もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人/は~わ行

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > 外国人 > は~わ行

  • 日本における成績のみを対象とします。
  • 最後の日本球界在籍から1シーズン以上経過まで追加しないこと(ブランクを経て復帰した場合は一旦コメントアウトします)。
  • 新たに追加される場合は登録名(基本的にファミリーネーム)の50音順でお願いします。

は行[編集 | ソースを編集]

ジミー・ハースト[編集 | ソースを編集]

  1. 史実以上に『広島のボブサップ』と呼ばれていた。
  2. 2003年の広島はAクラス入りしていた。
    • 翌2004年にグレッグ・ラロッカを獲得することはなかった。

トニー・バーネット[編集 | ソースを編集]

先発で活躍できていたら。
  1. ヤクルトとの契約を一年で一時解除することはなかった。
    • そして抑え転向はなかった。
  2. 小川泰弘のブレイクが遅れていた。
  3. オーランド・ロマンの獲得はなかったかも。
    • 逆にロマンの方が抑えとして入団していたか。
メジャー復帰後も抑えで活躍していたら。
  1. 日米通産250セーブも達成していたか。
  2. もう少し長く現役を続けていた。

フィル・ハイアット[編集 | ソースを編集]

  1. シーズン途中にダネル・コールズやリード・シークリストを獲得することは無かった。
    • 残留していたら、1998年以降のデーブ・ハンセンやマイケル・ブロワーズの獲得も無かったかもしれない。
      • アロンゾ・パウエルも移籍して来なかった。
  2. 1997年の阪神はAクラス入りしていた。
    • 吉田義男監督も史実より数年長く指揮を執っていた。
      • 野村克也氏と星野仙一氏の監督就任はなかった。
  3. ハイアット退団の翌年から背番号44を着用していた吉本亮の背番号が変わっていた。

ジェレミー・パウエル[編集 | ソースを編集]

2007年以降も活躍できていたら

  1. 巨人のリーグ優勝にもちゃんと貢献できた。
  2. 史実通り、ソフトバンクへ移籍していた場合も活躍できていた。
    • DJ・ホールトンより先にソフトバンク初の外国人二桁勝利を達成できたかもしれない。
    • オリックスへ移籍した場合、08年のAクラス入りに貢献していた。

朴賛浩[編集 | ソースを編集]

日本球界でも活躍できたら

  1. この時点でオリックスは早くBクラス脱出できたかもしれない。
    • オリックスは2010年代に優勝できてたかも。
  2. 最多奪三振など投手タイトルを取ることができたかもしれない。
    • 上手くいけば金子千尋より早くオリックス初の沢村賞を受賞できたかもしれない。
  3. 来日2年目の2012年からは李大浩とのコリアンコンビで売り出された。

ハワード・バトル[編集 | ソースを編集]

  1. 打撃で阪神の勝利に貢献し、史実とは若干違う意味で『勝利の大黒様』と呼ばれていた。
    • シーズン途中にジェイソン・ハートキーやマイカ・フランクリンを獲得することは無かった。
      • 後半戦も活躍していたら、翌年にイバン・クルーズやエドワード・ペレスを獲得しなかった。
        • トム・エバンスの獲得もなかったかもしれない。
  2. 2000年の阪神は最下位を脱出していた。

バンプ・ウィルス[編集 | ソースを編集]

  1. 1986年頃までにプレーしていた。
  2. 1984年の日本シリーズは阪急ブレーブスが制覇していた。
  3. ジョー・ヒックスの加入はなかった。
    • アニマル・レスリーの加入が1987年頃にずれ込んでいた。

ジョー・ビティエロ[編集 | ソースを編集]

  1. ポジションが被るセギノールを獲得することは無かった。
  2. 早川大輔の入団時の背番号が変わっていた。
  3. 2002年のオリックスは最下位を脱出していた。
    • 翌年以降も活躍していた場合、近鉄との球団合併まで石毛宏典が監督を務めていたかもしれない。

ラリー・ビグビー[編集 | ソースを編集]

  1. 残留なら松本啓二郎の背番号が代わっていた。
  2. ラグビーブームで引き合いに出された。
  3. 横浜の成績が多少上向いたかもしれないが、最下位を脱出できるかと言われれば…。

ルイス・ヒメネス(1982年生まれの内野手)[編集 | ソースを編集]

  1. 日本ハムを短期間で退団なんてことはなかった。
    • 2009年のリーグ優勝にも貢献できた。
    • 他の日本球界への移籍はあったかも。
  2. メジャー契約も史実よりも早かったかも。
  3. 日本ハムは以降も南米出身選手を獲得できてたかも。
  4. マイカ・ホフパワーを獲得しなかったかも。

ジャスティン・ヒューバー[編集 | ソースを編集]

  1. 現実以上にジャスティン・ビーバーと混同されていた。
  2. 以降の広島もオーストラリア人を獲得する機会が増えていた。
  3. 独立リーグへの移籍はなかったか。

フィル・ブラッドリー[編集 | ソースを編集]

  1. 1991年の巨人は優勝はともかくAクラス入りはしていた。1992年は優勝していたかも。
    • その後が史実通りの場合、1997年のBクラスは18年ぶりと言う事になる。
  2. 巨人が外国人獲得が下手と言う風潮はやや薄れた。
    • 他球団の外国人を乱獲する事はなかったかも。
  3. モスビーやコリーなどは来なかったかも。
  4. ただ年齢的に(来日時32歳)活躍してもせいぜい5年ぐらいか。
  5. 死球王(1991年に14死球で死球王となり、メジャーリーグ時代にも二度の最多死球があった)として有名になっていた!?
  6. イチローがマリナーズに入団した際にもっと話題になっていた(マリナーズの新人最多安打・最多盗塁の記録を持っていた)?

クレイグ・ブラゼル[編集 | ソースを編集]

2011年以降ももっと活躍できていたら

  1. 2011年の目標だったシーズン本塁打数の王貞治越えを達成できたかもしれない。
    • 三冠王を取っていればランディ・バース二世の異名をもらっていた。
      • 「1番活躍したバースの再来」として現実以上にバース氏と比較されていたかも。
      • 三冠王をマット・マートンに阻まれたりして!?
  2. 史実通りロッテに移籍していた場合も活躍できていた。
  3. 「=もし2011年から飛ばない統一球が導入されなかったら」かもしれない。
  4. 2011年・12年の阪神はAクラス入りできていた。
    • 真弓明信氏と和田豊氏の監督交代も遅れていた。
  5. マウロ・ゴメスは阪神に入団したか?
    • ブラゼルと入れ替わりでやって来た場合史実以上に期待を集める。
      • そして史実通りの成績だった場合阪神は別の意味でバースの呪いを解いたと言われそう。

フアン・フランシスコ[編集 | ソースを編集]

  1. 2015年も巨人が優勝していた。
  2. 原沢GMが更迭されることはなかった。
  3. フランシスコが絡んだ「サヨナラインフィールドフライ事件」が起こらなかったので、広島カ-プが「知ってたもの勝ち」というTシャツを発売することはなかった。

グレッグ・ブロッサー[編集 | ソースを編集]

  1. 西武は1999年にリーグ優勝を達成していたかもしれない。
    • シーズン途中にアラン・ジンターやコーリー・ポールを補強することはなかった。
  2. 高山久の背番号が史実とは違う番号になっていた。

ブラッド・ペニー[編集 | ソースを編集]

  1. ソフトバンクはその後も大物外国人獲得に動いたか。
  2. 12年に優勝できていたか。
  3. ペニーオークション詐欺事件で風評被害を受けていた。
    • 少なくとも実史のような「球界版ペニーオークション詐欺事件」という扱いにはならなかった。

コリー・ベイリー[編集 | ソースを編集]

  1. ≒「もし2003年4月11日の対阪神戦でアリアスと片岡から連続ホームランを喫していなかったら」である(長っ!)。
  2. シーズン前半は中継ぎとして、オールスター後はリリーフとして登板回数が増えていた。
  3. 2003年のペナントレースで、阪神に15.5ゲーム差をつけられることもなく、とりあえず巨人はリーグ2位でシーズン終了。
    • この年の星野阪神の強さは半端じゃなかったので、阪神の優勝は変わらなかったと思う。
    • 原監督の更迭はなく、2004年も指揮を取っていた。
      • 単に堀内暗黒時代の到来が1年ずれただけかも。
  4. ベイリー本人は3年ほど巨人に在籍し、その後はメジャーに復帰。無事アメリカで現役を引退していた。
    • 台湾リーグへの移籍もなく、八百長問題で追放ということにもならなかった。

ブライアン・ボグセビック[編集 | ソースを編集]

  1. 2016年のパ・リーグは楽天か西武が最下位になっていた。
  2. ひょっとしたら、『ポプテピピック』とコラボしていたかもしれない。
  3. 一緒に来日したブレント・モレルやこの年の新人吉田正尚とともにチームを盛り上げる存在になれていた。
    • ステファン・ロメロかクリス・マレーロのどちらかが来日しなかった。あるいは来日が遅れていた。
  4. 翌年以降もオリックスに在籍し、オリックスが福良淳一監督在任中に1回はCSに進出出来ていた。

ケビン・ホッジス[編集 | ソースを編集]

楽天でも活躍できていたら。

  1. 創設時の2005年に2勝12負の最低記録を出すことはなかった。
    • 史実より長く楽天に残留できれば、楽天初の外国人二桁勝利を達成できたかもしれない。
  2. 後に独立リーグに移籍して引退もなかった。

ジェイソン・ボッツ[編集 | ソースを編集]

  1. 中田翔のブレイクが遅れていたかも。
  2. ルイス・ヒメネスやマイカ・ホフパワーを獲得しなかったかも。
  3. 厚切りジェイソンとの共演が実現したかも。
  4. メジャー復帰後の成績ももっと良くなってたかも。

ジェームス・ボニチ[編集 | ソースを編集]

  1. 1997年以降のオリックスの成績が史実より良くなっていた。
    • 1997年と1998年はリーグ優勝を果たせていたかもしれない。
  2. トロイ・ニールのオリックス復帰は無かった?
  3. ウエスタン初の三冠王は2007年の迎祐一郎(サーパス)。

マイカ・ホフパワー[編集 | ソースを編集]

  1. 登場曲にホフディランの曲が使われていたのかもしれない。
  2. 中島卓也の背番号変更が遅れていたか。

デーモン・ホリンズ[編集 | ソースを編集]

  1. メジャーでレギュラーを獲ったのは30歳からなので、遅咲きの星と称されていた。
  2. 名前のデーモンにちなんで、デーモン閣下との対談が行われていたのかもしれない。
  3. アレックス・ラミレスの獲得はなかったかもしれない。
  4. 引退後も日本に残っていれば、仮面ライダーリバイスの出演オファーもきたのかもしれない。
    • デーモン=悪魔というつながりで。

ま行[編集 | ソースを編集]

アレッサンドロ・マエストリ[編集 | ソースを編集]

  1. 日伊球界の結びつきが強まったか。
  2. 国内他球団かメジャー移籍もあったか。

ホセ・マシーアス[編集 | ソースを編集]

  1. 2007年以降も日本ハムに残留、2007年も日本一になり2009・2012年も巨人を破っていたかも。
  2. 間違いなく杉谷拳士と並び立てられる。杉谷が「和製マシーアス」と呼ばれたりして。

トム・マストニー[編集 | ソースを編集]

  1. インドネシア生まれってこともあって東南アジアから日本球界入りやメジャー挑戦を目指す選手が増えていたかもしれない。
  2. クリフ・ランドルフの獲得はなかったかもしれない。

ドン・マネー[編集 | ソースを編集]

  1. 1985年までにプレーしていた。
  2. デービスの加入はなかったかもしれない。
  3. 1984年の近鉄はAクラス入りしていた。
  4. 1984年のオールスターゲームに出場していたかもしれない。
  5. 藤井寺球場のロッカールームの汚さに嫌気が差すということもなかったか?
    • むしろ改修を要望していたりして。

パット・マホームズ[編集 | ソースを編集]

  1. 1997年の段階で横浜が優勝していたかもしれないし、1998年の優勝はもっとぶっちぎりになっていた。
    • 2002年以降も活躍していれば、横浜の暗黒時代到来はもう少し遅れたかも。
  2. 史実の1999年以降のように中継ぎとして活躍した場合、五十嵐英樹などは少し影が薄くなっていた。
  3. 息子がアメフトではなく野球(実際にも高校時代にノーヒットノーランを達成した)に進んでいたかもしれない。
    • あるいはベイスターズにやって来て親子二代でプレイする事になったかも。
    • その場合、チーフスが2020年のスーパーボウルで50年ぶりに優勝することはなかった。

ジェフ・マント[編集 | ソースを編集]

  1. 1996年のセ・リーグは前半戦から巨人・中日・広島の三つ巴状態になっていた。
    • 「メークドラマ」は流行語にならず、代わりに「乱セ三国志」あたりが流行語になっていた。
    • ガルベスが一軍に上がって来ないとなると史実通りだった可能性が?
  2. 仁志敏久は入団1年目から二塁手に固定されていた。
  3. ナベツネの「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」という迷言はなかった。
  4. MLBのジェフ・ケントと一字違いであることがもっと話題になっていた。

ダン・ミセリ[編集 | ソースを編集]

  1. 2005年の巨人は横浜・ヤクルトとAクラス争いをしていた。
  2. 堀内は2006年も監督を務めていたかもしれない。但し2006年までの任期だったので2007年からは原監督か?
  3. 林昌範や高橋尚成が抑えに回ることは無かった。

ケビン・ミッチェル[編集 | ソースを編集]

  1. 『金と共に去りぬ』とマスコミに揶揄されることもなく、ホークスの主力打者として活躍していた。
    • それでも1995年にホークスがBクラスを脱出していたかは微妙なところだろう。
  2. 史実でミッチェルが退団した翌1996年から背番号39を背負った柳田聖人の背番号が変わっていた。
  3. のちに来日するいとこのトニー・ミッチェルも活躍できていた。

トニー・ミッチェル[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年にダイエーはリーグ優勝を達成していた。
  2. モーガン・バークハートやフリオ・ズレータらの獲得はなかったかもしれない。

ライル・ムートン[編集 | ソースを編集]

  1. 1998年のヤクルトはAクラス入りしていた。
    • 果たして野村監督は辞任していただろうか。していない場合は阪神の監督に就任しなかった。
  2. ロベルト・ペタジーニの獲得はなかったか、あるいは獲得した場合外野手として出場していた。
  3. 伊藤智仁投手コーチの「マートンじゃなくて、ムートンだと思えばいいんだ。」という迷言はなかった。

エルネスト・メヒア[編集 | ソースを編集]

2017年以降も活躍できていたら
  1. 山川穂高のブレイクが史実通りとすると、おそらく指名打者での出場が増えていた。
    • そうなると栗山巧は代打専門になり、2000本安打を達成する前に引退していた可能性が高い。
  2. 「3年15億の大型複数年契約で不良債権化した」とか言われることはなかった。
  3. 案外、他球団に移籍していた方がもっと活躍していた可能性が高そう。
    • 当時貧打に悩まされていた巨人かオリックスあたりに移籍していれば、「メシア」として崇められていたかも。

ケビン・メンチ[編集 | ソースを編集]

  1. クレイグ・ブラゼルを獲得しなかったかもしれない。
    • 3番から5番はAKB(新井金本ブラゼル)ではなくAKM(新井金本メンチ)と呼ばれていた。
  2. 甲子園球場では彼をイメージしたメンチカツバーガーが販売されたかもしれない。

ブレント・モレル[編集 | ソースを編集]

  1. 2017年途中にクリス・マレーロを獲得しなかった。
  2. オリックスファンYouTuber「B-モレル」の名前の由来としてもっと有名になっている。

やらわ行[編集 | ソースを編集]

陽耀勲[編集 | ソースを編集]

ソフトバンクで大成していたら

  1. 台湾で打者転向はなかった。
  2. 弟の陽岱鋼と金銭トラブルを起こし、絶縁状態にもならなかった。
    • 弟との対決ももっと多かったか。
    • 岱鋼自身は巨人ではなくソフトバンクに移籍していたか。

ケビン・ユーキリス[編集 | ソースを編集]

  1. 14年の楽天最下位はなく、14年時点の引退はなかった。
    • ソフトバンク以外のパ・リーグのチームが日本シリーズに出場すると翌年はBクラスを沈むというジンクスを破っていたかもしれない。
  2. ゼラス・ウィーラーを獲得しなかったかもしれない。
  3. レッドソックスの先輩で同じく鳴り物入りで来日しハズレに終わった、マイク・グリーンウェルと比較されることもなかった。
    • むしろ良い意味で比較されていたかも。

ラスティ・ライアル[編集 | ソースを編集]

  1. 父親が元中日選手という二世外国人選手として称されていた。
  2. 小笠原道大の定位置を奪っていた。

ダレル・ラズナー[編集 | ソースを編集]

  1. 岩隈久志や田中将大とともに楽天の先発ローテを支えていた。
  2. 楽天外国人初の二桁勝利を達成していた。
  3. 楽天初の日本一も早まっていたかも。

クリス・ラルー[編集 | ソースを編集]

  1. ヤクルトは外国人選手に定評のあるイメージが強いままだった。
  2. 長期に活躍すれば成瀬の背番号が違っていた。
  3. 壇蜜始球式からの炎上がネタにされる事はなかった。

コーディ・ランサム[編集 | ソースを編集]

  1. 2014~2016年の西武の3年連続Bクラスはなかったか。
  2. 「応援歌だけの選手」「ランサムウェア」などと酷評されることはなかった。
  3. 中村剛也は2014年以降は指名打者専門になっていた。
  4. エルネスト・メヒアの獲得はなかった。
    • そのため、山川穂高のブレイクが史実より早まっていた。

スティーブン・ランドルフ[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜の暗黒時代脱出が早まっていた。
    • 2010年代の横浜も最低でも一回は優勝できてた。
  2. 沖縄県生まれってこともあって、沖縄県の応援大使を務めていたかもしれない。

ジェロット・リガン[編集 | ソースを編集]

  1. ジェフ・ウィリアムスとともにリリーフの一翼を担い、JFKに影響が出たか。
    • JJFKになってたか。
  2. 2004年の阪神はAクラス入りしていたかもしれない。
  3. リガン退団の翌年から背番号65を着用していた水落暢明の背番号が変わっていた。

林羿豪[編集 | ソースを編集]

巨人で成功していたら。

  1. 以降も中卒でプロ入りする選手が増えていたか。
  2. 台湾人選手は巨人では成功しないというジンクスは破られた。
    • 巨人の育成外国人は成功しないというジンクスも。
  3. 未成年で成功していたら、支配下登録やWBC初出場も早まっていた。

林英傑[編集 | ソースを編集]

  1. 台湾の奪三振王として史実以上に注目された。
  2. 楽天初の外国人二桁勝利を達成できたかもしれない。
    • 日本でも最多奪三振も取ってたかもしれない。
  3. メジャー挑戦もしていたかもしれない。

林威助[編集 | ソースを編集]

  1. 掛布雅之のあとに31を付けた選手は最終的にダメになるというジンクスを完全に破っていたかもしれない。
  2. 阪神の台湾人のドラフトや育成は史実以上に成功していた。
  3. 後に日本に帰化して名前も「はやしいすけ」に改名していたかもしれない。
  4. 台湾への帰国は現実通りかも。
    • 台湾帰国後の成績ももっと良くなっていた。
  5. 2006〜2010年のどこかで阪神が優勝出来ていた。

林恩宇[編集 | ソースを編集]

  1. 台湾復帰後の成績ももう少し良くなってた。
  2. 楽天外国人初の二桁勝利を達成できたかもしれない。
  3. 今でも台湾の松坂大輔と呼ばれている。

ライアン・ループ[編集 | ソースを編集]

  1. 2004年はカルロス・ミラバルと共に先発ローテを組んでいた。
  2. ライアン・グリンの日本ハム入団後はファンの間で日本ハムのライアンはどちらを思い出すか、分かれると話題になる。

ウィリン・ロサリオ[編集 | ソースを編集]

  1. 18年の阪神最下位はなかったか
  2. マウロ・ゴメスといい意味で比較された。
  3. KBOが打者天国のイメージは薄れた。
  4. ナバーロやマルテやソラーテの来日もなかった。

ルイス・ロペス(2005年・楽天)[編集 | ソースを編集]

  1. 2005年の楽天のチーム成績はもうちょっとマシになっていた。(史実では38勝97敗1分と100敗に手が届きそうなくらいひどい成績であった。)
  2. ポジションが被るホセ・フェルナンデスは楽天に移籍しなかった。
  3. もしかすると実績やかつての名物助っ人と同じ名前という理由で楽天を退団した後に広島が獲得して「広島のルイス・ロペス」が数年振りに復活していたかも。
    • ちなみに広島にいたほうのルイス・ロペスは2010年に楽天でコーチを務めた。
    • その広島にいたほうのルイス・ロペスが1998年にダイエーに在籍していたので、楽天を退団した後にソフトバンクが獲得していたら「ホークスのルイス・ロペス」の復活も話題になった。

ジェイミー・ロマック[編集 | ソースを編集]

  1. 右翼手で定着していた場合、中堅手で梶谷隆幸との競争が続いていたため桑原将志のブレークが遅れた。
    • この為、桑原では無く梶谷が2017年にゴールデングラブ賞を獲得していたかも。
  2. ネフタリ・ソトは来日しなかった。
  3. 某所で、『ロマック算』なるものが生まれる事は無かった。
  4. KBOへの移籍も無かったか遅れていた。

レビ・ロメロ[編集 | ソースを編集]

  1. 育成出身外国人をめぐる議論が起こった。
  2. 先発かトレードのどちらかで結果を出し、ホークスへのトレードはなかったか。

呂明賜[編集 | ソースを編集]

  1. 1988年のセ・リーグは終盤まで中日と巨人のマッチレース状態になっていた。
    • 場合によっては、同年のパ・リーグや1994年のセ・リーグ同様最終戦までもつれていたかもしれない。
  2. 1989年の日本シリーズは史実のように第7戦までもつれこむこともなく、巨人が圧倒的な強さで制していた。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら
日本人 あ~い/う~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ