もしあの地震が○○だったら/1990年代以前

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独立項目[編集 | ソースを編集]

19世紀以前[編集 | ソースを編集]

天正地震(1586年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 内ヶ島家は今でも存続。
    • 鉱山掘りとしてある程度活動していた。大阪の陣の堀埋め立てをやっていたかも。
      • 後に甲府や佐渡、石見でも活躍、近代鉱山の礎を築いた。
        • 江戸時代、譜代大名になっていれば、幕末頃には10万石くらいになっていたかも。
  2. 織田信雄は長島城を天守にしたまま清洲移転はなかった。
  3. 一豊の娘与祢は死ななかった。

宝永地震(1707年)[編集 | ソースを編集]

被害が史実より少なかったら
  • 史実ではマグニチュード8後半~9クラスと推測されています。
  1. 南海トラフ地震の対策に大きく影響が出ていた。
    • 場合によっては東日本大震災以降も東海地方でマグニチュード9クラスの地震が起きるという予想はなかったかもしれない。
  2. 宝永の富士山噴火もなかった。

濃尾地震(1891年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 内陸型地震の脅威はあまり知られていなかった。
    • その分、阪神淡路大震災の淡路島における被害が大きかった。
  2. 恐らく、現時点で内陸型地震の代表と呼ばれるのは阪神淡路大震災か。
  3. 「根尾谷」などという地名を知っているのは地元のごく限られた人に過ぎない。
  4. 鉄道唱歌(東海道編)の岐阜の部分の歌詞が「長良の川に灯を映す」あたりになっていた。

明治東京地震(1894年)[編集 | ソースを編集]

マグニチュード8クラスだったら
  1. 死者は10万人前後だった。
  2. この地震による災害は「東京大震災」と呼ばれる。
    • 場合によってはこの地震による災害が「関東大震災」と呼ばれていた。この場合、1923年に発生した史実の関東大震災は「大正関東大震災」と呼ばれていた。
      • この世界だと、1894年の地震による災害は「明治関東大震災」と呼ばれる。
  3. 確実に日清戦争で負けていた。
  4. 東京湾北部断層で発生していたら可能性はあった。
  5. 首都直下型地震の被害想定モデルはこの地震の被害をもとに作られていた。
  6. その分、史実の関東大震災の被害は少なかった。それでも死者は数万人出ていたかも。
  7. 史実通り関東大震災が発生していたら遷都が検討されていたかも。

1900~1980年代[編集 | ソースを編集]

西埼玉地震(1931年)[編集 | ソースを編集]

関東大震災並みの被害を受けていたら
  1. 恐らく大きな被害受けるのは埼玉県と群馬県と栃木県辺り。場合によってはこの地震による災害が「北関東大震災」と呼ばれていた。
    • 南関東大震災(史実の関東大震災)と北関東大震災(史実の西埼玉地震)と別れて呼ばれていたかもしれない。
    • 場所的に東京でも相当の被害が出ていたと思われるので北関東大震災の名前に抗議の声が出ていた。
    • 「第二次関東大震災」か「昭和関東大震災」と呼ばれていただろう。
  2. 川越の昔の町並みは地震によって壊れてしまう。その分修復費がかかっていたかもしれない。
    • 震災復興のため川越線が早期に開通した。
  3. 津波に関しては内陸で起きているので恐らく起きていない。
  4. この地震により内陸県でも地震の被害を受けるということで内陸県も地震対策が史実以上に進んでいたかもしれない。
  5. マグニチュードは7~8間辺り。
  6. 一部関東大震災の余震という報道もあったかもしれない。
  7. 史実の関東大震災でも大きな被害を受けていたから、首都を地震や台風の被害がほとんどない京城に移転する声が出てきた。
    • または札幌への移転が検討されたかも。
  8. 地震発生3日前に起こった満州事変はあまり報道されなかった。
  9. 埼玉県と栃木県と群馬県からの満州への移民の数が史実より多かった。

昭和東南海地震(1945年)[編集 | ソースを編集]

3年早く発生していたら
  • 発生日が1941年12月7日だったら
  1. 史実の真珠湾攻撃の前日なので真珠湾攻撃が延期されていた。
1年遅く発生していたら
  • 発生日が1945年12月7日だったら?
  1. 終戦直後だったので情報統制も緩いと思われるが、それでも混乱状態だったので被害規模が不明だった所もあったか。
  2. 三河地震(1945年1月13日発生)が前兆地震ということになっていた。
  3. 動員学徒などもういないため犠牲者は減っていた可能性が高い。

南海地震(1946年)[編集 | ソースを編集]

数年早く発生していたら
  1. 時期としては東南海地震(1944)の直後か。
  2. 新聞紙上の報道は一面ではなく真ん中のベタ記事。
    • そのため後世の調査では影響が出ていた。
  3. 高知県など被災地への支援が遅れ犠牲者はさらに増えていた。

福井地震(1948年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 阪神淡路大震災まで震度7は存在せず。
    • 阪神淡路大震災でも5と6が強弱に分割されただけだったかも。場合によっては10段階にするため4も分割されたかも。
      • 震度7の導入は東日本大震災を待つことに。
      • むしろ日本においても気象庁独自の震度階級から国際標準のメルカリ震度階級への変更が検討されたかもしれない。
  2. 福井県の衰退はもう少し遅かったか?
    • 少なくとも「江戸時代の十大都市が平成では一地方都市」ということにはならなかった。
      • そうなると、北陸地方の中心は石川県ではなく福井県に?
        • とは言っても、やはり中心は石川だったと思う。少なくとも福井県の人口が100万人を切ることはなかった。
        • 北陸は現在よりも地位が高かった。
          • 北陸新幹線は国鉄時代に開通していた。
  3. 大和百貨店は早くとも20世紀末まで福井店を続けていた。

チリ地震(1960年)[編集 | ソースを編集]

マグニチュード10クラスだったら
  • 実際にマグニチュード10は地球上で起こりえる最大規模だと言われておりますが…。
  1. 日本でも10m以上の津波が観測されていた。最大観測は20mか?
    • 東北沿岸は三陸地震並み、西日本沿岸は南海地震並みになっていた。
  2. 死傷者数はチリ内だけでも1万人。最悪3万人になっていた。
    • 死傷者数が6000人どころか10倍~100倍になっていた。
  3. もしかするとチリ地震ではなく、チリ大地震と呼ばれていた可能性もあり得る。
  4. 史実通り津波に対する認識が甘ければ、日本の津波被害は想像を絶するくらい受けていた。
    • 但し、史実以上に巨大防潮堤を建造しているため、その後の地震による津波被害は最低限に落ち着いたかも。
      • 各地に津波の石碑が建っていた。
  5. 確実に南米どころか北米・中米まで地震による被害を受けていた。
    • パナマ運河がこの地震でしばらくの間通れなくなっていた。
      • 太平洋の小島などでは津波の影響で全滅した島が出ていたかもしれない。そうでなくても全島移民などがされていたかも。
      • オーストラリア・ニュージーランドも結構被害を受けていた。
  6. 2年後のFIFAワールドカップ開催を返上していた

新潟地震(1964年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 地震保険は阪神淡路大震災まで存在しなかった。
  2. コンビナート火災もあまり知られず、東日本大震災の被害が拡大していた。
  3. 中越地震まで新潟県には地震安全神話があり、その影響もあって中越地震の被害はさらに大きかった。
  4. 液状化への対応が現実よりも遅れていた。
    • 東日本大震災では東京ディズニーリゾートに大きな被害が出ていた。
    • 液状化が日本で広く知られるのは1995年の阪神・淡路大震災だった。
  5. 新潟国体の夏季大会は予定通り開催されていた。
1週間早く発生していたら
  1. 新潟国体が中止に追い込まれた。
  2. 死者は確実に増えていた。
    • 国体の選手やスタッフにも犠牲者が出る。

唐山地震(1976年)[編集 | ソースを編集]

震源が北京直下だったら
  1. 死者は軽く100万人を超え、有史以来最悪の震災となっていた。
  2. この地震で北京は壊滅し、日本における関東大震災的な扱いの震災となっていた。
    • 紫禁城も当然倒壊したため、世界遺産登録が早まったかもしれない。
      • 登録当初は危機遺産リストに入っていたかも。
  3. 政府機関の建物が多く倒壊したため、毛沢東も犠牲者の一人となっていた。
    • そしてさらには北京以外の都市に遷都していた。
    • 文化大革命はこの時点で終わり、開放改革が始まっていた。
    • 政府が機能しなくなるため、下手したらこの時点で中国が民主化されていたかもしれない。
      • 下手すればソ連派と中共の亡命政府、チベットウイグルの独立運動で混乱していた。
        • 中華民国もアメリカの後ろ盾を得て大陸反攻を目指すも、失敗していた。
        • 一方大陸政権と国交を樹立したばかりの日本は…どうもしなかった可能性が高い。
      • その後の冷戦状況にも影響を与えていた。
    • 江青などの「四人組」や華国鋒などもこの地震の犠牲者に。
      • 彼らに失脚させられていた鄧小平が混乱に乗じて掌握していたかも。

宮城県沖地震(1978年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 新耐震基準(史実では1981年に制定)の制定が遅れていた。
    • そのため阪神・淡路大震災では現実以上に甚大な被害が出ていた。
      • 恐らく阪神・淡路大震災発生後に新耐震基準が制定されていた。
    • ブロック塀の危険性が認識されるのは1987年の千葉県東方沖地震だった。
  2. 東北新幹線の大宮~盛岡間開業が2年ほど早まっていた。
    • 史実では地震により高架橋が損傷している。

1990年代[編集 | ソースを編集]

北海道南西沖地震(1993年)[編集 | ソースを編集]

発生が昼間だったら
  1. 迅速に避難できるため犠牲者は減っていた・・・と信じたい。
  2. 津波襲来をとらえた写真が残されている。
    • インド洋大津波より10年以上前に多くの人々が津波の恐怖を認識できていた。
  3. 空からの救援もやりやすかった。
  4. プロパンガスボンベが火元のため火災発生はどのみち避けられない。

ノースリッジ地震(1994年)[編集 | ソースを編集]

1年遅く発生していたら
  • 発生日が1995年1月17日だったら
  1. 日本では同日に阪神・淡路大震災が発生しているので日米両国で地震のネタで持ちきりになっていた。
    • 日本時間で夜の9時台に発生していることから、その時間帯以降の報道体制は大変な事になっていた。
    • 日本だと阪神震災特番であまり取り上げられなかっただろう。
  2. 高速道路の倒壊から助かった人の中には「阪神淡路大震災の高架橋倒壊がよぎった」という人もいた。

北海道東方沖地震(1994年)[編集 | ソースを編集]

震源地が○○だったら
北方領土寄りだったら
  1. 震源地は恐らく択捉島辺り。北海道の被害はそれほど受けなかったと思われる。但し、その分北方領土の被害が大きくなることに…。
    • 色丹島だけじゃなくて他の北方領土の島も衰退していたかもしれない。
      • 場合によっては北方領土問題に影響し、歯舞色丹国後の三島返還でカタがついていたかも。
      • 惜しむらくは、この時期日本が細川・羽田政権→村山の自社さ連立という混乱期だったということか。もしここでタカ派の政治家が政権を取っていれば、返還の可能性は大きかったけど、このメンツなら無理そう。
  2. 恐らく日本として震災ではなくロシアとしての震災になっていたかもしれない。恐らくイトゥルップ地震と呼ばれていた。
北海道寄りだったら
  1. 釧路市か根室市辺りで震度7を観測していた可能性がある。その分北海道の被害が大きくなっていた可能性がある。
    • 負傷者は多くて800~1000人ぐらい居ただろうな…。
  2. 色丹島は史実通り衰退していたか?
  3. 国のメンツを掛けて根室市の復興に力を投じていた…かというとやはり政治混乱期なので無理そう。
    • その後の阪神淡路大震災も相俟って「政治混乱期に大規模天災が起こるとダメだ!」となって、奇しくもこの時期に導入された小選挙区制もあって(史実の2012年以降のような)自民党の一党優位の時代に戻っていた可能性も。
      • この影響が尾を引いて、おそらく2009年に民主党は政権を取れなかった。

三陸はるか沖地震(1994年)[編集 | ソースを編集]

別の時代に発生していたら
1年後(1995年)
  1. 同年は1月に阪神・淡路大震災が発生したこともあり、「地震に始まり地震に終わった1年だった」と言われるようになっていた。
16年後(2010年)
  1. 後に翌年3月に発生した東日本大震災との関連が指摘されるようになっていた。

ネフチェゴルスク地震(1995年)[編集 | ソースを編集]

日本でも被害を受けていたら
  1. 日本でも被害受けたとは言っても、稚内市の北海道北部ぐらいしか大きな被害を受けていないか。
    • 北海道では阪神淡路大震災の影がやや薄くなっていた。
  2. 震源地がネフチェゴルスクではなく最もサハリン南部だったらあり得た。
    • 史実通り同じ震源地なら恐らくマグニチュードは8後半~9前半になっていた可能性がある。
      • 場合によっては津波が起きかねない。その場合北海道北部を中心に被害を受けていた。
    • その場合、サハリン州全土に被害が及んでいたかもしれない。だからといって日本に返還される可能性はなさそうだが。
  3. 被害規模もネフチェゴルスク並み(住民のうち3/4が死亡)だったら大変なことに。
  4. その後の稚内の復興ぶりがサハリン(樺太)住民の対日(およびロシア政府への)感情に影響を与えていたかも。
    • 「稚内はこんなに早く復興したのに、ロシア政府の対応は…」となっていたかも。

イズミット地震(1999年)[編集 | ソースを編集]

イスタンブール直下が震源だったら
  1. 名称が「イスタンブール大震災」になっていた。
  2. 旧市街の歴史的建造物に被害が続出。
    • 例:モスクのミナレットがあちこちで無残に折れる。
    • 危機遺産リスト入りしていた恐れが非常に高い。
  3. ボスポラス橋が倒壊していたらアジア側とヨーロッパ側が完全に分断されていた。
  4. 観光客の犠牲者も多い。
  5. マルマライ計画は防災の側面も持たされていた。
  6. イスタンブールのオリンピック招致にも影響があったはず。

921大地震(1999年)[編集 | ソースを編集]

発生しなかったら
  1. 集集のイメージといえば満場一致で「日本時代の古い駅舎」。
  2. 台湾の防災日は全く別の日に。
  3. この地震で日月潭が被害を受けなかったため現在ももっとにぎわっていた。
  4. 大安溪大峡谷は存在しない。
  5. 東日本大震災後の台湾からの支援がやや少なくなっていた可能性あり。
  6. ニンテンドウパワー用GBメモリカートリッジの発売が2000年3月1日に延期されることはなかった。