もしあの人が健在だったら/漫画家
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男性[編集 | ソースを編集]
青木雄二[編集 | ソースを編集]
- 大阪で日本共産党から国会議員に立候補していた。
- いや、寧ろ今の共産党には批判的になっているかと。
- 相変わらず安っぽいゼニ道エッセイで小銭を稼いでいた。
- 「たかじんのNOマネー」にコメンテーターとして出演していた。
赤塚不二夫[編集 | ソースを編集]
- 『天才バカヴォン〜蘇るフランダースの犬〜』や『おそ松さん』は存在していなかった。
- 内容が変わっていた。
- 多分今よりひどくなっていた。
- 下手したらおそ松さんは半分くらい封印回になっていた。
- 多分今よりひどくなっていた。
- 内容が変わっていた。
- 『天才バカボン〜家族の絆』にゲスト出演していた。
- 本作の主題歌を歌っていた(史実ではタモリが担当)。
- 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
- 終盤の笑っていいともの『テレフォンショッキング』に約16年ぶりに出演していた。
石ノ森章太郎[編集 | ソースを編集]
- 仮面ライダー龍騎は無し、あっても大幅に設定が変わっていた。
- 555も無かったかもしれない。
- オンドゥル語も誕生していなかった。
- そのまま行けそうなのはクウガとWぐらいか・・・。
- というか亡くなった後仮面ライダーをやろうと決めたのだから、亡くなっていないならメタルヒーローシリーズが続いている。
- いや待て、真仮面ライダー完結編と仮面ライダーEVEがあるぞ!
- したがって仮にクウガやアギトをやっていたとしても、やっぱり終盤には昭和ライダーが登場していたかも…。
- 案外ノリノリでコミカライズを担当していたかもしれない。
- 昭和ライダーをオマージュしたエピソード(具体的に言えば『仮面ライダー』第4話とか)が多く作られていた。
- 怪人のデザインを寄稿していた。
- というか亡くなった後仮面ライダーをやろうと決めたのだから、亡くなっていないならメタルヒーローシリーズが続いている。
- 『仮面ライダー THE FIRST』の監督になっていた。
- リファインされたキョーダインやアクマイザーはライダーの仲間になっていた。
- 荒木飛呂彦と宮城県の漫画家を二分する存在になっている。
- 仙石線の「マンガッタンライナー」のデザインが変わっていた。
- 当然、「マンガッタンライナー」の出発式に出席している。
- 「サイボーグ009」を描き続けている。
- 天使編が未だに終わらない。
- 「2009年は009の年」イベントに出ている。
- 2012年のリメイクにも何らかの形で関与していた。
- ユーゴ紛争かイラク戦争を舞台にテロや民族対立を取り扱った009を描いている。
- 2015年の「009VSデビルマン」完成に当たって永井豪との対談もやっていた。
- どちらも「悪の力を正義の心で封じ込め、異形の姿になって戦う」という王道ストーリーのため。
- 「マンガ日本の歴史」・「マンガ日本経済入門」に続く学習漫画も描き続けている。
- 仮面ライダーSPIRITSの第1巻か最終巻で村枝賢一と対談していた。
- 楽天イーグルスのマスコットをデザインしていた。
- 自身が原作の多くのアニメ、特撮作品の主題歌の作詞を手掛けていた事もあり、それを活かして球団歌、応援歌の作詞を手掛けていただろう。
- 宮城県のどこかの民放のマスコットもデザインした可能性もある。
- 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
- 2000年大晦日~2001年元日の世紀跨ぎイベントに招待されて、「Long long ago, 20th century」(『仮面ライダーBLACK』のED曲)を歌っていた。
- スーパー戦隊の版権はどうなっていたんだろう?
- 恐らく生涯執筆枚数は15万枚を超えていた。
- 手塚治虫先生に関する特番などには必ずと言っていいほど呼ばれていたことだろう。
- 「仮面ライダーBLACK」20周年のために、石ノ森章太郎は漫画版に忠実な深夜アニメ版を制作した。
- 仮面ライダーBLACKSUNは制作されなさった。
- 「燃えろ!ロボコン」は、放送されなかったかもしれない。(この作品は、石ノ森章太郎氏を追悼するために制作、放送された作品であるため。)
- 史実における「ロボコン」の前番組だった「テツワン探偵ロボタック」は、もう少し長く(せいぜい2、3話程度)放送されていただろう。(「ロボタック」の放送期間短縮は、「ロボコン」の放送開始日を石ノ森氏の一周忌に合わせる為の短縮だった為。)
- 東映に無断で制作された『仮面ノリダー』は史実以上に厚遇されている(激怒した東映サイドに対し、本人は公認を出していたため)。
- いずれ東映が版権を取得する流れは変わらないだろうが、2019年の劇場版ジオウ以前から本作とのコラボが行われ、映像ソフト化もされている。
- 機界戦隊ゼンカイジャーの製作に協力していた。
- スーパーヒーロー戦記の内容にも影響が出ていた。
臼井儀人[編集 | ソースを編集]
- クレヨンしんちゃん漫画継続決定
- ファンも帰還を大喜び
- 原作の漫画に忠実な深夜アニメを制作するという話が噂される。
- 他の雑誌にオファーが、きて新作品を連載を開始する可能性も。
- 藤子・F・不二雄展やFライフに寄稿やコメントをしていたかもしれない(藤子ファンだったというので)。
- 「新クレヨンしんちゃん」はなかった。
- クレしん劇場版に関してはほとんど影響は出ないが、久々の原作ベースとなった「ラクガキングダム」に関しては多少変化があったかもしれない。
- 超能力大決戦も。
- 「野原ひろし 昼メシの流儀」などの公式スピンオフの製作にも関わっていた。
- 例の遺書もないので、検索してはいけない言葉が一つ減っていた。
梶原一騎[編集 | ソースを編集]
- 80年代後半にF1漫画、90年代後半にJリーグ漫画とメジャーリーグを舞台にした野球漫画の原作を書いていた。
- ここに対して店名使用禁止の訴訟を起こしたかも。
- 現在マガジンで連載している漫画家や講談社の編集を鉄拳制裁していた。
- 樹林伸に「俺の許可無くマガジンで原作書くな!」
- 日向武史、寺嶋裕二、月山可也に「俺に許可無くスポーツ漫画書くな!」
- 赤松健などのラブコメ漫画家、真島ヒロなどのファンタジーバトル漫画家には、意外と寛容。
- ペラペラとめくって流し読みした後、「駄目だ、俺には理解できない・・・」
- マガジンで連載している女性漫画家を全員愛人にしていた。
- 「俺の妾になれば、マガジンで連載させてやる」
- 拒否した漫画家は講談社を永久追放。よって塀内夏子や月山可也は他の出版社へ移籍していた。
- 「俺の妾になれば、マガジンで連載させてやる」
- 「サンデージャポン」に弟が出演することはなかった。
- 球界や角界で大規模な問題が発生した際には「有識者」の一人としてよくマスコミでコメントしていた。
- K-1、PRIDEなど格闘技団体の試合で、ゲスト解説者としてたびたび出演していた。
- 週刊少年マガジンの新人漫画賞の名前が、「梶原賞」になっていた。
- 特別審査委員長は、勿論梶原一騎。
- 新人漫画賞の授賞式では、受賞者への梶原一騎による闘魂ビンタが恒例行事として行われる。
- 女性の受賞者は、闘魂しっぺで代用。
- 当然のことながら、「男の星座」が未完に終わることはなかった。
- 大山倍達とも和解できていただろう。
- その場合、大山の葬儀で弔辞を読んでいた。
- 大山倍達とも和解できていただろう。
- 恐らく、80年代中盤からはヤングジャンプ、モーニングといった青年誌で原作を書いていた。
- 現在のちばてつやにとって、数少ない「頭が上がらない人物」。
- 森川ジョージや樹林伸が、週刊少年マガジンで現在ほど大きな力を持っていなかった。
- 森川はボクシング漫画を書くこと無く、他のスポーツ漫画を書いていた。
- 樹林は漫画原作者になることなく、講談社の社員のまま。
- 1997年に起きた、娘・暁燕の死を自ら見届けていた。
- 実写映画版「タイガーマスク」は、変身ヒーロー風にアレンジされることはなく、ほぼ原作に近い内容での作品になっていた。
- どう考えても、あの変わりすぎたタイガーマスクを梶原一騎が許すはずがないだろう。そうなったら、制作会社に怒鳴り込んでくる。
- その場合、主演はウエンツ瑛士ではなかった。
- ソフトバンクのCMである「元○○のアニメキャラたちの現在」で、「あしたのジョーのジョーはボクサーを引退し現在小説家」という設定など、梶原一騎が許可するハズがないので、ピース又吉の出演はなかった。
- 「あしたのジョー」がゲーム化されることはなかった。
- 吉田豪と対談していた。
- 史実では吉田は梶原の妻、弟、長男、次男と絡んだことがある。
方倉陽二[編集 | ソースを編集]
- いわゆる「方倉設定」は史実以上に広まっていた。
- わさドラにも影響を与えていただろう……か?
- アニオリエピソードでどっか悪ノリ気味に使われそう。
- わさドラにも影響を与えていただろう……か?
- 藤子・F・不二雄の伝記漫画を描いていた。
- 数学が得意なので、その手の学習漫画を描いていた。
- 豊後高田出身と言う事で立花宗茂の漫画も描いていたかも。
- 「まじかるハット」以外にももう一作ぐらいアニメ化されていたか?
- 名前を「片倉暘二」と間違われる事が増えた。
佐渡川準[編集 | ソースを編集]
- 『あまねあたためる』は現在でも継続中。
- アシスタントだった安部真弘の『侵略!イカ娘』との合作漫画もありえた。
しんがぎん[編集 | ソースを編集]
- ジャンプに見切りをつけ、三大誌以外に行ってたかも。
- 『少年探偵Q』の打ち切り後、別作でブレイクしていた場合はその限りではない。
- Leaf関連の二次創作も続いており、没後にリリースされた『ToHeart2』も題材にしている。
- がぎん兄さん本人が描いたタマ姉のイラスト、見たかったな…。
- 母校の山梨学院が活躍した際に登場したかも。
鈴木義司[編集 | ソースを編集]
- 今でも「土管の住人」と言われ続けている。
- 『サンワリくん』や『宝くじ・ラッキー物語』は現在でも連載中。
- 単行本になって出版されるかも。
- 『お笑いマンガ道場』の特番が一回ぐらいは放送されたかも。
- 中京テレビ製作の大喜利番組つながりでフットンダにもゲスト出演していた。
- 2011年4月6日の読売新聞に掲載された『コボちゃん』の小学校入学記念漫画『コボちゃンち』(植田まさしと『あたしンち』作者のけらえいことの合作)にサンワリ君も加わっていた。
- 「お笑いマンガ道場」で共演していた川島なお美の訃報に関してコメントしていた。
- 富永一郎に対しても。
園山俊二[編集 | ソースを編集]
- 『ペエスケ』は今でも連載が続いていた。
- 平太が小学生になっていた。
- ひょっとしたら、妹or弟ができてお兄ちゃんになってたかも。
- 連載中にヒロミって妹が生まれていましたよ。
- ひょっとしたら、妹or弟ができてお兄ちゃんになってたかも。
- ガタピシがどこかの犬と結婚し、子犬が誕生。
- 連載中にペパーミントと結婚し、子犬(ガタペー)も生まれてますが。。。
- 『地球防衛家のヒトビト』は連載されていなかったか、他紙での連載になっていただろう。
- 平太が小学生になっていた。
- 東海林さだおのエッセイにも時々顔を出していた。
- 『アサッテ君』の連載が終了する際に、なんらかのコメントをしていた。
玉井たけし[編集 | ソースを編集]
- 2015年現在も『コロコロコミック』や『学習幼稚園』、『小学一年生』などに連載続けている。
- 『妖怪ウォッチ』や『甲虫王者ムシキング』などをギャグ作品として多く執筆させている。
- 現在も連載作品数を更新続けている。
- 『コロコロアニキ』では再び『ウルトラ怪獣かっとび!ランド』が連載されていた。
- 『妖怪ウォッチ』や『甲虫王者ムシキング』などをギャグ作品として多く執筆させている。
ちばあきお[編集 | ソースを編集]
- 谷口はいずれプロに入っていた・・・・・・らしい。
- 兄のちばてつやとコラボした作品を発表するかも。
中島徹[編集 | ソースを編集]
- 人気の続く限り『玄人のひとりごと』の連載を続けていた。
はらたいら[編集 | ソースを編集]
- 『クイズダービー』の特番が組まれるたびに3枠の回答者として出演していた。
- 2008年のテレビ放送開始55周年記念特番が放送されたかも。
- 笑福亭鶴光から引き続き弟子たちの命名を頼まれていた。
- 引き続き更年期障害を取り扱った漫画を執筆していた。
- サンプラザ中野くんと一緒にやっていたかも。
- 大橋巨泉との縁で、2007年の参議院議員選挙に民主党から出馬していた。
- まんが甲子園の主催者に引き続きなっていた。
- 大橋巨泉や篠沢秀夫が亡くなった際に追悼のコメントをし、葬儀にも参列した。
前川かずお[編集 | ソースを編集]
ここでは「ズッコケ3人組」などの前川かずお氏について触れます。
- 「ズッコケ3人組」は最終巻まで挿絵を担当。
- (史実では前川の後任となった)高橋信也は、アニメーターという認識で終わっていた。
- 「ブースカ」のリバイバル企画がありそう。
水木しげる[編集 | ソースを編集]
- 2018年、第6シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』前作同様に原作を大幅にアレンジされることはなく「名無し」、「石動零(いするぎれい)」と言ったオリジナルキャラの追加はなかった。
- 猫娘も8頭身スタイルではなかった。
- それはどうかな。水木御大と生前親交があった京極夏彦氏いわく「水木先生はああいうのが大好きな方でしたから、今頃『フハッ!』ってなってると思いますよ」って事だからねえ。
- ついでに言えば水木プロも「東映さんを信頼して間違いなかった。正常進化させていただいて嬉しい」ってコメントしている。
- 猫娘も8頭身スタイルではなかった。
モンキー・パンチ(加藤一彦)[編集 | ソースを編集]
- 彼の故郷である北海道浜中町のイベントに顔を出していた。
- 大手前大学で教鞭を執っていた。
- 2019年4月19日の金曜ロードショーは予定通りに「名探偵コナン 天空の難破船」が放送されていた。
- 「ルパン三世 THE FIRST」の完成を見ることができ、恐らく絶賛していたことであろう。
- アニメ版第2シリーズから2010年のテレビスペシャルまで石川五ェ門役を演じた井上真樹夫が亡くなった際に追悼のコメントをしていた。
山崎あつし[編集 | ソースを編集]
- 18禁マンガ界のカリスマ的存在になってたかも。
- 事故から生還できた場合、それをネタにしたマンガを描いてたかも。
- 交通事故防止を呼びかける広告の挿絵も描いていた。
- スーパーセブンが愛車だったので、輸入車雑誌に漫画を描いていたかも知れない。
- それをきっかけに、全年齢向けの漫画にシフトしていた可能性もありえる。
- 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていた。
吉田竜夫[編集 | ソースを編集]
- タツノコプロが史実ほど衰退することはなかった。
- 「ヤッターマン」はフジテレビ第2の看板アニメになっていた。
- 『行列のできる法律相談所』のカンボジアプロジェクトにも全面協力していた。
女性[編集 | ソースを編集]
杉浦日向子[編集 | ソースを編集]
- ますます「漫画家」とみなされることが減っていた。
- Wikipediaの記事でもエッセイストか江戸研究家が先に紹介されていた。
- 江戸文化関連で多くのテレビ番組に出演し続けている。
- 「ブラタモリ」に案内人として複数回出ていた。
- ただし近年の日本文化礼賛番組への出演は消極的だったと思われる。
- 原田実と並んで「江戸しぐさ」批判の急先鋒になっていた。
- 東京オリンピック・パラリンピック準備や築地市場移転問題などで公的な委員会のメンバーとして発言する機会もあった。
- 東日本大震災以後はエッセイに現代文明批判っぽい内容が増えていた。
多田かおる[編集 | ソースを編集]
- 『イタズラなKiss』の連載は無事完結していた。
- または2007年現在も続いている。
- テレビアニメ化も実現している。キャストはCDドラマに同じ。
- 現実でも2008年にアニメ化は実現。しかし最終回は別の形になっていたかも。
- ドラマ化が縁で数回、台湾と韓国を訪問していた。
- アニメ版・台湾版・韓国版で相原琴子の声を務めた水樹奈々と対談していた。
ねこぢる[編集 | ソースを編集]
- 「にゃーこ」と「にゃっ太」は東京電力のCMキャラクターとして採用され続けた。
- 夫の山野一が「ねこぢるy」として活動することもなかった。
- 『インドぢる』はねこぢる本人により執筆されている。
- sakuraの逮捕があってもラルクの「the Fourth Avenue Cafe」は存命中に出ていた。
- ねこぢるが健在な以上山野一が再婚することもないため、「そせじ」は存在しない。
長谷川町子[編集 | ソースを編集]
- 東京都世田谷区桜新町にある「長谷川町子美術館」の館長を務めている。
- 2008年9月10日から流れる「Otona Glico」のCM(設定は磯野家の25年後)をプロデュースした。
- ↑のCMのキャスティングも実史と違っていたか…。
- 今はやりの「萌え絵」を習得。わかめちゃんがちょっとアレな画風になる。
- アキバ系のお母さん的存在となる。
- 麻生首相と対談する。
- 萌え絵がこのお方によって幅広い層に受け入れられる。
- アニメーション神戸の審査委員を歴任していた。
- 連載新聞の垣根を越えて読売新聞の「時代の証言者」に登場していた。
- 姉妹社は現在も存続している。
- 『磯野家の謎』や『サザエさんの秘密』といった研究本にはかなり強硬な態度をとっていた。
- 訴訟沙汰に発展していたかもしれない。
- 朝日新聞beの「サザエさんをさがして」では毎回のように証言を寄せていた。
- 長生きしている限り、国民栄誉賞の受賞もなかったか遅れている。
三原順[編集 | ソースを編集]
- ていうかこの漫画家知ってるか?
- ビリーの森ジョディの樹という漫画を完結。
- それぞれの作品の解説を詳しくやってもらう。
- でもファン以外誰も気にしない。
山田花子[編集 | ソースを編集]
- 統合失調症の闘病経験を漫画にし、メンタルヘルスブームに乗りベストセラーとなる。
- それで有名になり、吉本興業の山田花子の方が「山田花子(お笑いタレント)」と書かれる。
- 「吉本興業の山田花子が描いた漫画だと思っていた」というネタが「バカ日本語辞典」に投稿される。
- と言うより、山田花子(タレント)の本名は渡邉京子なので仮に山田のデビュー前に有名になったとすると別の芸名になっていた可能性も