もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/あ・い

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > あ・い

鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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相内誠[編集 | ソースを編集]

  1. 入団時の不祥事を実力で跳ね飛ばすほどの活躍ができていれば、「房総のダルビッシュ」の異名に相応しい投手になっていた。
  2. 「西武の1994年生まれ世代は呪われている」というイメージは薄れていた。
  3. 2018年か2019年に西武は日本一になれたかもしれない。

赤川克紀[編集 | ソースを編集]

  1. 同い年の小川泰弘とともに先発ローテを守っていた。
  2. 館山昌平の復活はなかったかもしれない。
  3. 「野球界のジャイアン」といえば山崎武司よりも彼を思い浮かべる人が多くなっていた。

赤坂和幸[編集 | ソースを編集]

  1. 育成契約や野手転向はなかった。
    • 投打両方で活躍できれば、大谷翔平より先に二刀流が誕生した。
  2. 中日の暗黒時代は史実ほど酷くなかったはず。
    • 2011年以降の中日も何度か優勝できてた。

赤田将吾[編集 | ソースを編集]

  1. 元々ライオンズへの愛着が強かったので、おそらく最後まで西武一筋で現役を終えていた。
  2. 2010年のオリックス・小瀬浩之転落死の際には赤田の代わりに(史実で2009年の成績が不振気味でなおかつ子供の頃オリックスファンだった)栗山巧がオリックスにトレードされていた。
    • 2000本安打達成は無かったかもしれない。
  3. 西武の外野陣はレフト(福地・)友亮・栗山、センター赤田、ライトGGになっていた。

赤堀元之[編集 | ソースを編集]

  1. 間違いなく通算250セーブ以上を達成していた。
    • 名球会入りを果たしていた。
  2. 大塚晶文はセットアップのまま。
    • 岡本晃も先発のまま。
  3. 2001年の日本シリーズで登板が見れた。
    • 上手くいけば日本一になれていた。
  4. オリックスおよび楽天の監督になっていた?

阿久根鋼吉[編集 | ソースを編集]

  1. 4番バッターになってたかもしれない。
  2. どっちにしろ、新庄剛志は背番号1を希望してたので9への変更は史実通りだったかも。
  3. ホセ・マシーアスの背番号は42になってたかもしれない。
  4. 小田智之やマイカ・ホフパワーも現実以上に活躍できたかもしれない。
  5. ブレイク時期によってはシャーマン・オバンドーやDTクローマーの退団が早まってたかもしれない。
  6. FAで他の球団に移籍していた可能性は高いので小谷野栄一や中田翔は史実通りブレイクできたかもしれない。
  7. ニキビ予防洗顔のCMにも出演していたかもしれない。
  8. 日本ハムの2006年の日本一にも貢献できた。

朝倉健太[編集 | ソースを編集]

川上憲伸や山本昌と同じくらい活躍できていたら。

  1. 三桁勝利は達成できていただろう。
  2. 山井大介の先発での再ブレイクはなかったかも。
  3. 最低でも一回は国際大会に出場していた。

朝山東洋[編集 | ソースを編集]

  1. 入団時に希望していた山本浩二の「8」(永久欠番)を実力で獲得していた。
  2. 広島は2000年代に数回ぐらいはAクラスを確保していた。
  3. 嶋重宣のブレイクはなかったかもしれない。

東和政[編集 | ソースを編集]

  1. ベイスターズの先発投手として2010年代後半ぐらいまで活躍していた。
    • 西武への移籍は無かったか、FAでの移籍になっていたかもしれない。
    • 東克樹は「東克」と呼ばれていたか。
  2. 1回ぐらいは最多奪三振のタイトルを獲得していたかもしれない。
  3. 背番号は入団時の「62」からもっと良い番号に変わっていた。
  4. 「清原キラー」として活躍していたかも?

安達智次郎[編集 | ソースを編集]

  1. 貴重な左の先発として、1990年代後半から2000年代前半にかけての阪神投手陣を支えていた。
    • 阪神の暗黒時代脱出は史実より数年早くなっていた。
    • 井川慶のブレイクは数年遅れていた。
  2. 外野手へのコンバートは無かった。
  3. 2024年現在も存命だったかもしれない。

厚澤和幸[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムの左の先発投手としてチームに貢献していた。
    • 正田樹のブレイクは数年遅れていた。
    • 下柳剛は中継ぎのままだったかもしれない。
  2. 1996年か1998年に日本ハムは優勝できていた。
    • 札幌移転前の成績も史実よりは良くなっていた。
  3. 2000年代後半までは現役を続けていた。

穴吹義雄[編集 | ソースを編集]

  • 入団時の騒動が後に小説化・映画化されるほど有名な穴吹ですが、プロでは通算89本塁打と今一つの成績でした。
  1. 1950年代後半から1960年前半までの南海の球団成績がえげつないことになりそう。
    • 大毎・東映のリーグ優勝は無かったかもしれない。
    • 西鉄は同時期に1回ぐらいはリーグ優勝を果たしているだろうが、3連覇は無かっただろう。
    • 同時期のパ・リーグのベストナインを山内和弘(毎日・大毎)、張本勲(東映)、広瀬叔功(南海)らと争っていた。
  2. 一軍監督就任の時期は史実(1983年)よりもう少し早くなっていたかもしれない。
  3. 映画版「プロ野球を10倍楽しく見る方法」で直に声を当てていたりして!?

天野勇剛[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代のロッテで複数のポジションをこなす主力選手として活躍していた。
    • 韓国のロッテへ移籍することもなく、2010年代中盤まで現役を続けていた。
  2. 登録名を「ユウゴー」にすることはなかったかもしれない。

綾部翔[編集 | ソースを編集]

  1. 2018年のDeNAはAクラス入りしていたかも。
  2. 先発でなく中継ぎとしてブレイクした場合、又吉克樹と並べられていたかもしれない?
    • 又吉が史実通りFAでソフトバンクに移籍した場合「解散」とか言われていたりして。
      • 又吉をDeNAが取りに行っていたかも?

荒井修光[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代後半から2000年代前半の日本ハムの正捕手として活躍していた。
  2. 野口寿浩の獲得は無かった。
    • 高橋信二のブレイクも数年遅れていた。

荒川雄太[編集 | ソースを編集]

  1. プロ入りして以来ずっと一軍出場無しなんてなかった。
  2. 田上秀則のブレイクはなかったかも。
    • 細川亨の獲得もなかったかも。

荒木大輔[編集 | ソースを編集]

  1. スワローズはもっと早く2度目の優勝(史実では1992年)を果たしていた。
    • 2度目の日本一ももっと早かった(史実では1993年)かも。
  2. 横浜に移籍する事などもちろんない。
    • 横浜に移籍後復活し、1998年の優勝に貢献したり1997・2001年のヤクルトを阻んでいたりして?
  3. 21世紀初頭までエースとして活躍していた。
    • そして200勝を達成していた。
    • 伊藤彰の背番号は違う番号になっていた。
  4. 90年代になっても男の子の名前1位が「大輔」だった。
  5. 多分「松坂」の前にメジャー入り。
  6. 神宮球場とクラブハウスを結ぶ「荒木トンネル」が自宅まで掘られていた。
  7. 荒木をくじで外して斎藤雅樹を取った巨人が称えられることもなかった。
  8. ヤクルトの監督に就任していた可能性も。
    • 西武や日本ハムの指導者になっていたのは史実通り?

洗平竜也[編集 | ソースを編集]

  1. 中日の左の先発として2010年代前半ぐらいまで活躍していた。
    • 小笠原孝や川井雄太のブレイクは数年遅れていた。
    • 山本昌は2000年代の内に現役を引退していたかもしれない。
  2. 落合監督時代の中日の成績は更に良くなっていた。
    • 2005年や2009年もリーグ優勝できていた。
    • 2004年は50年ぶりの日本一を達成していたかもしれない。
  3. フリーエージェントを行使し、地元の青森に近い楽天へ移籍していたかも?

有銘兼久[編集 | ソースを編集]

  1. 分配ドラフトで楽天移籍は史実通りか?
  2. シーズン勝利数一桁で現役を終えることはなかった。
  3. 最低でも一回は最優秀中継ぎ投手を獲得していた。

安斉雄虎[編集 | ソースを編集]

  1. ベイスターズのエースとして同期入団の筒香嘉智とともに投打の軸として活躍していた。
  2. 真野恵里菜と中学時代同級生であったことが史実以上に有名になっていたかも。
    • 彼女との対談も実現していたかも。

安藤正則[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の先発投手として2000年代後半ぐらいまで活躍していた。
    • 東尾監督時代にもう一回ぐらいは優勝できていたかもしれない。
  2. 森慎二や岸孝之の背番号は違う番号になっていた。
    • 森はおそらく19番のままか。

安藤元博[編集 | ソースを編集]

  1. 東映は1962年以降、もう1シーズンぐらいは優勝争いを展開できていた。
    • 1968年以降の成績がガタ落ちすることも無かった。
  2. 巨人への移籍も無かっただろう。

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飯島一彦[編集 | ソースを編集]

  1. ホークスの右の中継ぎとしてチームに貢献していた。
    • 2004年と2005年にプレーオフで西武とロッテに敗れることもなかった。
    • 2010年代前半ぐらいまでは現役を続けていた。
  2. 母校の藤岡高校や神奈川工科大学からプロを目指す選手も増えていた。

飯島秀雄[編集 | ソースを編集]

  1. それ以後、第二・第三…の飯島が続いた。
    • 短距離選手はプロ野球選手へのもうひとつの登竜門となった。
    • 藤瀬史朗や今井譲二はもっと有名になっていた。
  2. 福本豊がこの道で生きていくことが強制され、2000本安打以上打つことはなかったかも。
  3. 相手チームはこの代走に対抗するために、肩の強さだけが取り得の捕手を終盤起用する。
    • 例:槍投げ、遠投の選手。最初はリード力がないから駄目だと思われていたがこれが意外に使えた。
  4. クローザーの条件の中に「牽制が上手いこと」が加わる。
  5. ノムさんは史実より早くクイックモーションを開発していた。
  6. 『ONE OUTS』のジョンソンは登場しなかったかもしれない。

飯山裕志[編集 | ソースを編集]

  1. 守備の名手としてゴールデングラブ賞をたくさん獲ってた。
  2. プロ初本塁打ももっと早かった。
  3. れいめい高校の知名度が上がっていた。

井川慶[編集 | ソースを編集]

ヤンキースでも活躍できたら

  1. 日米通算200勝を達成できたかもしれない。
  2. 星野仙一から「面影ない」と言われることはなかった。
  3. 現役は阪神で終えてたかもしれない。
    • 29は井川慶本人が推薦する選手が出るまでの欠番とされたかもしれない。
    • もちろんオリックスや独立リーグでプレイすることもなかった。
      • 史実通りオリックスへ移籍したとしても現実以上に活躍できていた。
        • 2014年の躍進に貢献していた。
          • リーグ優勝もあり得た。
  4. 今頃(2020年現在)は阪神で投手コーチを務めていそう。

石井毅[編集 | ソースを編集]

  1. 夫人の実家である木村家の養子になることもなく「木村竹志」ではなかった。
  2. 引退後は母校・箕島高校硬式野球部の監督に就任していた。
  3. 星稜・堅田外司昭はプロ野球審判員に入局していた。

石井雅博[編集 | ソースを編集]

  1. 重傷を負った吉村禎章の代わりにスタメンで使われ続けていた。
    • 吉村禎章は復帰後DHのあるパ・リーグの球団に移籍していた。
  2. ゲーム『ドラゴンクエスト』の復活の呪文の「くわたきよ はらしのずかな かはたはら いしい」の「いしい」の元ネタが石井浩郎(当時は早稲田大学野球部所属、後に清原と同時期に巨人に移籍)という説が広まることもなかった。

石毛博史[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代半ばまで巨人のクローザーを務めていた。
    • 近鉄や阪神に移籍することはなかった。
      • 「優勝請負人(本人は優勝見届人と自称)」と呼ばれる事もない。
  2. 佐々木主浩や高津臣吾とともに90年代のセリーグを代表するクローザーになっていた。
  3. 槙原寛己が現役晩年にクローザーへ転向することはなかった。
    • 河原純一がクローザーへ転向することもなかったので、史実よりも早く放出されていた。

石田雅彦[編集 | ソースを編集]

  1. ロッテの左のエースとして先発陣を支えていた。
    • エリック・ヒルマンの獲得はなかったかもしれない。
  2. 通算防御率が無限大になることもなかった。
  3. 黒木知宏の背番号は何番になったのだろう?
  4. 引退後は打撃投手ではなく、投手コーチに就任していたかもしれない。
  5. 同期の園川一美の「なんでこの僕が2位指名なんですか!?」発言は史実以上にネタにされる。

石床幹雄[編集 | ソースを編集]

  1. 「右の石床、左の江夏」として60年代後半から70年代中盤頃までの阪神投手陣を支えていた。
    • その間に3回ぐらいは優勝できていた。
  2. 上田二朗は阪神に入団しなかったかもしれない。
  3. 引退後に料理人へ転身することもなかった。

石橋貢[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代の大洋の成績が史実よりマシになる。
  2. 横浜スタジアム審判集団暴行事件は起きなかった(史実では三塁を守っていた石橋のプレーの判定を巡って暴行事件が発生)。
  3. 1993年オフのベテラン選手のリストラに巻き込まれて現役を引退していたかも。

石本努[編集 | ソースを編集]

  1. チームメイトの岩本勉と現実以上に混同されていた。
  2. 日本ハムの俊足はえげつないことになっていた。
  3. 森本稀哲のブレイクが遅れていた。

市場孝之[編集 | ソースを編集]

  1. 「大相撲経験者のプロ野球選手」として史実以上に有名になっていた。
  2. 1990年代中盤から2000年代前半にかけてのロッテの主力選手として活躍していた。
    • 同時期のロッテの成績も史実より良くなっていた。もしかしたら1998年の18連敗も無かった?

一場靖弘[編集 | ソースを編集]

  1. 岩隈・田中とともに楽天の三本柱となっていた。
    • 楽天は2009年に初優勝を達成していた。
      • ヤクルトにトレードされなかった場合楽天の2013年の日本一にも貢献した。
        • その場合、則本昂大のブレイクが遅れていた。
  2. メジャーリーグに挑戦していた。
  3. プロ入り時の裏金事件のイメージを払拭出来ていたかも。
  4. 「楽天市場」のイメージキャラクターになっていた。
    • 「楽天一場」なんて言われていた。

井手正太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜へのトレードはなかった。
  2. ソフトバンクの2010年以降のリーグ優勝にも貢献できた。
  3. 日南高校からプロ入りする選手ももっと多かった。

糸数敬作[編集 | ソースを編集]

  1. 糸井のトレードの際、彼との間違いとのネタはなかった。
  2. 沖縄の星として伊良部秀樹とともに称される存在になっていた。
  3. 琉球ブルーオーシャンズの設立に立ち会っていたかもしれない。

伊奈龍哉[編集 | ソースを編集]

  1. プロ一年目での戦力外はなかった。
    • 独立リーグ移籍もなかった。
  2. 2008年のソフトバンク最下位もなかったか。
    • それでも王監督の勇退は史実通りな気がする。
  3. 小斉祐輔は別の背番号に変更していた。
  4. 史実以上に「伊奈ゴジラ」と呼ばれていた。

稲尾和久[編集 | ソースを編集]

  1. 通算300勝どころか、400勝も達成し、日本プロ野球通算勝利数1位の金田正一を超える。
    • 金田の引退後の球界への発言力は低下していた。
      • 金田の名球会のワンマン運営も無かった。
  2. 黒い霧事件以降も現役を続行、史実通り監督を務めていたら、野村克也、村山実と共に選手兼任監督となっていた。
    • 1973~1974年に400勝を達成しようもんなら、ロッテ対太平洋戦は、別の意味での「遺恨試合」となっていた。
      • 400勝目、401勝目の相手がロッテなら尚更。
    • 史実通り1974年で退任すれば、チームは連続で選手兼任監督が誕生していた。
  3. 東尾修の200勝達成は無かった?
    • 黒い霧事件の影響で、大エースが1人いたぐらいでは投手不足は解消されなかったので野手転向自体は無かった。
  4. 日本プロ野球史上最多勝利数記録保持者として発言力が高まったことで、ロッテの監督に就任した際は福岡移転が実現していた。
    • これにより、南海がダイエーに売却が決まった際は、当時の中内功社長の希望通り、グリーンスタジアム神戸への移転が実現していた。
      • 阪急がオリックスに売却される際には、1990年での西宮撤退、1991年の千葉マリンスタジアムへの移転が実現した。
        • これなら阪神対ダイエーが関西ダービーとなっていた。
          • その場合、2003年の日本シリーズが史実通りのカードだった場合の盛り上がりは半端ない物になる。

稲垣秀次[編集 | ソースを編集]

  1. 中卒や草野球の選手もプロスカウトの対象となっていた。
  2. 辻本賢人が阪神にドラフト指名された際に色々と比較されたり注目されていたかも。

稲田直人[編集 | ソースを編集]

  1. 内野ユーティリティとして堂上直倫とともに称される存在になっていた。
  2. サードなら小谷野栄一のブレイクが遅れていた。
  3. 上手くいけば生涯日本ハムで現役を終えていた。

犬伏稔昌[編集 | ソースを編集]

  1. パワプロの能力も高くなり、能力をネタにされる事はなかった。
  2. 史実以上に左殺しの代名詞となっていた。
  3. 1990年代後半には一軍に定着していた。

井上真二[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代、00年代の巨人の主軸を打っていた。
    • 松井や清原を獲らなかったかも知れない。
  2. 広沢克己がFA移籍はなかった。
    • 落合博満も。
  3. ドラフト5位と言うのが史実以上にアピールされそう。

猪爪義治[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代の西武の投手陣を支えていた。
    • 同時期の西武の優勝回数が1回か2回増えていたかもしれない。
  2. 「うどん屋のアルバイトからスターに成り上がった選手」としても話題になる。
    • 條辺剛と比較される可能性が非常に高い。

猪俣隆[編集 | ソースを編集]

  1. 寿司職人にはならない可能性が高い。
    • 水尾嘉孝は史実より注目されていた?
    • ただ野口茂樹や戎信行、高橋智のように結局サラリーマンになっていたかも。
  2. 阪神暗黒時代の成績も少しはましになっていた。
    • 1992年は優勝していたかも。
  3. 中日移籍後(背番号13)に活躍した場合、岩瀬仁紀の背番号は何になっていた?
  4. 中山ラマダの「泣くな!イノマティ」がブレイクしてたかも?
  5. 打撃の下手な投手として黒田博樹と並び立てられていたかも。

井場友和[編集 | ソースを編集]

  1. 台湾への移籍はなかったかもしれない。
  2. 先発で活躍できてたら武田勝や八木智哉のブレイクが遅れていた。
  3. 中継ぎだと武田久や江尻慎太郎のブレイクが遅れていた。
  4. 井端弘和と混同される事も?
  5. 2006年と2007年のリーグ優勝にも貢献できていた。

伊原春樹[編集 | ソースを編集]

  1. サードのレギュラーとして80年代中盤ぐらいまで活躍していた。
  2. 巨人へ移籍することも無かった。
  3. 広瀬宰や石毛宏典の背番号は違う番号になっていた。
  4. 森監督の後任は東尾修じゃなくて伊原になっていたかもしれない。

今井圭吾[編集 | ソースを編集]

  1. 岩本勉や金村暁らとともに1990年代後半から2000年代前半の日本ハムの先発ローテーションを守っていた。
    • 中村隼人や押本健彦らのブレイクが遅れていたかもしれない。
  2. 1998年に日本ハムは優勝できていたかもしれない。

今井啓介[編集 | ソースを編集]

  1. 2010年代の広島のリーグ三連覇に貢献していた。
  2. 薮田和樹や岡田明丈の入団はなかったかもしれない。

今岡誠[編集 | ソースを編集]

2005年まではレギュラーを取っていたが、2006年以降は不振が続いた。もし2006年以降も活躍できたら。

  1. 藤川俊介が7をつけることはなかった。
  2. 引退まで阪神でプレー。
    • 井口資仁に誘われてロッテの二軍監督になることもない。
      • 阪神の監督になっていたか。
  3. 2000本安打を達成できた。
  4. 西岡剛を獲得しなかったかも。
    • 平野恵一も。
  5. 「≒もし1塁コンバートが早まっていたら」かもしれない。
    • クレイグ・ブラゼルを獲得しなかったかも。
    • 新井兄弟も獲得していたか怪しい。
  6. 2005年以降の阪神も何度か優勝できてた。

今久留主成幸[編集 | ソースを編集]

  1. 谷繁元信や秋元宏作の出場機会は史実より減っていた。
    • 1998年の横浜の優勝・日本一の時には、史実における谷繁の役割を担っていた。
  2. 珍しい漢字4文字の苗字の選手としてクローズアップされていた。
  3. 西武への金銭トレードは無かった。
  4. 2000年代前半ぐらいまでは現役を続けていた。
    • 2010年代にはベイスターズの監督に就任していたかもしれない。

今中慎二[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代~2000年代の中日の優勝回数が増えた。
    • もちろん日本一の回数も。
  2. 3ケタ(史実では91勝)は無論、150勝ぐらいはしていた。
  3. 燃えよドラゴンズで「きっと今中よみがえれ」と歌われたのは史実(2000)よりかなり後。
  4. 史実以上に山本昌と並び立てられていた。
    • さすがに山本昌よりは先に引退しただろうが……。
  5. 史実よりかなり早く中日のコーチになっていた。
    • 大阪出身のため阪神やオリックスのコーチになっていたかもしれない。
  6. 中継ぎとして再生した場合、岩瀬仁紀のブレイクがやや遅れた?
  7. 通称が「チュー」と言う事で、ポケモン関連のオファーがあったりして。

伊良部秀輝[編集 | ソースを編集]

阪神でもっと活躍できていたら

  1. 40代までNPBで現役を続けていた。
    • 独立リーグへいくこともなかった。
    • それでもロッテ復帰はなかったろう。
      • ケンカ別れしてメジャー移籍したため。
    • 2003年に阪神は日本一を達成できたかもしれない。
    • 翌2004年のBクラス転落も無かった。
    • 阪神で投手コーチ就任…は流石に無いか。
  2. 阪神の41番は活躍できなくなるイメージで見られることもなかった。
  3. アメリカでのバー破壊や店員に対する暴行事件もなかった。
    • その後の自殺もなかった。
  4. 日米通算200勝も達成できてたはず。
  5. 沖縄県出身初の殿堂入り表彰者になってた。

入来智[編集 | ソースを編集]

  1. 同期の野茂英雄と共に先発ローテを守っていた。
  2. 史実通り、巨人に移籍していた場合、弟の祐作と一緒に在籍する年数ももっと長かった。
  3. 台湾や韓国のチームへの移籍はなかった。

入来祐作[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムへのトレードはなかった。
  2. 高橋尚成か木佐貫洋のブレイクが遅れていた。
  3. メジャー移籍後の成績も史実よりよくなっていた。
  4. 打撃投手になったあともちゃんと仕事ができていた。
    • 用具係になることもなかった。

岩隈久志[編集 | ソースを編集]

巨人でも活躍していたら。

  1. 200勝達成してから引退した。
  2. 巨人の二連覇にも貢献できた。

岩下正明[編集 | ソースを編集]

  1. 代打の切り札に甘んじることなく、外野のレギュラーを獲得していた。
  2. 初代ファミスタで「ゆわした」と誤植されることはなかった。

岩村明憲[編集 | ソースを編集]

日本復帰後も活躍できたら

  1. 日米通算2000本安打を達成できた。
  2. 松井裕樹の背番号は史実とは違ってたかも。
  3. 福島ホープスの選手兼任監督になることもなかった。
  4. ヤクルトに復帰していたかは微妙なところ。
  5. 史実より長く楽天に残留していた場合、2013年の初の日本一にも貢献した。
  6. 当然、「ニック・ダルマー」という蔑称で呼ばれることもなかった。

岩本勉[編集 | ソースを編集]

  1. 06年・07年の優勝に貢献していた。
    • そもそも札幌移転後も日ハムのエースとして活躍していた。
      • 晩年の小宮山みたく敗戦処理で活躍してたと思われる。
  2. 「まいど!」が現実よりも長く流行していた。
  3. 斎藤佑樹の背番号は何番になってたのだろうか?
  4. タレント転向もなかったか遅れている。
    • 「パ・リーグ党芸人座談会」に彼(ガンちゃん)が出演せず、普通に日本ハムファンの芸人が出演している。
  5. 「とっとこハム太郎」のまいどくんと相互に便乗し合っていた。
    • “ハム”繋がりもあり、日本ハム球団と「とっとこハム太郎」のコラボが実現していたかも。
  6. 場合によっては、ファイターズのコーチに就任していたかも。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ