もしあの日本の政党が○○だったら

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あの政党が合併していたら[編集 | ソースを編集]

自由民主党と新自由クラブ[編集 | ソースを編集]

  • 再合流という形ですが便宜上こちらで。
  1. あと5年持っていれば、新自由クラブは新進党に合流したかもしれない。
    • というか、新進党の母体になっていた可能性も。
  2. 河野洋平が新自由クラブのままのため、河野談話は存在せず。
    • あるいは河野が総理になっていたらやっていたかも。
  3. 結局グダグダになって「心中クラブ」となるのは変わらなかったかもしれない。

日本共産党と社会民主党[編集 | ソースを編集]

  1. 党名は「社会労働党」あるいは「社会福祉党」か「福祉平和党」辺り。
    • 現存しない政党なので「日本社会党」でいいような気がする。あるいは「日本平和党」とか。
      • パターンとしては日本の右傾化・保守化が進行→共産主義色の強さが勝てない原因だと気づく→共産党の後継政党として社民党その他と合併、党名は「社会民主党」にする、とか?
  2. 何かが変わる様な変わらない様な・・。
    • 議席数は社民党+共産党になるだろうから少しは発言力が増すだろう。
      • 合併の際、一部の社民党員は合併に同調せず民主党に移籍するかも。
    • どちみち、共産色が薄れて社会民主主義が強くなりそうなのは変わらない。
    • 一部過激派は合流せず、各自で闘争・・・って、これ変わらないか。
  3. 議員数からして旧日本共産党の指導。
  4. 結局上手く行かずに数年で再分裂。
    • このときに旧社民党系の党員が共産党に移ったり、逆に旧共産党系の党員が社民党に流れる動きが、若干数ありそう。
  5. 日本原水協と日本原水禁も再統合しそう。
  6. 民主党と選挙協力しようとするが、思うようにいかない。
    • 自民が強くなったときは民主党と連携するが、民社共連合が強くなったとたん、四分五裂。
  7. 昔に結成されてそのまま残っていた場合、似たような考えを持つれいわ新撰組は誕生しなかったか、方向性が変わっていた。

日本新党と新党さきがけ[編集 | ソースを編集]

  1. 結局のところ、新進党結党に参加する者とそうでないもので分裂。
    • 事実上新進党に引き抜かれる形になる。残留したグループは自民党・社会党と連立政権を樹立。

自由党と民主党[編集 | ソースを編集]

  1. 自由党と民主党と自由民主党でややこしいという事態が続いていた。
  2. =消費税の福祉目的税化が行われていた。
  3. 小沢一郎は保守派のままだった。

新党日本と国民新党[編集 | ソースを編集]

  1. 一体誰が代表に就任していただろうか?
  2. 荒井広幸は無所属になっていた。
    • 自民党と統一会派を組んでいたかも。

たちあがれ日本と国民新党[編集 | ソースを編集]

  1. 亀井静香が、いつの間にか未来の党にいるなんてことはなかった。
  2. 小規模とはいえ、保守側の共産党的存在で何とか生き残っていたかもしれない。
    • 自民よりさらに強硬かつ、それでいて大きな政府志向になっっていた。
  3. シルバー新党なんて揶揄されていたことは確実。
  4. 川内康範作の国民新党の歌がそのまま引き継がれたかは不明。
  5. 新党名は「たちあがれ国民」とか?
    • 「日本国民党」なんてのもいいかもしれない。
    • あるいはここで「太陽の党」を使ったかもしれない。

太陽の党と減税日本[編集 | ソースを編集]

  1. 河村たかし的にはわりと違和感がないだろうが、国会議員の中には労組系議員など、なぜこの人がこんな右寄りのところにという違和感のあるメンツも居ることになっただろう。
  2. 史実通りにその後維新と太陽が合併した場合、もしかすると維新は大阪ではなく名古屋でもプレゼンスを持っていたかもしれない。
    • 東名阪3都市のキャラが濃い首長が揃い踏みする政党ということで地方分権改革を前面に押し出したタカ派政党になっていた。

みんなの党と日本維新の会[編集 | ソースを編集]

  1. 当然のことながら結いの党はできてない。
    • 同様に石原氏が次世代の党を分党することもなかった。
  2. 熊手問題でみんなの党が空中分解する異常事態も起きてなかった。
    • とはいえこの問題がでた段階で、汚職とか不正に厳しいイメージで売ってる橋下系が渡辺系と揉めて、党内がきなくさいことになってたことは間違いない。
  3. 当然のことながら2012年衆院選では民主党を抜いて野党第一党になっていた。
    • 野党内でのプレゼンスの関係もあり、民主党がその後さらに議席を減らしたことは間違いない。
  4. ただこの二党(みんなと維新)が分裂を繰り返しているのを見ると遅かれ早かれ空中分解していただろうと思われる。
    • 中田宏と江田憲司のあたりから亀裂が深まってさらに上記の熊手問題で決定的になっていただろうと思われる。
      • 中田と江田よりは渡辺(みんなの党渡辺系)とそれ以外という構図になりそうな気がする。それで離党騒ぎになっても野党第一党の座は変わらなかったと思われ。
        • 「分裂」ではなく「誰かの離党」で済んでいた。
  5. 民主党、生活の党はこの時点で解党していた。
    • 大半の議員がこの党に入っていた。
      • 一部というのはあるだろうが、大半というのはありえないと思う。労組・公務員アレルギーの維新と労組依存の民主では根本的に一緒にやることは不可能だろう。生活からも未来の党の結党理由が維新への失望だというのを考えるとまずなさそう。
    • ところでこの時点っていつの時点?
      • とりあえず2013年参院選後あたり。
  6. 結局民主党や生活の党も巻き込む形で複雑に分裂・合併を繰り返した。現在どうなっているか想像もつかない。
    • 史実通り「自民一強」の状況になった。

みんなの党と民主党[編集 | ソースを編集]

  1. みんなの党が崩壊する直前にあったとされる構想だが、結局熊手の人は5人集まるかは別にして分党していたに違いない。
  2. 浅尾慶一郎氏は古巣に戻った事になるが、論功行賞で政調会長の役職くらいはもらえていたかもしれない。

民主党と国民新党[編集 | ソースを編集]

  1. あまり変わっていなかった?
  2. 鹿児島3区の無所属の議員は民主党から出馬していた。
    • ただ後に離党して無所属となった可能性も否定できない。

自民党と国民新党[編集 | ソースを編集]

  1. それでも国民新党系の議員は大半が引退に追い込まれていただろう。
  2. 自民党議員から批判が出ていた。
    • 特に郵政民営化を強く推進した議員たちから。
  3. 鹿児島3区の無所属の議員は自民党から出馬していた。

日本未来の党とみどりの風[編集 | ソースを編集]

  1. それでも選挙結果は変わらず。
  2. 未来の党の分裂は無かった...かもしれない。

民主党と維新の党と社民党と生活の党と日本を元気にする会[編集 | ソースを編集]

  1. いずれにしろ分裂は避けられなかった。
  2. 山田太郎がこの党から出ていたかは微妙だが2016年参院選に出ていたらもしかしたら当選していたかも。
  3. 安保法制賛成したくせになんで合流したんだどうしたと突っ込まれる(特に元気系議員)。
  4. 山本太郎は無所属のまま。

新党改革と日本を元気にする会[編集 | ソースを編集]

  1. 山田太郎は当然、この党所属。
  2. 史実通り、2016年参議院選挙では全員落選。
  3. アントニオ猪木が無所属クラブを経て新緑風会に復帰する事は無かった。
  4. 仮に両党共におおさか維新の会に合流していたら以下の通りになる。
    • 山田太郎は比例区から出馬し、連続2選。(当然、2019年参議院選挙には出馬していなかったし、いつの間にか自民党入りする事も無かった。)
    • 猪木は維新に復帰した事になる。
  5. 両党共に改革結集の会と合併したとしても、結果は同じ。

民進党と自由党(旧生活の党)[編集 | ソースを編集]

民進党の事実上の合流先が希望の党ではなく、自由党だった場合。

  1. 立憲民主党は結党されていなかった。
  2. やはり史実通り野党共闘路線。
  3. 小池百合子の所謂「排除発言」は無かった。
    • 逆に小沢一郎の「排除発言」?

民進党と希望の党[編集 | ソースを編集]

立憲民主党ができず全員合流していた場合。

  1. 2017衆院選では100議席いっていたか。
  2. 左派系議員が逆に離党したかも。
  3. それでも野党共闘路線は変えられず。
  4. 首班指名選挙で誰の名前を書くかでもめる。

日本維新の会と希望の党(2018-)[編集 | ソースを編集]

  1. やはり「維新の党」にはなっていない。
  2. 中山夫妻は維新に復帰した事になる。
  3. 史実通り、都民ファーストの会とは連携していない。
  4. 他の地域政党も、合流していたかも知れない。
    • 名古屋の「減税日本」や北海道の「新党大地」などは確実か?

立憲民主党と社会民主党[編集 | ソースを編集]

  • こちらでは、社民党全員が立憲民主党に合流したこととします。
  1. 時期的には、自由党(旧生活の党)と同じ時期が無難か?
    • その場合、共産党を除く野党勢力が合流したこととなった。
  2. 福島瑞穂(社民党党首)には、党の要職が用意されたのは確実か?
  3. 一部の党員は新社会党に移籍していた。
    • 全労協の加盟組合の多くも新社会党を支持していた。
  4. 双方の旧社会党系党員が社会主義協会向坂・佐藤派を軸に結集していた。
    • 同団体の機関誌である月刊「社会主義」が合併による社会新報なき後の旧社会党系党員にとって、本来の後継となるべき機関紙「立憲民主」以上に重要視されていた。
  5. 社会新報ファンの多くは「立憲民主」ではなく「週刊新社会」の読者になり、そのまま新社会党支持に転向している。
  6. 立憲民主党は史実以上に左傾化、これを嫌った議員・党員が国民民主党や日本維新の会などに流出していた。

あの政党が分裂していなかったら[編集 | ソースを編集]

憲政党[編集 | ソースを編集]

  1. つまり共和演説事件がなかったらである。
  2. 憲政の常道は無かった。結党から大政翼賛会発足までこの党が与党。
    • 自民党と憲政党が比較されていた。
  3. 鉄道の改軌論争が早期に終結した。

日本維新の会[編集 | ソースを編集]

  1. 次世代の党は結成されず、参加して落選した議員が残っていたかもしれない。
    • 次世代の党で惜敗率が高くて落選した議員が初当選していた。
  2. 結いの党は合流しなかった。
    • この時点で民主党との合併を模索していたか。
      • その結果、史実より早く「民進党」となった。

日本社会党[編集 | ソースを編集]

  1. 社会民主連合(社民連)・民主社会党(民社党)は、存在しなかった。
  2. 現在でも「日本社会党」を名乗っており、社会民主党への改名もなかったかも。
  3. 社会党が政権を取ることが一回ぐらいあったかもしれない?
    • 但し、冷戦期には圧力が大きくて難しかったかも。ありえるなら90年代以降。

新進党[編集 | ソースを編集]

  1. いずれにせよ公明系は離脱した。
    • 離脱しなかったら自民党は共産党と連立するしかなくなってしまう。(実際非自民系が強すぎるため岩手や大阪で自民党と共産党が同じ候補を応援することがあった)
  2. 民主党は現実より左派色が強い政党となっており、社民党を吸収していた。
    • 新進党と民主党は合併しない気がする。
  3. みんなの党や日本維新の会は結成されなかった。

関連項目[編集 | ソースを編集]