もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/さ行

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > さ行

鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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斉藤宜之[編集 | ソースを編集]

  1. 矢野謙次や亀井善行らのブレイクが遅れていた。
  2. 2002年の日本シリーズではMVPを獲得していたかもしれない(史実では優秀選手賞)。
  3. 2000年代中盤の巨人の成績低迷が史実よりマシになっていた。
  4. ヤクルトへの移籍はなかっただろう。

斉藤貢[編集 | ソースを編集]

  1. 登録名を「ミツグ」に変更することも、脱税事件に関与することもなかった。
  2. ダイエーはもう少し早く低迷から脱出していた。
  3. 永井智浩やブレイディー・ラジオらの獲得は無かったかもしれない。
  4. ダイエー球団がソフトバンクに譲渡される頃までは現役を続けていた。

斎藤佑樹[編集 | ソースを編集]

  1. 当然のことながら、日本ハムはもっと優勝できていた。
    • 日本ハムの投手陣はもっとえげつないことになっていた。
    • ソフトバンクの優勝数も減っていた。
  2. 田中将大との比較もまともにできていたことだろう。
  3. 侍ジャパンにも何回か選出されていた。
  4. 当然カイエンも青山の土地も自力で買えていた。

齊藤悠葵[編集 | ソースを編集]

  1. その名前から現実以上に「赤いハンカチ王子」と話題になっていた。
    • 彼にちなみ、マツダスタジアムで赤いハンカチが売られるようになった。
  2. 日本ハムとの交流戦で「さいとうゆうき対決」が一度は実現していた。

酒井圭一[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代のヤクルトはもう少しまともな成績を残していた。
    • 投手陣が尾花高夫・梶間健一に頼り切りになることはなかった。
  2. 2009年ドラフトでヤクルトは今村猛を指名していたかもしれない。
  3. 2012年現在も「サッシー」といえば「指原莉乃」ではなく彼の事である。
    • 「サッシー」なら酒井で「さっしー」なら指原という、ロッテの「マーくん」と田中将大の「マー君」ぐらいややこしい使い分けを迫られたりして。
  4. 同年のドラフト1位である佐藤義則(阪急)や斉藤明夫(大洋)といい意味で比較されていた。

酒井泰志[編集 | ソースを編集]

  1. 投手陣の一角として2005年の日本一に貢献していた。
    • 同年のロッテはレギュラーシーズン1位だったかもしれない。
  2. ロッテの26番が欠番扱いになるのが遅れていた。
    • 小川博の強盗殺人事件が史実通りならしれっと背番号を変更していたかもしれないが…。

栄村忠広[編集 | ソースを編集]

  1. 吉村との衝突事故がなかったらこうなっていたかもしれない。
    • 衝突事故を乗り越えて活躍していたら、悪意のある書き方をしていたやくみつるが叩かれていた。
  2. 90年代後半ぐらいまでは準レギュラーとして活躍していた。

榊原諒[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスで育成契約はなかった。
    • オリックス移籍後も活躍できていた。
      • のちに入団する榊原翼が彼(諒)と混同されていたかも。
  2. 日本ハムの新人王投手は最終的にダメになるというジンクスは破られた。
  3. 中継ぎだけで二桁勝利を連発しまくっていた。

坂田遼[編集 | ソースを編集]

  1. 2度の左肩脱臼がなければ、「左のおかわり君」として中村剛也級の打者になっていてもおかしくなかった。
  2. 2018・2019年の山賊打線はさらにえげつないものになっていた。

作道烝[編集 | ソースを編集]

  1. 張本勲、大杉勝男とクリーンナップを打っていた。
  2. 「5者連続本塁打の打者のうち、最初の一人である彼だけが実績の乏しい全くの無名選手」とか言われることもなかった。

佐久間浩一[編集 | ソースを編集]

  1. 右肘故障がなければ、松井秀喜級の打者になっていてもおかしくなかった。
    • 高校時代は「西の清原、東の佐久間」と言われたほどの素質。
      • そもそも体が万全なら、ドラフト4位など有り得ないが。

作山和英[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代のダイエー投手陣を支えていた。
    • 仮に先発で活躍していたら永井智浩や星野順治のブレイクが遅れていた。
    • Bクラス脱出も史実より数年早くなっていた。
  2. 引退後にスカウトへ転身することも無かった。
    • 中村晃・攝津正・周東佑京のうちの誰かは獲得できなかったかもしれない。
  3. 「ササキ様に願いを」にも登場し、浜名千広ともども佐々木主浩にパシられていた。

桜井広大[編集 | ソースを編集]

  1. 2007〜2010年のどこかで阪神が優勝出来ていた。
  2. 上手くいけば2020年現在も阪神でプレイしている。
  3. 最低1度はホームラン王を争っていた。
  4. 1軍デビュー〜ブレイクが早まっていた場合、外野を守る外国人選手の数人は入団しなかったかも。
  5. 彼と入れ違いに伊藤隼太をドラフトで指名しなかった。
    • 現実通り指名したとしても別の背番号を付けている。
  6. 高校の同級生の今江敏晃と比較されることもなかった。

佐々木貴賀[編集 | ソースを編集]

  1. 絵が上手いプロ野球選手として木田優夫より先に注目された。
    • 現在もプロ野球関係のイラストを描き続けていた。
      • 野球関係のイラストよりサブカル関係のイラストが多かったかもしれないが…。
  2. 金村曉やカルロス・ミラバルらと先発ローテを守っていた。
  3. 守護神になってた場合は北の大魔神の異名をもらっていた。

佐々木信也[編集 | ソースを編集]

  1. 1960年のオリオンズ優勝の原動力となっていた。
    • 日本シリーズでも大洋に4連敗することは無かった。
  2. プロ野球ニュースのキャスターにはなっていなかった。
    • プロ野球の存在自体も現実よりマイナーになっていたかも。
      • それでプロ野球自体がマイナーということは無いと思うが、パリーグの人気低迷は史実以上に続き、1リーグ化されていたかも。

定岡正二[編集 | ソースを編集]

  1. 江川・西本・定岡の三本柱による巨人黄金時代を築いた。
    • 引退が遅れており上手くいけば長嶋監督が復帰する頃まで居続けていたかも。
      • 長嶋監督の1期・2期両方で現役だった選手の一人になった。
    • 同世代のドラフト1位として、史実以上にドラフト外の西本と比較されていた?
  2. 引退後もバラエティ番組で弄られることなんてありえない。
    • ただ、江川卓のような形で出ていた可能性はある。
    • またコーチ就任→日テレ系バラエティでと言う可能性もある。
  3. 近鉄へのトレードも話にすら挙がらなかった。
    • 兄の縁で南海およびダイエーへの移籍(および引退後のコーチ就任)はあったりして?

定岡卓摩[編集 | ソースを編集]

  1. 堂上直倫や黒田博樹らと並び二世選手として称される存在になってた。
  2. 千葉ロッテ移籍後にブレイクに成功した場合、宮地克彦や田上秀則らと並び、リストラの星として称される存在になってた。
    • 場合によっては鈴木大地や角中勝也などのブレイクが遅れていたかもしれない。
    • 楽天移籍後にブレイクした場合は、茂木栄五郎や島内宏明のブレイクが遅れていたかもしれない。

佐藤勇[編集 | ソースを編集]

  1. ポスト菊池雄星として西武の左のエースになっていた。
  2. 大谷世代(1994年度生まれ)が「ライオンズにとっては空白の世代」と言われることもなかった。

佐藤純一[編集 | ソースを編集]

  1. 後輩の鈴木貴久や村上隆行のブレイクが遅れていた。
    • 南海から新井宏昌をトレードで獲得することもなかった。
    • それでもブライアントは史実通りの経緯で入団していたかもしれない。
  2. 近鉄は1988年にリーグ優勝を果たせていたかもしれない。
    • 翌1989年は悲願の日本一を達成していた?
  3. 引退後に審判員へ転身することもなかった。

佐藤剛士[編集 | ソースを編集]

  1. 前田健太や野村祐輔らと三本柱になっていた。
  2. 交流戦で涌井秀章やダルビッシュ有との対決が実現した。
  3. メジャーに移籍していたかもしれない。
  4. 広島は史実より早く暗黒時代を脱出できた。
    • 広島初の三連覇にも貢献できた。

佐藤充[編集 | ソースを編集]

  1. 吉見一起や川井雄太のブレイクが遅れていた。
    • 山井大介の先発での再ブレイクはなかったかも。
  2. 背番号70への変更はなかった。
  3. 楽天で育成契約もなかった。

佐藤吉宏[編集 | ソースを編集]

  1. 今でもスーパーゴリの愛称で親しまれている。
  2. 現実に一軍で打ったホームランはエース級の投手からのものだったのでエースキラーと呼ばれていたかもしれない
    • なのでウルトラマンエースのエースキラーとコラボされてた。
  3. 場合によっては陽岱鋼や糸井嘉男のブレイクが遅れていたかもしれない。

真田裕貴[編集 | ソースを編集]

  • 巨人時代に先発で活躍できていたら。
  1. 横浜へのトレードはなかった。
    • 中継ぎ転向もなかった。
    • 台湾球界やヤクルトへの移籍もなかった。
    • メジャー移籍もあったかも。
  2. 2007年からの巨人の三連覇にも貢献できた。
  3. 現実以上に真田幸村の子孫だと思われていたか。

實松一成[編集 | ソースを編集]

  1. 高橋信二はブレイクしないまま、他の球団へトレードされてた。
    • 巨人移籍も早まってたかもしれない。
      • 岡島秀樹との交換トレードのときは實松の代わりに高橋信二がトレードに出された。
      • 小笠原道大の巨人移籍後は高橋信二ではなくて實松か鶴岡が背番号2を継承していたかもしれない。
    • 鶴岡慎也もブレイクが遅れていたかもしれない。
      • 場合によってはソフトバンクへ移籍しなかったかもしれない。
  2. 日本ハムの背番号40は広島同様に捕手のイメージが強くなってたかもしれない。
  3. 「スラガガー」なんてなんJで言われる事もない。

佐野重樹[編集 | ソースを編集]

1999年のオフに3対3の大型トレードで中日へ移籍した佐野ですが、翌2000年は11試合に登板して防御率8.10という不本意な成績に終わり同年オフに戦力外通告を受けてしまいました。もし中日でも活躍していたら…。

  1. 中日は2000年に優勝できていた
    • 翌2001年の成績も5位にはならなかった。
      • それでも星野仙一は史実通り退任していたか。
  2. アメリカやメキシコの独立リーグの球団を渡り歩くこともなかった。
    • オリックスへの移籍や登録名の変更もなかった。
  3. 小田幸平や和田一浩が移籍して来た場合確実にネタにされる。
    • 三人組で何かやっていたかも!?

澤井良輔[編集 | ソースを編集]

  1. 元銚子商業高校の強打者として史実以上に注目された。
  2. 2000年代前半までにレギュラー定着した場合初芝清は史実より早く引退していた。
    • 2000年代のロッテはAクラス入り回数は史実よりも増えていたかもしれない…
  3. 引退後は沢井製薬のCMに出演していたかも?

澤崎俊和[編集 | ソースを編集]

  1. 同い年で同期の黒田博樹と先発ローテを守っていた。
  2. 広島の暗黒時代はそんなに長いものじゃなかったはず。
    • マツダスタジアム移転までにもう1回優勝出来ていたかも。

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塩川達也[編集 | ソースを編集]

  1. 楽天で背番号1を着用した打者は活躍できないというジンクスができることはなかった。
    • 岩村明憲は楽天でも活躍できてたかもしれない。
    • 松井裕樹の背番号も史実と異なっていたかもしれない。
  2. 塩見貴洋と塩塩コンビで身売りを出されていたかもしれない。

七野智秀[編集 | ソースを編集]

  1. 「70番台の背番号を付けて活躍した選手」として話題になっていた。
  2. 吉村裕基や内川聖一の守備位置に影響を与えていた。
  3. スティーブ・コックスやタイロン・ウッズの獲得は無かったかもしれない。

篠田淳[編集 | ソースを編集]

  1. 「ダイエー初のドラフト1位選手」として有名になっていた。
    • 少なくともダイエーは1990年代中盤までにBクラスを脱出していた。
  2. 同じ左腕で役割が被る吉田豊彦の影が薄くなっていた。
    • 史実より早く阪神へトレードで移籍していたかもしれない。
  3. FAを行使して地元に近い中日へ移籍していたかも?
  4. 引退後にローソンの店長になることは無かった。

忍全功[編集 | ソースを編集]

  1. その珍しい苗字がいろいろなところでネタにされる。
    • その女性の名前のような苗字から、太平洋クラブ時代にチームメイトの真弓明信・若菜嘉晴と揃って「お前らキャバレーか!」と野次られたことが現実以上に語り草となっている。
      • 真弓・若菜と共にトレードで阪神入りしていれば尚更。
    • 「忍」だけに忍者のまち三重県伊賀市の観光大使になっているかも。

芝草宇宙[編集 | ソースを編集]

  1. 元帝京高校のエースとして史実以上に注目された。
  2. 引退まで日本ハムでプレー。
    • その場合、八木智哉の背番号は史実と異なってたかもしれない。
    • 同じ年のドラフト1位武田一浩と比較された(芝草はドラフト6位)?
      • 交流戦があるころまで現役で、三浦大輔(やはりドラフト6位)と比較されたりして。
    • 2006年と2007年のリーグ優勝にも貢献できた。
  3. 宇宙兄弟とコラボされてたかもしれない。
  4. スター☆トゥインクルプリキュアにゲスト声優として出演していたかもしれない。
  5. 宇宙戦隊キュウレンジャーにもゲスト出演していたかもしれない。
  6. 仮面ライダーフォーゼには野球部の監督役としてゲスト出演していたかもしれない。

柴田博之[編集 | ソースを編集]

  1. 故障さえなければ、盗塁王を何度か獲っていただろう。
  2. 広島から福地寿樹がトレードで来ることはなかったか。
  3. ひょっとしたら、『ウマ娘 プリティーダービー』に「シバタオー」という名前で特別出演していた可能性もあるかも?

嶋重宣[編集 | ソースを編集]

史実より早くブレイクができていたら

  1. 西武へのトレードはなく、引退まで広島でプレーしていた。
    • もちろん引退後は西武のコーチにはなっていなかった。
    • あるいはFAで他の日本の球団かメジャーに移籍していた。
      • 元々埼玉出身だったので結局西武入りしていたりして?
  2. 天谷宗一郎や松山竜平のブレイクが遅れていたか。
  3. 広島の連続Bクラスは史実より短かった。少なくとも2001年は確実にAクラス入りしていた。
  4. 「赤ゴジラ」の通称は生まれない(史実でブレイクした2004年に初めて55番を付けたので)。
    • 34番(入団当初)のままだった場合、前田健太は1年目に何番を付けていた?
      • ピッチャーのままブレイクした場合、嶋引退後に34番を引き継いでいたかも。その場合18番は誰になった?
  5. 1000本安打(史実では868安打)は打っていただろう。

嶋尾康史[編集 | ソースを編集]

  1. 中継ぎエースとして90年代の阪神で活躍していた。
    • 史実より阪神の成績はマシになっていた。
    • 2003年の優勝が史実通りならそれを置き土産にして引退していたかも。
  2. 引退後に俳優へ転身することは無かったかも?
    • 映画「ミスター・ルーキー」に阪神の選手役で出演するのは現実通り。

島崎毅[編集 | ソースを編集]

  1. パ・リーグ初の最優秀中継ぎ投手として称されていた。
  2. 日本でもメジャーでも中継ぎ投手も殿堂入りの対象に追加された。
  3. 40代まで現役を続けられたかもしれない。
  4. 中日や広島への移籍はなかった。
  5. 2006年と2007年のリーグ優勝にも貢献していた。

島田一輝[編集 | ソースを編集]

  1. 100試合以上の出場無しで現役を終えることはなかった。
  2. 日本ハム初の2連覇に貢献してから引退していた。
    • コーチ就任もそのあとだった。
  3. 川島慶三のプロ入り当初の背番号が異なっていたかも。
    • 島田自身は一桁背番号に変更していた可能性もあったのかもしれない。

島野修[編集 | ソースを編集]

  1. スーツアクターにはならなかっただろう。
    • その結果普通の一流選手として終わり、特に取り上げられるようなこともなかったかもしれない。
    • ブレービーの知名度と人気も現実ほどじゃなさそう。
  2. 阪急への移籍も無かった。

清水章夫[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスへの移籍はFAでの移籍だったかもしれない。
    • 史実より長く日本ハムに残留していた場合、中村泰広の背番号が異なってた。
  2. 清水優心の日本ハム入団後は、日本ハムの田中や武田、ロッテの小林または清水などどちらかを思い出すかが分かれると話題なっていた。

清水直行[編集 | ソースを編集]

横浜でも活躍していたら。

  1. DeNAに買収されるころまで現役だった。
    • 横浜は2010年代に優勝できてたかもしれない。
  2. タイトルの獲得無しでの200勝も達成できてたかもしれない。
  3. 琉球ブルーオーシャンズの監督にはなっていなかった。

清水将海[編集 | ソースを編集]

  1. 里崎智也や橋本将のブレイクが遅れていた。
  2. 後にトレードで中日やソフトバンクに移籍することもなかった。
  3. 清水以降もロッテで27を着用する捕手が増えていた。
    • 田村龍弘まで待たなくて済んだ。

下窪陽介[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代前半にかけてのベイスターズの外野陣を支えていた。
    • 同時期のベイスターズの成績も史実より良くなって…いたか?
  2. 下園辰哉や荒波翔の台頭が遅れていた。
    • そもそも荒波をドラフトで獲得しなかったかもしれない。

下柳剛[編集 | ソースを編集]

最初から先発で活躍していたら。

  1. 日本ハムや阪神への移籍はなかった?
    • 阪神へはトレードではなくFA移籍していた可能性はあったかも。
  2. 最多勝獲得ももっと早かった。
    • ベテランエースと呼ばれていなかったか。

正田樹[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムの新人王投手は活躍できなくなるイメージで見られることはなかった。
    • 2006年や2007年のリーグ優勝にも貢献できた。
  2. 阪神や台湾球界、ヤクルトへの移籍もなかった。
    • ヤクルトの移籍が史実通りなら、トライアウトではなくFAでの移籍だったかも。
      • 高校の先輩の石井弘寿の背番号61を継承したかは微妙。
  3. 最多勝や最多奪三振は日本で達成できたはず。
  4. 八木智哉か武田勝のブレイクが遅れていた。

條辺剛[編集 | ソースを編集]

  1. そもそも、肩を故障してなかったらの話ではある。
  2. 巨人のストッパーとして活躍していた。
    • ダン・ミセリは来日せず、クルーンも横浜退団後巨人が獲得してたかどうかも怪しい。
  3. うどん屋を開業させる事はなかったかもしくは遅れていたかも?

白仁田寛和[編集 | ソースを編集]

  1. 中継ぎエースに定着できていた。
    • 1軍デビューが早まっていた場合、榎田大樹の指名がなかった。
      • あるいは榎田のブレイクが遅れていた。
    • 桑原謙太朗とトレードで移籍することもなかった。
      • そうなれば2017年に2位になれたか怪しくなる。
  2. 篠田麻里子(元AKB48)と高校の同級生だったことが現実以上に有名になっていた。
  3. オリックス移籍後にブレイクできていた場合、2015年以降もAクラスに居続けることができていたかも。

白濱裕太[編集 | ソースを編集]

  1. 城島二世の呼び声が現実以上のものになっていた。
  2. プロ入りから長年一軍出場無しなんてことはなかった。
  3. 石原慶幸から正捕手の座を奪っていた。
    • 倉義和も史実より早く引退していた。
    • 會澤翼がブレイクしなかったかも。

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杉浦三六[編集 | ソースを編集]

  1. 息子の太陽とタカオの芸能界入りが大きな反響を呼んだ。
    • ウルトラマンコスモスや劇場版仮面ライダーブレイドにもゲスト出演できたかもしれない。
  2. 杉浦忠との杉浦対決が実現した。
  3. 暴力団と関わりを持つこともなかった。
    • 多額の借金をすることもなかった。
  4. 亡くなった時には多くの悲しみの声が続出した。

杉浦忠[編集 | ソースを編集]

  1. 200勝どころか、300勝も達成し、名球会にも入会していた。
  2. 南海は、1962年、1963年、1967年、1968年も優勝し、1961年から8連覇を達成していた。
    • 上手くいけば1959年以外にも南海が巨人相手で日本一になれた年が少なからずあった。
  3. 飯田徳治は、1年で監督を辞任せず、野村克也兼任監督誕生は遅れていた。
    • 野村兼任監督が誕生しなければ、彼(ノムさん)の愛人問題による退団もなかったかも。
  4. 2リーグとなって初の最下位になったのは、1969年ではなく1978年だった。
  5. もしかしたら監督時代の成績も現実以上にマシだったかも。王さんよりも先にホークスの連続Bクラスを止めていた。
    • そうなれば身売り・移転後初の優勝が早まった。

杉本友[編集 | ソースを編集]

  1. 「国立大学の星」として注目を集めていた。
  2. 2000年代前半のオリックスの成績が低迷することもなかった。
  3. 背番号18を背負い続けていたので、具臺晟や山口和男の背番号は違う番号になっていた。
    • 山口は14のままだったかも。
  4. 名前が似ている杉本裕太郎との対談が実現していたかもしれない。
    • もちろんオリックスのコーチおよび監督として指導していた可能性も……投手なので薄いか。
    • あるいは声優の「杉本ゆう」との対談が実現していたかもしれない。

杉谷拳士[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく、一番打者として成功していた。
  2. ゴールデングラブ賞を取っていたかも。
  3. 2008年の日本ハムのドラフトが史実以上に持ち上げられる。
    • ドラフト6位で入団テスト経験者と言うのもアピールされた。
  4. 「野球のうまい芸人」としてバラエティ番組への出演が増えまくっていた。
    • 「かかってきなさい」「やってやろうじゃねえかこの野郎!」などのセリフが野球ファンだけじゃなく一般でも流行していたかも?
    • 逆になくなっているかもしれない。

杉山直樹[編集 | ソースを編集]

  1. 村田真一から正捕手の座を奪っていた。
  2. 阿部慎之助のブレイクが遅れていた。
  3. 2000年の日本シリーズの直前に強制猥褻致傷で逮捕されることもなかった。

杉山直久[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代の阪神の成績は史実より良くなっていた。
    • 2003年はダイエーを破って18年ぶりの日本一を達成できたかもしれない。
    • 2005年の33-4も無かった。
  2. 安藤優也や上園啓史のブレイクが遅れていた。
    • 2007年のセ・リーグ新人王は金刃憲人が獲得していた。
  3. 背番号は引退まで「18」のまま。2008年のオフに「17」に変わることもなかった。

鈴木尚広[編集 | ソースを編集]

  1. 赤星憲広と最多盗塁を争っていた。
  2. 松本匡史の記録を更新している。
  3. オールスター出場も早まっていた。
    • 川藤幸三と比較されることもなかった。

鈴木俊雄[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代のロッテの正捕手として活躍していた。
    • 青柳進や定詰雅彦のブレイクは遅れていた。
    • 同時期のロッテの成績も史実より良くなっていただろう。
  2. 台湾・味全への移籍も無かった。

鈴木郁洋[編集 | ソースを編集]

  1. 中日時代に活躍できてた場合、中村武志から正捕手の座を継承した。
    • 谷繁元信を獲得しなかったかも。
    • 中村は中日一筋で現役生活を終えていたかも。
  2. 近鉄移籍後にブレイクした場合、藤井彰人のブレイクはなかったかも。
    • オリックスとの合併後は史実通り、オリックスに行っていたと思われる。
    • 近鉄には鈴木啓示、オリックスにはイチローがいたため、ファンの間で近鉄やオリックスの鈴木はどちらを思い出すか分かれると話題になる。

鈴木将光[編集 | ソースを編集]

  1. 丸佳浩か松山竜平ののブレイクが遅れていた。
  2. 鈴木誠也がレギュラーを取るまで残留していた場合、外野に鈴木という苗字の人が二人いたことで話題になってた。
  3. 広島初の三連覇にも貢献できたはず。
    • もっと早くに暗黒時代を脱出できたかもしれない。

須永英輝[編集 | ソースを編集]

  1. (子供の頃からの憧れだった)巨人へ移籍はトレードではなくFAだったのかもしれない。
  2. 二軍ではなく一軍で最多勝を獲っていたのかもしれない。

住吉義則[編集 | ソースを編集]

  1. 三塁のレギュラーとして1990年代の日本ハムを支えていた。
    • ポジションが被る片岡篤史の獲得は無かったかも?
  2. 1993年か1996年に日本ハムはリーグ優勝を果たせていた。

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関口雄大[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜育成選手第1号として称される存在になってた。
  2. 日本ハムへのトレードはなかったかもしれない。
    • そうとなれば梶谷隆幸か荒波翔のブレイクが遅れていた。
    • 日本ハム移籍後にブレイクしていたら、陽岱鋼のブレイクが遅れていたかもしれない。
      • 稲葉篤紀の一塁へのコンバートも早まってたかもしれない。
  3. 大学時代はアメリカでもプレーしてたこともあってメジャー挑戦もしていたかもしれない。
    • 初の育成出身打者メジャーリーガーになってた。

関根裕之[編集 | ソースを編集]

  1. 金村曉のブレイクが遅れていた。
    • 1998年の最優秀防御率のタイトル獲得は無かったかも。
  2. カルロス・ミラバルは中継ぎのままだったかもしれない。
  3. 関根勤や関根麻里との共演が実現した。
  4. 100勝以上いってたかもしれない。
  5. 彼以降に47をつけた投手ももっと活躍できたかもしれない。
    • 活躍できなかった場合、47は関根の預かり番号となってたかもしれない。
  6. 2006年の日本ハムの優勝を見届けて引退していた?

瀬間仲ノルベルト[編集 | ソースを編集]

  1. ブラジルからプロを目指す選手が増えていた。
  2. 外国人枠見直しの契機となったとされた。
  3. 「ホッシャ」への改名はなかった。

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副島孔太[編集 | ソースを編集]

  1. ヤクルト時代にレギュラーを獲得していた場合、アレックス・ラミレスの獲得はなかったか、もしくは来日が遅れていた。
    • もしくは稲葉篤紀が史実より早く日本ハムに移籍していたかも。
  2. オリックス移籍後にブレイクしていれば、球団合併以降もNPBでプレーできていた。
    • 後の茨城ゴールデンゴールズ入りはなかった。

園川一美[編集 | ソースを編集]

  1. 毎年のように開幕投手に任命されていた。
    • 当然のごとく王監督の「開幕投手には格ry」という発言もなかった。
    • 村田兆治(13回)も小宮山悟(6回)ももう少し減っていた。
    • とりあえず100勝(史実では76勝)までは行けたか。
  2. 10.19では近鉄打線を完璧に抑え込んでいた。
  3. イチローキラーとして、自分が200本目のヒットを打たれることもなかった。
    • 逆に「イチローの200本目のヒットを打たれた投手」として現実以上に有名になったかもしれない。
      • その場合、イチローがメジャーでヒット数の新記録を達成した際にコメントを寄せられていただろう。
  4. 2005年の日本一にコーチではなく選手として立ち会って……はないか、その時すでに20年目だから。
  5. 「なんでこの僕が2位指名なんですか!?」発言が史実以上にネタにされる?
    • ましてや史実1位の石田雅彦が史実通りの場合……。
  6. 引退試合の後に敗戦処理として登板することもなかった。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ