もしあの年のプロ野球日本シリーズで○○だったら

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年代別に分けておりますので、開催年順に記載をお願いします(複数にまたがる場合は最も古い年を参考にします。例えば1967年から1972年にまたがる場合、1967年として「1960年代」に記載してください。)。

分割済み[編集 | ソースを編集]

1950年代[編集 | ソースを編集]

1950年に松竹が日本一になっていたら[編集 | ソースを編集]

松竹は1950年に初代セ・リーグ優勝チームになるも、チーム内での揉め事などによって日本シリーズで毎日に敗れましたが、もし毎日を破って日本一になれていたら?

  1. 主砲・小鶴誠とエース・真田重蔵の仲が険悪になることはなかった。
  2. 大洋との合併も回避できていた。
    • この場合大洋は広島と合併していた。ただし田村駒の経営悪化による身売りは避けられなかった。

1959年より前に南海が日本一を経験していたら[編集 | ソースを編集]

南海は1959年にエース杉浦忠の4連投で2リーグ分立後初の日本一になりましたが、それ以前にもチャンスがありました。このとき日本一になっていたら?

1951年
  1. 巨人の第二期黄金時代はなかった。
    • その代わり南海黄金時代が到来。西鉄黄金時代もなかった。
1952年
  1. 前年の借りを返したことで、翌1953年に日本一連覇を達成していたかも。
1953年
  1. 1954年にも優勝できていた。
1955年
  1. 御堂筋パレードが行われても、あそこまで話題になることはなかったかも。

1954年[編集 | ソースを編集]

西鉄が日本一になっていたら
  1. 2020年現在中日は現存する12球団で唯一完全制覇を経験していない。

1959年[編集 | ソースを編集]

巨人が日本一になっていたら
  1. 2018年現在ホークスは巨人に日本シリーズで勝利したことがない。
    • 「他のセリーグ5球団には勝利したのに…」と言われていた。
    • 2019年のソフトバンクがホークスの対巨人初の日本一になっていた。
  2. 日本シリーズにおけるホークスの初優勝は1964年ということになっていた。
    • 1964年も日本一を逃していた場合、ホークスの初優勝はダイエー時代の1999年ということになっていた。
      • その場合、ホークスは南海時代に日本一を経験できずに終わったことになっていた。

1960年代[編集 | ソースを編集]

1961年[編集 | ソースを編集]

第4戦で南海・寺田陽介の落球がなかったら

巨人2勝、南海1勝で迎えた第4戦、南海1点リードの9回裏2死の場面で巨人・藤尾茂のフライを寺田陽介一塁手が落球し、その後もエラーやストライクの判定を巡る抗議などがあり、結局巨人に逆転サヨナラ負けを喫してしまいました。
同年のシリーズは最終的に巨人が4勝2敗で日本一になりましたが、もしこの落球がなく南海が逃げ切って勝利していたら。

  1. どちらが日本一になるにせよ第7戦までもつれた可能性が高い。
  2. 円城寺満球審の判定を揶揄する狂歌は生まれなかった。
  3. 寺田が翌年中日にトレードされることはなく、現役生活も史実より長かった。
    • ケント・ハドリの南海入りがなくなる。
    • 引退後は指導者として球界に残りダイエーのコーチに就任。

阪神対阪急の日本シリーズが実現していたら[編集 | ソースを編集]

実史では実現しなかった、日本シリーズでの阪神vs阪急の幻の西宮決戦。1964年・68年・69年・72年・76年に最も実現の可能性があり、共にセ・パで優勝争いを繰り拡げながら、どちらかが2位になる等して実現しませんでした(後に阪急は1977年以降さらに3回リーグ優勝するが、それ以降は阪神が優勝争いに加わるという話もなく、阪神が1985年の日本一を含め1980年代に優勝争いに加わっていた年は阪急が不調という事態となっていた)。

実史ではオリックスへの阪急ブレーブスの身売り、数年後の神戸への移転によって実現しませんでしたが、もし実現していたら

いずれにしろ
  1. 2023年の日本シリーズは○○年ぶりということになっていた
1964年
  1. おそらく阪神が実史よりも早くに日本一に輝いていたかも
    • (阪急は前年最下位だったので勝ちきれなかったと思うのだが)
  2. 決戦日本シリーズの内容が「阪神vs南海」になっていた
    • 阪神vs福岡ダイエーの時は幻の日本シリーズとして取り上げられたかも
    • 南海ファンのご老人の目には緑色のユニホームに見えたかも知れない
    • しかし、阪神は標準軌で南海は狭軌だから・・・
    • 某川島先生は地下鉄堺筋線天下茶屋経由でのフリーゲージでの乗り入れをいまだに唱えてますが…
  3. 阪急黄金時代の到来が早まった。
    • 1966年の西本監督信任投票はなかった。
1968~69年
  1. 「決戦・日本シリーズ」の内容が「阪神vs近鉄」になっていたのか?
    • この段階で、阪神西大阪線→なんば線と近鉄難波線が開業したことになっていたかも。
  2. 両者拮抗した可能性が高い。
1972年
  1. 巨人のV8を阻止したということで、阪神ファンの意気込みは強くなっていた。
    • 負けたとなったら大暴動が起きたであろう。
  2. 福本、山田、加藤、長池と阪急の戦力が整っていたので阪急が日本一になった可能性が高い。
1976年
  1. 阪急が4年連続日本一の栄光を手に入れていたかも知れない
  2. かんべむさしの作品はこの年刊行だから、予言本となってしまい現実以上の話題を集める。
  3. この年は阪急の完全優勝だったため、あっさりと阪急が日本一を決めた可能性が高い。
その他
  1. 阪急が阪神を下して日本一を達成していたら、阪神ファンは巨人よりも阪急を敵視していたであろう。
  2. 両球団のホームタウンでは、親会社の電車も含め阪神派と阪急派の派閥争いが現実以上に激しくなる。
    • そして史実通り阪急阪神ホールディングスが発足したとしたらもっと話題を呼んでいた。

巨人が日本シリーズで9連覇できなかったら[編集 | ソースを編集]

セ・リーグは9連覇しているものとする。そうでない場合はもしあのプロ野球球団があの年に優勝していたら/セ・リーグで。

全般
  1. それでも4連覇以上ならシリーズ連覇の最高記録となっていた。
  2. パ・リーグの観客動員は元より、発言権も大きく伸びていた。
    • 阪神は南海に加えて阪急にも人気を奪われていた。
      • 阪急・南海の球団売却はなかったかも。場合によっては近鉄も。
        • この場合ダイエーはロッテを買収し、本拠地を福岡に移転していた。
    • 場合によっては、パリーグの人気も、セリーグに肉薄していたかも。
日本シリーズで全て敗れていたら
  1. V9という名称が生まれなかったかも?
    • 9年連続V逸として巨人ファンにとっては屈辱となっていた。
  2. 巨人の星や侍ジャイアンツの内容が変わっていた。
  3. 西本幸雄が悲劇の名将と呼ばれる事はなかっただろう。
    • 悲劇の名将は、川上哲治になっていた。
  4. (パリーグの順位が史実通りなら)南海、阪急、ロッテの日本一回数が増えていた。
  5. 巨人人気の凋落が昭和のうちに起こっていた。
    • 平成になってFA・逆指名制度が導入されても有力選手が巨人に集中することはなかった。

1970年代[編集 | ソースを編集]

1974年[編集 | ソースを編集]

中日が日本一になっていたら
  1. 「燃えよドラゴンズ!」は史実以上にヒットした。
  2. 史実通りだとするとロッテは70年間リーグ優勝からの日本一を経験していない事になる。

1975年[編集 | ソースを編集]

第4戦で広島がサヨナラ勝ちしていたら[編集 | ソースを編集]

広島の初出場となった1975年の日本シリーズ。結果は阪急相手に0勝4敗2分の完敗でしたが、第4戦で広島は3-4から山口高志を攻めて二死満塁のチャンスをつかみ、代打・佐野嘉幸のセンター前ヒットで3塁ランナーは生還するも2塁ランナーはタッチアウト。そのまま時間切れ引き分けに終わってしまいました。もし、2塁ランナーも生還し広島がサヨナラ勝ちしていたら?

  1. ここまで2敗1分と追い詰められていただけに、広島ファンは大いに盛り上がっていた。
  2. 阪急・上田監督にとっては第5戦以降で山口を出しづらい状況になったため、投手陣のやりくりに苦労することになった。

読売ジャイアンツが第1次長嶋政権下で日本一になっていたら[編集 | ソースを編集]

巨人は、長嶋茂雄監督の第1次政権(1975~1980)時代、日本シリーズでは1976年・1977年と2年連続で阪急と対戦するも2年連続敗退。もし、阪急を倒して日本一になっていたら?

  1. 日本一になっていたら、長嶋批判はあまり起きることはなかった。
  2. 優勝回数も、もう1回くらい増えていたかも。
    • その場合、ヤクルトの初優勝は少し遅れていただろう。
  3. 長嶋監督は、もう少し監督を務めていた。
    • 1980年の解任劇も起きることはなかった。
      • 少しはスッキリした退任の仕方だっただろう。もしかすると第2次と同様勇退していたかも。
    • 彼の就任以降着用していた、サンフランシスコジャイアンツ風のユニフォームももう少し長く着用されていた。
    • のちの第2次政権が早まったかもしれない。
    • 西武ライオンズの日本一の回数が増えたかは不明。

1978年[編集 | ソースを編集]

第7戦で…[編集 | ソースを編集]

1978年の日本シリーズ・ヤクルトVS阪急、3勝3敗で迎えた第7戦の6回裏、ヤクルトの大杉勝男の打ったホームランを巡って阪急の上田監督が執拗な抗議を行い、1時間19分という長い中断時間となってしまいました。結局この中断をものともせず、大杉選手は8回に2打席連続のホームランを打ち、ヤクルトが球団初の日本一に輝きましたが、もしあの時・・・。

判定がファウルだったら
  1. 結果的にヤクルトが勝ったとしてもその後の展開ががらりと変わっていた。
線審が交代していたら

上田監督が試合再開の条件として「レフトの富澤宏哉線審の交代」を要求。実際には(突発的な事態を除いて認められていない)試合中の審判交代ですが、もし審判団が要求を受け入れ、線審交代のうえ、試合を再開していたら・・・

  1. 現在において審判の権威はかなり落ちていた。
上田監督が退場処分になっていたら
  1. 阪急ナインがこの結果に奮起して逆転勝ちし、4年連続日本一になっていた…か?
没収試合となっていたら
  1. おそらく上田監督はこの試合を最後に監督としての人生を終えていたかもしれない。
  2. 史実で上田監督が指揮を執っていた時期の阪急・オリックス・日本ハムの成績が下がっていた。
阪急が逆転で日本一を決めていたら
  1. 上田監督は辞任せず、1979年も優勝していた。
抗議がなかったら
  1. この年の日本シリーズの注目ポイントが1つ減っていた。
  2. ヤクルトがそのまま日本一を決めても上田監督は辞任しなかったかも?
  3. 松本正志は一度もシリーズ登板がないまま現役を終えた。

ナイターで開催されていたら[編集 | ソースを編集]

神宮球場での実施の兼ね合いにより、日本シリーズか東京六大学野球の試合をナイターで実施する案もありました。もし日本シリーズがナイターで実施されていたら…

  1. 無論、ヤクルトは神宮球場を使用していた。
    • 西宮球場もナイターで実施されていたので、観客動員数も史実よりも多くなっていたかもしれない。
  2. 第7戦でホームランを巡る抗議が起きていたのであろうか?
  3. これを機に翌年以降の日本シリーズはナイターで実施されていたかもしれない。

近鉄バファローズが79年と80年の日本シリーズを制覇していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 江夏の21球は無かった
    • 雑誌「NUMBER」は売れなかった。
    • 山際淳司はスポーツジャーナリズムに特化せず、幅広いジャンルの人物を扱うルポライターのままだった。
  2. 少しくらいは人気が出て合併は無かった・・・かな。
  3. 日本一の回数により、今は阪神が最低ランクにされていた。
    • 1984年の日本シリーズに負けていた場合、広島が最低ランクにされていた。(勝っていても阪神と同格だが)
  4. ご褒美として藤井寺球場に照明設備がつけられた(実際は1984年から)。
    • 近所の住民の反対があったので難しいかも。実際1984年までずれ込んだのは反対運動の影響もある。
    • あるいは東大阪市の花園に新球場が建設され、そこが新本拠地になっていた。
  5. カープの初日本一は1984年まで待たなければいけなかった。
    • あるいはカープは未だに日本一になれないままでいたかも。
  6. 日本一を経験することになるので、西本幸雄氏が「悲運の名将」と呼ばれることはなかった。

1979年[編集 | ソースを編集]

近鉄が日本一になっていたら
  1. 1980年の日本シリーズで広島が制した場合は前年のリベンジとして注目された。
  2. 西本幸雄氏にとっては、念願の日本一であった。
  3. 大阪の街は盛り上がっていた。
    • 近鉄百貨店は初めてのチャンピオンセールが実施されていた。
  4. 佐々木恭介氏or石渡茂氏がサヨナラを放っていたら、日本一の立役者になっていた。

1980年代[編集 | ソースを編集]

1980年[編集 | ソースを編集]

近鉄が日本一になっていたら

先に3勝2敗で王手を賭けたものの、またしても広島に逆転されて日本一を逃してしまった近鉄。もし近鉄がこのまま日本一になっていたら?

  1. 「前年のリベンジ」と騒がれた。
  2. 初の日本一とあって、大阪の街の盛り上がりは半端ではなかった。
  3. 当然ながら西本幸雄氏が「悲運の名将」と呼ばれることはなかった。

1982年[編集 | ソースを編集]

中日が日本一になっていたら

西武に2連敗した後の2連勝で流れをつかみかけながら、「ヒット性の打球が審判に当たる」アクシデントで流れが逆転し、日本一を逃したこの年のドラゴンズ。もし日本シリーズ制覇に成功していたら?

  1. ここで勝っていれば日本シリーズはこの時点で2勝1敗。「日本シリーズに弱い中日」という呪縛はそもそも生まれず、その後の日本シリーズで何度かは勝っていた可能性も高い。
  2. 西武の黄金時代の到来も若干遅れたか。

1983年[編集 | ソースを編集]

巨人が日本一になっていたら

1983年の巨人は第6戦で優勝目前としながら逆転を許し、第7戦も敗れて日本一を逃しましたが、もしこの年日本一になっていたら?

  1. 藤田監督勇退・王監督就任は遅れていた。
  2. 西武は再び暗黒時代へ転落した可能性も?
    • 実際1984年は3位へ後退しましたから…
    • むしろ秋山や工藤といった若手への世代交代が加速した。

1985年[編集 | ソースを編集]

西武が日本一になっていたら
  1. 2017年現在阪神は12球団で唯一日本一を経験していない。
    • 球団消滅まで1度も日本一を経験しなかった近鉄共々、日本一を経験していない球団2つがともに関西にあることが関西の野球ファンにとっては屈辱になっていた。
    • あるいは2003年にダイエーを下し日本一になっていた。
  2. 広岡監督の退任も遅れていたか?
  3. 1998年に横浜を下し日本一になっていた場合、西武はホークスよりも先にセリーグ6球団全てに日本シリーズで勝利したことになっていた。
  4. 史実で第1戦で西武を完封した際に「西武はヤクルトより弱い」と発言した池田親興が(後の加藤哲郎のように)戦犯として吊るし上げられていた。
  5. その後が史実通りの場合セ・リーグは日本シリーズで7連敗を喫した事になり、1989年の巨人の優勝が史実以上にもてはやされた。
    • 万が一1989年に近鉄が日本一になりその後が史実通りになろうもんならセ・リーグは11連敗と言う事になり、2010年代並みにその威信は地に墜ちていた。
      • その場合、1993年のヤクルト日本一は相当にもてはやされる。野村監督は「月見草がセ・リーグに来たらいつの間にかセ・リーグ全体が月見草になってしもうたわ」とかぼやきそう。
        • その後2021年まで史実通りの場合、ヤクルトはセ・リーグの連敗ストッパーと呼ばれるかも。

1986年[編集 | ソースを編集]

広島が日本一になっていたら

第1戦引き分けから3連勝したカープでしたが、その後4連敗により西武に日本一の座を明け渡しました。

  1. 西武黄金時代は史実より早く終焉していた?
  2. 4タテの場合、森新監督の信用はかなり落ちていた。
    • 史実より早く交代していたかも。
  3. 山本浩二は引退の花道を飾っていた。
    • その後は史実通り?
  4. 2021年現在日本一から最も遠ざかっている球団は阪神になっている。

1988年[編集 | ソースを編集]

中日VS近鉄になっていたら
  1. 要するにこういうこと
  2. 近鉄に日本一のチャンスがあるとしたらここだったか?

1989年[編集 | ソースを編集]

第4戦で…[編集 | ソースを編集]

近鉄の先発が阿波野秀幸だったら

巨人ロッテより弱い」なる迷言も飛び出した(実際は発言していない)1989年の日本シリーズですが、第4戦では当時の仰木彬監督は阿波野で一気に決めようとしていました。結局コーチ陣が疲れなどを考え第5戦に温存しましたが、もし第4戦で阿波野が登板していたら…

  1. 打線が封じられたので、阿波野が登板しても巨人が勝利していた可能性も十分ある。
    • 第7戦で登板したとしても、巨人打線が復旧していそうで、結局実史と変わらなかったかも。
      • 巨人の先発が史実どおり香田だった場合は、第4戦自体の展開はともかく、シリーズは確実に巨人のターン入りだっただろう。
    • 第7戦で駒田がホームランを打った時の「バーカ」発言は無くとも試合展開に影響はなかった。
      • 実際、「バーカ」発言は加藤に向けられたというよりも「勝ったぞコノヤロー」的ニュアンスのものだったそうだし。
  2. 仰木氏の近鉄監督の勇退もなかったかも。→もし仰木彬が近鉄バファローズの監督を勇退しなかったら
巨人の先発が香田勲男ではなかったら

3連敗で後のない巨人・藤田元司監督は「近鉄打線は縦の変化に弱い」という情報を得て、第4戦の先発に時速90キロ前後の縦に落ちるカーブを武器とする香田を投入。香田は見事に完封勝利を収め、大逆転優勝へのきっかけを作りましたが、巨人フロントの一部には香田登板に反対の声もあったと言われています。もし第4戦で香田が登板していなかったら…

  1. 小野の調子も良くなかったので両軍大乱打戦の末辛うじて近鉄が打ち勝ち日本一。
    • そうなれば吉井は当然クローザーを務めてたろうから、後の仰木監督との確執は多少遅れていた。
    • 原と藤田監督は大惨敗のA級戦犯として大バッシングを受けていた。
      • 第2次長嶋政権の発足が実史よりも繰り上がり、その後任選考は難航する。
    • 前年の「10.19」とこの年の上位いじめとの合わせ技で、ロッテの胴上げクラッシャー伝説は、2ちゃんねる誕生よりも遥か前にプロ野球ファンの間で認知されていた。
  2. 史実通り巨人勝利なら、第5戦で登板→大逆転優勝、つまり現実と同じ結果になっていたであろう。
近鉄が勝利していたら
  1. 特に4連勝で制覇した場合、「巨人はロッテより弱い」は暴言でなく名言としてアンチ巨人ファンの間で語り継がれる。
  2. 近鉄が2004年にオリックスへ球団合併されることはなかったかも。
    • あるいはやや遅れて楽天に球団売却という形をとっていた。
  3. 1979年・1980年と日本一を逃しているので、三度目の正直と言われていた。

1990年代[編集 | ソースを編集]

1991年[編集 | ソースを編集]

広島が日本一になっていたら

1991年はカープが先に3勝2敗で王手を賭けたものの、西武ライオンズに逆転で敗れてしまいました。もしカープがそのまま4勝していたら?

  1. 「1986年のリベンジ」と騒がれた。
  2. 久しぶりの日本一に広島は大騒ぎ。
    • 常勝・西武を倒しての日本一ともなればなおさら。
  3. 2007年に中日が日本一になって以降は阪神がセ・リーグでは最も日本一から遠ざかっているチームということになっていた。
    • 阪神ファンにとってはこれが屈辱となっていた。
    • それとともに、阪神はセ・リーグで唯一平成時代に1度も日本一を経験しなかったことになっていた。
  4. ライオンズは唯一セ・リーグ全球団に日本シリーズで敗北したチームになっていた。(中日は西鉄時代の1954年に勝利している)
  5. 1992年西武は優勝していたか?

1992年[編集 | ソースを編集]

ヤクルトが日本一になっていたら
  1. 森監督の退任は早まっていた。
    • 翌年の結果が史実通りの場合、おそらくそこで退任していたか。

1993年[編集 | ソースを編集]

西武が日本一になっていたら

これまで日本シリーズでは無敵といわれていた森西武でしたが、1993年は野村ヤクルトに敗退し日本一を逃し、西武自身もそれ以降2004年まで日本一から遠ざかってしまいました。もしシリーズ第7戦で西武がヤクルトに勝利してシリーズ4連覇を達成していたら・・・。

  1. 西武の黄金時代はさらに続き、森氏もさらに長く監督を続けていた。
    • 一方のヤクルトは、野村監督の責任問題に発展。現実通り、翌94年に優勝できなかったら、野村氏はヤクルトの監督を辞任していたかも。
  2. サッチーももう少し丸くなっていた。
  3. 日本シリーズで西武に勝ち越している球団は阪神(1985年)、横浜(1998年)だけになっていた。(いずれも1勝0敗)

1995年[編集 | ソースを編集]

オリックスが日本一になっていたら

シーズン開幕前の阪神・淡路大震災を乗り越え、球団譲渡後初の優勝を決めたオリックスですが、日本シリーズではシーズンMVPのイチローが打率.263と封じ込まれたのが痛くヤクルトに1勝4敗で敗れ日本一を逃してしまいました。もしこの時オリックスが日本一になっていたら…。

  1. 「小林-オマリーの14球」は無かったかもしれない。
  2. イチローがシーズン並みの打率(.342)を残していたら可能性はあったか?
  3. 2021年のオリックス対ヤクルトの日本シリーズで史実通りヤクルトが日本一になったとしたら「26年前のリベンジを果たした」と話題にされる。
    • 2021年のヤクルトの監督が1995年当時現役の投手だった高津臣吾、2021年のオリックスの監督が1995年当時現役の捕手だった中嶋聡だったので尚更。

西武ライオンズが東尾修監督時代(1995年~2001年)に制覇していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも、1999年から2001年までの3年間で1回はリーグ優勝できていた。
    • いずれかで松坂大輔がMVPを獲得していた。
  2. 西武球団からのメジャー流出が増えた可能性も。
  3. 少なくともプロバスケのGMにはなっていない。
  4. 1998年の日本シリーズを制していた場合、セリーグ6球団全てに日本シリーズで勝利したことになっていた。
    • 西武はいまだ阪神に勝利していませんが…
  5. 横浜ベイスターズは横浜大洋ホエールズと同じく日本一になれないまま消滅したことになっていた。(ただし横浜大洋はリーグ優勝の経験も無し)

1999年[編集 | ソースを編集]

中日が日本一になっていたら

1999年の日本シリーズは中日vsダイエー(現ソフトバンク)の対決でしたが、第5戦で結局ダイエーが日本一になりました。もしこの時中日が日本一になっていたら・・・

  1. 星野仙一が2001年に辞める可能性はいくらかは低くなっていた。
  2. 11年ぶりのリーグ優勝に加え45年ぶりの日本一とあって、名古屋の街の盛り上がりは半端ではなかった。
    • もしかしたら54年の日本一のときを超えていた。
    • その場合2007年の日本一は8年ぶりとなり、名古屋の街の盛り上がり度合いは史実より低かった。
      • 落合監督は山井を代えていなかったかもしれない。
  3. ホークスの2003年の日本一は39年ぶりということになっていた。
    • 2003年も日本一を逃した場合、2011年の日本一は47年ぶりということになっていた。
      • 2011年も日本一を(以下略)
      • その場合、ホークスはダイエー時代には1度も日本一を経験しなかったことになっていた。
  4. 関川浩一・福留孝介・井上一樹がもう少し活躍していたら有り得たかも?

関連項目[編集 | ソースを編集]