければいけなかった。
- 第13弾は失敗していた。
- 夜間の徒歩移動の危険防止のため、1万円までタクシー利用可能のルールが早めに導入された。
太川・蛭子時代[編集 | ソースを編集]
2弾(日本橋~三条大橋)[編集 | ソースを編集]
- ゴールできるルートが存在したら
- この回はネット上でのちに四日間ではゴールできないのではと言われました。
- ネット上でゴールできるルートがないと突っ込まれることはなかった。
- それでも成功する可能性があることと番組でゴールできるかは別の問題。
7弾(青森~新潟)[編集 | ソースを編集]
- パチンコ屋に寄らなかったら
- なお、4日目に府屋だったとしても中条まで歩けばゴールは可能とのこと参照。
- 最終バスに間に合い宿泊場所に余裕で泊まることができた。
- この場合でも平木田からのバスに乗るとゴールできなくなる。
- パチンコ屋に寄ったらゴールできませんよ。は言われなかった。
- パチンコ屋に寄ったらゴールできませんよ。はこれがきっかけなので。
- 令和にやっていたら
- 2017年10月以降にやっていたらとします。
- 中条から新発田のバスが廃止されたので太川蛭子なら間違いなくタクシーで行っていた。
- 羽田田中なら徒歩で行かなければならないので過去最長の徒歩になっていた。
- このため新発田で運命が決まり最終バスに間に合えばゴール、間に合わなければ失敗となっていた。
8弾(京都~出雲)[編集 | ソースを編集]
- 放送がお蔵入りになっていたら
この回の直前に東日本大震災が発生し最悪の場合お蔵入りも考えましたが。
- 9弾を8弾として放送していた。
- 鳥取砂丘はこの番組で取り上げられることがなかった。
- それでも太川蛭子の間に最低1回はやっていたと思われる。
10弾(徳島~室戸岬~足摺岬~今治~鳴門)[編集 | ソースを編集]
- 今治行きの到着が遅れなかったら
- その日のうちに新居浜に行けるので成功できていた。
- いや、最終日のコミュニティバスの乗り継ぎで、三豊総合病院で降りず観音寺まで行ってしまったことの方が影響していると思います。
- 令和にやっていたら
- 2019年3月16日以降にやっていたらとします。
- 日和佐~牟岐は高速バスで行けるのと小松~新居浜の終バスが遅くなったため成功できる可能性が高まっていた。
11弾(高松~伊勢)[編集 | ソースを編集]
- 高速バスに乗れなかったら
史実では高速バスで大鳴門橋と明石海峡大橋を渡っていますが高速道路と見なされて乗れなかったら。
- 徳島~和歌山は特別にフェリーの利用が認められた。
- 21弾とは異なり潮岬まで行かずにすむので和歌山から21弾と同じルートで行っても余裕でゴールできていた。
- JR代行バスに乗れなかったら
- 伊勢奥津~家城はバスがないため徒歩を余儀なくされていた。
12弾(松阪~松本)[編集 | ソースを編集]
- 瑞浪でコミュニティーバスを見つけられなかったら
- 明智から先はバスがないため相当な徒歩を強いられることになりゴールできなかった。
- このため最後でメダルをもらうことはなかった。
- 中津川で馬籠行きのバスに間に合わなかったら
- 案内所に戻ってじっくり聞き込んだ結果、加子母・下呂・高山経由のルートを教えてもらえたと思われる。
- 3日目の午後でゴールできるルートが判明し、出演者は楽だが尻すぼみの駄作回と呼ばれていた。
13弾(新宿~新潟)[編集 | ソースを編集]
- マドンナが田中律子で無かったら
- 三国峠越えはどうなっていたのだろう?
- 現在でも再放送されていた。
- 令和にやっていたら
- 太川蛭子なら三国峠は間違いなくタクシーで移動していた。
- 羽田田中なら徒歩は危険だとして送迎を要請していた。
14弾(名古屋~禄剛崎)[編集 | ソースを編集]
- 直接岩倉に行っていたら
- 同じところを3回も通らずに行けるのでタラガトンネルをその日のうちに通っていた。
- 翌日のぎりぎり乗り継ぎもなく余裕で高山まで行けた。
- タラガトンネルで…
- 高畑温泉が休みでなかったら
- タラガトンネルを送迎で越えられるのて安全面でも優れていた。
- 宇留良からのバスに余裕で乗れていた。
- 宇留良からのバスに間に合わなかったら
- 徒歩で郡上まで行っていた。
- その日のうちに高山まで行けずゴールできたとしても夜になっていた。
15弾(米沢~大間崎)[編集 | ソースを編集]
- 初日に仙台に行っていたら
- 余裕でゴールできていた。
- 野辺地でもっとゆっくりできていたかもしれない。
- 大館に行っていたら
- 矢立ハイツ行きのバスに間に合いその日のうちに青森県に入ることができゴールできていた。
- さとう珠緒の悔しがる姿を見ることはなく喜びの姿を見れていた。
- ただしその場合十和田湖を経由しないためさとう珠緒の迷言「湖畔の女」は生まれなかった。
16弾(館山~会津若松)[編集 | ソースを編集]
- 太田に行っていたら
- 3日目に郡山に行くことができゴールできていた。
- 西那須野でバスに乗り遅れなかったら
- その日のうちに追分に行けるのでそこで送迎をお願いしていた。
- ゴールの希望も少しあった。
17弾(山口~室戸岬)[編集 | ソースを編集]
- 西条方面に向かっていたら
- 寒風山トンネルでは徒歩は危険だとして木の香温泉に送迎バスを要請していた。
- 民宿ではないので蛭子能収の下着も洗うことができたかも。
18弾(御殿場~直江津)[編集 | ソースを編集]
- 上越高田の本町4丁目で途中下車していなかったら
- ゴールまでの距離が最も短い失敗となっていた。
- 最後の最後で失敗となるため悔しさも半端ではなかった。
19弾(大阪~金沢)[編集 | ソースを編集]
- 工事が無かったら
- 送迎やロケ車を使わずに徒歩で次のバス停に行くことができた。
- ロケ車を使わないので徒歩の距離が長くなりマルシアはリタイアしていたかも。
20弾(洞爺湖~地球岬~襟裳岬~納沙布岬~羅臼)[編集 | ソースを編集]
- 根室早着が無かったら
- その日のうちに納沙布岬に寄ることができなかった。
- 太川陽介と蛭子能収のコンビでの最速記録はこの場合17弾だった。
- むしろ、納沙布岬行き最終で、岬に行き、岬で宿の予約を入れ、岬から宿の送迎を頼んだかもしれない。
21弾(堺~潮岬~鳥羽)[編集 | ソースを編集]
- 特急バスに乗っていたら
- その日のうちに潮岬を折り返した後の新宮から先に行くことができゴールできていた。
- 史実では那智勝浦と潮岬を結ぶバスが放送直後に廃止されたので番組どおりのルートでは現在はゴールできなくなっている。
22弾(偕楽園~善光寺)[編集 | ソースを編集]
- 古河から新古河駅を目指していたら
- このルートなら2日目に安中、3日目に上田まで向かうことが可能だった。
- 但し、栃木県を回避し埼玉県を経由するため、栃木県民からネット上でなんか言われていたかも。
- 小山に行かずに板倉東洋大駅に行っていたら
- 断念した上田に3日目に着くのでそこから18弾の3日目と同じルートで行くことができゴールしていた。
- 徒歩が史実より短くなるので出演者は疲れなかった。
23弾(青島~高千穂~別府~グラバー邸)[編集 | ソースを編集]
- 収録が2日以上遅かったら
史実では3日目の夜に熊本地震の前震が発生しましたが熊本に入る前に地震に遭遇したら。
- 熊本の路線バスが壊滅的な被害を受けたためゴールはおろかバス旅どころではなかった。
- おそらく中断されていただろう。
- 収録が3日遅かった場合熊本地震の本震に遭っていたため蛭子能収はここで帰らぬ人になっていた。
24弾(錦帯橋~天橋立)[編集 | ソースを編集]
- 三次に行っていたら
- 広島からは17弾と全く同じにならずにすむので新鮮な感じで見れていた。
- いずれにしても鳥取県内の長い徒歩は避けられなかった。
- 羽田田中ならまだしも太川蛭子ならタクシーで移動していた。
25弾(会津若松~由利本荘)[編集 | ソースを編集]
- 新庄から北に行っていたら
15弾では新庄から横手に行っていますが。
- 15弾と違い冬なので長距離徒歩が大変となっていた。
- このルートだと17弾・24弾と同様過去のルートと全く同じであるためその通りに行っていた。
- 長距離徒歩が勝敗を分けていた。
- 最終日が土曜日で無かったら
- 断念した余目から先のバスがまだあったのでゴールできていた。
- 太川陽介と蛭子能収のコンビは有終の美を飾れていた。
- この場合2019年5月に放送された新シリーズ第一弾は別のコースになっていた。
- 太川陽介と蛭子能収のコンビは有終の美を飾れていた。
- 余目から歩いて酒田に行っていたら
- 酒田からの最終バスにぎりぎり間に合っておりゴールできていたかもしれない。
Z(田中・羽田時代)[編集 | ソースを編集]
特別編(熱海~金沢)[編集 | ソースを編集]
- 御野立口からのバスがなかったら
- 塩尻まで歩いていた。
Z1弾(下田~師崎港)[編集 | ソースを編集]
- 上野間で断念していたら
- Zシリーズはいきなり失敗となっていた。
- 羽田田中のコンビは新シリーズになって失敗からスタートしていた。
Z2弾(富士山~那須岳)[編集 | ソースを編集]
- 道志方面に向かっていたら
- 一日目に川越まで行けるので成功する可能性が非常に高かった。
- 二日目に川越から鴻巣を通って加須へ行きそこから史実と同じルートで行ってもゴールできていた。
- 川越での行先が○○だったら
- 鴻巣
- 鴻巣から加須に徒歩なしで向かえていた。
- 沿道の騎西城についても何らかの解説が行われていた。
- 桶川
- 菖蒲→久喜までは簡単にいけるが、そこからが難しそう。
- 菖蒲からは歩くしかなかったか?
- 東松山
- 2日目に熊谷・鴻巣のどちらに進むか決断が迫られていた。
Z3弾(松島~白神山地)[編集 | ソースを編集]
- 仙台に向かっていたら
- そこから25弾か15弾と全く同じルートで行ってゴールできたら太川陽介と蛭子能収のコンビを別のコンビながらもリベンジを果たしていた。
- 二ツ井駅からのバスに間に合わなかったら
- 能代からの最終バスに乗ることができず史実通りなら史上初の3連敗になっていた。
Z4弾(岐阜城~鳥取砂丘)[編集 | ソースを編集]
- 彦根に向かっていたら
- 米原から彦根はバスがないので送迎を利用して彦根で宿泊していた。
- 小浜から歩いて西に行っていたら
- 次のバス停まで20キロもあるため歴代最長の徒歩となり疲労も半端ではなかった。
- ロケ日が月・水曜であれば鯉川線が走っているので鯉川(加斗駅のもう少し先)まではいけたが、そこからでも10kmくらいはある。
- ただ、高浜から舞鶴行きはあるので県境越えはできる。
- 舞鶴→大江→天津出合→福知山で合流することも可能だし、5kmほどの徒歩を挟むが24弾の逆ルートで与謝野から出石に出ることも可能。
- 和田山玉置でバスに乗れていたら
- 湯村温泉からの最終バスに間に合いゴールできていた。
Z5弾(徳島城~丸亀城~松山城~宇和島城~高知城)[編集 | ソースを編集]
- 高松空港に行くバスを見つけられなかったら
- バス網が壊滅的になっている香川県では相当苦戦を強いられた。
- 丸亀にその日のうちに着くのは無理だったと思われる。
- 結果的にゴールできなかったかもしれない。
- 善通寺から琴平に歩いて行っていたら
- 琴平から10弾の逆ルートで行った場合徒歩が大幅に短くなり川之江からかなり先に進むことができた。
- 宇和島城を3日目のうちに行くことができプレッシャーを軽減できた。
- 日吉に行っていたら
- 高知城にもっと早く行けるのでハラハラドキドキの展開にならずつまらなくなっていた。
- 別の番組で宿泊した農家があいさつに来たついでにデコポンをもらうこともなかった。
- もし太川蛭子ペアのままなら中村を回避していた可能性がある(10弾の大野見~窪川の本数の少なさを知っているため)。
- また高知で一度梼原行きが登場しており、最悪日吉から梼原まで行ければ(蛭子さんの体力では徒歩突破は難しいと思うが)ゴールが見えたと思っていたはず。
- 高知城の門が閉まっていたら
- せっかく目的地に着いたのに失敗となっていた。
- このためお通夜状態になっていた。
Z6弾(奈良~高山)[編集 | ソースを編集]
- 下呂から一発で行けなかったら
- さらにハラハラドキドキの展開になっていた。
- ゴール寸前で失敗となっていたかもしれない。
Z7弾(塩釜~石巻~釜石~八戸~恐山)[編集 | ソースを編集]
- 気仙沼から内陸に行っていたら
- どうやっても釜石に行けなくなるため行けたとしても八戸あたりで断念していた。
- 3日目に陸中大野まで行けていたら
- 余裕で十和田の乗り継ぎができゴールしていた。
- 十和田行きのバスが遅れなかったら
- 十和田の乗り継ぎがうまくいっておりゴールできていた。
Z8弾(境港~平戸)[編集 | ソースを編集]
- 初日に南に向かっていたら
- 2日目に萩まで行けるためそこから史実どおりのルートで伊万里に行ったとしてもゴールできていた。
- 博多から海沿いに行っていたら
- 途中に長い徒歩があるため疲労が半端ではなく歩いて到達してもバスはないためゴール出来なかった。
- 佐賀での行先が○○だったら
- 武雄温泉
- そこから嬉野温泉に行けばバスはまだあったためゴールできていた。
Z9弾(野島崎~大内宿)[編集 | ソースを編集]
- 栃木県を経由していたら
- 大宮から那須野を通って南会津に抜けていた。
- こうなるとゴールできたかどうかは怪しいので3回連続の失敗となり田中・羽田コンビは解散していた。
- 里川に行っていたら
- 徒歩を最小限に抑え白河に早く着くので史実どおりのルートで行った場合余裕をもってゴールできていた。
- 最後の劇的な展開にならずつまらなくなっていた。
Z10弾(越後湯沢~山形)[編集 | ソースを編集]
- 福島県に行っていたら
- 喜多方までは行けるがそこからはバスがないためゴールできなかった。
- 伊呉野でバスに乗れなかったら
- その日のうちに鶴岡まで行けずゴールが絶望的となっていた。
- 新庄駅まで行っていたら
- 終バスの乗り継ぎにならないためハラハラドキドキの展開にはならなかった。
Z11弾(別府~日南~鹿児島~阿蘇)[編集 | ソースを編集]
- 初日が日曜でなかったら
- 蒲江~波当津のバスがあったので次の日に日南まで行け余裕を持ってゴールできていた。
- 初日が月曜であった場合日南には火曜の夜に到達でき串間のコミュニティバスに乗ることができゴールできていた。
- 幸島行きのバスに乗っていたら
- 最終日にバスがごとごとくつながるためゴールの可能性があった。
- 野宿が可能だったら
- 初日にこの道を通るルートが見つかれば初日が日曜でなかった場合と同様日南に次の日のうちに着けるのでゴールしていた。
- ただ宿がなく途中のキャンプ場も営業時間が終わっているため野宿をするハメとなる。
- なので「野宿が可能だったら」とした。
- ただ宿がなく途中のキャンプ場も営業時間が終わっているため野宿をするハメとなる。
Z12弾(加賀温泉~伊勢神宮)[編集 | ソースを編集]
- 2日目に近江長岡まで行っていたら
- そこからのバスはなく宿もないから間違いなく送迎を利用していた。
- 次の日は関ケ原からのスタートになるため桑名には早く着いておりゴールできていた。
- 時行きのバスに乗っていたら
- 翠明院まで歩けばゴールできる可能性があったもののそれを知らない一行は迷ってしまいゴー ルできなかったかもしれない。
- 空港アクセス港線を見つけていたら
- 津から津なぎさまちを徒歩で行ったとしても最終に間に合わずゴールできないことに変わりはなかった。
Z13弾(大宮~黒部)[編集 | ソースを編集]
- 出発地が異なっていたら
- 横浜
- 連敗中の一行にバス旅の原点に戻って一からやり直しなさいというようになっていた。
- ルートは横浜~三ヶ木~道志~甲府~富士見~塩尻~松本~平湯温泉~富山~黒部か。
- 太川蛭子時代の初回や第18弾、特別編の映像もよく流れていた。
- 熱海
- 富山までは特別編と同じように行っていた。
- 特別編の映像も流れていた。
- 東京都内
- 朝一番に出発して成増を経由すれば大宮に行けるのでうまくいけば2日目に佐久平まで行けた。
- 上田から長野方面に行っていたら
- 白馬~糸魚川のバスが使えたらゴールできていたが使えなかったら平岩~根知にはバスがないためゴールできなかった。
- このため打ち切りになっていた。
- 高山まで行っていたら
- 最終日はもっと早く出発できるので最後のバス探しに苦労せず余裕でゴールできていた。
- 最後のバスが見つけられなかったら
- 目的地に着いたのに失敗となっていたのでこのシリーズはこの回で終了となっていた。
「太川蛭子の旅バラ」版[編集 | ソースを編集]
旅バラ2弾(高尾山~諏訪湖)[編集 | ソースを編集]
- 相模湖から三ヶ木に行っていたら
- そこから一番最初の回や特別編と同じルートで行ったらゴールは確実に行けていた。
- 下教来石から特別編のように行っていたら
- タクシーでは合計一万円になるためそこから歩いたとしてもゴールできなかった。
旅バラ4弾(札幌~網走)[編集 | ソースを編集]
- 富良野を通っていたら
- 富良野から幾寅はバスがないため西達布からはタクシーで幾寅に行っていた。
- 日高を通っていたら
- このルートなら網走に2日目のうちに着いてしまうため幾寅に寄っていたかもしれない。
旅バラ5弾(高田城~東尋坊)[編集 | ソースを編集]
- 2日目に井波まで行けていたら
- 井波はもっと早く出発できるので最終バスに間に合ってゴールできていた。