もしあの市町村があの地域を編入しなかったら/東北

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もしあの市町村があの地域を編入しなかったら > 東北


青森[編集 | ソースを編集]

浪岡町(現青森市)[編集 | ソースを編集]

  1. 合併反対が多かった為、新たな青森市は新設されなかった。
  2. 青森市は代わりに平内町を編入していたかも。

金木町・市浦村(現五所川原市)[編集 | ソースを編集]

  1. 中里町と小泊村と合併して「十三湖町」が誕生していた。
    • 『十三湖町』は、北津軽北部4町村が合併して誕生した町になっていた。
  2. 当然、「中泊町」という飛び地の自治体なんてできない。
    • 五所川原市にも飛び地ができていない。
      • 上に書いた『十三湖町』が誕生したら、北津軽南部の3市町の平成の大合併の無い市町になっていた。

岩手[編集 | ソースを編集]

都南村(現盛岡市)[編集 | ソースを編集]

  1. 東北第2の経済都市は名実共に郡山市で決着がつき、盛岡市が北東北の中心都市としては扱われなかった。盛岡市は当然ながら中核市には指定されず八戸市と同列に扱われ、代わりに青森市が北東北中心都市の役割を果たした。
    • 青森市は現実よりも人口が減少しなかった。 
  2. しばらく「日本一人口の多い村」を売りにするが、2010年代に市制施行する。
    • 滝沢村は影が薄れるので、2000年代初頭に先に単独市制していたかも。

沼宮内町(現岩手町)[編集 | ソースを編集]

  1. 岩手町に囲まれている日本一小さな町になっていた。
    • それでも鵜殿村よりも小さくなっている。

小本村(現岩泉町)[編集 | ソースを編集]

  1. 北リアス線は岩泉町を通らない。
    • 小本駅は岩泉小本駅に改名しなかった。
    • JR岩泉線の存廃論議に影響が出た。
  2. 岩手北部の海岸部は田野畑、野田、普代、小本と小さい村が並んでいた。
  3. 岩泉町は海に面していない。

江刺市(現奥州市)[編集 | ソースを編集]

  1. 旧江刺郡の中心地とする自治体が残っていた。
  2. 水沢市は合併後も改名していない。
    • ほとんど「奥州」と呼ぶことは少なかった。

宮城[編集 | ソースを編集]

泉市(現仙台市)[編集 | ソースを編集]

  1. 仙台市営地下鉄を「仙台泉高速鉄道(仙台市50%、泉市50%出資)仙台泉線」として運営するハメになる。
    • 大阪市営地下鉄のように仙台市営のまま市外に延長していた可能性もある。
    • 史実でも黒松-八乙女は開業時は泉市だったので恐らく合併してなくても仙台市営だった。
  2. らき☆すたファンの聖地になっていた、泉こなたのせいで。
    • それはない。
  3. ユアスタが出来ずに、佐々木主浩メモリアル球場ができる。
  4. 当然1989年に仙台市が政令指定都市になることはなかった。
  5. 史実では未だ存在したことがない宮城県の中核市または特例市が存在する(またはした)ことになってしまう。
  6. 仙台市営バスの営業所のうち実沢営業所(七北田出張所含む)は宮城交通へ移管されているはず。
    • 従って泉市はもちろん仙台市北部も宮城交通になったはず…。
代わりに名取市を編入した場合
  1. 史実では1995年頃に名取市との合併協議があるものの名取市に拒否される格好となったが、一般市としての仙台市ならば協議に応じた可能性はある。
  2. その場合政令指定都市への移行は1997~1998年頃。千葉よりは遅れるがさいたまよりは早い。
  3. 仙台市営地下鉄が仙台空港まで延長。ただし北は八乙女止まり。
    • 史実ではできた仙台空港アクセス鉄道は当然出来ない。
      • 仙台市営地下鉄は東北本線に乗り入れていたかもしれない。
  4. 行政区は泉区が名取区になる以外は変わらない。
    • ただし秋保・生出地区が太白区ではなく名取区になる。
  5. 一方残った泉市は平成の大合併で黒川4町村を編入。30万都市の"大"泉市に。
    • 現泉区が20万、現黒川郡が8万だからこのくらいにはなるはず。
    • 同時にこのことは宮城県に少なくとも特例市、上手くいけば中核市が存在することになる。
    • 結果、石巻市はNo2から転落。
  6. 仙台空港は文字通り仙台市内に所在することになっていた。
  7. 仙台MAと岩沼MAが統合して共に市外局番022に。そのため岩沼市(0223)にかける際に市外局番が不要になっていた。
    • 堀内(現名取市)の市外局番が岩沼MAの0223のため。
  8. 史実では廃止された市営バス南仙台営業所(後に長町営業所所属南仙台出張所に降格)は今も健在。
    • 従って名取は今でも市バスがほとんどのはず。ただし岩沼に関しては宮城交通へ移管したと思われる。
代わりの編入を行わなかった場合
  1. 2000年頃にようやく人口80万人突破、2006年に堺市と同時期に政令指定都市昇格。
    • この場合小区役所制を採用していた可能性が高い。
      • 100万人を大きく下回る場合の政令市移行には必ずどっかとの合併が必須になることも忘れずに。強制的に100万人前後まで持っていくのか?
        • 秋保町。
          • このifでは泉市以外の宮城町と秋保町の編入はできたという仮定だから例としては不適切。
          • 現仙台市から泉市を抜くと(宮城町・秋保町を編入できたとしても)70万人くらいにしかならず、合併しないと平成の大合併まで政令市に移行することはできなさそう。
        • 可能性があるのは川崎町、村田町、富谷町のいずれか。60年代に仙塩地区の5市町村に断られ、80年代に泉市に断られ、90年代に名取市に断られたとなった場合仙台市が接している編入可能な県内市町村は上記3町のみになるから。
          • ただし富谷町の可能性は低い。泉区以外にも宮城野区にも接しているものの県民の森近辺のごくわずかであり事実上の飛び地に近いから。
            • それにそうでなくとも人口的に単独市制を目指そうとしているわけだろうし。
        • むしろ平成の大合併で、仙塩地区の5市町村、名取、岩沼、富谷、大和が、次々と仙台との合併を表明し、さいたま同様100万人突破での政令指定都市移行となっていた可能性も。すると(ここでは泉は編入されないという仮定だから)仙台市は完全に泉市を包囲することになり、「広島市とそっくり」と馬鹿にされる。
        • ここまで拒否られたら中新田町・小野田町・宮崎町と飛び地合併(色麻町離脱で3町合併したら村になるといわれた)する・・・か。
    • 仙台はほぼ間違いなく中核市を経験することになる。中核市移行はおそらく制度が成立した96年4月(制度成立とともに同時移行)。
    • 千葉市が国内の人口順位12位(1位は東京23区とする)を経験していた。
      • 現実には1988年まで13位→仙台の泉編入で14位転落→直後1989年堺市を抜き13位復帰→2001年さいたま市誕生で14位再転落→2014年北九州市を抜き13位に再復帰。つまり千葉市は一度も12位以内になったことがない。
  2. 仙台が有名にならないのでガメラ2で吹き飛んでいたのは松本市だったかも・・・
    • この場合レギオンの関東での出現も足利では無く高崎市か群馬県南部となる
    • 仙台は政令指定都市になれたので有名になったわけではない。
      • 前近代から東北最大の都市であった上、明治時代には政府により東北の拠点として位置づけられた。
      • さらに、歌謡曲「青葉城恋唄」や大河ドラマ「独眼竜政宗」などのヒットにより全国的に意識される機会も少なくなかったはず。
  3. 名取市を編入する場合とは違って仙台市の規模も周辺に脅威を与えるレベルではないだろうから、泉市も合併強行には踏み切らないだろう。
    • そのため史実同様石巻市のNo2は保たれる。

宮城町(現仙台市)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成に入って市制施行。市名は広瀬市or宮城市か。のちに塩竈市や多賀城市の人口を抜き、仙台のベッドタウンとしては名取市に次ぐ規模の都市に。
  2. 宮城町が仙台市に編入されない場合折立(仙台市)・郷六(宮城町)地域の市界がぐちゃぐちゃのままになる。
    • 場合によっては郷六のみ仙台市に編入ということも?
    • 郷六の部分編入もない場合は折立はほぼ間違いなく太白区になる。
      • 元々折立は茂庭地区であり旧集落ごとに行政区を決める原則に従うのならば太白区になるはずだった。
        • 史実では旧宮城町と一体化するという理由から青葉区になった。
  3. 市営バス白沢出張所(川内営業所所属)はJRバス東北か愛子観光へ移管されているはず。
    • 不採算路線が多いので宮城交通は引き取らないような…。
    • どちらが引き取るにせよ愛子発着が大半になると思われる。
  4. 作並地区は今のように寂れることはなかったと思われる。
    • 仙台市への編入で秋保・作並と一括りにされた結果秋保が栄えて作並が寂れたのは否めないから。

生出村(現仙台市)[編集 | ソースを編集]

  1. 町制施行は確実。
  2. 茂庭台が開発されたかは微妙。
  3. 仙台市営地下鉄東西線の延伸を求めていた。
  4. 仙台市民においでおいでやってる。
  5. おそらく電話番号が現在の022-281-FGHJではなくて、022-381-FGHJとなっている。
    • 元々生出地区は仙台の中心部とは違う市外局番(022381)を持っていて、80年頃に当時の仙台市内の市外局番統合の関係上0222-81(後に022-281へ)となった。
      • 生出村が仙台市に編入されない場合はおそらく86年の仙台MAの閉番号化まで仙台市と局番統一は行われなかったものと思われる。
        • ただし閉番号前でも塩釜市と多賀城市みたいに違う市町村でも市外局番が同じ(当時は02236)例もあるから0222に統一した可能性もなくはない。
  6. 結局は1987年に宮城町と一緒に仙台市に編入された。

館腰村(現名取市)[編集 | ソースを編集]

  1. 館腰駅開業と東北本線増発で仙台のベットタウンになっている。
  2. 仙台空港の玄関口を現在でも自称してそう。
  3. 平成の大合併では岩沼か名取でどちらと合併するかで揉めて破談。

浦戸村(現塩竃市)[編集 | ソースを編集]

  1. 浦戸諸島の自治体の一つとして宮城県内で人口が一番少ない村になっていた。
  2. 鳴瀬町(現東松島市)の宮戸地区から住民を呼び出しそう。
  3. 平成の大合併で塩竃市との合併を検討するが結局は存続を希望するはず。

金ヶ瀬村(現大河原町)[編集 | ソースを編集]

  1. 大河原町はかなり狭い形になっていた。
  2. 金ヶ瀬拡幅はもう少し長くなっていたかもしれない。

小原村(現白石市)[編集 | ソースを編集]

  1. 温泉やプールがあるレジャー施設の「スパッシュランドしろいし」は「スパッシュランドおばら」になっていた。
  2. 七ヶ宿町と合併を検討するが、仙南が次々と合併を破断していくためこちらも白紙になっている。
  3. 温泉街の村として自立していた。

石巻市と合併した桃生郡5町と牡鹿町[編集 | ソースを編集]

  1. 桃生郡の5町が合併し、「桃生市」が誕生していた。
    • 東日本大震災の発生後、女川町の被災者は桃生市に避難していたらしい。
  2. 牡鹿町は女川町と合併を視野にしていた可能性もある。

花山村(現栗原市)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成の大合併で宮城県内の村は全く合併していないことになる。
    • といっても、元々2つしかないんだが…
  2. 栗原郡は今でも存続している。
  3. 人口は既に1000人割れになっていたかもしれない。

山形[編集 | ソースを編集]

1955年7月~1963年9月に鶴岡市に編入された地域[編集 | ソースを編集]

  • 加茂町・豊浦村・上郷村・田川村・大山町です。
  1. 田川村と豊浦村と上郷村は加茂町に編入されていた。
  2. 鶴岡市は海に面していなかった。
    • なので加茂水族館は鶴岡市外になっていた。
  3. 2005年に鶴岡市に合併されることは現実的。

飛島村(現酒田市)[編集 | ソースを編集]

  1. 粟島浦村のように発展した村になっていた。
  2. 平成の大合併では合併に参加しなかった可能性がある。

南小国村(現小国町)[編集 | ソースを編集]

  1. 1960年に隣の津川村と合併して「南小国町」になっていた。
    • こうなれば史実の熊本県小国町と南小国町に似たような地域になっていた。
      • そして姉妹都市になっていたかもしれない。

福島[編集 | ソースを編集]

飯坂町(現福島市)[編集 | ソースを編集]

  1. 飯坂温泉を代表する町として自立していた。
  2. 福島交通飯坂線は福島市外も走っていた。
  3. 信夫郡は平成の大合併まで存続し、結局2008年頃には飯野町と一緒に福島市に編入されていた。

1965年に郡山市と合併した安積郡9町村及び田村町[編集 | ソースを編集]

  1. 福島県最大の経済都市(人口1位はいわき市だが)は福島市福島vs郡山の争いは現実ほどには盛り上がらなかった。
  2. 郡山には企業の支店が現実のようには置かれなかった。一方福島市は現実以上に人口が多く、中核市になれたかも。
    • 位置的にも人口規模的にも郡山市は栃木県における小山市のような存在の都市に。
  3. 熱海町と湖南村と田村町を除いて遅れて合併をしていたらしい。
    • 中田村は田村町に編入されていた。
      • その後は平成の大合併で3町村は郡山市に編入された。
      • 田村市が誕生しても田村町と同名で被っても大丈夫なのか・・・?
        • 釧路市と釧路町、大分市と大分町が隣り合って存在していたのだから大丈夫だろう。
        • 実質史実の田村市の中心街は田村郡の郊外(船引)なので、中心地である田村町・三春町あたりが合併して田村市を名乗っていた。
          • その場合、史実の田村市は船引市になっていた。

津島村(現浪江町)[編集 | ソースを編集]

  1. 浪江町が突き出ている形にならなかった。
  2. 東日本大震災発生後の人口は葛尾村と同じぐらいになっていた。
  3. 平成の大合併直前の福島県東部は飯館、津島、葛尾、都路、川内と海に面していない村が並んでいた。
    • 都路村が田村市になった場合を除く。
  4. DASH村はこの村にある。