もしあの年の高校野球で○○だったら/2010年代前半
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2010年[編集 | ソースを編集]
2010年春[編集 | ソースを編集]
- 開星が向陽に勝っていたら
- 開星の野々村直通監督の例の発言はなく、夏も野々村監督で出場。
- 2年生の中には次の相手になるはずだった日大三と二度対戦した人が出る(翌年の夏の二回戦で実際に対戦しており、11-8で日大三が勝利している)ことになる。
- 日大三が優勝していたら
- 夏に東海大相模が優勝していた場合、2010~2011年にかけての高校野球は日大三(2010春)-東海大相模(2010夏)-東海大相模(2011春)-日大三(2011夏)というように優勝していた。
- 夏の甲子園にも出場していたかもしれない。
- その場合、史実の早稲田実と同じく2回戦で中京大中京と当たっていたら、前年夏の優勝校と今年春の優勝校の対決となっていたため、史実以上に盛り上がっていた。
- 日大三が選出されなかったら
- 前年の秋季東京大会で日大三は準決勝で敗退しセンバツ出場は厳しいとされていましたが、準優勝した東海大菅生の不祥事による推薦辞退や、優勝した帝京と2-1と接戦だったことが評価され選出されました。もし、日大三が選出されなかったら?
- 選出されていたのは桐蔭学園。
- 多分史実の組み合わせであればベスト8くらいまでは勝ち進めていたかも。
- この年の決勝は広陵vs興南だった。
- 日大三はこの年の夏の甲子園に出場していただろう(史実では西東京大会準決勝で敗退)。
2010年夏[編集 | ソースを編集]
- 興南が準決勝で敗れていたら
- 沖縄県勢悲願の夏の甲子園優勝と史上6校目の春夏連覇は達成できず。
- それでも島袋洋奨投手たちの評価は下がらない。
- 翌日の決勝では東海大相模の一二三慎太投手は三連投で疲労していたため、興南の対戦相手である報徳学園が優勝していた。
- それでも東海大相模が優勝していたら、東海大相模は史上5校目の夏春連覇を達成していたことになる。
- 東海大相模の沖縄出身である双子の大城健二・卓三選手は、出身地の高校と決勝対決という経験は出来なかった。
- 開星のセンターが1回戦で落球しなかったら
- おそらく開星が2回戦進出していたと思われる。
- その後3回戦の興南戦までは勝ち進めたと思う。
- 東海大相模が優勝していたら
- 東海大相模は2011年春とともに夏春連覇を果たしていた。
- 一二三慎太はプロである程度活躍していた。少なくとも女性への暴行で逮捕されることはなかった。
2011年[編集 | ソースを編集]
2011年春[編集 | ソースを編集]
- 九州国際大付属が優勝していたら
- 春のセンバツは2008年以来4季連続で九州・沖縄勢が優勝していた。
- 福岡県勢としては春は初優勝となっていた。
- 福岡県も春夏両方を制覇した県となっていた。
- 開催中止になっていたら
- 東日本大震災の影響を鑑み、大会直前まで開催中止も検討されていました。
- 震災のなか奮闘する被災地の球児たちがクローズアップされることはなかった。
- この大会に初出場しその後甲子園出場がない大館鳳鳴、佐渡、創志学園、総合技術、城南は「幻の甲子園出場」になっていた。
- 創志学園の甲子園初出場は2016年の春まで持ち越しとなっていた。
- 創志学園の創部からの甲子園初出場最速記録もなくなり、最速出場記録は現在でも遊学館(最速優勝は済美)だった。
- 「最速で甲子園初出場するはずだった学校」として参考記録になっていた。
- 前橋育英は甲子園デビューが2年5ヶ月遅れた。
- 史実通り2013年夏の甲子園で優勝していたら、春夏通じて初出場初優勝になっていた。
- 「震災による大会中止で甲子園初出場が消えた悔しさをバネにしての初出場初優勝」と言われたかもしれない。
- 史実通り2013年夏の甲子園で優勝していたら、春夏通じて初出場初優勝になっていた。
- 三好匠・高城俊人のドラフトにも影響が出ていた。
- 明徳義塾の初戦敗退は未だに1987年春の1回だけだった。
- 組み合わせ抽選後に中止が決定した場合、2005年夏にこの大会の初戦と同じ「日大三-明徳義塾」のカードが組まれたあと明徳義塾が出場辞退したことがあったことも合わせ、「日大三-明徳義塾」の対戦が組まれるとそのカードは幻になるというジンクスができていた。
- それでも「第83回」としてカウントされ、翌2012年は「第84回」として開催された。
- 実際、夏は米騒動の影響で中止された1918年及び戦争の影響で中止された1941年の両年とも、回数にカウントされている。
- 翌年あるいは翌々年の選抜は1度限りの東北開催になっていたかもしれない。
- 創志学園はその後も未だに甲子園出場がなく、現在では県内中堅以下に成り下がっていたかもしれない。
- 履正社、九州国際大付のその後の成績にも影響が出ていた。場合によってはこちらも低迷。
- 大阪は大阪桐蔭の1強になっていた。
- 2020年選抜はもう少し早い段階で中止が決まっていただろう。
- この年の夏は史実通り甲子園は行われていたが、救済措置として21世紀枠とこの年の選抜に初出場した高校は特別枠として出場できていた。
- それがなかったとしても交流試合という形で21世紀枠のチームは甲子園で試合ができていたかも。
- 残念ながらそれはなさそう。2021年にも言われたが甲子園本大会と交流試合の両立は困難。
- 大館鳳鳴、佐渡、創志学園、総合技術、城南は「幻の甲子園出場」になってしまったというのは変えられないだろう(この年の春夏通じて初出場組で前橋育英だけは後年本当の甲子園初出場を果たせた)。
- それがなかったとしても交流試合という形で21世紀枠のチームは甲子園で試合ができていたかも。
- 創志学園が1勝でもしていたら
- 間違いなく校歌は知れ渡っていた。
- 実際はNHKでの放送が震災ニュースのため2回攻撃前の校歌のシーンが放送されず、試合は負けたため校歌を聞けなかった人がほとんど。
- 入場行進が中止されていたら
- 大会は開催されたものの入場行進は自粛されたとしたら
- 入場行進曲は使われず。
- 場合によっては創志学園の有名な選手宣誓もなかった。
- この大会の入場行進曲が幻になった代わりに、2013年の入場行進曲がいきものがかりの「風が吹いている」になっていたかもしれない。
- 選手宣誓が別の学校だったら
- キャプテンは新3年生で1993年~1994年生まれなので、「阪神・淡路大震災の年に生まれた」という宣誓文はなかった。
- 新2年生が選手宣誓という珍記録は誕生しなかった。
2011年夏[編集 | ソースを編集]
- 光星学院が優勝していたら
- 東北勢悲願の春夏通じての甲子園初優勝となっていた。
- 真紅の優勝旗が初めて白河の関を越えていた。
- 東北にとってはとても明るいニュースになっていただろうね。
- 2022年夏に仙台育英が優勝しても東北全体で盛り上がることは無かった。
- 大阪出身の生徒が多いことも話題になっていた。
- 地元青森はもちろんのこと大阪人も大喜びしていた。
- 沖縄出身者も多かったので沖縄でも。
- 大会後に発覚した飲酒事件が史実以上の騒ぎに。最悪の場合優勝を辞退していたかもしれない。
- さらにその後に起きた青森山田の野球部員死亡事故も重なり、下手すれば青森の高校野球がまた弱小化していった可能性も。
- さらに3季連続優勝していたら
このあと光星学院は2012年春・夏も決勝に勝ち進みますが、この時も優勝していたら
- 史上初の3季連続優勝で大騒ぎになっていた。
- 東北=弱いというイメージから脱却していた。…
- 大阪桐蔭高校は春夏連続準vという結果に終わっていた。
- 2017年、2018年春制覇の時は「今度こそ春夏連覇を…」という声が上がっていた。
- 2018年夏の決勝は日大三と大阪桐蔭による光星学院に優勝を阻まれた同士の対決になったかも。
- 2018年夏で大阪桐蔭が史実通り優勝なら悲願の春夏連覇として注目された。
- 2018年夏の決勝は日大三と大阪桐蔭による光星学院に優勝を阻まれた同士の対決になったかも。
- 2017年、2018年春制覇の時は「今度こそ春夏連覇を…」という声が上がっていた。
- 八戸学院光星への校名変更もなかった。
- 2012年ドラフト会議においては北條と藤浪の評価が現実と逆になっていた。
- 北條は阪神を始めとする複数球団が1位指名、抽選になっていたのに対し藤浪は阪神の外れ1位、あるいは2位指名となっていた。
- 北條が現実通り阪神に入団していた場合、藤浪は阪神に入団していなかった可能性もある。
- 北條は阪神を始めとする複数球団が1位指名、抽選になっていたのに対し藤浪は阪神の外れ1位、あるいは2位指名となっていた。
2012年[編集 | ソースを編集]
2012年春[編集 | ソースを編集]
- 優勝校が異なっていたら
- 高崎健康福祉大高崎
- 間違いなく校歌が全国的な話題になり、CDの一般発売もありえた
- 夏の甲子園に出場していたかは微妙なところ。もし史実通り地方大会の4回戦でコールド負けしていたら、史実以上の大騒ぎになる。
- 光星学院
- 東北勢悲願の春夏通じての甲子園初優勝となっていた。
- そのかわり夏は出場できなかった可能性も。
- 浦和学院
- 監督の采配に対する批判が減っていた。
- 2013年春に春2連覇を達成していた。
- 同年6月に発生した同行野球部員の痴漢事件を報じた見出しが「センバツ優勝校の恥!浦学野球部員まさかのタッチアウト!」となり,史実よりも批判が大きくなる。
- 地球環境が一勝でもしていたら
- 通信制学校として初出場でしたが一回戦で履正社に敗退しました、仮に一勝でもしていたら?
- サッカー部だけでなく野球部にも入部希望者が殺到し、学校は施設改良を余儀なくされる。
- どっちにしろ次(愛工大名電戦)で大敗していた。
- 兵庫代表が一般枠で出場していたら
- 2011年の秋季近畿大会で兵庫県勢3校は初戦で全滅(しかも1位校と2位校はコールド負け)しましたが、兵庫が開催地であることから初戦敗退でも兵庫代表が出場するのではないかと噂されました。結果的に一般枠での出場はなく、21世紀枠で洲本が選ばれたことにより兵庫代表の選抜出場が実現しましたが、もし一般枠で兵庫代表が出場していたら。
- 出場するのは3校で唯一コールド負けを免れた育英か、県1位の報徳学園。
- 逆に出場できなかったのは準々決勝で敗れた鳥羽か大阪桐蔭か準決勝で大敗した近江あたりか。大阪桐蔭がもし出場出来なかったら光星学院が優勝していただろう。
- 報徳学園だった場合は、田村伊知郎投手が注目された。
- どっちにしろ2003年に近畿大会初戦敗退ながら出場した近大付並に批判されていた。
- 21世紀枠は一般枠で出場した宮崎西が選出され、創成館が一般枠で出場していた。
- 創成館は1年早く甲子園初出場していた。
2012年夏[編集 | ソースを編集]
- 光星学院が優勝していたら
- 2011年夏、2012年春と2回連続で決勝戦に進出しながら準優勝に終わっているので、「3度めの正直」と言われていた。
- それ故に光星学院の選手、地元八戸市の喜びもひとしおだったと思われる。
- マスコミなどは「春のリベンジを果たした」と報じていた。
- 同年のドラフト会議では北條(光星学院)と藤浪(大阪桐蔭)に対する評価が現実とは異なっていたかも。
- どちらかが阪神に入団していなかった可能性もある。
- 現実通り2人とも阪神入りしたとしても、指名順位が逆になった可能性がある。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 大阪桐蔭vs桐光学園
- 大阪桐蔭の藤浪投手と桐光学園の松井投手の直接対決が話題になっていた。
- もし桐光学園が優勝した場合、松井投手への注目度は現実以上のものになっていた。
- 逆に花巻東の大谷投手への注目度は下がっていた。
- もし桐光学園が優勝した場合、松井投手への注目度は現実以上のものになっていた。
- 東海大甲府vs光星学院
- 山梨県勢としては初めての決勝進出となっていた。
- どちらが優勝しても春夏通じて初優勝ということになっていた。
- ゆえに両地方は大盛り上がりしていた。
- 大阪桐蔭vs日大三
- 2012年春と2011年夏の優勝校が対決する決勝戦ということで注目を集めていた。
- 大阪桐蔭の春夏連覇か日大三高の夏2連覇かということが話題になっていた。
- 高校野球の決勝戦では久しぶりの大阪vs東京の東西対決となっていた。
- 夏では1976年以来36年ぶり、春も含めても1987年以来25年ぶりということになっていた。
- 花巻東高校が出場していたら
- かねてから注目されていた大谷投手の花巻東高校は地区決勝で敗退し甲子園の出場は叶いませんでした。もし、出場していたら?
- 高野連会長の「花巻東の大谷君を甲子園で見れなかったのが残念」という発言は当然なかった。
- プロやメジャーリーグのスカウトの注目は俄然高まっていた。
- 数球団の競合は確実。日本ハムに加えて巨人・阪神・ソフトバンク以外のどこかが確実に指名に乗り出していた。
- 特に優勝でもしていたら白河の関越えに加え、同校の2009年春の準優勝及び同年夏4強の雪辱として一躍注目の的となり、先輩・菊池の6球団をも上回る、7~8球団競合もあり得た。もしかしたらドラフト史上最多となる9球団競合も…
- 藤浪・東浜は競合にはならず、そのまま阪神およびソフトバンクの一本釣りとなった可能性もある。
- メジャーに行く道を選んだ場合でも、争奪戦は史実以上のものとなっていた。
- 数球団の競合は確実。日本ハムに加えて巨人・阪神・ソフトバンク以外のどこかが確実に指名に乗り出していた。
- 大阪桐蔭の藤浪投手や桐光学園の松井投手との対決が実現していたかもしれない。
- 少なくとも史実の盛岡大付と同じく初戦に立正大淞南と対戦していたら勝っていただろう。大谷翔平が甲子園で1度も勝てないまま高校野球生活を終えることはなかった。
- 決勝戦での疑惑のホームランが各メディアに取り上げられることもなく、取り上げられたとしても大々的に報じることはなかった。
2013年[編集 | ソースを編集]
2013年春[編集 | ソースを編集]
- 済美高校が優勝していたら
- 安楽選手への注目が俄然上昇していた。
- 浦和学院の監督森士氏への批判がさらに増え、最悪辞任もありえた。
- 夏もベスト8進出くらいはしていたかもしれない。
- 浦和学院が優勝していなかったら
- 例の事件の影響をモロに受けたとされた。
- 監督森士氏への批判がさらに増え、最悪辞任もありえた。
- 今頃は「花咲徳栄にお株を奪われた」と言われている。
2013年夏[編集 | ソースを編集]
- 優勝校が違っていたら
- 延岡学園
- 宮崎県勢初の決勝進出で優勝となり、地元は大盛り上がりになっていた。
- 高校サッカーで鵬翔が県勢初優勝したことも相まって、県民の喜びは尋常なものではなかった。
- 九州勢は全県春夏通じて少なくても一回は優勝したことになる。
- あまちゃんのテーマを始めて応援歌に使いそのまま優勝したことであまちゃんの視聴率がもっと上がった可能性も
- 日大山形
- 東北勢初優勝となり山形県だけでなく東北全体で大盛り上がりになっていた。
- 学校は違うものの1985年夏の東海大山形の29-7の大敗が取り上げられ、「ここまで長い道のりだった」と言われていた。
- 東北の他の5県勢が何度決勝(春を含む)に上がっても優勝できなかったのに、山形県勢が初の決勝で優勝旗をかっさらったので、山形県民は鼻高々だった。
- 花巻東
- 同じく東北勢初優勝となり岩手県だけでなく東北全体で大盛り上がりになっていた。
- OBの菊池雄星や大谷翔平からお祝いのメッセージが寄せられていた。
- しかし高校野球板では同校のサイン盗み疑惑も相まって大荒れ。しまいにゃ「花巻東は優勝旗を辞退しろ」の署名活動にすらなっていたかもしれない。
- 富山第一
- 富山県勢初優勝、北陸勢初優勝、北信越勢としても85年ぶり、春夏通じて59年ぶりの優勝となり北信越全体で大盛り上がりとなっていた。
- そして、47都道府県すべての代表が夏の大会でベスト4以上を1回以上経験したことになっていた。
- 史実通り5ヶ月後の高校サッカー選手権でも優勝していたら野球とサッカーの両方で大盛り上がりだった。
- 決勝戦のカードが違っていたら
- 花巻東vs日大山形
- どちらが勝っても白河の関を越えるため、注目が集まった。
- 日大山形が優勝した場合、山形県勢初の決勝進出で優勝のため地元は大盛り上がりになっていた。
- しかし花巻東が優勝していた場合、サイン盗み疑惑もあり相当な批判にさらされていただろう。
- 東北の他の4県勢が何度決勝に上がっても優勝できなかったのに、岩手or山形県勢が初の決勝で優勝旗をかっさらったので、優勝校を輩出した県の県民は鼻高々だった。
- 岩手は2009年春に準優勝していますが…
- あ、↑は夏に限った場合です。
- 岩手は2009年春に準優勝していますが…
- 日大山形vs富山第一
- 県代表の決勝初進出(共通)、白河の関越え(山形)、初出場初優勝(富山)の3つが含まれる極めて珍しい決勝となっていた。
- どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 北陸勢が今まで一度も優勝していないことも後付けで報道される。
- どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 前橋育英vs富山第一
- 「サッカーじゃないの?」という声があちこちから聞こえた。
- どちらが勝っても初出場初優勝という極めて珍しい決勝となっていた。
- 日大山形vs延岡学園
- 両チームとも春夏通じて初の決勝ということで、どちらが勝ってもメディアの取り上げ方は双方とも大きかった。
- 日大山形サイドからすれば、ある意味「2009年春のリベンジ」をかけて戦い・応援に臨んでいたと思われる(東北勢初優勝を九州勢に阻まれた為)。
- 前橋育英vs済美
- 高橋光成投手と安樂智大投手の2年生好投手の投げ合いが話題になっていた。
- 済美が勝てば春(&2004年夏)のリベンジの優勝となっていたが、前橋育英が勝っていた可能性が高いと思う。
- 2014年のドラフトはこの2人の注目度がさらにあがっていた。
- 前橋育英vs鳴門
- この場合も優勝したのは前橋育英。
- だがそれでも鳴門は徳島県勢31年ぶりの決勝進出で地元は大盛り上がりだった。
- 翌年以降の鳴門の成績ももう少しよくなっていた。
- 2014年は初戦敗退するがあそこまでの点差にはならず。2015年は1~2勝、2016年はベスト4進出、2019年もベスト8まで進出していた。
- また2016年は選抜にも出場していたかもしれない。
- 2014年は初戦敗退するがあそこまでの点差にはならず。2015年は1~2勝、2016年はベスト4進出、2019年もベスト8まで進出していた。
- 翌年以降の鳴門の成績ももう少しよくなっていた。
- 駒大岩見沢が甲子園に出場していたら
- この年を最後に廃校が決まっていたかつての常連校駒大岩見沢がもし甲子園に出場していたら?
- マスコミが大きく取り上げていた。(主にお涙頂戴)
- 対戦相手はものすごく戦いずらかった。
- もし優勝していたら2003年の常総学院(木内監督勇退)、2004年の駒大苫小牧(北海道勢初優勝)を超える大騒ぎ。
- その場合翌年の優勝旗返還がどうなるか注目される。
- まんまこれになる。
- 常総学院が準決勝に進出していたら
- 準々決勝で9回まで2-0とリードしながら、まさかのアクシデントで敗退した常総学院。もし準決勝に進出できていたら?
- 力関係からして、常総学院が優勝していたと思われる。
- その場合、木内監督勇退後初優勝となっていた。
- 浦和学院が出場していなかったら
- 代わりに川越東が出場していた。
- それ以外は「春で優勝していなかったら」と同じ。
- 花巻東がサイン盗みをしてなかったら
- 決勝戦は前橋育英vs鳴門か前橋育英vs済美になっていた。
- なので上記の「決勝戦のカードが違っていたら」を参照。
2014年[編集 | ソースを編集]
2014年春[編集 | ソースを編集]
- 優勝校が違っていたら
- 履正社
- 夏に大阪桐蔭が優勝すれば、史上初の別の学校での同一都道府県春夏連覇になっていた。
- 夏の大阪桐蔭の優勝も合わせ、PL学園の影がさらに薄くなっていた。
- 同年秋の廃部発表を残念に思わない人が増えていた。
- 豊川
- 2004年の済美以来の初出場初優勝を果たしていた。
- 夏の甲子園に出れていたかは微妙なところ。
- ただ史実の3回戦で敗れた東邦には勝っていたか。
- その場合、当時1年生だった藤嶋健人は話題になっていない。「バンビ2世」と呼ばれることもなかった。
- ただ史実の3回戦で敗れた東邦には勝っていたか。
- 豊川はその後も甲子園に出場していただろう。
- 佐野日大
- 甲子園初優勝ということで地元は大盛り上がり。
- 夏の甲子園にも出場していた。
- よって現実のような作新学院1強になることは無く佐野日大との2強体制となっていた。
- 2016年の夏の甲子園で優勝することもなかったか?
- よって現実のような作新学院1強になることは無く佐野日大との2強体制となっていた。
- それでも田嶋大樹は高卒でプロ入りせずに史実通りJR東日本に入社していた。
2014年夏[編集 | ソースを編集]
- 星稜が石川大会決勝で負けていたら
- 0-8から9回の大逆転サヨナラ勝ちで甲子園出場を決め日本中で話題になった星稜でしたが、もし小松大谷に逃げ切られていたら。
- 石川大会決勝が全国で話題になることはなかった。
- youtubeやニコニコ動画にupされることもなかった。
- アメリカでもニュースになることなど勿論ない。
- 「追いつかない程度の反撃」で8-7で小松大谷の勝利だったらyoutubeにupくらいはされてたかもしれないが、ここまで話題にはなっていない。
- 小松大谷の新聞での評価は軒並みCランク、2ちゃんねるでは最弱候補にあげられていた。
- 小松大谷はおそらく初戦で敗退してた可能性が高いので、北信越勢の全校初戦突破はなかった。
- 場合によっては両校のエースだった岩下大輝(星稜→ロッテD3位)と山下亜文(小松大谷→ソフトバンク育成)のドラフト指名状況が変わっていた。
- 翌年に小松大谷が星稜に対して9回裏4点サヨナラで勝利することは無かった。
- 星稜の大逆転劇が甲子園で起きていたら
- 世紀の逆転劇に文句なしでノミネートされてた。
- 大垣日大-藤代と日本文理-富山商のどちらかは掲載されなかった。
- 全国での盛り上がりは史実以上だった。
- 実況板は祭り状態で下手すると鯖落ちしていた。
- 閉会式での高野連会長の講評でも間違いなく取り上げられる。
- 翌年から白球の記憶でも取り上げられたかもしれない。
- 済美が愛媛大会で優勝していたら
- それでも済美は甲子園に出場できただろうか?
- 2005年の明徳義塾みたいに不祥事の影響で出場辞退していた可能性が高い。
- さらに甲子園に出場できたとしても、上甲監督は指揮をとれなかっただろう。
- 別の監督が就任して経験不足が響き、初戦で敗退していた。
- 出場辞退だった場合、閉会式で高野連会長が「とりわけ残念なのは安楽投手の済美高校が出場辞退してしまったことであります」と言っていた。
- 2012年の大谷投手の件と違って出場辞退という結果なのでこの発言への批判は少なかっただろう。
- 二松学舎大付が東東京大会決勝で帝京に敗れていたら
- 帝京は現在でも甲子園に度々出場している。
- 2020年正月のリアル野球盤で石橋貴明が二松学舎に対して挑発するようなことはなかった。
- 二松学舎は2017年に初出場していたか、今も夏の甲子園に出場できていなかったかもしれない。
- 優勝校が違っていたら
- 全般
- ベスト4のうち日本文理、敦賀気比、ベスト8のうち八戸学院光星、聖光学院が優勝していたら「西暦が末尾4の年は都道府県勢初優勝が出る」というジンクスが継続していた。
- 三重
- 三重県勢としては夏に限れば1955年の四日市高校、春を含めても1969年の三重高校以来の優勝となるので、久しぶりの全国制覇に県内は大盛り上がりとなっていた。
- 同校OGである西野カナから優勝をお祝いするメッセージが寄せられていた。
- 「『西暦が末尾4の年の夏の甲子園は、伏兵が勝つ』というジンクスだったんだ」と言う人が出ていた。
- 実際yahoo掲示板の「各都道府県別知名度調査」でこのように言った人がいた。
- 敦賀気比
- 北信越としては春夏通じて初の甲子園優勝ということになり、県内はもちろん北陸全体で大盛り上がりとなっていた。
- 史実通り2015年春も優勝していたら、昨年夏優勝からいきなり夏春連覇を達成していた。
- 日本文理
- 新潟県勢として初優勝ということになり、地元は大盛り上がりしていた。
- 5年前のリベンジを果たした、と言われていた。
- 飯塚投手はドラフトで上位指名されていた。史実のように7巡目まで残ることはなかっただろう。