もしあの市町村があの地域を編入しなかったら
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もしあの市町村があの地域を編入しなかったら 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
分割済み[編集 | ソースを編集]
- もしあの市町村があの地域を編入しなかったら/東北
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北海道[編集 | ソースを編集]
手稲町(現札幌市)[編集 | ソースを編集]
- 札幌オリンピックの一部競技は手稲山から変わっていた可能性あり。
- 政令指定都市移行も遅れていた。
- おそらく仙台より後だった。
- 札幌市の総人口に占める旧手稲町分の割合を考えると史実とあまり変わらなかったのでは。
- 地下鉄東西線は発寒南辺りで止まっていた。
- というよりか、琴似が終点のままで延長しなかった。
- 80年代には手稲市になっていた。
- 札樽自動車道の札幌西ICは手稲東ICになっていた。
- むしろ、もっと東側になっていた。
- 札幌運転免許試験場は曙に移転しない。
- でも結局平成の大合併で、札幌市か小樽市に編入された。
- 小樽市への編入は限りなく可能性は低い。平成に入り、手稲市の人口は小樽市のそれを上回る。
- 手稲記念館は造られなかった。
- 造られなくはなかったが、合併記念ではなく手稲村開基100年記念として建てられた。
- 手稲は札幌市のベッドタウンという位置づけが濃くなっていた。
- 旧琴似町域がそのまま西区になっていた。
豊平町(現札幌市)[編集 | ソースを編集]
- 人口40万人以上で北海道第二の市になっている。
- 旧豊平町はおおよそ現在の豊平区(約21.8万人)・清田区(約11.5万人)・南区(約14.2万人)の大部分だから、単純にこの3区の人口(いずれも2014年時点)を合計すると約47.5万人。現実には道内2位の旭川市よりも多かったとは…。
- 札幌市の政令市移行は仙台市と同時期くらいまで遅れていた。
- それでも仙台よりは早かったと思う。旧豊平町を除いても(人口約150万人で京都市などと同規模)、現・仙台市(約110万人)より人口は多い。
- 平成の大合併では現・清田区との結びつきが強い北広島市を編入し、豊平市は人口50万人突破を達成していたかも。
- もちろん、中核市にも指定され、道内には中核市が3市存在することに。
- 今でも定山渓鉄道が現役。
- 代わりに、南北線は幌平橋、東豊線(名称も東”豊”線ではないだろうけど)は豊水すすきのがそれぞれの終点になっていた。
- 両路線ともより北方向に延伸されている。
- 代わりに、南北線は幌平橋、東豊線(名称も東”豊”線ではないだろうけど)は豊水すすきのがそれぞれの終点になっていた。
- 札幌ドームは造られなかった。よって未だに北海道はプロスポーツ不毛の地と言われ続けた。
- 札幌ドームが存在しても東札幌駅跡地に建設された。
- 2002年のFIFAワールドカップの試合は、札幌の代わりに名古屋(豊田スタジアム)で開催。
- 札幌ドームが存在しても東札幌駅跡地に建設された。
- 現実には羊ケ丘にあるクラーク像は札幌の中心部からもっと便利な場所に建てられた。
- 定山渓温泉は道都・札幌市内ではないため、知名度・観光客数ともに現実よりもだいぶ低かった。
- 定山渓鉄道が存在していればそれなりの知名度にはなっていたかと。
- 北海道テレビの本社が、違う所(恐らく他局と同じ札幌市中央区)に置いていた。(実史は札幌市豊平区に本社を置いている。)
- 札幌市の市域面積は現実よりもはるかにコンパクトになっていた(旧豊平町域を除いた札幌市の面積は約400k㎡(実際の約1/3))。
札幌村(現札幌市)[編集 | ソースを編集]
- 面積がほぼ一致する現在の札幌市東区の人口は26万人だから、特例市、もしかしたら中核市になっていたかもしれない。
- それでも一応札幌市は東横名阪に次いで5番目の都市である。
- 同市を通る函館本線札幌~苗穂間に新駅ができていた。
- それでも東豊線は栄町まで延伸しているだろう。
白石村(現札幌市)[編集 | ソースを編集]
- おおよそ現在の白石区・厚別区の全域に相当。人口約33万人、面積約60k㎡の市に。
- 宮城県白石市との重複を避けるため、1960年代に「北白石市」として市制施行。
- 市名の定着により、JRの駅名も「北白石駅」に改称されていた可能性も。
- 2000年代に入り、中核市に移行。更にその後、旭川市の人口を上回り、全道2位の市になっていた。
- 宮城県白石市との重複を避けるため、1960年代に「北白石市」として市制施行。
- 札幌市の人口は160万人台となるが、それでも名古屋市に次ぐ全国第5位の地位は変わらず。
- 新札幌副都心は現在地とは別の場所で計画された。あるいは計画すらされなかった。
- 新札幌駅・新さっぽろ駅は開業していない。
- 千歳線のルート変更は行われず、旧線が現在も使われていたかもしれない。
- その場合は東札幌・月寒・大谷地の3駅が現存していることに。
- 代わりに東西線の大通~新さっぽろ間は開業していない。
- 高速道路の札幌JCT・札幌ICは「北白石JCT(IC)」または「白石JCT(IC)」として開業していた。
- 現在の札幌北ICが「札幌IC」を名乗っていた。
亀田市(現函館市)[編集 | ソースを編集]
- 函館市と亀田市の関係は旧静岡市と旧清水市のような関係になっていた。
- 亀田市は過疎化の進む道南では格式高い10万都市として君臨。なお函館市は21世紀の現在、人口15万人を割り込み、北海道5大都市は札幌・旭川・釧路・苫小牧・帯広に。当然、函館市は中核市どころか特例市にも指定されなかった。
- それでも戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町は函館市に編入されていた。
- 平成の大合併で亀田市は七飯町・大野町・上磯町と合併していたかもしれない。
- この場合、函館市の人口を上回り、亀田市が道南最大の市となっていたかも。
- 北海道新幹線は道南(新函館北斗)までの部分開業はなく、札幌全通まで待たなければならなかった。
- 現在の新函館北斗駅の駅名論争に亀田市も参戦、三つ巴の末に仮称通り「新函館」で落ち着いてたかも。
- 上のように大野が合併した場合はあっさり「新亀田」に決まったかも。
- 現在の新函館北斗駅の駅名論争に亀田市も参戦、三つ巴の末に仮称通り「新函館」で落ち着いてたかも。
- 渡島支庁(現渡島総合振興局)庁舎は五稜郭のまま。
湯川町(現函館市)[編集 | ソースを編集]
- 函館市は半島部分しか市域ではなくなる。
- この場合、函館は人口3万人クラスの小都市になっていた。
- 亀田市とほぼ同時期に市制施行。亀田市と湯川市は双子都市になっていた。
- 平成の大合併で3市を中心とした大合併が計画される。
- 昭和の大合併で銭亀沢村・戸井村・亀田村と合併し、半ば「外函館市」になっていたかも。
珸瑤瑁村(現根室市)[編集 | ソースを編集]
- 歯舞群島は現在でも珸瑤瑁群島と呼ばれていた。
- 珸瑤瑁村も一応北海道島にも村域がある。
- ソ連侵攻の際に、北海道島の村域が根室市に吸収され、群島は珸瑤瑁村のままだった可能性も。
永山町(現旭川市)[編集 | ソースを編集]
- 旭川市は中核市どころか特例市も怪しいレベルに。
- 昭和の時期に東旭川町・東鷹栖町・当麻町と合併していた。
- 上川支庁(現上川総合振興局)庁舎は7条通のまま。
富山[編集 | ソースを編集]
婦負郡4町村と上新川郡2町(現富山市)[編集 | ソースを編集]
- 婦中町の合併反対で富山市の合併が頓挫していた。
- 2008年に開業した婦中鵜坂駅は婦中町の駅となっている。
- もしかしたら、富山では大して合併が進んでなかったかも。
東岩瀬町・大広田村(現富山市)[編集 | ソースを編集]
- 2町村で合併して「岩瀬町」になっていた。
- 和合町も呉羽町も水橋町も合併が平成になるまで遅れていた。
- 平成の大合併で合併しなかった場合、富山ライトレール(現富山地方鉄道富山港線)が富山市外も走っていた。
- 富山港線のライトレール移管時にここが反対していたら面倒なことになっていた。
水橋町(現富山市)[編集 | ソースを編集]
- 平成の大合併直前の海に面した町が朝日町と入善町の他にも存続していた。
- 滑川富山バイパスの富山東PAは水橋PAになっていた。
新湊市(現射水市)[編集 | ソースを編集]
- 下村を編入していた。
- 編入だと平成の大合併で富山県内唯一の編入合併になる。
- 射水市は海に面していない市になっていた。
- 上手くいけば万葉線と富山ライトレールを繋げる構想が出来ていたかも。
- 新湊市独自の苗字ランキングができていた。
- 同市独特の珍しい苗字が上位に食い込んでいる。
- 射水は中枢中核都市になれなかった。
立山村(現立山町)[編集 | ソースを編集]
- 当然、雄山町は改名していない。
- 立山はいびつな村になっていた。
- それでも観光地としてやっていけるはず。
- 五百石駅は雄山駅に改称されているため1970年に戻されることはなかった。
戸出町・中田町(現高岡市)[編集 | ソースを編集]
- 戸出町は戸出七夕まつりが行われる町として注目されていた。
- 高岡南高校は戸出高校になっていた。
- 高岡法科大学は戸出法科大学になっていたのだろうか。
- 中田町は平成の大合併で砺波市になっていたかもしれない。
牧野村(現高岡市)[編集 | ソースを編集]
- おそらく新湊町に編入されなければ高岡市になることはなかっただろう。
- 射水郡の北部の村として自立していた。
- 中新湊駅を牧野駅に改称しようという声が出ていた。
- 平成の大合併で射水郡の北部だけで合併して新湊市になっていた。
- 南部は射水市そのままか「小杉市」になっていたかもしれない。
石川[編集 | ソースを編集]
1956年に小松市に編入された4村[編集 | ソースを編集]
- 4村で合併し、「南能美町」になっていた。
- 廃止された尾小屋鉄道の路線はこの町を通っていた。
- その後は平成の大合併で小松市になっていた。
白山麓1町5村(現白山市)[編集 | ソースを編集]
- この6町村が合併して「白山町」ができていた。
- 松任市は美川町と合併しても改名しなかっただろう。
- 鶴来町はいずれかのタイミングで松任市か金沢市に編入されていたかも。
- それ以外の5村は結局どことも合併できなかった。
- この場合5村で一つの村になっていたかもしれない。
- それ以外の5村は結局どことも合併できなかった。
- 鶴来町はいずれかのタイミングで松任市か金沢市に編入されていたかも。
- 松任警察署と鶴来警察署の合併もなかった。
塩屋村(現加賀市)[編集 | ソースを編集]
- 合併しなければ鵜殿村よりも面積が小さい村だった。
- 過疎化が進んでいなかったかも。
- そして2005年に山中町とともに加賀市になった。
倶利伽羅村(現津幡町)[編集 | ソースを編集]
- 倶利伽羅駅と名が一致する村として自立していた。
- いずれにせよ平成の大合併で津幡町と合併するだろう。
- 道の駅「倶利伽羅 源平の郷」はこの村にある。
能登島町(現七尾市)[編集 | ソースを編集]
- 能登島を代表する自治体として自立していた。
- 水族館にジンベエザメがいる町となっていた。
蛸島村(現珠洲市)[編集 | ソースを編集]
- 廃止されたのと鉄道能登線の終着駅がある村と勘違いする人が出てきた。
- タコが捕れる村としてタコの町おこしが起きる。
- 平成の大合併で珠洲市に編入合併される。
福井[編集 | ソースを編集]
三国町・丸岡町(現坂井市)[編集 | ソースを編集]
- この2町が合併に加えなかったら「春坂市」が誕生していた。
- 三国町はあわら市になっていた。
- 丸岡町は福井市になるか単独で残るかもしれない。
- 大阪の堺市とまぎらわしくなることはない。
名田庄村(現おおい町)[編集 | ソースを編集]
- 福井県最後の村になっていた。
- 大飯町は平仮名に改名されることはない。
岐阜[編集 | ソースを編集]
揖斐郡5村(現揖斐川町)[編集 | ソースを編集]
- 谷汲村は単独で自立し、他の4村は1村を新設していた。
- 筑北村の合併で麻績村が断っていたように谷汲村は法定合併協議会から離脱していた。
- 揖斐川町はあんなにでかくなることはなかった。
- 人口密度最下位は藤橋村のままで、檜枝岐村はさほど有名にならなかった。
武芸川町・洞戸村・板取村(現関市)[編集 | ソースを編集]
- 関市がV字型になることはなかった。
- 3町村で合併していた。
- 武儀郡は今でも存続している。
兼山町(現可児市)[編集 | ソースを編集]
- 可児市に飛び地はもちろんできていない。
- 2017年現在、日本の町の中で3番目に人口が少ない町になっていた。
- 最終的に御嵩町に編入された可能性も。
石徹白村(現郡上市)[編集 | ソースを編集]
- 1958年まで福井県にありました。
- それでも大野市編入はないだろう。
- 福井県に属する村だが、岐阜県とのつながりも深いので北濃駅~石徹白村~九頭竜湖駅のバス路線があった。
神坂村(現中津川市)[編集 | ソースを編集]
- 1958年まで長野県にありました。
- 島崎藤村の生誕地である村として自立。
- 当然、山口村も中津川市に編入されず平成の大合併で越境合併がない。
- 神坂村も山口村と共に南木曽町に編入されるだろう。
静岡[編集 | ソースを編集]
安部郡六村(現静岡市葵区)[編集 | ソースを編集]
- 六村で一町を作っていた。
- しかし役場は静岡市内になる。
- と言っても井川村は合併に反対し梅ヶ島と大河内と玉川で、大川と清沢で合併したかも。
- 井川村は本川根町と合併していた。
- 下手したら町にすらなれないかも。
- 過疎化でひどいことに・・・
- 結局2006年ごろに蒲原町と一緒に静岡市に入っていた。
- 合併しなかったら静岡市民は「浜松は山奥まで編入して作ったエセ政令指定都市」と見下す。
天竜市以北(現浜松市天竜区)[編集 | ソースを編集]
- 浜松市の面積は半分ぐらい減り、格段に人口密度が増える。
- 静岡市と浜松市はもっとけんかする。(けんかしないで欲しい)
- 北区の面積が前より目立つ。
- 静岡県にはまだ村がある。龍山村。
- 区の人口ワースト1位は美原区。
- 人口密度のワースト1位は札幌市南区
- なぜかよう知らんが静岡市が安倍郡六村を切り離す。
- 県庁所在地クラスの市が市域の一部を切り離すなどという事態はよほどの場合でない限り考えにくい。
- 現実にあった市町村の分立は戦時に行われた強制統合の解消や市制施行のためのアリバイ作りといったそれ相応の理由に基づくもの。
可美村(現・浜松市南区)[編集 | ソースを編集]
- 府中町と同じように周囲に囲まれたままの市町村として残る。
- 1992年に町制施行し、可美町になった。
- 結局2005年ごろに浜松市に編入されていたらしい。
戸田村(現・沼津市)[編集 | ソースを編集]
- 静岡県最後の村になっていた。
- いずれは戸田村は伊豆市に合併されていた。
- 現在は沼津市から直接行けるバスは通っていない。
大平村(現・沼津市)[編集 | ソースを編集]
- もちろん大平が沼津の飛び地扱いされることはなかった。
- 沼津市と三島市は隣り合ってなかった。
- 後に三島市が合併していた場合を除く。
吉原市・鷹岡町(現・富士市)[編集 | ソースを編集]
- 富士市は小さく、特例市にも指定されていない。
- 平成の大合併で鷹岡町は吉原市に編入された。
内浦村・西浦村(現・沼津市)[編集 | ソースを編集]
- 沼津市はいびつな形にならなかった。
- 昭和の大合併でこの2村+戸田村で合併していた。
- その後、平成の大合併で伊豆市になっていた。
- 沼津市は史実ほどラブライブ!サンシャイン!!に力を入れなかった。
- 代わりに内浦村(または伊豆市)が史実の沼津市以上に力を入れていた。
愛知[編集 | ソースを編集]
名古屋市周辺[編集 | ソースを編集]
- 守山市(現名古屋市守山区)
- 滋賀県守山市は、近江守山市となっていた。
- あるいは「湖南市」。現在ある湖南市の方は「南近江市」あたりになっていた。
- 新守山駅ではなく守山駅だったかも。
- 琵琶湖線の守山駅は近江守山駅に
- ゆとりーとラインは開通していない。
- 市内の移動手段は名鉄バス。名古屋市バス大森営業所は存在しなかった。
- 守山自衛隊前駅は、守山市駅のまま。今でも有人駅。
- 平成の大合併で尾張旭市を吸収していたか、春日井市に吸収されていた。
- 名鉄瀬戸線小幡-喜多山付近は2000年頃までに高架化される。
- 鳴海町・有松町・大高町(現名古屋市緑区)
- 市制施行をしていた。
- いや、大高町は東海市、有松町は豊明市に合併しているかもしれない。
- 桜通線の終点は野並のまま。
- 平成の大合併で一つの市になっていた。
- 市名がとんでもないことになっていた気がしてならない…。
- ここみたいなことになってたかもな。
- 市名がとんでもないことになっていた気がしてならない…。
- 高速1系統は開設されなかった。
- 代わりに名鉄バスが似たような路線を走らせていたかもしれない。
- 愛知町(現名古屋市中村区・中川区)
- 市制施行をしていた。
- 県庁所在地とよく間違われていた。
- 位置から考えると、名古屋市の拡大方向が大きく変わりでもしない限りいずれは飲み込まれていただろう。
- 天白村(現名古屋市天白区)
- 平成の大合併あたりで日進市と合併していた。
- それ以前に上記の鳴海町と合併していた気がしなくもない。
- それでも運転免許試験場の移転は史実通り。
- 鶴舞線は八事までの建設にとどまり、それ以東は名鉄豊田線になっていた。
- 車庫の場所も変わっていた。
- これでも桜通線野並駅は出来ていると思う。現実の赤池駅のように。
- 徳重(名古屋芸大じゃない方)延伸はなかった。
- 名古屋市バス野並営業所は存在しなかった。
- 猪高村(現名古屋市名東区と千種区の一部)
- 市制施行していた。
- 名古屋ICは猪高ICになっていた。
- もしくは、猪高長久手IC
- 東名と名神の境界を勘違いする人はいなかった。
- 東山線は今も星ヶ丘が終点。
- 藤が丘工場が存在しないので、池下車庫が健在。
- 長らくの間名鉄バスが主流になるが、平成に入って史実の東山線のルートにリニモが建設される。
- 東山線の延長として「愛知高速鉄道」を設立。大株主は愛知県と名鉄か。'80年代までに建設した場合,リニモではなくこうなったかもしれない。星ヶ丘-八草間は高針経由。沿線はもう少し発展している。
- 名古屋市バス猪高営業所は存在しなかった。
- 御器所営業所は分所に降格されなかったか、別の分所になっていた。
- 名鉄(バス)の営業所かもしれない。名鉄バスの稼ぎ頭になっている。
- 市営バスの営業成績が史実より悪化していた。
- 御器所営業所は分所に降格されなかったか、別の分所になっていた。
- 上記の守山市・長久手町・天白村・鳴見町と合併して「名東市」が誕生したかも。
明治村(現安城市、西尾市、碧南市)[編集 | ソースを編集]
- 県外の人から「博物館はないの?」と突っ込まれる。
- 米津駅には博物館明治村はここにはありませんという看板が立てられていた。
- 淵辺村の再改名が検討される。
鳳来町(現新城市)[編集 | ソースを編集]
- 南設楽郡は今でも存続。
- 鳳来寺がある町としてイメージが高まる。
篠島村・日間賀島村(現南知多町)[編集 | ソースを編集]
- おそらく現在も独立独歩を続けている島の村になっている。
- 内海高校の篠島分校と日間賀島分校は開校していない可能性がある。
- サンサンビーチ(篠島村)、サンライズビーチ、サンセットビーチ(2つとも日間賀島村)という海水浴場がある村として注目されていた。
三重[編集 | ソースを編集]
久居市以南(現津市)[編集 | ソースを編集]
- 久居市は一志町と白山町と合併をして新・久居市になった。
- 美杉村は合併せず、自立の道を選んでいた。
- この結果、三重県にもまだ村がある。
鵜殿村(現紀宝町)[編集 | ソースを編集]
- 鵜殿村は今でも日本一小さい村のままだった。
- 舟橋村は日本一小さい村になることはなかった。
- 北中城村は日本一人口密度の高い村になることもなかった。
- それにしても鵜殿村は人口が増えてきそうだな。
- 上記の美杉村と同じく三重県に村が残っている。
鳥取[編集 | ソースを編集]
平成の大合併で鳥取市に編入された8町村[編集 | ソースを編集]
- 鳥取市は県庁所在地の中で人口が増えることがあまりに少なかった。
- 別々で合併していた。
- 福部村は岩美町と合併していた。
- 気高郡の3町は新・気高町になっていた。
- 八頭郡の河原町と用瀬町と佐治村で合併していた。
- この中で合併しないのは国府町である。
島根[編集 | ソースを編集]
平田市(現出雲市)[編集 | ソースを編集]
- 出雲市が松江市と隣接することはなかった。
- 2011年に斐川町と合併していた。
- 平田市駅は雲州平田駅に戻されることはなかったはず。
岡山[編集 | ソースを編集]
岡山市のうち1969~1975年に編入された地域[編集 | ソースを編集]
- 西大寺市・一宮町・津高町・高松町・吉備町・妹尾町・福田村・足守町・上道町・興除村・藤田村です。
- 岡山市は中核市程度の規模だった。
- 「都窪市」「吉備市」が出来ていた。
- 西大寺市は財政再建団体落ちしていた。夕張の時に「第二の西大寺」などといわれていた。
- 灘崎や建部、御津、瀬戸は岡山市にならなかった。
- 灘崎は玉野と、瀬戸は赤磐と合併していた。建部、御津は単独。
- 建部は津山になっていたかもしれない。
- 瀬戸が赤磐市になっていた場合、赤磐市はひらがなで「あかいわ市」になっていた。
- 灘崎は玉野と、瀬戸は赤磐と合併していた。建部、御津は単独。
- 現在の瀬戸内市の部分は西大寺市に編入されていた。
甲浦村(現岡山市)[編集 | ソースを編集]
- 岡山市に飛び地が発生することはなかった。
- 小串村と合併して町制施行していた。
- 甲浦中学校は光南台中学校に改称されることはなかった。
- 平成の大合併で玉野市に編入されていた。
玉島市・児島市(現倉敷市)[編集 | ソースを編集]
- 倉敷市の規模は特例市程度となっていた。
- 玉島駅が新倉敷駅に改称されることはなかった。
- 新幹線が倉敷駅に乗り入れることになっていたかもしれない。
- 倉敷市は今ほどバラバラになっていない。
- 現在の浅口市の部分は玉島市に編入されていた。
福田町・連島町(現倉敷市)[編集 | ソースを編集]
- この2町が合併して「水島市」が発足していた。
- その後は倉敷市に玉島市と児島市とともに合併したか平成の大合併で編入された可能性が高い。
茶屋町(現倉敷市)[編集 | ソースを編集]
- 町名の読み方が「ちょう」から「まち」に変わっていたかも。
- そのため岡山県の町で唯一「まち」と読む自治体があった。
- その後は平成の大合併で岡山市に編入された可能性も。
庄村(現倉敷市)[編集 | ソースを編集]
- 町制施行はせず、そのまま村制を継続していた。
- 倉敷市のベッドタウンをして自立していた。
- 平成の大合併で総社市と合併していた。
川上村・八束村(現真庭市)[編集 | ソースを編集]
- 2村で合併して一つの村になっていた。
- 蒜山地域なので村名は「蒜山村」になっていた。
- 美作の一番北部にある村として自立していた。
広島[編集 | ソースを編集]
五日市町(現・広島市佐伯区)[編集 | ソースを編集]
- 市名は当然五日市市。
- 時折東京都にあると勘違いされる。
- 10万人を突破した頃に市制施行する。
- 広島市の人口は110万程度になっていた。
- 100万都市になるのが遅れていた。
- 逆に府中町、海田町、熊野町、坂町の編入合併に力を入れていた。
- 平成の大合併で熊野と海田が、2012年ごろに坂と府中がそれぞれ編入される。
- JR五日市駅も当然広島市内の駅から外れていた。
- その後、湯来町を編入していた。
- 隣の旧廿日市町も史実通りに単独市制施行。
- または五日市市に合併されていた可能性も。
- 旧宮島町も合併できていた場合は「宮島市」が実現していた。
- 取り逃がしていたら「安芸佐伯市」あたりに。
- または五日市市に合併されていた可能性も。
- 広電佐伯区役所前駅は五日市市役所前駅になっていた。
- それか、広電五日市と紛らわしいので海老園とか。
- 西風新都が狭くなっていた。(石内の分だけ)
- 西風新都は広島市の事業なので。
- 市外局番が0829のままだったかも。
- 開園当時、広島市外の施設だった植物公園は永遠に広島市外のまま。
- 五日市市のみを管轄する警察署が20世紀のうちにできていた。
- 名称は「安芸五日市署」になっていた。
- チャンネルUはふれあいチャンネルに併合されることなく存続。
- 単独で廿日市市にもエリアを拡大していた。
- その一方で広島市内でのケーブルテレビ局一本化ももっと早まっていた。
- コイン通りの観光PRがもっと派手になっていた。
- 特に平成合併でよその自治体を取り込めていなかったらろくな名所がないためさらに必死さが増す。
- 五日市コミュニティ放送は閉局しなかったかもしれない。
- HFM、FMちゅーピー、エフエムはつかいちとの食い合いになるのは史実通りなのでまず生き残れた気がしない。
- 地元民話の登場人物「あまんじゃく」をゆるキャラや市のサービスの名称など様々な場面で押し出していた。
- イラストマンホールにも採用されていたかもしれない。
- ここ在住の読書家(自家用車あり)は五日市市(推定5冊まで貸出可)と廿日市市(8冊まで)の図書館を両方使うのが普通。
- 広島市図書館はやや距離があるため普段は利用しない。
- 「五日市市立図書館」のラインナップは現実の佐伯区図書館よりは充実していたはず。
- 市自体の存在感は希薄。
- 地元の大企業もなく名所もない。
- Chakuwikiで「鶴学園(広島工業大学などを運営する学校法人)が市政に影響力を持っている」と噂される。
高陽町(現・広島市安佐北区)[編集 | ソースを編集]
- 現在以上に積極的にニュータウンを誘致しており西の千里などと言われている。
- 少なくとも市名は高陽市
- その後白木村なども編入。
- そしてニュータウン開発…
- それを言うなら「白木町」(「白木」という名称は1956年の新設合併による町制施行時が初出)。
- 高田郡の編入具合によっては「安芸高田市」が成立しなかったかもしれない。
- 当時の広島市の姿勢を考えると、代わりに安芸郡や佐伯郡の町村の吸収を目指す動きがさらに活発化していた。
- うまくすれば芸備線の広島~志和口間は電化されていた。
矢野町(現・広島市安芸区)[編集 | ソースを編集]
- 広島市に飛び地が発生することはなかった。
- もしかすると平成の大合併で周囲の安芸郡3町と合併していたかもしれない。
- 海田町が財政問題や広島市への合併の可能性のせいでもめて結局白紙になっている気がする。
安古市町・佐東町(現・広島市安芸南区)[編集 | ソースを編集]
- 可部線の広島市内の適用は下祗園のまま。(実際すでにこの2町をはさんで広島市域にあった中島 - 小河内は除外されていた)
- その場合山陽本線広島以東は天神川しか適用されない(海田市と向洋が広島市外にあるため)
- 緑井行きが設定されない。
- アストラムラインはどうなっていただろうか。
因島市・瀬戸田町(現・尾道市)[編集 | ソースを編集]
- 2市町で新・因島市になっていた。
- または構想である「しまなみ市」になっていた可能性もある。
- 連続テレビ小説『てっぱん』の舞台が1つ増えていた。
- 話の内容からすると因島まで出すと広島県側がかなり無理のある設定になりかねない。
- 新しい市の歌は確実に当地出身のポルノグラフィティが作っている。
鞆町(現・福山市)[編集 | ソースを編集]
- 鞆鉄道の代表自治体として存続していた。
- 鉄道の廃止は史実通りだが町内には鞆鉄道のバスが走っている。
- 2005年には沼隈町と一緒に福山市に編入されていた。
山口[編集 | ソースを編集]
1944年に徳山市と合併した7町村[編集 | ソースを編集]
- 櫛ヶ浜町以外の6町村が1955年に和田村と合併して「南陽市」になっていた。
- 山形県南陽市は「赤湯市」になっていた。
- 櫛ヶ浜町は下松市と飛び地合併をしていたかもしれない。
- 周南市は誕生しなかったかもしれない。
平成の大合併で萩市と合併した阿武郡2町4村[編集 | ソースを編集]
- 須佐町は阿武町と合併していた。
- 阿武郡4村は合併して新・むつみ村になっていた。
- この場合、平仮名の村名が消えることはない。
- 田万川町は島根県益田市と越境合併していたか?
見島村・六島村(現萩市)[編集 | ソースを編集]
- 六島に無人島ができることは変わらず。
- しかし今も島を有人にしようとする声が出る。
- 萩市民に島においでよと言い出す。
- 見島には今でも本村と宇津の大字がある。
小郡町 (現山口市)[編集 | ソースを編集]
- 山口市は全国で最も人口が少ない県庁所在地のままだった。
- 阿知須町と合併して周防小郡市として市制を施行したかもしれない。
- 新山口駅は小郡駅から改称されなかった。改称が実現したとしても、折衷案として新山口小郡駅が採用され小郡の名は残る。
佐山村(現山口市)[編集 | ソースを編集]
- ユニクロの企業城下町として栄えていた。
- 戦前同じ自治体であった阿知須町と合併をしていた。
- 但し明治の合併で阿知須から佐山が分立したことを考えると地位が逆転していたことになる。
- 市制施行していたら、埼玉県狭山市との同名回避で周防佐山市か山陽佐山市になっていた。
- 山形市と山県市があるのをみるとそのままでは。
徳島[編集 | ソースを編集]
羽ノ浦町・那賀川町(現阿南市)[編集 | ソースを編集]
- 平成の大合併以前にあった徳島県の市は全く合併していない。
- 2町で合併しようとしても反対多数で破談していた。
- 那賀町と那賀川町があることとして和歌山県の有田市と有田川町、日高町と日高川町みたいになっていた。
香川[編集 | ソースを編集]
与島村(現坂出市)[編集 | ソースを編集]
- 香川県唯一の村になっていた。
- 与島に駅を設置すべきという声が上がっていた。
- 瀬居島と沙弥島が埋め立てで陸続きになったので岡山県への編入はないと思われる。もし実現していたら岡山県は四国にも領土をもつことになる。
高知[編集 | ソースを編集]
西土佐村(現四万十市)[編集 | ソースを編集]
- 中村市は改名していないため、四万十市と四万十町が混同することはない。
十和村(現四万十町)[編集 | ソースを編集]
- 高知県に「そん」と読む村が今でも存続していた。
物部村(現香美市)[編集 | ソースを編集]
- 高知県から郡が消滅することはなかった。
- そのため沖縄県の他にも郡が消滅したことがない県が存在することになる。
- 香美市は土佐山田市と名乗っていたかも
福岡[編集 | ソースを編集]
朝倉町(現朝倉市)[編集 | ソースを編集]
- おそらく朝倉郡の中心地として自立していた。
- 甘木市は杷木町と合併しても改称しなかっただろう。
- 鉄道の終点がある程度、知名度が高い市になっていた。
山田市(現嘉麻市)[編集 | ソースを編集]
- 人口1万人割れの市が北海道以外にも存在するようになる。
- 北海道を除き一番人口の少ない市になっていた。
- 『山田県立山田小学校』の舞台は「山田県山田市」になっていたかもしれない。
長崎[編集 | ソースを編集]
高島町(現・長崎市)[編集 | ソースを編集]
- 議会嫌いで、リコール解職された元阿久根市長がこの地に着目。当選後、議会を解散し、宇津木村以来の町民総会自治体に移行させ、自己の理想の行政を行う。
- 欧州の極右旋風に影響され、離島のみで構成という地勢柄「平成の出島」的に国外移住者を集中させる自治体候補となる。
- ひょっとしたら伊王島町と合併していたかも。で新設合併という形を取り自ら村に降格する。
宮崎[編集 | ソースを編集]
平成の大合併で宮崎市に編入された宮崎郡3町[編集 | ソースを編集]
- 田野町と清武町で「西宮崎市」が成立していた。
- 旧佐土原町長のとじき正が宮崎市長になることはなかった。
東米良村(現西都市、木城町)[編集 | ソースを編集]
- 木城町は村のままだった。
- 未だに合併することはないだろう。
上野村(現高千穂町)[編集 | ソースを編集]
- 高千穂町に囲まれた村になっていた。
- それでもこの村の小学校は中学校に併設される。
鹿児島[編集 | ソースを編集]
谷山市(現鹿児島市)[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島市は特例市程度の規模だった。
- 鹿児島県内第2位の都市になっていただろう。
- もしかしたら谷山市内に鹿児島本線の新駅が設置されていたかも。
- 平成の大合併で松元町と喜入町を編入していた。
伊敷村(現鹿児島市)[編集 | ソースを編集]
- 町制施行していた。
- 上記の谷山市を編入しなくても鹿児島市はバラバラになっていない。
- 平成の大合併で鹿児島市との合併を視野に入れるものの結局拒否してしまう。
- 2000年代に市制施行して「伊敷市」となっていた。
- 鹿児島市のベッドタウンとしての位置に落ち着いていた。
東桜島村(現鹿児島市)[編集 | ソースを編集]
- 1973年に西桜島村と同時に町制施行していた。
- 桜島町は「西桜島町」になっていた。
- 当然、鹿児島市に飛び地はできていない。
- 平成の大合併で桜島町ができていた。
甑島列島4村(現薩摩川内市)[編集 | ソースを編集]
- 4村が合併して「甑島村」ができていた。
- 藺牟田瀬戸架橋の計画が早まっていた。
沖縄[編集 | ソースを編集]
首里市(現・那覇市)[編集 | ソースを編集]
- 沖縄県の県庁所在地は首里に戻っていた可能性がある。
- 那覇と首里の人口は同じくらいになっていた。
- 中核市指定はされていなかったか、那覇市の人口が20万人を超えていれば2016年以降にずれ込んでいた。
- 首里市の代わりに1957年に真和志市とともに豊見城村が編入されていたかもしれない(史実でも編入計画があった)。
- 「首里警察署」が設置され、首里市と西原町、南風原町を管轄していた。
- 2021年に市制100周年を記念して那覇市と共同で記念事業をやっていた。
- ゆいレールの記念ラッピングは1両目が那覇市誕生100周年、2両目が首里市誕生100周年という内容になっていた。
真和志市(現・那覇市)[編集 | ソースを編集]
- 史実のように首里市が那覇市に編入合併されていた場合、首里地区は那覇市の飛地となっていた。
- 那覇新都心は那覇真和志新都心となっていた。
- おもろまちの範囲には史実では元から那覇市に属している字上之屋と泊のそれぞれ一部が含まれているので、真和志市おもろまちはその分狭くなっていた。
小禄村(現・那覇市)[編集 | ソースを編集]
- 市制施行していた。
- 那覇空港は那覇市外になっていた。
- 首里市や真和志市を編入しなかったら那覇市は中核市になれなかった。
石川市及び中頭郡2町(現・うるま市)[編集 | ソースを編集]
- 中頭郡の2町は「うるま町」になっていたかも。
- 与那城町と勝連町が合併しても人口が3万弱なので市制施行はできない。
- うるま町ではなく与勝町になる可能性が高い。
- 石川市は「石川県ではなく沖縄県にある石川市」でネタになっていた。
屋我地村(現・名護市)[編集 | ソースを編集]
- 屋我地島の全域とする自治体として自立。
- 奥武島は屋我地村に入るか名護市に入るかのどちらかの二択になっていた。
久志村(現・名護市)[編集 | ソースを編集]
- かの有名な辺野古を擁しているので、久志村長選が沖縄県知事選と並んで全国的に注目されていた。
- 名護市は太平洋に面していなかった。
- 沖縄高専は日本で唯一村に位置する高専だった。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- もしあの地域が他の市町村に編入されていたら
- もしあの市町村が誕生していなかったら(そもそもその市町村が誕生しなかった場合はこちらへ)