もしあの年の高校野球で○○だったら/2000年代後半
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2005年[編集 | ソースを編集]
2005年春[編集 | ソースを編集]
- 神村学園が優勝していたら
- 前年の済美に並ぶ創部以来最速優勝タイ記録。
- 愛工大名電は2年連続選抜準優勝。
- 愛工大名電のバント野球が史実以上に批判され、倉野光生監督は辞任する可能性もあった。
- 夏の甲子園も出場していたかも。
- その場合樟南の前田大和は高卒でプロ入りしていなかった。
2005年夏[編集 | ソースを編集]
- 明徳義塾が出場していたら
開幕2日前に不祥事で出場辞退した明徳義塾。もし出場していたら?
- 日大三に負けて夏の大会初の初戦敗退を喫していた。
- 皮肉なことに2011年の選抜で明徳が日大三に敗れてしまい、馬淵監督は就任以来初の初戦敗退を喫してしまった。
- 日大三に勝ってたらベスト4くらいまで行けたかもしれない。
- 明徳義塾が低迷することはなかった。
- 逆に高知が低迷していた。
- 中田亮二はプロ志望届を提出し、この年のドラフトで指名されていたかも。
- 明徳義塾が大会初日のカードを引いていたら
- 代替出場校に配慮し5日目くらいに変更されていた。
- 大会が5~6日順延になった。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 夏連覇は1948年の小倉以来達成校なしになっていた。
- 田中将大は甲子園優勝投手になれなかった。
- 逆に翌2006年夏は優勝していたかもしれない。
- 京都外大西
- 本田は1983年のPL学園桑田以来の1年生優勝投手になっていた。
- その後の窃盗事件で、最も汚点を残した甲子園優勝投手になっていた。
- 優勝投手となることで周りの目が厳しくなり、大学を中退したり、事件を起こすこともなかったかもしれない。
- 大阪桐蔭
- 辻内と平田の評価がさらにあがっていた。
- 辻内のプロ野球人生は…あまり変わらなかったかな。
- 宇部商業
- 準優勝した1985年夏以上の名チームになっていた。
- 山口県は大盛り上がり。さらに宇部商は名実ともに山口ナンバー1の学校になっていた。
- 夏の出場回数だけなら山口県最多ですが?
- ただ史実同様2006年夏で玉国監督が退任していた場合、その後の凋落も史実通り、あるいは史実以上になっていた。
- エースの好永はプロ入りしていたかもしれない。
- 全試合1人で投げていたことを考えると、多球団競合の可能性は低いと思うけれども。
- 駒大苫小牧-大阪桐蔭が同じ展開で進み、対戦が準決勝ではなく決勝だったら
- 翌年の早稲田実-駒大苫小牧の延長15回引き分け再試合ほどではないものの、間違いなく球史に残る名勝負の1つになっていた。
- プロでは田中VS辻内(1軍登板なしに終わったが)・平田・中田の対決も斎藤VS田中の対決並に注目された。
- 2004年の駒大苫小牧-済美から、2007年の佐賀北-広陵まで4年連続決勝戦は名勝負になっていた。
- そのため2008年の決勝のワンサイドゲームの落胆が史実以上になっていた。
2006年[編集 | ソースを編集]
2006年春[編集 | ソースを編集]
- 駒大苫小牧が出場していたら
- 駒大苫小牧は夏春連覇し、06年夏は夏3連覇と夏春夏3連覇をかけて決勝に臨んだ。
- 駒大苫小牧に勝てる相手は横浜と早稲田実業くらいか?
- 実は初戦で早稲田実業と対戦していた。
- 代替出場の北海道栄が早稲田実業と対戦したため。
- 「優勝したのは横浜だが真の日本一は駒大苫小牧だ」と言われることはなかった。
- 6月に青森で行われた横浜vs駒大苫小牧の練習試合はなかった。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 6月に青森で行われた光星学院50周年記念試合には横浜ではなくこの大会の優勝校が呼ばれていた。
- 清峰
- 長崎県勢初の甲子園優勝が3年早く実現していた。
- 夏も福井商に勝って3回戦までは進んでいたかもしれない。ただし3回戦で早稲田実に敗れる。
- その場合早実は春の優勝校と前年夏の優勝校の両方に勝ったことになる。
- 案外優勝で気が抜けて、県予選敗退もしくは初戦敗退に終わっていたかもしれない(現に、2009年夏は県予選で敗退している)。
- 岐阜城北
- 岐阜県勢として1940年春の岐阜商以来66年ぶり、戦後初の優勝になっていた。
- 2007年の大垣日大の準優勝はあまり盛り上がらず。
- もしかしたら夏も出場していた。
- 尾藤竜一はこの年にドラフト指名されていた(史実では早稲田大学中退後、2009年に育成選手として巨人入りした)。
- PL学園
- 「春夏連覇したらその後優勝できない」というジンクスはPL学園が破っていた。
- 前田健太の評価があがっていた。
- それによって田中将大の評価が少し下がっていたかもしれない。
- ドラフトで複数球団が競合し、広島以外の球団に指名されていたか。
- PL学園のその後の凋落はなく、野球部が休部になることもなかった。
- 2010年代に入っても大阪桐蔭・履正社とともに3強を形成し、甲子園にも何度か出場していた。
- 仮に大阪代表が南北に分けられるようなことがあったら(記念大会では実施例あり)間違いなく南大阪の雄となっていた。
- 決勝のカードが違っていたら
- 横浜-PL学園
- 1998年夏の伝説の名勝負の再戦となり大いに注目された。
- それが実際の決勝と同じ21-0のようなワンサイドゲームだったら、高校野球ファンの落胆は大きかった。
- 「春夏連覇したらその後優勝できない」というジンクスは準決勝の時点で破られていた。
- 徳之島が出場していたら
この年のセンバツでは八重山商工が離島勢で出場したことが話題になりましたが、奄美諸島の徳之島高校も21世紀枠の九州地区推薦校に選ばれていました。
- 奄美諸島は大盛り上がり。
- 離島勢の相次ぐ出場で他の離島の学校の甲子園出場も現実以上に多かったかもしれない。
- 2014年のセンバツで大島高校が21世紀枠に選ばれていなかったかもしれない。
- その場合、21世紀枠に選ばれていたのは補欠校の角館か坂出、あるいは熊本の多良木高校。
- 2022年のセンバツ出場もなかった(実際この年の大島の活躍を見て進学した選手も多かった)。
- それでも史実通り前年の秋季九州大会で準優勝まで進出していたら現実以上に盛り上がっていた。下手すれば鹿児島だけでなく日本中で話題になっていたかも。
2006年夏[編集 | ソースを編集]
- 駒大苫小牧が優勝していたら
- 駒大苫小牧は中京商(現・中京大中京)以来の3連覇を達成していた。
- 春も優勝していた場合、春夏連覇、夏春連覇、史上初の夏春夏連覇を達成していた。
- 「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の注目度が現実より下がっていた。
- 意外と彼は高校卒業後早大に進学せずプロ入りしていたかも。
- むしろプロ入り後は現実よりも活躍していた可能性もある。
- 逆に田中将大がさらに注目を集めていた。
- 斎藤が早稲田大学に入学しても、六大学野球の放映権料が上がることは無かった。
- 2010年ドラフトで日本ハムは斎藤を指名していなかったかも。
- 意外と彼は高校卒業後早大に進学せずプロ入りしていたかも。
- あの学校が県大会で敗退していたら
- 早稲田実
- 早稲田実は決勝戦で日大三相手に、延長10回に勝ち越されながらも直後に追いつき12回にサヨナラ勝ちという死闘を制して甲子園に出場、その後優勝しました。もし、決勝戦で敗れていたら…?
- 日大三は4年連続で夏の甲子園に出場。史実の早稲田実と同じ対戦相手だったら、2回戦の大阪桐蔭戦さえ勝っていれば決勝戦まで進んでいたかもしれない。
- その場合駒大苫小牧が夏3連覇を達成していただろう。決勝戦も引き分け再試合になることはなかったかも。
- 逆に日大三が勝っていたら5年ぶりの優勝とともに、2年前負けた相手にリベンジを達成。史実通りその5年後も優勝していたら、西東京は日大三1強となっていた。
- その場合駒大苫小牧が夏3連覇を達成していただろう。決勝戦も引き分け再試合になることはなかったかも。
- ハンカチフィーバーは起こらなかった。あとは上記にある「駒大苫小牧が優勝していたら」と同じようなことになる。
- 早稲田実は未だに甲子園で優勝できていない。また甲子園の出場回数も史実より少なかった。
- 駒大苫小牧
- 南北海道大会準決勝で北照の植村祐介投手に1安打に抑え込まれていた。もしこの試合に負けていたら?
- 北照が甲子園で史実と駒苫と同じ相手なら、南陽工に負けて初戦敗退(北照は夏の甲子園未勝利のため)。
- 初戦に勝っていたら3回戦も勝ってベスト8まで進出していた(青森山田は3回戦に弱く、北照は10年代の選抜で2度ベスト8に進出できたため)。
- 決勝カードは早稲田実vs智弁和歌山か早稲田実vs東洋大姫路。
- どちらも延長戦になることなく早稲田実が優勝したと思われるため、決勝戦が球史に残る名勝負になることはなかった。
- 決勝が早稲田実vs智弁和歌山だった場合、智弁和歌山の投手陣は限界に達してたため春の横浜vs清峰並の大差がついていた可能性もある。
- 北照が決勝まで進出した場合も。
- 2006年は春夏ともに決勝戦がワンサイドゲームの年になっていた。
- 決勝カードが違ったら
- 駒大苫小牧vs横浜
- この大会の優勝候補トップ2だった
- 73年ぶり&戦後初の選手権3連覇を狙う駒大苫小牧vs史上初の2度目の春夏連覇を狙う横浜の決勝戦となった。
- この年の横浜には斎藤佑樹のようなスーパースターはいなかったが、盛り上がりは史実と同等以上だろう。
- 横浜が優勝していた場合この時点で史上初の2度目の春夏連覇が達成されるため、2018年夏の大阪桐蔭の優勝が霞んでいた。
- 岐阜大会4回戦で県岐阜商の逆転サヨナラホームランが幻になっていたら
- この年春のセンバツでベスト4に進出した岐阜城北と名門県岐阜商の対決は3-2と岐阜城北リードで迎えた9回裏2アウトから県岐阜商に逆転サヨナラホームランが飛び出しましたが、その際ベンチから飛び出した選手と本塁に生還する前のランナーが接触したため走塁援助でアウトになるのではないかと岐阜城北側が猛抗議し、試合後の整列を拒否する事態となりました。もし、走塁援助が認められホームランが幻になっていたら…?
- 勝っていたのは岐阜城北。
- 岐阜城北はその後も勝ち上がりこの夏の岐阜大会を制していた。
- そして初戦で春戦った智弁和歌山と対決していた。しかし、春とは違い智弁和歌山にリベンジを果たされていた。
- 岐阜城北はその後も勝ち上がりこの夏の岐阜大会を制していた。
- 2018年の秋季関東大会の桐蔭学園対常総学院でもこのようなことが起きていた。
- その場合常総学院が勝っており、そのまま勝ち上がり翌年のセンバツに出場していた。
- この年のプロ注目選手だった森敬斗と菊田拡和の評価が変わっていたかもしれない。少なくとも森が1巡目で消えることはなかった。
- その場合常総学院が勝っており、そのまま勝ち上がり翌年のセンバツに出場していた。
- 秋田大会の準決勝本荘対秋田がノーゲームになっていたら
- 翌日の再試合で秋田が勝っていたら、ノーゲームに持ち込もうと遅延行為を行ったことが史実以上に非難を浴びていた。
- 仮に秋田がその後甲子園に出場しても批判が収まることはなくしまいには出場辞退しろという声まで上がっていた。
- この試合を機にサスペンデッドゲームの導入が検討されていたかもしれない。
2007年[編集 | ソースを編集]
2007年春[編集 | ソースを編集]
- 大垣日大が優勝していたら
- 岐阜県勢としては1940年春の岐阜商以来66年ぶりの優勝ということもあり、地元は大盛り上がり。
- 現在も希望枠は廃止されずに残っていた。
- 21世紀枠が3枠になることもなかった。
- 森田投手はプロ入りしていたかもしれない。
- 智弁和歌山が選出されていたら
前年の秋季近畿大会で和歌山大会2位ながらベスト8に進み地域性も考慮され出場が有力視されていましたが、失点の多さが指摘され落選となり、近畿大会初戦敗退ながら和歌山1位の県和歌山商が選出されました。もし、智弁和歌山が選出されていたら?
- 智弁和歌山は2005年夏から2008年夏まで7季連続で甲子園出場となっていた。
- 初戦で熊本工と対決し敗退していた。
- 機動力を封じることが出来ていれば勝ってその後ベスト4までは行けてたんじゃないかな。
- その場合藤村大介は巨人に1位指名されていなかった。
- 機動力を封じることが出来ていれば勝ってその後ベスト4までは行けてたんじゃないかな。
- 大垣日大が選出されていなかったら
- 大垣日大は秋季東海大会準決勝敗退ながら希望枠で甲子園初出場しました。希望枠は翌2008年を最後に廃止。もしこの年既に希望枠が廃止されていたか最初から導入されなくて、大垣日大が出場できなかったら?
- 決勝戦は常葉菊川vs帝京。この場合帝京が優勝していた可能性もある。
- 史上初の決勝戦東海対決はなかった。
- 大垣日大は同年夏の甲子園に初出場。だがベスト8までは進出できなかっただろう。
- 初戦で金足農に負けて初戦敗退(秋田の連敗はこの時点で9連敗でストップした)。または2回戦で創価に負けていた。
- このブロックは新潟明訓がベスト8進出。
- もし希望枠がなかったら、大垣日大が東海2枠目で選抜出場で中京(岐阜)が落選の可能性もわずかにあったかもしれない。
- 大垣日大は岐阜大会決勝で中京に勝利して県1位になっていたため。
- だがその場合2003年の福井選出・福井商落選、2009年の花巻東選出・一関学院落選、2012年の宮崎西選出・創成館落選以上に批判されていただろう(これらの例と違って対常葉菊川戦の点差も中京のほうが1点小さいため)。
- 東海大会では「決勝に進出しても気を抜くな」が合言葉になっていた。
- 2009年の明治神宮大会で大垣日大が優勝することもなかった。
- だが2010年代の成績は史実よりよくなっていたかもしれない。場合によっては2010年の明治神宮大会で大垣日大が優勝している。
2007年夏[編集 | ソースを編集]
- 広陵が優勝していたら
- 広陵は夏の甲子園として初めての優勝を飾っていた。
- 3度目の夏の決勝で3度目の正直を果たした。
- その分10年後に当たる2017年夏の決勝戦の注目度が下がり、現実以上に花咲徳栄を応援する人が多かった。
- 佐賀北の逆転満塁ホームランも無かった。
- いや、もしくは逆転を許した後に逆転していたかも。
- 9回表無死一塁の場面での一塁走者の三塁進塁が成功していたら…(史実では三塁封殺で二死走者なし)。
- 広陵が1回戦で敗退していたら
- 決勝が佐賀北VS駒大苫小牧となっていた場合、佐賀北の逆転満塁ホームランも無かったかもしれない。
- 駒大苫小牧が勝った場合その後の広陵の史実通りの対戦相手を見れば少なくとも準決勝の常葉菊川戦までは普通に勝ち進めたと思われる。場合によれば決勝は常葉菊川vs佐賀北になって常葉菊川が春夏連覇を達成していた可能性も。どちらが決勝に上がろうが佐賀北戦は普通に勝ってどのみちその準決勝が後々事実上決勝戦的な扱いになっていた。
- 満塁ホームランが9回裏に出ていたら
- 甲子園史上初の逆転サヨナラ満塁ホームラン(しかも釣り銭なし)となり史実以上の大騒ぎになっていた。
- 下手すると前年の引き分け再試合の決勝戦も霞んでいた。
- 佐賀北vs広陵が同じ展開で進んだものの,対戦が決勝ではなく準決勝だったら
- 佐賀北の逆転満塁ホームランはあまり記憶に残らなかっただろう。
- もしもう一試合の長崎日大vs常葉菊川で長崎日大が勝利していたら,ここの「佐賀vs長崎」に書いてあることが現実のものとなり,佐賀北の逆転満塁ホームランは間違いなく埋もれてしまう。
- 佐賀北vs長崎日大の決勝が史実の準決勝と同じ展開だったら、「決勝より準決勝がインパクトに残った大会」となっていた。
- もしもう一試合の長崎日大vs常葉菊川で長崎日大が勝利していたら,ここの「佐賀vs長崎」に書いてあることが現実のものとなり,佐賀北の逆転満塁ホームランは間違いなく埋もれてしまう。
- 決勝カードが違っていたら
- 常葉菊川vs佐賀北
- 春夏連覇vs旋風を起こした無名校という2004年と同じシチュエーションに決勝になっていた。
- 3年前と違うのは佐賀北が県勢初優勝ではないことか。
- 史実通り佐賀北が優勝なら00年代は済美と常葉菊川、春夏連覇を決勝で阻まれたチームが2つ出た年代になっていた。
- 現実の決勝と全く同じ展開(8回副島の逆転満塁ホームランで大逆転勝ち)なら常葉菊川は高校野球史上最も目前で春夏連覇を逃したチームになっていた。
- 佐賀北vs日南学園
- 日南学園は3回戦で選抜王者常葉菊川に8回表まで3点をリードしていて、もしこの試合に勝っていれば可能性はあった。
- がばい旋風vsそのまんま旋風対決として九州では史実以上に大盛り上がりになっていた。
- 東国原知事はこの年は知事当選、母校(都城泉ヶ丘)が春の選抜出場に加え、夏の甲子園で宮崎代表が史上初の決勝進出で大喜びしていた。
- この対戦なら現実の決勝のようなスタンドが佐賀北の大ホームになることはなかったと思われる。
- 史実の決勝のように終盤まで佐賀北がリードされていた場合、そのまま日南学園が逃げ切ったかもしれない。
- 佐賀vs宮崎の決勝はこの項目にあるが、この決勝カードがここまで盛り上がるのは2007年だけしかなかったと思う。
- 宮崎県勢初の決勝進出が6年早く実現していた。
- 文星芸大付vs興南が延長戦になっていたら
- その日の第1試合~第3試合のうち2試合が延長戦(うち1試合は延長15回引き分け)になったために試合開始が甲子園史上最も遅い18時30分開始になったこの試合ですが、もしこの試合も延長戦になっていたら?
- これに近いことが現実化していた。
- さすがに24時は過ぎないだろうが、21時越えは確実、下手すると22時も。
- 延長15回でも熱闘甲子園開始までには間に合いそうだが、編集が間に合わず詳細は翌日に回された可能性も。
- 試合時間短縮と選手の健康管理を考慮し、翌2008年から延長戦が12回までに短縮されていたかもしれない。
- タイブレークの導入が早まっていたかも(現実には2018年から導入)。
- あの学校が県大会で敗退していたら
- 常葉菊川
- 常葉菊川はこの年のセンバツで優勝しましたが、夏の予選は苦戦続き。特に3回戦と4回戦はともに9回1アウトまでビハインドの展開から同点ホームランが出て延長戦で勝つという薄氷を踏む勝利でした。もし、県大会で常葉菊川が敗れていたら?
- この年の静岡代表は静岡商。
- 大野健介と田中健二郎の立場が逆転していたかもしれない。大野はプロ入りしていたかもしれないし、田中はプロ入りしても1位指名じゃなくて下位指名だった。
- 翌年以降の常葉菊川の戦績に大きく影響していた。
- 2008年夏は序盤で大量失点した3回戦で敗退していただろう。
- 常葉菊川の弱体化によって静岡県勢の2008年以降の戦績も史実以上に悪くなっていた。
- 常葉橘が史実以上に強くなっていた。
- 広陵
- この年の広陵は夏の甲子園で準優勝しましたが、この年の広島大会決勝戦で周辺学校の統廃合によりできた創部3年目総合技術相手に苦戦。延長11回に小林誠司のホームランで辛くも勝利しました。もしこの試合で広陵が敗れていたら?
- 後にプロ入りした広陵の選手の何人かはプロ入りできなかった。
- プロ入りできたのはエースの野村祐輔とキャッチャーの小林誠司ぐらいか。
- 野村祐輔は大学1年生から活躍できなかったかもしれない。大学2年生から頭角を現していたか。
- プロ入りできたのはエースの野村祐輔とキャッチャーの小林誠司ぐらいか。
- 史実通りの組み合わせであれば初戦で駒大苫小牧に敗れていた。その後は上に書かれてある「広陵が1回戦で敗退していたら」と同じ。
- 総合技術はその後も甲子園に幾度が出場している。史実の2011年春だけ出場ということはなかった。
- 東海大相模の振り逃げ3ランが無かったら
- 神奈川大会の準決勝東海大相模対横浜の試合で、東海大相模が3点を先制した4回2死1・3塁の場面で打者菅野智之がカウント2-2からワンバウンドの球をスイングし三振、しかし振り逃げが成立する場面なのにも関わらず横浜のキャッチャーはボールを1塁に送らずベンチに戻ったため、それに気づいた東海大相模の監督は菅野に走れと指示し菅野はそのままダイヤモンドを1周、結果更に3点が入りこれが決勝点となりました。もし、菅野がそのままベンチに戻ってアウトが成立していたら?
- その後の展開からして横浜が逆転勝ちしていた。
- ただ決勝戦で勝てたかどうかは微妙なところ。
- 東海大相模は準決勝で敗れていたため、史実の決勝で起きた田中広輔の殺人スライディング事件はなかった。
- 菅野智之の高校時代の活躍シーンが一つ減っていた。
- というか東海大相模にいたことすら知らなかった人も結構いた。
2008年[編集 | ソースを編集]
2008年春[編集 | ソースを編集]
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 比嘉監督の「投手として監督として母校を優勝」ということはできなかった。
- 沖縄尚学は夏の甲子園にも出場していた。
- 聖望学園
- 埼玉県勢としては1968年の大宮工以来40年ぶりの選抜優勝となっていた。
- 夏の甲子園には出られなかったか。ただ史実通り夏の大会1回戦で敗退していたら史実以上の騒ぎとなる。
- 下手すれば翌日のスポーツ紙の1面に「無名の公立校が春の王者を破る下克上達成」みたいな感じで載っていた。
- 東洋大姫路
- 兵庫では関西学院と報徳学園とともに3校目の春と夏で甲子園優勝経験校となっていた。
- 夏の甲子園も出場していた。
- その後も度々甲子園に出場しており、兵庫の強豪校の1つとして今でも君臨していた。
- 佐藤投手はプロ入りしていただろう。
- 千葉経大付
- 千葉県勢として選抜初優勝とともに平成初の千葉勢甲子園優勝となっていた。
- よって関東で山梨とともに平成の元号の中で甲子園優勝経験なしということはなかった。
- 夏の甲子園でもベスト8以上は進めていた。
2008年夏[編集 | ソースを編集]
- 開幕が7月まで前倒しされていたら
2008年夏の高校野球は、北京五輪との日程重複を極力避けるため、開幕日が8月2日に設定されましたが、もし7月中に開幕ということがあれば…
- 当然、史上初の7月開幕となっていた。
- 現実の8月2日でも最も早い開幕となるため、7月開幕となれば初のこととなる。
- 仮に北京五輪開幕日(8月8日)までに全日程を終了させようと思ったら、記念大会で会期が17日になるため、7月23日から開幕ということとなっていた。
- ちなみに、北京五輪閉幕(8月24日)を待っての開幕では、閉幕日が9月10日となってしまうため、現実的ではない。
- 予選も6月から行う県が続出していた。
- 8月2日開催でも予選はいつもどおりだった県がほとんどだったが、7月開幕となれば前倒しをせざるを得なくなる。
- むしろ、地区大会は実施せず、春季都道府県大会の優勝校で代表校を決めていたに違いない。
- というより、この年の春季都道府県大会・地方大会は中止になっていたかと。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 大阪勢及び大阪桐蔭における夏の優勝は2012年まで持ち越され、1991年以来20年以上優勝から遠ざかる結果となっていた。
- 大阪桐蔭と浅村栄斗は現実並みには成功していない。
- 常葉菊川
- 静岡県勢は1926年以来82年ぶり2度目の優勝を飾っていた。長らく優勝していないだけあって、県民は大喜び。
- 森下監督のセクハラ報道を払拭することが出来た。
- 静岡県は「サッカーばかりではなく野球も頑張ってる」と言われていた。
- 浦添商
- 2年連続の公立校による全国制覇となっていた。
- 学校は違えど、春夏とも同一県勢による優勝だった。
- 2010年の興南の春夏連覇は現実ほど注目されないかも(この時点で沖縄勢が夏優勝してたので)。
- 史上初の別の学校による同一都道府県春夏連覇となっていた。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 大阪桐蔭 vs 横浜
- 事実、準決勝で対戦したが、横浜が優勝していたら2006年の初戦のリベンジを達成したことになる。
- 2006年の初戦:横浜 6-11 大阪桐蔭
- 松坂大輔や上地雄輔など、横浜男子はOB・現役関係無く大喜び。
- 大阪桐蔭 vs 浦添商
- 1991年以来の大阪勢 vs 沖縄勢の対決になっていた。
- もし浦添商が優勝した場合、1991年のリベンジを果たしていた。
- 常葉菊川 vs 浦添商
- 両校とも初優勝(常葉菊川は2007年に紫紺旗を獲得済み)を懸けた一戦なので、注目が集まる。
- 本荘-鳴門工で本荘が逃げ切っていたら
本荘(秋田)-鳴門工(徳島、現・鳴門渦潮)は鳴門工1点リードの9オモテに本荘が逆転に成功、秋田代表としては1995年の金足農(11-4倉吉東)以来13年ぶりにリードして最終回を迎えました(1997年の秋田商4-3浜田は9ウラ1-3から逆転サヨナラ勝ち)。この試合は鳴門工が再逆転しサヨナラ勝ちしましたが、もしも本荘が逃げ切っていたら?
- 秋田勢暗黒期脱出のヒーローが現実の能代商ではなく本荘になっていた。
- 最長連敗記録も生まれないのでネット上で最弱ネタの定番になることもない。
- 翌年も明桜に勝って甲子園に出場、その後も本荘は県内上位に定着できていた。
- 勢いが続けば2年後のセンバツも出場していた。(実際に2009年の秋の東北大会で優勝しセンバツに出場した秋田商は準決勝の相手が本荘だった)
- 2010年夏も出場できていれば「秋田代表の3年連続出場はない」というジンクスが破られていた。
- 明桜がスポーツ留学に本腰を入れるのが現実より遅かった。(当時は地元民が大半だったため)
- 砂田毅樹・山口航輝・風間球打の進学先も違ったかもしれない。
- 能代商野球部が成功することもなく、現実通り能代松陽高校が誕生した場合ユニフォームロゴが「NOSHO」から「松陽」に変わっていたかもしれない。
- 現実ではほぼ語感が一緒であることや合併直前の野球部の活躍で全国に向けてアピールできたことでユニフォームが能代松陽に引き継がれた。
- 校名そのものも違っていたかもしれない。
- 夏の甲子園出場が長らく1969年の横手だけだった県南勢の活躍はあるかもしれないが、実際にその後甲子園に出場する角館や大曲工は現実ほど成功していない。
- 逆に秋田修英(大仙市)が現実通りに強化に着手できていれば県南の有力選手の受け皿となり甲子園を狙えるチームへ成長できる。
- 「”甲子園ドリーム”に救われた崖っぷちのマイナー私学」として秋田修英は塚原青雲の再来になれていた。(塚原青雲は翌シーズン公式戦参戦休止確定の状態で甲子園初登場を果たした)
- この場合秋田には男子硬式野球部がある私学が明桜と秋田修英の2校しかないので参入している県下私学全校が甲子園に出場したことになる。(敬愛学園国学館高校にも野球部があったが夏の地方大会初勝利の直後に解散)
- 仮に天下を取れていたとして、2013年夏の県大会で大曲農・太田分校に負けていたら「野球弱小県を救ったヒーローのまさかの金星献上」としてお祭り騒ぎになっていたかも?(実際には6回まで大曲農太田がリードしていたが本荘が6回に追いつき延長10回サヨナラ勝ち。大曲農太田はこの大会で7年ぶりに初戦を勝ち上がった)
- 前年まで連続出場できていた場合ワイドショーやスポーツ紙のトップニュース独占レベル。
- 下手したら甲子園大会閉幕まで大曲農太田の話で盛り上がっていた(甲子園の表彰式で主催者代表あいさつのネタになった)
- 本荘の尾留川徹監督は小規模校を転々とすることなく定年まで本荘の監督を務めていた。
2009年[編集 | ソースを編集]
2009年春[編集 | ソースを編集]
- 花巻東が出場していなかったら
花巻東は2008年の秋季東北大会準決勝で光星学院に6-3で敗れ選抜当確圏内の決勝進出を果たせなかった。しかし同じ岩手県勢で決勝に進出した一関学院が光星学院に7-1で敗れたため、県大会でも直接勝ってる花巻東が準決勝敗退ながら逆転で選出された。もし一関学院が選出され花巻東は出場できなかったら…
- 花巻東のセンバツ準優勝はなかった。
- 岩手県勢初の決勝進出もなかった
- 一関学院でも行けていただろうか?
- 万一一関学院が決勝に進んだ場合、勝算があったかも気になるが…
- 菊池雄星の注目度は現実より下がっていた。
- ドラフト一巡目で指名されることは変わりないが、メジャーからつめかけることはなかった。
- むしろ注目度が下がった結果、実史よりプロで活躍できてたかもしれない。
- 逆に一関学院の菊池翔太の評価が上がっていたかもしれない。
- 夏に花巻東が出場していたら、各新聞の評価はBランクくらいだった。
- 2回戦か3回戦迄が精一杯、ベスト4進出などなかった。
- 初戦(長崎日大)に勝っていたら上位に進出したのではないかと。
- 長崎県勢は今も春夏通じて優勝経験のないままの可能性もある。
- そうなると優勝していたのは明豊あたりか?
- それは関係ないかと。
- 倉敷工が金光大阪に敗れていたら
倉敷工は金光大阪戦で明らかなサヨナラスクイズをアウトと誤審されました。この試合は倉敷工が勝利を収めましたが、もし敗れていたら…?
- 翌日のスポーツ紙には誤審が史実以上に大きく報道されていた。
- 金光大阪は誤審問題で本来の力が出せず、2回戦で大敗した可能性も。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- 長崎県勢は今も春夏通じて優勝経験のないまま。
- 花巻東
- 春夏通じて東北勢としては初の優勝となっていた。
- 選抜ではあるが、優勝旗がこの時初めて白河の関を越えた。
- 東北勢にとって今後の課題は夏の大会を優勝することになっていた。
- 菊池雄星の評価が実際より上がるとともに、今村猛の評価は下がっていた。
- 史実通り夏出場できなければ外れ1位か2位指名になっていた可能性も。
- 利府
- 同じく東北勢初優勝になるとともに、21世紀枠の出場校の初優勝にもなっていた。
- エース投手のブログでの発言が史実以上に騒動になっていた。
- 優勝剥奪にはならないだろうが、「こんな学校が東北勢初優勝とか喜べない」なんて意見があったかも。
- 同年夏の甲子園出場はなかったかもしれないが、夏の初出場は史実(2014年)より早く果たしていた。
- 場合によっては宮城は仙台育英・東北の2強から利府を加えた3強時代に突入していた。
- 報徳学園
- 甲子園は大盛り上がり、しかし関西以外は盛り上がらない。
- 1991年夏の大阪桐蔭同様、ベスト4で唯一優勝未経験の県じゃない学校の優勝という形になり、優勝未経験の県の怒りを買っていた。
- 後の2013年夏の前橋育英もベスト4で唯一優勝未経験の県じゃない学校の優勝だったため、(史実以上に)優勝未経験の県の怒りを買っていたかもしれない。
- 夏の甲子園に出場できたかどうかはわからないが、少なくとも地方大会の5回戦で関西学院相手に敗れることはなかった。
- 鳥取城北が出場していたら
前年の秋季中国大会で鳥取城北はベスト4ながら優勝した倉敷工と延長戦まで持ち込んだことや、鳥取大会を1位で通過したことなどから出場が有力視されていました。しかし、実際に選ばれたのは同じくベスト4で島根大会2位で通過した開星でした。当時はこの選考に関して疑問の声が上がっていましたが、もし鳥取城北が選ばれていたら?
- 鳥取城北はこの時点で甲子園初出場を決めていた。
- 夏も出場していたと思われるのでいきなり春夏連続での出場となっていた。
- 開星のセンバツ初出場は翌年まで持ち越し。
- 逆に夏の甲子園には出場していたかもしれない(史実では島根大会で初戦敗退)。
- 初戦で慶応と対戦してたら勝てただろうか?
- 慶応が勝っていればその次の箕島戦も勝ち準々決勝で今村猛擁する清峰と対戦、事実上の決勝戦と呼ばれていた。鳥取城北が勝っていればその後の甲子園での戦績ももう少しよかっただろう。
2009年夏[編集 | ソースを編集]
- 日本文理が優勝していたら
- 最大7点差をひっくり返しての逆転優勝に、当然新潟はお祭り騒ぎ。
- それでも高校野球板ではやっぱり非難轟々。
- 中京大中京のエース・堂林はヒーローインタビューの時以上に号泣していただろう。
- 世紀の逆転劇に文句なしでノミネートされてた
- 花巻東-明豊戦の掲載はなかったかも
- 優勝旗は白河の関を越えたかで揉める(新潟市は福島県白河市どころか福島市より北)。
- 結局は「白河の関を経て越えない限りは、白河の関を越えていない」という結論に至るだろう。
- 甲子園のある関西~新潟は昔から日本海側経由がメインだったので、やはり白河の関は関係ないだろう。
- もし白河の関を越えたと判断されたら新潟県は現実以上に東北地方扱いされていた。
- そうでなくとも2009年時点で本州では最北の優勝校となっていた。
- 結局は「白河の関を経て越えない限りは、白河の関を越えていない」という結論に至るだろう。
- かなりの確率でここの大学が関連校だと勘違いされていた。(実際には無関係)
- 日本文理高校の話題は愛知県のスポーツ界最大の禁句になっていた。
- 広島県における佐賀北高校以上。
- 1988年夏季オリンピック招致失敗ばりの禁句になっていたかも?
- 優勝メンバーの中からプロ入りする選手が出ていたかもしれない。
- エースの伊藤直輝あたりかな?(史実では東北福祉大学→ヤマハとプレーし、2019年引退)
- ABCの小縣裕介アナウンサーは更に有名になっていた。
- 決勝のカードが違っていたら
- 岐阜商業vs中京大中京
- 東海地方だけが大盛り上がり。
- 日本文理vs花巻東
- 北信越勢は久々の、東北勢は初めての優勝を賭けて戦うために両地方は大盛り上がり。
- 春に続き夏も「どっちが勝っても春夏通じて初優勝」になっていた。
- 終盤まで花巻東が大きくリードするが、9回に怪我している菊池雄星を無理に投げさせた結果、9回2アウトランナーなしから日本文理に6点差を大逆転負け。日本文理奇跡の初優勝になっていたかも。
- 日本文理の方が後攻だったら9回裏2アウトランナーなし6点差からの逆転サヨナラ負け。済美-東北や佐賀北-広陵も吹っ飛ぶ。
- 試合後数ヶ月間「どうして東北勢はここまで甲子園優勝できないのか」と言われる。
- 東北の高校野球史最大の悲劇として何年も語り継がれる。
- 花巻東が勝ってたとしたら9回2アウトからの日本文理の追い上げはなかった(追い上げを食らったら上記のように逃げ切れなかっただろう)。
- 日本文理優勝の場合、花巻東は春に続き夏も相手校に県勢初優勝を献上したことになり、東北全体がお通夜ムードになっていたかもしれない(新潟は正確には東北ではない為)。
- 岐阜商業vs花巻東
- 両地方は大盛り上がり。ただし盛り上がりの度合いでは東北のほうが上。
- 日本文理の「土壇場の追い上げ」がなかったら
- スポーツ紙などでは「中京大中京圧勝」の見出し。
- 準優勝校であるはずの日本文理の扱いは現実以上に小さい。
- やっぱり文理は籤運だったといわれる。
- 「6点差、9回、2アウト、2ストライク、ランナーなし」は絶望を意味するキーワードとなっていた。
- 新潟県内は完全にお通夜状態…。
- 花巻東・菊池雄星の背筋痛が無かったら
- 中京大中京を相手に1、2点差ぐらいの接戦を演じていた。
- プロでは…、これはあまり変わらなかったかな。
- 9回表に日本文理逆転→9回裏に中京大中京再逆転サヨナラだったら
- 箕島-星稜の「奇跡は二度起きた」、智弁和歌山-帝京の「魔物は二度笑った」に続く新たな呼び名ができていた。
- 少くとも2006年夏の智弁和歌山-帝京は名勝負としてはかなり霞む。
- 場合によっては2007年夏決勝の佐賀北-広陵も。
- 世紀の逆転劇にはもちろんノミネート。
- 敗れた日本文理の選手も泣いていたかもしれない。