もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/た・な行

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > た・な行

鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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高市俊[編集 | ソースを編集]

  1. 「東都の不沈艦」「東都のマダックス」という呼び名が史実より有名になっていた。
  2. 館山昌平や小川泰弘のブレイクが遅れていた。
  3. 2010年代のヤクルトが4回も最下位に沈むこともなかった。
    • 2011年にリーグ優勝していたかもしれない。

高木晃次[編集 | ソースを編集]

  1. FA権取得ももっと早かった。
  2. ダイエーへのトレードはなく、近鉄との合併までオリックスへ残留していたかもしれない。
    • ヤクルトやロッテへのトライアウト移籍もなかったはず。
  3. オリックスの日本一にも貢献できた。
    • 史実では2005年のロッテの日本一に貢献。
  4. 先発転向ももっと早かったろう。

高木宣宏[編集 | ソースを編集]

  1. 大野・川口の様なサウスポーになって150勝は挙げている。
  2. 94年~97年の広島はすべて優勝していた。
    • そして女性からの人気もよりあっただろう。
  3. 引退後はカープの投手コーチに。
  4. 高山郁夫とのトレードで西武に移籍することはなかった。
  5. 1985年の広島はもう少しいい成績を残していた。
    • さすがに阪神をまくって優勝は無理だろうが、少なくとも9月の7連敗は回避できていた。

高橋薫[編集 | ソースを編集]

  1. ロッテの左のエースとして活躍していた。
    • 山本功児監督は1回か2回Aクラスを経験していたかもしれない。
  2. 2010年代前半までは現役を続けていた。
  3. 高橋の前に背番号14を背負っていた小宮山悟がロッテに復帰した際の背番号が変わっていた。

高橋一正[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代から2010年代前半にかけてのヤクルトの投手陣を支えていた。
  2. 中継ぎとして活躍した場合、木田優夫や林昌勇の獲得はなかった。
  3. 俳優の高橋一生と混同されていたかも?

高橋朋己[編集 | ソースを編集]

  1. 増田達至はクローザーに転向せず一貫して中継ぎメインで活躍していた。
  2. 西武の低迷期(2014~16年)にだけ活躍した選手、というイメージはつかなかった。
  3. 西武は今でも大卒社会人投手の指名に積極的だった。

高畠導宏[編集 | ソースを編集]

  1. 左の強打者として野村克也らとクリーンナップを形成していた。
  2. 1969年に南海が最下位に沈むことはなかったかもしれない。
  3. それでも、引退後に打撃コーチとして各球団を渡り歩いたのと高校の教員免許を取得するのは史実通りか?

高見沢考史[編集 | ソースを編集]

  1. 「契約金ゼロから這い上がった選手」として有名になっていた。
  2. 2000年代のオリックスの成績も史実より良くなっていた。
    • 2005年はAクラス入りを果たせていたかもしれない。
  3. それでも村松有人をダイエーからFAで獲得するのは史実通り?

髙村祐[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代から2000年代前半にかけての近鉄で先発投手として活躍していた。
    • ルーキーイヤーの1992年の13勝が自己最多になることは無かった。
      • 勝敗数は史実の83勝102敗が入れ替わっていた。
    • 岡本晃や岩隈久志のブレイクが遅れていた。
  2. 1994年の近鉄はリーグ優勝できていたかもしれない。
    • 勿論2001年の優勝にも貢献していた。

高森勇気[編集 | ソースを編集]

  1. DeNA買収直後の時点で一塁か左翼のレギュラーを張っていた。
  2. 筒香嘉智は村田修一の後釜の如く三塁で定着。
    • この場合、宮崎敏郎は石川雄洋らと二塁を争っているか一塁にコンバートされ、ホセ・ロペスは獲得されなかった。
      • そもそも宮崎がDeNAにドラフト指名されているかも微妙。

高山久[編集 | ソースを編集]

  1. ホセ・フェルナンデスに背番号1を取られることもなかったか。
    • 逆にホセ自身が44を着用していたのかもしれない。
  2. G.G.佐藤や栗山巧のブレイクが遅れていた。
    • 逆に栗山が52から44に変更していたのかもしれない。
  3. 阪神へのトレードもおそらくなかった。
    • FAで他の球団に移籍していた可能性はあった。
    • 現実通り阪神へ移籍してそれ以降も活躍できた場合、髙山俊とチームメイトになったかもしれない。
      • そして「阪神のたかやま」といえばどちらを思い出すかの同姓選手ネタになっていた。

竹内昌也[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代の阪神の成績は史実より良くなっていた。
    • 日本ハムにトレードで移籍することも無かった。
  2. 1997年に最優秀防御率のタイトルを獲得していたかもしれない(実際は規定投球回数到達前に打ち込まれ3.01で防御率5位)。

竹清剛治[編集 | ソースを編集]

  1. 先発として活躍していたら清水直行や小野晋吾の台頭が遅れていた。
  2. 1990年代後半から2000年代前半にかけてのロッテの成績は史実より良くなっていた。
    • 2005年の日本一にも貢献していた。
  3. 中国や台湾でプレーすることも無かった。

竹田光訓[編集 | ソースを編集]

  1. 「星野2世」「六大学ビックスリー」という前評判通りの活躍で、大洋・横浜の先発ローテーションを支えていた。
    • 韓国のサムスンでプレーすることはなく、生涯大洋・横浜一筋で現役生活を終えていた。
  2. 1987年に傷害容疑で無期限謹慎処分を受ける事もなかった。

竹原直隆[編集 | ソースを編集]

  1. 同じ右打ちの荻野貴司や清田育宏の出番が減少していた。
    • 数少ない左投右打の選手として称されていた。
  2. 2011年と2012年のロッテの成績が史実より良くなっていた。
  3. オリックスや西武へ移籍することもなく、ロッテ一筋で現役生活を終えていた。

田島俊雄[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代後半から1990年代前半にかけてのホークス先発陣を支えていた。
    • 加藤伸一や村田勝喜の台頭が数年遅れていた。
    • 若田部健一や渡辺秀一らは他の球団に入団していたかもしれない。
  2. ホークスの連続Bクラス記録は史実より早く止まっていた。
  3. ロッテ、日本ハム、台湾球界への移籍も無かった。

ダース・ローマシュ・匡[編集 | ソースを編集]

  1. ダルビッシュ2世の呼び声は史実以上に高かった。
    • 現実以上にダルビッシュと比較されていた。
  2. ダースのCM出演のオファーもあった。
  3. インドからプロ入りする人も出てきたのかもしれない。
    • 上手くいけばインドの野球リーグも設立されたかもしれない。
  4. 斉藤和巳ファンってこともあってソフトバンクに移籍していたかもしれない。

立川隆史[編集 | ソースを編集]

  1. 規定打席到達がないまま現役を終えることはなかったはず。
    • 阪神や台湾球界へ移籍することもなかった。
    • 総合格闘家に転身することもなかっただろう。
  2. ロッテは山本功児監督時代にAクラスを経験出来ていた。

日月鉄二[編集 | ソースを編集]

  1. 珍名もさることながら「元・槍投げの選手」という異色の経歴が注目される。
    • 各球団はこぞって「第二の日月」を発掘すべく別スポーツからの転向者を積極的に指名するように。
  2. 大半が高校の同期であるMr.Childrenのメンバーとの対談が実現していた。

田中彰(1982年生まれの内野手)[編集 | ソースを編集]

  1. 曽祖父に第24代横綱の鳳谷五郎、祖父に元幕内の福ノ里牛之助をもつ力士の家系である選手として史実以上に注目されていた。
    • 同じく力士の家系の山口俊との対決が見られた。
  2. 広島へのトレードはなかったかも。
    • オリックスの前身である阪急ブレーブスに同姓同名の内野手がいたことも史実以上に注目されていた。

田中大輔[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半以降の中日の正捕手の座を谷繁から奪っていた。
    • 谷繁の引退はかなり早くなっていたかもしれない。
  2. オリックスへの移籍はなかった。

田中宏和[編集 | ソースを編集]

  1. 田中宏和運動」の皆さんはもっと盛り上がっていた。
    • 本人も「野球の田中宏和」として参加していた。
    • 1年目が1995年と言う事もあり、ポケモン関連のオファーがあったかも?
  2. 1990年代後半から2000年代後半にかけて、近鉄・オリックスの先発として活躍していた。
    • 2001年のリーグ優勝にも貢献していた。
    • 山村宏樹や岩隈久志のブレイクが遅れていた。

田中幸雄(1959年生まれの投手)[編集 | ソースを編集]

  1. もちろん史実より長く現役を続けている。
    • コユキが引退するのと同じ年(2007年)……までは無理か。
      • 監督になって田中幸雄が田中幸雄の名前を告げるシーンがあったかもしれない!?
  2. もう一回ぐらいノーヒットノーランを達成していたかも。
  3. 抑え転向後にブレイクした場合、武田一浩のブレイクは遅れたか先発のままだった。

田中良平[編集 | ソースを編集]

  1. 同じく北陸三羽ガラスと呼ばれた内海哲也との投げ合いが見られた。
  2. 弟の靖洋とチームメートになれたのかもしれない。
  3. メジャー移籍はFAかポスティングでの移籍だったかもしれない。
  4. ロッテの2005年と2010年の日本一にも貢献できた。

谷中真二[編集 | ソースを編集]

西武時代に活躍できていたら
  1. 同期入団の森慎二と共に「Wシンジ」として大々的に売り出されていた。
  2. 阪神へのトレードもなかった。
    • 平尾博司は阪神一筋で現役を終えていた。
  3. 松坂大輔が入団した1999年のキャンプで「松坂の影武者」にはおそらく指名されてなかっただろう。
阪神にトレード後、史実以上に活躍していたら
  1. 阪神は野村監督時代に暗黒時代から脱出していた。
  2. オリックスへのトレードもなかった。
    • もちろん楽天への移籍もない。
  3. 鳥谷敬は入団時は背番号1ではなく別の背番号をつけていた。

谷佳知[編集 | ソースを編集]

2010年代に入ってからも活躍できていたら

  1. 2000本安打を達成できた。
    • 上手くいけば、通産400二塁打も達成できたかもしれない。
  2. 亀井義行と定位置争いをしていた。
  3. 藤村大介のブレイクが遅れていた。
  4. 代打要員にはならなかった。
  5. オリックス復帰後もベテランとして2014年の優勝争いを支えていた。

田畑一也[編集 | ソースを編集]

ダイエー時代に活躍していたら

  1. ダイエーはもっと早くBクラスを脱出できていた。
    • FAで武田一浩を獲得することもなかった。
  2. 当然だがヤクルト・近鉄・巨人への移籍は無かった。
    • 1997年のセ・リーグは横浜が優勝していたかもしれない。

玉野宏昌[編集 | ソースを編集]

  1. トニー・フェルナンデスに背番号3を取られることもなかったか。
  2. 高木浩之はレギュラーになれないまま史実より早く現役を引退していた。
  3. 平尾博司(博嗣)も2001年の移籍早々の大怪我で出番がなくなり、こちらも史実より早く現役を引退していた。
  4. 中島裕之は2004年以降背番号3ではなく別の背番号をつけてプレーしていた。

多村仁志[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトバンクへのトレードはなく引退までずっと横浜でプレイしていたかもしれない。
    • あるいはFAで他の球団は移籍していた。
  2. ケガさえしなければ、スぺランカーと呼ばれることもなかった。
  3. 2000年以降の横浜も最低でも一回は優勝できてた。
    • 暗黒時代も史実ほどひどくはなかったろう。

丹波健二[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代のロッテの成績は向上していた。
    • 少なくとも1992年は最下位では無かった。
      • 1998年も18連敗を記録することも無く、連敗数も半分ぐらいで止まっていた。
        • となるとロッテが優勝していたかも(この年のロッテは借金10しかなく、18連敗が9勝9敗だったら貯金8で史実で優勝した西武(貯金9)とほぼ同じだった)?
  2. ポジションが被る愛甲猛は史実より早く他球団に放出されていたかも。

ち・つ[編集 | ソースを編集]

近田豊年[編集 | ソースを編集]

  1. 左右両方で投げるスイッチピッチャーとして、史実以上に有名になっていた。
    • 但し右投げはアマチュア時代に打撃投手として使用しただけなので、おそらく左投げが中心になると思われる。
    • 阪神へトレードで移籍することもなかった。
  2. 1999年のダイエーの初優勝を見届けて現役を引退していた?
  3. 引退後にゴルフのレッスンプロに転身することもなかった。

辻内崇伸[編集 | ソースを編集]

  1. 杉内がFAで来る事はなかっただろう。
  2. 松本竜也の入団は無かった。
    • 松本は横浜に入団していた。
  3. トレードで他球団で活躍していた。
  4. 同級生の平田良介との対決が見れた。
  5. 女子プロ野球埼玉アストライアの監督を務めることもなかった。

辻本賢人[編集 | ソースを編集]

  1. 中卒に門戸を開く見直しがあった。
    • 彼以外にも中卒でプロ入りする選手が何人も出ていた。
    • 彼の影響を受けて高校進学を待たずにプロを目指す人が多くなるかも。
    • 野球漫画のシナリオにも影響しそう。
    • 多くのチームが中卒選手を育成枠で「白田買い」するケースが続出していた。
      • 下手したら野球のユースチームもできていた可能性も。
      • 囲い込みが一層強まっていた。
  2. 最年少記録を樹立すれば大々的に報じられた。
  3. 多少の下積みがあっても異色の経歴と注目された。
  4. 数少ない昭和64年生まれとして現実以上に話題になっていた。
    • 同じ生年月日のプロボクサー・亀田大毅と対談したりして。
  5. 同年度生まれの田中将大や斎藤佑樹が中卒で入っていたらさらに活躍していただろうなと野球ファンは考えていた。

蔦文也[編集 | ソースを編集]

  1. 東映初期の先発ローテーション投手として活躍した。
    • 現役引退後は東映の投手コーチとなり、水原監督の下での日本一に貢献していた。
  2. 池田高校が有名になることはなかった。
    • 高校野球が金属バットになっても、攻撃野球を志向する学校はなかった。

筒井壮[編集 | ソースを編集]

  1. 星野仙一元監督の甥っ子として現実以上に有名になっている。
  2. 活躍次第では入団当初に与えられ、星野監督に「ドラフト7位に大ぞれた背番号は必要ない」と変更された背番号4をつけていた。
  3. 阪神移籍後も活躍出来ていたかも。
    • 上宮高校・明治大学の先輩だった中村豊と三度チームメイトになったことももっと有名になっている。
    • 引退・コーチ就任は現実通りとしても数年遅れていた。

円谷英俊[編集 | ソースを編集]

  1. 育成契約はなかった。
  2. セカンドなら脇谷亮太、藤村大介のブレイクが遅れていた。
  3. 小笠原道大の退団が早まってたかもしれない。
    • 村田修一の獲得はなかったかもしれない。
  4. 円谷作品の応援大使を務めていたかもしれない。
    • ウルトラシリーズへのゲスト出演の話が出てきた。
    • ウルトラシリーズに出演していた女優と結婚していたかもしれない。

坪井智哉[編集 | ソースを編集]

  1. 父親の新三郎氏の知名度も高かった。
  2. 日ハムトレード後の復活なら長野指名はなかったか。
  3. 母校PL廃部、出身企業の東芝の経営難にコメントがあったか。
  4. 阪神は野村監督時代にAクラス入り出来ていたかも。
  5. 「イチローもどき」の振り子打法で現実以上に注目されていた。
  6. DeNAの打撃コーチになっていたか?

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寺田龍平[編集 | ソースを編集]

  1. 札幌東西南北の高校からプロ入りする選手が増えていた。
  2. 青山浩二と北海道コンビで身売りを出された。
  3. FAで日本ハムに移籍していたかもしれない。
  4. TBSへの就職もなかった。

寺原隼人[編集 | ソースを編集]

  1. プロ初の二桁勝利はもっと早かった。
  2. 新垣渚か和田毅のブレイクが遅れていたか。
  3. 横浜やオリックスへのトレードはなかった。
    • 多村仁志とのトレードの相手が異なっていた。

寺本四郎[編集 | ソースを編集]

  1. 投手として活躍していたら、松坂大輔との投げ合いがどこかで実現していた。
  2. 背番号は入団時の61からどこかのタイミングで良い番号に変わっていた。
    • 本人が「61といえば寺本と言われる選手にしたい」と考えていたら変わらなかったかもしれないが…。
      • この場合、角中勝也の背番号は違う番号になっていたか。
  3. 2010年代中盤までは現役を続けていた。

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土井健大[編集 | ソースを編集]

  1. 現在もなにわのミニラという呼び名で親しまれている。
  2. 強打の捕手として古田敦也や森友哉などと共に称される存在になってた。
    • 伊藤光のブレイクが遅れていた。
  3. 河合じゅんじが彼を元にした主人公の漫画を描いていたかもしれない。

東野峻[編集 | ソースを編集]

  1. 2010年代の巨人の先発ローテーションを支えていた。
    • 菅野智之や高木勇人のブレイクが遅れていた。
    • 同時期の巨人の成績も史実より良くなっていた。高橋由伸監督時代に1回以上はリーグ優勝を達成していたかもしれない。
  2. オリックスやDeNAへの移籍は無かった。
  3. 2024年現在も現役を続けていた。

遠山奬志[編集 | ソースを編集]

  1. 二桁勝利がないまま現役生活を終えることはなかったはず。
    • 中継ぎ転向や外野手転向もなかった。
    • 勿論ロッテへの移籍もない。
  2. 阪神の暗黒時代も史実ほどひどくはなかったはず。
    • 1986年から2002年の間にも何回か優勝できていた。
    • 少なくとも1992年は優勝できていた。
  3. 同い年の桑田真澄といい意味で比較されていた。

堂上剛裕[編集 | ソースを編集]

  1. 二世選手として、黒田博樹らと共に称されていた。
    • 弟の直倫のプロ入りが大きな話題を呼んだ。
      • 兄弟揃ってのスタメン起用ももっと多かった。
  2. 巨人移籍もなかった。

渡真利克則[編集 | ソースを編集]

  1. 審判への転向はなかった。
  2. 彼と紛らわしいという理由で、「ファミスタ」のナムコスターズに「とまり」という名前の選手は登場しなかった。
    • 元ネタのゲーム名(『オーダイン』)から「おだいん」あたりの名前で登場していた。
  3. 1985年の阪神優勝のウイニングボールを捕った一塁手として現実以上に有名となっていた。
  4. 90年代には名前の似ているオマリーにちなんで「トマリー」と呼ばれていたかも。
  5. ダイエーへの移籍もなかった。

富岡久貴[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代後半から2000年代前半にかけての西武で、貴重な左の先発投手として活躍していた。
    • プロ初勝利が2004年まで長引くことも無かった。
  2. 東尾監督時代に西武はもう一回ぐらい優勝できていた。
  3. 広島・横浜・楽天への移籍は無かった。

友永翔太[編集 | ソースを編集]

  1. 京田陽太に背番号1を剥奪されることはなかった。
    • 京田自身は荒木の引退後に2を継承していたか。
  2. 中日の暗黒時代は史実ほどひどくはなかった。

外山義明[編集 | ソースを編集]

  1. 投打の二刀流で成功していたら、その後第二・第三の外山を狙う球団が出てくるかもしれない。
  2. 1978年のリーグ優勝・日本一にも貢献していた。
    • 1980年代中盤までは現役を続けていた。
    • ロッテや南海へ移籍することも無かっただろう。

豊田清[編集 | ソースを編集]

先発でずっと活躍していたら
  1. 最低でも一回は先発投手のタイトルは獲っていた。
  2. 抑え転向や中継ぎ転向はなかったかも。
    • 史実通りなら100勝100セーブ達成できたかも。
      • 中継ぎ転向も史実通りなら、上原浩治より先に史上初のトリプル100を達成できたかもしれない。
巨人移籍後も抑えでもっと活躍していたら
  1. 250セーブ達成できたかもしれない。
  2. マーク・クルーンを獲得していなかったかも。
  3. 中継ぎ転向はなかったかも。
  4. 広島へのトライアウト移籍もなかった。

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内藤尚行[編集 | ソースを編集]

  1. 生涯ヤクルト一筋でロッテへの移籍はない。
    • ただし中日移籍の可能性はある。
  2. 1994・96年のヤクルトは優勝まではともかくAクラス入りしていた。
    • 少なくとも2001年ぐらいまでは現役だったはず。
    • 1992年も日本一になっていた。
  3. タレントにはならないか、なってもかなり遅くなっていた。
    • 古田監督および高津監督の下でコーチをしていた?
  4. おそらくは現役のまま、ガメラを含む怪獣映画に一度は出演していた。
  5. 1986年のヤクルトのドラフトが史実以上に持ち上げられる(2位土橋勝征、3位内藤、4位飯田哲也)。

中居謹蔵[編集 | ソースを編集]

  1. 小川博や小宮山悟のブレイクが遅れていた。
  2. 有藤監督や金田監督時代のロッテの成績は史実より良くなっていた。
  3. 1990年代後半ぐらいまでは現役を続けていたかもしれない。

永江恭平[編集 | ソースを編集]

  1. 2013年~2016年の西武が正遊撃手不在に陥ることはなかった。
    • 「所沢遊撃隊」と揶揄されることもなかった。
  2. 西武は源田壮亮をドラフトで指名することはなかったか、入団してもレギュラーを獲得できずくすぶったままだったかも。

中川申也[編集 | ソースを編集]

  1. ドラフト1位(萩原誠)の失敗をカバーし甲子園のアイドルに。
  2. 小野仁は、期待の意味で中川2世と呼ばれるようになった。
  3. 竹内、太陽と秋田県勢で阪神投手陣を支える。
  4. 後輩の摂津より先に沢村賞をとった秋田県出身投手になる。
    • サブマリンの頃はセリーグのみだったので。

中川裕貴[編集 | ソースを編集]

  1. 落合二世の呼び名は史実以上に高かった。
  2. 中日の高卒ドラ1打者は活躍できないというジンクスは史実より早く破られた。
  3. アレックス・オチョアか福留孝介の定位置を継承した。
    • 場合によっては大島洋平か、平田良介のブレイクが遅れていた。

永川英植[編集 | ソースを編集]

  1. 先発投手として1978年のリーグ優勝に貢献していた。
    • 1980年代のヤクルトの成績も史実よりマシになっていた。
  2. 高野光や伊東昭光は別の球団に入団していたかもしれない。荒木大輔は史実通りか。
  3. 35歳の若さで亡くなることも無かった。

中郷大樹[編集 | ソースを編集]

  • 西武移籍後も活躍していたら
  1. 同年に人的補償で広島に移籍後ブレイクした一岡竜司と並び称されていた。
  2. 2014年以降の西武の中継ぎ陣は現実より多少マシになっていた。
  3. 「西武は人的補償に関しては見極めが下手」という風潮は薄まっていた。

中崎雄太[編集 | ソースを編集]

  1. 「画面から消える」と言われた変則サイドスロー投法がもっと話題になっていた。
  2. 2018年の西武がCSで敗退することはなかった。
    • 日本シリーズで弟・中崎翔太との投げ合いが実現していた。

中里篤史[編集 | ソースを編集]

  1. 先発をしていたら朝倉健太か吉見一起、リリーフだったら浅尾拓也のブレイクが遅れていた。
  2. 中日の高卒ドラフト1位選手が恵まれないイメージは薄れていた。
    • いや、野手がまだ…。
  3. 打者転向が実現していたら(実際に打診はあったものの本人が投手にこだわり拒否)糸井嘉男クラスの選手に成長していたかも知れない。
    • ただ、実際に野手に転向した赤坂和幸の現状を見ると、中日にいる限りそこまで活躍できたかどうか…。

長嶋一茂[編集 | ソースを編集]

  1. 巨人のクリーンナップとして活躍、本塁打王等のタイトルを何度も獲得していた。
  2. むしろヤクルトの不動の4番として父親率いる巨人の前に立ちはだかった。
    • ヤクルト黄金期と共に、飯田・荒井・古田・長嶋・広澤・池山・秦~のような打順。
    • でもFA権取得後やっぱり巨人に移籍したかも。
      • 1年目からレギュラーに定着していたら1996年オフに取得・公使するため、清原か広沢のどちらかは巨人入りしなかった。
    • ただ才能が開花するのが野村監督になってからというのが高い。
    • ヤクルトで野村監督の息子・克則と現役が一緒だった。
      • ポジションこそ違えど2世同士のライバルとなって、現実以上にお互いの父親が引き合いに出されたかも。
  3. 父親の半分程度の、10年で1200安打200本塁打800打点ぐらいの成績を残している。
    • 意外と原辰徳ぐらいの成績が残せたかも。
  4. ミスタースワローズと呼ばれている。
  5. 子供(茂雄の孫)を球場に忘れてくる遺伝子も引き継いでいる。
  6. ハウエルやオマリーを獲らなかったかもしれない。
  7. 「バカ息子」と落書きされることはなかった。
  8. 現実通り巨人に移籍していてもう少し長く現役を続けていたら、父親の監督勇退のセレモニーで花束を渡していた。
  9. 水島新司の「虹を呼ぶ男」が相撲編に路線変更せず、長期連載になっていた。
  10. でも結局引退後はタレント転向か?

中嶋聡[編集 | ソースを編集]

古田敦也や伊東勤と同じくらい活躍できていたら

  1. 西武や横浜、日本ハムへの移籍はなく、オリックス一筋で現役を引退していた。
    • 史実より早くオリックスの監督に就任していた。
      • オリックスの暗黒時代脱出は史実より早くなった?
  2. 日高剛はブレイクできないまま、他の球団へトレードされていた。

中谷仁[編集 | ソースを編集]

  1. 矢野燿大はブレイクできないまま、引退していたか、他の球団に再トレードされた。
    • あるいは中谷が阪神の監督になっていた?
  2. 同い年で同期の井川慶とバッテリーを組んでた。
  3. 楽天移籍後にブレイクした場合、嶋基宏のブレイクが遅れていた。
    • 藤井彰人の阪神移籍が早まってた。
  4. 中谷将大の阪神入団後は、「西武の秋山」「広島の前田」みたくファンの間でどちらを思い出すかが分かれると話題になる。
  5. もちろん智弁和歌山の監督にならなかった。

中野渡進[編集 | ソースを編集]

  1. 毒舌の中継ぎ投手として有名になっていた。
  2. 2000年代の横浜の成績は史実よりマシになっていたか?
  3. 石川雄洋の入団時の背番号は違う番号になっていた。

中村公治[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代から2010年代にかけての中日の外野陣を支えていた。
  2. 李炳圭や和田一浩の獲得はなかった。
  3. FAで地元の阪神へ移籍していたかもしれない。

中村隼人[編集 | ソースを編集]

  1. 歌舞伎俳優と同姓同名であることが史実以上にネタにされていた。
  2. 巨人へのトレードはなかったのかもしれない。

マイケル中村[編集 | ソースを編集]

日本人とオーストラリア人のハーフですが、本人は日本国籍を有して日本ハムに入団したため、ここに記載します。
  • 巨人移籍後も活躍できていたら。
  1. クルーン退団後は西村健太郎の代わりにマイケルがストッパーになっていたかもしれない。
  2. ハーフ初の250セーブを達成できたかもしれない。

中村勝[編集 | ソースを編集]

  1. 「埼玉のダルビッシュ」の呼び声は史実以上に高かった。
    • 勝の前に同じ姓のMICHAELが36を着けてたこともあって、「第二のMICHAEL」の異名ももらっていたのかもしれない。
  2. 上沢直之や有原航平のブレイクが遅れていた。
  3. FAで西武かメジャーに移籍していた。

中村良二[編集 | ソースを編集]

  1. 珍しい左投げ右打ちの選手として活躍していた。
  2. 近鉄は90年代に1回以上リーグ優勝していた。
  3. 上手くいけば2004年の球団合併まで現役を続けていたかも。
    • 近鉄一筋だった場合、中村紀洋は2004年の球団解散までスコアボードで「中村紀」表記だった。
      • W中村として売り出されていた。
  4. 天理高校の監督には就任しなかったかもしれない。

中村渉[編集 | ソースを編集]

  1. 青森県出身投手は活躍できないイメージで見られることはなかった。
  2. 同級生の細川亨との対決が見られたかも。
    • ただし、関係が悪かったため、対決を嫌がったり、西武やソフトバンク移籍は拒否していただろう。
  3. 親の畳屋を継ぐのはもう少し後になってた。
  4. 八戸西高校からプロ入りする選手も増えていた。

永易将之[編集 | ソースを編集]

  1. 東映から西鉄への移籍は無く、引退まで東映(→日拓・日本ハム?)で現役を続けていた。
    • なので黒い霧事件は起きなかった…か?
    • 少なくとも池永正明ら西鉄の3人の選手が永久追放処分を受けることは無かった。
  2. 1960年代後半から1970年代前半の東映の成績は史実より良くなっていた。

那須野巧[編集 | ソースを編集]

  1. 2013年現在の年俸は契約金と同じぐらいまで上がっていた。
    • さすがにそれは考えにくい。
  2. 横浜の成績がもう少し良くなっていた。
    • 2013年シーズンはAクラスに行けていたかもしれない。
    • ロッテへトレードで移籍することはなかった。

難波昭二郎[編集 | ソースを編集]

  1. 長嶋茂雄と共にNN砲として謳われていた。
    • 王貞治と難波のいずれかが一塁、もう片方が外野を守っていた。
  2. あるいは1962年に西鉄移籍後、中西太の後釜として活躍。
    • 名字が原因で大阪球場の南海ファンから野次が相次ぐ。
      • もし南海に移籍していれば「苗字だけにホークスとの縁を感じる」という意味でネタにされている。
        • 駅名繋がりで本拠地の近い近鉄ファンからも反応されていた。

に~ね[編集 | ソースを編集]

二岡智宏[編集 | ソースを編集]

日本ハムでも活躍できたら
  1. ショートだと中島卓也、サードだと小谷野栄一のブレイクが遅れていた。
  2. マイカ・ホフパワーの獲得はなかったかもしれない。
  3. 途中から代打の切り札として活躍していた。
  4. 引退試合は札幌ドームで行われていたかもしれない。
    • 場合によっては巨人と日本ハムのオープン戦で行われていたかもしれない。
  5. 巨人のコーチ就任は史実通りだと思われる。

西浦克拓[編集 | ソースを編集]

  1. 守備の名手としてゴールデングラブ賞をたくさん獲ってた。
    • 上田佳範と定位置争いをしていた。
    • 森本稀哲のブレイクが遅れていたか。
  2. 坪井智哉をトレードで獲得することはなかったかも。
    • 稲葉篤紀の獲得は史実通りか。
  3. FAで近鉄かオリックス、阪神のどれかに移籍していたかも。
    • 日本ハムに残留した場合、2006年の日本一(史実では1年前の2005年に引退)に貢献していた可能性が高い。
  4. 交流戦で同級生の黒田博樹との対決が見られたかもしれない。
  5. 落合を引退に追い込んだ男として史実以上に有名になる。

西岡剛(投手)[編集 | ソースを編集]

  1. 学年差が20あるので厳しいが、内野手の西岡剛と現役時期が重なっていた。
    • もし2002年以降にパ・リーグの球団に所属していた場合、同姓同名対決が実現していたかも。
      • チームメイトになった場合オオユキ、コユキの例が引き合いに出される。

西崎幸広[編集 | ソースを編集]

西武でも先発で活躍できていたら

  1. 150勝か200勝もあり得た。
  2. 日本ハムから直接西武に移籍する選手も増えていた。
    • 吉川光夫までブランクが空くことはなかった。

西村健太朗[編集 | ソースを編集]

中継ぎでずっと活躍していたら。
  1. 最低でも一回は最優秀中継ぎ投手を獲得していた。
  2. 抑え転向も早かったかも。
抑え転向後ももっと活躍していたら。
  1. 巨人初の250セーブも達成していたかもしれない。
  2. 100セーブ100ホールドも達成していたかもしれない。
    • 平野佳寿よりも先に250セーブと200ホールドのW達成もあったかもしれない。
  3. 現役ももう少し長かったかも。

西山道隆[編集 | ソースを編集]

  1. 「育成入団から成功した雑草選手」として脚光を浴びていた。
  2. 2000年代後半のソフトバンクの成績は史実より良くなっていた。
    • 2008年の最下位転落もなかった。

二宮至[編集 | ソースを編集]

  1. 蓑田浩二氏が入団することはなかった。
  2. 1990年までにプレーしていた。
  3. 引退後、巨人でコーチをやっていたかもしれない。
    • ただし、中日のコーチに就任したのは史実通り。

根本陸夫[編集 | ソースを編集]

  1. 1950~60年代の近鉄はもう少しましな成績だった。
  2. 引退後は近鉄のOBとして球団とより深く結びつき、広島や西武、ダイエーなどに関わる事はなかったかもしれない。
    • その場合、近鉄バファローズは大黄金時代を築いていたかも。
      • もちろんオリックスとの吸収合併なんてありえない(ただし身売りの可能性はある)。
    • 一方で上記3球団の成績は上がらなかった可能性がある。
    • もっとも監督としてはあまり活躍できなかったので、仮に史実(1968~1972年途中、1978~1981年、1993・1994年)のどれで監督をやっていたとしても近鉄の成績にはあまり影響しないか。

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野口茂樹[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく三桁勝利はいっていた(史実では81勝)。
  2. 朝倉健太や山井大介のブレイクが遅れていた。
  3. 史実通り巨人へ移籍していた場合も活躍できていた。

野口祥順[編集 | ソースを編集]

  1. ポジションの被る宮本慎也は二塁手にコンバートしていたかもしれない。
    • 岩村明憲のメジャー移籍後は史実通り三塁手を守っていた。
  2. 川端慎吾のブレイクが遅れていた。
  3. 2010年代後半までは現役を続けていた。

野間口貴彦[編集 | ソースを編集]

  1. 先発で活躍していたら澤村拓一や宮國椋丞のブレイクが遅れていた。
  2. 第2次原監督時代の巨人は手の付けられない強さになっていた。
  3. 2010年代後半までは現役を続けていた。

野田浩司[編集 | ソースを編集]

  • 阪神時代にもっと活躍していたら。
  1. 先発のタイトル獲得が早まっていた。
  2. オリックスへのトレードはなかった。
  3. 阪神は1990年代にも優勝できてた。
  4. 同い年の桑田真澄や佐々木主浩といい意味で比較されてた。
  • オリックス移籍後ももっと活躍していたら。
  1. 2000年は一軍出場無しに終わることもなかった。
  2. オリックス球団初の200勝もあり得た。
  3. 2000年以降のオリックスがBクラスばかり続くこともなかったはず。
    • 2000年代にも優勝できてた。

野田昇吾[編集 | ソースを編集]

  1. 競艇選手への転向はなかった。
  2. 声優・佳村はるかとの結婚は史実通り?
  3. 西武は2021年の最下位を回避し、2022年は上手く行けば優勝できていたかも?

延江大輔[編集 | ソースを編集]

  1. 瀬戸内のランディ・ジョンソンという呼び名は史実以上に高かった。
  2. 育成契約はなかった。
  3. 最多奪三振獲得や平成生まれ初の完全試合を達成できたかもしれない。
  4. 海田智行の背番号は違う番号になっていた。

野中徹博[編集 | ソースを編集]

  1. 同級生で同期入団の星野伸之と共に先発投手として阪急・オリックスの投手陣を引っ張っていた。
    • 中日やヤクルトへの移籍は無かった。
  2. 酒井勉の背番号は違う番号になっていた。
  3. 2000年代前半までは現役を続けていたかもしれない。

野村克晃(団野村)[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代のヤクルトの成績が史実より良くなっていた。
    • 継父の野村克也がヤクルトの監督に就任する頃までは現役を続けていた。
  2. 交渉代理人として有名になることは無かった。
    • 野茂英雄はメジャーに挑戦しなかったかもしれない。

野村克則[編集 | ソースを編集]

  1. 監督がノムさんから若松に変わっても古田と併用で使われていた。
    • ノムさんの阪神監督就任後、阪神対ヤクルト戦が親子対決として話題になる。
    • 古田が2000本安打を打ったか怪しくなる。
  2. 古田引退後はヤクルトの正捕手になった。
  3. 相川はヤクルトへ移籍せず、メジャーに行っていた。
  4. 現役時代の父親のような強打者になって、背番号1(若松、池山の背番号)をもらっていた。
  5. サッチーが史実よりも更に活発にメディアに顔を出している。
  6. 野間口もヤクルトに入団。
  7. 弱肩の正捕手として村田真一とたびたび比較されてた。
  8. 大物選手を父に持つ二世選手同士として、ヤクルトの先輩でもある長嶋一茂と良い意味で比較されていた。
  9. 2010年代にヤクルトの監督に就任した。
    • 楽天の監督にも就任していた。
  10. 阪神に移籍後にブレイクした場合、監督交代後出身大学の同じ星野さんから可愛がられていたかも。
    • 阪神は第2捕手として野口寿浩を獲得しなかった。
    • ノムさんが現実通り楽天監督に就任後は、阪神対楽天戦が親子対決として話題になる。
    • 引退後阪神でもバッテリーコーチを務めていた。
    • あるいは阪神の監督になっていたかも。
    • 矢野燿大が監督になったか怪しい。

野村貴仁[編集 | ソースを編集]

  1. 高知県立高岡高等学校宇佐分校(現:高知県立高知海洋高等学校)のエースとして史実以上に注目されていた。
    • 本校の知名度も上がっていた。
  2. メジャーに移籍していた場合の成績も史実以上によかった。
    • 背の低い選手はメジャーでは通用しないというジンクスはできなかった。
      • 菊池涼介もメジャーに移籍できていたか。
      • 史実では吉田正尚がそのジンクスを破っていた。
  3. 台湾の誠泰コブラズへの移籍もなかったか。
  4. グリーニーや覚醒剤所持もなかった。
    • そして清原和博が影響を受けることもなかった。

野村弘樹[編集 | ソースを編集]

  • 30代になってからも先発で活躍していたら。
  1. 三浦大輔や川村丈夫と先発ローテを守っていた。
  2. 横浜は2000年以降も優勝できてた。
    • 暗黒時代もそんなに酷くはなかった。
  3. DeNAになる頃まで現役かは微妙。
    • さすがに2012年当時43歳なので無理だろう。
      • ただしもしかすると初代DeNA監督だったかも?
  4. 100勝ももっと早かった。
  5. 大谷翔平以後二刀流ネタで出番があったりして。
    • ただし、おそらく先輩の桑田真澄と共に。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ