もしあの列車が廃止されていなかったら
- 新規追加は五十音順にお願いします。
- 廃止後3ヶ月間は投稿禁止です。
あ行[編集 | ソースを編集]
あいづ(上野-会津若松間)[編集 | ソースを編集]
- ビバあいづは存在しなかった。
- 会津地方-首都圏間を直通運転しているのでそれなりの利用客はあった。
- 1990年代後半にはひたちとともにE653系に置き換えられていた。
- E653系にはあいづのためにグリーン車が組み込まれていた。
- E657系投入後もE653系はあいづのために一部の編成が残留していた。
- E653系運用との兼ね合いでひたち・ときわが全席指定になることはなかった。
- むしろE653系はE657系置き換え完了と同時に運用を仙台へ移管されたかも。
- 送り込み運用を兼ねた臨時特急列車が設定されたかも。
- 震災後に福島県を訪問する観光客が減ったため廃止が検討されるも辛うじて生き延びる。
- 山形新幹線開業後にミニ新幹線化が検討された。
あおば[編集 | ソースを編集]
- 現在では仙台行新幹線の総称となっている。
- 郡山行「なすの」も「あおば」となっていたかもしれない。
- 代わりにやまびこがはやてと統合される形で消滅…ということは自由席の都合上厳しいな。
- =JR東日本が行先別愛称を徹底しなかったら、であろう。
赤倉[編集 | ソースを編集]
- 「しなの」への格上げがない限り存続は厳しかったと見られる。
- 長野発着の「みのり」は存在しなかった。
- 遅くとも長野~直江津間のしなの鉄道・えちごトキめき鉄道への移管までは運行されていた。
- 381系・383系に耐寒耐雪構造を施された車両が存在した。
あかつき[編集 | ソースを編集]
- 現実の「出雲」や「瀬戸」のように電車化が実現しているのが前提。
- この場合「彗星」もまだ健在だったかもしれない。
- 「なは」も九州新幹線鹿児島ルート全通まで生き延びていた。
- 使用される電車の開発にはJR九州も関与していた。
- となると水戸岡デザイン…?
- この場合「彗星」もまだ健在だったかもしれない。
- 九州新幹線開業後は新鳥栖にも停車している。
- 九州新幹線長崎ルート開業後の存続は厳しいと思われている。
- レガートシートの増車が検討されていた。
- それに加えて一般向けの座席車の連結も検討されていただろう。
あけぼの[編集 | ソースを編集]
- こちらも電車化の実現が前提。
- やはりこの場合も「北斗星」がまだ健在の可能性あり。青函トンネルの問題を解決する必要があるが。
- 電気機関車を電車の免許で乗れるようにしていたかもしれない。
- またはE493系による牽引。
- ゴロンとシートが増結されていた。
- ほぼ全車両が個室となっている。
- この2つのことを考えると開放B寝台がほぼ全てゴロンとシート化されていたと思われる。
- ムーンライトえちご廃止に伴い新潟駅に午前4時到着するダイヤに変更。上野~酒田~秋田の運行に特化。青森運行は多客期のみになっていた。
あさかぜ[編集 | ソースを編集]
- 285系には実際に「あさかぜ」仕様の方向幕が入っているらしい。
- 285系への置き換えが実現していれば今でも残っていたかもしれない。
- ただし直流車なので下関以西には乗り入れなくなっていた。
- 一応機関車との連結も可能な設計にはなっているらしい。しかしそんなことする位なら初めから車両自体を交直流車にするか。
- というわけでこれが登場する。
- 一応機関車との連結も可能な設計にはなっているらしい。しかしそんなことする位なら初めから車両自体を交直流車にするか。
- ただし直流車なので下関以西には乗り入れなくなっていた。
- 「サンライズゆめ」が史実より数年早く廃止されていた。
- むしろ「サンライズあさかぜ」の増発として運行されていた。
- ダイヤも東京~大阪で銀河のスジを使うこともなかった。
- むしろ「サンライズあさかぜ」の増発として運行されていた。
あすか[編集 | ソースを編集]
- 後に桑名、木津、法隆寺といった駅にも停車するようになった。
- 一方で堺市駅停車が続いていたかは微妙。鳳に変更か最悪堺市内通過。
- 関空開港後は日根野にも停車するようになる。
- 一方で堺市駅停車が続いていたかは微妙。鳳に変更か最悪堺市内通過。
- 利用促進のため天王寺経由に変更された可能性が高い。
- ただし上りの場合は駅構内の工事が必要。
- どのみち阪和貨物線は廃止されていただろうから、旧竜華操車場以西も関西本線に乗り入れていたんじゃなかろうか。
- ただし上りの場合は駅構内の工事が必要。
- トレインマークのモチーフは高松塚古墳の壁画に描かれた飛鳥美人。
- 関西空港への乗り入れが実現していたら外国人の利用が多くなっていた。
- 近鉄特急とは異なりジャパンレールパスが使えるということが武器になった。
- 和歌山以南の延長が検討される。
- 白浜くらいまでなら何とか需要を確保できたかもしれない。
- JR線のある県全てに定期特急が走っていることになる。
- 特急「まほろば」は登場しなかったかもしれない。
伊豆[編集 | ソースを編集]
- 急行から快速に格下げ。
- 快速アクティーの延長という形になる。
- 現在はE231系&E233系が使用されている。
- 籠原や宇都宮に行く便も存在していた。
- 踊り子の立場がなくなっていた。
- 185系の導入数が減っていた。
出雲[編集 | ソースを編集]
- サンライズ出雲の新設により需要がなくなった米子~出雲市間は廃止し、東京~米子に短縮して「いなば」の愛称を復活。
- 最後は東京~鳥取に短縮されるかも。
- 史実のスーパーいなばは「スーパー砂丘」かなんかになっていた。
- 新幹線がない兵庫県北部・鳥取県内に早朝にアクセスできる手段としてある程度利用されていた。
- はやぶさ・富士を抑えて最も長く生き残った東京発の寝台特急になっていた。
- サンライズのように電車化し、非電化区間の城崎温泉~米子間はディーゼル機関車が牽引して運転。
- 「鳥取1区が地元の石破茂の圧力で生き延びている」という噂がささやかれる。
いそかぜ[編集 | ソースを編集]
- ほぼ観光特急と化している。
- 史実の「みすゞ潮彩」とどこか似たような雰囲気になっていた可能性あり。
- 現在はキハ187系が使われている。
- 山口県も製造に対し資金援助を行っていた。
- キハ189系がはまかぜと共用。
- 運用上、距離や車両需給の関係でそれはないと思うが。
- 関門トンネル乗り入れが廃止され運転区間が益田-下関に短縮された。
- 一部の鉄道ファンに「本線の体面を保つための列車」と揶揄されている。
- いつの間にかまつかぜと統合されて、鳥取~小倉を走る列車となっている。
- 01年の系統分割以前の形態に戻るだけなのでそれはなさそう。
- 2015年に大河ドラマにちなんだ「花燃ゆいそかぜ」という臨時列車が運転されていた。
いわき[編集 | ソースを編集]
- 郡山 - いわき間の都市間快速列車に格下げされていた。
- ひたちや新幹線連絡列車としてのの役割も果たしていた。
- 東日本大震災で常磐線が不通になった時には迂回列車としての役割も果たしている。
- 奥羽本線の快速「いわき」は「岩木」になっていた。
- 2000年代には列車愛称が廃止されていた。
えびの[編集 | ソースを編集]
- 特急に格上げされ、キハ185系気動車で運行していた。
- 「くまがわ」も特急に格上げされていた。
- 博多発着で運行されていた。
おおよど[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも熊本以北は廃止されている。
- 急行「えびの」「くまがわ」を編入していた。
- JR九州の急行は20世紀中に消滅していた。
- 高速バスには太刀打ちできないため観光列車色を強く押し出していた。
- 1990年代までに肥薩線八代-吉松間・吉都線全線・日豊本線宮崎-都城間の高速化工事が完了していることが列車存続の要素であろう。JR四国2000系の様な車両が投入されたかもしれない。2011年3月12日以降は,1.のようになり,熊本駅で博多・新大阪方面の新幹線に乗り継げるダイヤ設定がされる。それ以前は「有明」「リレーつばめ」の一部便の代わりに,博多-(新)八代間の輸送も担った。「B&Sみやざき」は存在しないが,代わりに「なんぷう号」を増発して対抗。長い記事
- 「あそ」ではなくこちらが「九州横断特急」を名乗っていたかもしれない。
奥只見[編集 | ソースを編集]
- 快速に格下げされていた。
- キハ40系に置き換えられていた。
- 2000年代には愛称そのものが廃止されていた。
- 最終的にリゾートしらかみのようなジョイフルトレインを利用した観光用快速になる。
- 2011年の水害で運行休止に追い込まれていた。
- 只見線の浦佐駅乗り入れが増えていた、
おくちちぶ[編集 | ソースを編集]
- 秩父線は池袋行きの「ちちぶ」と西武新宿行きの「おくちちぶ」で運行されていた。
- 「小江戸」はなかったかもしれない。
か行[編集 | ソースを編集]
カートレイン[編集 | ソースを編集]
- 現在存続しているのはおそらく「カートレイン九州」と「カートレイン名古屋」。
- 「カートレイン北海道」は北海道新幹線開業直前に東青森止まりに短縮されていた。
- JR九州の意見により「カートレイン九州」は香椎まで延長されていた。
- 客車はともかく、貨車はより多くの自動車に対応できるように新型車両が開発されていないと厳しい。
- 電化していることを生かして貨車内では電気自動車の充電が可能になっていた。
- 東海道貨物線の浜松町~東京貨物ターミナル間は休止されなかった。
- 羽田空港への乗り入れ構想がもう少しスムーズに進んでいた。
- 「日本海」のバイクの積み込みサービスも、列車の廃止直前まで存続していた。
- 上手くいっていればピギーバック輸送も現在まで残っていた可能性がある。
- =つまり、日本で成功していたらこうなっていた。
開運号[編集 | ソースを編集]
- 現在は現実の「シティライナー」に相当する存在か。
- 「スカイライナー」と名の付く列車が京成成田に停車することはなかった。
- 初代AE形正面の列車愛称表示部分は幕式で変更可能だった。
- AE100形はスカイライナーで使われなくなった後塗装を和風のものに変更された。
- 年末には市川団十郎や海老蔵が出演するこの列車のCMが放送されていた。
- 一時期都営地下鉄や京急への乗り入れが検討されるも、諸般の事情で頓挫する。
- 2017年以降「成田山開運号」という名称で、臨時列車として事実上の復活が実現。
海峡[編集 | ソースを編集]
- 721系に置き換えられていた。
- これが実現していた。
- 蟹田~木古内間は特急が乗車券のみで乗れるという特例はなかった。
- どのみち北海道新幹線開業と共に廃止される。
カシオペア[編集 | ソースを編集]
- 北海道新幹線開業後に在来線と新幹線が青函トンネルを共用できる設備にしていることが条件。
- JR北海道側にやる気があれば存続できたかもしれない。
- それでも北斗星は廃止されたかもしれない。
- その場合カシオペアにB寝台連結。
- JR海峡線に乗るにはこの列車を使わないといけないのでぼっちの乗り鉄が悩む。
- 一部の車両を1人用個室車両に改装された。
かすが[編集 | ソースを編集]
- 2023年に三重県とJR西日本が名古屋-奈良直通列車の実証運行を計画していることが明かされた。これが実現すれば実質的に復活。
- 流石に特急への格上げは無い…はず。
- 逆に区間短縮や快速への格下げが無ければ生き残れなかった可能性もある。
- もし特急への格上げならキハ85系に置き換えられている。
銀河[編集 | ソースを編集]
- JR東海の要望で、電車化の上特急格上げか快速格下げのどちらかが検討されていた。
- いずれにせよ寝台車の廃止は避けられなかったと思われる。
- ムーンライトながらと同様の形で、後継車として373系か185系が大阪まで乗り入れていた。
- 快速格下げの場合、18きっぷシーズンは途方もない大混雑となっていた。
- 18きっぱー対策に全車寝台車にして意図的に締め出しを図った可能性も十分あり得る。
- 快速格下げの場合、18きっぷシーズンは途方もない大混雑となっていた。
- 285系のような寝台電車が開発されていた可能性もある。
- その場合285系とは異なりビジネス客を主に意識した車両になっていた。
- 「この車両を使えば夜行列車は復活できるのではないか」と指摘する識者が複数存在していた。
- 車両型式は東海なら「375系」、西日本なら「287系」(史実の287系とは別)あたりになっていた。
- 普通に285系の新区分番台になるのでは?
- WEST EXPRESS 銀河用の117系が使用されていたりして。
- となると使用車両はJR東海保有か。
- 「JR東海は寝台列車の運行に消極的」というイメージを持たれることは無かったはず。
- JR東海は新幹線で採算が取れているから快速格下げが有力だろう。
- 格上げや格下げがなければこれが最後の急行列車になっていた。
- 「夜行バスへの対抗」として急行のままだった可能性もある。
- 東京ディズニーリゾートやUSJ、コミケに行く客に重宝されていた。
北アルプス[編集 | ソースを編集]
- キハ8500系は今でも現役だった。
- それでも今頃車両の置き換えが検討され始めるはず。もしかすると2000系ベースの気動車なんかが製造されていたかもしれない。
- JR東海に合わせてHC85系ベースだったりして。
- 高山線が全線直流電化になっているのが前提だろう。
- 中部国際空港への乗り入れが検討されていた。
- 中部空港乗り入れは必ず行われていたと思う。というのも空港への直通は名鉄の強みだから。
- JR東海は空港アクセスに消極的なので厳しいのでは...。
- 東海北陸自動車道の全線開業で少なからず影響を受けていた。
- 富山地方鉄道への乗り入れも存続していた場合、北陸新幹線開業時に何かしらの臨時列車を走らせていた。
- 「AIZUマウントエクスプレス」は登場しなかった。
- JR四国からキハ185系を購入して登場していたかも。
- AT-700形とAT-600形が史実より早く導入されていた可能性もある。
- 外国人客に受けそうなルートなのにジャパンレールパスが使えないのが問題になっていた。
- 特にJRの駅である高山駅などで「北アルプスはジャパンレールパスが使えません」という多言語表記の大きな注意書きが出ていた。
- JR East Passのように名鉄の特急でも使えるのが出ればいいが、JR東海は頭が固いので。
- 史実でJR東海が外国人向けに出している「Tourist Pass」シリーズでなら使えても不思議ではないが、「ひだ」があるからなあ…
- 新鵜沼駅の短絡線は撤去されなかった。
きたぐに[編集 | ソースを編集]
- 新型車両が開発されて、置き換えられていた。
- 285系の交直流バージョンが開発され、「日本海」と共通運用されていた。
- 北陸新幹線のせいで存続が全力で脅かされる。
- 金沢-直江津が3セク3社に分割されダイヤ調整が面倒に。
- 「新幹線が敦賀まで延びれば廃止濃厚」と関係者やファンに噂される。
くりこま[編集 | ソースを編集]
- 仙台と盛岡を結んでいた快速列車です
- 18きっぷの時期は大混雑になっていた。
- 現在の車両はe721系か701系。
- 2005年頃までは急行型車両が使われていた。
- 2005年~2016年頃は元特急用の485系が使用され、485系引退後はE721系に置き換えられた。
- 現在は2往復運行され、仙台支社と盛岡支社の車両が1往復ずつ担当していた。
- くりこま高原・水沢江刺・新花巻が開業しなかったらである。
こうずけ[編集 | ソースを編集]
- それでもまず新幹線どころか高崎線相手でも戦えるかどうか怪しい以上、早々と快速に格下げされていたかもしれない…
- 上越新幹線開業に前後して東武主導の赤城山の観光開発などを行わなければ生き残るのは厳しかったとみられる。
- 上毛電鉄の高規格化は1960年代後半には行われていた。
ごてんば[編集 | ソースを編集]
- 分割民営化後もしばらくは165系のまま放置されるが、併結相手の東海の特急格上げと同時に373系に置き換え、「ワイドビューごてんば」となる。
- あさぎりの特急格上げ後は急行型で放置され続けていることもあり廃止を憂う声が多かった。
- それでもやっぱり沼津延長は難しかったはず。
- 結局東海と同時に廃止。
- 東海区間への乗り入れの短さを考慮して、担当が東日本に移っていたらもう少し長生きしていたかもしれない。
- この場合東京~国府津間の併結相手は「踊り子」となる。
- 東海区間への乗り入れの短さを考慮して、担当が東日本に移っていたらもう少し長生きしていたかもしれない。
こまがね[編集 | ソースを編集]
- 言うまでもなく特急への格上げは前提。
- 需要も考えれば格上げ前と同じく新宿~岡谷間は「あずさ」と併結となっていたかもしれない。
- 木曽駒ケ岳の雪形がモチーフのトレインマークが誕生していた。
- 高速バス対策のためグレードアップ編成がこちらにも投入。場合によっては使用車両がE351系となっていたかも。
- 飯田・天竜峡到着前の車内チャイムとして伊那節が採用されていた。
- 高速バスが通らない天竜峡への延長運転は間違いなく継続されていた。
- 飯田線の一部がJR東日本の管轄になっていたかもしれない。
- おそらく天竜峡あたりが境界。
さ行[編集 | ソースを編集]
さくら(寝台列車)[編集 | ソースを編集]
- 九州新幹線開業ではやぶさは廃止され、さくらのみ存続。
- はやぶさは史実通り新幹線の愛称になる。
- さくらと富士が連結するようになる。
- 九州新幹線のさくらは「はと」あたりになる。
- 九州新幹線のさくら→はやぶさ、東北新幹線のはやぶさ→はつかりになっていたかもしれない。
- 結局西九州新幹線の開業と同時に廃止される。
参宮快速[編集 | ソースを編集]
- いずれは気動車に置き換えられていた。
- 2020年現在の使用車両はキハ75系あたりか?
- JR西日本持ちの場合はキハ189系を使用した贅沢な快速になっていたかも。
- その場合は特急に格上げされている気がする。
- JR西日本持ちの場合はキハ189系を使用した贅沢な快速になっていたかも。
- 2020年現在の使用車両はキハ75系あたりか?
- 関西~伊勢間の輸送にJRも参入していた。
- 滋賀県と三重県を結ぶ貴重な列車となっていた。
- 京阪神と伊勢を結ぶ修学旅行用の団体列車も廃止されなかった。
- 阪神なんば線開通後はこれに対抗して山陽~阪神~近鉄ルートで山陽姫路~鳥羽の直通列車が運行されていた。
サンダーバード立山・宇奈月[編集 | ソースを編集]
- 富山駅の連絡線は撤去されなかった。
- 行楽シーズンのみの運転だったので、北陸新幹線開業時に廃止が検討されていた。
- 富山駅の高架化時に、経営分離を含めて連絡線をどうするかが議論になっていた。
- 電鉄富山駅もJR側と同時に高架化されていた。
- 「能登かがり火」のように観光列車への置き換えも検討される。と言うかこうなる方が自然?
- 富山駅の高架化時に、経営分離を含めて連絡線をどうするかが議論になっていた。
- 地鉄線内の勾配による故障対策のため683系付属編成の出力が上げられていた。
- 683系が出そろった時点で681系は直通から退いていた。
山陽[編集 | ソースを編集]
- ヘッドマークやビュッフェ車は外されていた。
- 1982年に153系から165系に置き換えられる。
- 「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」廃止から「ムーンライト九州」誕生までは九州ワイド周遊券利用者で賑わった。
- 山陽新幹線に追加される駅が減っていた。
- 115系3000番台は製造されなかったかもしれない。
- 広島地区の裕福なサラリーマンにとってホームライナーのような役割を果たせていたかもしれない。
シーボルト[編集 | ソースを編集]
- 生き残りには松浦鉄道への乗り入れか大村線の高速化が必要と思われる。
- 前者の場合はおそらくたびら平戸口折り返し。
- 現在はキハ185系の改造車が使われている。
- 観光客の利用も狙い水戸岡デザインの車両になっていた。
C62ニセコ号[編集 | ソースを編集]
この列車はJR北海道ではなく民間団体の鉄文協が一般個人や企業からの寄付で必要資金を賄う運転形態でした
- 他地域でも民間団体主導で列車を運転する例が増えていた。
- SLニセコ号(C11けん引)がないので171号機か207号機のどちらかは動態運転に復帰しない。
- 207号機が使えなかったら東武鉄道はどうしていたのやら。一から動態復帰するのも面倒だろうし。
- 鉄文協の運営がちゃんとしていたらだろう。
- 北海道新幹線開業時に鉄文協に(小樽 - )余市ーニセコ間の経営移管を打診される。
- 他線で運行を継続しようにもC62は重すぎるので。
- 大井川鐵道の経営悪化に伴いSLはトラストトレインになる可能性があった。
志摩[編集 | ソースを編集]
- もちろん、特急に格上げ。
- トレインマークは真珠貝をデザインしたもの。
- 近鉄・京伊特急の強力なライバルになる。
- 式年遷宮のたびに広告合戦が展開される。
- 運営は、JR西日本ではなく東海の方。
- やはりワイドビュー車両で運用。
しもつけ[編集 | ソースを編集]
- 500系電車に置き換えられ、「リバティしもつけ」として運行されていた。
- それにともない東武宇都宮線内は各駅停車になりその区間は特急料金が不要になった。
新雪[編集 | ソースを編集]
- 「シーハイル上越」が誕生せず、そのままスキーの臨時列車として運行されていた。
- 185系でも運転されていた。
- フルフル色の塗装は消滅しなかったらしい。
- 結局は183系は引退となり、185系に置き換えられていたかも。
セントラルライナー[編集 | ソースを編集]
- 使用車両が373系などの特急用車両なら可能性はあった。
- それなら銭取られるライナーと揶揄されることもなかった。
- あるいは使用車両は313系8000番台のままで快速みえみたいに一部指定席にすれば...
- 「ひがしみのエクスプレス」のようなもっと特急らしい名称に改名されていた。
- まだ「とうのうエクスプレス」の方がマシだろうよ…。
- JR東海が東日本のようにライナー廃止→特急化を積極的に推し進めてない限りあり得ないと思われ。
そよかぜ(天竜浜名湖鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 車両置き換えの際にWKT-550のように自走式トロッコ車になっていた。
- 運行区間も新幹線接続を考慮して掛川まで伸びていた。
- 近年になって水戸岡デザインの塗装に塗り替えられていた。
- JR飯田線や長良川鉄道でのトロッコ列車運行も存続していたかもしれない。
- 観光列車「ながら」ではトロッコ車内から食事をいただけるようになっていた。
- JR東海は観光列車の運行に消極的だから飯田線のトロッコ列車は存続していただろうか。
た行[編集 | ソースを編集]
ちどり[編集 | ソースを編集]
- 芸備線高速化計画が80年代後半に出ていたら…。
- 広島-三次では通勤需要の一部も取り込んでいる。
- 尾道松江道開通以後はこれまで以上に観光列車っぽさを増している。
- 三次が舞台のアニメ「朝霧の巫女」にワンシーンくらいは登場していた。
つくばね[編集 | ソースを編集]
- 「草津」「谷川」「あかぎ」「なすの」と同時期に新特急に格上げされる。ただし車両は485系。
- 少なくともE653系投入までは「ひたち」と共通運用が組まれていた。
- 651系1000番台はこの列車の運用に入る都合上交流機器が停止されることはなかった。
- むしろ改番されなかったのでは?
- 小山駅に停車するようになる。
- 小山短絡線が残っているかによるが。
天龍[編集 | ソースを編集]
- ここでは名鉄とJR飯田線の直通列車を指します
- 小坂井支線廃止後は豊橋周りに変更された。
- あるいは豊川線がJR豊川駅に直接乗り入れていた。
- 一時期飯田駅以北まで延長されるが、中央道相手に歯が立たなくなり中部天竜まで縮小。
- 全区間電化されていること、現在名古屋~飯田線を結ぶJR特急列車が存在しないので北アルプスより存続は容易だったと思われる。
東海[編集 | ソースを編集]
- 湘南新宿ラインなどへの乗り入れが実現していないと存続は厳しいと思われる。
- 上野東京ライン開業後はそちらに乗り入れる列車もあった。
- 2015年3月で東京駅止まりのものは消滅していた。
- ただ、そうなるとどこ止まりにするかも問題になりそう。
- 上野東京ライン開業後はそちらに乗り入れる列車もあった。
- 最悪の場合、新幹線に乗せたいJR東海の意向で東京〜熱海間に短縮。
- そうすると列車名と使用車両は変更されていただろう。
- 「踊り子」に統一ですな。
- あれ、史実とあまり変わらないような…
- むしろ首都圏や中京圏から利用しづらい、浜松~沼津くらいの、静岡県内限定になってたかも。
- その場合、案外急行のままだった可能性が高い。
- 快速格下げを求める声も結構ありそう。
とちぎ[編集 | ソースを編集]
- こちらにも651系1000番台が投入され、あかぎと同時期にスワロー化される。
- 列車名も「スワローとちぎ」に統一されていた。
- そうなればホームライナー古河が停まっていた東大宮にも停車する。
- 新幹線と食い合うため増発や運行区間の延長は特にされていない気がする。
- 利用状況次第では東北新幹線「なすの」は存在しなかったかもしれない
ドラえもん海底列車[編集 | ソースを編集]
- おそらく789系に置き換えられていたかも。
- 塗装は声優交代の水田わさび版になっていた。
- ドラえもんのCMにも流されていた。
- プラレールも発売されていた。
- 吉岡海底駅は廃止されなかった。
- 北海道新幹線開業以降も存続した場合にはE3系の改造車が投入されていたかもしれない。
- その場合当該編成はJR北海道に移籍の上H3系になっていたかもしれない。
- むしろどこぞの様に道内特急に「ドラえもん列車」が誕生するんでは…
- むしろH5系を
トロッコファミリー号[編集 | ソースを編集]
- =EF58、ED18が老朽化していなかったら。
- そもそもJR東海が動力分散方式を徹底していなかったらこうなっていた。
- 「そよ風トレイン117」はなかった。
- JR東海が観光列車の運行に意欲的だったら存続することができていた。
- 現在は313系をベースにした動力分散方式の車両に置き換えられている。
- 正式な車両名は「313系○○○○番台」などか。
- むしろ373系の改造車だったりして。その場合はJR東日本のびゅうコースター風っ子のような車両になっていた。
トワイライトエクスプレス[編集 | ソースを編集]
- おそらく史実の「瑞風」と同一の車両に置き換えられていたと思われるが、内装が大幅に異なっていた。
- 少なくともB寝台は置き換えに伴い廃止される。
- クルーズ用と定期運行用で複数編成を製造する事になっていたかもしれない。
- 「瑞風」よりはリーズナブルな内装の車両になっていた。
- むしろ「瑞風」に「トワイライトエクスプレス」が付かなかったかもしれない。
- 置き換えと共に所要時間や停車駅の抜本的見直しが検討されていた。
- 昇圧後の青函トンネルをどう通過するかが問題になっていた。
- 史実通り機関車に牽引される形のままだった場合、事実上JR貨物が運転を担当する唯一の旅客列車になっていた。
- 北陸新幹線開業による並行特急の廃止の見返りとして金沢~直江津間の停車駅が増えていた。
- 列車の目的を考えるとそれは考えづらい。
- 「瑞風」については北海道に行くツアーも設定されていた。
- 北陸新幹線開業後の第三セクター区間をどうするかで揉める。
な行[編集 | ソースを編集]
なにわ[編集 | ソースを編集]
- 153系の老朽化によって「東海」や大垣夜行と同時期に165系に置き換えられていた。
- その後373系や383系に置き換えられたかは微妙なところ。そもそもそこまで存続できるか…
- 東海道新幹線との重ねあいの都合上分割民営化後も特急への格上げはなかったと見られる。
- JR東海の意向で遅くとも「のぞみ」誕生までには廃止されていた。
- サロンカーなにわの名称が異なっていた。
- つまり新幹線と在来線ですみわけに成功したか、新幹線の料金が高額すぎて在来線からの移行が進まなかった場合。
- 山陽新幹線開業時に山陽本線の昼行優等がほぼ全滅になることはなかった。
- 東北新幹線上野開業でも「まつしま」「佐渡」の全滅は避けられていた。
- もしかしたら新幹線「なすの」は存在せず「とちぎ」は昼間でも走っていたかもしれない
- それでも長野新幹線開業では横軽廃止により上野~長野在来線優等列車は設定されず
- 「なにわ」が存在するなら「東海」「比叡」も走っていた。
- 静岡県とJR東海の関係が悪化しなかった。
西九州[編集 | ソースを編集]
- 現在の運転区間はおそらく大分-長崎。
- 場合によっては特急格上げによりこちらが「九州横断特急」を名乗っていたかもしれない。
- 高速バスとの差別化を図るため車内設備が豪華だった。
日光(国鉄時代)[編集 | ソースを編集]
- なすのとともに新特急に格上げされていた。
- なすのとの併結運転も行われていた。
- 東武鉄道との直通運転は行われなかった。
- 現在は651系に置き換えられていた。
- あかぎ同様、全席指定となっていた。
- 通勤特急化し、東武と住み分けを図っていた。
- 観光特急列車の性質上、むしろ「草津」と同様に自由席連結では?
- あかぎ同様、全席指定となっていた。
日本海[編集 | ソースを編集]
- 関西から東北地方に向かう列車として、重宝されていた。
- LCCの攻勢にはかなわないような気がする。
- 電車化されていたら可能性があった。
- こちらも北陸新幹線のせいでできた3セク地帯をどうするかが存続を左右している。
能登・北陸[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 北陸新幹線との住み分けを考えたダイヤになっていた。(夜に品川を出て早朝に金沢に特着するなど)
- 多分どちらかに統合されていたはず。
- 急行「能登」に統合する場合
- 今ごろはE657系に置き換えられている。
- E657系は3電源方式ではないのでむしろE653系では?
- 東京から北陸へ安く行ける列車として重宝されていた。
- 種別も急行のままだった可能性がある。場合によってはJR最後の定期急行列車になっていた。
- 現在も臨時列車として金・土曜日のみに走行していた可能性大。
- 特急「北陸」に統合する場合
- 電車化されていた。
- 使用車両は285系の交直流バージョンといったところか。
能登路[編集 | ソースを編集]
- 特急に格上げされていた。
- 能登かがり火と同じような運転区間になっていた。
- 北陸新幹線開業とともに能登かがり火に改称されていた。
- 「サンダーバード」「しらさぎ」の七尾線直通が減っていた。
は行[編集 | ソースを編集]
ハイキング特急[編集 | ソースを編集]
- 1970年代までには愛称が固定されていた。
- こちらが「みうらビーチ」を名乗っていたかもしれない。
- 恐らく最後まで残っていたのは金谷航路接続列車。
- しかしこれもアクアライン開通と前後して廃止されていた。
- 三浦半島をうまく観光地として開拓出来ていればこうなっていた。
- 現在でも全車指定席なら「ウィング」の名前が冠されている。
白鳥(初代)[編集 | ソースを編集]
- 定期昼行特急列車最長距離の座は健在。
- 車両は681・683系に置き換えされていた。
- あるいはe653系。
- 681・683系は3電源対応となっていた。
- 食堂車の再連結など、リゾート列車化が出来ていれば可能性はあったかもしれない。
- どちらにしろ「日本海」より長く生き延びる事は出来なかったと思われる。
- 八戸(→新青森)~函館間の特急は別の愛称を名乗っていた。
- はつかりのままだった。
- あるいは快速「海峡」が電車化の上、特急に格上げ。
- もしかするとこちらも函館に乗り入れたのかも…
八甲田[編集 | ソースを編集]
- 時代が下るにつれ専ら東京~仙台間の都市間移動手段としての側面が強くなっていた。
- 最終的に仙台~青森を廃止して快速に格下げ…は18きっぱーだらけになるから無理か。
- とは言え東北新幹線の延長開業に伴い盛岡以北は廃止されていただろう。
- この時点で列車名が別のもの(おそらく公募あり)に変更されていた。
- とは言え東北新幹線の延長開業に伴い盛岡以北は廃止されていただろう。
- 1985年3月改正で仙台発着は2〜3時台になっていたからどうだろう。
- 最終的に仙台~青森を廃止して快速に格下げ…は18きっぱーだらけになるから無理か。
- 車両は00年代初期ごろにはE653系に置き換えられていた。
- 現在まで定期運行が行われている場合E657系が使用されている。
- JR東日本の感覚ではむしろ485系あたりでは?
- 北海道&東日本パス利用者の心強い味方となっていた。
はまかいじ[編集 | ソースを編集]
- 神奈川県から信州に向かう乗客に重宝されていた。
- 現在はE257系が使用されている。
- 横浜線のホームドア設置にも影響が出ていた。
- 定期列車化していたら可能性はあった。
- 川崎発着のかわさきかいじも検討される。
はまなす[編集 | ソースを編集]
- 牽引する機関車は青函トンネル対応の新型になっていた。
- もしくは新型気動車に置き換えられていた。
- キハ261系はまなす編成が用いられることは...流石にないか。
- もしくは新型気動車に置き換えられていた。
- 新青森を23時に出発して札幌に7時に到着するなど新幹線やはこだてライナーやスーパー北斗と住み分けしたダイヤになっていた。
- 現在は新函館北斗発着になっている。
- それだったら函館発着になって新函館北斗で最終または始発新幹線の接続するのでは。
はやぶさ・さくら(寝台列車)[編集 | ソースを編集]
- 「カシオペア」「ななつ星」のような豪華寝台列車に置き換えられた。
- ただし食堂車はないかもしれない。
- JR東海の区間を通るなら285系みたいな電車寝台に置き換えられそう。
- まあ最悪JR貨物に委託するって手も…
- JR東海が在来線から撤退し、エリアが東日本と西日本に分割されるパターンもありえそう。
- はやぶさは鹿児島中央乗り入れを復活し、日本一長い運転距離の列車になる。
- 3セク区間を通ることになるためそれは考えにくい。
- はやぶさ・さくらの列車名は新幹線に譲って「彗星」「あかつき」などの夜行列車らしい列車名に変更される。
- オールドファンが反発するのは火を見るより明らか。
- 逆に新幹線の方が「すいせい」「あかつき」を名乗っていたかも。
- 新幹線にその愛称は不向き。
- あかつきなら長崎発着で許される。
阪京特急[編集 | ソースを編集]
- 生駒山上遊園地入場券込みや南海ラピート接続など様々な割引切符のおかげで何とか生き延びている。
- 車両は汎用特急車両のみ。
- おそらく京都発の近鉄特急の中では最も地味な存在。
- 大和西大寺駅でのスイッチバックを解消するため、構内に短絡線が作られる。
- 京阪バスがJR京都駅~なんばOCATに「直Qバス」の運行を開始するとライバルになっていた。
- 平城ニュータウンや学研都市へのアクセスにも使えるよう、高の原や新田辺にも停車していた。
- さらに中河内地域(東大阪市や八尾市など)-京都府内の利便性向上を目的として布施にも停車していた。
- どこかでしまかぜがここに投入される。
- あをによしの運行開始により(近鉄奈良に一旦寄るルートではあるが)事実上復活。
比叡[編集 | ソースを編集]
- 手軽に名阪移動ができる手段として注目されていた。
- ただしJR化後は新快速との兼ね合いで新快速への格下げor廃止が行われていた可能性も。
- 格下げの場合でも、JR西日本とJR東海の新快速が相互乗り入れしていることに。
- ただしJR化後は新快速との兼ね合いで新快速への格下げor廃止が行われていた可能性も。
- 近鉄名阪特急がライバルと位置付けられていた。
- 現在はJR西日本223系・225系とJR東海313系が使用されている。
- 多少座席が豪華な専用編成があったかも。
- 東海では313系8000番台(セントラルライナーに使用されていた編成)が使用されていた。
- 多少座席が豪華な専用編成があったかも。
- 廃止されてもその名残で、名阪を直通する新快速が存在し、中には浜松~播州赤穂のロングランも
- Aシート車も早い時期に登場し、名阪間の直通利用などで利用されていた。
- むしろ大阪~岐阜や草津・近江八幡~名古屋といった利用で重宝されていた。
ひばり[編集 | ソースを編集]
- 時代を下るにつれ通勤ライナーやホームライナーとしての側面が強くなった。
- 常磐特急と同時期にスワローサービスが導入されていた。
- 2010年代以降は485系の老朽化に伴い651系もしくはE653系に置き換えられ、宇都宮で附属編成の増解結を行っていた。
- 晩年の「つばさ」や「あいづ」の併結相手になっていた。
- 国鉄型が使われ続けた場合は列車名や上野始発のおかげで「昭和の名残」扱いされることが多々あった。
- 鉄道ファンの間で「在来線の「ひばり」があるせいで東北新幹線の仙台以南には新しい新幹線駅ができない」という噂がささやかれていた。
- 上野東京ライン開業により品川駅始発に変更されていた。
- その前に湘南新宿ライン経由の臨時列車が何度か運行されていた。
- 東日本大震災直後には新幹線の代替として増発された。
- うまくいけば「なすの(もちろん在来線のほうね)」が廃止されていない可能性あり。
- 首都圏と仙台のSuicaエリアが統合されていた可能性が大きい。
- 東北新幹線不通時の臨時列車もひばりとして扱われている。
富士[編集 | ソースを編集]
- 客車の老朽化が深刻になった際、285系の交直流版こと685系が開発された。
- 東海は機関士を廃止にしたいことから。
- 685系を開発すれば九州寝台は無くならなかったかも。
- そればかりでなく「日本海」にも運用されていた。
- 東京からハーモニーランドへのアクセスもより良くなっていた。
- サンリオパスも出てきたかも。
- ピューロランドもハーモニーランドも双方自由に行けるパス。
- サンリオラッピングは京都市がクレームをつけて頓挫。
- サンリオパスも出てきたかも。
- どちらにしろ「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」のような乗る事自体が目的となる列車にならなければ存続は厳しかった。
- 時期にもよるが「はやぶさ」の廃止が数年早まっていたかもしれない。
- 上手くいけば南宮崎や鹿児島中央への延長が何度か検討されているはず。
北越[編集 | ソースを編集]
- E653系電車か683系電車に置き換えられていた。
- 北陸新幹線の開業自体がなかったか北陸本線の第三セクター化がなかったら十分にあり得た。
- 単純にしらゆきにならずに北越のまま区間短縮してたりして。
北海[編集 | ソースを編集]
- 一部列車が新千歳空港へ乗り入れている。
- JR北海道の感覚では空港連絡は快速「エアポート」がメインだからそれは微妙。
- 札幌~新千歳空港を「エアポート」として直通運転→混雑の悪化により2016年限りで廃止、あたりが無難なところか。
- 小樽やニセコへの観光客が主な利用者。
- なかなか新型車が投入されない。
- 2000年の有珠山噴火の際には札幌-函館の輸送に大活躍した。
- 臨時増発便もあった。
- 現在も長万部〜札幌間に経路特定区間が設定されていた。
- 2010年代以降はやはり存廃が厳しくなるかもしれない。
- 1日1〜2往復ぐらいに減っていた。
- それでも繁忙期などに臨時増発されていた。
- 「ヌプリ」「ワッカ」の愛称は生まれない。
- それでも繁忙期などに臨時増発されていた。
- 1日1〜2往復ぐらいに減っていた。
- 通勤需要を取り込むべく朝夕の便は札幌-小樽間の停車駅が増えていた。
- 手稲に関しては昼も半数程度停まっていた可能性あり。
ホームウェイ(多摩線)[編集 | ソースを編集]
- どちらにしろ京王ライナー登場までに全列車がメトロホームウェイになっている気がする。
- 朝の時間帯に唐木田発着のモーニングウェイも設定されていた。
ま行[編集 | ソースを編集]
ミッドナイト[編集 | ソースを編集]
- 北海道新幹線開業に伴い新函館北斗経由に変更されていた。
- 「はまなす」の札幌~函館間を編入して二往復化…って事は流石にないか。
- 新函館北斗で「はやぶさ」に接続するダイヤが組まれていた。
- 恐らく特急への格上げがない限り存続は厳しかったと見られる。
みつみね[編集 | ソースを編集]
- 現在では東上線唯一の特急となっている。
- ただし愛称が廃止された可能性もある。
- 副都心線に乗り入れる列車も臨時で設定されたことがある。
- この列車以外にも東上線から秩父鉄道への直通列車が設定されていたかもしれない。
- 西武レッドアローに対抗して特急用車両が使用されていた。
- 200系投入で持て余した1800系が転用されていた。
- そして有料特急に格上げされ、利用者の不満が募っていた。
- =もしフライング東上が有料特急として成功していたら、である。
- 200系投入で持て余した1800系が転用されていた。
南三陸[編集 | ソースを編集]
- 柳津発着に短縮されていた。
- 指定席が廃止されていた。
- 利便性を向上するため、停車駅に塩釜・松島が加わっていた。
- 運行時間をずらして仙台近郊の通勤ライナーの役目も担っていた。
みのり[編集 | ソースを編集]
- 快速「くびき野」が登場することはなかった。
- 長野駅発着が全てそのままになっている。
- 新井~新潟間の快速列車が2往復新設されていた。
- 特急「北越」がはくたかとみのりに統合されて廃止された。
- みのりが5往復化していた。
- 直江津~長野間に観光列車が新設されていた。
- それにしても「雪月花」と名乗ることになっていたのか・・・。
- 結局2015年の北陸新幹線長野~金沢間開業とともに「しらゆき」に改称された。
- キハ48形のジョイフルトレイン「みのり」は別の名前になっていた。
明星[編集 | ソースを編集]
- 特急「あかつき」との併結運転で、京都まで延長して運行されていた。
- 1994年12月頃までに運行されていた。
- 特急「つるぎ」、特急「あさかぜ1・4号」、特急「みずほ」の廃止も史実よりも遅くなっていた。
ムーンライトえちご[編集 | ソースを編集]
- 2015年にE653系への置き換えが行われていた。
- 夜行バスに対抗する更なる一手がないと厳しかったかもしれない。
- 例:発着駅を品川に変更し、東海道新幹線と接続
むつ[編集 | ソースを編集]
- =かもしか、つがるは存在しない。
- たざわとつばさに統合されることはなかった。
- 快速列車とよねしろの存在が薄れていた。
や~行[編集 | ソースを編集]
大和[編集 | ソースを編集]
- どちらにしろ運転区間は王寺までに短縮されていた。
- 運転区間の短縮がなかった場合、大阪南部から東京方面へ乗換なしで行ける夜行列車として重宝された。
- 首都圏から奈良への修学旅行の際に日程に組み込まれることが何度かあったかもしれない。
- 紀伊と同時期に14系を使用した寝台特急列車に格上げされる。
- 東京-名古屋間で併結するため「瀬戸」も14系での運転になっていた。
- 廃止も紀伊とほぼ同時期だったとみられる。
- 絵入りトレインマークが導入されていたら東大寺大仏殿の甍のデザインが採用されていた。
ゆうづる[編集 | ソースを編集]
- 当然「はくつる」も廃止されない。
- 客車としては廃止され、583系のみでの運行になる。
- むしろ急行「きたぐに」みたいに583系は塗装変更されるだろう。
- JR東日本は在来車の更新に消極的だからそれは微妙だな。
- 流石に使い続けるわけにいかないのでここではE653系ベースの寝台電車が開発されていた。
- 2階建て寝台電車に置き換えられていた。
- JR東日本は在来車の更新に消極的だからそれは微妙だな。
- むしろ急行「きたぐに」みたいに583系は塗装変更されるだろう。
- 高速バスへの対抗上、ゴロンとシートやレガートシートの連結が検討されていた。
- 東日本大震災による常磐線の分断をどう乗り切ったかが気になる。
- 最悪の場合震災が原因で廃止ということも考えられる。
有楽町線準急[編集 | ソースを編集]
よねしろ[編集 | ソースを編集]
- 快速への格下げはなかった。
- 花輪線への乗り入れをやめていた。
- 特急に格上げされていた。
- 車両は「かもしか/つがる」と共用していた。
- 停車駅は急行時代より大幅に削減されていた。
- 朝と夕方の運行だったので通勤特急的な役割を果たしていた。
- 定期券でも特急券さえあれば利用できるようになっていた。
雷鳥(新潟発着)[編集 | ソースを編集]
- 「サンダーバード」として681系電車と683系電車に置き換えられていた。
- 「北越」との共通運用であった。
- 北陸新幹線の金沢開業を機に廃止されていたか。
わかさ[編集 | ソースを編集]
- ≒「まいづる」は登場しなかった。
- 小浜線の変電所設備がもう少しマシだったら有り得たかもしれない。
- 敦賀で線路が繋がっているので、683系→289系はこちらに先行投入されていたかもしれない。
- 米原・湖西線経由の特急との差別化が問題になっていた。
鷲羽[編集 | ソースを編集]
- 14系客車で運用されていた。
- 瀬戸大橋の開業を機に高松に乗り入れていた。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- もしあの列車が復活したら(今から復活する場合はこちらへ)