もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/近畿

提供:chakuwiki

もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら > 近畿

京都[編集 | ソースを編集]

愛宕山鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 京福電気鉄道に合併されている。
    • 同社の愛宕線・鋼索線になっている。
    • 嵐山駅は観光シーズンに四条大宮から清滝まで直通電車が走れるよう改修されていた。
  2. いや、嵐山観光に熱を入れていた阪急グループに入ったかもしれない。
    • 比叡山麓に鉄道・バス・観光施設を持つ京阪グループと京都山麓の観光開発で争うことに。
    • 嵐山線が延伸され、桂から清滝まで直通運転となった。
    • 行楽シーズンには8両編成の有料特急が運転。
  3. 戦後も愛宕神社は参拝客で賑わいを見せた。愛宕山は京都を代表する観光地になっていた。
    • 「東の比叡、西の愛宕」と称されるようになり、京都郊外の観光地として集客で凌ぎを削っていた。
    • 愛宕神社の千日詣りは毎年鞍馬の火祭並みの大混雑に見舞われていた。

北丹鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 北近畿タンゴ鉄道宮福線はこの線を延伸したことになっている。
    • あるいは加悦鉄道と接続し、福知山―野田川間の路線となっていた。
    • 開業も史実より少し早かった。
  2. 河川敷を通る部分は付け替えられていただろうか?
    • 河川改修や路線規格向上の一環として工事されたと思われる。
    • 江若鉄道→湖西線と同じく、線路改良だけど建設やり直し。

加悦鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 本場イギリスばりの完全な保存鉄道と化していた。
    • バブル期には他の路線の旧型車両も買い取り走らせていた。
      • 海外の車両が走っていた可能性もある。
  2. 運営会社の合併が史実通り行われていたら現在の正式路線名は「宮津海陸運輸加悦保存鉄道」あたりになっていた。
    • 北近畿タンゴ鉄道がウィラートラベル傘下になった後は、ここも京都丹後鉄道の路線になっていたかもしれない。
  3. 種村直樹氏の没後に加悦駅内に記念館ができていた。
    • 種村氏はこの路線で日本の鉄道全路線乗車を達成した。
  4. 在阪局制作のドラマの撮影で重宝された。
    • 特にNHK大阪制作の連続テレビ小説では何度も使われていた。
  5. 実質的な終点だった大江山鉱山での戦争捕虜などの強制労働はもっと知られていた。

蹴上インクライン[編集 | ソースを編集]

  • 広義の鋼索鉄道として扱われるようなので便宜上ここで扱います。
  1. 史実でも京都市と大津市が画策しているように、現在では専ら観光目的で運行されている。
    • 「東のインクライン、西の保津川下り」として売り出す事が出来ればベストだが…。
  2. インクラインだけ残しても意味がないので、少なくとも近代美術館の辺りまでは船旅を味わえるようにしていただろう。
    • 大津まで運航するとなれば安全対策がネックになっていた。
  3. 京津線の部分廃止までは京阪の車両とインクラインを走る船が並走する写真が名物となっていた。

おとぎ電車[編集 | ソースを編集]

  • ここで扱う「おとぎ電車」は、かつて宇治川で運行されていたトロッコ電車のことであり、かつての西武山口線とは異なります。
  1. 天ヶ瀬ダム完成にともない線路を移設して運行を続行。軌間は従来の車両を継続して使えるようにするためナローゲージのまま。
    • 全国でも数少ないナローゲージ路線として注目されていた。特に黒部峡谷鉄道とは同じトロッコ電車ということで比較されていた。
  2. 元々の扱いは遊具であったが、線路移設に伴い鉄道線に改められ、「京阪天ヶ瀬線」という路線名を与えられる。(愛称は「天ヶ瀬トロッコ」)
  3. 塔の島~天ヶ瀬駅間を結んでいたプロペラ船は、現在はジェットボートに置き換えられている。
  4. 嵯峨野トロッコと肩を並べて京都の渓谷を楽しむ観光鉄道として多くの観光客に人気の路線となっている。
  5. 下津井電鉄が廃止されると同社のメリーベル号を譲り受けていたかも。

大阪[編集 | ソースを編集]

南海天王寺支線[編集 | ソースを編集]

てんのうじ
天王寺
TENNOUJI
飛田本通
TOBITA HONDOORI
  1. 南海沿線の人が今でもJRを利用することなく天王寺駅に行くことができる。
  2. 天下茶屋駅高架化後は単線化され、天下茶屋駅1番ホームの難波寄りの端に、0番線が切欠き式で設けられている。
    • 各駅は退避可能な構造になっている。
  3. 車両は1990年代後半以降は2230系によるワンマン運転。それと同時に今池町駅は無人化されている。
    • 本線や高野線や他の支線と同様、遅くて1994年頃から塗装が黄緑&深緑からライトグレーの背景と青&オレンジのラインに切り替えられる。
  4. 阿倍野地区の再開発が完了して集客力が向上すると、以前に増して活況を呈するようになる。
    • 本線や高野線からの天王寺直通電車が運転されるようになる。
    • だがあいりん地区のど真ん中の地上を走っていることには変わりはなく、沿線イメージが悪いこともあって思ったほど利用は伸びない。
      • 天下茶屋駅高架化と同時に天王寺駅の手前まで高架化されていただろう。途中には交通量の多い踏切もあるし。
        • それでも今池町駅付近で、地上に降りていただろう。それから天王寺に向かうにつれて高架へ・・・こうなると思う。
          • 阪堺今池駅を、地下におろすでもしない限り難しいから。
          • それか、今池町駅を廃止して、阪堺をまたぐ高架で天王寺まで高架にするかも知れない。
          • 阪堺を地上に下ろし、天王寺線は高架にする上下逆転が行われていたかも。
  5. 阿倍野地区の再開発に南海も参加していた。
  6. 現実の「天王寺MiO」の場所に「南海百貨店」ができていた。
    • いや、高島屋が出店していたかもしれない。
    • あべのハルカス」として拡張した近鉄百貨店と競合しあいながら天王寺周辺を盛り上げている。
  7. 大阪市高速電気軌道堺筋線は天下茶屋駅まで延伸しなかったかも。
    • あるいは堺筋線と天王寺線と阪堺線で競合しあっている。
  8. 天王寺駅の「南海そば」は現実どおり存在している。
  9. 阪堺電車はさらに経営が苦しくなる。
    • むしろ天王寺支線が阪堺に譲渡される方がありそう。その場合、伊予鉄道でいう郊外電車みたいな扱いになっていた。

北大阪急行電鉄会場線[編集 | ソースを編集]

  1. 万国博中央口駅は万博終了後「万博記念公園」駅に改称されている。
    • なお電車の行先表示では「万博公園」が使われている。
  2. 千里中央駅は現実とは異なる場所に設置されていた。
    • 大阪モノレールとの乗り換えも便利になっていた。
  3. 千里中央~万博記念公園間の阪急千里線との交点にはやはり山田駅が新設されている。
  4. 万博公園は新大阪・梅田・難波・天王寺から乗り換えなしで行ける非常に便利なレジャースポットとなっていた。
    • エキスポランドやサッカー観戦のアクセスがより一層よくなり、万博公園そのものが大阪の観光地として現実以上にメジャーになっている。
  5. 千里中央以北箕面市方面への延伸構想は生まれなかった。
    • その代わりに彩都へのアクセス路線はモノレールではなく北大阪急行が延伸する形になっていた。
  6. 中国自動車道の4車線化が史実よりも遅れていた。
  7. 千里中央~万博公園間がド並走するため、モノレールの計画に変化が生じていた可能性も(それこそ、史実で北急が延伸しようとしている箕面方面経由とか)

信貴山急行電鉄鉄道線[編集 | ソースを編集]

  1. さすがに東信貴鋼索線信貴山駅までは延伸はないと思われる。
  2. 近鉄山上線に改名していた。
  3. 高安山霊園前にも駅が新設されていた。

大阪万博会場内モノレール線[編集 | ソースを編集]

  • 法律上は会場内の遊具扱いでしたが規格は後のモノレールと同じ日本跨座式だったためこちらで扱います。
  1. 万博後はもちろん有料化される。
    • この時に地方鉄道法が適用されるようになった。
    • 無人運転も取りやめになった可能性が高い。
  2. 万博公園の整備に伴い自然文化園の真ん中になってしまう水曜広場駅は廃止された。
    • エキスポランド駅も大阪モノレールの開業やエキスポランド閉園の影響で廃止されていた。
  3. 大阪モノレール開業後は運営会社の大阪高速鉄道に整備を委託。
    • 同時に大阪モノレールとの連絡線も新設されるが、営業運転でここを車両が通ることはおそらく無い。
    • 元々この路線の運行・管理を委託されていたのは東急と東京モノレールだったので、大阪高速鉄道に東急や日立の資本が僅かながら入っていた可能性もある。
  4. 万博当時の車両は冷房のある車両の導入により廃車された。
    • 一応保存車両として1編成くらいは残していると思う。
  5. 大阪モノレール彩都線のルートにも影響があった。
    • 万博記念公園-公園東口の間がこの路線とほぼ重複している。

大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線[編集 | ソースを編集]

  1. 戦後に複線化+旅客化されたうえで片町線に編入されている事が前提条件。
    • この場合片町線の当初の電化区間はここまでだっただろうから、津田-長尾間も1989年まで非電化だったかもしれない。
  2. 長尾or津田以東が電化されるまでは多くの列車が片町まで乗り入れていたが、全線電化後は一気に支線に転落してしまう。
  3. JRになってから禁野駅をJR枚方駅か関西外語大前駅に改称する案が浮上していた。
    • どのみち枚方市中心部から微妙に離れているので、競合シェアは京阪に取られている。
    • もしくは最初から「新枚方」を名乗っていた。
      • もしくは京阪の枚方市駅のところまで延伸していた。
  4. 湖西線を山科から新田・長尾経由で大阪方面に延伸する計画が出た際この路線が組み込まれていた。
  5. 津田に快速が止まっていた。

大阪陸軍造兵廠香里製造所専用線[編集 | ソースを編集]

  1. 香里団地のアクセス路線となっていた。
    • 香里団地は京阪よりもJR指向となっていた。
  2. 片町線は早い時点で星田まで複線化されていた。
    • 星田駅は設定当初から快速が停車していた。
  3. 現実の四條畷折り返し列車が香里団地まで運行されている。

兵庫[編集 | ソースを編集]

別府鉄道線[編集 | ソースを編集]

  1. 神戸や大阪のベッドタウンとして急速に発展した加古川市を南北に貫き、JRと山陽電鉄の間をつなぐ連絡路線として重要な存在となる。
  2. 国鉄高砂線の経営を引き継いでいた。
  3. 阪急阪神ホールディングス系の会社になっていた。
  4. 現在はLRTとして再生されている。
  5. 地元の人以外は、「大分県の鉄道ですか?」と勘違いされる。
    • それを避けるため「播州鉄道」に改称されている可能性も。
      • あるいは「べふてつ」に改称。
  6. 早期に旅客主体に切り替えられていたら…。

姫路市モノレール[編集 | ソースを編集]

  1. 今頃は姫路城までを結ぶ観光路線に。
  2. 姫路市内を縦横無尽に結ぶ都市交通に。
  3. ロッキード式モノレールは廃れなかった。
    • 小田急の向ヶ丘遊園モノレールは今も運行されていた。
      • マジレスだが、ロッキード社がモノレール事業を断念したのが姫路モノレールが廃止に至った原因の1つ。
  4. 開業時の車両は全て廃車され、最新式の車両が導入されている。
  5. 姫路市は政令指定都市になっていた。
  6. 鳥取への延伸は……まあ無理だったと思うがもし実現したらどうなっただろう。
    • 仮に実現した場合、新幹線接続モノレールとなっている。
    • 智頭急行+因美線の他、鳥取自動車道と競合していたかもしれない・・。
    • 大阪モノレールを超えて世界一長いモノレール路線となっていた。
  7. 日本で本格的な都市モノレールの先駆けになっていた。
  8. 4両編成で運行されていた。
  9. 姫路市が現実のようなクルマ社会にならなかった。
  10. 姫路駅前商店街の空洞化は起こらなかった。
  11. 姫路市営バスが廃止されることはなかった。
  12. 中に駅がついているマンションがブームになった。
    • 「ナニコレ珍百景」で「マンションの中をモノレールが突き抜けている光景」として取り上げられていたかも。
  13. 山陽電鉄に譲渡された。
    • 神姫バスから鉄道部門が独立し、神姫交通姫路モノレール線になっていた。
      • 勿論、通称神姫モノレール。
    • どちらにしても2000年代には民営化されていた可能性もある。
  14. 手柄山駅から先も今在家まで延伸されていた。
    • 姫路側も姫路公園を経由し書写山まで延伸されていた。
      • 姫路セントラルパークへの路線も建設されていた。
      • 太陽公園への路線もあったかも。
        • その場合、太陽公園は気軽に世界旅行?が楽しめるスポットとして現実以上に知名度が高かった。
          • 東の東武ワールドスクウェア、西の太陽公園と呼ばれていた。
  15. モノレールが史実より全国的に広がる一方地下鉄、新交通システムは史実ほどの普及はしなかったかもしれない。
  16. JR発足後新快速が強化されると神戸や大阪への通勤路線としても機能するようになっていた。

淡路交通鉄道線[編集 | ソースを編集]

  1. 大鳴門橋にも線路が敷かれ、鳴門線と直通していた。
    • その勢いで明石大橋にも線路が敷かれ、神戸や大阪にも直通、または舞子でJR神戸線や山陽電鉄と連絡。
    • 1067ミリなので山陽電鉄とは直通できない。
      • あるいは1435mm軌間に改軌され、名谷で神戸市営地下鉄と相互直通していた。さらに三宮からは阪急神戸線に直通。
        • むしろ山陽電鉄に吸収されているかもしれない。
          • そして山陽電鉄は神姫本線と神鳴本線という厨二心をくすぐる2つの本線を所持していた。
        • または国有化され「JR淡路線」に。延伸されて山陽本線や鳴門線と直通運転が行われる。
          • 使用車両は125系と7000系。
            • もしくは223系や225系。
          • それでもマリンライナーやサンライズ瀬戸のルートには影響なし。
  2. 日本唯一の「島の鉄道」として注目される。
  3. 淡路島出身の某タレントのネタにされる。
    • この鉄道も某タレントの所有物ということになっている。
    • 「新幹線のいらん車両買うてきて淡路鉄道で走らせましてん…」という感じで某生活笑百科などに登場していただろう。
  4. 阪神淡路大震災からの復旧は他の路線と比べてかなり遅くなっていた気がする。
    • この場合ほぼ完全平行して走る国道28号もしばらく通行止めになっていた。
  5. 現在は東急か京王井の頭線のお古に置き換えられていた。
  6. 現在でも淡路交通線内の駅が兵庫県最南端の駅のまま。(現実では東垂水駅)
  7. 淡路島はすぎやまこういちの出身地ということでドラゴンクエストシリーズのラッピング車両が走っていた。

出石鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 出石へのアクセスが便利になり、観光客も増加していた。
  2. 大阪や京都などからの直通特急も運行されていたかもしれない。
    • ただし元国鉄線ではないため信楽高原鉄道の事故後に乗り入れ中止に追い込まれたかもしれない。
  3. 兵庫県但馬地域では第3セクターを除くと唯一の私鉄となっていた。
  4. どこかの大手私鉄の系列に組み込まれていると思われる。
    • 位置関係的にここもウィラー傘下になっている気がしなくもない。

能勢電鉄妙見線(川西国鉄前-川西能勢口間)[編集 | ソースを編集]

  1. 川西国鉄前駅は福知山線にあわせて「川西池田」に改称されていた。
  2. 国鉄(現JR)福知山線の電化に伴い、当路線の利用者も増加。
    • ただし史実の廃止前のような線内折り返し運転だけの路線になっていないのが前提。

阪神武庫川線(武庫大橋-武庫川間)[編集 | ソースを編集]

  1. 同区間に1つか2つ新駅が設置されていた。
  2. 国道線廃止時に武庫川線内に車庫を新設して甲子園線を存続させることも検討される。

播電鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄姫新線が着工されないことが前提。
  2. 中国鉄道(岡山〜津山)や山陽電鉄網干線との連絡が構想されたであろう。

山陽電鉄本線(西代-電鉄兵庫間)[編集 | ソースを編集]

  1. 神戸高速鉄道開業に伴い西代以東の路面区間が地下化されていた。
    • 西代以西の地下化については現実通り。
  2. 山陽電鉄と神戸高速鉄道の境界駅は電鉄兵庫駅となっていた。
  3. 大開駅はなかった。
    • 阪神大震災での大開駅の天井崩落もなかったため、神戸高速線は現実よりも早く復旧出来ていた。
  4. 電鉄兵庫駅は他の「電鉄○○」駅と同時期に「山陽兵庫」に改称されていた。
  5. 電鉄兵庫→山陽兵庫駅は大開駅と異なり赤直通特急も停車していた。

六甲登山架空索道[編集 | ソースを編集]

  1. 表六甲ドライブウェイはなかった。
  2. 六甲ケーブルの客は少なかった。
  3. 六甲ケーブル共々神戸市都市整備公社(→神戸すまいまちづくり公社)に移管していたかもしれない。

六甲有馬ロープウェー表六甲線[編集 | ソースを編集]

  • 厳密には休止中ですが
  1. 六甲山上バスはなかったか本数は少なかった。
  2. 表六甲駅は六甲山上駅に改称された。
  3. 六甲有馬ロープウェーは日本一長いロープウェイの座を維持していた。

滋賀[編集 | ソースを編集]

江若鉄道[編集 | ソースを編集]

近江今津
おうみいまづ Ōmi-Imazu
きたあいば
Kita-Aiba
おうみなかしょう
Ōmi-Nakashō
  1. JR湖西線はこの線の近江今津以北を延伸したことになっている。
    • 既存区間も改良された。
  2. 江若鉄道は国鉄(JR)の特急が通過するため、経営状態は好転していた。
    • 現実の北越急行や智頭急行と同じような存在となっていた。
  3. 関西から北陸に行く際、JRとは別に江若鉄道の運賃をとられる。
  4. このまま国鉄に併合された。
    • その場合「湖西線」ではなく「江若線」だったかもしれない。
  5. ひょっとしたら標準軌に改軌され、京阪電鉄線と直通していたかもしれない。
    • もちろん電化も行われていた。
    • 京津線も京阪線並みの規格に改修され、淀屋橋~近江今津間に直通列車が運転されていた。
      • 三条-山科は京阪の手で地下化され、山科-浜大津もトンネル区間の多い新線に付け替えられていた。京阪本線東福寺-三条の地下化も1970年代前半のうちに完成済み。
      • 3000系(1971年登場)以降の特急車はトイレ付きで製造された。8000系はデビュー当初から2階建て車を組み込んでいた。
      • 京阪にも有料特急が設定されていた。
      • むしろ経営効率を上げるために大津線が江若鉄道に譲渡されていた可能性が高い。
    • この場合湖西線は史実通り開業するが、江若鉄道の路盤は流用されなかったためルートが少し変わっていた。
      • トンネル区間が史実よりも多くなっていた。
    • 江若鉄道沿線の観光開発は京阪色が史実以上に強くなっていた。雄琴温泉にも京阪系のリゾート施設が開設されていた。

奈良[編集 | ソースを編集]

近鉄法隆寺線[編集 | ソースを編集]

法隆寺
HōRYūJI
大和安堵
YAMATO ANDO

  1. 電化&1435mmに改軌され、京都から直通急行が走る。
    • 時期によっては大阪難波からも運行される。
  2. 近鉄は、法隆寺の観光宣伝にも力を入れていた。
    • 「真珠の小箱」における法隆寺の最寄り駅が「筒井駅」ではなく「(近鉄)法隆寺駅」になっていた。
  3. 平端駅の配線はどのようになっていただろうか。。。
    • スイッチバックなしに乗り入れられるように新たな短絡線が造られていたと思う。
  4. JR法隆寺駅と隣り合うようにするため路線を更にJR寄りに移動させていた。
  5. 間違いなく大和中央線計画に組み込まれていた。

大和鉄道(田原本-桜井間)[編集 | ソースを編集]

田原本
TAWARAMOTO
黒田
KURODA
寺川
TERAKAWA
  1. 近鉄が買収後、やはり電化&1435mmに改軌されていた。
  2. 京伊特急は、こちらを走行していた。
    • その場合、京伊特急だけは桜井駅に停車していたかも。
  3. 新ノ口連絡線は、建設されなかった。
    • むしろ田原本線が橿原線に乗り入れていた。
  4. 田原本駅と西田原本駅が統合されていたかもしれない。

近鉄東信貴鋼索線[編集 | ソースを編集]

  1. 信貴山への交通アクセスが便利になっていた。
    • 1985・2003・2005年の阪神のセ・リーグ優勝の前には必勝祈願のファンでにぎわった。
  2. 信貴山は比叡山ととも両側の斜面からケーブルカーで上下できる山となっていた。
  3. 車両はさすがに新型に置き換わっていただろう。
    • 信貴山の張り子の虎に因みのイラストが描かれていた。

関西鉄道大仏線[編集 | ソースを編集]

  • 関西鉄道は後に国有化されて関西本線になりましたが、国有化前に廃止されたのでここに記しました。
  1. 関西本線は奈良~大仏~加茂というルートになり、奈良~木津間は奈良線となっていた。
    • 奈良線は名実通り奈良に路線を持つことになっていた。
    • この線を、信楽まで延伸させていたかも知れない。
  2. 現実とは逆に関西本線の木津~加茂間が廃止されていた。
  3. 大和路快速が奈良~木津間を走らない代わりに、学研都市線の快速が奈良駅まで乗り入れている。
    • 学研都市線も大阪~奈良間の輸送を担当することになり、国鉄時代のうちに電化や複線化が実現していた。
    • 学研都市線快速に223系が投入されていた。JR東西線を走るために地下線直通仕様になっている。
  4. 大仏殿・春日大社・奈良公園など奈良市の主要観光地へのアクセスは大仏駅の位置からして奈良駅とそう変わらないか?
  5. この線が奈良ドリームランドのすぐ東側を通っていたことから、戦後になってドリームランドの近くに新駅が設置されていた。
    • ドリームランドの来園客は現実よりも多かったかも。とはいえ閉園は現実通りだったと思われる。
    • このほか、学研都市や新興住宅地の開発状況に合わせて新駅が設置されていた可能性が高い。

和歌山[編集 | ソースを編集]

野上電気鉄道線[編集 | ソースを編集]

  1. 旧形電車は中古の南海ズームカーに置き換えられている。
    • むしろ新車の導入が実現していた。
      • 野上電鉄の線路容量では水間鉄道のお古を電装解除しても重量的に耐えられなかったので新車導入を決めたのはこのため。
      • 実際、1991年頃に80形電車を武庫川車両に発注している。補助金打ち切りがなければ白紙化することなく導入は実現していた。
    • いやいや、施設的に名鉄岐阜市内線のお古が適当なくらい貧弱だったらしい。
    • くりはら田園鉄道のように電化廃止もありえたかもしれない。
      • 近江鉄道で持て余したレールバスの譲受を打診していた(比較的軽量なので十分あり得た)。
    • 2000年代に入ると京福の事故を受けて車両置き換えを迫られていた。
      • 軌道改良して大型車両の導入を受け入れていた。
    • 京津線の一部区間廃止で余剰となった京阪80形や名古屋市営地下鉄の中古車両を譲受していたかも。
  2. 最終的には和歌山電鐡と合併している。
    • 和歌山の「たま駅長」に続くネタ駅長が誕生していた。
    • あるいは野上電鉄が南海貴志川線を引き継いでいたかもしれない
      • 那智黒にちなんで黒猫駅長になっていた。
  3. あの接客態度の悪さから行政指導が入る。
    • 和歌山電鐵(岡山電軌系)との合併の際、従業員は総入れ替えになっている可能性もある。
    • 野上電鉄の末期の若造連中の接客態度・勤務態度の悪さは、誰が見ても明らかに旧国鉄とかこことかここ以下だったからな。
      • あと、マスコミへの対応もここ以下だったからな。
    • 「廃止を免れた」ということは、接客態度は現実よりましだった可能性も。
      • 利用者はおろか、鉄道ファンに対する理解も深めるように取り組んでいた。
    • マシだったどころか許容範囲内だったと思うし、補助金を運転資金に回さずそれで路線の改良をして16~18m車を受け入れていた可能性も。
    • 写真撮影禁止も解除されていただろう。
      • そもそも撮影は禁止されなかったのでは?
      • 東京メトロも同類とみなされることはなかった。
  4. 日方駅・連絡口駅が海南駅に統合されていた。
    • と言うことは、高野山への延伸計画も実現していたかも知れない。
  5. 南海電鉄の傘下に入っていた。
    • むしろ両備あたりに身売りを打診していた。
    • 身売り先によって横柄な従業員の態度を引き締めていた。
      • 和歌山電鉄に倣って水戸岡さんデザインの車両が走っていた。

南海和歌山港線(和歌山港-水軒間)[編集 | ソースを編集]

  1. 和歌山電鐵傘下入り。
    • あの区間は和歌山県が線路を持っている+和歌山港線全体を南海から切り離すわけにはいかないから、残っていたとしても南海のまま放置されていた気がしなくもない。
  2. 和歌浦の観光路線として十分売り出し再生可能だった。
    • 水軒駅は「和歌浦口」に駅名が変更されている。
      • 離れた場所に同名のバス停(旧軌道線電停)があるので「養翠園前」になっていたのでは。
    • 水軒駅行きの列車がもう少し増やされた。
  3. 加太線と同様、沿線のPR企画で注目されるかも。

有田鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 位置関係的に両備グループになっている。
    • 両備になると同時に社長公募が行われた。「鉄道ファン歓迎」とかいてあった。
      • そして鉄道ファン社長が就任。いすみ鉄道とのコラボもあった。
        • 車両は樽見鉄道のお古。
  2. 休日運休が解除され増便されていた。
  3. こちらにも猫駅長が就任。
    • 和歌山電鉄が三毛猫、野上が黒猫に対しこちらはキハ58003の色に似せて茶トラ猫駅長だった。
  4. 野上と同様、和歌山電鉄に倣って水戸岡さんデザインの車両が走っていた。