もしあの国が共産化していたら

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アジア[編集 | ソースを編集]

イラン[編集 | ソースを編集]

  1. イスラム革命の代わりに共産主義革命が起こっていた。
    • イスラム原理主義にならず、今でも男性は髭無し、女性はベール無しが多かった。
    • イラン革命を社会主義者が主導していたらというほうが正しい気がする。(シーア派社会主義を主張する人はいたので。)
      • そうなっていたらイラン大衆党(ツーデ党)改めイラン共産党とモジャーヘディーネ・ハルグの連立政権となっていた。
    • 展開次第ではホメイニはパリで生涯を終えていた。
    • 国名と国旗はいわゆるギーラーン共和国で採用されていた「イラン・ソビエト社会主義共和国」とその国旗が復活。
  2. 1960年代初頭にキューバのように超親米のパフラヴィー政権から共産化していた。
    • この場合、現実通りアメリカとは国交が無く、ロシアや反米親日のキューバと同盟関係にある。
    • モサッデクが政権を握り、石油国有化とソ連に接近した1950年代あたりもあり得る。
    • 第2次大戦時に進駐したソ連軍が撤退せずそのままイランに傀儡政権ができるというのも考えられたかもしれない。
      • この場合北にソ連影響下のイラン社会主義共和国が、南にイギリス影響下のイラン帝国が並立して分断国家になってそう。
  3. 現在でも共産主義の場合、オバマ政権下の2015年にキューバ同様に国交回復するが、トランプ政権になり、再びイランとは距離を置くようになった。
  4. 憲法ではシーア派社会主義が謳われている。
  5. 反米国家であることには変わらない。
  6. イラン・イラク戦争ではソ連はイラクではなくイランを支援。
    • イラク側にアメリカがついていたので米ソ代理戦争の様相を呈していた。
    • あるいはイラクも本格的に共産化していた。
  7. ソ連崩壊後の1990年代に自由選挙が行われるが、その際にイスラム強硬派が勝利→史実と同じような体制に。
  8. イランクルディスタンはマハーバードを首都とするクルディスタン共和国として再び独立が認められていた。
  9. アゼルバイジャン自治共和国は再度設立が認められていた。
    • もしかしたらアゼルバイジャン国民政府の領域はソ連に割譲されていたかもしれない。
  10. 東側最大級の産油国となり冷戦構造の延命に貢献していた。
    • あるいは資源を背景にクレムリンに操られるだけでない独自外交を展開していた。
  11. ホルムズ海峡あたりでイラン海軍と米海軍が一触即発の事態になっていた。
  12. ソ連アフガン侵攻の展開もかなり変わっていると思われる。
    • ひょっとするとイラン軍もソ連とともに参戦していたかもしれない。

インドネシア[編集 | ソースを編集]

  1. 48年9月にインドネシア共産党によってインドネシア・ソビエト共和国が存続した形。
    • むしろ9月30日事件(1965)のクーデターが成功していた場合の方が現実的。
  2. 政府に批判的な人物はボルネオの密林行き。残留日本兵も大半がそこで死ぬことに。
    • 「北のシベリア、南のボルネオ」と恐れられる。
  3. 日本軍の占領統治がこれでもかと悪く言い東南アジア最大の反日国家になっていたかもしれない。
    • スカルノの治世で共産化していたらそれはない。
      • それどころか日中国交正常化の立役者がインドネシアという展開も考えられた。
      • この展開ならデヴィ夫人は今でもジャカルタ在住だったかもしれない。
  4. 当時反共だから占領できたようなものなので、西パプアやティモール紛争が米ソの代理戦争状態になり史実以上に大規模になる。
    • フィリピンの米軍基地がインドネシア対策で大規模化されていた。
  5. 海を渡ってシンガポールやオーストラリアへ亡命する人も相次いでいた。
  6. マラッカ海峡が東西冷戦の最前線になり海上交通が著しく阻害されていた。
    • クラ地峡の運河計画が実現していた可能性大。
  7. 9月30日事件で共産化していた場合は中華人民共和国の盟友としての地位を築き上げていた。
    • 史実でもあった中国から核技術の提供を受ける計画も実行に移され東南アジアの安全保障に対し相当な脅威となっていた。
      • 最悪の場合北朝鮮並みのならず者国家に成り下がっている可能性も…
  8. マレーシアとの関係が相当ややこしいことになっていたと思われる。
    • 冷戦時代を通じてインドネシアはマレーシアを承認せず全土(ついでにシンガポールとブルネイも)の領有権を主張、冷戦構造の一部となっていた。

インド[編集 | ソースを編集]

  1. ネパール・ブータン・シッキムでは共産ゲリラに悩まされていた。
  2. ポンディシェリーなどのフランス領の地域では無理やりにでも残留派を多数にする住民投票が行われ、それを根拠にフランスの統治が続いていたかも。
    • 商館区も強引に改めて境界を確定させて統治強化に乗り出していただろう。
    • ゴアなどのポルトガル領も同様の行為を行い統治を正当化させた。
    • 返還が実現した場合(おそらく冷戦終結後)、香港やマカオのような一国二制度になっていた。
  3. 東パキスタン(バングラデシュ)独立は共産インドによる陰謀と決めつけられ潰されたかもしれない。
  4. いわゆるカースト制度は否定されるが、クシャトリヤ(貴族)やバラモン(司祭)では弾圧されたかも。
    • ヒンディー式社会主義と称する独自の思想を打ち出していたかもしれない。
      • 北朝鮮と同じ様にマルクス・レーニン主義を発展させた独自の思想を作ってた。
  5. 世界最大の民主主義国家はインドではなくなる。
    • アメリカが世界最大の民主主義国家になってたか。
  6. パキスタンの反共色がさらに強くなっていた。
    • あるいは「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立も社会主義なら乗り越えられる」としてパキスタン自体が成立していない可能性も。
      • この場合、バングラデシュもインド領のまま。
  7. それでも中国とは対立していそう。
    • そうなったらソ連と同盟を組む。
  8. ネルーがもっと共産主義寄りというのが前提か。
    • この場合ソ連や中国と距離を取り東側での第三極を目指していた。
      • 史実の非同盟運動のようにユーゴスラビアと仲良くなっていた可能性あり。
  9. インド映画の多くが政権のプロパガンダと化していた。
    • それでも後世にカルト的な人気を集める作品も多数存在した。
  10. ヨガが共産主義思想の影響を受け現実とかなり異なる方向に進化していた。

韓国[編集 | ソースを編集]

サウジアラビア[編集 | ソースを編集]

  1. 史実とは違い反米になってた。
    • その代わりソ連とは友好。
      • 今でも社会主義だったとしてもロシアとの関係が深かった。
  2. マルクス・レーニン主義にイスラム式の要素を加えた感じの思想だった可能性もある。
  3. 「サウジアラビア」とは「サウード家の(統治する)アラビア」という意味なので、国名が変わっている可能性が高い。
    • 候補としては「アラブ連邦人民共和国」など。
  4. 周辺の湾岸アラブ諸国も共産化するか、それを防ぐためにアメリカがテコ入れしている。
    • 共産化した場合この「アラブ連邦人民共和国」に加入していたかもしれない。
    • 史実の南イエメンがこの国に併合されるか、されなくとも友好関係を築いていた。
  5. イランも反共・親米色が強くなり、おそらく帝政のまま
  6. 正直史実通りの流れなら共産主義が入り込む隙が見えない。
    • サウード家がアラビア半島中部の統一に失敗し第2次大戦後まで群雄割拠状態というなら可能性は十分あったと思う。
  7. イスラム最大の聖地を守る国が共産化ということでイスラム教の歴史にどれほど影響があったか分かったものではない。
    • もしかするとメッカ・メディナを含む西部はハーシム家かサウード家によるヒジャーズ王国が残り、東の共産アラビアと激しく対立していたかも…

アフリカ[編集 | ソースを編集]

エチオピア(1920年代)[編集 | ソースを編集]

  1. 1924年以前の共産化なら、ソ連に次いで世界2番目の共産国、1924年以降のそれなら、ソ連、モンゴルに次いで世界3番目の共産国になっていた。
    • この時点で帝政が廃止されているので、エチオピア皇室と日本人女性の結婚が検討されることはなかった。
    • この当時のモンゴルが世界中に独立を認められていなかった事から、1924年以前・以後を問わず、世界に認められた世界2番目の共産国になっていた。
  2. 第二次エチオピア戦争は起きたかどうか…
    • 史実通り起きた場合でも、ソ連やコミンテルンの支援を受けたエチオピアが勝っていた。
      • この場合、ソ連とイタリアなどの枢軸国の仲が史実より悪くなり、ソ連は第二次世界大戦では枢軸国寄りにならず、日ソ中立条約や独ソ不可侵条約が結ばれることはなかった。
      • 史実でもスペイン内戦でソ連が支援した共和国軍と独伊が支援したフランコ軍が戦っていたが…。
    • 史実通りイタリアが毒ガスを使っても、ソ連の支援を受けたエチオピアが、ソ連から供給された毒ガスを使っていた。
    • 場合によってはこの戦争にソ連が参戦・介入していたかもしれない。
    • よってこの地図でもエチオピアはヨーロッパ列強に植民地されていないことを示す灰色で塗られていた。
    • ソ連とイタリアの代理戦争となっていた。
  3. 第二次世界大戦後は東側陣営の一員として、ソ連と中国に対し、均等な外交を取っていた。
    • ソ連からの食料支援があったため、1980年代の飢餓は起きなかった。
      • ロシア式の食事も同時に普及してた。
      • 80年代は史実でもソ連に支援されていた時期だったので無関係かと。
  4. ソ連崩壊前後に民主化を果たし、共産主義は放棄され、資本主義に移行していた。
    • だがこの時に混乱が起こり、下手したら史実の1980年代並の飢餓が起こっていたかも。
    • 場合によってはこの時に帝政復古していた。
    • 場合によっては旧ソ連のベラルーシやカザフスタンやウズベキスタンのような社会主義ではない独裁体制が続いていた。
      • 独裁的な考えの大統領による政治が行われてた。
  5. 2018年現在ではボツワナやモーリシャス並のアフリカの優等生となっている。
    • 鉄道や道路や教育や医療などのインフラは共産主義時代にソ連の支援で整備された。
      • そのため、ロシアとの関係はかなり良好。
      • 中央アジア諸国やモンゴルとの関係も深い。
      • 中国とも関係が良く、現実のカザフスタンのような外交政策を取っている。
      • と言う訳で旧ソ連の国や一部の共産圏とは友好的だった。
    • 日本とエチオピアを結ぶ航空便も現実より早く就航。
  6. 国旗は緑・黄・赤の横三色旗の真ん中に赤い星が描かれていた。
    • 共産主義放棄と同時に赤い星を取り除き、緑・黄・赤の横三色旗に戻るか、現実同様にソロモンの紋章が描かれていた。
  7. 国名は「エチオピア人民共和国」あたりになっていた。
    • 共産主義放棄後は「エチオピア共和国」になっていた。
      • あるいは連邦制を導入し、現実通り、「エチオピア連邦民主共和国」になっていた。
      • 脱共産主義とともに亡命していた皇帝が帰還し「エチオピア帝国」に戻るというのもありうる。
  8. アディスアベバにはソ連様式の建物が多く建てられていた。
    • レーニンやエチオピアを共産化させた人の銅像もあったが、共産主義放棄時に撤去された。
    • やけに深い地下鉄も走っている。
      • ロシアや北朝鮮の地下鉄の様な雰囲気の地下鉄が未だに走ってた。
    • ロシア風の建築物があった。
  9. 場合によっては、アムハラ語などのエチオピアの公用語はキリル文字表記になっていた。
    • この場合、共産主義放棄後にアムハラ文字の復活が検討されていた。
    • ソ連のすぐ隣のモンゴルならともかくソ連から遠く離れたエチオピアでキリル文字はさすがに不自然。
  10. エチオピア人の宇宙飛行士はソ連から旅立っていた。
  11. エリトリアはイタリアの植民地支配が終わるとともに独立していた。
    • この場合エチオピア・エリトリア国境が冷戦の最前線になっていたと思われる。
  12. ハイレ・セラシエ1世が即位できなかったためラスタファリ運動など存在しなかった。
    • レゲエという音楽ジャンルは誕生しなかったかもしれない。
    • アフリカ統一機構(OAU)は存在せずアフリカ諸国も本格的に東西両陣営に分断されていた。
    • ジャマイカにハイレ・セラシエが亡命すればあるいは…?

ガンビア[編集 | ソースを編集]

  1. 1981年の左派クーデターが成功していたらこうなっていた。
    • セネガルとは険悪な状態となっていた。史実のようなセネガンビア国家連合はあり得なかった。
      • その代わり史実でクーデター関係者が亡命したギニアビサウと緊密化していた。
  2. 社会主義革命労働党一党独裁となっていた。
  3. 英連邦から脱退し、さらに現在でも復帰していなかった。
  4. 大統領が奇行に走り、国家の恥をさらすような事態は起きなかった。
    • どっちにしろ独裁体制と化すのでそれはどうかな。

南アフリカ[編集 | ソースを編集]

  1. アパルトヘイトをイギリスが黙認→そこにソ連が付け込み黒人主導の革命を支援→共産南アフリカ成立。
  2. ナミビアは南アフリカ革命成功とともに独立を認められるが、やはり共産化される。
  3. レソトも単独独立が不可能となり南アフリカに併合される。
    • エスワティニはモザンビークと接しているため単独独立が可能と思われるが、モザンビーク独立に伴いドミノ理論的に共産化される。
  4. ローデシア(ジンバブエ)やモザンビークの共産ゲリラを大々的に支援していた。
    • 共産化ドミノを恐れたイギリスの意向によりローデシアは人種差別国家のまま。
  5. やはりアフリカ諸国が本格的に東西両陣営に分断されていた。

ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]

ギリシャ[編集 | ソースを編集]

  1. ヨーロッパ文化発祥の地なので、西側にとっての文化的損失は大きかった。
  2. オリンピックにも影響があったかもしれない。
    • ギリシャ含む共産圏ばかりで開催されるようになり、西側はオリンピックに対抗する大会を立ち上げていた。
      • 親玉のソ連が長らくオリンピックに無関心だったのでそれは怪しい。
      • IOCの本拠地も永世中立国のスイスなので東側が牛耳るというのは無理かと。
        • IOCが共産陣営に乗っ取られた場合はIOC本部はソ連か共産ギリシャに移転している。一方共産圏が不参加の場合は逆に西側の亡命ギリシャ人団体なども関わるガチガチの反共イベントと化す。
  3. トルコが共産化されなかった場合、共産ギリシャとの関係がさらに悪化。
    • エーゲ海諸島あたりで断続的に海軍の衝突が起きていた。
    • ソ連とギリシャはトルコを共産化させようと様々な工作を行っていた(真の目的はボスポラス海峡を抑えるため)。
    • トルコも共産化された場合は表向き両国の関係は良好になるが、冷戦終結後に対立が再燃するかもしれない。
  4. キプロスは社会主義陣営と資本主義陣営による分断国家になっていたかもしれない。
    • この場合、北キプロスはトルコのみならず多くの西側諸国に承認されていた。
      • トルコ系キプロス人のみならず、反共派のギリシャ人も北キプロスに亡命という形で居住する。
    • あるいは全島が資本主義陣営に留まり地中海の台湾と化す(それでもトルコ系住民はある程度住んでいる)。
  5. ギリシャも冷戦時代から「東欧」の一員と見做されていた。
  6. 要するに戦後のギリシャ内戦で左派が勝っていた場合。
    • 「ギリシャ人民共和国」(仮)の初代指導者はマルコス・バフィアディスかニコラオス・ザカリアディスだった。
  7. 古代ギリシャ史研究が唯物史観などの影響によりかなり歪められていた。
  8. ブルガリアのように冷戦終結後にかつての王家がアテネへ戻れていた。
  9. 海運王オナシスの人生はどうなっていたのだろうか。
    • 第2次大戦中に居住していた南米へ舞い戻っていたか西ヨーロッパへ亡命していたかはたまた粛清されたか…。
    • おそらくジャクリーン・ケネディとは結婚できなかった。

(西)ドイツ[編集 | ソースを編集]

フィンランド[編集 | ソースを編集]

  1. フィンランド人民共和国が成立し、ソ連の衛星国に。
    • 「フィンランド化」という用語の意味が「完全な赤化」になる。政治学者たちは代替用語の選定に苦慮する。
      • 「日本化」とかか?
      • 代わりにスウェーデンが史実のフィンランドのように自由主義を維持しつつ親ソ連の外交政策を取った可能性もある。この場合「スウェーデン化」と呼ばれている。
    • もちろん、ワルシャワ条約機構に加盟している。
    • 実際にあった政権の名前から考えると「フィンランド民主共和国」か「フィンランド社会主義労働者共和国」だと思う。
    • 国旗は現実のフィンランド国旗のクロス部分に社会主義の紋章が描かれていた。民主化すると紋章部分は消滅。
    • ソ連の衛星国なので、もちろんソ連からスパイが派遣されていた。
    • 政権を批判する言論の自由ない統制社会になっていた。
    • 展開によっては「フィンランド・ソビエト社会主義共和国」としてソ連の一部になっていた。ソ連崩壊後に独立を回復。
  2. 「フィンランディア」は演奏禁止に。
    • 作曲者のシベリウスはアメリカに亡命していた。
    • 民主化後、解禁される。
      • というか、民主化運動の過程でその象徴として各地で歌われる。
  3. フィンランド航空の旅客機はほとんどがソ連製の機材になっていた。
    • モスクワへの乗り入れ開始が史実より早まった。
    • 共産主義時代は国営企業であった。
    • 日本への乗り入れは冷戦終結後になってからになっていた。
      • 運が悪いとマレブ・ハンガリー航空のように日本定期乗り入れの機会を逃していたかもしれない。
  4. 他の東欧諸国同様89年前後には民主化。
    • そして史実通りEU加盟国になる。
    • 民主化を祝う式典では、前述の「フィンランディア」が盛大に演奏される。
    • 民主化以降は経済が急速に発展。
  5. 冷戦終了後のフィンランドの反露感情がポーランドバルト三国並みに凄まじいものになっていた。
    • 2004年頃にNATOに加盟していた(史実のエストニア等と同時)。
  6. ムーミンはソ連で言うチェブラーシカやチェコスロバキアで言うクルテクのような官製アニメになっていた。
    • もしくは作者のトーベ・ヤンソンはスウェーデンかアメリカに亡命していた。
      • そのためムーミンはスウェーデンかアメリカの作品になっていた。
    • 彼女がスウェーデン語話者であることを考えると亡命している可能性のほうが高い。
  7. ノキアやマリメッコなどが有名になることもなかった。
  8. 宗教が否定されるので、サンタクロースが世界的に有名になることもなかった。
    • サンタクロースは戦前から有名では?
    • 多分サンタクロースの故郷はカナダグリーンランドに改竄されていた。
  9. 史実において冬戦争で奪われた土地が、今でもフィンランド領だった。
    • その土地の人々にとっては共産化していた方が結果良かったのかも…
  10. オットー・クーシネンが「フィンランドに共産主義をもたらした偉大な人物」として称えられ、各地に銅像などが設置された。
    • 民主化後は権威が失墜し、あちこちで銅像が倒される。
    • それでも「社会主義時代は生活が保障されていたからよかった」と懐かしむお年寄りが少なからず出てくるだろう。
  11. 国営企業の工業レベルは東側でもトップクラスになっていた。
    • その為、同じく優等生だった東ドイツとは仲がいい。
  12. フィンランドで盛んに信仰されているキリスト教は共産化時代はもちろん否定され、信仰が禁止される。
    • 民主化と同時に復活。
    • むしろ史実の東ドイツのように「表面上は信教の自由を保障していたが裏では侵害し放題」という感じだったのでは。
  13. フィンランドの飯のまずさの悪評はなお拍車をかけていた。
  14. フィンランドは国旗にスカンジナビア十字を使う国で唯一の共産国だった。
    • 十字の交点部分に国章が入っていた可能性あり。
  15. 政治・経済の状況次第ではスウェーデンやノルウェーに亡命しようとして途中で遭難する人が続出していた。
  16. 1952年のオリンピックがヘルシンキで開催できたかどうか怪しい。
    • 多分西側のどこかの国の都市で開催されたと思う。
  17. オーランド諸島のスウェーデン系住民は西側のスパイとみなされ壮絶な迫害を受けた。
    • その結果反フィンランド感情が高まり、民主化後スウェーデンへの編入を求める声が強くなった(実際に編入されたかは不明)。
  18. ひょっとしたらフィンランド語の表記もキリル文字化されていたかもしれない。
    • 民主化後はラテン文字表記に戻された。
    • ソ連に併合されたエストニア等はキリル文字化しなかったことを考えるとラテン文字のままだったと思われる。
  19. かなりの数のフィンランド人が隣国スウェーデンに亡命し、ストックホルム市内に「リトル・ヘルシンキ」等と呼ばれるフィンランド人街を形成していた。
    • 民主化後も一部は残留、むしろ両国の友好関係を象徴していた。
  20. 国内各地に公共サウナが建設されていた。
    • 経済状態の悪化によりだんだん稼働できなくなってきたことが一党独裁崩壊の一因になった。
      • 「共産フィンランドはサウナによって崩壊した」と揶揄されるようになる。

ポルトガル[編集 | ソースを編集]

  1. スペインとは史実以上に対立してた。
  2. カーネーション革命後の展開次第ではあり得たと思う。
    • 76年の選挙で左派が大勝していればそのまま共産化が進行していた。
      • この場合もちろんNATOからは脱退していた。
      • 英葡永久同盟がこの時点で解消されていたかもしれない。
  3. 国章は天球儀だけ残し他は史実と全く異なるデザインだった。
  4. 王政廃止後で政治が混乱していた1920年代に共産化していたら想像を絶するカオスな事態が起きていた。
    • リスボンなど本土は共産主義政権が支配していても島嶼部や植民地に旧政権の残党が逃げ延び分裂状態に。
    • スペイン内戦でも当然共和国軍を援助したためさらに戦争が長引いていた。
    • 「エスタド・ノヴォ」というのは社会主義政権のことだった。
  5. 赤玉ポートワインの名称変更が冷戦終結までずれ込んでいた。

スペイン[編集 | ソースを編集]

  1. スペイン内戦で共和派が勝っていれば十分あり得た。
  2. その後ソ連に忠実かソ連と対立して独自路線を行くかによって運命は異なる。
    • 前者の場合ソ連にとって貴重な西欧の拠点になる。
    • 後者であれば1970年代頃に民主化+王政復古が実現し、史実とそこまで変わらない。
      • 但し社会主義になるためフランコ政権下での「スペインの奇跡」と呼ばれる経済成長は実現しない。
  3. ポルトガルが共産化しなかった場合、スペインと激しく対立していた。
    • ポルトガルも共産化した場合、連邦を組んでたかも。
  4. ジブラルタル返還を史実以上に強く主張していた。
  5. 史実の人民戦線の様子から推測すると内部対立や粛清の嵐がしばしば吹き荒れていた。
  6. バスクとカタルーニャにはかなりの自治権が与えられたが独立は許されなかった。
    • 下手をすると後に自治権が縮小され史実に近い弾圧が発生していた恐れもある。
    • フランコの出身地で内戦時にもフランコ側に付いたガリシアは冷遇された(特にポルトガルが共産化せず対立した場合)。
      • バスクやカタルーニャよりガリシアの方が独立運動(もしくはポルトガルへの併合運動)が盛んになっていたかもしれない。
  7. ピカソはその後長きにわたりスペインで人民戦線の庇護のもと創作活動を続けた。
    • 「プロパガンダ画家」というイメージが付き国際的評価は史実よりかなり低かった。
    • 一方サルバドール・ダリはアメリカに亡命していた。
  8. 闘牛の衰退が史実より早まっていたかもしれない。
  9. 案外セウタ・メリリャはモロッコに返還されたりして。

イタリア[編集 | ソースを編集]

  1. 史実のイタリア共産党の路線から推測するとソ連からはある程度距離を取った独自路線だったと思われる。
    • 共産党がファシスト政権に対するレジスタンスの中核だったこともそれに影響していた。
    • 万一イタリアもソ連べったりだったらユーゴスラビアが四面楚歌の状況に立たされていた。
      • イタリア半島にソ連軍が駐留し長靴どころか「地中海に突き出された赤い軍靴」と呼ばれていた。
      • その場合ユーゴでもチトーが失脚して親モスクワ派の指導者に交代していたかもしれない。
  2. 社会主義を捨てたということもありムッソリーニがとてつもなく非難されていた。
    • そのくせ食料政策など一部はファシスト政権に近い内容の部分もあった。
  3. もちろんマーシャル・プランによる援助は受けられなかったので第2次大戦の被害からの復興は遅れた。
  4. フランスに対してかなり強硬な外交姿勢を取っていた。
    • 冷戦終結までサヴォイア・ニッツァ・コルシカ島あたりの領有権を主張していた。
      • その理屈だとソ連はアラスカを領有主張してそうなもんだが…
    • 当時イギリス領だったマルタも領有主張していた。
      • 独立時の共産化を恐れ、冷戦時代を通じてイギリスはマルタを保有し続けた。
  5. マフィアや資本家が大挙してフランスやアメリカなどに亡命していた。
  6. アルプス山脈に東西両陣営の境界線が走っていた。
    • モンブランやマッターホルンが政治的な意味で登頂困難な山になり登山界にもかなりの影響があった。
  7. フィアットは自動車メーカーではなく軍用機メーカーとして知られていた。
  8. 教皇庁がローマからの脱出を余儀なくされるためバチカン市国は消滅していた。
    • フランコ政権下のスペインあたりが受け入れそうな気がする。
      • あるいはフランスに行ってアヴィニョン捕囚再びとか…
    • サンマリノも共産党政権だった時期があるため圧力をかけ併合していたかもしれない。
    • 教皇代替わりのタイミングで、マドリードないしアヴィニョンの教皇庁でコンクラーベが行われるが、共産イタリアも容共派の司祭を教皇に仕立て上げて数百年ぶりの対立教皇が誕生する。
  9. イタリア料理の発展が大幅に阻害された。
    • トマトや柑橘類など本来イタリアが大量に生産していた農作物もソ連に収奪されあまりイタリア人民の口に入らなかった。
    • 戦前にも存在したパスタ排撃運動がまた展開された恐れあり。
    • 北部でのピッツァ普及も大幅に遅れていた。
    • 西側陣営ではスパゲッティやピザがイタリアではなくアメリカの料理として認識されていた。
    • 冷戦終結後には史実をはるかに上回る勢いで食のアメリカ化が進み郷土料理の存続が脅かされる。

北アメリカ[編集 | ソースを編集]

アメリカ[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカで社会主義革命が起き民主主義がアメリカで貼れた結果こうなる。
  2. ソ連とは史実とは違い明らかに友好的だった。
    • キューバとも友好的だった。
    • むしろ共産主義社会を目指す方法論で激しく対立しているような気がしてならない。
      • アメリカならもっと民主的なアプローチが用いられていたのでは。
      • ソ連成立後にアメリカが共産化していたらソ連と友好関係だったかと。
        • 勿論中ソ対立みたいに後から対立する可能性もなくはないが…(アメリカの国力からしても)。
  3. それでも黒人や先住民への差別は消えていない。
    • それどころか政府が率先して弾圧しているかもしれない。
  4. マルクスとエンゲルスが100年早く生まれていたらひょっとして…。
  5. 共産化のきっかけはおそらく世界恐慌。

プエルトリコ[編集 | ソースを編集]

  1. 共産主義勢力が独立運動を起こし、アメリカから独立。
    • 独立後はキューバと兄弟国家のような関係になる。
    • アメリカが拒否権を行使するため国連加盟が困難になる。
    • 時期としては独立運動が激しかった1950年代か。
    • アメリカ政府にとってはベトナム戦争敗北以上のトラウマになっていた。

メキシコ[編集 | ソースを編集]

  1. キューバ革命に触発されて革命が起きていればあり得たかも。
    • 展開次第では第2次大戦前に共産化というのも十分考えられる。
      • 国民革命党(史実では現在の制度的革命党)がもっと左に寄っていたらこうなっていた。
  2. トランプ政権になる前からアメリカとの国境に壁が築かれることに。
    • しかもメキシコ主導で築かれる。
    • 朝鮮半島の軍事境界線並みの緊張状態になる。
  3. ラテンアメリカ諸国の赤化がさらに進む。
    • ニカラグア、ベネズエラあたりも共産化していた。
  4. トロツキーの運命はどうなっていたのだろうか・・・
    • 当時のメキシコがソ連べったりならそもそも逃亡先にしていない。
  5. カリフォルニアやテキサスなどの奪還を声高に主張していた。
  6. メキシコシティの85年の大地震からの復興が史実より大幅に遅れる。
  7. ルチャ・リブレの在り方もかなり変わっていたはず。
    • レスラーの覆面着用が禁止されていたかもしれない。
  8. アメリカ本国の陸軍が史実よりはるかに強化されている。

関連項目[編集 | ソースを編集]