もしあの人が存在しなかったら
各界で活躍している(あるいは世間を騒がせている)著名人がもし最初から(その業界に)存在していなかったら、あるいは活躍しないで亡くなっていたら、世間はどうなっていたか、考えてみましょう。
項目の追加対象となる人物は基本的に昭和改元以降に活躍していた人物に限定いたします。(昭和改元以前から各界で活躍し、昭和改元以後も活躍した人はOK)
なお、本項目では(実績・活躍度・知名度の大小に関わりなく)各界著名人としての活動実績及び社会的認知がない、単なる犯罪者は対象から除外するものとします。歴史上の人物の場合は歴史のif検討委員会へ。
個人名への敬称は省略とさせていただきます。新規追加は50音順でお願いします。
※注意:今現在において健在の個人、及びその個人が主宰する団体に関する言及は、書き込んだ人も含めた訴訟リスクが存在します。その辺りも考えてテーマを立ててください。もし今現在において健在の個人が活躍する前に死んでいたらという仮定は実際に戦争などで死にそうになった人に限定します。活躍中に死んでいたらという仮定は一切禁止します。
独立項目[編集 | ソースを編集]
- 芸能
- 政治・経済
- スポーツ
- アニメ・ゲーム
- もしあの人が存在しなかったら/声優
- もしあの人が存在しなかったら/漫画家
- もしあのキャラクターが存在しなかったら/あ・か行
- もしあのキャラクターが存在しなかったら/さ~な行
- もしあのキャラクターが存在しなかったら/は行
- もしあのキャラクターが存在しなかったら/ま~わ行
- グループ
その他[編集 | ソースを編集]
- 新規追加は50音順にお願いします。
- ある程度同一ジャンルの人物がまとまったら節分け・独立をしてもかまいません。
あ~さ行[編集 | ソースを編集]
- 秋元康
- おニャン子クラブやAKB48はもちろん存在しなかった。
- アイドルと言えば今もソロアイドルが中心となっていた。
- ソロアイドル→女優という道が確立されているため、2010年代に入って主演女優の年齢のインフレ化はなかった。あと女優の登竜門がNHKの朝ドラのみ、ということにもならなかった。
- 乃木坂46ももちろん存在しない。
- アイドルと言えば今もソロアイドルが中心となっていた。
- とんねるずも史実のようにブレイクできたか怪しい。
- SHOW-YAの曲が少なくなっていた。「水の中の逃亡者」や「その後で殺したい」は生まれなかった。
- 逸見政孝
- 「ガン再発す」という本も存在しなかった。
- 「たけし・逸見の平成教育委員会」は放送当初から「平成教育委員会」として放送されていた。
- あるいは「たけしの平成教育委員会」になっていたかも。その場合、たけしの某事故以後は史実通りの番組名に。
- 太田順也
- こうなっていた。
- トビー・フォックスの運命も変わっていただろう。
- 大橋巨泉
大橋巨泉は終戦間際に疎開先で米軍機の機銃掃射で命を落としかけたそうです。もし運悪くこの時に×××していたら?
- 「11PM」などは放送されてもヒットしなかった可能性があった。
- 「クイズダービー」は元々海外から巨泉がベースを輸入した番組なので、違う誰かが輸入して始めたかもしれないが、大コケしていただろう。
- 「24時間テレビ」もなかったかもしれない。
- 現実のようなテレビ司会者の地位向上もなかったか遅れていた。
- BIG3の芸能活動も大きく変わっていた。特にタモリは芸能界入りすらしなかったかもしれない(タモリの才能を最初に認めたのが巨泉だったので)。
- 小倉智昭もテレビ東京退社してフリーになるのが遅れていた。
- パイロット万年筆も1970年代に倒産していただろう。
- 「ボイン」という単語は世間に広まらなかった。
- 月亭可朝の「嘆きのボイン」も生まれなかった。
- 六代桂文枝
- 「創作落語」という表現は誕生せず、上方でも「新作落語」と広く呼ばれていた。
- 明石家さんまのブレイクもなかったか遅れていた。
- 「新婚さんいらっしゃい!」は月亭可朝が司会を続けたか、別の人物が司会を引き継いでいた。
- 黒澤明
- 日本映画史の概念が大きく変わっていた。
- 世界で知られている日本映画の巨匠と言えば小津安二郎だった。
- 笹川良一
- 競艇(ボートレース)は存在しなかった。成立しても現実とは形式が異なっていた。
- 他の公営競技のファン層が少しばかり拡大し、競技場の廃止も現実よりは緩やかなペースだった。
- ドッグレースとハイアライの少なくとも一方が、公営ギャンブルとして存在している。
- 上記2競技は、競艇と同時期に国会に法案が提出されたが成立しなかった。
- 日本財団(旧日本船舶振興会)も設立されなかった。もちろんあのCMもなかった。
- 篠山紀信
- 日本のヌード写真の概念が大きく変わっていた。
- ヘアヌードが一般化することはなかった。
- 日本の芸能人写真集の歴史も大きく変わっていた。
- 島田紳助
- 羞恥心や新選組リアン等は存在しない。
- カンボジアに学校は建たなかった。
- 円広志がバラエティ番組に進出することはなく、円は歌手という認識で終わっていた。
- ジャニー喜多川
- スリーファンキーズ(男性アイドルグループの元祖的な存在。初代ジャニーズより先に結成)はもう少し長く活動(史実では1966年解散)していた。
- グループサウンズのいくつかは、バンド演奏をしないアイドルグループとして活動していた。
- ジャニーズ事務所以外の男性アイドルグループのいくつかは、史実以上の人気を得ていた。
- あるいは、男性アイドルグループはほとんど存在しなかったかもしれない。
- もしかするとソロの男性アイドル歌手もあまりいなかったかも。
- 月刊平凡は史実よりも早く休刊に。月刊明星も休刊か廃刊になっていたかも。
- 芸能界どころかTVメディアの構図そのものが今とは全く違う状況になっていた。
- アイドル文化は生まれなかった。戦国武将のような男ばかりになってたかもしれない。そちらのほうが真の男性像なんだけど。
- おそらくミュージカルを始めとした舞台芸術界も現実とは大きく変わっていた。
- もちろん、2023年の×××もなかった。
- 新海誠
- 言うまでもなく「君の名は。」や「天気の子」は無い。
- 鈴木敏夫(映画プロデューサー)
- 間違いなく宮崎駿が国民的知名度を獲得することはなかった。
- スティーブン・スピルバーグ
- ハリウッド映画史がだいぶ違ったものになっていた。
- ジョージ・ルーカスの知名度が史実より高まった。
- 「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」、「シンドラーのリスト」などは存在しなかった。
- ディスレクシア(読字障害)の啓発が遅れていたかも。
た~わ行[編集 | ソースを編集]
- 陳建民
- 日本での四川料理の普及は大きく遅れていた。
- 日本人に馴染み深い中華料理といえばほとんどが沿岸部の料理となっていた。
- 四川料理ブームはエスニック料理ブームのひとつとして訪れていたかもしれない。
- エビチリが定番の中華料理とされることはなかった。
- もちろん息子の陳建一も存在しないことになるので、『料理の鉄人』の歴史も大きく変わっていた。
- テリー伊藤
- 『天才・たけしの元気が出るテレビ』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』などの多くのバラエティ番組は放送されなかったか、されても大コケしていただろう。
- 実家の卵焼屋を経営する兄がアニー伊藤と呼ばれることもなかった。
- 中村修二
- 青色LEDや白色LEDは2014年現在実用化されていない。
- 原理自体は発明されているものの、製品化はされていない。
- 鉄道車両の場合現在でも行き先表示に方向幕を使うケースがあり、駅の行き先案内もパタパタが多く残っていた。
- テレビは今でもブラウン管が主流だったかも。
- 或いはプラズマテレビにシフトしていたか。
- 省エネ対策にLED照明が普及することは無かった。
- 原理自体は発明されているものの、製品化はされていない。
- 日亜化学工業の知名度は今も低いままだっただろう。
- 企業内での発明というのは個人ではなく会社のものだという考えが一般的になっていた。
- 林家木りん
- 原西孝幸
- 当然「FUJIWARA」というコンビ名は存在しない。
- 藤本敏史はピン芸人として「フジモン」という名前で活躍していた。
- プリキュアの「ナチュラルパワーは野生の力!キュアゴリラ!」を披露することもなかった。
- 浜崎順平
- 大阪府貝塚市は地元民以外無名の街だった。
- 貝塚と言えばつげだった。
- シバターのネタが一つ減っていた。
- 8月11日と言えば山の日だった。
- ニコニコでのネタが一つ減っていた。
- のびハザ実況はあぶさんの天下だった。
- 当然「オフ会0人」「対馬編集」「ほならね理論」など彼に関係する言葉は存在しない。
- 水戸岡鋭治
- JR九州の車両のデザインは地味だった。
- JR九州の観光列車の数は現実より少なかった。
- よって特急誘導は現実ほど酷くなかった。
- 「ななつ星」も無く、「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車は存在しなかった。
- それどころか日本の観光列車の数そのものが減っていた。
- JR九州は未だに上場を果たしていない。というより、上場は今でも無理。
- さすがに北や四国よりはマシだと思うが、「やはり三島はどれも赤字」と言われていた。
- あの大量減便が現実より早く行われていた。
- 宮崎駿
- 「駿」の字の知名度は現実より低かった。
- 「駿河台」の一文字目で使用されている程度だった。
- 「駿馬」などで使われるから「しゅん」と読むことができる人がいても、「はやお」と読める人はそういなかったはず。
- 「駿」の字が入る名前が流行することもなかった。
- 「駿」の人名漢字追加も遅れていた。
- ただし駿河という地名がある静岡県では変わらない。
- 「駿河台」の一文字目で使用されている程度だった。
- スタジオジブリも存在しなかったかもしれない。
- 「となりのトトロ」がないので、子供たちが知っている童謡も変わっていた。
- 同様に「天空の城ラピュタ」がないので、バルス祭りは起きなかった。
- ニコニコ動画でネタにされる事もなかった。
- 同様に「天空の城ラピュタ」がないので、バルス祭りは起きなかった。
- 邦画興行収入ランキングの上位がガラリと変わっていた。
- 邦画の興行収入ランキング上位に入るアニメ映画がテレビアニメの劇場版ばかりになっていた。
- 村上春樹
- 存命日本人で世界でも活躍している小説家といえばカズオ・イシグロ。
- 日本在住の人に限るとほとんどいなかった。
- 吉本ばなな(よしもとばなな)は?
- 小川洋子、多和田葉子も。
- 日本在住の人に限るとほとんどいなかった。
- 「ハルキスト」という言葉はなかった。
- マスコミがノーベル文学賞に注目することはなかった。
- 村上龍
- 村上という苗字の小説家といえば村上春樹。
- カンブリア宮殿は今ほどヒットしなかった。
- 淫夢厨が「大人の事件簿」の出演者を「MRKMR」と呼んだり、撮影場所を「ガン掘リア宮殿」と命名することはなかった。
- 吉田豪
- 乙武洋匡の素顔を知る人はほとんどいなかった。
- 加護亜依が10代の時、家族のトラブルが原因でタバコを吸ったり、年上の男性と付き合うのは仕方がないと思うことはなかった。
- TAIJIがホームレス生活、自殺未遂は捏造だと否定することが出来なかった。