もしあの市町村があの地域を編入しなかったら/甲信越
山梨[編集 | ソースを編集]
上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)[編集 | ソースを編集]
- 当然のこと平成の大合併で分割合併はない。
- 身延町に編入されたか、単独で残っていたかもしれない。
長野[編集 | ソースを編集]
1966年に長野市と合併した地域(現長野市)[編集 | ソースを編集]
篠ノ井市(現長野市)[編集 | ソースを編集]
- 「篠ノ井ってどこ?」といわれることはなかった・・・はず。
- 信更村を編入していた。
- しなの鉄道線は長野市を通らなかった。
- 平成の大合併で更埴市あたりと合併していた。
- もしかしたら合併に反対してたかも。
松代町・若穂町[編集 | ソースを編集]
- 2町で合併して「松代市」になっていた。
- 長野市のベッドタウンとしての位置に落ち着いていた。
- 長野電鉄河東線は全線廃止にならなかった。
- 上手くいけば長野電鉄河東線は木島平村まで延伸していた。
- そうなれば屋代から木島方面に向かう特急列車も制定されていたかも。
- 松代駅は1990年代ぐらいにはリニューアルされていたかもしれない。
- 上手くいけば長野電鉄河東線は木島平村まで延伸していた。
- その後は2010年ごろに信州新町と中条村とともに長野市に編入された。
川中島町・更北村[編集 | ソースを編集]
- 川中島は単独市制できるかどうかの怪しいレベルになっている。
- 更北村と合併して「川中島市」になっていた。
- 川中島駅に特急が停車できていたかもしれない。
- 上に書いてある篠ノ井市や松代市があった場合、七二会村が長野市に編入されたかどうか怪しい状態に。
大岡村(現長野市)[編集 | ソースを編集]
- 上記のように篠ノ井市が編入されなかった場合は、篠ノ井市とともに更埴市あたりと合併していた。
- 合併に反対して篠ノ井市に編入されたかも。
西箕輪村(現伊那市)[編集 | ソースを編集]
- 箕輪町と南箕輪村と合併して「箕輪市」が誕生していた。
- 日本の村に唯一の国立大学は存在しなくなる。
- ゆるキャラのまっくんが「日本でいちばん人気のないキャラクター」を名乗ることはなかったはず。
- 2017年現在、長野県内で一番人口が多い村は松川村である。
丸子町・武石村(現上田市)[編集 | ソースを編集]
- 長門町と和田村と合併して「依田窪市」が誕生していた。
- 長野県内に鉄道の通らない市が出来ていた。
- もちろん「長和町」は誕生しない。
鼎町(現飯田市)[編集 | ソースを編集]
- 一自治体に囲まれた町が府中町以外にも存続していた。
- 飯田OIDE長姫高校にはおそらく「鼎」の文字が入っていた(鼎高校ではなさそうだが)。
- 飯田夢かなえ高校とか、「叶える」に掛ける名前になっていたかも。
安曇村・梓川村・奈川村(現松本市)[編集 | ソースを編集]
- 松本市があんな形になることはなかった。
- 波田町は編入されていたのだろうか。
平村(現大町市)[編集 | ソースを編集]
- 北安曇郡の大きな村が平成の大合併直前に存続していた。
- 一部地域では「ヤナバ村」とも呼ばれる。
- 2006年には美麻村と八坂村とともに大町市に編入された。
新潟[編集 | ソースを編集]
沼垂町(現新潟市)[編集 | ソースを編集]
- 新潟市と並列して発展していった場合、浦和と大宮のようなライバル関係になっていた。
- そもそも平成の大合併で新潟市の合併が頓挫していただろう。
- 沼垂も周囲の村と合併して市制施行する。
- 新潟市の形がかなりいびつになってしまう。黒埼町を昭和のうちに合併していれば話は別。
- 新潟駅は新潟市と沼垂市をまたいだ駅になっていた。
- 東新潟駅は沼垂駅として開業し、信越本線の貨物支線の沼垂駅は北沼垂駅に改称されていた。
新津市(現新潟市秋葉区)[編集 | ソースを編集]
- 新潟市は7区になっていた。
- 小須戸町は南区の一部となっていた。
- この場合は矢代田駅が南区になるので、南区だけ駅が無いという事態は避けられた。
- 小須戸町は南区の一部となっていた。
- 適用区間拡大前でも、新潟市は全市でSuicaを使えるようになっていた。
- 新潟市のベッドタウンとしての位置に落ち着いていた。
- 小須戸町と合併した場合は「秋葉市」になっていた。
豊栄市(現新潟市北区)[編集 | ソースを編集]
- こちらも新潟市のベッドタウンとしての位置に落ち着いていた。
- 新津市の時と同様に1区減っていた。
- 旧新潟市の北地区は人口が3万弱のため、さすがにそこだけで1区とはいかずに今の東区と同じ区になっていた。
巻町(現新潟市西蒲区、西区)[編集 | ソースを編集]
- 史実のように岩室村が新潟市に編入合併されていた場合、旧岩室村は新潟市の飛地となっていた。
- 巻町に原発を設置しようという声が再び出る。
- 西蒲区は設置できなかった。
山北町・朝日村(現村上市)[編集 | ソースを編集]
- この2町村は岩船郡の中心として自立していた。
- 朝日村は長野県だけにはならなかった。
- 特急いなほは新潟県内全て市を通ることはない。
- 村上市があんなにでかくなることはなかった。
- 朝日村は今でも日本の村で面積が2番目に広い村である。
1955年に新発田市に編入された6村[編集 | ソースを編集]
- 菅谷村以外の5村は合併して「赤谷町」になっていた。
- 平成の大合併直前の旧新発田市は狭い市になっていた。
- 廃止された国鉄赤谷線の路線が新発田市外も走っていた。
- 豊浦町の合併も遅れ2005年の新発田市の合併はおそらく新設合併になっていた。
紫雲寺町(現新発田市)[編集 | ソースを編集]
- 新発田市は海に面していなかった。
- 中条町と黒川村と共に「胎内市」になろうとしても結局は断られる。
- 聖籠町と同様にどことも合併しなかった。
分水町(現燕市)[編集 | ソースを編集]
- 西蒲原郡の中心として弥彦村とともに自立していた。
- 燕市役所は旧吉田町役場に移転することはなかったかも。
平成の大合併で長岡市に編入された10市町村[編集 | ソースを編集]
- 新潟県中越地震が酷く、合併が中止になっていたかも。
- 長岡市が合併するとしても三島町と山古志村のみの編入だったかも。
- 山古志村は栃尾市と合併していた可能性がある。
- 栃尾市も編入されないことになるので栃尾警察署は今でも存続。
- しかし人口減少により長岡署か見附署のどちらかに統合される。
- 栃尾市も編入されないことになるので栃尾警察署は今でも存続。
- 山古志村は栃尾市と合併していた可能性がある。
- 和島村と与板町は出雲崎町と合併して「良寛町」になっていた。
- ジェロの「海雪」の歌詞が出雲崎ではなく、寺泊になっていたかも。
- 寺泊町も出雲崎町との合併に加わった可能性もある。
- それにしても反対はするだろう。
- 当然のこと寺泊町も編入されないので長岡市は海に面していない。
- もしかしたら寺泊水族博物館も上越市のうみがたりみたいにリニューアルされるかも。
- 中之島町は見附市と合併していた。
- 北陸自動車道の中之島見附ICの所在地が見附市となっていた。
- 合併しないで単独自治継続を行う自治体もある。
- 川口町の飛び地合併もなかった。
- 栃尾市は県内人口最少の市になっていたかもしれない。
関原町(現長岡市)[編集 | ソースを編集]
- 1960年に二和村を編入していた。
- 青葉台という地名は生まれなかっただろう。
- 青葉台中学校は開校していない。
- それでも北陸自動車道の大積PAはそのまま。
- なぜか関原町が越後交通長岡線の西長岡~越後関原間の旅客営業を継続しろという声を出す。
- それでも1993年の廃止は事実通り。
- 平成の大合併では長岡市への編入を拒否し、三島町と合併しようとしていた。
西山町(現柏崎市)[編集 | ソースを編集]
- 刈羽村が柏崎に囲まれることはなかった。
- 飛び地は長岡と接触しているが。
松代町・松之山町(現十日町市)[編集 | ソースを編集]
- 中越地方に乗っ取られることはなかった。
- 2町で合併していた。
- なるとしたら「ほくほく町」か「松之山温泉町」だったかもしれない。
- 平仮名に拘るのなら駅名と一致する「まつだい町」になるのでは。
- 刈羽郡高柳町との合併も求めていた。
- 後述の上越市に編入された東頸城郡の4町村とともに合併をしていた可能性も。
- なるとしたら「ほくほく町」か「松之山温泉町」だったかもしれない。
- この地域も上越ナンバーが導入される。
上越市に編入された13町村[編集 | ソースを編集]
- 「上越市○○区」が誕生しなかった。
- 2009年に設置された地域自治区が普通に「上越市○○区」と付けられていたらしい。
- カントリーサインも設置されている。
- 2009年に設置された地域自治区が普通に「上越市○○区」と付けられていたらしい。
- 別々で合併していた。
- 大潟町、柿崎町、吉川町で合併していた。
- この3町は「頸北町」になっていた。
- 村山秀幸は上越市長になることはなく、この町の町長になっていた。
- この3町は「頸北町」になっていた。
- 安塚町、浦川原村、牧村、大島村で合併していた。
- この4町村は「中保倉町」になっていた。
- この地域の中学校が2010年ごろに閉校し、新たな中学校が新設されていた。
- 安塚警察署は上越警察署に統合されなかった。
- 板倉町と中郷村は新井市に編入されていた。
- 妙高市は誕生しない。
- 妙高村が妙高高原町に編入されてたらしい。
- 単独自治継続を行う町村もある。
- 名立町は能生町・青海町と共に糸魚川市に編入していた。
- その場合西頸城郡全域が1つの自治体に収まっていた。
- 名立町は糸魚川地域に分類されていないのでそれはない。
- むしろ糸魚川市の合併もなかった可能性が高い。
- 大潟町、柿崎町、吉川町で合併していた。
- 北陸新幹線の駅名が異なっていたかもしれない。
- 上越新井?高田直江津?それとも…
- 新潟県内の合併は大規模にはならなかった。
- 北越急行ほくほく線は上越市を通らなかった。
- 「恋するフォーチュンクッキー 上越ご当地応援隊Ver.」はこの13町村では行われなかった。
- 上越市は日本一人口の多い過疎地域にはならなかった。
- 西頸城郡、中頸城郡、東頸城郡という3つの「頸城」が付く郡が今でも存続している。
- 名立町や牧村を中頸城郡に変更しようという声が出ていたかも。
- むしろ上越市が誕生していなかったらこうなっていたかもしれない。
妙高高原町・妙高村(現妙高市)[編集 | ソースを編集]
- 上記のとおり妙高市は誕生せず、2町村で新・妙高高原町になっていた。
- 妙高チャンネルは存在しない。
- もしかすると「頸南チャンネル」になっていたかも。
能生町・青海町(現糸魚川市)[編集 | ソースを編集]
- 糸魚川ジオパークは存在しない。
- 北陸新幹線開業前に出来た糸魚川駅のアルプス口駅舎1階にある「糸魚川ジオステーション ジオパル」は別の名前になっていた。
- そこのNゲージのジオラマに能生や青海は含まれず、旧糸魚川市と東京をモデルにしたジオラマだけになっていた。
- かつて大糸線を走っていた国鉄キハ52形は保存されていないかも。
小滝村(現糸魚川市)[編集 | ソースを編集]
- 大糸線は新潟県内全線糸魚川市にはならなかった。
- のちに平成の大合併で糸魚川市と合併していた。
- それまでは糸魚川市は富山県に隣接しなかった。