もしあの県の県庁が○○に置かれていたら/北海道・東北
北海道庁が○○[編集 | ソースを編集]
函館市[編集 | ソースを編集]
明治初期、政府は北海道開拓の一貫として函館に行政府を置き、開拓使設立後行政府は札幌に移転することになりました。 もし札幌に移転せずそのまま函館に北海道庁が置かれていたら?
- 函館は80年代頃に政令指定都市になっていた。
- 北斗・七重・鹿部は函館に合併されている。
- 北海道庁は五稜郭跡地に建てられていた。
- 札幌は周辺自治体を合併することはなく5~10万人程度に留まっていた。
- あの辺は札幌より苫小牧あたりが発展していたかも。
- STVは「函館テレビ」という名称になっていた。
- それならHTVだな。
- 松前線は廃止されなかった。
- 逆に札沼線は札幌寄りの南部を含めて全線廃止されていた。
- 江差線も全線存続している。
- トワイライトエクスプレスや北海道新幹線も函館駅に停まる。
- というよりどちらも函館が終点。
- 青函トンネルは大間~函館間に掘られ北海道新幹線は八戸から分岐して下北半島経由だったかも(八戸ー三沢ーむつー大間ー函館)
- 地形的な問題の方が大きいはずなので史実通り西ルートのままだろう。
- 東北新幹線の八戸~青森間は支線的な扱いになる(新青森駅は建設されず青森駅が終着になる)
- 仮に新幹線がさらに北方に延伸されていたら、函館駅でスイッチバックしていた。
- 百十三銀行は拓銀に吸収されなかった。
- おそらく現在まで生き残り、北海道を代表する銀行になっている。
- 現実の道北・道東が別の県になっていた可能性もある。
- この場合北海道は2つの県に分割されていた。
- 太平洋戦争での空襲被害が拡大していた。
- 青函トンネル開通後も北海道の特急列車の運転系統は函館が中心のまま。
- 石勝線は追分が起点。
- 室蘭本線の沼ノ端〜岩見沢間がもう少し有効活用される。
- 千歳線は下手すると開業すらしていない。
- 「オホーツク」は池北線経由。
- 史実通り苫小牧~岩見沢経由では?
- 県都が端っこでたいした一極集中が起きないから、旭川が史実より栄えて50万都市くらいになってる。
- 当然、過疎地域にはなっていない。
- 篠路村や豊平町などが過疎地域に指定されていた。
- 道北・道東は史実以上に過疎化していた。
- 「北海道は南部(道南)のみが栄えている」と言われる。
- ここにあることの多くが実現していた。
- 北海道も「東北」と見做されることが多くなっていたかも。
- 函館空港が史実の場所にあるかどうか怪しい。
小樽市[編集 | ソースを編集]
小樽はかつて「北のウォール街」と呼ばれる程、札幌以上に経済的に発展していました。
- 小樽は札幌を吸収合併していた。
- その理屈だと史実の札幌が小樽を併合しているはず。
- 函館本線の「山線」区間が寂れることはなかった。
- 北海道南回り新幹線は計画すらされなかった。
- 石狩湾新港は整備されていない。
- 小樽運河はおそらく完全に埋め立てられていた。
- 小樽周辺に空港が作られる。
- 丘珠空港のように北海道内の路線を担当。
- 丘珠空港が現実の新千歳のような道外路線を担当。
稚内市[編集 | ソースを編集]
- 宗谷本線が全線電化する。
- 天北線は廃止されていないだろう。
- 羽幌線や興浜北線は…史実の日高本線みたいなもんだから微妙か。
- 北海道新幹線が稚内駅まで…延びていただろうか?
- 樺太・北方領土を返還せよとかなり揉める事に。
- 敗戦前は南樺太も北海道庁の管轄区域に含まれていた。
- そうでないと明らかに道庁が北に寄りすぎている。
- 樺太が日本領で、かつ北海道庁の管轄区域だったら‥
- 稚内があまりにも端すぎるため札幌ほどの求心力はなく、函館釧路も人口50万人くらいの都市になっている。
旭川市[編集 | ソースを編集]
- もちろん政令指定都市化。
- 鷹栖町・当麻町・東神楽町・東川町と合併していた。
- 日露戦争期にロシアの上陸に対処するため道庁をより内陸に移転させたことによる。
- 石勝線は少なくとも開業していない。
- (本州~)函館~帯広方面の短絡のために、航空便が発達するまでは計画自体は存在しただろう。
- 富良野線の方が根室本線に。
- 現在も道東方面への幹線であり続けた。
- 西聖和駅あたりから分岐する形で旭川空港線が開業していた。
- 1998年の五輪開催地には立候補しなかった。
- 北海道新幹線も旭川駅まで計画されていただろう。
- 一応本当に計画されてはいるが…
- 国道5号線も旭川が終点だった。
- 上川管内周辺が主に「道央」と呼ばれ、石狩・後志管内は「道西」と呼ばれていた。
- 留萌・宗谷地方が「道北」と呼ばれた(つまり、事実の「道北」から上川地方を外しただけ)。
- 留萌が史実の小樽のように外港として栄えていた。
- 留萌本線も留萌までは生き残れるはず。
北京構想が実現していたら[編集 | ソースを編集]
明治中期に北海道上川郡旭川村(つまり現在の旭川)に東の都東京、西の都京都、南の都奈良に続く北の都を作ろうした動きがありました。結局構想だけで終わってしまいましたがもしこれが実現していたら
- 北京と一緒に離宮も建設されるという設定で
- 全般
- 蝦夷地開拓が順調に進み、北海道が分割され置県される。
- 日露戦争で樺太・シベリアへの侵攻が上手く行き樺太全部取れたかもしれない。
- あんまり関係ない気がする。
- 日露戦争で樺太・シベリアへの侵攻が上手く行き樺太全部取れたかもしれない。
- 北海道にも神社がめっちゃ建てられる。
- 帝国大学が設置される。
- 文字だけ見ると中華人民共和国の北京と紛らわしい。
- こちらの北京が十分に有名な都市だった場合は中華人民共和国の北京は北平のままだったかもしれない。
- 予定どおり旭川にできた場合
- バカ日本地図では中国にあったり紫禁城が立つことになる。
- 逆に、バカ中国地図で北京に旭山動物園ができる。
- 北海道の発展は旭川を中心に行われることになる。
- 北海道新幹線はとっくに実現していた。ただし終着駅は北京。
- 中国のそれとはおそらく「ほっきょう」「ぺきん」と呼び分けることになる。
- 夏暑くて冬寒い上川盆地にあるのでほぼ使われない。
- 北の京として熱心に開発が進められ、北海道の2大都市として札幌と一緒に栄える。
- 旭川の港湾都市として留萌港と紋別港が整備される。
- 富良野線が旭川への通勤路線となっている。
- 富良野のスキー場が史実より早く整備される
- 史実では戦後に西武が開発。
- 別の場所にできていたら
- 北見
- 網走に刑務所は設置されない。
- 代わりとして紋別あたりに設置される。
- 標津
- 夏も結構涼しいので…
- 第二次世界大戦敗戦後は国境がすぐそこに。
- 釧路・根室も史実ほど衰退していない。
根室市[編集 | ソースを編集]
- 敗戦前は北方領土も根室市の管轄になっていたかも。
- それはない。最大でも色丹・歯舞くらいだろう。
- 歯舞は史実でも根室市内(書類上)ですが?
- それはない。最大でも色丹・歯舞くらいだろう。
- 北方領土はなんとしても返還活動するが、樺太は微妙。
- 戦後「ソ連との最前線に道庁があるのは危険だ」として、釧路あたりに移転していたかも。
釧路市[編集 | ソースを編集]
- 釧路町・白糠町も当然のように釧路市に編入されていた。
- 釧路湿原が開発されてほとんど失われていたかも…
- かつては東京に出るときは釧路からのフェリーで直接首都圏に行くことが一般的だった。
- 現在でも商船三井フェリーは大洗〜釧路間で運航されている。
- 北海道新幹線は新函館から長万部・室蘭・苫小牧を経由し、石勝線や道東道に近いルートで帯広・釧路に向かっていた。
青森県庁が○○[編集 | ソースを編集]
むつ市[編集 | ソースを編集]
- 青函トンネルは東ルートに。
- 青函トンネルではなく陸函トンネルになっていたかも。
- 海底の地形上厳しくね?
- むしろ一旦下北半島から海底トンネルで抜け、そこから史実通りのルートで北上する形になっていた。
- 費用も時間もかかりすぎるからそれはない。七戸十和田(辺りの駅)を玄関口として活用するのが関の山。
- むしろ一旦下北半島から海底トンネルで抜け、そこから史実通りのルートで北上する形になっていた。
- 日本初のひらがなの市だけではなく、日本初のひらがなの県庁所在地でもある。
- 歴史的経緯を踏まえると「大湊市」になっているはず。
- 明治初期に大湊が開港場に指定されていたら可能性あり。
- 旧津軽藩領が一度は分県を求めていた。
八戸市[編集 | ソースを編集]
- 県名は「八戸県」。
- 本八戸駅は八戸駅のまま。
- 東北新幹線は八戸駅まで開通するが、北海道新幹線は青森経由にするか、むつ経由にするか揉める。
- むつ経由は海底の地形上厳しい気が…。
- 八戸飛行場が空港化。高層ビルはあまり建てられないかも。
- 三沢に統合する形で廃止されたかも。
- 県の中央に近くなるので史実で没になった岩手県北部の青森県編入が行われていたかも知れない
- 岩手県南部は宮城県に編入されていた
- 津軽地区が分県を求める。
弘前市[編集 | ソースを編集]
秋田県庁が○○[編集 | ソースを編集]
横手市[編集 | ソースを編集]
- 北上線がミニ新幹線化する。
- 県名は恐らく「横手県」。
- かまくら館が有名になる。鎌倉市は大変な目に…。
羽後町[編集 | ソースを編集]
- 史実通り羽後町と名乗ればうごメモでネタにされるのは確実。
- 「馬音内市」になっていたかも。
大曲市[編集 | ソースを編集]
- 大仙市という市名にはなっていなかった。
- 秋田新幹線も大曲止まり。
北秋田市、鷹巣[編集 | ソースを編集]
- 大館能代空港が秋田空港より先に開通し、なおかつ便数も旅客数も大館能代空港の方が多くなる。
- 秋田新幹線が花輪線、大館経由で鷹巣あたりまでくる。
山形県庁が○○[編集 | ソースを編集]
酒田市[編集 | ソースを編集]
- 県名は「酒田県」になるが、秋田県と「どっちが上だっけ?」と言われてしまう。
- 県の行政・経済が仙台一辺倒ではなく、秋田や新潟とも強くつながっていた。
- 米沢辺りが「県庁が遠すぎる」として移転を求めていた。
- 県民性がもう少し開放的なイメージを持たれていた。
- 県外との交流が当初から活発になり、県を隔離して支配しにくいのであの「天皇」は生まれなかった。
- 東北横断自動車道酒田線は東北自動車道古川ジャンクションで分岐して新庄経由で作られていた。
- 日本海東北自動車道はもっと早くに開通していた。
- 上越新幹線は羽越新幹線になりそう。
- 秋田まで開通すれば、東京からのアクセスはこちらが主流になり、秋田新幹線は建設されなかったかも。
- 羽越本線が1960年代に酒田まで電化されていた。
- 複線区間が増えたかも。
- 大火の被害が史実より大きかった。
鶴岡市[編集 | ソースを編集]
- 県名は「鶴岡県」か郡名で「田川県」。後者なら石川や山口とともに小1でも漢字で書ける県と親しまれる。
- 山形県が鶴岡県に編入されていた。
- 筑豊の田川市と紛らわしくなる。
- 港欲しさに酒田を吸収合併しようともくろむ。
- 企業や省庁などのエリア区分は、言うまでもなく新潟県(下越)と同じエリアに入れられている。
- 新潟県と鶴岡県は、一緒に「東北地区」か「出羽地区」のエリアに入れられている。
- 山形自動車道の全通よりも、新潟からの日本海東北自動車道が先に開通した。
- 2010年頃には、日本海東北自動車道が秋田まで延伸されていたかも。
- 否、新潟~鶴岡~秋田が、1990年代後半に開通していた。その代わりに、秋田と岩手県内陸を結ぶ高速道路の開通は、2000年代で史実より晩かった。
- 山形自動車道は当然全線フル規格、月山に関越トンネル並みのトンネルが掘られる。
- 2010年頃には、日本海東北自動車道が秋田まで延伸されていたかも。
- 史実と同様に東日本大震災が発生した場合、鶴岡天神祭が県庁所在地集合イベント(史実での東北六魂祭)に参加していた。
- 庄内交通の鉄道線は地味に現存している。
- 陸羽西線の列車は鶴岡駅に直通していた。
- 鶴岡公園では城が復元されていた。
- 国道48号の終点が、鶴岡になっていた。即ち、仙台~天童or山形~鶴岡のルートになっていた。
岩手県庁が○○[編集 | ソースを編集]
岩手町[編集 | ソースを編集]
- 言うまでも無く県庁所在地と間違える事は無かった。
- いわて沼宮内駅は岩手駅に。
- 当然新幹線の乗降客数ワースト1にならなかったはずだ。
- 県名は史実通り「岩手県」。
- 大した都市でも歴史ある地でもないので県庁所在地になる際に異論がかなり出る。
- 「盛岡vs二戸の結果」という噂が流れる。もしくは「旧陸奥国地域を懐柔しようとした結果」
久慈市[編集 | ソースを編集]
- あまちゃんは史実よりもかなり有名になっていた。
- 県名は「九戸県」か「久慈県」に。
- 前者なら県庁所在地が九戸村と間違えられる。
- 奥久慈がここと間違われる率UP。
北上市[編集 | ソースを編集]
- もちろん中核市移行決定。
- 北上線は横手まで電化。
- 諏訪町のアーケードは取り壊されなかった。
- 北上駅は新幹線全列車停車駅。そして北上から横手を経由して、秋田まで新幹線が通っていた。
- 秋田自動車道は早々に4車線化。
- 下手すると岩手県を二分する羽目に…。(岩手県→盛岡市 北上県→北上市 みたいに)
- そうすると盛岡も北上も20万人ぐらいの都市になりそう。
- 盛岡は工業が弱いから、10万人以下の都市になるかも。
- お花見は高松の池でも、岩手公園でもなく、『展勝地』。
- 「北上市」ではなく、「黒沢尻市」になっていた。
- 県名は「和賀県」になっていた。
- 花巻市は北上市に吸収されていたかもしれない。
平泉町[編集 | ソースを編集]
- 滅ぼされていなければ、可能性はあった。
- 当時平安京に次ぐ都市だったから、今では100万人都市だったかも。もちろん政令指定都市。
- 今の奥州市や一関市の一部も領域。
- 世界遺産への登録はもっと早かった。
- 平泉駅は新幹線停車駅となっていた。
- おそらく県名は「岩手」ではなく「平泉」。
- 「磐井」ではなかろうか?
- 平泉と仙台の関係は、関西でいう京都と大阪みたいになっていた。
- 仙台が今よりも栄えていたかもしれない。
- おそらく盛岡は都市として存在しない。存在しても5万人レベルの都市になっていた。
- 京都と並ぶ国際的な観光都市になっていた。
- 現在の一関市、奥州市域は平泉に吸収されていた。その場合、政令指定都市になっていたかも。
宮城県庁が○○[編集 | ソースを編集]
白石市[編集 | ソースを編集]
- 青森県の県庁所在地も黒石市に…なる訳ないか。
- 新幹線駅は白石駅停車に。ただ成功していたかどうかだ。
- 福島市は地味な県庁所在地にならなかっただろうか?
- 宮城県の県庁所在地がより近くなって更に地味になる気が…。
- 要するに伊達政宗が関ヶ原の後に居城を岩出山から白石に移していた場合。
- 県の領域は史実より南寄りに。
- 仙山線の代わりに上白線(上山~白石)が開業している。
- 山形新幹線と奥羽新幹線計画の起点が白石だった可能性アリ。
栗原市[編集 | ソースを編集]
- くりはら田園鉄道は当然廃止にならなかった。
- って言うかJR栗原線になっていたかも。
- 築館に県庁があったのなら築館線の方が存続している。
- 東北本線が東北新幹線に近いルートを取っていた可能性がある(少なくても瀬峰以北)。
大崎市岩出山[編集 | ソースを編集]
- 伊達政宗は1591年から10年ほど岩手沢城(岩出山城に改称)に居を置いていましたが、奥州街道から外れていたこともあって宮城野の千代(のちの仙台)に青葉城を築き移ってしまいました。もしも岩出山城に留まり、そのまま伊達藩→現宮城県の中心であり続けていたら?
- 宮城県ではなく玉造県になっている。
- 岩出山町→岩出山市が県庁所在地となっている。平成の大合併で古川市を編入。
- 高崎vs前橋みたいに並立していた可能性も。
- 山口市のように丘陵に囲まれて主要街道から外れているため、古川(または小牛田?)が小郡のようなポジションとなる。
- 東北本線は古川経由になっていた。
- 古川経由にする動機がないような…(小牛田でも古川でも岩出山からすれば大差ない)。
- 東北本線は古川経由になっていた。
- 鳴子温泉が岩出山市の奥座敷となっている。
- 新幹線古川駅にはやてが停車し運行上の中心駅となっている。千代駅は通過。
- 平地が狭いため100万都市にはなっていない。岩出山、千代、石巻、古川などの都市が並立。
- 宮城県(そして東北全体)の仙台一極集中のようなことは起こらなかった。
- お隣の福島vs郡山vsいわきvs会津若松のごとく岩出山+古川vs千代vs石巻vs白石という図式になっていた。
- 千代(仙台)市は交通の要衝としてそこそこ発展するが人口は20万程度。最近まで泉町・宮城村・秋保村が存続した。
- 平成の大合併で多賀城町・松島町を除く宮城郡+塩竈市+名取郡秋保村と対等合併し「宮城市」発足。中核市移行を目指す。
- 宮城県(そして東北全体)の仙台一極集中のようなことは起こらなかった。
- 内陸県都の外港としてこの計画が頓座せずに強行されていたかも。
- 石巻~古川~岩出山~酒田に高速道路が出来ていた。三陸道の千代~石巻間は建設されない。
- 陸羽東線は山口線のように非電化のままか?
- 新幹線へのリレー列車として古川~岩出山の区間列車が多数設定。
- 陸羽東線が電化されて仙山線(千山線?)が非電化だったかも。
- 仙台平野は広大な水田地帯のまま。
福島県庁が○○[編集 | ソースを編集]
郡山市[編集 | ソースを編集]
郡山市が県庁移転を目論んでいるそうですが、もし福島県の県庁が福島市ではなく最初から郡山市にあったら。
- 郡山は平成の大合併で政令指定都市を目指していた。
- しかし会津若松市との合併は合併後の名称の論議の末、頓挫。
- さすがに会津若松との合併はないと思う。
- 仮に編入に成功したら会津若松区になる。
- ちなみに他の区は安積区、猪苗代区、田村区、二本松区。(または安達太良区)
- 郡山市は穏健派なので萩市とも友好関係を結んでしまう。
- 福島は仙台都市圏ではなく郡山都市圏に組み込まれていた。
- 福島県ではなく郡山県になっている。
- 安積県の可能性もあり。
- 流石にそれはない。((例)栃木県)
- 同様に山梨県にも言えることかな。
- 福島市は現実以上に寂れている。
- 人口は精精15万人程度。
- 宮城県白石市の方が栄えていたかもしれない。
- 但し、数段下で述べているように宮城県に編入されている場合は福山並みに栄えている。
- 奥羽本線や国道13号の起点も福島市ではなく桑折町になっていたかもしれない。
- そもそも万世大路が建設されず、福島→置賜の連絡は二井宿峠経由だったかも。
- いや、東北本線、奥羽本線開業時点では郡山は未だ開拓中であるため福島のほうが拠点性が高いから高度成長期までは福島優先で建設されていたのでは?
- そもそも万世大路が建設されず、福島→置賜の連絡は二井宿峠経由だったかも。
- 福島のテレビ局の所在地がすべて郡山市にある。
- 田村市がもっと早く誕生していた。
- 三春町は郡山市に編入していた。
- 小野町も上手くいけば編入していた。場合によっちゃ須賀川市、本宮市も。
- 三春町は郡山市に編入していた。
- 会津地方の人々が県への愛着を持つようになってた。
- 実史でも若松県と福島県の合併の際、会津若松市が妥協案として郡山への県庁移転を提案したが却下されている。
- 愛着と言うより郡山市とは隣接している事もあって会津地方全体が郡山市の植民地化。
- 流石に山二つ越えた先だからそこまではならないような…。
- 愛着と言うより郡山市とは隣接している事もあって会津地方全体が郡山市の植民地化。
- 実史でも若松県と福島県の合併の際、会津若松市が妥協案として郡山への県庁移転を提案したが却下されている。
- 会津若松都市圏を飲み込み郡山都市圏は80万人超の経済圏を有するようになる。
- 会津若松市や二本松市(二本松市は実史では福島市のベッドタウン)は郡山のベッドタウンとして発展。
- 二本松よりも郡山に近い本宮市は二本松を人口で逆転していた。
- Chakuwikiでは二つとも郡山市の植民地扱い。
- 会津若松市や二本松市(二本松市は実史では福島市のベッドタウン)は郡山のベッドタウンとして発展。
- 福島は半分以上のやまびこが通過。新白河と大して変わらない。
- その影響もあって米沢には新幹線は通過せずその代わり仙台〜酒田間が開通
- そして新幹線の新潟線が酒田まで伸びる。
- 郡山〜会津若松〜大峠〜米沢ルートも考えられる。
- 流石に遠回り過ぎだ。
- そもそも福島に新幹線駅があったかどうかもわからない。
- 奥羽本線との接続を考慮してさすがに駅は設置されただろう。
- そもそも福島が奥羽本線の起点だったかどうかもわからない。
- 福島以外だと白石~上山くらいしか取れるルートが無いような。
- そもそも福島が奥羽本線の起点だったかどうかもわからない。
- 奥羽本線との接続を考慮してさすがに駅は設置されただろう。
- その影響もあって米沢には新幹線は通過せずその代わり仙台〜酒田間が開通
- はやてが停まる。
- つばさとこまちも停まる。
- つばさもこまちもやまびこ号との連結で停まっています。
- 現在こまちははやてと連結しているので停まりません。
- 逆につばさを連結しないやまびこはほとんどが福島を通過するようになる。
- 高崎や静岡で最速達新幹線が通過していることを考えると厳しいかも。少なくともはやぶさは通過。
- アンチ郡山・仙台大好きの福島市は宮城県に編入される。
- 福島盆地一帯の町村達を巻き込んで…。
- 今でさえ実質「仙台市福島区」と化しているが、本当に「仙台市福島区」が誕生する。
- ということは、「仙台市白石区」とか「仙台市伊達区」も生まれているはず。
- 或いは恐らく福山並みのポジションで落ち着く。
- 福島大学ではなく郡山大学になっている。
- そして私大と間違われる
- いわき〜郡山間の輸送量が多くなり、磐越東線に特急が走るなど、今以上に便利になっている。
- JR東の方針的に特急は走らない気がする。快速ならあり得る。
- 奈良県大和郡山市の(関)郡山駅は流石に大和郡山駅と命名された((北)福島の例があるから無いかな?)。
- いずれ大阪の福島も「河内福島」になるのでは?
- あのあたりは摂津のはず。
- もうそんな改称がされるような時代じゃないから未来永劫無いと思われる。
- いずれ大阪の福島も「河内福島」になるのでは?
- 郡山無尽は合併後もそのままで、郡山相互銀行→郡山銀行と変わり、大東銀行にはならなかった。
- 1876年(明治9年)に現・福島県が成立した後、1882年に安積原野に安積疏水が通水し、やっと人が住めるようになったので、最初から郡山に県庁を置くのは到底無理。郡山が県庁所在地になるなら1887年の東北本線・上野~郡山開通以後。
- 北海道並みに計画的な都市整備の実験場になっていたかもしれない。
- しかもその時点で福島市自体が養蚕業で仙台並みに栄えていたため、郡山に県庁を移転する決議をさせるには結局高度成長期に新産業都市に指定されてからになるのではないだろうか。
- 上にある通り、会津の人間を懐柔するために県庁を移転して、宮崎市のように一から都市開発された可能性あり。
- 福島交通は存在しない。
- 代わりに郡山に本社を置くバス会社が存在する。
- 加えて会津乗合自動車も郡山市内に路線を持っている。
- 郡山に私鉄が走っている。
- 安積野交通熱海線??
- 福島ナンバーはなく、会津ナンバーと安積ナンバーに分かれている。
- 後者は、関西で見かけた際に奈良県の大和郡山と混同されるのを避けるため。
- 加えていわきナンバーが出来るのは史実通り。
- 元々は福島県になって後に宇都宮や前橋のように県庁が移転する動きになるだろうから、栃木ナンバーや群馬ナンバー、宮城や愛媛のように県名から取られて福島ナンバーのままだろう。
- 後者は、関西で見かけた際に奈良県の大和郡山と混同されるのを避けるため。
- これが実現している。
- 東京に出て行く人が少なくなる。
- 須賀川市が今の郡山みたいになってる。
- 有名私大が進出してきていた。これによって年少人口の東京流出が防げる。実際に福島県の15歳以下人口は宮城より多い。
- 前橋市、高崎市、宇都宮市、水戸市と対等に戦っているかも…。
- 名実とともに東北地方第2の都市は郡山に
- 実際は盛岡と郡山が争っている状況
- 史実通り水戸が県庁ならば、水郡線は幹線となっており、水戸の人口も史実より多い。
- 東蒲原郡は新潟ではなく福島県のまま。
- もちろん飯豊山の登山道だけ福島県という奇怪な県境はない。
- 福島の都市のイメージが「分散している」から「郡山に一極集中している」になる。
白河市[編集 | ソースを編集]
- 県名は「白河県」になっていた。
- 浜通りへの連絡線は、白河~棚倉~平のルートになっていた。
- 東北本線は、白河駅発着が圧倒的に多くなっていた。
- 白河には、うすい百貨店みたいな地域百貨店が立地していた。
- 浜通りは、史実同様に冷遇されている。
- 会津地方は、北(会津若松など)よりも南(田島など)の方が開発が進んでいた。
- 国道289号甲子峠トンネルの開通も、史実(2008年)より早くなっていた。
- テレビ局は郡山に立地せず、白河と福島に分立していた。
- 福島空港ではなく、「白河空港」になっていた。
- 白河県知事は、東北地方知事会と関東地方知事会の両方に加入している。
会津若松市[編集 | ソースを編集]
- 福島空港は喜多方市辺りに建設していた。
- 福島空港ではなく、若松空港になっていた。
- 東北本線・東北新幹線は会津若松経由に。
- ルートの関係上、東北地方の中心は山形県になっていたかも。
- 会津高原や飯豊山地を貫通することになるので明治時代の技術では相当厳しい。
- さらに北海道連絡を考慮してもこのように建設に時間がかかるルートは選ばれなかったのでは。
- 若松と郡山は史実における山口・小郡や大津・米原のような関係になっている。
- こちらが現在も「若松市」を名乗っている。
- 県名も「若松県」。
- かつて福岡県にあった方は「筑前若松市」と名乗っていた。
- 福島市はそこまで大きな都市になっていない。
- 現在も東蒲原郡が県域に含まれている。
- 宮武外骨が作った県名や県庁に関する都市伝説は現実ほど広く信じられていない。
- 野岩鉄道は複線電化もしくは東武が自力で会津高原尾瀬口駅まで路線を伸ばし、同じく複線電化したJR会津線に乗り入れして、会津若松まで電車が走っていた
- 複線化は流石に無謀だと思うぞ…。
檜枝岐村[編集 | ソースを編集]
- 人口密度全国最下位は幌加内町だ。
- 県庁所在地の結果、尾瀬や奥日光の自然は破壊されている。
- 東北本線はかなり西沿いに。最悪の場合、宇都宮市に通っていない可能性も…。
- 当時の技術と北海道連絡を考えればそれはない。
- 県名は「会津県」。
- 市名も「会津市」。
いわき市[編集 | ソースを編集]
- 恐らく、今でも「平市」のまま。
- 馬鹿にされる事は無かっただろう。
- 東北本線はもちろんいわき(平)経由に。
- 従って現実の常磐線が東北本線に、宇都宮線は交点まで正式名称宇都宮線と名乗っている。
- そのため、茨城県は東北本線に愛称を考えているかもしれない。
- かと言って水戸線は使えない。
- そのため、茨城県は東北本線に愛称を考えているかもしれない。
- 建設時期や会津新潟奥羽方面への連絡を考えれば史実通りになるはず。
- 従って現実の常磐線が東北本線に、宇都宮線は交点まで正式名称宇都宮線と名乗っている。
伊達市[編集 | ソースを編集]
- 伊達氏が仙台に移らずにそのまま伊達市を本拠地としていれば、伊達市が県庁所在地になっていただろう。
- 仙台並の大都市になっている。
- 伊達市一極集中になっている。
- 米沢も福島県。
- 北海道の伊達市は北伊達市になっている。
- 福島市は伊達市に吸収されている。
- 福島空港はもっと伊達市に近い場所にできている。
- 常磐線は相馬から仙台に向かわず伊達市に伸びている。
- 常磐線は北海道連絡のサブルートの意味もあるから史実通りになるはず。
- 東北本線が梁川経由だが、それとは別に阿武隈急行もはしっている。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
---|---|
|