もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人/さ~な行

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  • 日本における成績のみを対象とします。
  • 最後の日本球界在籍から1シーズン以上経過まで追加しないこと(ブランクを経て復帰した場合は一旦コメントアウトします)。
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さ行[編集 | ソースを編集]

サムソン・リー(李尚勲)[編集 | ソースを編集]

最初から先発で活躍していたら
  1. 1998年の中日はリーグ優勝を果たしていたかもしれない。
  2. 史実以上に宣銅烈・李鍾範との「韓国三銃士」が話題になっていた。
  3. それでもMLBへの挑戦は史実通りか?

アンソニー・サンダース[編集 | ソースを編集]

  1. もしかしたら2001年に横浜は優勝できていたかもしれない。
    • 翌年以降の成績も史実より良くなっていた。
  2. 2002年にボイ・ロドリゲスやアーニー・ヤングを獲得することも無かった。
  3. 活躍次第ではメジャーリーグ復帰を果たせていたかも?

GG(ジェレミー・ゴンザレス)[編集 | ソースを編集]

  1. 2007年のクライマックスシリーズで中日に3タテを喫することは無かったかも?
  2. グライシンガーやバーンサイドの獲得も無かったかもしれない。
  3. 翌2008年に水上バイク事故で亡くならず、現在も存命だった。

アーキー・シアンフロッコ[編集 | ソースを編集]

  1. 西武は1999年にリーグ優勝を達成していたかもしれない。
    • シーズン途中にアラン・ジンターやコーリー・ポールを補強することはなかった。
  2. 高木浩之の背番号は「4」ではなくて「6」あたりに変わっていた。

朱大衛[編集 | ソースを編集]

  1. 数少ない中国出身選手として注目されていた。
    • 中国出身選手は日本では活躍できないというジンクスを破っていた。
  2. 中国球界への移籍はなかったか。
    • 中国球界の知名度を上げるきっかけを作っていたかも。

ドン・シュルジー[編集 | ソースを編集]

  1. DH制導入後(交流戦導入前)のパリーグで唯一本塁打を放った投手として現実以上に有名だった。
    • 仮に2本目3番目…と打ち続けていたら「元祖二刀流」と呼ばれていたかも。
  2. 退団・帰国が遅れていて、「がんばろうKOBE」で優勝したブルーウェーブの一員になっていた。

蕭一傑[編集 | ソースを編集]

  1. 台湾人ドラ1選手として陽岱鋼と並び、称される存在になってた。
  2. 藤浪晋太郎の背番号は史実と異なってたかもしれない。

ミッチ・ジョーンズ[編集 | ソースを編集]

  1. 登場曲にインディ・ジョーンズのテーマが起用されたかもしれない。
  2. ジェイソン・ボッツやルイス・ヒメネスを獲得しなかったかもしれない。
  3. あだ名が「ミッチ」である及川光博との対談が行わていたかもしれない。

ジェイソン・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の連続Aクラス記録は2013年まで続いていた。
  2. 彼と同じく糖尿病を患いながら活躍した1988年巨人のビル・ガリクソンと比較されていた。
    • 間違っても(史実において常勝チームをどん底に叩き落した共通点を持つ)1975年巨人のデーブ・ジョンソンと比べられることはなかった。
  3. 飯田圭織(モーニング娘。)のあだ名の由来としても有名になっていた。
    • それはデーブ・ジョンソンの方。

デーブ(デービー)・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

巨人時代の成績ももっとよかったら

  1. 巨人史上唯一の最下位の黒幕として酷評されることはなかった。
    • ジョン損というレッテルを貼られることもなかった。
  2. メジャー復帰後の成績ももっと良かったはず。
  3. 現役生活も史実より長かったかも。
  4. 監督として1986年にメッツを世界一に導いたときには大きな反響を呼んだ。
  5. 飯田圭織のあだ名の由来としても有名になっていた。

マーク・ジョンソン[編集 | ソースを編集]

  1. 1999年の後半戦も活躍していたら、阪神は最下位を脱出できていた。
    • 上手くいけばAクラスに残り、優勝争いをしていたかも。
  2. ポジションが被る大豊泰昭は史実より早く中日に戻っていたか、或いは阪神で引退していたか…。
    • 巨人から広澤克実を獲得していなかった。
      • 広澤は巨人退団後、ヤクルトに復帰していたか?その場合引退が史実より数年早くなっていた。
  3. 翌年にバトル、ハートキー、フランクリンを獲得することは無かったかもしれない。
  4. 一緒に来日・阪神入りした、マイケル・ブロワーズも現実以上に活躍できていた。

マット・ステアーズ[編集 | ソースを編集]

  1. 中日の名外国人として長く活躍していた。
    • 1994年・1996年・1998年・2000年のいずれかの年で優勝できていた。
      • 1993年もヤクルトと僅差の2位だった。
  2. メル・ホールや李鍾範を獲得することは無かったかもしれない。

スパイク(ランディ・レディ)[編集 | ソースを編集]

  1. 1996年のロッテはAクラスに入っていたかもしれない。
    • 広岡・江尻体制はもう少し続いていた。
      • 近藤昭仁の監督就任は無かったかも?
    • シーズンの途中にウェス・チェンバレンとダレル・ウィットモアを緊急補強で獲得することも無かった。
  2. 来日時36歳という年齢を考えると1997年頃までは現役を続けていたか。

フェルナンド・セギノール[編集 | ソースを編集]

ホームランの数が減り続けることがなかったら。

  1. 史実より長く日本ハムに残っていた。
    • 稲田直人は別の背番号に変更していた。
  2. 史実通り楽天に移籍していた場合も活躍できていた。
    • 楽天初の日本一も早まっていた。

ディオニス・セサル[編集 | ソースを編集]

  1. 俊足強打のドミニカ人として注目されていた。
    • 日本球界の外国人初のトリプル3も達成していた。
  2. 大島洋平のブレイクが遅れていたかも。
  3. 佐伯貴弘の中日移籍後の背番号が異なっていた。

た行[編集 | ソースを編集]

ジェイソン・ターマン[編集 | ソースを編集]

  1. それでも2002年の横浜の順位は変わらないか。
    • 森祇晶はシーズン最終戦まで指揮を執っていた。
    • クリス・ホルトかドミンゴ・グスマンのどちらかが解雇されていたかもしれない。
  2. 高身長の選手としても話題になっていた。

張誌家[編集 | ソースを編集]

  1. 2002年の日本シリーズで西武が4連敗を喫することは無かった。
  2. 涌井秀章や岸孝之のブレイクが遅れていた。
  3. 松坂大輔は史実(2006年)より早くメジャーに挑戦していたかも?
  4. 2009年に八百長問題に携わることもなかった。

鄭珉台[編集 | ソースを編集]

  1. ガルベスの代役として及第点とされた。
  2. 具臺晟とともに韓国の左右エースが日本球界を席巻したと評された。
  3. 韓国トリオの1軍争いは注目を集めた。

フェリックス・ディアス[編集 | ソースを編集]

  1. ライアン・グリンかブライアン・スウィーニーの獲得はなかったか。
  2. 韓国の起亜タイガースへの移籍はなかったかも。
    • 史実通り、韓国に行っていた場合も活躍できていた。
    • ウィルソン・バルデスのヤクルト移籍後は違う外国人を獲得していた。

ベニー・ディステファーノ[編集 | ソースを編集]

  1. 同年に在籍していたバンス・ローと名コンビになっていた。
  2. 乱闘で有名な強打者として、他球団のマイク・ディアズやジム・トレーバーらと並び称されていた。
  3. 宇野勝が外野にコンバートされることはなかった。

ディンゴ(デーブ・ニルソン)[編集 | ソースを編集]

  1. もし日本でも捕手だった場合、谷繁が中日に来ることはなかった。
    • そして史実どおり横浜が低迷していた可能性も低い。
      • いや、最初から外野にコンバートする構想だった。
  2. 2004年のアテネ五輪・2008年の北京五輪のオーストラリア代表にも選ばれる。
    • そしてアテネではウィリアムスとバッテリーを組んでいたかも・・・
      • そして李承燁みたいに謝罪。
      • キューバを破って金メダルを獲っていた。
  3. 山﨑武司と李鍾範はどこかに放出されていた。
    • 山﨑はおそらく当時大砲不足だった西武あたりかも?
  4. 年齢的に長くて2008年くらいまで続けていた可能性も。
    • ジェフ・ウィリアムスはもちろん、クリス・オクスプリング(阪神)やエイドリアン・バーンサイド(巨人)とも日本でも対戦していた。
  5. 登録名を悔やむ声はなかった。
    • 登録名の由来である、オーストラリアの動物の「ディンゴ」の知名度が上がっていた。
  6. パ・リーグに移籍してDH要員として活躍した可能性も。
  7. 2000年に中日が優勝出来ていたかもしれない。

ブラッド・トーマス[編集 | ソースを編集]

  1. きかんしゃトーマスのイメージキャラクターを務めていたかもしれない。
  2. 韓国球界への移籍はなかったかもしれない。
  3. ブライアン・スウィーニーやライアン・グリンのどちらかを獲得しなかったかもしれない。
  4. 第2回WBCへの出場は史実通り?

ゲーリー・トマソン[編集 | ソースを編集]

  1. 赤瀬川原平の「超芸術トマソン」には別の名称が付けられていた。
    • あるいは「芸術的な空振りではなくホームラン時のフルスイング」を「超芸術」として例えられていた。
    • サッカー元デンマーク代表ヨン・ダール・トマソンへの風評被害はなかった。
  2. 前年で引退した王貞治の穴を埋める存在として期待通りの活躍さえしていれば、「トマ損」や「舶来扇風機」などと罵られることも無かった。
    • 藤田元司監督ともトラブルは起こしていなかったかもしれない。
  3. 巨人を解雇された後にMLBへの復帰は叶わずとも、現役引退ではなく日本の他球団に移籍していた可能性も。

チャド・トレーシー[編集 | ソースを編集]

あえて三塁で

  1. 堂林翔太のブレイクが遅れていた。
  2. ブラッド・エルドレッドやキラ・カアイフエの獲得はなかったかもしれない。
  3. サンダーバードのイメージキャラクターを務めていたかもしれない。
  4. 広島は史実より早く暗黒時代を脱出できた。

な行[編集 | ソースを編集]

ジョナサン・ナナリー[編集 | ソースを編集]

  1. 2000年のオリックスはAクラス入りしていた。
  2. 翌年以降も活躍していた場合、ジョー・ビティエロやフェルナンド・セギノールを獲得することはなかったかもしれない。
    • もしかしたら萩原淳の背番号は55のままだったかも。

マキシモ・ネルソン[編集 | ソースを編集]

  1. イスラエルリーグから日本球界に移籍する選手は彼以降も増えていた。
  2. 中日はネルソン在籍時にも日本一になれていた。
    • 史実より長く中日に残留していた。
    • 中日の暗黒時代もなかったかも。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ