もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/か行

提供:chakuwiki

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > か行

鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

[編集 | ソースを編集]

甲斐拓哉[編集 | ソースを編集]

  1. 甲斐拓也と共に緒方孝市&緒方耕一以来の「ほぼ同姓同名」選手同士としてもてはやされていた。
    • 拓哉のポジションが投手なので「同音異字対決」が実現していた。
      • パ・リーグ同士なので上手くいけばオールスターゲームでバッテリーを組んでいた可能性もある。
  2. 同期入団の西勇輝の背番号21への変更が遅れていた、あるいは別の背番号を付けていた。

香川伸行[編集 | ソースを編集]

  1. 南海・ダイエーの正捕手として長きに渡り君臨し、本塁打王を何度も獲得していた。
    • 1980年代の南海や1990年代のダイエーの成績が史実より良かった。
    • 香川人気で南海の観客動員が増加したので、ダイエーへの球団売却はなかったか遅れていた。
      • 南海から直接ソフトバンクに売却されていた可能性もある。
    • 城島健司は駒澤大学を経由して1999年に入団。香川はこのあたりで引退していた。
  2. 王監督の後任は秋山ではなく香川。
  3. 「ドカベンプロ野球編」序盤は「ドカベン(山田)vsドカベン(香川)」の対決で盛り上げていた。
  4. どこかで香川真司との絡みがあった。
  5. 現実以上に香川照之と名前を勘違いする人が多かったかも。
  6. 2022年現在もご存命だったかもしれない。

垣内哲也[編集 | ソースを編集]

  1. 清原和博と「KK砲」を組んでいた。
  2. 1990年代後半の西武の貧打はかなり改善されていた。
    • 1999年は優勝できていたかもしれない。
  3. 「一軍と二軍で100本塁打」という珍しい記録を達成することも無かった。
  4. ロッテへの移籍も無かっただろう。
  5. 「分校出身のプロ野球選手」としても史実以上に有名になっていた?

欠端光則[編集 | ソースを編集]

  1. そもそも大洋に移籍していたか?
  2. 初年度からブレイクしていた場合、1980年代のロッテはもう少し上位だった。
    • 村田兆治の開幕投手の座を奪っていたかも。
  3. 大洋に移籍後ブレイクした場合、1998年の日本一ぐらいまでは現役だったかも。
  4. 立浪和義にプロ初ヒットを献上した投手として有名になっていた?
  5. 弟の外ヶ濱の注目度も上がっていた。
    • 幕内まで昇進したかは不明。
  6. 引退後はスカウトや広報ではなく、コーチになっていた。
    • 岩手出身と言う事もあり、後に楽天の指導者になっていたかも。
  7. 娘の瑛子のロンドンパラリンピックなどでの活躍はもっと知られていた。
    • ゴールボールももう少し知名度が上がっていた?

笠原栄一[編集 | ソースを編集]

  1. 80年後半のロッテは低迷する事はなかった。
  2. ドラフト1位としては11年間で未勝利、プロ野球記録はなかった。
  3. 1990年に金田が監督復帰に背番号34を背負うことはなかった。
    • 笠原自身も41に変更はない。
  4. 引退後は福岡市内のローソンでオーナーを勤務していない。
    • 地元群馬で群馬ダイヤモンドペガサスの監督か投手コーチ就任していた。
  5. 息子の将生がプロ初勝利を挙げ、一軍での親子勝利として話題になっていた。
    • だから、将生が野球賭博に手を染めることはなかった。

嘉勢敏弘[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代後半から「二刀流」に挑戦する選手が増えていた。
    • NPB初の「投手のシーズン2桁本塁打」は大谷翔平よりも前に達成していた。

片岡大蔵[編集 | ソースを編集]

  1. 先発投手として1980年代のヤクルトを支えていた。
    • ヤクルトの成績も史実より良くなっていた。
  2. 高野光や荒木大輔のブレイクが遅れていた。

片岡治大(易之)[編集 | ソースを編集]

  • 巨人でも活躍できていたら。
  1. 現役生活ももう少し長かった。
    • 丸佳浩の巨人入団後の背番号は史実と異なっていたかも。
      • もしくは長野久義の広島移籍後に片岡が西武時代の背番号に戻していたか。
  2. 両リーグ盗塁王も達成していたかも。
  3. ベッキーとの結婚は史実通り?

片瀬清利[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代の広島の先発陣を支えていた。
    • 同時期の広島はもう1回ぐらいリーグ優勝を果たせていた…かもしれない。
  2. 阪神への移籍や登録名の変更(清利→聖敏)も無かった。

葛城育郎[編集 | ソースを編集]

  1. イチローの後継者になってた。
  2. オリックスの三年連続最下位はなかった。
    • オリックスは2000年代にも優勝できてたかもしれない。
  3. 阪神へのトレードはなかったかも。
    • もしくは史実通りで阪神の主軸選手になってた。
      • 2005年以降の阪神も何度か優勝できてた。
  4. 現役生活ももう少し長かったかも。
    • 2010年代前半までは現役を続けていた?

歌藤達夫[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムへのトレードはなかった。
    • (子供の頃からの憧れだった)巨人への移籍はトライアウトではなくFAでの移籍だったかも。
  2. 史実より長くオリックスに残留していれば、中継ぎの中心になっていた。
    • 2006年以降ずっと勝ち星無しなんてこともなかった。

加藤英治[編集 | ソースを編集]

  1. 1960年代後半から1970年代にかけての近鉄の先発陣を鈴木啓示とともに支えていた。
    • 近鉄の暗黒時代脱出も史実より数年早かった。
    • 1975年は阪急とのプレーオフを勝ち抜け、日本シリーズ初出場を果たしていた。
  2. 太田幸司の獲得は無かったかもしれない。
  3. ほぼ同姓同名の加藤英司(阪急)との対決が注目されていた。

加藤高康[編集 | ソースを編集]

  1. 小宮山悟、黒木知宏らと共に1990年代後半のロッテの先発陣を支えていた。
    • 同時期のロッテの成績低迷も史実よりマシになっていた。
      • 1998年の18連敗は無かったかもしれない。
  2. 2005年の日本一を見届けて現役を引退していた。
    • 或いは金銭トレードで地元の楽天へ移籍し、そこで引退していたか。

加藤哲郎[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年の日本シリーズよりも前から知名度が高かった。
  2. 近鉄一筋で現役を終えていた。
  3. 現実よりも長く現役を続けられていた。
    • 少なくとも大阪ドームに移転する頃まで現役を続けていた。
  4. 引退後に雀士になっていたか怪しい。
  5. 同郷のエビちゃんとの共演が見られたかも。

加藤将斗[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代から2000年代前半にかけての横浜の先発陣を支えていた。
    • 1998年のリーグ優勝・日本一にも貢献していた。
    • 2000年代前半の成績低迷もなかったかも?
  2. 1994年オフのテレビ番組の収録で左足の肉離れを負わなかったらこうなっていたかもしれない。

加藤幹典[編集 | ソースを編集]

  1. 石井一久二世と呼ばれていた。
    • 背番号46への変更はなかった。
    • 退団時期によっては原樹理の背番号が異なってた。
  2. 小川泰弘のブレイクが遅れていた。

金澤健人[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムへのトレードはなかった。
    • 正田樹とのトレードの相手が異なっていた。
    • FAで他の球団へ移籍していた可能性はあった。
  2. 阪神の中継ぎの中心として活躍していた。

金村曉[編集 | ソースを編集]

  1. さすがにあの発言はなかった。
    • 阪神へのトレードもなく、引退まで日本ハムでプレーした。
    • あるいはFAで阪神か地元の楽天に移籍していたかも。
  2. 100勝か150勝は達成していた。
  3. ライアン・グリンかブライアン・スウィーニーの獲得はなかったかもしれない。
  4. 多田野数人の背番号は違う番号になっていた。

金子洋平[編集 | ソースを編集]

  1. 二軍だけでなく一軍でも本塁打王を獲ってた。
  2. 一塁なら中田翔、外野手なら陽岱鋼のブレイクが遅れていた。
    • ターメル・スレッジの再獲得はなかったかもしれない。
  3. 2009年や2012年のリーグ優勝にも貢献していた。

金村大裕[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代中盤にかけて先発として活躍していた。
    • 阪神もその間に1回ぐらいはリーグ優勝していたかもしれない。
  2. KBOへの移籍も無かった。
  3. 杉山直久、伊藤和雄、岩貞祐太の背番号は違う番号になっていた。

金森隆浩[編集 | ソースを編集]

  1. 右の先発として中日の投手陣を支えていた。
    • 同時期の中日の成績も史実より良くなっていた。
      • 1996年・1998年・2000年のどれかの年で優勝できていた。
      • 1997年の最下位も無かったかもしれない。
    • 引退は2000年代後半ぐらいか。
  2. 1イニング2本の満塁ホームラン被弾や台湾球界への移籍は無かった。
  3. 川上憲伸や武田一浩の獲得は無かったかもしれない。

鎌倉健[編集 | ソースを編集]

  1. 川之江高等学校の知名度が上がっていた。
    • 本校からプロ入りする選手ももっと多かった。
  2. 鎌倉市のPRキャラクターを務めていたかもしれない。
  3. 同期入団の武田久といい意味で比較されていた。
  4. リトルリーグの監督にはなっていなかった。

上坂太一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 2003年と2005年のリーグ優勝に貢献していた。
    • 岡田監督時代にもう1回ぐらいは優勝できていたかもしれない。
  2. 2003年にスピード違反を起こすこともなかった。
  3. セカンドのレギュラーを確保していたら、今岡や藤本や関本らの守備位置に影響を与えていた。

萱島大介[編集 | ソースを編集]

  1. 赤星とともに俊足コンビを組んでいた。
    • 場合によってはこちらも盗塁王に輝いていたかも。
  2. 京阪「萱島」駅がありしかもある程度有名な駅なので、京阪沿線在住の阪神ファンにはネタにされていた。
    • 但しこの選手の苗字の読み方は「かやじま」、京阪の駅は「かやしま」と読み方が異なるので間違う人も多かったのでは?
  3. もちろん競輪選手にはならなかった。

川上憲伸[編集 | ソースを編集]

ブレーブスでも活躍できていたら

  1. 150勝か200勝は達成できたかもしれない。
  2. 史実通り、現役は中日で終えていたかもしれない。
    • 11番は川上の預かり番号になってたかもしれない。
    • 2013年以降の中日はBクラスばかり続くことはなかったはず。
      • 高木守道はもう少し長く監督を務めていた。
        • 谷繁元信が兼任監督にならなかった。
    • 彼(憲伸)の引退も遅れていた。

川口知哉[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスの左のエースとして2009年現在も活躍している。
  2. もちろんビッグマウスも健在。
  3. オリックスが00年代前半に低迷する事はなかった。
    • 合併後もまともな成績を残せていた。
  4. 同い年で同じ在阪球団の左腕投手ということで阪神の能見篤史と何かと比較されていた。
    • 交流戦での対戦も実現していたかも。
  5. 引退後は女子プロ野球京都の監督ではなく、オリックスの投手コーチを務めていた。
  6. 平野佳寿の背番号は違う番号になっていた。

川崎憲次郎[編集 | ソースを編集]

中日移籍後も活躍していたら

  1. もちろん川崎祭は起こらず、2003年のオールスターには普通に出場していた。
  2. 2004年の開幕投手の座を実力で勝ち取っていた。
  3. もちろん2009年時点でも現役である。
    • 落合監督の退任を見届けて引退していた。
  4. 2005年入団の中田賢一は背番号18を背負っていた。
    • 当然中里篤史はずっと背番号70のまま。
      • むしろ中里は解雇が早まったか?
  5. 史実どおり2003年まで故障で棒に振り、2004年の開幕戦で好投して大復活、そのまま主力投手として活躍を続けるという展開であれば、開幕戦起用の落合采配は別の意味で伝説的になった。前年の川崎祭を見事に見返すことにもなった。
    • その場合は前代未聞の「2度目のカムバック賞受賞」を成し遂げていた。
  6. 「川詐欺」という蔑称は無かった。
  7. 「燃えよドラゴンズ!2002」で「きっと川崎よみがえれ」という歌詞にはならなかった。

川島亮[編集 | ソースを編集]

  1. 楽天へのトレードはなかったかもしれない。
    • どっちにしろFAで他の球団へ移籍していた可能性はある。
    • ヤクルトに残留していた場合、2015年のリーグ優勝にも貢献していた。
  2. 彼の後に17番を背負った選手ももう少し活躍できてたかもしれない。
    • 成瀬善久はヤクルトでも活躍できてたかもしれない。

川藤幸三[編集 | ソースを編集]

  1. むしろ現役生活は短くなっていたかもしれない。
  2. あそこまで愛される選手にはなっていなかった。
    • モルツ球団に入ってざこば師匠が「川藤出さんかい!」「ホンマに出してどないすんねん」ということもなかった。
    • 1986年のオールスターでのヒット→2塁で刺されてアウトということもなかった。
  3. 新人時代に二軍で最多盗塁を記録していた実績を引っさげ、俊足の外野手として活躍していたかも。
    • 史実の後の赤星憲広みたいになっていた可能性がある。
  4. 阪神で「代打の切り札」のポジションが確立されたのは真弓明信か八木裕からだった。
  5. 入団時の瞬足内野手のままだったら78年オフに田淵と西武にトレードに出された可能性もありそう…
    • 古沢が西武や広島へ移籍することはなかった。

河野昌人[編集 | ソースを編集]

  1. 上手くいけばシドニー五輪で野球日本代表を金メダルに導いていたかも?
  2. 逆レイプ事件の被害者になることもなく、若くして病死することもなかった。
    • 史実通り2017年に亡くなった場合でも、同時期に亡くなった森慎二と同じくらいニュースで取り上げられていた。
  3. 白濱裕太の背番号は違う番号になっていた。

河原純一[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代後半には巨人のエースピッチャーとなっていた。
    • 恐らく阪神の暗黒時代には天敵となっていた。
      • 抑え投手になっていたら槙原寛己は先発のままかセットアッパーで現役を引退。
  2. 2002年のリーグ優勝時には史実と同じく抑えピッチャーとして活躍。
  3. 西武への移籍や中日へのテスト入団はなかった。
    • または米大リーグに移籍していた。

河原隆一[編集 | ソースを編集]

  1. 1997年の段階でベイスターズは優勝し、1999年以降も史実より良かった。もちろん1998年は史実通り日本一。
    • 1997年オフの大矢明彦監督の電撃解任もなかった?
  2. 史実以上に河原純一と間違われていた。
  3. 石川雅則が二代目カツオと呼ばれた(なお両者の現役生活は2002~2004の三年間だけかぶっている)。
  4. 総出場試合数>イニング数になったのは史実通り?
  5. 活躍した結果スカウトにならなかった場合、佐野恵太や大貫晋一、牧秀悟などがベイスターズ入りしていない可能性あり。

川村丈夫[編集 | ソースを編集]

先発でもっと活躍できていたら。
  1. 中継ぎ転向はなかった。
  2. 40代まで現役でいることはできたかもしれない。
  3. 200勝を達成できたかもしれない。
  4. 1998年以降の横浜は何度か優勝できてたはず。
  5. BCリーグの監督にはならなかったか。

神崎安隆[編集 | ソースを編集]

  1. 公式戦での安打が別所毅彦の完全試合を阻止した1本にとどまることはなかった。
  2. 広島への移籍もなかった?
  3. 大洋・横浜・DeNAでも背番号27は捕手の番号として認識されていた。

[編集 | ソースを編集]

木佐貫洋[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスや日本ハムへのトレードはなかった。
  2. 三桁勝利は達成できてたはず。

岸田護[編集 | ソースを編集]

ずっと先発で活躍していたら

  1. 中継ぎや抑えへの転向はなかった。
  2. オリックスは2010年代にも何度か優勝できてた。
  3. 引退時期によっては山本由伸の背番号変更が遅れていた。

北篤[編集 | ソースを編集]

  1. 野手転向した選手として糸井嘉男や石井琢朗、高井雄平らとともに称される存在になっていた。
  2. 梶谷隆幸か荒波翔のブレイクが遅れていた。

木田勇[編集 | ソースを編集]

  1. 80年代の日本ハムは西武と激しい優勝争いを演じていた。
    • 工藤幹夫(82年に20勝)が同様に活躍を続けていたら凄いことになっていた。
  2. 大洋にトレードされることも無かった。
  3. 大洋移籍後に再ブレイクした場合、「横浜ベイスターズ」になるぐらいまでは現役だったか。
    • 1998年の日本一の時は引退している(44歳)だろう。ただしコーチとして所属していたかもしれない。
      • 2006年日本ハムの日本一にコーチ及び監督として関わってたりして。

木田優夫[編集 | ソースを編集]

巨人時代に先発でもっと活躍できていたら。

  1. オリックスへトレードされることはなく、巨人から直接メジャーに移籍していたかも。
    • 野村貴仁とのトレード相手が異なっていた。
      • 清原和博が野村の影響で薬に手を出すこともなかった。
  2. ヤクルトや日本ハムへの移籍もなかったかも。
    • 史実通り、日本ハムへ移籍していた場合は日本ハムOBの木田勇がいたことでファンの間で日本ハムの木田と言えばどちらかを思い出すか分かれると話題になる。
  3. 史実通り2012年(BCリーグ込みなら2014年)まで現役を続けた場合、画力的な面で長野久義と比較されたりして。

紀田彰一[編集 | ソースを編集]

  1. 多村仁は21世紀に入る前に自由契約にされていた。
  2. FAでニューヨーク・ヤンキースに「選手として」入団していたかも。
    • レギュラーを取っていたらヤンキースはA・ロッドを獲得しなかったかも。

北川利之[編集 | ソースを編集]

  1. セカンドのレギュラーとして2010年代前半まで活躍していた。
  2. ホセ・カスティーヨの獲得は無かった。
  3. 2000年代後半にFAを行使して地元に近い阪神かオリックスへ移籍していたかも?
  4. 登録名を「北川隼行」に変えることも無かった。

北川智規[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代から2010年代前半にかけてのオリックスで先発投手として活躍していた。
    • 該当時期のオリックスの成績が多少良くなっていた。
  2. 同姓同名のラグビー選手との対談が実現していたかもしれない。
  3. 引退後に親会社へ就職することもなかった。

北川博敏[編集 | ソースを編集]

阪神で活躍していたら

  1. 矢野輝弘の獲得はなかった。
  2. 阪神の暗黒時代脱出がもう数年早くなっていた。
  3. 近鉄は2001年にリーグ優勝を経験できなかった。
    • オリックスとの球団合併は史実通りか?

木下智裕[編集 | ソースを編集]

  1. 左腕の中継ぎとして、活躍していた。
  2. 1983年の新人王を獲得していたかもしれない。
  3. 巨人に移籍することはなかった。
  4. 引退後は、後続のオリックスで打撃投手やスコアラーに就任していた。
    • もしくは、球団職員として、フロント入りしていた。

木村一喜[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代の広島の正捕手として活躍していた。
    • 石原慶幸や倉義和のブレイクは遅れていた。
  2. 楽天への移籍はなかっただろう。
  3. 「森伊蔵を飲んだのは私です」事件が史実以上に有名になっていた?

木元邦之[編集 | ソースを編集]

  1. 田中賢介のブレイクが遅れていた。
  2. ホセ・マシーアスやミッチ・ジョーンズを獲得しなかったかもしれない。
  3. オリックス移籍はなかったかもしれない。
    • FAで他の球団に移籍していた可能性はあった。
  4. 引退後は京都市の中学の保健体育の教師にはならなかった。
    • Qさまの学力王決定戦には出ていたかもしれない。

清原和博[編集 | ソースを編集]

  1. もちろん、「無冠の帝王」と呼ばれる事もない。
    • それでも「無冠の帝王」だった場合、史実以上に悲運の選手として扱われそう。
  2. 当然在籍中のチームの成績は史実以上になる。1989年も西武は優勝し、パ・リーグ10連覇(1990年以降も史実通りだったとする)してたかも。
    • 巨人移籍が史実通り(1997年)の場合、1997年の巨人はなんとかAクラス入りしていたし、1998・2001年も優勝していたかも。1999年は史実より1年早くON対決になっていた。
  3. 王貞治の868本には届かないにせよ、野村克也の657本は抜いていたかも。少なくとも門田博光(門田は567本で、史実の清原は525本)は抜いていた。
  4. 最多被死球・最多三振になったのは変わらない。
    • 史実より現役が長引き2000三振を越えていたかも。その場合中村剛也はやや目立たなくなる。
  5. 巨人移籍は史実通りだろうがオリックス移籍はなく巨人の選手のままか、西武に出戻りして引退した。
  6. あるいはメジャー挑戦があったかも(ただしどうせ松井秀喜と同時期≒最晩年になるので成績はあまり……)。
  7. 「かっとばせ!キヨハラくん」の掲載期間は変わらない。ただし少しはましなキャラになっていたかも。
    • ただタイトル獲得時期によっては過去の栄光にしがみつくキャラになっていたかも。「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」では特に顕著になっていたか。
  8. 引退後にクスリに手を出さなかったかは不明。
    • コーチや監督になった可能性は結局薄そう。

[編集 | ソースを編集]

工藤隆人[編集 | ソースを編集]

  1. 福浦和也や福本豊らと並び、ドラフト最下位の星として称されていた。
  2. 巨人やロッテへのトレードや中日へのトライアウト移籍もなかったはず。
    • FAで他の球団に移籍していた可能性はあった。
    • 史実通り巨人へ移籍していた場合は、工藤公康がいたこともあって巨人の工藤と言えば、どちらを思い出すか分かれると話題になる。

工藤幹夫[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代から1990年代前半までの日本ハムの先発陣を支えていた。
    • 1993年はもしかしたらリーグ優勝できていたかも?
    • 1990年代後半ぐらいまでは現役を続けていた。
  2. 西武の工藤公康と共に、パ・リーグを代表する工藤姓の投手として有名になっていた。
  3. 1982年のパ・リーグプレーオフでの強行登板が無ければこうなっていたかもしれない。

熊原健人[編集 | ソースを編集]

  1. 2016年の段階でDeNAは2位になっていたし、2017年以降も史実より上位だった。
  2. 2015年ドラフトが史実以上に当たり年と言われた(1位今永昇太、2位熊原、3位柴田竜拓、4位戸柱恭孝)。
    • その分、5位綾部翔のスキャンダルはことさらに取り上げられた。
  3. 宇宙人キャラとして井納翔一の後継者になっていた。井納が史実通り巨人に移籍した後はなおさら取り上げられる。
    • 楽天移籍後にブレイクした場合、柳田悠岐との対決が取り上げられたりして。
      • もちろんDeNA在籍のままブレイクして糸井嘉男と並べられることも考えられる。
  4. 仙台大学とのパイプができた結果大関友久がソフトバンクの育成ではなくDenaまたは楽天の支配下で指名されていたかも。
    • 馬場皐輔はたぶん変わらない。

倉持明[編集 | ソースを編集]

  1. ロッテの守護神として君臨。100セーブ以上は挙げていた。
    • 1980年代にロッテは1回くらいは優勝・・・ってのはやっぱ無理か?
      • そもそも80年前期にロッテは優勝している。
    • クラウンライターやヤクルトにトレードされることはなかった。
  2. 娘の明日香が生まれる頃まで現役を続けていた。
    • 現実以上にテレビで明日香との共演が見られた。
      • もしかすると明日香の野球関係のテレビ出演が増えていたかも。
  3. 落合と一緒に川崎球場の観客動員数増加に貢献していた。
    • 観客が流しそうめんをすることもなかった。
  4. どこかの球団で投手コーチになっていた。

栗山英樹[編集 | ソースを編集]

  1. ヤクルトの1番打者として定着してた。
    • 飯田の処遇によっては1990年代末期の真中台頭まではレギュラーだったかもしれない…
  2. 引退後はヤクルトのコーチを務めていて場合によっては日本ハムの監督に就任してなかったかもしれない…
    • それで指導者として実績を残していればヤクルトの監督に就任してた可能性もある。
    • 場合によっては若松政権でコーチを務めたのち若松退陣後は一旦解説者となり2012年に日ハムの監督に就任してその後は史実通りと言う可能性も…。
  3. 東京学芸大からプロを目指す選手が増えた。

黒木知宏[編集 | ソースを編集]

  1. 「魂のエース」という呼び声は史実以上だった。
  2. 40代まで現役を続けていたかもしれない。
  3. 2005年の日本一にも貢献できた。
  4. 引退後は日本ハムではなくて千葉ロッテの投手コーチになっていた。
  5. 1998年の18連敗も無かった。

黒田一博[編集 | ソースを編集]

  1. 息子の博樹のプロ入りが大きな話題を呼んだ。
    • 殿堂入りできた場合、博樹が表彰式に立ち合っていたかもしれない。
  2. 史実より長く現役を続けていた。
  3. 引退後は南海かロッテで監督をやっていたかもしれない。
    • あるいは広島の指導者として、と言いたいが博樹が入団した時73歳だったのでさすがに無理か。

黒田哲史[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも巨人にトレードはされず、西武で現役を全うしていた。
  2. 新山千春が子連れで稼ぐこともなかった。
    • そもそも新山と結婚していない。

[編集 | ソースを編集]

源五郎丸洋[編集 | ソースを編集]

  1. 阪神の不動のエースとして活躍し、1992年の亀新フィーバー時には現実とは逆に阪神がヤクルトを押しのけ優勝を果たしていた。
    • 1985年の阪神優勝・日本一が「エースなき優勝」と言われることはなかったかも。
  2. その名字が色んな所で度々ネタにされていた。
    • ラグビーの五郎丸歩の話題では引き合いにされていた。
      • 2015年には源五郎丸があのポーズをさせられていただろう。
      • 2015年には五郎丸歩との共演も見られたかも。
    • 中野渡進(元横浜)、下敷領悠太(元ロッテ)については言うまでもない。

[編集 | ソースを編集]

河野博文[編集 | ソースを編集]

  1. 先発で活躍できていれば、中継ぎ転向はなかった。
    • 西崎幸広のブレイクが遅れていた。
  2. 巨人への移籍は史実通りか。
    • 巨人移籍後に最優秀中継ぎ投手を獲っていたら、セ・リーグ最優秀中継ぎ投手第一号として称されていた。
      • 中継ぎ投手も殿堂入りの対象に追加された。

小斉祐輔[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトバンク育成選手第一号の一人として称されていた。
  2. 楽天へのトレードはなかった。
  3. 育成出身初の三冠王もあり得た。
  4. 内野手なら松田宣浩、外野手なら中村晃や柳田悠岐のブレイクが遅れていた。

小坂誠[編集 | ソースを編集]

2005年オフに金銭トレードで入団した小坂選手でしたが、打撃不振などからレギュラーをつかむことができず、2008年オフに楽天に移籍しました。 もし巨人でレギュラーを獲っていたら・・・

ショートに定着していた場合
  1. 二岡智宏が三塁、小久保裕紀が一塁にそれぞれコンバートされていたため、李承ヨプは外野で登録されていた。
    • 李承ヨプは06年限りで退団したかもしれない。
  2. 二岡が小笠原道大の人的保障で日ハムに移籍していた。
    • よって不倫騒動も無かった。
    • さすがに二岡をプロテクトから外すとは思えんが・・・。
  3. 2008年シーズン、坂本勇人は二塁を守っていた。
    • そして木村拓也は守備固めでの出場が中心になっていた。
  4. そもそも木村拓也を獲得していない・・・ってことはないかもな。どこでも守れるし。
    • 古城の入団(實松古城←→岡島のトレード)も小坂と同時期だから変わらなさそう。
セカンドの場合
  1. 06年オフに仁志敏久が横浜へトレードされたことにより空いたセカンドに定着。
両方に共通すること
  1. 現実より長く巨人でプレーしており上手くいけば巨人で現役を終えていた。

小嶋達也[編集 | ソースを編集]

  1. 「ポスト井川」として左のエースになっていた。
    • 能見篤史のブレイクが遅れていた。
  2. 2007〜10年のどこかで阪神が優勝出来ていた。
  3. ルーキーイヤーに1年を通して活躍できており、同期入団の上園啓史と新人王を争っていた。

後藤光貴[編集 | ソースを編集]

  1. 史実以上に内野手の後藤光尊(オリックス~楽天)と混同する人が続出していた。
    • そして同音異字「ごとうみつたか」対決が現実以上に話題を呼ぶ。
  2. 河原純一とのトレードが「巨人・西武両チームにマイナスをもたらしたNPB史上最低最悪の大失敗トレード」とか酷評されることはなかった。
    • そもそも巨人にトレードされることはなかった。
      • そのトレードからのブレークなら話は別。

小林至[編集 | ソースを編集]

  1. 東京大学出身のプロ野球選手としてもっとも有名な選手になっていた。
  2. 1990年代のロッテは史実より良い成績を残していた。
  3. 2005年の日本一を花道にして現役を引退していたかも?
  4. ソフトバンクにフロントとして入ることもなかった。

小林昭則[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代のロッテの先発陣を支えていた。
    • 黒木知宏のブレイクが遅れていたかもしれない。
  2. 史実以上に「オリオンズ最後の先発投手」として有名になっていた。
  3. 下記の宏之・雅英の台頭を見届け、2000年代前半に現役を引退していた。

小林宏之[編集 | ソースを編集]

  • 阪神移籍後も活躍していたら
  1. 「トリプルK」が早々と解散することもなかった。
  2. 2011〜12年の阪神はAクラス入りを果たせていた。
    • 2014年に優勝できていたかも。
  3. 登録名を「小林宏」にしていたので現実以上に元オリックスの小林宏と混同されやすかった。
  4. 不良債権扱いされることもなかった。

小林雅英[編集 | ソースを編集]

  • インディアンスでも活躍出来ていたら(ただし抑えで)。
  1. 引退前に250セーブ達成できたかもしれない。
    • パ・リーグに所属歴にある投手で初の達成になってた。
  2. 史実通り、巨人やオリックスに移籍していた場合の成績ももう少しよくなっていた。
  3. 小林尊と比較され続けたかも?

小原沢重頼[編集 | ソースを編集]

  1. 第二次長嶋政権の巨人で「勝利の方程式」の一員として活躍していた。
  2. やくみつるの漫画で「歌手の小金沢くん」(小金沢昇司)とかけたネタにされることはなかった。
    • そのネタが出たのが入団2年目ぐらいだったのでたぶん変わらない。
  3. 長嶋茂雄監督から「オバラザワ」と呼ばれることもなかった?
  4. 巨人史上最悪ドラフトの活躍者として吉岡雄二と並べられたかも。

小桧山雅仁[編集 | ソースを編集]

  1. 「横浜ベイスターズ」最初のドラフト1位として、斎藤隆(最後の「大洋ホエールズ」ドラフト1位)とまともに比較されるようになる。
    • 桧山進次郎との対戦も注目されたりして?
  2. 台湾移籍はなく、引退まで横浜。
    • 引退後もTBSラジオの職員でなく、TBSの解説者になっていたりして。
  3. 「背番号19の呪い」はこの時消えていた。
  4. 当然、1998年の日本一にも貢献した(史実では一軍登板ゼロ)。
  5. 史実のように佐々木の前のセットアッパーとして活躍した場合、五十嵐英樹のブレイクはなかったかも。
    • もし五十嵐もブレイクした場合、1992年のドラフトが当たりドラフトと言われるようになる(1位小桧山、2位佐伯、3位五十嵐、5位戸叶)。

小松聖[編集 | ソースを編集]

  1. 2009年のオリックスの最下位転落はなかった。
  2. 中継ぎ転向もなかった。
  3. オリックスは2010年代にも優勝できたかもしれない。
    • 少なくとも2014年は優勝していただろう。
    • 2021年まで現役をと言うのはちょっと無理か。
  4. 金子千尋より先にオリックス初の沢村賞を受賞できたかもしれない。
  5. 「小松式ドネーション」はもっとポジティブな意味で広まっている。
  6. 小松辰雄と勘違いされる事が増えたりして?

小山良男[編集 | ソースを編集]

  1. 谷繁に代わる正捕手として2000年代後半から2010年代前半の中日を支えていた。
    • 谷繁は史実より早く現役を引退していた。
  2. 2009年のWBCに選手として選ばれ、松坂大輔とバッテリーを組んでいた…かな?
    • 因みに史実ではブルペン捕手として参加。

金剛弘樹[編集 | ソースを編集]

  1. 岩瀬に代わる抑えとして定着していた。
    • 浅尾・金剛・岩瀬が勝利の方程式に。
  2. 二軍における最多登板記録は片瀬清利の240試合のままだった。
  3. 2013年以降艦これネタで加賀繁以上にいじられている。
  4. ドラフト9位と言う順位が史実以上に注目されたかも。
    • 佐野恵太や杉本裕太郎と比較されたかもしれない。

近藤真一[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代の中日はもっと優勝できていた。
  2. 同じ左投手の山本昌は200勝を取ることも、最年長完封記録を持つこともなかった。
    • 横浜(大洋)やロッテあたりにトレードされていたかも。
    • そもそもアメリカへの野球留学から呼び戻されず(星野が呼び戻したのは故障離脱した近藤の穴を埋めるため)、オファーのあったメジャーリーグに入っていた。もし活躍していれば野茂以前に日本人選手の大リーグ志向が生じたかも。
  3. 息子さんの中日入団がもっと話題を呼んだ。
    • 息子さんももっと活躍できていたかも。

権藤博[編集 | ソースを編集]

  1. 稲尾和久を超える史上最速ペースで200勝を達成していた。
  2. 中日はもっと優勝できていたし、巨人のV9もなかった。
  3. 与那嶺要か中利夫の後任あたりで中日の監督になっていたかも。
    • 「権藤監督の胴上げだ」と燃えよドラゴンズで歌われていた?
    • 横浜監督就任は史実通り?
  4. 近藤貞雄が投手分業を考えることもなかった。
    • そうなったのは権藤の酷使がきっかけの為。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ