もしあのゲームハードが発売されなかったら

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任天堂[編集 | ソースを編集]

ファミリーコンピュータ[編集 | ソースを編集]

任天堂が発売し世界的ヒット商品となりゲーム市場の基礎を作ったファミコン。

仮に任天堂がアーケード事業(当初はあった)に専念し、ファミコンが発売されなかったら!?

  1. とりあえずMSXが長きに渡りゲーム業界に君臨する。
    • MSXに参入しなかったNECが、史実通りにPCエンジンをリリースするも、ゲーム業界ナンバー2(またはそれ以下)の地位に甘んずる。
    • SEGAメガドライブも同じぐらいの地位かな?(サターンになると少し巻き返すかも)
  2. 当然DSも存在しなかった。
    • それ以前にゲームボーイが無かったと思う。
    • おそらくゲームウォッチが存続して高機能化するので、結局ゲームボーイは出るのでは。
  3. それ以前に家庭用ゲームが存在しなかった。
    • セガの「SG-1000」家庭用ゲーム機の先駆けになっていた可能性もある
    • (「ファミコン」と「SG-1000」の発売日は同じ7月15日)
    • 最も「SG-1000」の独占になった場合、マークⅢの発売が遅れ上記の様にMSXが天下をとった可能性も否定出来ない
    • 意外とアタリ2600の後継機種が日本でブレイクしたかも。
  4. 1980年代のTVゲームブームは起こらず、1990年代中盤のプレイステーションによって初めてテレビゲームの存在が認知される。
    • 上記のMSXが天下をとっていた場合SCEはMSXメーカーになっていた可能性も
  5. ドラクエはこの世に存在しなかったかもしれない。
    • いやPC-8801で出たと思う。堀井氏の前作のポートピア連続殺人事件はPC-8801で出たから。
  6. いずれにしろ日本におけるパソコンの普及は史実よりずっと早かったと思う。
  7. ファミコンといえばシャープのオーブンレンジのことだった。
    • もともとファミコンはシャープのオーブンレンジの略称として商標登録されていた。
      • つまりゲーム機としての任天堂のファミコンが出なければファミコンの商標は今でもシャープのものだったはず。

ディスクシステム[編集 | ソースを編集]

ディスクシステムは当時高価だった半導体の代りという意味合いで発売されました。

その後半導体の大容量化・低価格化やバッテリーバックアップ機能の実現、そしてディスクの弱点が指摘されて、平成に入るころにはもう衰退していましたが、もし半導体の大容量化・低価格化等がもっと早く進んでいて、ディスクシステムが発売されなかったら…

  1. 当然、ディスクライターやツインファミコンは存在しない。
  2. 「ディスクでしかプレーできないソフト」も存在しないので、プレイ環境が整えやすくなるかも?
  3. 64DDは世に出なかった(といってもNINTENDO64の歴史にに影響を与えたとは思えないが)。
  4. 「スーパーマリオブラザーズ2」は最初からROMカセットで発売されたので、もっとヒットしていた。
    • そのためあまりマリオコレクションが売れなかった可能性もある。
  5. ゲームキューブのメニューBGMが違っていたかもしれない。
    • ゲームキューブのメニューBGMを16倍速するとディスクシステムの起動音と同じメロディーになるそうです。
  6. 任天堂はロムカセットに固執し続けることはなかったかもしれない。

スーパーファミコン[編集 | ソースを編集]

ゲーム市場の基礎を作ったファミコンの続編という意味合いで発売されたスーファミでしたが、これがもし存在しなかったら…

  1. 任天堂も早い段階でCDを媒体に採用していたかも。
  2. PSの天下もなかった可能性も。
    • 逆にPSが現実よりも早く登場していたかもしれない。
    • サテラビューは存在しなかった。

ゲームボーイ[編集 | ソースを編集]

開発当初は「今更モノクロのゲーム機か」と言われるのを恐れて社内でも極秘のうちに開発を進めていた部分がある挙句、「DaMeGame(ダメゲーム)」から開発コード"DMG"が決定したという噂すらある、散々な誕生秘話を持つゲームボーイ。後にポケモンで大復活・大躍進を遂げ、その後の任天堂の戦略にも影響を与える存在の一つとなったゲームボーイですが、もし開発時に「そんなものは売れない、作っているヒマがあるならスーパーファミコン開発に回れ」などと言われて開発中止になっていたら…

  1. ゲームボーイアドバンス、ひいてはニンテンドーDS・3DSも誕生していなかったのは確実。
    • かわりにセガかソニーが90年代に携帯用ゲーム機を開発していたかも。
      • そのあとになってようやく任天堂も携帯用ゲーム機を発売した。
  2. シャープの液晶テレビ開発が数年は遅れていた(ゲームボーイ用液晶の開発で、シャープの液晶技術が飛躍的に高まったという説もあるらしい)
  3. 初代ポケモンはスーファミで発売されていた。
    • ただし、ヴァージョンは1種類だけ、通信機能無しなど、大幅に内容が異なっていた。
    • おそらく大ヒットしなかっただろう。
    • サテラビューと同時発売されていて一応通信はできるようになっていた。
  4. 星のカービィの第1作目はファミコンで発売されていた。
    • 「2」はスーファミで発売。
    • おそらく「2」「3」はナンバリングではなくサブタイトルになっていた。

ニンテンドーDS[編集 | ソースを編集]

  1. 任天堂はゲームボーイアドバンスの後継機を出していた。
  2. 脳トレブームも起きなかった可能性が高い。
    • 川島隆太教授の知名度は史実より下がっていた。
  3. 普段ゲームをしない層はゲームに触れる機会からますます遠ざかっていた。
  4. 当然、ニンテンドー3DSも存在しない。
  5. すれちがい通信は存在していなかっただろう。
    • ドラゴンクエストIXがすれちがい通信のプレイヤー人口でギネスに登録されることもなかったか。
  6. 携帯機市場が史実ほどの規模になっていたかどうかは微妙。

NintendoSwitch[編集 | ソースを編集]

  1. 任天堂はWiiUの大失敗で家庭用ゲーム機から撤退ということになっていた。
  2. ジョイコンはもちろん、ニンテンドーラボもない。
  3. 実は「携帯できるゲーム機」というのが完全消滅することになる。
    • ゲームは室内でやるものになっていた。
  4. PS4は史実以上の売り上げになる。一方XBOXはサードを呼び込めず海外でも苦戦する流れになるか。
  5. ミニファミコンやミニスーファミのようなものは一応発売されていた。しかし次につながらず。
  6. (スイッチではない)3DSの後継機は出ていた、という場合はおそらくその機種は二画面を継承していた。

SCE[編集 | ソースを編集]

プレイステーション[編集 | ソースを編集]

94年に発売され大旋風を巻き起こし天下を取ったプレイステーション。その発売の過程は容易では無く久多良木氏がやっとの思いでソニー本社のOKを貰いSCEが結成されPSが発売されたのである。

だがもしも、久多良木氏にOKが出ずSCEが結成されずPSも発売されなかったら。

  1. 64でバイオハザードが出るもスクウェアがロムカセを嫌がってSSでFFⅦは発売される。
  2. ドラクエも一番売れているハードで発売する事なのでSSで発売
  3. 任天堂は史実どおりポケモンを大ヒットさせ、携帯機の覇権は握る。
    • セガはゲームギア以降凍結していた携帯ゲーム機の開発を再開するが、こちらは歯が立たず。
  4. サードはSSの高い開発費のままゲームを作らざる追えなくなるので実史よりも早く業界再編が起こっていた。
    • 例えば「カプコンSNKプレイモア」とか「コーエーファルコム」とかが誕生していたかも知れない。
  5. SS市場が順調に立ち上がるのでドリキャスは発売は遅れる遅くとも01年ごろ
    • 当初に予定されていたSSとDCの互換性も多分ある。
    • ただし仮に無かったらGCの天下(発売1年以内ならば)になってしまう。
  6. ソニーは自社のゲーム部門をカプコンかナムコに売却していた。
    • 当初の計画通り任天堂のハード下請けをやり、PSがニンテンドー64としリリースされたかも。
    • だとしたらGCのディスクドライブかチップはソニー製になっていたかも知れない
  7. ゴルフゲームの代表格はみんなのゴルフではなくマリオゴルフになっていた。
    • 何回か他社メーカーがリアルなゴルフを試すも皆失敗に終わる。
  8. NECのPC-FXがセガのセガサターンを倒しFXがプレステの地位に収まる
    • それは無い、当時ポリゴンゲーがブームでポリゴン処理能力を持ってないFXは厳しいと思う
    • それなら64が天下とっていた可能性の方が高いかと
      • ちなみスクウェアはソニーとセガの誘致合戦でFFⅦはPSとSSのどちらかで発売するか考えたそうだが、その理由はPSの方が綺麗だったから
      • 序にPSが無かったらFFⅦが64で発売されると考える方も居るが、それはあり得ない、何故なら大容量であるFFⅦは当時のロムカセで扱うのは事実上不可能だったから(FFⅦがPSで発売された理由の一つ)
        • はたしてFF7はどのハードで発売されていたのだろうか…
          • SSといいたいところなんだがポリゴン処理能力には疑問符が付く。2D処理能力ならば当時はFXと並び最高峰だったんだが。
          • 可能性があるとしたら実は3DO。これは当時のハードの中でPS以外では大容量・ポリゴン描写能力ともに合格ラインと言える唯一のハード。
  9. 実はpsと同時期にナムコはゲーム機を自社で開発していたのだが(すでに試作機は完成していた)PSのプロトタイプを見て断念、したので案外ナムコが天下を取っていた可能性もあるかも?
  10. 今から家で3DOやろうぜという声が少なからず出てたかも
  11. 下手すれば久夛良木氏のキャリアにも影響が出ていたかもしれない(ストリンガーが会長に抜擢しなかった、など)。

プレイステーション2[編集 | ソースを編集]

  1. それでもセガはシェンムーの失敗で史実通りハード事業から撤退していた。
  2. DVDの普及が史実より遅れていたかも。
  3. 最終的にゲーム機戦争は任天堂VSマイクロソフトの一騎討ちに。

SNK[編集 | ソースを編集]

ネオジオ[編集 | ソースを編集]

  1. 対戦格闘ゲームはカプコンの一人勝ちに。
    • もしくはデータイーストかナムコが史実のSNKポジションに収まっていたか?
      • ナムコが2D格ゲーで覇権を握っていた場合、『ナックルヘッズ』以外にも2D格ゲーが作られていた。
    • その後はアークシステムワークスとのツートップに。
  2. アーケードゲームの完全移植はハードの性能向上を待つことになる。
  3. もちろん、「100メガショック」のキャッチコピーは生まれなかった。

ネオジオCD[編集 | ソースを編集]

1990年に登場したネオジオは、格闘ゲームブームに乗じてヒットしたが、業務用からのそのまま移植のためにROMコストが高く、その為ハードどころかソフトまでもが他ハードよりも余裕で高価であった。この対策として、SNKは提携によりハドソンから得た技術を元に、さらなる普及のためにネオジオCDを製作・発売した。もしも、SNKがネオジオCDを発売しなかったら…?

  1. ネオジオ作品の移植は基本的にセガサターンを中心に移植されていた。(セガサターンは元々2Dに強いのと、ドライブが倍速な上に拡張RAMカセットがあるため。)
    • 移植職人集団の「ゲームのるつぼ」が解散することも無かった。であれば、たぶん、SNKは移植を全部「ゲームのるつぼ」に任せていたと思う。史実では夢工房とかにも委託していたけど。

マイクロソフト[編集 | ソースを編集]

Xbox[編集 | ソースを編集]

セガがハード業界から撤退した2001年にアメリカで、2002年に日本で発売されたXbox。海外ではゲームキューブを上回る売上を見せたものの、日本市場ではGCどころか、PS2などの強力なライバル製品に太刀打ちできず、あまり売れませんでした。 もしマイクロソフトがXboxを発売していなかったら?

  1. 当然Xbox 360は発売せず、ブルードラゴンやアイマスなど一部のゲームはSCE系のハードで発売されていた。
  2. 任天堂はレア株をマイクロソフトではなくソニーに売却していたかも。むしろどこにも売却していなかった。
    • むしろ当初の予定通りレア社はアクティビジョンに売却されていた
  3. PS2の性能不足のためこっちで発売された鉄騎はGCで発売されるかお蔵入り。

セガ[編集 | ソースを編集]

ドリームキャスト[編集 | ソースを編集]

セガサターン不発の時点でハード業界からの撤退の話もあったようですが、仮にサターンの時点でハード業界から撤退してドリームキャストが発売されなかったら?

  1. シェンムーはPSで発売されていた。
    • ていうか史実ではドリキャスで発売していたソフトの多くは発売されなかったか、64かPSで発売されていた。
  2. インターネット接続をウリにしたゲームが出るのはずいぶん後になっていた。
  3. こんなCMが作られる事はなかった。
    • なので、「セガなんてだっせーよな」「プレステのほうが面白いよな」といったフレーズが生まれる事はなかった。

NEC[編集 | ソースを編集]

PCエンジン[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代後半~90年代前半のゲーム機戦争は任天堂vsセガの一騎打ちに。
  2. 家庭用ゲーム機で光学ドライブが搭載されるのが史実より遅れていた。
    • ついでにCD-ROMをゲームソフトとして採用されるのも史実より遅れていた。
  3. 当然、電撃PCエンジン(現:電撃G's magazine)も存在しなかった(元々はPCエンジンの専門誌であったため)。
    • なので、「シスター・プリンセス」や「ラブライブ!」などの読者参加企画は存在しなかった。