もしあの歴史上の人物が長生きしていたら
- 新規追加は生きていた時代順でお願いします。
- ここでは昭和20年(1945年)より前に死去した人物について取り扱います。それ以降に亡くなった人物はもしあの人が健在だったらへお願いします。
日本史[編集 | ソースを編集]
東洋史[編集 | ソースを編集]
孫策[編集 | ソースを編集]
- 勢力が中原に延びてくるにつれて、あだ名が「小覇王」から「今項羽」にレベルアップしてた。
- 孫権の影が薄くなる。
- 孫紹が普通に後継者になってる。
- 仮に30年以上生きていたら呉の建国者は孫策に
- わりと早い時期に劉表を亡ぼし、荊州を制圧する。
- で、袁紹滅亡後、劉備は身を寄せるあてがなくなり野垂れ死に。
- 荊州を素通りして、益州の劉璋の元へ。結局、劉備が蜀を起こすのは変わらない。
- で、袁紹滅亡後、劉備は身を寄せるあてがなくなり野垂れ死に。
- 三国志は曹操・孫策・馬超の争いに。
- 陸氏などの江東土着豪族・江東異民族・陳登・劉表・名士層ら反孫策同盟+曹操によって、孫氏政権は孫策およびその一門郎党共々割と早期に滅亡し、呉建国は無かった。
- その結果、江南地方が小規模の軍閥が乱立する状態となる。
- 従って北方異民族に中原を追われた晋の逃げ場が無くなるか、あったとしても荊州・益州あたりになる。
- いずれにしても江南地方の中原文明普及はかなり遅れる。
劉淵[編集 | ソースを編集]
- 洛陽陥落後、呼延攸粛清などの決断が取れていれば長期政権も夢ではなかったと思う。
- 前漢・後漢ではなく前漢・中漢・後漢と呼ばれるようになっていた。
- 但し劉淵はあくまで匈奴の人間であるから、反逆者の代名詞として使われていたかもしれない。
- 「後三国志」にも影響を与えていた。
オゴタイ・ハーン[編集 | ソースを編集]
- モンゴル帝国はヨーロッパを征服していた。
- 1240年代中にはイベリア半島まで征服していた。
- だが、イギリスだけは征服できたか怪しい。
- 調子に乗ってアフリカ北部も征服していた。
孫文[編集 | ソースを編集]
- 中華民国の大総統になることができた。
- 親日だったので日中戦争や太平洋戦争も回避できた。
- あの当時の政治状況を踏まえるとそのような単純な運び方は考えにくい。
- 親日だったので日中戦争や太平洋戦争も回避できた。
中東・中央アジア史[編集 | ソースを編集]
ティムール[編集 | ソースを編集]
- 明への遠征が実現していた。
- 永楽帝との戦いが繰り広げられた。
ナーディル・シャー[編集 | ソースを編集]
- 中央アジアのブハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国を滅亡させた後、清に遠征していた。
- これにより、ジュンガルは清とアフシャール朝の間で挟み撃ちになっていた。
- 乾隆帝との戦いが繰り広げられた。
オゴタイ・ハーン[編集 | ソースを編集]
- ポーランドを滅ぼし、ドイツへ進撃していた。
- でも、どこかで大逆転勝利が起きてそう。
- ライン川とアルプス山脈から南と、ドナウ川以南は辛うじて守れるか。
- ドイツでも極端な人口減少が起きていた。
西洋史[編集 | ソースを編集]
アレキサンダー大王[編集 | ソースを編集]
- インド全土を完全に征服し、次は戦国時代時の中国に手を延ばしていた。
- 予定通りアラビア半島を征服してシーレーンを確保してから、海路でインドへ侵入。
- 実史の没年から20年くらい後に中国に到達していたとすると、B.C.300年前後。趙の武霊王、斉の孟嘗君などが活躍していた頃ですな。少し後には燕の楽毅や秦の白起などの名将も出現する時代で、いい勝負が見られるかも。
- そして縄文時代の日本へ・・・まあそこまで生きていないか。
- 日本へ行ってたらギリシャ文化が現実以上に弥生〜奈良時代の日本に影響を与えてた。
- Fate/Zeroでこの事に関して少し触れられたかも?(英雄召喚されたアレキサンダー大王が出てるし)
- 日本へ行ってたらギリシャ文化が現実以上に弥生〜奈良時代の日本に影響を与えてた。
- 確かアラビアの次は北アフリカを征服する予定だったと聞いたことがある。
- となると、カルタゴと対決ということになりそう。海軍力は高いので、本土をほぼ制圧されてもシチリアあたりを拠点に抵抗するかもしれない。
- あるいはナイル川を南下し、ヌビア方面に向かっていったかもしれない。
- ローマ帝国は存在しなかったかもしれない。
- 史実より手こずるが、最終的には組織力に勝るローマ帝国が勝つんじゃね?。
- この時期にはまだそんなにローマの組織力が強力でもなかったように思われるが……
- 要はアレキサンダー大王没後の後継者をどうするかだろ。この問題を解決できるんならローマが後々台頭してこようとこまいと問題ではない。
- 「長生きしていたら」という仮定なんだから、すんなりアレキサンダー4世が後継者になってたと思うよ。大王が20年長生きすれば20歳、30年長生きすれば30歳になってたわけで。
- 戦うのがサムニウム戦争以降(BC290)なら、ローマはイタリア半島の覇権を握っている上、散開戦術も導入済みなのでマケドニアのファランクスは相当苦戦するはず。しかも、六万や七万が殺された程度で降伏しないので、徹底的に殲滅しなければならない。戦争が長引けば、スキピオのような人物が出てくる可能性もある。もしかしたら、ポエニ戦争のような結末になるかもしれない。
- ↑の通りアフリカを追い出されたカルタゴとローマが手を組んで…なんていう世界線もあったかもしれない。
- 史実より手こずるが、最終的には組織力に勝るローマ帝国が勝つんじゃね?。
- アラビアがギリシャ文化に染まるのでアラビア文化が一変してた。
- イスラム教が無かったかも?
カエサル[編集 | ソースを編集]
- 正式に初代ローマ皇帝に即位していた。
- ブルータスの名前が歴史に残ることは無かった。
- 少なくとも、日本での知名度は皆無に等しい。
- クレオパトラの地位も安泰。プトレマイオス朝の命運はもう少し伸びる。
- でも彼女が死亡すればあっさりとローマ帝国に取り潰される。
- クレオパトラの鼻がどうのこうのと言われない。
- あの禿ならパルティアもきっちり支配下に入れてして帰ってきそう、そうなってたら史実より更に豊かでかつ西方に力を注げただろうしローマは滅んでなかったかも
- 後継者はやはりカエサリオンではない
- カエサルと血縁関係がある事と本人の能力を考えると史実通りアウグストゥスになって可能性もある
- 閏年の定義が「4で割り切れる年」ではなかったかもしれない。
- ユリウス暦導入(B.C.45年)直後のB.C.44年にカエサルが暗殺され、それ以来4年に1度ではなく3年に1度閏年が挿入されてしまった。のちにアウグストゥスが誤りに気付いて3回分の閏年を飛ばすことで修正するが、もし最初から正しく挿入されていれば、最新の学説で4年に1度のサイクルを当てはめるとA.D.1年以降「4で割ると1余る年」となる。
- そうするとグレゴリオ暦の例外ルールが複雑になるから、1582年を境に4年サイクルをずらした可能性もある。
- ユリウス暦導入(B.C.45年)直後のB.C.44年にカエサルが暗殺され、それ以来4年に1度ではなく3年に1度閏年が挿入されてしまった。のちにアウグストゥスが誤りに気付いて3回分の閏年を飛ばすことで修正するが、もし最初から正しく挿入されていれば、最新の学説で4年に1度のサイクルを当てはめるとA.D.1年以降「4で割ると1余る年」となる。
エドワード黒太子[編集 | ソースを編集]
- 連戦に次ぐ連戦で、史実よりも疲弊していた。
- もし体調も良く連戦が続けられるとしたら、イギリスは大陸の領土を失っていた可能性が高い。
- 経済的に追い込まれていたので、史実よりも早くマグナカルタが成立していたかもしれない。
- もし体調も良く連戦が続けられるとしたら、イギリスは大陸の領土を失っていた可能性が高い。
- 後世からはさすがに史実のジョンほどではないにしても無能扱いされていた。
- 三国志の姜維と比較されていた。
- 即位していたらエドワード4世を名乗っていた。
シャカ・ズールー[編集 | ソースを編集]
ズールー王国の基礎を築いたものの41歳で部下に暗殺されたシャカ・ズールー。彼がもし暗殺されず長生きしていたら?
- おそらく地理的条件から見ても、19世紀をエチオピアのようにズールー王国が生き延びることはないだろう。
- しかし、ズールーの勢力圏は史実以上になっていた。レソト・スワジランドも滅ぼされていたかもしれない。
- ソト人・コサ人などがイギリスの庇護下に入るのが早かったかもしれない。
- 結局滅ぼされる時期は史実とさほど変わらないか、長かったとしても1890年くらいまでだろう。
- しかし、ズールーの勢力圏は史実以上になっていた。レソト・スワジランドも滅ぼされていたかもしれない。
P・I・チャイコフスキー[編集 | ソースを編集]
生水を飲んでしまい、コレラに感染して49歳でなくなってしまったロシアの偉大な作曲家チャイコフスキー、もし生水を飲まず、飲んでしまっても病院に行くなどして助かっていたら。
- 悲愴の次の明るい第7番を書いていた。
- 悲愴自体中途半端な終わり方の第4楽章にもならない。
- 悲愴に最終的に打ち勝った第5楽章がたぶんある。
- もしかして「悲愴」が「死に際の作品だからあんなに暗かった」とか思ってないか? チャイコフスキーは急死で、「悲愴」を書いた時点ではコレラの気配もなくピンピンしてたぞ。未完成だったわけでもないし、あれはああいう「コンセプト」で書かれた作品だっただけ。
- ベートーヴェンの9番を上回り、15番くらいまで書いていた。
- 悲愴自体中途半端な終わり方の第4楽章にもならない。
- ロシア革命を目の当たりにした。
- ひょっとしたらレーニンの相棒になったかも。
- 当時の国会議員に選出。
- 某映画会社は音楽使用に遺族などの許可が必要だった。
- 自身が映画音楽を作曲していたかもしれない。
フェルディナント大公[編集 | ソースを編集]
オーストリア皇太子フェルディナント大公がサラエボで暗殺され第1次世界大戦に発展しましたが 仮にフェルディナント大公の暗殺が失敗して第1次世界大戦が勃発しなかったら
改革断行[編集 | ソースを編集]
- フェルディナントは連邦主義者だったそうなので大オーストリア合衆国構想の現実化も
二重帝国存続[編集 | ソースを編集]
- やはり二重帝国が存続したとしても民族自治を認めざるおえなかっただろう・・・
- 有力なのは「チェコ王国」(実史のチェコにスロバキア北部)と「南スラブ王国」(クロアチア+ボスニア+ヴォイヴォディナ南部)か?
- ちなみにヴォイヴォディナ北部はハンガリー領
- 第1次世界大戦が勃発しなかったらロシアは自力で革命を抑えていた可能性も・・・
- ドイツ帝国も存続やイタリア王国も存続
- アメリカの発展は遅れる
- 現在も世界共通通貨はポンドのまま
- ナチズムも余り発展しない
- イスラエルやアラブ諸国の独立は無かったかも知れない
結局、第1次世界大戦勃発[編集 | ソースを編集]
- 結局難癖つけてオーストリアはセルビアと戦局を開いていたと思う。
- フランツ・フェルディナントが皇位を継承した時点で彼のハンガリー嫌い、チェコ贔屓がどう出るか…
- 「オーストリア・ハンガリー・チェコ三重帝国」ができていた以外は史実と変わらなかった気がする。
ルー・ゲーリック[編集 | ソースを編集]
- 結果としてベーブ・ルースと互角なまでの成績を残せていただろう。
- 但し、年齢的に衰えは隠せず、史実より5年ほど長く活躍できたくらいか。
- おそらく現役後期の衰えを考慮しても、700本塁打いけたかどうかかもしれない。
- 同時に少なくともあと300試合ほどは連続出場記録を伸ばしていた。場合によっては連続出場記録はいまだに破られていない。
- 但し、年齢的に衰えは隠せず、史実より5年ほど長く活躍できたくらいか。
- ALS(筋萎縮性側索硬化症)の知名度は史実より低かったかもしれない。
- それでも著名人にも発症者がいるのでそこそこは知られていただろう。
- 世間的にはアイスバケツチャレンジを期に広く知られるようになっていた。
- 遅くともホーキングの時点で広まっているだろう。
- 世間的にはアイスバケツチャレンジを期に広く知られるようになっていた。
- それでも著名人にも発症者がいるのでそこそこは知られていただろう。