もしあの県が存続していたら
経過観察
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独立項目[編集 | ソースを編集]
- もし北海道がいくつかの県に分かれていたら#三県一局時代が続いていたら(根室県、札幌県、函館県)
- もしあの県が存続していたら/東北
- もしあの県が存続していたら/関東
- もし大石川県が存続していたら(石川+富山+越前)
- もし浜松県が存続していたら
- もし豊岡県が存続していたら
- もし堺県が存続していたら
- もし摂津と播磨が別の県だったら#播磨が飾磨県のまま独立を保ってた場合
- もし大島根県が存続していたら(島根+鳥取)
- もし三潴県が存続していたら
- もしあの県が分離独立していなかったら
- もしあの県が分裂したままだったら
中部[編集 | ソースを編集]
相川県[編集 | ソースを編集]
- 現在の新潟県佐渡市
- まかりまちがっても佐渡市は成立しない。
- 仮に成立していれば二重行政の回避のため佐渡都構想がぶち上げられるが当然実現しない。
- 両津ではなく相川が市になっている。県庁所在地もここ。
- 佐渡空港はおそらくあんな状態になっていない。
- 新潟・小松(能登か?)・松本程度には定期便が運航されている。
- 子供が描く日本列島にはちゃんと佐渡島が描かれている。
筑摩県[編集 | ソースを編集]
- 北陸新幹線の松本駅停車案が求めるのが当県になる。
- それはありえない。もし新幹線を誘致するとしたら中央新幹線(中山道新幹線)だろう。
- 一番広い県にはなれる。
- 霞ヶ関や企業などのエリア区分では、筑摩県は、甲府・静岡・浜松などと一緒のエリアに編入され、直江津や富山などと一緒の「北陸」や「北陸信越」のエリアには編入されない。
- 内陸同士、列びに内陸⇔沿岸の交通網が激変していた。
- 県域テレビ局として、「テレビ筑摩」「筑摩放送」などが存在する。
- テレビ朝日系列のテレビ局は、「筑摩朝日放送」という名称になっている。
- FMラジオ局も「FM筑摩」。「FM長野」はコミュニティFM。
- 史実の信州大学は、「筑摩大学」という名称になっていた。
- この他に、「筑摩県立大学」が高山に立地している。
- 井上正治原作の漫画「マラソンマン」に登場する学校名は、「筑摩大学」ではなく、別の名称になっていた。
- あるいはこちらが「信州大学」で、長野県の国立大学が「長野大学」になっている。
- 私立大学として「信州大学」や「松本大学」が立地している。
- 県域新聞として、「筑摩新報」が松本に立地する。
- 第十四銀行(本店:松本)が、筑摩県最大の銀行になっている。
- 銀行名が「第十四」なのは、高松の「百十四」銀行との混同を避ける為。
- 長野銀行は、松本ではなく長野に本店を置く地方銀行。
- 当然、「筑摩銀行」も存在する。
- 県内の天気予報は、松本(筑摩県北部)、飯田(筑摩県南部)、高山(筑摩県飛騨)の3箇所が表示されている。
- 松本山雅FCのJFL入りとJ2昇格が、史実より早かった。(史実では、2010年にJFL入り、2012年にJ2昇格)
- 松本市の人口は30万人を越えて、中核市入りを果たしている。
- 関連項目
新川県[編集 | ソースを編集]
- 現在の富山県・石川県射水郡。県庁所在地は魚津市。
- 射水郡は石川ではなく富山県では?
- 魚津駅が新幹線駅になる。黒部市に新幹線駅なんて有り得ない。
- 新魚津駅は魚津駅と一緒になっていたかもしれない。
- 富山市は少し寂れている。
- 富山テレビ放送は新川テレビ放送に。
- あいの風とやま鉄道があいの風にいかわ鉄道になっている。
七尾県[編集 | ソースを編集]
- 現在の石川県北部。
- 北陸の北と言えば七尾県。
- 県域テレビ局は「七尾テレビ」と「七尾放送」が出来ている。
- 恐らく2県地しかできてないかも…。
- 大半の県民は日テレ系列は対岸を視聴。
- 2015年以降沖縄を除くJRだけでは鉄道で行けない県になっていた。
- 能登空港や能越自動車道は史実より早く整備された。
敦賀県[編集 | ソースを編集]
- 現在の福井県南西部。
- 県域テレビ局は2局か3局辺りか。
- びわ湖放送を見ている県民も多かった。
- 北陸地方や中部地方ではなく近畿地方(関西地方)に間違いなく組み入れられている。
- 「北近畿」という枠組みには京都北部(丹波・丹後)・兵庫北部(丹波・但馬)に加えて敦賀県も含まれている。また、敦賀県と滋賀県で「敦滋」という枠組みも存在する。
- 福井新聞ではなく京都新聞のエリアになっていた。戦前からの地元紙は戦後も県域紙として発行されるものの、1970年代に滋賀日日新聞ともども京都新聞に吸収・統合された。
額田県[編集 | ソースを編集]
- 現在の愛知県東部(三河国+知多半島)
- 徳川家康が名古屋出身と勘違いされることはない。
- 三河安城駅は存在せず、新幹線は開業時から岡崎駅に停車している。
- 岡崎と豊橋の対立が深まる。
- トヨタ自動車サッカー部のプロ化はなかったか、してもチーム名が違っていた。
- 名古屋空港と中部国際空港が伊丹と関空みたいな関係になる。
- 豊田大谷高校の甲子園出場回数が増えていた。
- 戦後、「額田大学」か「豊橋大学」という駅弁大学が設立されていた。
- 岡崎銀行は東海銀行に吸収されず、戦後も額田県における地方銀行として存続していた。
- そのため、東海銀行→三菱東京UFJ銀行の額田県内の支店は少なくなっていた。
- 豊田市は挙母市のままだったかも。
名古屋県[編集 | ソースを編集]
- 現在の愛知県西部。
- それでも名古屋県とは名乗っていたか怪しい。(1872年04月02日に改称されてるので)
- 額田県は浜松県に編入していたか?
- 史実通り中京圏を形成していれば、名古屋県と名古屋市を統合して、名古屋都または名古屋府になることを目指す地域政党が誕生した
度会県[編集 | ソースを編集]
- 現在の三重県南部
- 北にある三重県は近畿扱いされる事は無かっただろう。
- しかし度会県だけ近畿扱いされているかも。
- 伊勢市は今でも山田市。
近畿[編集 | ソースを編集]
- 関連項目
久美浜県[編集 | ソースを編集]
- 現在の京都府北部(旧丹波・丹後国)・兵庫県西部(播磨国)・北部(但馬・丹波国)・岡山県北部(美作国)
- 恐らく西日本では最も面積が広い県となっていた。
- その面積の広さゆえ現実の兵庫県以上に県としてのまとまりに欠けていた。
- 山陰本線は久美浜経由となっていた。
- 播但線は久美浜県を南北に結ぶ幹線となっていた。
- 久美浜県の南端は加西あたりだから北条線を伸ばして建設されていた。
- 豊岡市よりも久美浜の方が発展していた。
- 県庁が久美浜では不便なので結局姫路市に移転する。
- 県外の都市に県庁を置いたら一層不便になるのでは?
- 滋賀県は存在せず、旧近江国は京都府に組み込まれていた。
- 姫路銀行・三十八銀行・両丹銀行・宮津銀行・香住銀行が戦時中に統合し「久美浜銀行」を名乗っていた。
- 京都銀行は史実とは異なり戦後地銀として創業していた。また、現実の但馬銀行はなかった。
- 神戸銀行の規模も史実より小さく、都市銀行にはならなかった。太陽銀行や三井銀行、住友銀行との合併も当然なかった。
大津県[編集 | ソースを編集]
- 現在の滋賀県南部。
- 東海道新幹線が大津県が停車しない事にぶち切れる。
- なので大津市か草津市に新幹線駅が出来ている。
- 長浜県は敦賀県と編入。
長浜県[編集 | ソースを編集]
- 現在の滋賀県北部。
- 新幹線駅は米原駅ではなく彦根駅に出来ている…のか?
- 新幹線駅は長浜駅に作られていた。当然、在来線のジャンクションも長浜駅になっていた。
郡山県[編集 | ソースを編集]
- 現在の大和郡山市など
- こちらの県庁所在地が郡山市を名乗るから郡山市は福島郡山市とならなければならない。
- 「岩代郡山市」の可能性が高いのでは。
- 郡山県唯一の高等教育機関は郡山高専(史実の奈良高専)。
中国・四国[編集 | ソースを編集]
浜田県[編集 | ソースを編集]
- 現在の島根県西部(旧石見国)
- 松江より栄えていた
- 現在の可部線が伸びて浜田駅まで繋がる
- 客車寝台特急「出雲」は最後まで浜田発着だった。
- 「石見」という寝台特急が運行されていたかも。
- 衆議院選挙の小選挙区の区割りでは浜田1県で選挙区となっていた。
- 中選挙区制(1993年以前)では浜田県のみで1つのエリアで、小選挙区制(1994年以後)では浜田県は2つのエリアに分かれているだろう。
- 民放は1局しか開局しなかった、
- 浜田県単独で、民放が2局か3局のエリアになっている。或いは、お隣の島根県と相互乗り入れをしている。
- 中国自動車道は建設されず、初めから山陰自動車道と山陽自動車道が建設されていた。
- 石州銀行は山陰合同銀行に編入されず、第二次大戦後も石州銀行が浜田県を拠点とする地銀になっている。
- 石見銀山を持つ事から、「キラリ、浜田県」が浜田県の観光キャッチフレーズになっている。
- 「石州新聞」という名前の県域紙も発行されている。
- 浜田から江津を経て三江線経由で広島や岡山を結ぶ優等列車が走っていた。
福山県[編集 | ソースを編集]
- もともと備後なので、広島市よりも岡山市との結びつきが強くなっている。
- 「福山大学」の名前は国立の駅弁大学の名称となり、現実の私立の福山大学は「備後大学」という名前を名乗っていた。
名東県[編集 | ソースを編集]
- 現在の徳島県+香川県+淡路島
- 史実では四国の国の機関が集まっている都市は徳島市だった
- もしかしたら徳島市が合併で政令指定都市になっていたかもしれない
- (徳島県と香川県の人口を合わせると180万人ほどになるので)
- 上記の大高知県よりは無理が無かったと思う
- 実際戦国時代での日本も細川氏、三好氏が讃岐国と阿波国と淡路島を一緒に支配していたし
- 神戸淡路鳴門自動車道は瀬戸中央自動車道よりも早くに完成していた。
- 現実世界における徳島県内陸部はあまり発展しなかったかも知れない
- 「庚午事変」が起こって結局、淡路島は現実と同じ兵庫県所属ということも・・・
- 史実通り阪神淡路大震災が発生した場合、淡路島内から不平不満が続出し、淡路島は名東県から兵庫県に入れ替わった。
- 後に元の徳島県に改称していたかも知れない
- もし名東県のままだったら、名東区は「猪高区」と名乗っていた。
- 徳島ヴォルティスとカマターレ讃岐の戦いは四国ダービーでは無く名東ダービーと言われる
- もしかすると徳島ヴォルティスはもっと早くにJ1に昇格出来ていたかもしれない
- 四国タイムズが「四国新聞」を名乗っていたかも。
- 四国放送は名実ともに四国新聞の傘下になっていた。
- もしかしたら1952年にラジオ放送開始し、1958年にテレビ放送開始していたかも。
九州[編集 | ソースを編集]
小倉県[編集 | ソースを編集]
- 現在の福岡県東部から大分県北部
- 「北九州市」は存在せず、門司は「小倉市門司区」となっていた。
- それ以前に政令指定都市になっていない気がする・・
- 福岡県側の戸畑、八幡、若松の3市で「北九州市」を構成していた。
- その場合、市役所は黒崎駅前に置かれる。(ひょっとしたら黒崎市になっていたかも)
- 熊本市もそれを追い,旧熊本市の周辺自治体を次々に合併。「大」熊本市を実現させる。70年代に「九州の政治都市」の役目で政令指定都市になる。
- その場合、市役所は黒崎駅前に置かれる。(ひょっとしたら黒崎市になっていたかも)
- 当然現実の北九州空港は、「小倉空港」になっていた。
- 『小倉県』の観光PR大使に、『ゆうこりん』こと『小倉優子』がなっていた(かな…)。
- その場合、小倉県はこりん星の無償租借地となる。
- 中津市や宇佐市も大分県でなく、小倉県のままであった。
- テレビは山口県と相互乗り入れしていた。
- この場合、「関門」か「長豊 (ちょうほう。長州と豊前)」を称するテレビ局(例:テレビ関門)が設立されていた。
- むしろ、(実史で)小倉市に設立された『西部毎日テレビジョン』が『ラジオ九州』(福岡市)に合併されず、小倉県のTBS系列局になり、山口放送(日テレ系)が小倉県に乗り入れるんじゃない。
- 「関門新報」もしくは「豊前新聞」という名前の県域紙が発行されていた。
- 国立の小倉大学が存在するため北九州市立大学が存在しているか怪しい。
都城県[編集 | ソースを編集]
- 現在の宮崎県南部から鹿児島県東部
- 現在の宮崎市周辺や西都・児湯地域、熊本県球磨地方も併合していた。
- 現実の宮崎県北部は熊本か大分の一部となっていた。
- 宮崎市は昭和の大合併でようやく誕生した。
- 現実の市街地は大淀川の北側だから美々津県。南宮崎駅周辺も都城県の端っこで、郡名由来の宮崎よりは「日向中村」「城ヶ崎」辺りを名乗っていそう。
- いばら
ぎき・みやぎと釣られて、「みやこぎ県」と誤認されてしまう。- もちろん、出身者はご立腹である。
- あるいは「としろ県」と言われる。
- あるいは「とじょう県」。
- 東国原氏は都城県の知事になっていた。
- 都城大丸は上手くいけば山形屋・鶴屋・トキハと肩を並べられる程の規模の地方百貨店になっていたかも。
- 現実の宮崎・大隅よりは活気と魅力に溢れていたと思う。
- 九州新幹線は都城まで通っていたはず。
- 吉都線は現在よりも繁栄している上に、志布志線ももちろん存続。
- 大鹿児島県成立後、旧美々津県と旧都城県の分県運動を糾合できず、そのままになっていたかも。
- 史実では西南戦争時に鹿児島側が都城を見下したから、都城も分県に賛成となったらしい。