もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら
- 国鉄路線についてはもしあの国鉄路線が廃止されていなかったらを、路面電車についてはもしあの路面電車が廃止されていなかったらを参照。
- 公営鉄道も含む。
- 新規追加はある程度都道府県順に並べるようにして下さい。
- 廃止後3か月間は投稿禁止です。
全般[編集 | ソースを編集]
- 私鉄が日本中にあった。
- 地方路線の場合、各地で「ICカード使えません」の張り紙を目にする。
- 大手私鉄の車両の地方鉄道への譲渡が頻繁に行われている。
北海道・東北[編集 | ソースを編集]
関東[編集 | ソースを編集]
甲信越[編集 | ソースを編集]
善光寺白馬電鉄[編集 | ソースを編集]
- 社名の通り、白馬まで延伸されていた。
- もちろん電化も行われていた。
- 1968年以降は上野からの169系急行「白馬」が直通していたが、1985年に廃止。
- 全通時期にもよるが「白馬」は金沢からの大糸線急行だったので別愛称だと思われる。
- 1968年以降は上野からの169系急行「白馬」が直通していたが、1985年に廃止。
- もちろん電化も行われていた。
- 1998年の長野オリンピックのときには観客輸送に大活躍していた。
- 北陸新幹線長野開業時に小田急3100形NSE車をリニューアルの上譲り受け、特急「はくば」として登場していた。
- 白馬村は現実以上に長野市との結びつきが強くなっていた。
- 長野電鉄に合併していた…か?
- あるいは国鉄に買収されて信越西線と名乗っていたかもしれない。
- もし国有化されていたら特急「あさま」の一部が白馬まで乗り入れていた。
- 更には特急「みのり」も乗り入れている。
- もし国有化されていたら特急「あさま」の一部が白馬まで乗り入れていた。
- 長野電鉄と合併した場合は長野線を繋げて特急「ゆけむり」や「スノーモンキー」が白馬発着になっていた。
- あるいは国鉄に買収されて信越西線と名乗っていたかもしれない。
- 大糸線の利用者が史実以上に減っていた。
- 特急「あずさ」の大糸線直通はなかった。急行「アルプス」が1~2往復大糸線に直通する程度。
上田電鉄(別所線以外)[編集 | ソースを編集]
- 上田市内に数本の路線を保有していただろう
- 菅平高原への延伸も実現していた。
- ついでに西丸子線の丸子町延伸やドル箱丸子線の複線高架化、真田傍陽線の松代延伸などもされているだろう。
- 流石に青木線の松本延伸は史実通り断念。
- もし実現できていたとしたら松本電気鉄道も上田交通の路線に組み込まれていた。
- 1500V線は東急のお下がりで統一されるが、それ以外はめちゃくちゃな経緯の車両たちがごった返す。現実以上に鉄道ファンに注目される。
- 東急の支援で全線1500V化しているだろう。
- 但し1000系が導入されるのは別所線と丸子線のみで、他の路線には7000系が導入されていた。
- 東急の支援で全線1500V化しているだろう。
- 青木線は普通鉄道規格に改良されて存続していた。
- 別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉は長野の観光スポットになっていたか?
- ちょっと待った、別所温泉まではまだ路線が残ってるぞ・・・。
長野電鉄[編集 | ソースを編集]
河東線(木島線)[編集 | ソースを編集]
- 野沢温泉まで延伸
- と同時に、戸狩野沢温泉駅は戸狩駅になっていた。
- (長電)長野発特急制定され、「のざわ」と命名されたかも。
- 対抗馬とばかりに、JR長野発の快速「野沢」制定は無いと思う…(過去に定期急行「野沢」があったが、JR東日本は快速に変えての愛称復帰はしないと思うので)
- 各駅に「K○○」という駅番号が付いていた。
- 正式に「木島線」となっていた。
屋代線[編集 | ソースを編集]
- しなの鉄道への直通を含めた生き残り政策を考えなければ厳しかったかもしれない。
- 169系による「懐かしの急行志賀」みたいな列車がどこかの段階で運転されていた。
- しなの鉄道の車両保守を長野電鉄が一任し、史実では実現しなかった中古リクライニングシート車(小田急7000形辺りか?)を使って軽井沢~湯田中間に直通観光列車を投入、なんて展開もあったかもしれない。
- 私鉄最長距離が内灘→金沢→倶利伽羅→市振→直江津→妙高高原→長野→須坂→屋代→軽井沢になる。
布引電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 望月まで延伸されていた。
- 戦時統合で、上田丸子電鉄(現:上田電鉄)に統合されていた。
- もしくは千曲自動車(現:千曲バス)に統合され、千曲バスの社名が「千曲交通」になっていたかも。
- 電化設備を廃止して気動車による運行に切り替えられていた。
池田鉄道[編集 | ソースを編集]
- 確実に国有化されていた。
- もしかしたら生坂、大岡、信州新町を経由して篠ノ井まで延伸していたかもしれない。
- 池田町に住居する人が増えて池田は市になっていた。
- 大阪府池田市に配慮して「信濃池田市」に改名。
新潟交通電車線[編集 | ソースを編集]
- もし新潟交通電車線が新潟駅まで延びていたら・・・当初の計画通りに延伸できた時の妄想はこちら。
- 白山前~東関屋間はLRT化した。
- 富山ライトレールみたいになっていた。
- もしかしたら全線LRTに改装されたかも。
- これが実現していた。
- 当然、新潟駅まで延伸していた可能性も。
- 2220形以降、中古車は全て元小田急となっている。
- あるてぃめっとニパ子ちゃんのラッピングの電車が登場していた。
- いずれは「新潟電鉄」として分社されていたかも。
- 沿線にある燕三条系などのラーメンとタイアップした企画も行われていた。
- 「かぼちゃ電車」をデザインにしたバスは登場しなかった。
- さすがに木製の架線柱は交換されているだろう。
越後交通[編集 | ソースを編集]
長岡線[編集 | ソースを編集]
- 市街地の近くに駅の位置を改め、利便性を高める。
- 信濃川を越えて長岡駅方面の市街地へ延伸する。
- さすがに難しければ、国鉄に乗り入れて長岡駅まで直通する。
- 貨物営業を行っていた西長岡~来迎寺間の廃止は実際の越後関原~大河津(現・寺泊)間廃止の時になった。
- 存続にあたって、あの政治家の関与が噂される。
- 周辺の市町村合併も少なかった。
- 三島町だけが長岡市に編入されていた。
- 現在は貨物営業は行われていない。
- 東急の車両が譲渡された。
- 旧長岡市西部は史実よりももう少し発展していたかもしれない。
栃尾線[編集 | ソースを編集]
- 軽便鉄道から普通の鉄道になっていた。
- 小田急や東急から引越してきた車両が増えてきた。
- 特急形電車も登場する。
- 廃止は長岡~悠久山間のみだった。
- 上見附駅が東見附駅に、下長岡駅が越後愛宕駅に改称していた。
- スイッチバックの上見附駅は廃止されていた。
- 軽便鉄道のままだったら四日市あすなろう鉄道みたいになっていたかもしれない。
- 栃尾市は長岡市に編入されることはなかっただろう。
蒲原鉄道[編集 | ソースを編集]
- 村松駅がバスターミナルになることはなかった。
- 五泉から磐越西線への乗り入れが行われていた。
- 信楽高原鐡道事故の影響もあるのでそれは微妙。
- 仮に村松~加茂間が廃止されても芝山鉄道の次に距離が短い鉄道になっていた。
- 紀州鉄道は?
- モハ41などの車両の塗装が変更されていた可能性も。
東海[編集 | ソースを編集]
北陸[編集 | ソースを編集]
富山地方鉄道[編集 | ソースを編集]
射水線[編集 | ソースを編集]
- 再び万葉線と接続してした。
- 新湊大橋は鉄道道路併用橋で建設されていた。
- あるいは富山新港の南側に新線を敷設していた。
- 電鉄富山駅へ延伸していた。
- 富山と高岡を結ぶ列車も存在した。
- 臨海鉄道的な性質を持った路線となっていた。
- 国鉄も対抗して新湊線と富山港線を結ぶ鉄道や呉羽~富山新港の鉄道を建設していた。
笹津線[編集 | ソースを編集]
- 市内線直通が廃止されなければ可能性は低くなかった気がする。
- 実際に一部の駅では廃止前に利用者が増えていたらしい。
- 富山インター付近の開発に影響していた。
- 富山空港への支線建設が検討されるが北陸新幹線開通によりほぼ絶望的に。
- サントラムはこの路線への乗り入れも考慮した車両として開発された。
北陸鉄道(浅野川線・石川線以外)[編集 | ソースを編集]
- 金名線は、調子がいいので名古屋まで延伸。
- ちなみに実際の目標は郡上八幡。
- 国鉄越美南線(現長良川鉄道)ともども名鉄の1路線となっていた可能性もある。
- 鶴来~加賀一の宮間の廃止はありえん。
- 石川線にも特急が走っていた可能性がある。
- 加南線の特急に新型車が投入されている。
- それ以前に加賀温泉駅接続が行われている。
- 金沢市内線が残っていた場合は鉄軌道直通運転が実現している。
- 松金線と金石線が直通運転か。
- なんで野町駅と金沢駅は鉄道でつながってないの?という声があがることはなかった。
- 北陸地区では唯一の大手私鉄となっていた。
- 松金線が残っていれば北陸本線の代替え運行も可能だった。
- 金石線が残っていれば金沢駅西再開発に併せて中橋→金沢と路線を延長しJR線に乗り入れる。
- 北陸新幹線は金石に駅を設置し、「新金沢」と改名する。
- 金石線は複線化し北陸線在来線との連絡に活躍する。
- 浅野川線と石川線が地下線で直通していたかも。
のと鉄道七尾線(穴水-輪島間)[編集 | ソースを編集]
- JRの路線のまま存続した場合はこちらを参照。
- この路線の廃止に対する見返りの側面もある能登空港はまだ実現していない。
- 能登半島地震でしばらく運休に追い込まれるのは避けられなかった。
- 連続テレビ小説「まれ」の劇中によく登場していた。
- 例:希が横浜に旅立つシーンで輪島駅が使われる。
- 列車がオープニングに登場していた可能性も高い。
- 放映期間中にはスイーツが食べられる特別列車が運転されけっこうにぎわった。
- 北陸新幹線金沢開業後には特急「能登かがり火」接続の快速を走らせていた。
- 場合によっては七尾以南ののと鉄道移管が行なわれていた。
- 永井豪作品のラッピング列車を記念して輪島駅の内装が一部リニューアルされていた。
福井鉄道[編集 | ソースを編集]
鯖浦線[編集 | ソースを編集]
- やはり元名鉄車が導入される。
- 織田駅はバスアンドライドが可能な構造となっていた。
- 全線が残っていたとすれば運転系統が水越-鯖江、田原町・福井駅前-水越-織田に分断されていた。
南越線[編集 | ソースを編集]
- 社武生駅と越前武生駅が統合されていた。
- 間違いなく駅名が武生新だった頃にもうやっている。
- 北陸新幹線の南越(仮)駅は南越線と接続する形で建設される事になっていた。
- 北村駅の位置に越前たけふ駅が建設されていた。
- 武生からスイッチバックする形になるので、この路線だけは岐阜市内線廃止後も高床車がメインのままだったかもしれない。
- とは言え低床車もそれなりに使われている。
京福電鉄[編集 | ソースを編集]
越前本線(勝山-京福大野間)[編集 | ソースを編集]
- 2004年の水害時に大野から福井への抜け道として重宝した。
- 実際に地元テレビや、福井新聞にその様な意見が載っていました。
永平寺線[編集 | ソースを編集]
- 勝山永平寺線の路線名は勝山線だった。
- 永平寺口駅は東古市駅のまま。
- もし全線と国鉄三国線が残っていたら、東尋坊~永平寺で観光特急を走らせていた。
近畿[編集 | ソースを編集]
中国[編集 | ソースを編集]
中国鉄道稲荷山線[編集 | ソースを編集]
- 吉備線ともども国有化された。
- 備中高松行きは稲荷山行きになっていた。
- 最上稲荷のケーブルカー復活計画はもう少し進んでいた。
下津井電鉄線[編集 | ソースを編集]
- 762mm路線の生き残りとして更に注目されていた。
- 車両の老朽化により、後に三岐鉄道で運転されているタイプの車両に取り替えられる。
- 部分廃止後の状態で残った場合、児島駅はJR駅の隣に移転していた。
- =下津井や鷲羽山への観光客呼び込みが成功していたら。である
- 当時下電の稼ぎ頭だった岡山-児島のバス路線は都市間高速バスとなっていた。
- アニメ映画「ひるね姫」にも出てきていた。
- 劇中ではメリーベル号っぽい車両が物語のキーになっていたかも。
同和鉱業片上鉄道[編集 | ソースを編集]
- 吉ヶ原駅の猫駅長「コトラ」が和歌山電鐵貴志駅の「たま」より先に有名になっていた。
- 現在は両備グループに移管されている。
- 和歌山電鐵とは同じ両備グループという縁から「たま」とのコラボも盛んに行われていた。
- 「コトラ」をラッピングした車両も運行されている。
- 一部の新快速が備前片上駅発着となっていた。
- 新潟鐵工所製(→新潟トランシス)のNDCが投入されている。
- 今はワンマン運転が行われている。
- 大新東による引き継ぎが実現したら、サロンカーなにわみたいな客車やSLが導入されていた。
- ただ、倉敷チボリ公園閉園前後に存廃問題になっている。
- かつてCM撮影をした縁で菊池桃子が吉ヶ原駅のイベントに度々出演し、列車を迎えたり見送ったりしていた。
- 同じ会社の経営する鉄道がある縁で、秋田県大館市・小坂町との交流が盛んになったり、災害時の相互物資供給協定が結ばれる。
- 線内にある「周匝(すさい)」駅が全国有数の難読駅名として注目されていた。
- 岡山県東部にあるので関西から気軽に行けるローカル私鉄として鉄道ファンが訪れていた。
玉野市電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 備南電鉄のままだった場合、水島まで延伸されている。
- 市営移管後の場合、清輝橋か渋川まで延伸されている。
- 路面電車・地下鉄以外では珍しい公営の鉄道となっていた。
- ただいずれは両備グループに経営が移管される。
- 宇野線末端(茶屋町~宇野)が三セク化されてたら、直通していたかも。
尾道鉄道[編集 | ソースを編集]
- 新尾道駅との乗り換え駅が設置される。
- 栗原駅が「新尾道」に改称されていた。
- 新尾道駅の利用客数が間違いなく増えていた。
- 一部の「ひかり」「のぞみ」が新尾道駅に停車していたかも。
- 広島電鉄の路線になっていた。
- さらに調子に乗った広電は呉市電の路線も買収し「広島電鉄呉市内線」としていた。
- 鞆鉄道も残っていた場合、こちらも広電に買収され「広島電鉄鞆の浦線」となっていた。
- その後も大規模な新線建設を計画している。
- 何を思ったか上下まで延伸させてしまい、アンガールズが一日駅長に呼ばれる。
- ちなみに上下延伸の計画は実在した。
- さらに調子に乗った広電は呉市電の路線も買収し「広島電鉄呉市内線」としていた。
- 尾道工業団地への通勤をマイカーから公共交通機関へシフトしようと言うことで、バスではなく木梨口からの支線が山の上まで建設される。元々高出力モーターを積んでるので気合で登るよ!
- 日○電工もちょっとだけ金を出す代わりにラッピング広告車が走り回る。
- 現実社会ではこんな感じ。朝7時代、どこの都会かと…
一畑電鉄(広瀬線・立久恵線)[編集 | ソースを編集]
- 足立美術館へのアクセスが現実より良くなっていた。
- もちろん「鷺湯温泉前」は「足立美術館前」に改称していた。
- 立久恵線も電化していた。さらに立久恵峡の観光客は間違いなく現実より多くなってた。
- 松江や米子から広瀬、出雲須佐までの直通列車も運行されていた。
- 広瀬線は奥出雲町まで延びていた。
- 山陰本線経由で北松江線と広瀬線の直通運転も構想される。
- とは言っても本数は少ないだろう。
法勝寺電鉄線[編集 | ソースを編集]
- 一畑電鉄広瀬線も残ってた場合、広瀬まで延びていた。
- 母里から井尻へ延伸していた。
防石鉄道[編集 | ソースを編集]
- 徳地町は防府市と合併していた。
- 防府市に新幹線の駅が設置されたかもしれない。
- 電化されて、東京の私鉄から古い電車を買って走らせている。
- 近鉄グループで狭軌だから、その前は養老鉄道同様に近鉄南大阪線の中古車が走っていた?
- 防石鉄道の防府駅も高架化されている。
- やはり当初の目的は果たせないものの、延伸して山口線と繋がる。
鞆鉄道[編集 | ソースを編集]
- 宮崎駿監督映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった鞆地区へのアクセスが便利になっていた。
- 「崖の上のポニョ」の劇中にもそれらしき鉄道が登場。
- 「鞆」が読みにくいので、広島電鉄に合併され同社福山支社の管轄に。
- 福山でも広電バスが走っている。
- 「読みにくいから合併」というのは流石に無いかと…
- 1960年頃に改軌・電化されている。
- JRと同規格の車両を導入。
- 架橋問題にも大きく影響していた。
- 一時福山駅から離れた場所に始発駅があったそうだが、再び福山駅に乗り入れる。
- 福山駅には高架橋で乗り入れ、JR-W福塩線の隣のホームを借用。
- 車両はおそらく元東急7000系ぐらいが適当か。
- 福山ー鞆の浦間の所要時間は約25~30分程度。
- 運賃はバスより安い300円程度。
岡山臨港鉄道[編集 | ソースを編集]
- 結局JR宇野線直通は実現しないと思う。
- 岡電を大元まで伸ばして直通が検討されるが頓挫。
- 貨物が廃止されなかったら水島臨海鉄道みたいな雰囲気になっていた。
- 運営会社には現在でも岡山県および岡山市の資本が入っている。
四国[編集 | ソースを編集]
塩江温泉鉄道[編集 | ソースを編集]
- 電化されていた。
- 高松空港へのアクセス路線となっている。
- 戦時中に琴電に統合され「琴電塩江線」になっていた。
- 史実でも1938年に琴電に吸収合併されたのを忘れていた・・・。
- 戦後になって塩江温泉の開発がさらに進む。
- 琴電が大正時代の阿讃中央鉄道構想に目をつけ塩江線を美馬市まで延伸しようともくろむ。
琴平急行電鉄線[編集 | ソースを編集]
- 戦時中に琴電に統合され「琴電坂出線」になっていた。
- むしろ史実と同じく琴参に合併されていた。
- 琴電唯一の狭軌の路線となっていた。
- 標準軌に改軌されていたかもしれない。
- 琴参に合併されていた場合、路面電車廃止後も生き残り同社唯一の鉄道線になっていたかもしれない。
- 近鉄グループ入りしていたので車両は近鉄のお古ばかりに。
- 飯野山の観光開発や沿線での宅地開発を進めていた。
- 坂出港への延伸や、飯野~栗熊の支線建設が行われていた。
- 瀬戸大橋直通も計画された。
伊予鉄道森松線[編集 | ソースを編集]
- 高浜線に次いで電化・複線化がなされ、砥部への延伸を機に砥部線に改称。
- 代わりに横河原線・郡中線の電化が遅れ、更に末端部(平井以東・松前以南)が廃止になって、やはり改称されているかも……。
- 森松線廃止時に未開発だった横河原線はともかく郡中線の電化の遅れ・縮小はない。1950年に電化完了していたり・・・。
- その後廃止区間の開発が進んで伊予鉄道は先見の明のなさを嘆くかもしれない。
- 堀之内にあった国立がんセンターは、史実での梅本駅圏でなく別の所に移転か?
- 横河原線の電化が遅れる可能性はあるが、郡中線には影響しないはず。史実では郡中線の電化は森松線廃止よりも相当前。当時、森松線・横河原線の赤字を高浜線・郡中線の黒字で補填してた。
- 森松線廃止時に未開発だった横河原線はともかく郡中線の電化の遅れ・縮小はない。1950年に電化完了していたり・・・。
- 市内線(路面電車)の本町線も廃止になっているかもしれない。
- 意外だけど本町線が完全開通したのは森松線の廃止直前。当時から松山市が山越延伸という夢を描き続けてる以上、廃止されなかった。
- 代わりに横河原線・郡中線の電化が遅れ、更に末端部(平井以東・松前以南)が廃止になって、やはり改称されているかも……。
- 名実ともに松山市駅起点になって、直通運転の組み合わせが「高浜-砥部」「郡中(松前)-横河原(平井)」に。
- 横河原線と違って郡中線は当時も黒字だから電化の遅れや末端廃止は無い。つまり「郡中港-横河原(平井)」か。
- 椿まつりの時期になると、伊豫豆比古命神社(椿神社)最寄りの石井駅の混雑ぶりが夕方のローカルニュースで放送される。
- 愛媛FCのホームゲームでも臨時便を設定。
- 愛媛FCや白くまピース、「坂の上の雲」のラッピング電車が走っている。
- 国道33号拡張の際に邪魔になるためLRT化されている。
- もしくは線路を移転。
- それなら郡中線もLRT化されてるはずだが、現実は・・・。たぶん普通鉄道のまま。
- 利用客を食い合うので森松線の区間を走るバス路線は存在していない。
土佐電気鉄道安芸線[編集 | ソースを編集]
- 一応法律上は鉄道線の為ここに。
- 日本一の路面電車は広島電鉄ではなく土佐電気鉄道になっていた。
- 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線は安芸~奈半利間の路線になっていた。
- 高知~安芸間はIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を通る北斗星・カシオペアの様になる。
- あるいは奈半利までの全区間が土佐電気鉄道の路線となっていた。
- 安芸~奈半利間も電化で開業する。
- 高速化のため県が後免~安芸間の高規格化と安芸線の1500V昇圧を計画し、100形「ハートラム」は複電圧車で製造され、10編成ぐらいは製造されていた。
- 奈半利~室戸の鉄道も同時に建設されていた。
- 高知まで急行運転を行っていた。
- 広島電鉄宮島線のように後年全列車が軌道線車両での運行になる(後免からJR高知駅に乗り入れる列車が設定された場合はこの限りではない)。
- 立田or日章から高知空港への路線建設の話が浮上する。
九州・沖縄[編集 | ソースを編集]
西鉄大川線[編集 | ソースを編集]
- 電化されていた。
- 1435ミリに改軌され佐賀まで延長することが決定した。
- 佐賀まで延長された場合急行や特急が多く乗り入れる。
- 行き違い設備の有効長は6両分あると思われる。
- 大善寺に特急が止まっても誰も文句を言わない。
- 大善寺~荒木~安武の支線が建設されていた。
- 大牟田線と大川地区などの客を案分していた。
三井三池鉄道[編集 | ソースを編集]
- 三井グリーンランドまでの連絡鉄道になっていた。
- 直通列車も走っていた。
- 電圧が違うので乗り入れてくる列車はディーゼルカー。
- 「日本とグリーンランドを結ぶ国際鉄道」と時折ネタにされる。
- 直通列車も走っていた。
- 西鉄の子会社で生き残ったかもしれない。
- 貝塚線のお古が三池で走っていたかもしれない。
- 栄町で西鉄と交差する部分に新駅が作られていた。
- ゆめタウン前駅ができていた。
- 平井駅はグリーンランド前駅に駅名が変わっていた。
- 三池浜駅と三池港駅が繋がって環状線になっていた。
- その中間にネイブルランド前駅ができるが、潰れたのちは「諏訪公園前駅」か「イオン・帝京大前駅」になっていた。
雲仙鉄道[編集 | ソースを編集]
- 史実で廃止された頃に「島原鉄道小浜線」となった。
- この時点で諫早への直通列車が誕生した。
- 戦後に加津佐や雲仙温泉への延伸が検討されるが幻に。
- 一時期福岡や長崎から国鉄の列車が乗り入れていた。
- 列車名はズバリ「雲仙」。
- 雲仙ロープウェイも島鉄の傘下に入っていたかもしれない。
- 現在もよく利用されていた場合はこの路線の収益で南目線が数年長く生き残った可能性もある。
- 事実上諫早~愛野~雲仙小浜が本線になってる。
祐徳軌道[編集 | ソースを編集]
- 肥前電気鉄道も廃止されていなかった。
- 西九州新幹線の嬉野市内の駅は肥前電気鉄道と交差する位置に設けられていた。
熊本電気鉄道菊池線(御代志-菊池間)[編集 | ソースを編集]
- 今頃熊電はつぶれていた。
- 都営6000形・南海22000系を入れる余裕なんぞ絶対ない。
- このご時世非冷房100%達成!
- 完全西鉄の子会社に。
熊延鉄道[編集 | ソースを編集]
- 嘉島町まではイオンモールや通勤通学客のおかげで儲かっている。
- それに対し甲佐以遠は廃止されていた可能性あり。
- 起点となる南熊本駅に一部の特急が停車していた。
- 市電の春竹線も生き延びていたかもしれない。
- この場合標準軌に改軌して市電との相互直通を求める声が出ていた。
- 市電の春竹線も生き延びていたかもしれない。
- 豊肥線への乗り入れは少なくとも信楽高原鉄道の事故までは継続された。
- 沿線は熊本のベッドタウンの色彩が強くなった。
荒尾市営電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- やはりある段階で熊本電気鉄道に全ての事業が譲渡されている。
- 最末期まで5000形が残っていたのはこの路線だったかもしれない。
- 事業譲渡されたのは西鉄かもしれない。
- 西鉄に譲渡された場合は、(時代により)旧南海和歌山市内線の車両を譲受したか、旧北方線の車両が転用された。
- その場合(グループの)筑豊電鉄のようになり、2000年代に入ってからLRT化が進められた。
- 荒尾駅はのちに国鉄→JRの駅に近い場所に移転していた。
大分交通[編集 | ソースを編集]
- 国東線に「大分空港」駅ができていた。
- 日豊線との直通が実現していたらホバー航路の寿命は確実に縮んでいた。
- うまくすれば電化もありえた。
- 宇佐参宮線の竹田津延伸が計画されるが実現せず。
- 耶馬渓線が残っていれば耶馬渓の観光客はもっと増えていた。
- 地元が世界ジオパークへの登録を求める動きを起こしていたかもしれない。
- 現在は豊後高田市の「昭和レトロ」路線に合わせ宇佐参宮線に古いディーゼルカーを走らせている。
- 耶馬溪線で走っていたキハ603が走っていた。
- 別大電車こと別大線は、とくに近年はインバウンドの影響をモロに受け、大分や別府と沿線にある高崎山自然動物園やうみたまごを行き来する人でごった返している。
- 別院停留場に「高崎山・うみたまご前」という副停留場名が付いていた。
- かんたん停留所が珍駅名として有名になっていた。
- 国道10号のバイパス「別大道路」が整備されていた。
高千穂鉄道高千穂線[編集 | ソースを編集]
- 観光鉄道として観光客で賑わっていた。
- 高森駅までの延伸のためトンネル工事が再開され夢の九州横断鉄道になっていた。
- どこかでDMVの実証実験が行われていた。
- 黒川紀章が生きていたら営業再開してたかも。
- 日本一高い鉄橋も残存していた。
- 東国原英夫知事が宣伝舞台にしていた。
- 自民党の道路族の顔色ばかり窺う一方、実際にこちらが被災した時には完全無視していたので100%ありえない。
- 被災したのは2005年。廃止が決まったのも2005年。知事就任は2007年。念のため。
- 本人の著書に「観光客誘致のため高千穂への鉄道を復活させなければならない」という内容が書かれていたのでそこまで断言できないはず。
- 自民党の道路族の顔色ばかり窺う一方、実際にこちらが被災した時には完全無視していたので100%ありえない。
- JR九州やくま川鉄道に倣って水戸岡氏の車両が走っていたかもしれない。
- トロッコ神楽は大幅に塗り替えられる。
- 海幸山幸の車両はどうなっていたことやら。
- 阿佐海岸鉄道も車両のやりくりにさらに苦労する。(鹿島鉄道あたりから持ってきたかもしれないが)
- 海幸山幸はキハ40から改造していた可能性がある。
鹿児島交通枕崎(南薩)線[編集 | ソースを編集]
沖縄県営鉄道[編集 | ソースを編集]
- 糸満駅は日本最南端の駅として多くの鉄道ファンがつめかけるようになった。
- 下にある那覇糸満間の短絡線が実現していない場合は日本最西端の駅も兼ねていた。
- 復旧時に改軌されていた。
- それと同時に米軍基地を避けるようなルート変更も各地で行われていた。
- 嘉手納線の名護延長が実現していた。
- 旧糸満馬車軌道のルートに近い那覇~糸満間の短絡線もできていたかもしれない。
- 場合によっては那覇空港へのアクセス路線も実現していた。
- 返還時に国鉄に編入され、現在は「JR沖縄」となっている。
- JRと名乗るが経営規模は地方私鉄程度。
- いや、JR九州沖縄支店が経営している。上記改軌が1067mm軌間で行なわれた場合、車両はJR九州本体のお下がり(キハ40あたり?)が入っている。
- 鉄道として走らせるなら、寒冷地仕様ならぬ亜熱帯仕様の車両が設計されると思う。だからお下がりは無いか、そうであっても結構な改造が施されて投入される。
- 国鉄時代は関西本線などからキハ35系が転属して使用されていた。
- JRになってからはキハ200系をベースにした沖縄仕様の専用車両が投入されていた。車両のデザインも水戸岡デザインではあるものの、沖縄向けにアレンジしたものとなっていた。
- 電化されていた場合、815系や817系が使用されている。
- JR沖縄として独立していれば直流電化になっていたかもしれない(直流車両の製造コストは交流車両にくらべて安いため)。その場合E127系や227系に似た車両が走っていただろう。
- 電化されていた場合、815系や817系が使用されている。
- JR九州だとすれば、沖縄支店から沖縄支社に昇格している。
- もしJR沖縄が発足していた場合、イメージカラーは黄色辺りになっていたのだろうか。
- 東(緑)に対する北(黄緑)、西(青)に対する四(水色)を思うと、ピンクかもしれない。
- ある時期まで国鉄沖縄連絡船が運航されていた。
- ゆいレールはなかった。
- 沖縄の鉄道が存続していたとしても松浦鉄道のたびら平戸口駅は「全国の各駅とレールで繋がっていない」として日本最西端の称号を譲ろうとしない。
- 結局、「本土最西端の駅」で落ち着く。
- 指宿枕崎線西大山駅は何の変哲も無い駅だった。
- これまた「本土最南端の駅」を名乗るだろう。
- 流石に現在までに一部が電化されている。
- ほとんどの区間が電化される。一方電化されなかった区間は廃止も危惧される。
- 返還前は「琉球政府営鉄道」だったか?
- 当時の命名パターンを考えると「琉球鉄道公社」になっていたと思われる。
- 間違いなく鉄子の旅で取り上げられていた他、YouTubeではスーツやがみ辺りが紹介していた。
- 確実にどこかのタイミングで軌間1067mmもしくは1435mmの普通鉄道に進化していた。
- スティッチ!シリーズなどの沖縄を舞台にした作品にもこの路線が登場していた。
沖縄海洋博KRT[編集 | ソースを編集]
- 現在の新交通システムに近い形で海洋博会場内を運行していた。他にCVSと言う別の新交通システムもあったらしいが詳細は不明。
- 「戦後初の沖縄の鉄道路線」である事を記念し、観光鉄道として存続する形となっていた。
- 美ら海水族館の開館と共に車両が置き換えられていた。
- 沖縄都市モノレールの建設時に、案内軌条式鉄道やガイドウェイバス方式の導入が検討されていた。
- 正式にAGTで建設する事が決まった場合、ここで運転研修や試運転を行っていたかもしれない。
南大糖業砂糖運搬専用軌道[編集 | ソースを編集]
- おそらく観光鉄道になっていた。
- SLやトロッコ客車を走らせていた。
- 2017年に観光列車で復活する予定。