もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/ま~わ行

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > ま~わ行

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鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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前川勝彦[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年の防御率は2点以上良化していた(史実ではリーグワーストの5.89)。
    • 日本シリーズでもヤクルトに勝ち、初の日本一を達成していたかもしれない。
    • 翌2002年の成績が4勝11敗になることもなかった。
      • 勝敗数が逆になっていたかもしれない。
  2. 阪神へのトレード移籍もなかった。
    • 史実での前川のトレード相手だった川尻は2004年まで阪神に在籍し、2005年に史実通り楽天へ移籍して現役生活を終えていた。
  3. 2007年に轢き逃げ事件を起こすことも無く、2010年代前半まで現役を続けていた。
  4. 引退後はコーチではなくYouTuberになっていたかも?

前田章宏[編集 | ソースを編集]

  1. ポジションが被る谷繁元信の引退時期が早くなっていた。
  2. 背番号は入団時の55からもっと良い番号になっていたかもしれない。

前田和之[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代後半から2000年代にかけてのオリックスの先発陣を支えていた。
    • 2000年代前半の成績低迷はもう少しマシになっていたかもしれない。
      • それでも近鉄との合併は史実通り。
  2. 横浜や西武への移籍は無かった。
    • もしかしたらFAで地元の中日に移籍していたかも?
  3. 登録名が「カズ」でブレイクしたらどうなっていたのだろうか?

前田幸長[編集 | ソースを編集]

  1. 中日や巨人に移籍する事はなく、生涯ロッテ。
    • 2005年の日本一にも立ち会えた(史実では2002年巨人で日本一を経験)。
    • ただし地元のダイエーに移籍していた可能性はなくはない。
  2. 確実に100勝(史実では78勝)はしていただろう。
    • 開幕投手にも何回かなっていた。
    • シーズン2ケタ勝利を経験していない中では最多勝投手と言う珍記録もなかった。
  3. 暴投の記録(史実では84暴投で日本歴代4位)を作っていたかも!?
  4. 当然の如くロッテのCMにも登場、「チョコ」をアピールしていた。

真木将樹[編集 | ソースを編集]

  1. 1998年8月30日のオリックス戦でイチローに頭部死球を与えなかったらこうなっていたかも?
    • 同年の新人王のタイトルを獲得していた(史実では西武・小関竜也が獲得)。
    • 1998年の近鉄は9年ぶりのリーグ優勝を達成していたかもしれない(史実では西武から5.0ゲーム差の5位)。
  2. 山村宏樹や岩隈久志のブレイクが遅れていた。
  3. 巨人へ移籍することはなく、現役引退まで(近鉄→オリックス)バファローズ一筋を貫いていた。
    • 或いはFAで地元のホークスへ移籍していたかもしれない。

間柴茂有[編集 | ソースを編集]

  1. 勝率10割を記録した投手として史実以上に認知されていた。
    • 2013年に田中将大が24勝0敗1Sを記録した際には彼(間柴)も現実以上に再注目されていた。
  2. 150勝か200勝も達成できたかもしれない。
  3. メジャーからスカウトも来ただろう。
  4. 1980年代の日本ハムは史実より多く優勝していたかもしれない。

益山性旭[編集 | ソースを編集]

  1. 貴重な先発左腕として1985年の阪神の優勝に貢献していた。
    • その後も活躍できていたら暗黒時代の到来が数年遅れていた。
  2. 高校時代のドラフト会議での珍エピソードが更に有名になっていたかも?

松岡正樹[編集 | ソースを編集]

  1. 巨人は大久保博元を獲得することはなかった。
  2. 阿部慎之助のブレイクは遅れていた。
  3. もちろんあんな事にはならなかったと思いたい……。

松家卓弘[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代中盤から2010年代前半のベイスターズの成績が少しマシになっていた。
  2. 日本ハムへのトレードもなく、2010年代後半に現役生活を終えていた。
  3. 髙城俊人の背番号は違う番号になっていた(史実では松家が移籍した翌年から背番号32を着用)。
  4. 東大からプロ入りする選手も増えていた。

眞下貴之[編集 | ソースを編集]

  1. モデル活動もしていた。
  2. 苗字の読みが「まっか」であることが史実以上にネタにされていた。
    • 真っ赤デーとして横浜の選手が赤いユニフォームを着て試合に臨むことがあったのかもしれない。
  3. 彼の前に工藤公康が47を付けてたこともあって、工藤二世や杉内二世の異名をもらっていたのかもしれない。
    • 上手くいけば、優勝請負人になっていたかもしれない。

マック鈴木(鈴木誠)[編集 | ソースを編集]

  1. 2003年・04年のオリックスブルーウェーブの成績がもう少しマシになっていた。
    • 上手くいけば05年のオリックスバファローズがAクラス入りできていたかも。
  2. 「逆輸入」という言葉が流行語になっていた。
  3. クワバタオハラの小原正子と結婚したことがもっと話題を呼んだ。
  4. 「NPBを経由しない初の日本人メジャーリーガー」だったことも現実以上に有名になっている。

松坂健太[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の外野守備の要として活躍。
    • ファンからは「松坂2号」か「野手の松坂」か「濁らない方の松坂」で呼ばれていた。
  2. 栗山巧は史実より早く指名打者に転向していた。
  3. 西武は秋山翔吾をドラフトで指名することはなかったか、入団してもレギュラーを獲得できずくすぶったままだったかも。

松坂大輔[編集 | ソースを編集]

2015年の日本帰国後活躍(基準としては2018年の6勝4敗 3.74ぐらい)していたら?

ソフトバンクで初年度から活躍

  1. 2016年はソフトバンクが優勝していた。
    • 2017年は100勝していたかも。
  2. 2017年のDeNAとの日本シリーズで投げていたかもしれない。
  3. 2018・2019年に西武を破ってリーグ優勝した場合(およびCSで登板して史実通り日本シリーズに進んだ場合)、両球団のファンは複雑な気持ちになる。

中日で2019年以降も活躍

  1. 2019年の中日は3位だったかも。
  2. 引退後中日の監督・コーチになっていた!?

いずれにせよ

  1. それでも最後の一年は西武に移籍していたかも。
  2. 日米通算200勝にはやはり届かないか。

松本啓二朗[編集 | ソースを編集]

  1. 61番への変更はなかった。
  2. 梶谷隆幸や荒波翔のブレイクが遅れていたかもしれない。
    • 筒香嘉智はサードのまま中軸になっていたかも。
  3. 横浜の暗黒時代脱出はもっと早かったかも。

松本正志[編集 | ソースを編集]

  1. 弓岡敬二郎氏とともに「東洋大姫路コンビ」として注目されていた。
  2. オリックスでも活躍していたかもしれない。
  3. ダウンタウンの松本志とのコラボがあったかも?

松元ユウイチ[編集 | ソースを編集]

  • 日系ブラジル人ですが、現在は帰化して日本人になってるのでここに記載します。
  1. WBCで4番を務めたことが史実以上に注目された。
  2. ブラジルからプロ入りする選手も増えていた。
  3. ブラジル野球殿堂も設立されたのかもしれない。

松村豊司[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代前半にかけてのオリックスの投手陣を支えていた。
  2. イケメン選手としても話題になっていた。
  3. 引退後に女子プロ野球のコーチや監督を務めることは無かったかもしれない。

松山秀明[編集 | ソースを編集]

  1. 1995年と1996年のオリックスのリーグ優勝に貢献していた。
    • その後の成績低迷にも、ある程度は歯止めをかけられていたかもしれない。
  2. ポジションが重なる大島公一の獲得は無かった。
  3. オリックスと近鉄の球団合併ぐらいまで現役を続けていたかも?

的場寛壱[編集 | ソースを編集]

  1. 社会人野球のトヨタ自動車に所属することはなかった。
  2. 2003年・05年の優勝に貢献していた。
  3. 「虎のモノマネ王」といえば現実以上に今成亮太ではなく彼のことだった。
    • 今成は「的場二世」と呼ばれてたりして。
    • ムードメーカーとして普段からチームを盛り上げていた。

的場直樹[編集 | ソースを編集]

  1. 城島健司のメジャー移籍後に正捕手になっていた。
    • 山崎克己や田上秀則のブレイクはなかったかもしれない。
  2. 千葉ロッテへの移籍もなかったかもしれない。
    • 引退後は日本ハムや千葉ロッテのコーチになっていなかったか。

丸尾英司[編集 | ソースを編集]

  1. 主力投手として1995年と1996年のオリックスのリーグ連覇に貢献していた。
    • 1995年は日本一を達成していたかもしれない。
    • 1997年以降のオリックスの成績も史実より良くなっていた。
  2. 近鉄への移籍は無く、オリックスと近鉄の球団合併を経て2000年代後半までは現役を続けていた。
    • 勿論パナソニックへの入社も無い。
  3. 「ちびまる子ちゃん」に出演したりして?

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三浦貴[編集 | ソースを編集]

  1. 野手転向はなく、リリーフの人材での迷走はなかった。
  2. 亡くなった時の報道ももっと大きかった。

三浦広之[編集 | ソースを編集]

  1. 同期入団の松本正志氏と共に活躍していたら、「MMコンビ」がさらに注目されていた。

三上真司[編集 | ソースを編集]

  1. ヤクルトの右の先発として2010年代中盤ぐらいまで活躍していた。
  2. 泉正義や小川泰弘の背番号は違う番号になっていた。

三木肇[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムへのトレードはなく、引退までヤクルトでプレー。
    • 現役生活ももっと長かった。
  2. 引退後は日本ハムのコーチや楽天の監督ではなくヤクルトの監督になってたかもしれない。

三木均[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代中盤から2010年代前半までの巨人投手陣を支えていた。
  2. 「一場靖弘(明治大学→楽天)の代わりで獲得していた選手が大成功した」と評されていた。
  3. 2005年の巨人が5位に沈むことも無かった。
    • それでもBクラスなら堀内監督は史実通り辞任。

水野雄仁[編集 | ソースを編集]

  1. 巨人のリーグ優勝・日本一の数は増えていた。
  2. 強打の投手として、桑田真澄と史実以上に比較されたかも。
  3. 引退は斎藤雅樹・槇原寛己辺りと同じ2001年ぐらいか。
  4. 抑えとしてブレイクした場合、木田優夫は先発のままだったかも。
  5. 静岡の自動車学校以外にももっとたくさんCMに出ている。
    • 通称が「阿波の金太郎」だったため桃太郎電鉄やauのCM、仮面ライダー電王に登場していたかも?
  6. 梅澤廉については不明。

溝口大樹[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代にかけてのホークス投手陣を支えていた。
    • 2008年のホークスは最下位を免れていた。
  2. 交通事故に遭ったり、寮の2階から飛び降りて骨折することも無かっただろう。

三井浩二[編集 | ソースを編集]

  1. 中継ぎだけでの二桁勝利を連発していた。
  2. 現役ももう少し長かったかも。
    • 年齢を考えると40代前半に引退か。
  3. 菊池雄星入団後の山崎敏は別の背番号に変更していた。

三野勝大[編集 | ソースを編集]

  1. 巨人での登板が僅か1試合で終わることもなかった。
  2. 1990年代後半の巨人の成績は史実より良くなっていただろう。
    • 1997年のBクラス転落も無かった。

御船英之[編集 | ソースを編集]

  1. 広島や近鉄に移籍する事はなく、生涯ダイエー一筋を貫いていた。
    • ダイエーの球団身売りの頃までは現役を続けていたか。
    • 確実に言えるのは、槙原の完全試合の27人目の打者は違う選手になっていたということだろう。
  2. ポジションが被りそうな浜名千広や井口忠仁はどうなっていただろうか?

三宅宗源[編集 | ソースを編集]

  1. 村田兆治の後継者になっていた。
    • その場合、村田は82年頃、トレードされていたかも?

宮﨑一彰[編集 | ソースを編集]

  1. 西武移籍、競輪転向はなかった。
  2. 仁志退団後の正二塁手に定着していた。

宮崎充登[編集 | ソースを編集]

  1. 前田健太のブレイクが数年遅れていた。
  2. 2008年の広島は3位に入れていたかもしれない。
  3. 入団時の年齢を考えると2010年代前半には現役を引退していたか。

宮下昌己[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく西武にトレードされず、中日の選手のまま引退していた。
    • 1991年・93年に中日は優勝していたかも。
      • 中山裕章を中日が獲ったか?
    • 史実通り中継ぎとして活躍した場合、同じ年のドラフト1位鹿島忠と比較された(宮下は6位)。
      • 鹿島の引退が早まっていたりして。
  2. クロマティに殴られた事だけが有名になる事はない。
    • その流れでバラエティー番組に進出していたかも。
  3. 史実で宮下の指導を受けていた赤坂和幸はプロ入りしたか?

宮出隆自[編集 | ソースを編集]

  1. 投打両方で活躍できていたら大谷翔平より先に二刀流選手が誕生した。
  2. 楽天への移籍はなかった。
    • 一場靖弘の移籍先が異なっていたかも。

宮本賢[編集 | ソースを編集]

  1. 斎藤佑樹に膝を折り曲げて腰の位置を強制的に落とす投球フォームを伝授した投手として称されていた。
    • プロ入り後の斎藤佑樹をエース級に育てられたかもしれない。
  2. 現役生活ももっと長かった。
    • ブライアン・ウルフや浦野博司の背番号は違う番号になっていた。
  3. 強姦事件も起こさなかったか。
    • 17番のイメージ悪化もなかった。

三輪田勝利[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年代の阪急は史実以上の黄金時代を築いていた。
    • 1973年と1974年も日本シリーズに進出していた。
  2. 引退後はスカウトじゃなくてコーチの道を歩んでいたかもしれない。
    • この場合イチローは別の球団(中日あたり?)に入団していた。
  3. 1998年に自殺することも無かった。

む~も[編集 | ソースを編集]

迎祐一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代後半から2010年代前半にかけてのオリックスの野手陣を支えていた。
  2. 坂口智隆やT-岡田のブレイクが遅れていた。
  3. 広島への移籍は無かったかもしれない。
    • FAで地元に近いソフトバンクに移籍していたかも?

村上雅則[編集 | ソースを編集]

  1. 日本人メジャーリーガー第1号として史実以上に認知されていた。
    • 野茂英雄を第1号と勘違いする声はほとんどなかったはず。
    • 史実より早く日本人のメジャー移籍が本格化していた。
    • 彼(マッシー)から野茂までの間にも日本人メジャーリーガーが数人実現していた。
  2. 韓国人や台湾人のメジャーリーガーも史実より早く誕生したのかもしれない。
  3. 野茂英雄より先に日米通算200勝を達成できたかもしれない。

村田和哉[編集 | ソースを編集]

  1. 「赤星2世」の呼び声が現実以上のものになってた。
    • FAで阪神に移籍していたかも。
  2. 西川遥希のブレイクが遅れていた。
  3. 低身長の盗塁王として福本豊らとともに称されていた。
  4. 独立リーグ移籍もなかった。

村田勝喜[編集 | ソースを編集]

西武移籍後も活躍していたら

  1. 2000年代中盤までは現役を続けていた。
    • 1997・1998年に西武は日本一になれていたかも。2004年史実通り日本一になったぐらいで引退か。
  2. 中日へトレードで移籍することも無かった。
  3. 西崎幸広や石井貴の背番号は違う番号になっていた。
    • 石井はおそらく14番のままだったか。
  4. 南海の1987年ドラフトが史実以上に持ち上げられる。

元木大介[編集 | ソースを編集]

  1. 交流戦でオリックス移籍後の清原との対決が実現していた。
  2. さすがにこの番組に出ておバカがばれることはなかった。
    • タレント転向自体遅れていた。
  3. コーチ就任のオファーが早まっていた。
    • もしかしたら高橋由伸の後任として巨人の監督に就任していたかも?
  4. モリモリ!バンチョー!キヨハラくんでの出番がもう少し多かった。

森大輔[編集 | ソースを編集]

  1. 「右の三浦、左の森のダブル大輔」としてチームの先発ローテーションを支えていた。
    • 横浜の暗黒時代脱出が数年早まっていた。
    • BCリーグの石川でプレーすることもなかっただろう。
  2. 高校卒業後にまっすぐプロ入りしていたら…。

森雄大[編集 | ソースを編集]

  1. 同期入団の則本昂大と先発ローテを守っていた。
  2. 2014年の楽天は最下位になっていなかった。
    • 令和に入る前の楽天も何度か優勝できてた。
  3. 28歳の若さでの現役引退もなかった。

森内壽春[編集 | ソースを編集]

  1. 苗字繋がりで森内俊之棋士との対談が実現していたかもしれない。
  2. 2016年のリーグ優勝にも貢献していた。
  3. 2021年現在も現役だったか。
    • 現役だった場合、田中豊樹や鈴木健矢の背番号は違う番号になっていた。

森田幸一[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代までは中日の抑えかセットアッパーとして活躍。
  2. 中山裕章が中日に入団することは無かった。
    • 宣銅烈の獲得も無かったかもしれない。
  3. 応援歌の「モリタはスゴイ!」の知名度がやや上がっていた。

森谷昭仁[編集 | ソースを編集]

  1. 一回以上は盗塁王のタイトルを獲得していた。
  2. 2004年オフの分配ドラフトで楽天じゃなくてオリックスへ移籍していたかも…?
  3. 2010年代前半までは現役生活を続けていた。

森山良二[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく西武一筋で1990年代後半に現役生活を終えていた。
    • 1995年と1996年の成績が少し良くなっていた。
    • コーチとしても西武にダイレクトに残っていた。ただし史実通り四国アイランドリーグや楽天、ソフトバンクに行っていた可能性はある。
  2. 植田幸弘の背番号は違う番号になっていた(史実では森山が移籍した翌年から背番号31を着用)。
  3. 漢字一文字違いの森山良子と共演していたかもしれない。

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八木智哉[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスへのトレードはなかった。
    • 後に中日へ移籍することもなかった。
      • カープキラーと呼ばれることもなかった。
    • 木佐貫洋とのトレードの相手が異なっていた。
  2. 日本ハムの新人王投手は活躍できなくなるというジンクスができることもなかった。

柳田聖人[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトバンクホークスになるぐらいまでは現役だったか。
  2. 鳥越裕介はブレイクしていなかった。井口資仁と川崎宗則は史実通り。
  3. 柳田悠岐が「やなぎだ」と読み間違えられる事がぐっと増えた。
    • 史実より早く「ギータ」の愛称が定着した。
    • もちろん、ホークスのコーチとしてギータの指導をする可能性もある。
  4. 1993年にヤクルトにトレードされていない。
    • ヤクルトでブレイクした場合、ダイエーに戻って来ないまま引退していたかも。
  5. 1987年の南海ホークスのドラフトが史実以上に持ち上げられる。
  6. 萩原聖人との共演があったりして?

栁田浩一[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代のヤクルト黄金期の外野のレギュラーとして活躍していた。
    • もしかしたら飯田哲也はセカンドのままだったかもしれない。
    • ゴールデングラブ賞はもう数回獲得していた。
  2. 登録名の下の名前を「昌夫」に改称することもなかった。
  3. 引退後に審判へ転身せず、ヤクルトか他の球団でコーチを務めていた。
    • 2012年の日本シリーズでの誤審騒動もなかった…か?

八名信夫[編集 | ソースを編集]

  1. 40歳くらいまで現役で投げていた。
  2. 現役引退後に日ハムの監督に就任していた。
    • 大沢親分以上に強面の監督として知られていた。
  3. 俳優に転職はしていない。
    • 悪役商会は誕生していない。
  4. 青汁は全国に普及していなかった。
    • テレビのバラエティの罰ゲームで青汁が登場することもなかった。
    • 俳優ではなく球界OBとしてCMに出演した結果史実通りになったりして……?

矢野英司[編集 | ソースを編集]

  1. 1999年以降の横浜の成績が史実よりマシになっていた。
  2. 近鉄への移籍は無かった。
  3. 年齢を考えると2010年代前半までは現役を続けていたか。

矢野諭[編集 | ソースを編集]

  1. 中継ぎだと武田久や宮西尚生のブレイクが遅れていたかもしれない。
  2. 交流戦などで矢野謙次との矢野対決が見れた。
    • 日本ハム加入後に矢野コンビが結成された。
  3. 北海道移転後初優勝も早かったかも。

藪恵壹[編集 | ソースを編集]

  1. 背番号4への変更もなかったか。
  2. 朝日生命野球部廃部はなかったか遅れていた。
  3. 史実通りメジャー挑戦しても史実以上の成績だったか。
    • 阪神に残留した場合、同い年の下柳剛とのWベテランエースとして定着していた。
      • メジャー挑戦後の帰国時に阪神に復帰していたかも。
  4. 阪神の暗黒時代がもう少しマシになっていた。
  5. 3ケタ(史実では84勝)は確実に勝っていた。

山井大介[編集 | ソースを編集]

最初から先発で活躍していたら。

  1. 初の二桁勝利は20代のうちに達成できたはず。
    • 最多勝獲得も史実より早かったかも。
  2. 年齢を考えると30代後半には中継ぎ転向か。

山口和男[編集 | ソースを編集]

  1. 球界を代表する速球王として称されていた。
  2. 危険球退場した投手として皮肉られることもなかった。
  3. 100セーブ100ホールドを達成できたかもしれない。
  4. メジャー移籍は実現していたか。
  5. スカウトにならなかった場合、山本由伸はオリックス入りどころかプロ野球選手になっていなかったかも。その場合、オリックスの2021年の優勝・2022年の日本一はなかったか。

山口高志[編集 | ソースを編集]

  1. 1978年のケガがなかったら、3~6年までプレーしていた。
  2. リリーフとして、活躍していた。
    • 100セーブを超えていた可能性がある。
  3. 1978年、1984年の日本シリーズでは確実に日本一になっていた。
    • 梶本隆夫の監督就任はなく、史実と同じ1990年頃まで上田利治が指揮を執り続けていた。
  4. コーチの就任は史実より遅れていた。
    • 足立光宏が投手コーチを務めていた期間が史実より長くなっていた。
    • 阪神のコーチに就任したのは史実通り。
  5. (前年のドラフト会議で指名した)江川卓氏が入団していれば、酷使されることはなかったので、史実より長くプレーできたかもしれない。

山口哲治[編集 | ソースを編集]

  1. 80年代の近鉄投手陣を支えていた。
  2. 勿論南海への移籍もない。
    • 新井宏昌は金銭トレードor他の選手とのトレードという形で近鉄に移籍していた。
  3. 本拠地を藤井寺球場から大阪ドームに移転するあたりまで現役を続けていた。

山﨑浩司[編集 | ソースを編集]

  1. 史実以上に「隠し球の名手」として知られていた。
  2. 菊地原毅とのトレードで広島へ移籍する事も無かった。
    • 西武や楽天への移籍も無かっただろう。

山崎敏[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の中心中継ぎとして活躍していた。
  2. 菊池雄星の西武入団後の背番号は史実と異なっていたか。

山崎隆広[編集 | ソースを編集]

  1. 「オールドルーキーの活躍」として話題になる。
  2. 2000年代後半の楽天の成績は史実より良くなっていた。
  3. 2013年の楽天の日本一を見届けて現役を引退していたかも?

山田和利[編集 | ソースを編集]

  1. 息子の裕貴の芸能界入りが大きな話題を呼んだ。
    • 海賊戦隊ゴーカイジャーやなつぞらへのゲスト出演の話が出てきたかもしれない。
  2. 同じ俳優の息子がいる工藤公康との対談が行われた。
    • 郭源治や桑田真澄、吹石徳一も忘れずに。

山田喜久夫[編集 | ソースを編集]

  1. 山本昌広、今中慎二と共に、90年代の中日で左腕三本柱を形成していた。
  2. 登録名を「キク山田」にすることはなかった。
  3. 「ジャンプ放送局」で、「トップ2に比べて実力が大きく落ちる三番手」という意味でネタにされることもなかった。
  4. 2019年に東邦高校が(彼がエースの時以来の)優勝を果たした時の扱いは息子より大きかった。

山村宏樹[編集 | ソースを編集]

阪神で活躍していたら
  1. 「=中込伸に首筋を踏まれなかったら」ということになるか…?
  2. 1999年の阪神は最下位を脱出できていた。
  3. 近鉄は2001年にリーグ優勝できなかったかもしれない。

山村路直[編集 | ソースを編集]

  1. 斉藤和巳はダイエーではブレイクできず、他球団にトレードされていた。
    • おそらく投手力の弱い横浜やオリックスあたりに。

山本桂(山本勝哉)[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハム時代の1981年にトミー・クルーズが戦線離脱したあたりでレギュラーの座をつかみそのまま定着していた。
  2. 「ファミスタ」87年度版に登場したとき「すぐろ(勝呂博憲)の誤植?」とか「謎の選手」呼ばわりされることはなかった。
  3. 場合によっては「かつら」のCMのオファーもあったかも?

山本歩[編集 | ソースを編集]

  1. 「準硬式野球出身選手の活躍」として話題になる。
  2. 2000年代後半から2010年代にかけての西武投手陣を支えていた。
    • 同時期に西武はもう一回ぐらいリーグ優勝していたかもしれない。

ゆよ[編集 | ソースを編集]

弓岡敬二郎[編集 | ソースを編集]

平成に入ってからも活躍できていたら。

  1. オリックスの平成初優勝はもっと早かった。
  2. 犠打の名手、守備の名手と称されていた。
  3. 引退後は愛媛マンダリンパイレーツではなくオリックスか楽天の監督になってたかも。

横川雄介[編集 | ソースを編集]

  1. 「都立の星」と嘱望され、公立校の底上げに繋がった。
  2. 阿部慎之助を脅かす存在となり、コンバートが早まった。

横田真之[編集 | ソースを編集]

  1. 中日や西武に移籍せず、生涯ロッテ。
    • 1995年にロッテは優勝していたかも?
    • 2005年までと言うのはちょっと無理だろう。ただしコーチとしてかかわっていた可能性はある。
  2. 息子の慎太郎もロッテに入団していた?

横山道哉[編集 | ソースを編集]

  1. 史実ほど「みちや」と誤読されることはなかったか。
  2. 「小魔神」や「大魔神二世」の呼び声は史実以上だった。
    • 佐々木主浩から守護神の座を受け継いでた。
  3. 日本ハムへの移籍はなかったか。
    • 史実通り移籍していた場合ももっと活躍できていた。
      • MICHAELの守護神転向はなかったか。
  4. 横浜は2000年代にも優勝できていた。

横山忠夫[編集 | ソースを編集]

  1. ロッテへの移籍はなく、引退まで巨人一筋を貫いていた。
    • 1980年代後半ぐらいまでは現役を続けていた。
  2. もしかしたら巨人は1974年もリーグ優勝を達成していたかもしれない。
    • 1975年の最下位もなかったかも。「巨人唯一の最下位の年だけ活躍した」と言われる事もない。
  3. 引退後にうどん屋を開業することもなかった。
    • 條辺剛のうどん屋は史実より著名だった?

吉岡雄二[編集 | ソースを編集]

  1. プロ入り当初から野手で勝負していたら、中村ノリ以上の打者になっていた。
    • ただし巨人で育ったかは疑問。最初から近鉄なら十分可能。
    • 大阪ドーム時代特に2001年の近鉄いてまえ打線はもっとえげつなかった。
      • 2001年に近鉄が日本一になれていたかも。
  2. 帝京OBの顔となり、帝京の落日はなかった。
    • とんねるずの年末のスポーツ特番にもっと出演している。
      • その前にバラエティー番組に出ていただろう。

吉川大幾[編集 | ソースを編集]

  1. PL学園OBの立浪和義の3番を継承したため、後継者として注目されていた。
    • 高橋周平はブレイクが遅れたため、3番継承できなかった。
  2. 中日の暗黒時代はそんなに酷くはなかったはず。
    • 2011年以降も何度か優勝できてた。
      • 日本一の数が増えていた。
      • 巨人や広島の優勝数が減っていた。
  3. 巨人へのトライアウト移籍もなかった。

吉田直喜[編集 | ソースを編集]

  1. 右の先発投手としてオリックスの投手陣を支えていた。
  2. 長谷川滋利の入団や野田浩司のトレードは無かった。
  3. 1995年と1996年のリーグ連覇にも貢献。
  4. 2000年代前半ぐらいまでは現役を続けていた。

吉永幸一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 一塁コンバートを受け入れればあった。
    • あるいは城島健司のブレイクが遅れた。
      • コンバートを受け入れて一塁で活躍していたら松中信彦のブレイクが遅れていた。
  2. 巨人移籍後ならペタジーニ獲得に慎重となった、清原を早くの放出も。
  3. 巨人移籍後捕手にこだわれば阿部のブレイクは遅れた。
  4. 引退が遅れれば遅れるほど、同期入団の大道典嘉や吉田豊彦と共に南海ホークス生き残り戦士として注目されていた。
    • 2007年以降も巨人に在籍していれば、ホークスの同期だった大道典嘉と再びチームメイトとなっていた。
  5. 「メガネをかけた捕手」で連想される1人として現実以上に知名度も上がっていた。

吉本亮(捕手)[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年代の広島の正捕手の座を確保していた。
    • 西山秀二や瀬戸輝信の影がかなり薄くなる。
  2. 2000年代後半ぐらいまでは現役を続けていた。
    • この場合、石原慶幸のブレイクが遅れていた。
  3. 近鉄や阪神への移籍は無かったかも?
    • 2002年の阪神は5位まで沈んでいたかもしれない(史実では矢野離脱時に吉本が穴を埋め勝率5割をキープ)。
    • ホンダ鈴鹿(社会人野球)への移籍も無かった。

吉本亮(内野手)[編集 | ソースを編集]

  1. 初本塁打はもっと早かった。
  2. 三番か五番を任されてたかもしれない。
  3. ヤクルトへの移籍はなかった。
    • FAで西武か阪神に移籍していたかもしれない。
      • 阪神の場合かつて同姓同名選手がいたことで話題にされていた。
  4. サードだと松田宣浩のブレイクが遅れていたかもしれない。
  5. フリオ・ズレータを獲得しなかったかもしれない。

与田剛[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代まで中日の抑えを務めていた。
    • そして中日で現役を全うした。
  2. 毎年佐々木主浩や高津臣吾と最優秀救援争いを繰り広げていた。
    • 通算セーブ数で佐々木・高津を上回っていたかも。
    • 佐々木・高津同様メジャー入りもあったかも。
  3. 宣銅烈が中日に入団することは無かった。
    • 岩瀬仁紀も当面は中継ぎのままだった。
    • ギャラードは佐々木に代わる抑えとして横浜に入団していた。
  4. 史実より早く監督のオファーがあった可能性も。

米崎薫臣[編集 | ソースを編集]

  1. 近鉄の正遊撃手として内野陣を支えていた。
    • 2004年の球団合併までは現役を続けていた。
    • 阪神への移籍も無く、生涯近鉄一筋。
  2. 水口栄二や武藤孝司のブレイクが遅れていた。
    • ショーン・ギルバートの獲得も無かった。
  3. 1989年と2001年のリーグ優勝にも貢献。
    • 特に1989年は球団初の日本一を達成できていたかもしれない。
    • 1990年代のうちにも近鉄は最低1回はリーグ優勝していた。

らわ行[編集 | ソースを編集]

李景一[編集 | ソースを編集]

  1. 同級生の内海哲也とのバッテリーで長く活躍した。
  2. 二番手捕手となっていた。
    • 北京五輪の阿部離脱時には正捕手となっていた。
    • 村田善則や加藤健の影が薄くなる。

若田部健一[編集 | ソースを編集]

  1. ホークスの20年連続Bクラスの記録が史実より早く止まって……いないかも(1番Aクラスに近づいた1994年に10勝7敗と活躍していたので)。
    • でも1998年の段階で優勝していた可能性はかなりある。
  2. 100勝は(史実では71勝)していたはず。
  3. 娘の若田部遥はもっとブレイクしていた?
  4. 横浜移籍後に活躍していたら……と言いたいが2002・03年の最下位は変わらなかったか。
    • ただ2004年に最下位脱出、2005年に貯金で終われた可能性はある。
    • そもそも横浜に移籍せず生涯ホークスだったかもしれないが。
  5. 史実よりかなり早く(史実では2017年から)指導者になっていた可能性がある。ただしホークスのとは限らない。

渡辺智男[編集 | ソースを編集]

  1. 西武ライオンズを代表する右腕エースとしてチームに貢献していた。
    • 2000年代のパ・リーグの優勝も西武の独占だった。
    • でも右ヒジに爆弾を抱えていたから120勝くらいで引退を表明していたかもしれない。
  2. 衰えが見えていた渡辺久信にかわって、「西武の渡辺=渡辺智男」になっていた。
    • ダイエーへのトレードも別の投手になっていた。
    • 史実通りだったら、ダイエーの連続Bクラス脱出とリーグ優勝が少し早まった。
    • 工藤を追って巨人に移籍したかもしれない。
  3. 「甲子園の優勝投手は大成できない」のジンクスを打ち破っていた。
    • 正しくは「甲子園の初出場初優勝投手は大成できない」のジンクスだと思われ。
  4. そして現在西武の監督をしているのもこの人。
  5. ソフトバンクの監督をする可能性も十分ある。

渡辺正人[編集 | ソースを編集]

  1. 背番号は40ではなく別の一桁番号に変更していたか。
  2. 今江敏晃のブレイクが遅れていた。
  3. 2007年度から2008年度のてれび戦士の渡邊聖斗が史実以上に注目されていた。

渡辺政仁[編集 | ソースを編集]

  1. プロ入り後も桑田のライバルのイメージを保てていた。
  2. 投手として成功なら野手転向はなかった。
  3. 当然のことながら一軍デビューはもっと前であった。

渡辺久信[編集 | ソースを編集]

工藤公康並みに現役生活が長かったら?

  1. 90年代後半の西武はもう少し優勝していた。
    • ヤクルトや横浜は97年や98年に日本一になっていたか?
    • ただし生涯西武だったかは不明。史実通りヤクルトなどに移籍していたかも。
      • ヤクルト移籍後に復活した場合、野村監督の後を追って阪神で投げていたりして。
        • そして最晩年は楽天に入っていたかも。
  2. 150勝は無論、200勝まで行っていたかも。
  3. 台湾移籍がないので体型もそのままだった?ただし髪の方は………………
  4. 西武監督就任は史実通りだろうが、史実より遅かったと思われる。

渡部龍一[編集 | ソースを編集]

  1. 道産子正捕手として称されていた。
    • 同じ北海道出身の鍵谷陽平と道産子バッテリーを組んでたかもしれない。
  2. 札幌第一高校からプロ入りする選手が増えていた。

渡辺亮[編集 | ソースを編集]

  1. 渡邉諒がレギュラーを取るまで現役だった場合、交流戦で同姓同名同音異字対決が見られたかもしれない。
  2. 少なくとも一回は最優秀中継ぎ投手のタイトルを取っていた。

度会博文[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年代もヤクルトはもう何回か優勝していた。
  2. ただいわゆるスーパーサブ的な使われ方をされなかった結果、選手生命は逆に短くなったかもしれない。
  3. ラミレスのギャグの師匠としてもっと出番があった。バラエティー番組進出まではともかくスポーツニュースで出るぐらいの事はありそう。
    • ラミレスがDeNA監督に就任した際にDeNAにコーチとして招かれていたかも?
  4. 息子の隆輝は2023年のドラフト会議でもっとたくさんの(史実では3球団)球団に指名されていた。
    • と言うか2020年の高卒の段階でドラフトにかかっていた。
    • ヤクルトに入団したか、史実通りDeNAに入団したかは不明。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ