もしあの歌が大ヒットしていたら/あ・か行

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もしあの歌が大ヒットしていたら > あ・か行

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あ行[編集 | ソースを編集]

愛したひとはバツイチ(ナインティナイン&清水ミチコ)[編集 | ソースを編集]

  1. ナインティナインが「小室ファミリーやSMAPより売れたわ。」、「清水ミチコは俺たちのおかげで売れたんやで。」と言っていた(90年代のナインティナインは過激な発言が多かった)。
  2. ナインティナインが清水ミチコとコラボするのをやめて、シングルを出していた。
  3. WEST END×YUKI、H Jungle with tがナインティナインより売れることを目標にしていた。

愛ってナンダホー(大島麻衣)[編集 | ソースを編集]

  1. 大島麻衣は過去のアイドル扱いされることはなかった。
    • 「足を見るオジサンはチカン」発言の余波でファンが離れたと見なされることはなかった。
  2. 大島麻衣はその後も歌手活動を積極的に続けていた。
  3. 後輩の小島瑠璃子も歌手として活動していたかも。

アイドルはウーニャニャの件(ニャーKB with ツチノコパンダ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「48グループのCDは握手券がつかないと売れない」と言われることはなかった。
    • そもそも、あの事件がなければ付けられた可能性はあった。
  2. 『妖怪ウォッチ』では7月の新展開まで本楽曲がエンディングテーマ曲として使用されていた。
    • Dream5が『妖怪ウォッチ』の主題歌に復帰することはなかった。
      • 『ようかい体操第二』も存在しない。
  3. アニメ『妖怪ウォッチ』本編でもニャーKBにスポットが当たるエピソードがあった。
  4. センターの島崎遥香の人気が上がり、AKB48の新しいエースになっていた。
    • 2015年度のAKB48選抜総選挙で神7入りを果たした。(史実では9位)
  5. ツチノコパンダの知名度が上がり、『妖怪ウォッチ』の新しい看板キャラクターになっていた。
  6. エンディングの映像が当初からダンスシーンの多いものであったら、本項のようになっていたかも。
    • 当初のエンディングの映像はダンスシーンが少なく、「振付がよくわからない」という苦情が出ていたため。
  7. 秋元康はAKB派生ユニットに対して消極的になることはなかった。
    • てんとうむChu!・でんでんむChu・虫かごなどのシングルデビューを実現させていた。
      • そしてオリコンチャートを派生ユニットを含めたAKB48関連で賑わせていた。
      • これらユニットに所属するメンバーの事務所移籍も行われていたので事務所に所属する古参メンバーとそうでない若手メンバーとの格差も起きず、古参メンバーが生き残って若手メンバーが卒業することもなかった。
        • 世代交代も順調に行われており、主力メンバーの平均年齢がインフレ化することもなかった。
    • その分、秋元康は乃木坂46や欅坂46に力を入れることはなかったかもしれない。
      • 日向坂46も世に出たか怪しくなる。
      • 坂道シリーズに力を入れることもなかったのでAKB48の存在の意義が問われることもなかった。
      • それすらなかったので姉妹ユニットの紅白歌合戦出場は現在に至るまで続いていた。

愛の鎖(谷本憲彦)[編集 | ソースを編集]

谷本憲彦(後の速水けんたろう)のデビュー曲

  1. 2枚目のシングルで和田浩治の遺曲「なぐさめ」もヒットしていた。
  2. 速水けんたろうはムード歌謡歌手・谷本憲彦として有名になっていた。
    • 後にアニソン歌手や歌のお兄さんに転向しなかった。
    • 歌のお兄さんにならなければ「速水けんたろう」への改名もなかった。

I ×××(大塚愛)[編集 | ソースを編集]

  1. 大塚愛は過去のアーティスト扱いされることはなかった。
    • 復帰後にリリースした「Re:NAME」の売り上げはもっとましなものになっていた。
  2. 卒業式の定番ソングになっていた。

青い花火(浜田朱里)[編集 | ソースを編集]

  1. 浜田朱里はアイドル歌手としても成功した。
  2. 浜田朱里がヌードを晒すこともなかっただろう。

青山Killer物語(ラ・ムー)[編集 | ソースを編集]

  1. 菊池桃子は1990年代以後も積極的に歌手活動を行っていた。

AS FOR ONE DAY(モーニング娘。)[編集 | ソースを編集]

  1. これを最後に卒業した保田圭は卒業後も精力的に活動した。

アタックNo.12005(福田沙紀)[編集 | ソースを編集]

  1. 福田沙紀は女優より歌手に重点を置いて活動していた。
    • 「ライフ」の安西愛海役も別の女優が演じていた。
  2. 「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に出演することもなかったか、あるいは実際より長期間出演し続けていた可能性も(史実では上記の「ライフ」出演と同時期に降板)

雨の権之助坂(ビートきよし)[編集 | ソースを編集]

  1. ビートきよしは演歌歌手兼子二郎に転向し、ビートたけしを気にする生活は送らなかったかもしれない。
  2. 山形県では大泉逸郎と双璧を並べる芸能人扱いされたかもしれない。
  3. 目黒が「南の巣鴨」と呼ばれたかも。

怒りのグルーヴ 〜震災編〜(嘉門達夫)[編集 | ソースを編集]

  • 嘉門達夫ファン以外の間でも話題になっていたらと仮定します。
  1. 嘉門達夫は社会派シンガーとしても有名になっていた。
  2. 嘉門のもとに震災をネタにしたことに対し抗議する輩が出ていたかもしれない。
  3. 東日本大震災バージョンは「希望のマーチ」のカップリングではなくシングルA面曲として発売されていたかもしれない。

イエローマン 〜星の王子様〜(サザンオールスターズ)[編集 | ソースを編集]

  1. サザンは保守的な路線に転向することはなかった。
  2. 大森隆志はサザンを脱退することはなかった。
  3. バカっぷりを叩かれることなく、評価が上がっていた。
  4. B'zを揶揄して大コケしたと見なされることはなかった。
    • よって、B'zファンがサザンに因縁を持つこともなかった。

いまだ浮上せず(ペニー・レイン)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ペニー・レインはついに浮上した」といわれていた。
  2. この曲の発売を最後にペニー・レインが解散することはなかった。

インファントの娘(ザ・ピーナッツ)[編集 | ソースを編集]

映画『モスラ』公開時に正式の主題歌としてシングル発売された。

  1. 逆に「モスラの歌」の知名度は低くなっていた。

運命のルーレット廻して(ZARD)[編集 | ソースを編集]

  1. ZARDのファン離れが加速することはなかった。
    • ビーイングブーム凋落の最大の原因と言われることはなかった。
    • そもそも「制作上の都合」を理由とした突発的な発売延期なければこうなっていた。
  2. 『名探偵コナン』の主題歌で使われたアレンジが長らくお蔵入り状態になることがなかった。
  3. 発売後のテレビアニメ使用期間がもっと長かった。

X海峡Y景色(J☆Dee'z)[編集 | ソースを編集]

  1. シングルCDがリリースされていた(史実では発売未定)。
    • 2014年7月23日に発売されました。
      • ていうか史実よりも早い時期に発売されている。
  2. J☆Dee'zの知名度は現実以上に高くなっていた。
  3. ポケモンアニメにおける音楽担当の変更は成功したと見なされていた。

every-body(谷村奈南)[編集 | ソースを編集]

  1. 谷村奈南は名実ともにポスト安室奈美恵になっていた。
  2. 事務所の後輩である西内まりやの活動にも影響していた。
  3. もしかするとヴィジョンファクトリーは社名をライジングプロダクションに戻すことなく、平哲夫と決別していたかもしれない。
  4. 水着写真集を出すこともなかったかも。
    • 出したとしても1冊のみ。

教えてMr.Sky(藤崎詩織)[編集 | ソースを編集]

  1. 藤崎詩織は「ときめきメモリアル」の1キャラクターに留まらないバーチャルアイドルとして大成功を収めていた。
    • 虹野沙希、如月未緒、片桐彩子といった藤崎詩織以外のヒロインもバーチャルアイドルデビューしていた。
    • 陽ノ下光など2のキャラクターもバーチャルアイドル活動をしていた。
    • ときメモシリーズの全ヒロインがメンバーのバーチャルアイドルグループが結成されていたかもしれない。
    • 極上生徒会やラブプラスのヒロイン達も追従していた。
    • ウインビー国民的アイドル化計画も復活し大成功を収めていたかもしれない。
  2. 以降のシングル含めた曲にもときめきメモリアル関連以外のタイアップが付いていた。
  3. 栗林みえも便乗含めて史実以上に売れていた。
  4. この時期から他社も追随する形で萌えキャラのバーチャルアイドル化が大流行していた。
    • 他社もコナミと同様イメージを守るという名目で二次創作禁止措置を取ったかもしれない。
    • 粗製濫造の状況になり「THE IDOLM@STER」や「初音ミク」や「ラブライブ!」は史実ほど大ヒットしないなど歴史が変わっていただろう。
  5. 1990年代の美少女ゲームブームを象徴するヒット曲は、『サクラ大戦』の「檄!帝国華撃団」ではなく「教えてMr.Sky」になっていた。
  6. 渡辺プロダクションはバーチャルアイドル最大手の芸能事務所になっていた。
    • 初音ミクなど人気キャラクターもナベプロと契約して活動していた。
    • ドワンゴと共同設立したプロダクション会社もVTuberなどで成功していてわずか3年で解散することはなかったか最初から設立する必要はなかった。
  7. 財津和夫(チューリップ)のファン層が「ひとつ屋根の下」も知らない若年層にも広まっていた。

乙女の祈り(真野恵里菜)[編集 | ソースを編集]

  1. 真野恵里菜は名実ともにポスト松浦亜弥になっていた。
  2. 逆に道重さゆみや嗣永桃子はブレイクしなかったもしれない。
  3. ハロプロがAKBに史実ほどの差をつけられることはなかったかも。
  4. 「THE NEXT GENERATIONパトレイバー首都決戦」のヒロインも別の女優になっていた。
    • 「逃げるは恥だが役に立つ」に出演することもなかった。
    • そもそも女優業への専念自体遅れていた。
  5. 「乙女の祈り」と聞いてバダジェフスカ作曲のピアノ曲かこの曲を思い出す人で分かれていた。

思い出せない花(フレンチ・キス)[編集 | ソースを編集]

  1. フレンチ・キスは完全復活を遂げていた。
  2. AKB48の派生ユニットは過去のものになることはなかった。
    • 「てんとうむchu!」はシングルを出すことができた。

か行[編集 | ソースを編集]

かくれんぼ(石川さゆり)[編集 | ソースを編集]

  • アイドル路線の曲でデビューするも大ヒットには至らず、後に演歌路線に転向して現在の地位に。
  1. 現実の「花の中三トリオ」(森昌子・山口百恵・桜田淳子)の代わりに「ホリプロ三人娘」(森昌子・山口百恵・石川さゆり)が70年代前半の女性アイドルの代表的な存在になっていた。
  2. 石川さゆりはアイドル歌手の印象が強くなっていた。史実通り後に演歌路線に転向しても、逆に演歌歌手としては微妙なポジションになっていたかもしれない。

かたつむり(おぐまなみ)[編集 | ソースを編集]

AKB48の奥真奈美(現在は卒業)がおぐまなみ名義で『おじゃる丸』のエンディングテーマとして使われた曲だが、売り上げは伸び悩んだ。

  1. 奥真奈美は年少メンバーとしてもっと良い扱いを受けていた。
    • 場合によっては選抜復帰も考えられた(史実では『BINGO!』のみ)。
    • 高校進学を機に卒業することもなかっただろう。
  2. 『MUSIC JAPAN』でこの曲が歌われていた。
  3. 『おじゃる丸』のシンボルソングは、『詠人』や『プリン賛歌』ではなく本楽曲になっていた。
  4. この曲の次に使われた「おじゃる丸シスターズ」の「初恋は実らない」も史実以上にヒットしていただろう。

悲しきノンフィクション(Something ELse)[編集 | ソースを編集]

Something ELseのデビューシングル。

  1. 当然ながら『雷波少年』に出演することなどありえなかった。
    • Bluem of Youthはパッとしないまま解散していたかも。
      • もしくはブルームが「ラストシリーズ」の第1弾に繰り上がっていた。

悲しみのアイドル(大地真央)[編集 | ソースを編集]

大地が宝塚歌劇団在団中の1975年に発売された曲。

  1. 宝塚歌劇団は現実よりメディア進出に積極的になっていた。
  2. 場合によっては史実より早く宝塚を退団して歌手として活動していたかもしれない。
    • その場合は宝塚の衰退が史実より早く進んでおり、黒木瞳は有名になれなかった。
    • 真矢みきは宝塚に入団しなかったかもしれない。
  3. 退団した後はサンミュージックに所属していた。

カラスの女房(中澤ゆうこ)[編集 | ソースを編集]

  1. 和田薫は丸坊主になることはなかった。
  2. 中澤裕子は演歌歌手としてブレイクし、路線変更をすることはなかった。
    • アイドルグループから演歌歌手転向の成功例として、史実以上に城之内早苗と比較されていた。
      • プロデューサーが違うため可能性が低いが、もしかしたら城之内早苗や岩佐美咲(元AKB48)との対談や共演も見られたかも?
  3. この曲は、中澤ゆうこのイメージが強くなり、後に堀内孝雄がカバーすることはなかったかも。
    • 堀内孝雄がカバーしても「はぐれ刑事純情派」の主題歌になることもなかった。
      • それでも作曲したのが堀内孝雄本人だから、ひっそりとアルバムに入れたかもしれない。
  4. この曲のリリース日が後のモー娘。メンバーの生年月日であることがもっと話題となっていた。
  5. ハロプロの演歌は前田有紀に力を入れることはなかった。
  6. 憲三郎&ジョージ山本の「浪漫-ROMAN-」、オーロラ輝子の「夫婦みち/まごころの橋」などと同様に、1990年代後半にテレビ番組から誕生した演歌のヒット曲として話題になっていた。

カンニングのヘイ・ユウ・ブルース(カンニング)[編集 | ソースを編集]

  1. カンニング自身がCDが売れなかったことをネタにすることはなかった。
  2. オリジナルを歌った左とん平がR&Bシンガーとして再評価され、歌手活動を精力的に行うようになる。

ギターをひいてよ(あゆ朱美)[編集 | ソースを編集]

あゆ朱美(後の戸田恵子)のデビューシングル。

  1. 戸田恵子はアイドル演歌歌手・あゆ朱美として有名になっていた。
  2. 後に彼女が女優・声優デビューしても、その経緯は現実とは全く異なっていた可能性がある。
    • 女優・声優活動する際の芸名も「あゆ朱美」になっていたかもしれない。

君にささげる僕の歌(水木一郎)[編集 | ソースを編集]

水木一郎のデビューシングル。

  1. 水木一郎が、後にアニメソング歌手に転向することはなかっただろう。
    • アニメソングがメインにはならないにしても、アニメソングを何曲か録音していた可能性はある。
    • 弟弟子の冠二郎が演歌からアニメソング歌手に転向していたかも。

Can't Stop My Heart(McKee)[編集 | ソースを編集]

同日発売されたポケットビスケッツ「Rapturous Blue」とのオリコン初登場順位対決で勝利していたら?

  1. 『ウリナリ!!』の歌手プロジェクトはMcKee中心の展開となり、ポケットビスケッツは企画消滅していたかも。

Can't Stop!! -LOVING-(SMAP)[編集 | ソースを編集]

  • SMAPのデビュー曲です。
  1. 音楽番組などで史実の『SHAKE』と同じくらい使われていた。
  2. 光GENJIの解散が早まったかも?
    • 解散時期に限らず、「リラの咲くころバルセロナへ」や「勇気100%」あたりをSMAPが歌っていた可能性がある。
  3. 「SAY YES」のオリコン連続1位を「7」で止めていた。
  4. SMAPの売れ方は史実と異なっていた。
    • 遅くとも1995年頃にはシングルミリオンセラーを達成していた。
    • マネージャーの飯島三智の力は上がらず、ジャニーズ内でSMAPの独立性が高まることはなかった。

唇にBe my baby/365日の紙飛行機(AKB48)[編集 | ソースを編集]

発売時はミリオンセラーを逃したものの、「365日の紙飛行機」の恩恵でミリオンセラーになりましたが、もし、発売当初からミリオンセラーを逃すことがなかったら?

  1. 高橋みなみの卒業は盛大に扱われていた。
  2. 「君はメロディー」ではOGを選抜入りさせることはなかった。
    • 高橋みなみの選抜の扱いに物議を醸すこともなかった。
  3. 「AKB48は姉妹ユニットに頼り過ぎ」だと言われることもなかった。
    • そもそも指原莉乃を始め、松井珠理奈、宮脇咲良、山本彩などに頼り切ることがなかったらこうなっていた。
      • AKB本体メンバーが影が薄い思いをさせられることもなかった。
        • 島崎遥香や渡辺麻友などが卒業に追い込まれることもなかったか遅れていた。
    • AKBの運営のやる気のなさを象徴することはなかった。
    • というか、これ以降、姉妹ユニットメンバーを必要以上に頼り切ることはなかった。
      • 姉妹ユニットメンバーに対するしわ寄せも減っていた。
      • AKB48は姉妹ユニットに頼り切らないと売れないとみなされることはなかった。
  4. 出演CMの契約が切られることもなく、先輩芸能人に仕事を奪われることもなかった。
    • 週刊プレイボーイのメンバーの連載も打ち切られることもなかった。
  5. AKB48は必要以上にイベントに力を入れることもなかった。
  6. AKB48結成10周年の扱いは盛大に行われており、欅坂46デビューの影に隠れることはなかった。
  7. =もし2015年の選抜総選挙でAKB48が第一党を逃していなかったら、である。
  8. 表題曲をなぜ「365日の紙飛行機」にしなかったのかと疑問が呈されることもなかった。

クリスマス・イブ(山下達郎)[編集 | ソースを編集]

JR東海のCMによるヒットではなく、シングル発売(1983年)時点でヒットしていたらとして

  1. JR東海のCMが流れるより以前に季節限定発売ではなくシングルの通年販売がされていた。
    • 仮に季節限定発売のままだったとしてもオリジナルからの再リリースの期間が史実より短くなっていた。
  2. 「クリスマスキャロルの頃には」や「サイレント・イブ」などのクリスマスソングは史実より早く発売されていたかもしれない。
  3. 1983年時点で既に山下達郎のイメージが「夏」から「冬」に切り替わっていた。

Crazy Party Night 〜ぱんぷきんの逆襲〜(きゃりーぱみゅぱみゅ)[編集 | ソースを編集]

ハロウィンソングの定番であり、2度に亘ってCMソングに起用されたが、売り上げは伸び悩んだ。もし、AKB48の「ハロウィン・ナイト」並みに売り上げがあったら?

  1. きゃりーぱみゅぱみゅの紅白落選はなかった。
    • 人選に対する批判も起きなかった。
    • 少なくとも紅白ではこの曲を歌っていたかも。
  2. AKB48の「ハロウィン・ナイト」の印象が薄れていた。
    • AKB48に大打撃を被られたとみなされることもなかった。
  3. プロデューサーである中田ヤスタカによるゴリ押しとみなされることもなかった。

軽蔑していた愛情(AKB48)[編集 | ソースを編集]

  1. AKB48はその後も社会派ソングをリリースし続けていた。
    • AKB48は社会派アイドルとして売り出していた。
      • 「マジすか学園」もなかっただろう。
      • 「ハステとワステ」のようなコミックソングもあり得ない。
    • 『BINGO!』以降、万人受けする路線に転換することもなかった。
  2. いじめ自殺事件と共に注目されていた。
  3. AKB48はこれ以降も悲劇的な曲を歌っていた。
    • 悲劇過ぎる曲で売れなかったと見なされることはなかった。
    • というか、女性アイドルグループが歌う悲劇的な曲は売れないというジンクスすら出来なかった。
    • そもそもAKB48は楽観的な路線で売り出すことはなかった。
  4. 「ライフ」といい意味で比べられていた。
    • BABYMETALの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」もこの曲と比べられていた。

こいつはホントに協力する気があるのか?[編集 | ソースを編集]

エアーマンが倒せないレベルにブレイクしていたら。

  1. 「クリアまでは眠らない!」は史実以上にブレイクしていた。
    • それ以降もロックマン関係の曲が出されていた。

恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.(SUPER MONKEY'S)[編集 | ソースを編集]

SUPER MONKEY'Sのデビュー曲

  1. 当時のリーダーだった牧野アンナ、それに新垣寿子は史実より長く在籍していた。
    • 沖縄アクターズスクールのインストラクターにはならなかった。なのでSPEED以降の出身者が世に出たかどうか微妙。
  2. 安室奈美恵のソロ転向も遅れていた。場合によってはセンターボーカルにならなかった。
    • 場合によっては松浦勝人プロデュースもavex移籍もなかった。
      • それを言うならTKプロデュースじゃなくて?

恋のヘキサゴン(Pabo)[編集 | ソースを編集]

羞恥心ぐらい売れていたら?

  1. 羞恥心はもっと早くデビューしていた。
    • ただし名前が「羞恥心」でなかった可能性のが高い(上地雄輔が羞恥心をさじしんと呼んでしまった事が元ネタのため)。
  2. 史実より1年早く紅白歌合戦に出演していたかも。
    • ただしこの内容の曲が紅白で歌われたとは思えず、11月ぐらいにそのための曲が書き下ろされた可能性が高い。
  3. たまごっち!の映画(第二弾の主題歌がPaboだった)は史実より注目されていた。
    • ローラ(ローラっち)より先に三人が声を当てた、または三人を模したキャラが本編に登場していたかも?

恋人は君ひとり(山岡英二)[編集 | ソースを編集]

ヤンマーのCMのアイドル路線の曲でデビューするも売れず、後に吉幾三と改名して現在の地位に。

  1. 現実の新御三家(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)に山岡英二を加えた「新四天王」が70年代前半の男性アイドルの代表的な存在になっていた。
  2. ヤンマーのCMには今でも出演している。
    • セレッソ大阪(ヤンマーが前身)のオフィシャルサポーターになり、応援歌をレコーディングしていた。
  3. 訛りを隠して無口なイメージで売っていた。
    • あるいは、訛りを活かして「8時だョ!全員集合」などのお笑い番組でも活躍した。
      • 「企画モノ」的に演歌やコミックソングのレコードを出し、その際には吉幾三と名乗ったかも。
  4. デビューから数年後にはポップス系のシンガーソングライターに転向した。
  5. ヤンマーのCMソングといえば、小林旭の「赤いトラクター」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
    • 「赤いトラクター」も山岡英二が歌っていた可能性がある。

5年目の破局(ヒロシ&キーボー)[編集 | ソースを編集]

  1. ヒロシ&キーボーは「3年目の浮気」の一発屋で終わることはなかった。
  2. 解散に追い込まれることもなかった。
    • 史実ではヒロシ&みゆきとして発売された「男と女のラブゲーム」(日野美歌・葵司郎などとの競作)がヒロシ&キーボー名義で発売されたかもしれない。
  3. キーボーが万引きで×××されることもなかったかもしれない。
  4. 離婚をテーマとする曲は売れないとみなされることはなかった。
    • 「関白宣言」や「結婚しようよ」などと比べられることもなかった。
      • ウエディングソングへのアンチテーゼという意見も出ていた。

今夜かしら明日かしら(テレサ・テン)[編集 | ソースを編集]

テレサ・テンの日本デビューシングル。

  1. テレサ・テンは本作以後も日本ではアイドル路線で売り出され、演歌路線に転換することはなかった。
  2. 路線が当時、日本で人気絶頂だったアグネス・チャンと被っていたことにより、その後の日本での活動に影響があったかもしれない。
  3. アイドル路線でブレイクしても結局どこかで行き詰まり、それ以後は演歌路線に転換していたかもしれない。

君の瞳は百万ボルト(堀内孝雄)[編集 | ソースを編集]

現実に「君の瞳は10000ボルト」としてヒットしたのが、誤って認識した人が少なくなかった。

  1. 堀内孝雄が、アリス活動休止前にソロのヒット曲がないと言われることがなかった。

関連項目[編集 | ソースを編集]

もしあの歌が大ヒットしていたら
あ~こ/さ~の/は~わ