もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/う~お

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > う~お

鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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上園啓史[編集 | ソースを編集]

  1. 楽天へのトレードはなかった。
  2. 中継ぎ転向もなかった。
  3. 阪神で41番を付けた選手は活躍できなくなるというジンクスは破られた。
    • 47への変更は史実通りか。
    • 2010年代の阪神も最低でも一回は優勝できてた。

上田好剛[編集 | ソースを編集]

  1. 速球派の投手として1990年代の広島の先発陣を支えていた。
    • 同時期の広島のチーム成績も史実より良くなっていた。
      • 1996年はリーグ優勝を果たせていたかもしれない。
    • 2000年代後半ぐらいまでは現役を続けていた。
  2. 山内泰幸や澤崎俊和らのブレイクが遅れていた。
  3. 阪神へはテスト入団ではなく、FA権を行使して移籍していたかもしれない。

上田剛史[編集 | ソースを編集]

  1. 2021・2022のヤクルト連覇にはもちろん貢献している。
    • 現在(2023年)もまだ現役。
  2. 史実以上に「知人男性」ネタでいじられている。
    • もっともブレイクした場合「山田哲人の「知人男性」」呼ばわりされる事がない可能性があるが。
  3. 「何があった!また上田か!」の意味も違ってくる可能性がある(「あの状況からヤクルトが勝つだなんて、また上田が活躍したのか!」)。
  4. リアル野球盤などのバラエティー番組にも登場していた。
  5. 現役のままYouTubeにて活躍していたかも。

上田利治[編集 | ソースを編集]

  1. 正捕手となり、史実より早く広島をAクラスに引き上げていた。
    • 引退後は阪急ではなく広島の監督に就任。
      • 広島初優勝の監督は古葉さんではなくウエさんだったかも。
        • その場合古葉さんは南海の監督に就任していた。(野村監督の後釜あたり)
  2. 昭和50年代前半の阪急黄金時代は無かったかも。
    • 史実でも監督経験のある梶本隆夫が黄金期の監督として阪急を率いていた。その場合「現役時代達成できなかった日本一を監督として達成した」と称えられていた。
  3. 「1イニング4三振の合間のタイムリーヒットが彼の現役時代の唯一の見せ場」と言われることもなかった。

上田佳範[編集 | ソースを編集]

  1. 投手時代に活躍できていた場合、背番号44への変更はなかった。
    • 投打両方で活躍できていた場合、大谷翔平より先に二刀流選手が誕生した。
  2. 中日へのトライアウト移籍もなかった。
  3. 引退後はもっと早くに日本ハムのコーチに就任していた。

上野裕平[編集 | ソースを編集]

  1. 木佐貫洋や久保裕也のブレイクが遅れていた。
  2. 2002年と2000年代後半のリーグ3連覇に貢献していた。
    • 堀内監督時代の成績も史実より良化していた。

上原浩治[編集 | ソースを編集]

ずっと先発で活躍していたら。
  1. 200勝を達成できてたはず。
  2. 抑えや中継ぎ転向はなかったか、遅れていた。
  3. メジャー移籍も早まってた。
抑え転向後にもっと活躍していたら。
  1. 中継ぎ転向はなかったので、史上初のトリプル100達成もなかった。
  2. 250セーブ達成したかは微妙なところ。

上原厚治郎[編集 | ソースを編集]

  1. 野手転向の話は出てこなかった。
  2. 西武へのトライアウト移籍もなかった。
  3. 現実以上に上原浩治と混同されていた。

植松精一[編集 | ソースを編集]

  1. 外野のレギュラーとして、1970年代後半から1980年代後半の阪神で活躍していた。
  2. 1980年代前半の阪神の成績が史実より良くなっていた。
    • 1978年の最下位転落も無かったかもしれない。
  3. もちろん1985年のリーグ優勝にも貢献していた。
    • 弘田澄男か長崎啓二のどちらかは獲得しなかっただろう。

上村和裕[編集 | ソースを編集]

  1. 北照出身捕手として北海道民からの人気を集めていた。
  2. 日高剛と正捕手争いしていた。
  3. 広島へのトレードはなかったかも。
    • FAで日本ハムに移籍していたかも。

植村祐介[編集 | ソースを編集]

  1. 高校時代のライバルの田中将大との対決が見られた。
  2. 日本ハムは斎藤佑樹をドラフト指名していなかったかも。
  3. ソフトバンクの優勝数が減っていたかも。

上本達之[編集 | ソースを編集]

  1. 炭谷銀仁朗は史実より早くFAで他球団に移籍していた。
  2. 場合によっては森友哉も外野手に転向していたかも。
  3. 2016年の交流戦・広島戦でのサヨナラコリジョン事件はなかった。

鵜飼克雄[編集 | ソースを編集]

  1. 左の先発投手として1970年代後半の日本ハムを支えていた。
  2. 広島への移籍は無かっただろう。
  3. 日本ハムの初代ドラフト1位指名選手としても有名になっていた。

鵜久森淳志[編集 | ソースを編集]

  1. 済美高等学校の後輩の福井優也との対決が見られた。
    • 同じ高校のティモンディとの共演も見られた。
      • 天てれへのゲスト出演の話が出てきた。
  2. 4番になってた場合、ドラフト下位の4番として注目された。
  3. 2014年の野球部の不祥事の時には何らかの形でコメントを述べていたであろう。

宇高伸次[編集 | ソースを編集]

  1. 右の先発投手として、1999年から2000年代前半の近鉄で活躍していた。
    • 山村宏樹や岩隈久志の台頭が数年遅れていた。
    • 2001年に近鉄は初の日本一を達成できていたかもしれない。
  2. 近鉄の球団合併後はオリックスへ移籍し、2010年代前半まで現役を続けていた。

内竜也[編集 | ソースを編集]

  1. 福浦和也のそっくりさんとして注目されていた。
  2. 小林雅英に代わる守護神になっていた。
    • 宏之の守護神転向はなかった。
  3. 内博貴と混同されていたか。

内海五十雄[編集 | ソースを編集]

  1. 背番号26番第1号として称される存在になってた。
    • 同じ背番号の孫の哲也のプロ入りが大きな話題を呼んだ。
    • 哲也の放出は…まあ通常通りか?
  2. 戦後まで現役を続けていただろう。

宇都格[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代中盤までのオリックスの投手陣を支えていた。
  2. 近藤一樹・金子千尋・小松聖らのブレイクが遅れていた。
  3. 引退後にダーツプレイヤーへ転身することはなかったかもしれない。

内之倉隆志[編集 | ソースを編集]

  1. 1994年にダイエーをAクラスに引き上げていた。
    • 王監督就任後の成績も史実より良くなっていた。
  2. 三塁手から捕手にコンバートされなかった。
    • だから松永浩美のFA移籍はなかった。
  3. 1993年のドラフトに入団した小久保裕紀は違う背番号だった。
    • おそらく「3」、「10」を背負っていた。
      • もしくは内之倉が「3」が背負っていた。

運天ジョン・クレイトン[編集 | ソースを編集]

  1. 「沖縄のダルビッシュ有」という呼び声が現実以上のものになってた。
  2. 上沢直之や有原航平のブレイクが遅れていた。
  3. 武田久離脱時に抑え転向もあったのかも。

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江川智晃[編集 | ソースを編集]

  1. 背番号8の剥奪はなかった。
  2. 柳田悠岐や中村晃のブレイクが遅れていた。
  3. 豚肉の販売加工業に携わることもなかった。

江藤智[編集 | ソースを編集]

メジャーで通用するくらいの活躍ができていたら

  1. 巨人移籍もタイトルを獲得していたかもしれない。
  2. 小久保裕紀の獲得はなかったかもしれない。
    • 別の球団に無償トレードされた。
  3. 豊田清の巨人入団後の人的補償は違う選手になってた。
  4. サミュエル・エトーとの対談が行われたかもしれない。
    • ただし通訳付きで。

江夏豊[編集 | ソースを編集]

西武でも活躍していたら

  1. 森繁和とのダブルストッパーで西武のリリーフ陣を支えていた。
  2. 同年の西武の成績が多少良くなっていた。
    • 但し優勝は厳しかったか…(史実では優勝の阪急と14.5ゲーム差の3位)。
  3. それでも広岡監督と対立して同年オフに西武を退団し、翌1985年は史実通りメジャー挑戦となっていたかもしれない。
    • まかり間違って西武に残留して1985年のリーグ優勝に貢献していたら、同年の阪神との日本シリーズを引退の花道にしていたかも?
    • 引退試合は西武主催で行われていた。
  4. 史上初の通算200セーブや通算3000奪三振も達成できていた。

榎田健一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 「パンチ」「イチロー」と同時期に、登録名を「エノケン」にしたかも。
  2. 21世紀まで現役を続けていた。
  3. 山内嘉弘や丸尾英司の背番号は違う番号になっていた。

戎信行[編集 | ソースを編集]

  1. 最優秀防御率以降エースに定着。
  2. オリックスの2000年代前半の成績はマシなものになっていた。
    • 上手くいけば近鉄との合併が撤回されていた。
  3. 分配ドラフトでオリックス・バファローズに入っていた。
    • 合併後もエースとして活躍。
  4. ヤクルトや近鉄への移籍は無かった。

遠藤竜志[編集 | ソースを編集]

  1. 右の先発投手として、1990年代後半から2000年代後半にかけての広島で活躍していた。
    • 黒田博樹や長谷川昌幸の台頭が数年遅れていた。
  2. 2000年代前半に広島は1回くらいAクラス入りしていた。
  3. もしかしたらフリーエージェントで在京球団へ移籍していたかもしれない。

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仰木彬[編集 | ソースを編集]

  1. 近鉄ではなくて現役時代を過ごした西鉄、いや西武の監督をやっていたりして。
    • ただ西武の成績はたぶん変わらないと言うか変わりようがない。
    • 一方、近鉄の70年代~90年代前半の成績は悪くなる。
      • あるいは森監督が近鉄の監督に就任していたりして!?
      • 野茂英雄が史実通り近鉄入りした場合、メジャー挑戦した可能性は下がりそう。
  2. オリックス監督就任は史実通り?
    • ただ西武監督としてのキャリアが史実の森政権レベルに長続きした場合、西武監督退任→すぐオリックス監督就任となるかも。
    • イチローの成績はたぶん変わらない。

大石達也[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の守護神になっていた。
    • 同世代の高橋朋己や増田達至は中継ぎ中心だった。
  2. 斎藤佑樹の立場がますます悪くなり、引退が早まっていたかもしれない。
  3. 小石博孝も現実以上に活躍していた場合、「大石小石コンビ」として一世を風靡していた。
    • 小石がリリーフ登板する際に彼(大石)と名前を間違われるハプニングが現実以上に有名になっている。

大家友和[編集 | ソースを編集]

もっと早くにブレイクしていたら。

  1. 1998年の横浜の日本一にも貢献できた。
  2. メジャー移籍はポスティングかFAだったのかもしれない。
    • 野茂英雄みたいに日米通算200勝も達成していたかもしれない。

大久保秀昭[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年近鉄いてまえ打線の弱点だった捕手の穴がなくなり、さらに強力なものに。
    • ただしポジションの被る北川博敏がトレードで来なかった可能性もあり、そうなるとあの「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打」もなかったことに…。
      • あそこまでドラマチックな展開になることはなくても、もっと楽に優勝できていただろう。
  2. 大東めぐみももっと売れっ子になっていた。
  3. アマチュアではなくプロで監督になっていたかも。

大久保博元[編集 | ソースを編集]

  1. 西武で正捕手の座を獲得していた場合、伊東勤は史実より早く現役を引退していたか、もしくはFAで他球団に移籍していた。
    • 89年にバークレオが不振の時にDHに定着した場合はデストラーデは来日しなかったorもしくは来日が遅れていた。
      • 90年~92年に西武が3年連続日本一できたかどうかは怪しい…
        • 仮にデストラーデが95年に来日して史実通り不振のまま退団した場合はダメ外人と扱われていた。
    • 俊足強肩を生かすため伊東は外野に転向。史実の平野謙のような立ち位置になっていた。
  2. 巨人移籍後に正捕手に定着していた場合、村田真一は史実より早く現役を引退していたか、もしくはFAで他球団に移籍していた。
    • 場合によっては2000年のドラフトで阿部慎之助を指名しなかった可能性もある。
      • この場合村田真一のその後のコーチ人生が吹っ飛ぶため、当然コンパクト教も生まれず、2014年からの深刻貧打は回避できた可能性がある。
  3. 後の楽天監督就任はなく、巨人で首脳陣入りしていたかもしれない。
    • 可能性があるのは、2002年の第一次原政権あたりか?

大久保勝信[編集 | ソースを編集]

  1. 00年代のオリックスは2008年以外にも何度かAクラスに入っていた。
  2. 「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打」を打たれた投手として現実よりも有名になっていた。
  3. 山口和男のブレイクが遅れていた。

大越基[編集 | ソースを編集]

  1. ダイエー黄金時代の主力選手として活躍していた。
  2. 投手(先発)として活躍していたら、永井智浩や星野順治らの影が薄くなっていた。
    • 外野手の場合は柴原洋や村松有人の影が薄くなる。
  3. キャリア晩年に楽天へFAで移籍していたかもしれない。
  4. 引退後に高校野球の指導者へ転身することもなかった。

大沢啓二[編集 | ソースを編集]

  1. オリオンズへのトレードはなかった。
  2. 現役生活ももっと長かった。
  3. 引退後は南海の監督になってたかもしれない。
  4. 孫の大沢あかねの芸能界入りが大きな話題を呼んだ。

大嶋匠[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトボールからのプロを目指す選手、男子ソフトの認知度向上となった。
  2. 有名なドラフト下位は異色の経歴でなく実績で証明したと評された。

大島裕行[編集 | ソースを編集]

  1. G.G.佐藤はレギュラーになれず控えに甘んじていた。
  2. 西武のドラフトでの地元選手軽視傾向も少しは改善されていたはず。
    • 「大阪桐蔭ライオンズ」とか揶揄されることもなかった。

大慈彌功[編集 | ソースを編集]

  1. 伊東勉と正捕手争いをしていた。
  2. 打撃の開花次第でコンバートもあった。
  3. セカンドライフが軌道に乗れば、MLBのスカウトになったか微妙。


大塚弥寿男[編集 | ソースを編集]

  1. オリオンズの正捕手として1970年と1974年のリーグ優勝に貢献していた。
    • 1960年代後半のチーム成績も史実より良くなっていた。
  2. 西鉄から村上公康をトレードで獲得することは無かった。
  3. 2024年現在も存命だったかもしれない。

大野雄次[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代後半から1990年代前半の大洋打撃陣を支えていた。
    • 同時期の大洋の成績も史実より良くなっていた。
    • 1998年のリーグ優勝・日本一を見届けて現役を引退していたかも?
  2. 巨人やヤクルトへの移籍はなかった。
  3. 駒田徳広をFAで獲得することはなかったかもしれない。
    • 高木豊や屋鋪要らのベテラン選手が解雇されることもなかった?

大野倫[編集 | ソースを編集]

  1. 沖縄出身の野手は大成しないと思われる事はなかった。
    • 当時すでに石嶺和彦がいましたが?
  2. 吉永幸一郎とのトレード相手が変わっていた。
  3. 高校時代の酷使がなく投手としてプロ入りしていたらどうなっていたか...

大場豊千[編集 | ソースを編集]

  1. 父親大場隆広氏の知名度は高かった。
  2. 松井の穴を埋められる存在と目されていたか。
  3. 2010年代後半までは現役を続けていた。

大畑徹[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代から1990年代前半の大洋投手陣を支えていた。
  2. 日本ハムへの移籍は無かった。
    • 但し地元のダイエーへはFAを行使して移籍していたかもしれない。

大松尚逸[編集 | ソースを編集]

  1. 最低でも一回は打撃タイトルを獲っていた。
  2. クレイグ・ブラゼルの獲得はなかったかも。
  3. チャド・ハフマンにレフトの座を奪われなかった。
  4. ヤクルトへのトライアウト移籍や独立リーグ移籍もなかった。

大森剛[編集 | ソースを編集]

  1. ポスト原として4番を打っていた。
  2. 初年度から活躍した場合、翌年のドラフトでわざわざ元木を指名することもなかった。
    • ポジションかぶらないからそれは問題ないだろう。
  3. 93年の巨人の貧打線はなかった。
    • 従ってわざわざ40歳の落合を中日から獲ることはしなかったろう。
  4. 松井秀喜は1年間、ファームでじっくり育てられた。2年目に新人王獲得。
    • そもそも松井を指名したか?
  5. もし長く現役を続けていたら、坂本は巨人に入っていなかったかも。
    • そうなったら堂上直倫が巨人に入団していた。
      • 堂上が巨人に入団していたら中日の某二軍打撃コーチからパワハラを受けることがなく、それに反発した森岡が中日をクビになることはなかった。
    • その場合、巨人の2010年代の成績は史実より落ちる可能性大。下手すると2010年代の日本シリーズがセ・リーグの全敗なんて事になっていたかも。
  6. AKB48の大森美優が彼の娘であるという事実は加入後すぐに明らかになっていた。
    • 娘の美優も現実以上に倉持明日香や若田部遥と比較されていた。
    • 史実より引退が遅れているので、娘の美優が物心つく頃まで現役を続けられていた。
  7. 長嶋監督も暗に認めたホモ疑惑があったので、括約…もとい活躍してたら増長してホモセクハラを起こしていたかもしれない。
    • 突如、謎のトレードでパリーグに放出される。
      • 史実でも最後は近鉄に移りましたが・・。
      • 近鉄への移籍後も活躍できていたかも。
        • その場合、彼も2001年の優勝に貢献していた。
          • その結果近鉄で引退→近鉄(またはオリックス・楽天)でスカウト入り→坂本が近鉄(またはオリックス・楽天)入りしていた?
        • もしかすると礒部公一の捕手から外野の転向がなかったか遅れていたかも。
    • 球界にホモスキャンダルの免疫が出来て多田野がビデオ発覚後も普通に横浜入りしていた。
      • TRSMも(もし本当に出演していたら)出演を認めていた。
  8. 近鉄でも現実以上に活躍していた場合、引退後近鉄〜楽天orオリックスバファローズでコーチを務めていた。
    • オリックスの場合、関西に残っているので娘の美優はAKB48ではなくNMB48に入っていた。
      • 阪神ファンの多いグループの中で「大森二世」としてだけでなく「オリ姫代表」として有名になっていたかも。
  9. 「二軍の帝王」と言う言葉は生まれなかった?

岡﨑太一[編集 | ソースを編集]

  1. 矢野輝弘から正捕手の座を奪っていた。
    • 引退も数年早まっていたかもしれない。その場合引退試合での「行くな!行くな!越えるな!」という実況は無かった?
    • ポジションが被る狩野恵輔は外野手にコンバートしていた。
  2. 城島健司を獲得することは無かったかもしれない。
    • 藤井彰人の獲得もなかった。
    • 梅野隆太郎のブレイクも少し遅れていた。

岡上和典[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代のうちに広島は低迷期から脱出できていた。
  2. 尾形佳紀や梵英心の獲得は無かったかもしれない。
  3. 登録名の下の名前を「和功」に変えることもなかった。

緒方耕一[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半までは現役を続けていた。
  2. 盗塁王のタイトルを緒方孝市と分け合っていた。
    • 「おがたこういち」はセ・リーグ盗塁王の代名詞となっていた。
  3. 巨人は清水隆行を獲得することはなかったか、獲得しても代打代走要員に。
    • 清水は盗塁下手だったから代走には使えなかったと思うけど・・・。
  4. 鈴木尚広より早く代走の切り札の立ち位置を確保できていた。
  5. 代走の神様と言われた。

岡本哲司[編集 | ソースを編集]

  1. 谷繁元信のブレイクが遅れていた。
  2. 日本ハムへのトレードはなかったか。
    • 日本ハムの二軍監督としての成績ももっとよかったはず。
  3. 横浜の監督になってた可能性もあったのかもしれない。
  4. 長男と三男のプロ入りが大きな話題を呼んだ。
    • 独立リーグではなくNPBでプロ入りしてたかも。

小川博[編集 | ソースを編集]

  1. 長きに渡りロッテのエースとして君臨する。
  2. だから、あの事件も起こさなかったのだろう。
    • マリーンズの「背番号26」は純粋に「ファン=26番目の選手」という意味で欠番扱いになっているか、もしくは彼の功績が讃えられて永久欠番になっていた。
  3. 1990年代のロッテの成績が良くなっていた。
  4. 最多奪三振がよりクローズアップされていたかも。

小川裕介[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスの左のエースとして活躍していた。…ってこれ川口知哉と似てるな。
  2. 一軍で防御率135.00を記録することも無かった。
  3. 2000年代のオリックスの成績が史実より良くなっていた。
  4. おそらく2010年代中盤まで現役を続けていたか…。
    • 2014年にオリックスが優勝していたかも。
  5. 金子千尋の背番号は違う番号になっていた可能性が高い。

奥柿幸雄[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年に失踪事件を起こすことも無く、1978年のリーグ優勝・日本一に貢献していた。
    • 翌1979年に最下位へ沈むことも無かったかもしれない。
  2. ポジションが被る大杉勝男のトレードは無かったかもしれない。
  3. デーブ・ロバーツは一塁手にコンバートせず、外野手のまま現役生活を終えていた。

奥村武博[編集 | ソースを編集]

  1. 同学年・同期入団の井川慶とのダブルエースとして2000年代の阪神を引っ張っていた。
  2. フリーエージェントで地元に近い中日へ移籍していたかもしれない。
  3. 引退後に公認会計士へ転身することは無かった。

小椋真介[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトバンクの1980年度生まれの先発陣は史実以上にえげつないことになっていた。
  2. 帆足和幸に11を剥奪されることはなかった。
    • 逆に帆足が16を着用していたか。

尾崎将司[編集 | ソースを編集]

  1. 黒い霧事件の際は、池永正明の無実を晴らすために奔走していた。
  2. 弟の健夫・直道も野球選手になっていた。
    • 実際健夫はヤクルトに指名されたが拒否している。
    • 健夫が坂口良子と結婚することはなかっただろう。
  3. 日本でのゴルフはマイナーなままだったかもしれない。
    • 丸山茂樹もゴルフ以外の道を歩んでいただろう。
    • 石川遼もJリーガーになっていたか?
    • ただ、同世代の樋口久子の活躍が史実通りなら、「プロゴルフ=女子」と取られていたかも。
  4. 自己破産もなかった。
  5. ファミコンソフト「ジャンボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル」も無い。

尾崎匡哉[編集 | ソースを編集]

  1. 一塁手だと中田翔、捕手だと大野奨太のブレイクが遅れていた。
    • 金子誠離脱時には再びショートに戻っていたかもしれない。
  2. マイカ・ホフパワーの獲得はなかったかもしれない。

小関竜也[編集 | ソースを編集]

  1. プロ4年目での新人王も以降も増えていた。
    • 打者新人王も源田壮亮まで待たなくて済んだ。
  2. メジャー移籍も成功していた。
  3. 巨人での成績ももっとよかった。

小田幸平[編集 | ソースを編集]

  1. 阿部慎之助が入団、實松一成の移籍はなかった。
  2. FAで巨人に移籍した野口茂樹の人的補償ではなかった。
    • 加藤健が中日ドラゴンズに移籍していた。
  3. 「メガネをかけた捕手といえば」で連想される1人としてもっと有名になっている。

小田智之[編集 | ソースを編集]

  1. 札幌ドーム第一号ホームランを打った選手として称されていた。
  2. 背番号変更後も「北のイチロー」と呼ばれていた。
    • 安打製造機になってメジャー挑戦もしていた。
  3. 退団時期によっては小谷野栄一や中田翔のブレイクが遅れていた。

小野剛[編集 | ソースを編集]

  1. 背番号降格、イタリア行はなかった。
    • 西武への移籍も無かった?
  2. エース級に成長した場合、松井退団後の成績はマシだった。

小野仁[編集 | ソースを編集]

  1. 現在でも内海とともに巨人で左腕の2本柱として活躍。
    • 杉内がFAで移籍してくることはなかったかも知れない。
    • 逆に背番号があいていた工藤は何の軋轢もなく移籍。
  2. もしかしたらメジャー移籍していた可能性も。
  3. 後輩の摂津より先に沢村賞をとる。
  4. (利き腕の違いはあるものの)2018年に吉田輝星(金足農業)が活躍した際には同じ秋田の超高校生級投手として比較されていた。
  5. 2022年にあんな事件を起こさなかったはず。

尾花高夫[編集 | ソースを編集]

史実よりもっと勝てていたら。

  1. 最多敗投手にはなっていなかった。
  2. 無冠の帝王で終わることもなかった。
  3. 30代後半や40代前半まで現役を続けていたかもしれない。
    • その場合、杉浦亨と同じように日本シリーズで活躍していたかもしれない(史実では1991年に引退したが、40歳までとすると1997年まで現役だった事になる)。
  4. 娘の貴絵の芸能界入りが大きな話題を呼んだ。
  5. ヤクルトのAクラス入りは史実よりもう少し早かった。
  6. 指導者としてもヤクルト一筋でホークスや巨人、横浜には所属しなかったかも?
    • 大矢明彦の後任監督は田代富雄になっていた。

織田淳哉[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代後半から2000年代までの巨人の投手陣を支えていた。
    • 1997年や2005年にBクラスに沈むこともなかった。
  2. 捕手へのコンバートもなかっただろう。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ