もしあのプロ野球選手が○○だったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
- テーマ別
- もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
- もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら
- もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら
- もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら
- もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら
- もしあのプロ野球選手があの記録を達成していたら
- もしあの選手の守備位置が○○だったら
- もしあのプロ野球選手がもう少し現役を続けていたら
- もしあのプロ野球選手にアクシデントがなかったら
あか行[編集 | ソースを編集]
さた行[編集 | ソースを編集]
G.G.佐藤[編集 | ソースを編集]
- 北京オリンピックで落球をしていなかったら
- 日本は間違いなく金メダルを獲得していた。
- 日本代表と韓国代表の立場が入れ替わっていた。
- 韓国で「ありがとう佐藤」が流行語になることは無かった。
- ネット上で「E.E.佐藤」などと揶揄されることはなかった。
- この年、本塁打は30本を超えていた。
- クライマックスシリーズ・日本シリーズにも出場していた。
- 「キモティーーーッ!」が流行語年間大賞になっていた。
- 「グ~!」や「アラフォー」に勝てるとは思えないが…。
- 2009年のWBC日本代表メンバーに参加していた。
- イタリアンベースボールリーグでプレーすることはなかった。
- 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で先生として出演することはなかった。
- 以降も契約で揉めた事が多く、「自費自費佐藤」や「ゴネゴネ佐藤」などと揶揄されている。
- それが原因で西武から他球団に移籍していたかもしれない。
- いずれにせよ若手は台頭したと思うが。
- それが原因で西武から他球団に移籍していたかもしれない。
多田野数人[編集 | ソースを編集]
- AVに出演していなかったら
- 2002年のドラフトで普通に横浜に指名されて、今頃は先発ローテの2,3番手くらいにいた。
- しかしそこはベイスターズ、炎上しまくって勝ち星には恵まれず。
- 2014年の時点ではすでに現役を引退していた可能性も。
- 当然のようにホモという疑いはかけられない。
- 出演しなかっただけで性癖が同じならば横浜の若手選手の数人は被害にあう可能性がある。
- 東スポあたりでそんな疑惑が取りざたされるも大して話題にされず。
- アメリカに渡る事もないので「ただのボール」も開発される事はなかった。
- 小宮山悟の「シェイク」、星野伸之の「素手キャッチ」も注目されない、もしくは記憶から薄れていた。
- 「怒り新党」で「ふしぎなボール使い」として紹介されることはなかった。
- ヴァン・ダークホーム(現実のTDNコスギ)の愛称はどうなっていただろう・・・
- おそらく「VAN様」という呼称が広く用いられていた。
- あるいは「VANコスギ」や「ダーク♂ケイン」といった史実と異なる名前になっていた。
- 下北沢の「あずま寿司」は閉店しなかった。
- 経営が傾いていたとすればやばり閉店していた。
- ニコニコ動画の荒らしが若干ながら減っていた。
- だがヤマジュンやレスリングシリーズがあるので結果ホモネタの需要は変わらない。
- なんJの定番ネタが減っていた。
- そもそもなんJ自体過疎板のままだった。
- 二岡がスキャンダルを起こさないか小笠原が日ハムに残留しない限りそれはないかと。
- 実際野球chのスレッド保持数削減(=なんJ移動の原因)はカッスレと二岡スレの乱立からと言われてるし。
- そもそも多田野の騒動がないならプロ野球板の日ハムスレがあらされず野球chに専門スレッドを立てる文化はなかったんじゃないかな。
- そもそもなんJ自体過疎板のままだった。
- レイザーラモンHGがブレイクしていない。
- それはあまりTDNと関係ない気がするが…。
- 真夏の夜の淫夢がネット上で知られることもなかった。
ニコニコ界隈では[編集 | ソースを編集]
- 真夏の夜の淫夢を始めとする淫夢動画(COAT,Acceed)は発掘されなかった。
- しかし誰かが「有名人がいる」と発掘してしまい、以後現状どおり。
- まあCOAT,Acceedにはほかにも有名人いっぱいいるからね、しょうがないね。
- それでも今のように煙たがられるほどに有名にはなっていなかった可能性も高し。
- まあCOAT,Acceedにはほかにも有名人いっぱいいるからね、しょうがないね。
- ただしTDNは別の人になっていた。
- 佐村河内やRevoがKBTITの同類呼ばわりされることはなくなっていたか。
- しかし誰かが「有名人がいる」と発掘してしまい、以後現状どおり。
- クッキー☆はただの東方の二次創作で終わっていた。
- 多分10万再生どまりだったか。
- しかし固定ファンはいるので2014年時点で50万くらいはいってたかと。でもミリオンいくのはもっと後。
- この声優の一人に殺人予告が来ることもなかった。
- これを企画した人にセクハラ疑惑がかかることもなかったので今も活動していた。
- 多分10万再生どまりだったか。
- ↑を始めとする風評被害作品が被害を受けていなかった。
- Aチャンネルも2期が制作されていた。
- いや、風評被害以外の問題もあるから史実同様OVAだけだと思う。
- スローロリスの知名度は今よりなかった。せいぜい「かわいらしい絶滅危惧種」として動物カテで扱われる程度。
- Aチャンネルも2期が制作されていた。
- 史実よりレスリングが煙たがれていた。
- まだ釣り動画の素材として使われている。
- くそみそも同じく。
- ただし運営側が強引に動画削除などの弾圧を行うことはなかった。
- しかしそのせいで「運営に庇護されている」と思われ、レスリングの用語を過剰に使うガキが「レスリング厨」呼ばわりされるなど反感を買われた。
- それこそレスリング以外のホモネタの動画を削除するようなことがあればなおさら。
- 結局叩きの対象が「淫夢」から「レスリング」に替わっただけかも。
- しかしそのせいで「運営に庇護されている」と思われ、レスリングの用語を過剰に使うガキが「レスリング厨」呼ばわりされるなど反感を買われた。
- ニコニコ動画ももっと平和だったか……と思ったがyoutubeからヒカキン信者が大量に入ってきてもっと荒れる。
- ニコ動の生放送重視の体制はますます加速していただろう。
- おそらくヒカキン関係の動画が過剰なまでにネタにされていたかも。
- 結局Syamu発掘以降は殆ど変わらなかったりして。
- 出演したAVがゲイ向けではなかったら
- 普通のAV(男性と女性が出演)に出演したという仮定です。
- 「AVに出演していなかったら」の場合と同様、ホモという疑いはかけられない。
- 当然「アッー!!」や「TDN」という言葉も存在しない。
- なんJでも史実ほどAV出演をネタにされることは無かった。
- ニコニコ動画の荒らしも若干ながら減っていた。
- どこかの球団にドラフト指名はされていたかもしれない。
- ただ、出演したAVの内容によってはなんJで変なキャラ付けをされていた可能性も無きにしも非ずか。それこそ変態的・SM的な内容だったら・・・。
田中将大[編集 | ソースを編集]
- もし2013年の連勝記録が途中で途絶えていたら
東北楽天投手・田中将大は2012年8月19日の対西武(6失点)で負け投手になってから、2013年11月2日に日本シリーズの対巨人戦(4失点)で負け投手となるまで、レギュラーシーズン・ポストシーズン通算で驚異の30連勝を達成、2013年レギュラーシーズンは開幕から24連勝を達成しました。ところが、2013年シーズンは24勝の内、チームがサヨナラを含む逆転したことによる勝ち星が10もありました。もし、チームの逆転がなく、田中投手に黒星が付いていたら?
- 黒星の数が極端に少なかったら
- 楽天のリーグ優勝は、実史の2013年9月26日ではなかった。
- 他は、ほぼ実史通りであろう。
- 黒星の数がそこそこだったら
- 楽天はクライマックスシリーズには出場するが、リーグ優勝できたかどうか?
- 楽天がリーグした場合でも、恐らく最終盤までもつれたか。
- 「楽天がリーグ」ではなく「楽天がリーグ優勝」なのでは?
- ロッテ、ソフトバンクor西武との団子レースになっていたかも。
- 黒星の数が10(チームの逆転が無かった)の場合
- 楽天がAクラスに入ったかどうか微妙なところ。
- 他が実史通りなら、チーム最多勝はルーキーの則本昂大。
- 2013年の沢村賞は、選考基準全てを満たしたオリックスの金子千尋。
- 金子の活躍でオリックスがAクラス入りしていたかもしれない。
- 翌年に「ニューヨークヤンキースへ移籍」など有り得なかった。
- その他
- 田中の妻・里田まいが再注目される事も無く、里田まいといえば未だに「おバカキャラ」のイメージのまま。
- 元ソフトバンクのエース・斉藤和巳と結婚したスザンヌと同じくらいに語られるだろう。
- 2013年の日本シリーズでは、展開によっては、(実史上で)田中が第6戦で完投した次の日(第7戦)にリリーフ登板した事に対し、アメリカの野球関係者などから『懸念』される事も無かったか?
- 2013年の日本シリーズ第6戦で負け投手にならなかったら
上にもある様に、この年の日本シリーズ第6戦の対巨人戦(Kスタ宮城)で、東北楽天投手・田中将大は、この年のレギュラーシーズン・ポストシーズン通じて、唯一の負けを喫しました。もし、この試合で、負けを喫しなかったら?
- 田中は、この年の公式戦負けなしの26連勝、前年から通算31連勝の前人未到の記録を達成。
- 2021年の日本復帰後も「どこまで日本記録を伸ばせるか?」が注目されていた。
- かつて15勝無敗を達成した間柴茂有も日本シリーズで敗戦投手になっている。なので「ポストシーズンも含めて無敗」になっていれば2リーグ制後史上初になっていただろう。
- 当然、この試合で楽天が日本一になるので、(実史上で)田中が『連投で第7戦にリリーフ登板』という事も無かった。
- 7戦目のリリーフが無いため、田中と星野の名場面がひとつ減るか、史実と違った形になる。また、9回に「あとひとつ」の大合唱に包まれながら田中がマウンドに立つ場面が無くなるため、この曲の知名度が少し下がる。
- 勝敗が付かなかった場合は…ほぼ実史通り?
ダルビッシュ有[編集 | ソースを編集]
- 高校を退学していたら
東北高校卒業直前にパチンコと喫煙により停学処分となり、卒業式に出席できないことがありました。もし高校を卒業できず退学処分になっていたら?
- 辻本賢人とともに中卒のプロ野球選手として知られていた。
- 「平成以降に入団した中卒のプロ野球選手は、ダルビッシュ有ともう1人は誰?(または辻本賢人ともう1人は…)」というクイズのネタにされていたかも。
- 間違いなく本人と日本ハムファンと宮城県の禁句の1つになっていた。
- 将棋の藤井聡太の高校退学のときはネット上で「ダルビッシュかよ」と言われ、藤井聡太とともにダルビッシュがトレンド入りした。
- chakwikiのこの項目に「2005年と2021年 著名な高校生アスリートが高校卒業直前に退学(2005年はダルビッシュ有、2021年は藤井聡太)」と書かれてしまっていた。
辻本賢人[編集 | ソースを編集]
- 高校に入学していたら
- おそらく「超高校級の投手」として話題を集めていた。
- そこまで注目を集めることはなかった。
- ただ、「NPB唯一の昭和64年生まれ」として一部に知られるくらいだった。
- どこに入学していたかにもよるが、斎藤佑樹や田中将大と甲子園で対戦していたかもしれない。
リチャード・デービス[編集 | ソースを編集]
- 大麻所持で逮捕、解雇されなかったら
- 近鉄はラルフ・ブライアントを獲得しなかった。
- シーズン終盤に西武を追い上げることができず、10.19もなかった。
- 翌年も西武、オリックスとの優勝争いに加われたか怪しい。
- 西武は1989年もリーグ優勝し、V10を達成していたか?
- 翌年も西武、オリックスとの優勝争いに加われたか怪しい。
- ブライアント自身も中日の外国人枠の関係で一軍に上がれず、史実のように大成はしなかったかもしれない。
- 打撃力を評価された近鉄以外の球団にトレードで移籍していたかも知れないが、それでも史実のような成績は残せなかっただろう。
- シーズン終盤に西武を追い上げることができず、10.19もなかった。
な行[編集 | ソースを編集]
中山裕章[編集 | ソースを編集]
- 強制猥褻事件を起こした後、そのまま引退していたら
- 横浜(→DeNA)の19番は封印されていた。
- 小桧山・戸叶・ギャラード・杉本・染田・藤江・山崎康晃の背番号は別の番号になっていた。
- いや、史実でも小桧山が(中山の球界復帰が決まる前に)自ら19番を志願して着用していたからそれはない。もっとも史実と同じくヤスアキが入団するまで「呪われた背番号19」扱いされることは確実だろうけど。
- 小桧山・戸叶・ギャラード・杉本・染田・藤江・山崎康晃の背番号は別の番号になっていた。
- 1990年代の中日の成績は史実より悪くなっていた。
- 1996年は最後まで優勝争いをすることもなく、3位に終わっていた。
- 強制猥褻事件を起こしていなかったら
- 1998年の横浜(大洋)の優勝に貢献していた。
- 2000年代前半ぐらいまでは現役を続けていた。
- この場合でも1990年代の中日の成績は史実より悪くなっていた。
- 「横浜ベイスターズ」じゃなくて「横浜ホエールズ」に改称されていたかもしれない。
- 史実では親会社の大洋漁業の主力事業だった商業捕鯨の規制が強くなっていたことと、中山の強制猥褻事件によるイメージダウンを考えての改称だったとされる。
中畑清[編集 | ソースを編集]
- 横浜DeNAの監督をやらなかったら
- 選手がやる気を出すことはなかった。
- 横浜DeNAが2013年、最下位を脱出することはなかった。
- 最悪の場合、横浜DeNAが消滅していた。
- 消滅というより、リーグが同じヤクルトに吸収合併されていたかもしれない。
- そして再び球界再編へ…。
- 1リーグ10球団ぐらいに再編されていた。
- 最悪の場合、横浜DeNAが消滅していた。
- 中村紀洋が問題行動を起こしても、2軍に落ちることはなかった。
- 日本テレビ以外の野球解説者をやる事は無かった。
- 尾花の後任の監督は誰になっていたのだろう?
- 史実でも監督候補に挙がっていた工藤公康か、二軍監督を務めていた白井一幸か…。
梨田昌孝[編集 | ソースを編集]
- 1987年のオフに現役を引退していたら
- 右肩の手術やアキレス腱痛もあり、同年オフに球団へ引退を申し出ましたが、新監督の仰木彬に慰留され翌1988年も現役を続行しました。
もし仰木監督の慰留が無く、そのまま現役を引退していたら…?
- 10.19の第1試合・9回表の勝ち越しタイムリーは無かったかもしれない。
- この回近鉄は勝ち越せず、この時点で西武の優勝が決まっていた。
- 直前のプレーで三塁をオーバーランしアウトになった佐藤純一と、本塁突入を指示した滝内弥瑞生コーチは近鉄ファンから戦犯扱いされた。
- おそらく9回裏は吉井理人が最後まで投げていた。
- この回近鉄は勝ち越せず、この時点で西武の優勝が決まっていた。
- 第2試合はただの消化試合になっていた。
- 勿論テレビ朝日が第2試合を中継することも無かった。
- 安部憲幸アナウンサーの「This is プロ野球!!」という名言も生まれなかった。
- 有藤の9分間の抗議も無いので、有藤は近鉄ファンから史実よりは嫌われずに済む。
- 勿論テレビ朝日が第2試合を中継することも無かった。
- 1989年に優勝できていたかどうか…。
西村健太朗[編集 | ソースを編集]
- 入場曲が「ハレ晴レユカイ」になっていたら
- 理解出来ない人はこちらへ
- 巨人軍の観客動員数が増加。
- そして西宮の地元チームのファンもこっちへ乗り換える。
- 地元の住民曰く「柄の悪い地元を応援するより西村のいる巨人を応援した方がいい」
- むしろあのアニメのアンチが飛躍的に増える予感がする…
- むしろ原作者が阪神ファンなので許諾を得られない可能性が。
- 意外とすんなり乗り換えたりしてw
- そして西宮の地元チームのファンもこっちへ乗り換える。
- 西村本人は麻生太郎のような存在になる。
- むしろ長島☆自演乙☆雄一郎じゃない?
- チーム主催ゲームで登板する度に踊るファンがいる。
- 後にホークスに移籍し、球場全体がメガホンダンスで踊るようになる。
- そうなった場合、入場曲をニャル子さんOPにしてペーニャ以上に注目される。
- この場合西村が内川と同じくホークスの名誉生え抜き選手扱いされている可能性も。
- そうなった場合、入場曲をニャル子さんOPにしてペーニャ以上に注目される。
- 後にホークスに移籍し、球場全体がメガホンダンスで踊るようになる。
- 勤労感謝の日に東京ドームで行われるファン感謝イベントでは2駅東の人らがやってくる。
- アニメに興味のない観客は理解不能という目で見ているが涼宮ハルヒファンは球場でニヤニヤしながら見ている。
- 巨人ベンチ側の外野席では、選手のユニホームを着る人よりコスプレイヤーの方が明らかに多い。
- 西村婦人の野添央子(めえこ)氏は今よりもっと支持されている。
- ここでは阪神叩きが日常茶番に。
- なんJから33-4やVやねん!文化が入ってきた頃に消滅。
- 毎年オールスターにファン投票で選出されている。そしてファンが踊る。
- 成績不振の年だと、97年の新庄みたいな扱いを受ける。
- 恐らく2009年にはエンドレスエイトでファンが激減したお陰でけいおん!のEDにしてしまったと思う。(そして生き残ったファンから総スカンを食らう)
- それじゃなければ2007年の時点でらきすたのOPにしてしまう。但しこちらの場合ハルヒファンは許していた(こなたも同じ類だったからなあ…)
- 西村はプロ野球選手における「アニソンのパイオニア」となっている。
- プロ野球の登場曲で普通にアニソンで登場する選手は今以上に増えている。
- ヤクルト押本ももっと早くアニソンを使っていた。
- 「巨人軍は紳士たれ」に反するので、西村自体が処罰トレードされていたかも。
- 二岡・林と共に日ハムへのトレードが有力か。
- そして後に西武へFA移籍。
- 二岡・林と共に日ハムへのトレードが有力か。
- 平野綾、茅原実里、後藤邑子の始球式が行われる。
- DeNA野川卓斗への注目度は史実より小さかった。
野村克也[編集 | ソースを編集]
- 伊東沙知代(サッチー)と出会わなかったら
- 少なくとも公私混同で監督を解任されることもなく、生涯南海ホークス。背番号19は永久欠番になっていた。
- 鶴岡一人氏とも絶縁状態にはならなかった。
- そうかぁ? 南海蔭山新監督急死騒動の頃には、すでに鶴岡監督とは縁切りを決めていたはず。
- 蔭山氏急死の時に鶴岡親分を見限ったって発言は、南海追放されてからの後付け。
- そうかぁ? 南海蔭山新監督急死騒動の頃には、すでに鶴岡監督とは縁切りを決めていたはず。
- なんばパークスのホークスギャラリーには、当然のごとく野村克也の資料も展示されていた。
- 鶴岡一人氏とも絶縁状態にはならなかった。
- 南海の暗黒時代は訪れず、本拠地が福岡に移ることもなかった。
- 団野村は野球と関係ない仕事をしていた。
- 野茂英雄や伊良部秀輝などの選手がメジャー入りしても違う進路を歩んでいたかもしれない。
- ヤクルトは依然として馴れ合い主義なチームのまま。
- 関根潤三の後は普通に若松勉が監督をしていた。1992年くらいは優勝できたと思うが…
- 最悪の場合ヤクルトがダイエーに球団を売却し、福岡に移転していた。
- そして2004年にソフトバンクに球団を再売却。
- 後任が若松なら問題無く優勝してたし安定して強かったろうな。野村が優勝できたのは土橋・関根が松園の「馴れ合い主義」を6年かけて片付けて基盤を作ってくれてたおかげだし。阪神見れば一目瞭然。
- ただその阪神は野村時代に赤星・藤本など若手を育てて基盤づくりをし、次の星野監督でリーグ優勝を果たした。
- 若松の手腕次第では日本ハムの北海道移転前後に監督就任していたかもしれない。
- 最悪の場合ヤクルトがダイエーに球団を売却し、福岡に移転していた。
- 関根潤三の後は普通に若松勉が監督をしていた。1992年くらいは優勝できたと思うが…
- 今の「つば九郎」の妹の名前が「つばみ」ではなく「スッチー」に…。
- サッチーは「ドーベルマン」ではなく「ブルドッグ」だった。
- サッチーのタレント活動もなく、逮捕されることもなかっただろう。
- 明石家さんまとテレビ朝日の絶縁もなかった。
- 浅香光代の知名度は現実より低く、「ミッチー」なんて呼ばれることは無かった。
- 「浅香」といえば浅香唯を思い出す人の方が多かった。
- カツノリは生まれなかった。
- 実兄とも絶縁状態にはならなかった。
- 鶴岡一人や南海球団と和解出来ていたら
- 引退後、80年代前半にホークスの専任監督として再登板していた。
- 後の王監督への「生卵事件」の際、南海ファンが掲げた横断幕は「杉浦監督再登板」じゃなくて「野村監督再登板」。
- 南海OB会長になっていた。
- 副会長は杉浦さん。
- なんばパークスのホークスギャラリーは、ノムさんをギャラリーの看板的存在として前面に出していた。
- 史実以上にレジェンド扱いされていた。
- 1980年代の南海の成績低迷はなかった。
- うまくいけばダイエーへの球団売却もなかったかも。
- 代わりに阪急がダイエーへ売却され、福岡へ移ったかも。
- うまくいけばダイエーへの球団売却もなかったかも。
- この場合、中百舌鳥に新球場ができていた。
- 大阪ドームがホークスの本拠地に。南海と近鉄が合併された上で楽天誕生。
- でも近鉄とオリックスの球団合併と同時期にソフトバンクに売却される。
- 「大阪ソフトバンクホークス」になっていたかも。
野茂英雄[編集 | ソースを編集]
- ドジャース移籍後の成績が期待外れだったら
- 日本人選手のメジャーリーグ挑戦は夢のまた夢になっていた。
- それでもイチローはマリナーズへ移籍していたかもしれない。
- アジア出身の選手の評価も史実よりかなり低くなっていた。
- 日本では「あの時近鉄に残留していれば…」という声が出てくる。
- 野茂自身はメジャーの球団を細々と渡り歩き、2000年代前半にひっそりと引退していた。
- 近鉄復帰は…退団の経緯を考えると絶望的か。
- それどころか日本球界復帰すらかなり厳しくなっていた。
- 近鉄復帰は…退団の経緯を考えると絶望的か。
- 日本野球のレベルは史実より大幅に低くなっていた。
- 少なくとも2006年と2009年のWBCでの連覇は無かっただろう。
は行[編集 | ソースを編集]
ランディ・バース[編集 | ソースを編集]
- あの時に戦力外通告を受けていたら
阪神で活躍したバースも1988年には長男の病をめぐって球団と対立し、その結果阪神を去る事になりましたが、それ以前にもバース解雇話が複数回持ち上がっていました。もしあの時バースが阪神から戦力外通告を受けていたら?
- 1983年シーズン途中に解雇されていたら
- 1985年は良くてAクラスだった。
- ストローターも育たず解雇の場合、暗黒時代入りが早まった。
- 1985年のドラフトでは、清原ではなく桑田を指名していたかもしれない。
- 安藤統男監督は1983年限りで辞任していた。
- シーズン最高打率は、イチローによって更新された。
- バースの名は一部マニアックだけにしか記憶されず、世間的には忘れ去られた。
- 阪神暗黒時代によく言われた「バースの再来」のネタは違う外国人選手になっていた。
- 1984年オフに解雇されていたら
- やはり1985年は良くてAクラスだった。
- その後安藤統男は叩かれていた。
- 吉田義男監督も誕生しなかった可能性も。
- やはりシーズン最高打率は、イチローによって更新された。
- バースの名は単発的な活躍助っ人として記憶された。
- この場合も阪神暗黒時代によく言われた「バースの再来」のネタは違う外国人選手になっていた。
- 1988年に退団しなかったら
- 前年すでに「バースが活躍しても最下位」だったことを考えれば阪神の低迷は免れなかっただろうが、1988年後半の成績は史実ほど悪くはなかっただろう。
- 年齢的に、活躍したのは1990年ぐらいまでか。史実で1989年に入団したセシル・フィルダーが例年のバースに匹敵する成績を残したことを考えれば以後の阪神の成績もそれほど変わらないか。
- 阪神球団代表の古谷真吾氏が飛び降り自殺することはなかった。
福原忍[編集 | ソースを編集]
- 史実より早くセットアッパーとしてブレイクしていたら
プロデビューしてからなかなか思わしくない成績続きの福原でしたが、2011年頃から遅咲きの中継ぎエースとして覚醒、時には臨時ながら守護神も務めるほどになりましたが、もし若き日の頃からセットアッパーとして定着していたら?
- 久保田は先発として定着し、この場合の「JFK」は「ウィリアムス・福原・藤川」と言う方程式になっていた。
- ただし福原本人は酷使の影響で史実の藤川同様に肩の手術を受けるか、史実より早く引退に追い込まれていた可能性もあった。
- 一方で久保田は酷使の影響を受けずに史実より現役を長く続けられていた。
- 安藤がスランプに陥らなければ、福原の代役を務める事もあった。
福本豊[編集 | ソースを編集]
- 国民栄誉賞に授賞していたら
1983年に通算939盗塁という世界記録を打ち立てた時に、中曽根康弘首相から打診を受けましたが、本人は固辞しました。もし受賞していたら…
- 阪急ブレーブスの人気が史実よりも多少上がり、球団の身売りもなかったか史実よりも遅れていた。
- 朝日放送やサンテレビジョンでは「国民栄誉賞受賞者」という肩書きを背負っていた。
- 2020年時点でもイチロー氏が受賞していないのなら、パ・リーグで唯一の受賞者になっていた。
藤川球児[編集 | ソースを編集]
- もしも「火の玉ストレート」を会得していなかったら
阪神時代、山口高志投手コーチに「なぁ球児、右足ちゃうか?」と指摘された事がきっかけで、それまでの低迷がウソのような大活躍を見せるようになった藤川でしたが、もしあの一言が無いままだったとしたら?
- 未成のドラ1のまま阪神を退団していた可能性が高かったであろう。
- 藤田太陽くらいの知名度だった。
- 西武などにトレードされ、1・2年くらいだけ活躍したかもしれない。
- ファンからも「あーいたなそんなの」程度の認識で終わっていたであろう。
- 一部では広末涼子の同級生というイメージが強いままだったかも。
- 当然ながら「JFK」が流行語になる事も無かった。
- 藤川俊介の登録名が「俊介」になる事も無かった。
- リンドバーグの曲が彼の登場曲として有名になることもなかった。
- 2012年オフに阪神残留を決断していたら
2012年オフにシカゴ・カブスへの移籍に踏み切った藤川でしたが、もしあの時に阪神に残留していたら?
- 久保がストッパー転向する事はまず無かった。
- そして2014年にDeNAへFA移籍する事も無かった。
- その代わりに鶴岡が来る事も無かった可能性が高い。
- 呉昇桓の獲得も無かっただろう。
- そして2014年にDeNAへFA移籍する事も無かった。
- 史実通りに2013年5月末に肩の故障で離脱したら、チームは史実以上に中継ぎ陣再編成で大混乱状態に陥っていた可能性が高かった。
- やはりその場合も最終的に臨時守護神を史実通りに福原がやっていた。
- 故障の度合いによっては、史実通り呉昇桓獲得に動いていた可能性もあった。
- ドリスが阪神に入団する可能性がかなり低くなっていた。
- 故障の度合いによっては、史実通り呉昇桓獲得に動いていた可能性もあった。
- やはりその場合も最終的に臨時守護神を史実通りに福原がやっていた。
- 250セーブも確実に達成できていた。
ま~わ行[編集 | ソースを編集]
ケビン・ミッチェル[編集 | ソースを編集]
- ダイエーに入団しなかったら
1986年のワールドシリーズ制覇、1989年のナショナルリーグMVPなど、輝かしい実績や経験をひっさげて1995年にダイエー入りしたミッチェルですが、活躍は今一つで問題児ぶりが露呈され、すぐ解雇されました。
もし、ミッチェルがダイエーに入団しなかったら?
- トラックスラーの解雇はなかった。
- チーム自体も、あと10勝は勝ち星を増やせていたと思う。
- 仮にもう10勝していたら順位は1つ上がっていたが、Bクラス脱出はならなかったか…。
- 1996年の生卵事件はなかったかも。
- 2001年にケビンのいとこのトニーが入団することも無かった。
- 水島新司の漫画に助っ人外国人が引き続き登場していた。
- あれはアップショーらしいぞ。ミッチェル関係ない。
山本昌[編集 | ソースを編集]
- 日本に戻って来なかったら
1988年にロサンゼルス・ドジャースと交流の形でアメリカに残った山本でしたが、実際はかなり戦力外通告に近かったと言われています。1Aで13勝7敗の成績を残しシーズン途中で日本に帰国、その後の成績は言うに及ばずですが、もしアメリカにいたままだったら?
- そのまま野茂英雄より先にメジャー昇格していたかも。
- ただしおそらくロサンゼルス・ドジャースには入団していない。1A球団の所属からするとタンパベイ・レイズか?
- 長嶋一茂(同じチームに4年遅れて入団した)の運命がどうなったかは不明。
- ただしおそらくロサンゼルス・ドジャースには入団していない。1A球団の所属からするとタンパベイ・レイズか?
- 仮に史実と同じぐらいまで投げていたとすると、イチロー以上に高名な選手になっていたかもしれない。
- さすがに大谷翔平と同じ時期までは無理だろう。
- 野茂は山本と同じ形でメジャー入りしていたりして。
- 成功せずに自由契約などになり日本でまた投げていたかもしれない。その場合中日がまた取ったかは不明。
- 神奈川出身なのでベイスターズが取ったりして?
- 当然だが中日ドラゴンズの成績は落ちる。
- 1988年はそれでも優勝できそうだが、その後何回リーグ優勝できた(史実は4回)か……。
- 2007年の日本一もなく、それこそ12球団一日本一から遠い球団と言われるかも。
- 中島聡・工藤公康はもう少しもてはやされていた?