もしあの放送局が○○だったら/中国・四国
中国放送[編集 | ソースを編集]
JNN以外の系列局になっていたら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
ラジオ単営局のままだったら[編集 | ソースを編集]
→もしあの放送局がテレビ放送を開始していなかったら#中国放送
広島ホームテレビ[編集 | ソースを編集]
略称変更がなかったら[編集 | ソースを編集]
広島テレビ[編集 | ソースを編集]
フジテレビ系列のままだったら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
テレビ新広島[編集 | ソースを編集]
別の時期に開局したら[編集 | ソースを編集]
史実では、1975年10月に開局しました。
- 1975年春
- プロ野球シーズンの開幕に合わせての開局であった。
- 森永勝也氏は監督を退任してからすぐに解説者に就任していた。
- プロ野球ニュースも1975年から開始されていた。
- この年のオールスターゲーム第3戦はテレビ新広島で中継されていた。
- 東日本放送も同時に開局していたかもしれない。
日本海テレビ[編集 | ソースを編集]
TBS系のままだったら[編集 | ソースを編集]
※史実では1959年12月15日に日本テレビ系にネットチェンジ。
- BSSテレビ(山陰放送)は、日本テレビ系として開局していた。
- 「キューピー3分クッキング」は、山陰両県でCBCバージョンが放送されている。
ANNに正式に加盟していたら[編集 | ソースを編集]
- モーニングショーやアフタヌーンショーは山陰放送ではなく日本海テレビに一本化していた。
- テレビ朝日鳥取・米子・松江の各支局は無かった。
- 現実の福井放送みたいな編成になっていた。
テレビ山口[編集 | ソースを編集]
フジテレビ系列だったら[編集 | ソースを編集]
- TBS系列の番組は深夜や昼に放送されている。
- 夕方のニュースが、tysスーパーニュースだ。
- そんなに名前がかわってない・・・・・
- 歴代タイトルだと、TYS夕やけニュース⇒TYSニュースワイド630⇒FNN TYSニュースワイド600⇒TYSスーパータイムFNN⇒TYSヒューマン⇒TYSスーパーニュースになるな。
- MBS製作の日曜17:00のアニメは日曜朝6:30~7:00に放送されていたかもしれない。
- テレビ東京の番組はyab、KRY TBSの番組はtysとなる。
- 産経テレニュースFNNは「FNN TYSニュース」として放送し、フジと同じ音楽+タイトルバック映像を使用している。
- 現実でいう秋田のような編成になっていた。
- 1990年代に、TBS系列の「テレビユー山口」が開局していた。
- 「長州テレビ」、「山口文化放送」、「山口県民テレビ」になっていた可能性もある。
- 最終的に4局地域になっていた。
1987年10月にFNNフルネット局に移行していたら[編集 | ソースを編集]
史実では、1987年10月にテレビ山口はJNNフルネット局に移行しましたが、もしフジテレビジョンの要望を受け入れて、FNNフルネット局に移行していたら…
- 2001年3月まで放送されていたプロ野球ニュースを見ることができた。
- フジテレビジョンと関西テレビ放送がテレビ山口の株式を保有していた。
- 1990年10月頃に、TBS系列の「山口県民テレビ(YKT)」が開局していた。
- その際は、みなと山口合同新聞社が出資していた。
- 最終的に、山口県は4局地域になっていた。
- 産経新聞が1997年に山口県内での販売を休止することはなかった。
- テレビ西日本で放送されている「華丸・大吉のなんしようと?」が放送されていた。
山口朝日放送[編集 | ソースを編集]
フジテレビ系列局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
テレビ愛媛[編集 | ソースを編集]
TBS系列局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
- あいテレビは、フジテレビ系になっていた。
- あいテレビ開局までは、南海放送とテレビ愛媛で番販ネット。
- 何回も南海放送にネットチェンジやらないかと持ちかける。
ラテ兼営だったら[編集 | ソースを編集]
- AMの場合
- おそらくNRNだけをネットする。
- またFNNならば産経色が強くなる。
- その場合、南海放送はJRNシングルネットになっただろう。
- FMの場合
- FM愛媛は開局しない。
- 現在のビビットホールのところ(現実のFM愛媛旧本社)にラジオ部門が集約される。
- JFN系に入っていたかどうかは、微妙。
アニメを積極的に放送したら[編集 | ソースを編集]
- RNBでもこぼれたアニメを放送する。
- こんなことが起こった場合TXN系になる。
親局があの位置にあったら[編集 | ソースを編集]
- すべてにおいて言える事
- FM愛媛・ITV・eatもその位置に送信所を建設する。
- 大峰ヶ台(総合公園があるあの山)
- 現在の送信所よりも北西にあるので、他県にもスピルオーバーがもっと出るであろう。
- 史実では、行道山にあるので城山に阻まれて受信できない地域のためにアナログ限定でこんなものができたが、これでは道後地区に「道後中継局」なるものができる。
- ただし、デジタルでは城北と同様に「置局不要」という判断になってしまう。
- 平成新局であるITV・eatのどちらかは送信局舎と本社社屋を統合するかもしれない。
- EBCの送信所の位置によっては総合公園はなかった。
- 城山
- RNB・NHKが地デジ移行で送信所を移転することもなかった。
- ここみたいにスーパーターンアンテナの隣に双ループアンテナをつけることになった。
- 多分あいテレビ開局時点で送信所用の敷地がなくなる。
- もしかしたらEBC・FM愛媛開局で鉄塔のスペースがなくなり、ITV開局で建て替えるかもしれない。
- デジタル放送で行道山に送信するのに城山が邪魔になることもないのでRNBの本社移転はなかった。
- それでも建物の老朽化で1964年・移転当初からの本館(道に面していないほうの建物)は取り壊し、当面の間新館だけで業務を行い本館跡地に新しい建物を建築する。
- 奥道後
- 山口方面で視聴しやすくなる代わりに、広島方面での視聴は絶望的になる。
- 旧北条市でも絶対に親局が受信できなくなる。
- 東方向に電波を飛ばす必要がないので西方面に指向性を設ける。
愛称が「テレビ愛媛」じゃなかったら[編集 | ソースを編集]
- かつての正式社名の愛媛放送かEBCを前面に押し出していたかもしれない。
- 無論、社名変更はない。
- または、FNSらしく「愛媛オレンジテレビ」になっていたかも。
南海放送[編集 | ソースを編集]
アナログ親局が行道山にあったら[編集 | ソースを編集]
- もちろん城山になど鉄塔はなかった。
- NHKも同様に行道山からの送信となる。
- 当時本社から送信局舎まで放送する信号を送るのが困難だったので、城山に道後樋又移転までテレビスタジオがあった。なので行道山に鉄塔があるとスタジオがそこにあることになるので結構不便なことになる。
- しかし、無理やり遠隔操作をするシステムをつくり、本社内にテレビマスター・テレビスタジオを設置し放送していたかもしてない。
- 旧社屋(樋又)は城山の影になるので、そこに本社を構えなかった。
- 城山中腹よりも高度が高いので、出力5kWのままだと現在よりも広範囲にスピルオーバーを出すことになっていた。
- その反面城北地区では城山に阻まれて視聴ができなかった可能性がある。
- なので史実よりも早く「城北中継局」ができていた。
- その反面城北地区では城山に阻まれて視聴ができなかった可能性がある。
開局から今までで本社移転がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 位置的に本町会館はできなかった。できたとしても本社別館という位置付けになっていた。
- 別館ができた場合「ラジオ南海」当時の社屋がテレビ開局で手狭になる可能性があるので、史実よりも早く1964年位にはできていた可能性がある。
- その後、ITVがこの別館に入居する。QABのごとく。
- もちろん建物は老朽化するので、RNB開局50周年にあたる2003年かテレビ開局50周年にあたる2008年に「ラジオ南海」時代の社屋を建て替える。
アニメに力を入れていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 愛媛は完全にアニメ過疎地帯となっていた。
- そのため結構早い時期からアニメ見たさに広島方面にアンテナを向けるのが当たり前になっていた。
- そのうち北九州にアンテナを向ける猛者まで現れた。
- そもそもテレビ東京とはあまり仲がよくなかったかもしれない。
- 代わりにEBCかITVがアニメに力を入れていた。
- その場合、上記2局のどちらかがテレ東と仲良くなっていたかも。
社名が「愛媛放送」だったら[編集 | ソースを編集]
- 愛媛新聞系なので、社名が系列新聞社と大幅に違うということが解消された。
- もちろん、この社名は1969年から2004年までのテレビ愛媛の社名であるため、テレビ愛媛は別の社名になっていた。
- もしかしたら最初からテレビ愛媛として開局していたかもしれない。
- 略称はEBCなどにならず、TEC(TV Ehime Co.Ltd)か愛媛地区のU局第1号なのでUTE(Ultra High Frequency TV Ehime)かも・・・。
- どのみちお蔵入りをしていた。
- いや、むしろ「TVE」だったかもしれない。
- 逆にこっちの略称がEBCだったかも。
TBS系列でテレビ放送が開始されたら[編集 | ソースを編集]
- 対岸もJNNに加盟していたので愛媛の広島に近い沿岸の住民と、広島の愛媛に近い沿岸の住民に「JNNが2局あってもしょうがないんだよ」といわれていた。
- ラジオ開局年月日が同じでテレビ開局も半年ほどしか違わないRSKと同様有力局になっているか逆にRSKを引き摺り下ろしたかもしれない。
- もしかしたらTBSとの仲は険悪になっていたかもしれない。それでTXNへのネットチェンジを熱望するかもしれない。
- アニメ好きは史実通り。なのでMBSとの仲が強くなりそう・・・。
- TBSシンパの社員が退職していった2000年代にはそうなっていたかもしれない。
- 多分TBSに専念するだろうからEBCがITV・EAT開局までかつてのどこぞのようにトリプルネットになりぐちゃぐちゃな編成になる。
- もしかしたらEBCの社名も「愛媛総合放送」になっているかも・・・。
FMラジオも開始していたら[編集 | ソースを編集]
現在も樋又移転当初から20世紀末期まで使っていたOP/EDが使われていたら[編集 | ソースを編集]
- どっちみち、2006年までにHDで作り直していた。
- もしかしたら本町会館への移転までフイルムを使用し移転後に全部HDで作り直していたかもしれない。
- 本町移転が2006年なので42年も使うことに。当然OP/EDはデジタル化しなければ劣化し末期には相当恐ろしいものになっていただろう。
- もしかしたら本町会館への移転までフイルムを使用し移転後に全部HDで作り直していたかもしれない。
- もちろん、樋又の社屋を流すわけにはいかないのでOPは微妙に手を加えられた。
AMステレオ放送を実施していたら[編集 | ソースを編集]
- (おそらく)四国で唯一のAMステレオ実施局となっていた。
- それでも東日本大震災発生前後には、モノラル放送に戻していただろう。
あいテレビ[編集 | ソースを編集]
社名が「伊予テレビ」のままだったら[編集 | ソースを編集]
本社が南海放送本町会館の中にあったら[編集 | ソースを編集]
- QABと同様、「南海放送東京放送ネット部門」と呼ばれていた。
- RNBはもしかしたら本町会館に引っ越せなかった。
- この場合、地上デジタル放送は樋又から1回本町会館に番組の信号を送りそこから行道山に送出していた。
- RNBはもしかしたら本町会館に引っ越せなかった。
愛媛新聞とは何の関わりもなかったら[編集 | ソースを編集]
- 史実では愛媛新聞系列ですが、そうでなかったら一体どうなっていたでしょうか。
- 史実とは違い、MBS・RCCではなくTBSの従順な子分になっていた。
- TBSが大株主となっていた。
- 愛媛新聞と離れている社屋の位置は変更なし。
- 社名も「伊予テレビ」なんてものにはならず、「テレビユー愛媛(TUE)」か「テレビユー松山(TUM)」になっていたかもしれない。
- なので愛称の「あいテレビ」などなく、社名変更もなかった。
FM愛媛[編集 | ソースを編集]
終夜放送を行ったら[編集 | ソースを編集]
- 史実ではラジオ局では珍しく月~木は午前3時、金は1時30分、土は2時、日は1時で放送を終了していますが、もし深夜も放送を行っていたら。
西日本放送[編集 | ソースを編集]
「四国放送」を名乗っていたら[編集 | ソースを編集]
もし岡山・香川の日本テレビ系列局・西日本放送(RNC)が『四国放送』を名乗っていたらどうなっていたのでしょうか?
- 現実の徳島の四国放送(JRT)は『徳島放送』を名乗っていた。
- 略称はおそらく『RTC(Radio Tokushima Corp.)』あたり。
- JRTの開局はRNCより先。よってRNCはどうにかしてJRTを懐柔する必要がある。
- もしJRTが徳島放送を名乗ったら、四国で系列新聞社と関係のない名前を使うラテ兼営局はRNBだけとなる。
- 逆に福岡県のテレビ西日本が『西日本放送』と名乗っていた可能性がある。
- 西日本放送が設立したときの社名はラジオ四国と名乗っていたから徳島の四国放送が別の社名を名乗っていたらこうなっていた。
テレビせとうち[編集 | ソースを編集]
広島県で開局していたら[編集 | ソースを編集]
- 岡山と香川の相互乗り入れは無かった。
- 岡山が「三局目!三局目!」というわがままのため、失敗した。
- 結果、現実同様に相互乗り入れしていたはず。
- いや、してないだろ。
- 広島人としてはようやく「大都会」の仲間入りになったと思う。
- 現実のようにアイシールド21などの打ち切りもなく、遊戯王GXなども見られたので安心しているだろう。
- 広島のアニヲタが現実より多かった。
- カープ戦のローカル中継も現実より増えていた。
- テレ東にとっては日本シリーズの中継権も取りやすくなっていた。
- 2016年9月10日の25年ぶりのリーグ優勝が決まった試合を、広島ローカルで放送したかもしれない。(実史はNHK総合テレビで全国放送。)
- テレ東にとっては日本シリーズの中継権も取りやすくなっていた。
- 広島局と愛媛局の相互乗り入れが行われていたかもしれない・・。
- しまなみ海道は瀬戸大橋より先に開通していた。
- 勢いに乗って山口などとも相互乗り入れをしたかも。
- 時期として今?(デジタルのRCCとITVがほとんど同じマスターだから)
- itvのテレビマスターがRCCに置かれている件は解消したよ。(結局デメリットだけ残ったから)
- それかこの局だけ広島・愛媛の2県での放送を可能とするような特権が総務省から与えられたかもしれない。
- もちろん、本社広島なので松山には中継局が置かれている。ただし松山中継局はアナログテレビだけコールサインが与えられている愛媛地区基幹局になっていたかもしれない。
- 中継局でもどこぞのように親局と中継局の出力が違う・・・ということはなくアナログ10kW・デジタル1kWでの送信。が、40・50ch代での送信となっていた可能性がある。
- もちろん、本社広島なので松山には中継局が置かれている。ただし松山中継局はアナログテレビだけコールサインが与えられている愛媛地区基幹局になっていたかもしれない。
- 山口県にも電波が乗り入れしていたかもしれない・・。
- 例によって中国新聞も出資していたかも。
- 局名は『テレビ中国』(略称:TVC)になる。
- いや、『もみじテレビ』になっていたかも。
- テレ東系の天気予報は岡山でなく広島になっていた。
- 8月6日の「広島平和式典」の番組を見なくて済んだ。
- 被爆体験を聞かなくて済む
- そんなはずがない。平和式典を一番長く中継するんじゃないのか?
- でしょうね。TXNでは該当の時間(平日朝8時台)はローカルセールス枠だから。(実史の他4局は、ネットワークセールス枠の時間帯。)
- 土日はネットワークセールス枠ですが・・・
- 被爆体験を聞かなくて済む
- 広島・愛媛・山口・大分の4県で「西瀬戸内広域圏」というのができていた。
- 史実では在広4局で放送していた深夜アニメのいくつかはこの局で放送。
平成新局として開局していたら[編集 | ソースを編集]
- アイドル伝説えり子は別の放送局が制作していた。
- しまじろうシリーズは史実通りテレビせとうちが制作していた。
山口放送[編集 | ソースを編集]
現在でも関門地区が別編成だったら[編集 | ソースを編集]
- TNCネットチェンジがなかったありえたかも。
- 番組編成に苦労していた。
- しものせき21は当局で放送。
- 現在でもこの局は北九州市も放送エリアだった。
フジテレビ系列にも加盟していたら[編集 | ソースを編集]
実際に、フジテレビジョンがテレビ山口のフジテレビ系列脱退の前後に山口放送に加盟を打診していたそうです。
- 山口放送はテレビ宮崎と同様に3つのニュースネットワークに属したクロスネット局になっていた。
- 1990年代にフジテレビ系列の「山口ふくふくテレビ」or「山口県民テレビ」が開局していた。
- 最終的に山口県は4局地域になっていた。
山陰放送[編集 | ソースを編集]
日本海テレビを合併したら[編集 | ソースを編集]
山陰中央テレビジョン放送[編集 | ソースを編集]
社名が「島根放送」のままだったら[編集 | ソースを編集]
四国放送[編集 | ソースを編集]
日テレ以外の系列局になっていたら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
高知放送[編集 | ソースを編集]
最終的にNNN以外の系列局になっていたら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
テレビ高知[編集 | ソースを編集]
フジテレビ系列局になっていたら[編集 | ソースを編集]
→ここを参照のこと。
もしあの放送局が… | |
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○○だったら | 北海道・東北/関東(MX)/甲信越・北陸/東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東・東海)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/中部/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら/ネットワークを新設したら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |