もしあの学校が○○だったら
独立項目[編集 | ソースを編集]
共学化されていなかったら[編集 | ソースを編集]
元男子校[編集 | ソースを編集]
北星学園大附属[編集 | ソースを編集]
- 今も校名は「北星男子」。
仙台育英[編集 | ソースを編集]
- 未だに甲子園常連校の域を出なかった。
- 女子陸上で名を馳せることはなかった。
- 女子の制服が今は亡き『プチセブン』の全国制服グランプリで1位の常連になることはなかった。
- 『プチセブン』の全国制服グランプリでは聖和学園が1位の常連校になっていた。
東北[編集 | ソースを編集]
- 東北といえば野球だけで、ゴルフやフィギュアスケートのイメージはない。
- サッカーは?
- 宮里藍とダルビッシュ有がCMで共演することはなかった。
中京大中京[編集 | ソースを編集]
- 今でも中京大中京といえば野球。
- 最近になってサッカーも。
- 男子フィギュアスケートだけ強化していたかもしれない。
- 浅田真央は姉と同じ東海学園に進んでいた。
- 村上佳菜子も。
元女子校[編集 | ソースを編集]
札幌山の手[編集 | ソースを編集]
- 花園に出場する南北海道代表はほぼ毎年変わっていたかもしれない。
- 函館大有斗の出場回数も史実より増えていた。
- 函館ラサールの初出場ももっと早かった。
- リーチマイケルの人生が大きく変わっていた。下手したら来日していたかも怪しい。
- 佐藤幹夫監督は母校である小樽潮陵で率いてたかも。
- 女子駅伝の強化に取り組み、札幌静修と熾烈な争いをしていたかも。
- 一方、男子駅伝は室蘭大谷の独壇場。
武修館[編集 | ソースを編集]
- 流石に武修館という校名にはならなかったはず。
- 釧路地区の高校アイスホッケーは公立ばかりが上位だったかもしれない。
- 2014年夏は釧路工が甲子園出場を果たしていた。
明成(宮城)[編集 | ソースを編集]
- 佐藤久夫は仙台高校バスケ部HCを退いた後は東北学院高校バスケ部のHCになっていた。
- 東北学院高校がインターハイやウィンターカップの常連になっていた。
- 明成は女子バスケにより力を入れていて史実以上に聖和学園と凌ぎを削っていた。
日出[編集 | ソースを編集]
- kis-my-ft2のうちは2人は堀越など別の高校に進学していた。
- 日本大学傘下に入ることもなかった。
至学館[編集 | ソースを編集]
- 現在でも校名は中京女子大。
- 「女子大」に男子が入学することが話題になることはなかった。
- Jポップのような校歌が話題になることはなかった。
渋谷教育学園渋谷[編集 | ソースを編集]
- 旧渋谷女子高等学校を事実上の前身とするためここに記載しております。
- =「渋谷教育学園幕張が失敗していたら」。
- 現在でも私立進学校の大半は男女別学だった。
奈良女子大附属[編集 | ソースを編集]
- 戦後の学制改革で共学化。
- 「女子が付くのに男子がいる」ということにはならなかった。
済美(愛媛)[編集 | ソースを編集]
- 「やればできるは魔法の合言葉」の校歌は世に知られる事はなかった。
- この校歌が作られることもなかった。
- 松山商業、今治西の甲子園出場回数が各2回づつ増えていた。
- 21世紀に入ってからも松山商業が夏の甲子園の常連となっていた。
- 愛工大名電がセンバツ2連覇を成し遂げていた。
- 上甲正典は宇和島東監督を退いた後、家業である薬屋の経営に専念していた。
- 2004年の決勝は駒大苫小牧-中京大中京
- この年の決勝のテーマは「愛知県勢春夏連覇か、北海道勢初優勝か?」になってた。
- 駒大苫小牧-千葉経大付だった可能性もある
- 高校サッカーでは小松、松山北の冬の国立出場回数が各1回づつ増えていた。
- 堀川恭平のジェフ入りはなかった。
- 安樂智大は愛媛の他の学校か県外の学校に進学していた。
- 2017年夏の満塁ホームラン返し、2018年夏の逆転サヨナラ満塁ホームランは生まれなかった。
- お笑いコンビ「ティモンディ」は結成されなかった。
神村学園[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島実と樟南の夏の甲子園出場が1回ずつ増えていた。
- 鹿児島の高校野球といえば未だに鹿児島実業、鹿児島商業、樟南(旧鹿児島商工)だった。
- 2005年選抜の決勝戦は愛工大名電-沖縄尚学。
- または羽黒が山形県勢初の決勝進出を果たしていた。
- 能代商が神村学園に勝利することはなかった。
- 秋田の夏の甲子園連敗記録が続いていたかもしれない。
- 高校サッカーは鹿児島実と鹿児島城西の2強だった。
学校別[編集 | ソースを編集]
聖和学園[編集 | ソースを編集]
小学校を運営していたら[編集 | ソースを編集]
宮城の聖和学園は現在、幼稚園、高校、短大を運営し、過去には中学校である吉田中学校も運営していましたが、小学校だけは運営したことがありません。もし、小学校も運営していたら?
- 戦後の学制改革とともに設立していた。
- 名前は聖和学園吉田小学校だった。
- 女子専門の小学校だった。
- 宮城県沖地震の余波で吉田中学校とともに運命を共にしていた。
智辯学園和歌山高校[編集 | ソースを編集]
野球部がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 箕島高校の凋落と共に和歌山全体のレベルも凋落していた。
- 南部、日高中津などの公立高校の野球レベルが上がっていた。
- 南部と市立和歌山商業の2強時代が来ていた。
- 粉河や笠田などの新鋭校も甲子園に出ていた。
- 桐蔭(旧和歌山中)や向陽(旧海草中)といった戦前に活躍した古豪の復活もあった。
- 桐蔭vs大阪桐蔭の対決もあった(こっちは公立だけど)
- 桐蔭vs桐蔭学園(神奈川県)も実現していた
- 桐蔭vs大阪桐蔭の対決もあった(こっちは公立だけど)
- 新宮市など南紀地方からの甲子園出場機会も増えていたと思われる。
- 高島監督は奈良の智辯学園の監督を続けるため、天理や郡山などの出場回数が減る。
- 智辯学園和歌山高校の全国的知名度は低いまま。
- 進学実績も低いまま。
- 和歌山の公立進学校もさることながら、岸和田高校などももう少しいい進学実績を出していた。
- 高校生クイズファンの間では多少は知られていた。
- 智辯学園も東大寺、西大和ら強豪がいる奈良を避けて、和歌山をクイズ専門校(?)として強化していたかも。
- 進学実績も低いまま。
- 私立では高野山や初芝橋本の出場機会が増えていたかもしれない。
- 2002年に奈良の智弁学園と対戦することはなかった。
- 後に智弁学園に統合された。
PL学園[編集 | ソースを編集]
野球部が存続していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実で他校に行っていた選手の一部が入学していた。
- 特に兄がPLのOBだったという安田尚憲と藤原恭大は確実に。
- そうなれば2017年の選抜で「大阪桐蔭-履正社」という大阪対決の片方がPLになっていた可能性も。
高川学園[編集 | ソースを編集]
多々良学園が引き継がれず消滅していたら[編集 | ソースを編集]
山口県から高校サッカー全国大会出場を続ける高川学園は、元々多々良学園と言う校名でした。しかし学校法人が破綻したため一時は存続の危機に見舞われたところでタカガワが手を差し伸べ、存続となり現在に至っています。 もし、スポンサーが見つからず消滅していたら…
- 山口は一気に激戦区となっていた。
- 山口県鴻城、西京が全国選手権初出場を果たしていた。
- 西京は2008年に選手権初出場を決めました。
- 一方、山口県勢は全国大会で苦戦を強いられる。
- 白井監督は全国からたくさんのオファーを受けていた。
- 野球部OBの高木豊がメッセージを送った。
- 「防府市への移転は何だったのか」と言われる。
- 特に最寄り駅を改築したJR西日本から。