もしあの競走馬があのレースで勝っていたら

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もしあの競走馬が○○だったら > あのレースで勝っていたら

ウマ娘 プリティーダービーに関する記述はお控え下さい(史実が変化していれば確実に設定も変わっていたため)。
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ウオッカ[編集 | ソースを編集]

2007年の桜花賞[編集 | ソースを編集]

  1. ダイワスカーレットは史実ほど人気が出なかった?
    • 史実通りオークス回避→秋華賞制覇となっても、ウオッカのライバルとは呼ばれなかったかも。
  2. そもそもダービーに進んだか?
    • もしダービーに出走せずにオークスへ出ていたら、同年のダービー馬はアサクサキングス(史実2着馬)ということになる。

2008年のヴィクトリアマイル[編集 | ソースを編集]

  1. エイジアンウインズはむしろ現役生活が長かったかも。

エアグルーヴ[編集 | ソースを編集]

1997年のジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  • 天皇賞・秋勝利後、ジャパンカップで馬っ気を出したピルサドスキーの2着に敗れたエアグルーヴ。もし勝っていたら…?
  1. ピルサドスキーが日本で種牡馬入りすることは無かった。
  2. レース後に疲労が溜まって有馬記念回避…は流石に無いか。

エアシャカール[編集 | ソースを編集]

2000年の日本ダービー[編集 | ソースを編集]

  • 2000年の皐月賞と菊花賞を勝ち、ダービーを7センチ差で逃したエアシャカールでしたが……。
  1. 河内洋はダービーを勝てないまま引退していた。
    • アグネスフライトは種牡馬になれたかどうかわからない。
      • その場合、京都新聞杯の格付けが翌年以降もGⅢのままだった可能性もある。
    • アグネスタキオンが史実通り皐月賞後に引退した場合、フライトに続きまたもやと言う無念の声があふれそう。
    • ただし、1着同着の場合は話は別。
  2. その後の成績が史実通りだった場合、史上最弱の三冠馬と言われそう。
    • もう少し早く引退した気もするが。

エイシンワシントン[編集 | ソースを編集]

1996年のスプリンターズステークス[編集 | ソースを編集]

  • フラワーパークとのマッチレースに僅か1センチ差で敗れたエイシンワシントン、もし勝っていたら…?
  1. もしかしたらもう一年現役を続けていたかもしれない。
    • フラワーパークは(その後の成績が史実通りなら)翌年の高松宮杯8着を最後に引退していた。
  2. 種牡馬としての需要が若干上がっていた。
    • ダマスカス系ももう少し続いていた。

エルコンドルパサー[編集 | ソースを編集]

1999年の凱旋門賞[編集 | ソースを編集]

  • 凱旋門賞でモンジューの半馬身差の2着に惜敗したエルコンドルパサー。もし勝っていたら…?
  1. その後の他馬の海外遠征に影響を与えていた。
    • それでもディープインパクトとオルフェーヴルは凱旋門賞に挑んていたかも?
  2. 年度代表馬の投票があれほどこじれることは無く、すんなりとエルコンドルパサーで決まっていた。

オルフェーヴル[編集 | ソースを編集]

2012年の凱旋門賞[編集 | ソースを編集]

  • 凱旋門賞では残り300mで先頭に立ちましたがそこから内に斜行し12番人気の伏兵・ソレミアにゴール直前で差され2着に敗れてしまいました。
  1. 「日本競馬の悲願達成」と日本国内では大盛り上がり。
  2. 同年の年度代表馬をオルフェーヴルにするかジェンティルドンナにするかで1999年ばりの大論争が起きるかもしれない。
  3. 翌2013年のフランス遠征は無かったかもしれない。
  4. その後が史実通りならオルフェーヴルはGI競走7勝を記録していた。

2012年のジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  • 史上初の牡馬三冠馬対牝馬三冠馬の対決となったジャパンCでジェンティルドンナのハナ差2着に敗れたオルフェーヴル。もし勝っていたら…。
  1. 岩田康誠(ジェンティルドンナ鞍上)の騎乗が史実以上に批判されていた。
  2. その後が史実通りならGI競走7勝となり、種牡馬としての成績が史実より良くなっていた。

カミノクレッセ[編集 | ソースを編集]

1992年のGⅠで3連続2着となってしまいましたがどこかで勝っていたら?

天皇賞・春[編集 | ソースを編集]

  1. 昨年の天皇賞・秋の屈辱をある意味晴らしたと言われる?(史実ではその時のメジロマックイーンの進路妨害により脚部不安を抱えるようになった)

安田記念[編集 | ソースを編集]

  1. ヤマニンゼファーが勝っていないので、その後が史実通りならば田中勝春騎手はヴィクトリーまで中央GⅠ勝ちなしとなる。
    • 乗り替わりせず秋の天皇賞にてヤマニンゼファーに乗って勝っていたりして?

宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  1. メジロパーマーは……結局あまり変わらないかも。
    • ただし有馬記念では史実より下、つまり最低人気になり配当は史実以上になる。

いずれにしても[編集 | ソースを編集]

  1. 史実よりもっとまともな条件で種牡馬入りし、メジロライアンと並ぶアンバーシャダイの後継種牡馬になっていた。
  2. 馬なり1ハロン劇場でGⅠへの執念に取り憑かれたキャラにはならない?
    • ただし宝塚記念で勝った場合「執念が成就したキャラ」と言う扱いをされるかも。

カレンミロティック[編集 | ソースを編集]

2016年の天皇賞・春[編集 | ソースを編集]

  1. 騙馬初の天皇賞馬として史実よりかなり人気になった。
    • ただその後の成績が史実通りの場合キタサンブラックのGI7勝を阻むだけ阻んで燃え尽きたとして逆に人気が落ちていたかも。
  2. 一方キタサンブラックはGI6勝止まりとなりやや人気が落ちていた。

キタサンブラック[編集 | ソースを編集]

2015年の皐月賞[編集 | ソースを編集]

  1. 最優秀3歳牡馬になった可能性が高い。
  2. それでもダービーはドゥラメンテが勝っただろう。

2016年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  1. サトノダイヤモンドはこんなに人気になっていない。
    • その後の成績が史実通りだった場合、最悪種牡馬入りすらなかったかも。
      • していたとしても日本ではなくヨーロッパとかだったりして。
    • 最優秀3歳牡馬はマカヒキだったかも。

2017年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  1. 海外遠征していたのは間違いない。
    • 結果的にGⅠ7勝できなかったかも。

キョウエイボーガン[編集 | ソースを編集]

1992年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 中日スポーツ賞4歳S・神戸新聞杯と重賞を連勝後、京都新聞杯9着を経て菊花賞に出走しましたが、二冠馬のミホノブルボンと戦法が同じ逃げということもあり16着に敗れてしまいました。
  1. 大川慶次郎に「ミホノブルボンの三冠を邪魔したくだらない馬」と批判されることは無かった。
  2. 流石に種牡馬入りは出来ただろうが、もし種牡馬成績が悪かったら前年の菊花賞勝ち馬のレオダーバンのような末路になっていたかも…。
    • 2022年まで長生きすることも無かったかもしれない。

コスモバルク[編集 | ソースを編集]

2004年の皐月賞[編集 | ソースを編集]

  • ラジオたんぱ杯2歳S・弥生賞を連勝し1番人気で皐月賞に挑んだコスモバルクですが、先行したダイワメジャーを捉えきれず2着に敗れました。
  1. 北海道所属・決して一流とはいえない血統での牡馬クラシック勝利ということもあり、大きな話題になっていた。
  2. それでもダービーで負けていたのは史実通りか。
  3. 引退時期が1年程繰り上がっていた。
  4. 種牡馬入りも出来ていたかもしれない。
  5. ホッカイドウ競馬でコスモバルク記念が創設されるのは史実通り。
  6. 史実における勝ち馬のダイワメジャーはどうなっていたか…。

ゴールドシップ[編集 | ソースを編集]

2012年の日本ダービー[編集 | ソースを編集]

  • 史実では5着でした。
  1. ステイゴールドは2年連続三冠馬を出した事になり、種牡馬として史実以上にもてはやされていた。
  2. それでも2012年の年度代表馬は史実通りジェンティルドンナだったかも。
  3. ただ史実の奇行が話題になったとしても、オルフェーブルの二番煎じ扱いされて目立たなかったかもしれない。
  4. ディープブリランテは種牡馬入りしていなかったかも。もちろん史実より長く現役を続けゴルシの勝ち星を奪っていたかもしれないが。
    • その場合モズベッロはともかくセタブリランテスは生まれていなかったかも?
  5. オルフェーヴルとジェンティルドンナとの3冠馬3頭同士の戦いがどこかで実現していたかも。

サイレンススズカ[編集 | ソースを編集]

1997年の神戸新聞杯[編集 | ソースを編集]

  • ダービー9着後、秋初戦の神戸新聞杯に出走し残り200mで後続に4馬身差をつけていましたが、鞍上の上村洋行の油断やマチカネフクキタルの追い込みが重なり、ゴール寸前で同馬に交わされ2着に敗れてしまいました。
  1. おそらく同年の天皇賞・秋とマイルCSには上村洋行が騎乗していた(史実では河内洋)。
  2. マチカネフクキタルのその後は史実とあまり変わらないだろう。

ショウナンマイティ[編集 | ソースを編集]

2013年の安田記念[編集 | ソースを編集]

  • 5歳時に京都記念3着、産経大阪杯2着を経て3番人気で安田記念に出走しましたが、ゴール前でのロードカナロアの体当たりの影響を受けクビ差の2着に敗れてしまいました。もし勝っていたら…?
  1. 翌年の安田記念を最後に現役を引退。日高あたりで種牡馬になっていた。
    • おそらく2022年現在も存命。
  2. ロードカナロアの年度代表馬受賞は史実通りになりそうだが、投票数2位のオルフェーヴルとの差はやや縮まるかもしれない。

ジェンティルドンナ[編集 | ソースを編集]

2013年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. ジャスタウェイが2着になった場合「ここでも銀魂なのかよ」と言われむしろ人気が上がるかも。
    • ただしその後の成績が史実通りだとしても種付け数は減っていた。
    • 少なくとも世界一位にはなってない。

2014年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. スピルバーグは種牡馬入りしていない。
    • 全兄のトーセンラーの人気も低下し、ザダルとかも生まれていなかったかも。

2014年のジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  1. 2013年世代は史実より余計に扱いが小さくなった。
    • ましてや2着が史実通りジャスタウェイだった場合……
    • その分、コパノリッキーとロゴタイプはもてはやされていた。

シンボリルドルフ[編集 | ソースを編集]

1984年のジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  1. 初めてジャパンカップを勝った日本馬として、ますますその名は上がる。
    • そしてその後史実通りトウカイテイオーまでジャパンカップ勝ち馬が出なかった場合余計にテイオーと、親子以外で初めてジャパンカップを取ったレガシーワールドの名が上がる。
      • カツラギエースはたとえ2着だとしてもただの宝塚記念馬で終わる。
  2. 史実より早く海外遠征があったかも。

1985年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. 府中の大外枠の不利は見過ごされたかも。
    • その分、2000年のテイエムオペラオーの勝利は軽く見られたかもしれない。
  2. それでもギャロップダイナは翌年安田記念を取ったとは思うが、それだけで終わっていた。フランス遠征もないだろうし、有馬記念に使われたかどうかわからない。
    • シャダイソフィアの悲劇は史実以上に大きくなった。

ステイゴールド[編集 | ソースを編集]

GI2着4回を記録したステイゴールドですが、もしそのうちどこかでGIを取っていたら?

1998年の天皇賞・春[編集 | ソースを編集]

  1. メジロブライトはGIを勝てなかったことになるため、種牡馬入りしたかどうか怪しい。
    • ネヴァブションの種牡馬としての成績も上がって……ないか。
  2. 史実より早くノーザンテースト系は断絶し、メジロ牧場は経営を畳んでいたかも。

1998年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  1. サイレンススズカはGIを取れなかったことになる。
    • その分だけ秋の天皇賞が史実通りだった場合の悲運ぶりが際立った。

1998年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. 何とも言えない空気になる。
    • とりあえず史実よりかは観客の反応はマシだった。
  2. このレースまでの3つのGIのうちどれかを取っていた場合、馬なり1ハロン劇場でブロコレ倶楽部に入会したか少し疑わしくなる(史実では1999年の宝塚記念で入会)。
  3. オフサイドトラップ(史実勝ち馬)は種牡馬入り出来たかどうか怪しい。

1999年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. スペシャルウィークの復活は次のジャパンカップに持ち越しになる。

いずれにしても[編集 | ソースを編集]

  1. 遅くとも2000年までに引退していた可能性が大。
    • よってドバイシーマクラシックも香港ヴァーズも勝っていない。
    • ビワハヤヒデの仔であるサンエムエックスは日経新春杯を勝てていた。もしかしたら種牡馬入りしたかも。
    • ドリームジャーニーやオルフェーヴル、ゴールドシップなどの誕生年がずれていた。
      • ヴィクトワールピサやメイショウサムソンのGI獲得数が減少していた?

セイウンスカイ[編集 | ソースを編集]

1998年の日本ダービー[編集 | ソースを編集]

  • 史実では5着でした。
  1. スペシャルウィークの初GIは史実通り翌年の春の天皇賞まで持ち越し?
    • 武豊の日本ダービー初勝利も翌年まで持ち越し。
  2. 三冠馬として人気が高まり、種牡馬として史実以上に人気が出た結果一頭ぐらいは活躍馬が出てハイペリオン系も続いていたかも。
    • ただ前年度のサニーブライアンのように故障して菊花賞を走れなくなったかもしれないが………………。
    • って言うか古馬になってからの成績が史実通りの場合は結局……。

タップダンスシチー[編集 | ソースを編集]

2002年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

大逃げを決め直線に単騎突入しましたがシンボリクリスエスに差されて2着に終わりました。

  1. 2002年の年度代表馬は誰になっていた?
    • 唯一G1複数勝利のファインモーションが本命だと思うが、有馬記念の着順が史実通りの場合少し怪しい。
    • 結局「有馬記念2着」の重みが加味されシンボリクリスエスだったりして。
  2. 史実より早く引退した気がする。
  3. 史実以上に2000年世代がマル外世代と言われる(同期にアグネスデジタル・イーグルカフェ・エイシンプレストンがいた)。

チェリーメドゥーサ[編集 | ソースを編集]

2012年の秋華賞[編集 | ソースを編集]

  • 15番人気で出走した秋華賞で向正面から一気に先頭に立ち、そのまま大逃げを打つ奇策で直線残り50mまで先頭だったチェリーメドゥーサ(最終着順は5着)。もし勝っていたら…?
  1. 当然だがジェンティルドンナは牝馬三冠を達成できず。
    • 仮にその後の成績が史実通りでもGI6勝止まりということになる。
    • 同年の年度代表馬投票はジェンティルドンナとゴールドシップでかなり票が割れていた。
  2. 単勝が20000円近い万馬券になっていた。
  3. 父のシックスセンスにとっても初の重賞勝利になっていた。

テイエムオーシャン[編集 | ソースを編集]

2001年のオークス[編集 | ソースを編集]

  • 史実では3着でした。
  1. レディパステルは結局ほぼ史実通りの気がする。
    • 史実通り2着がローズバドの場合、悲劇性が少し高まった?
  2. 繫殖牝馬としてはあまり変わらないかも。

テイエムオペラオー[編集 | ソースを編集]

1999年の日本ダービー[編集 | ソースを編集]

  1. アドマイヤベガは種牡馬入りしていたか?
    • あるいは史実より長く現役を続けテイエムオペラオーやジャングルポケット当たりを食っていたかもしれない。
    • していない場合、キストゥヘブンとブルーメンブラットは生まれていない。していたとしてもGⅠ未勝利の場合、せいぜいアドマイヤボスと同レベルの扱いでしかなかっただろう。
      • アドマイヤキッスは史実より早く引退しあんな事にならなかったかもしれないし、スーパーホーネットはもう少し種牡馬として数を集めていた。
  2. メイショウサムソンの名前はやや低下していた。
  3. これで菊花賞の結果が史実通りだったらナリタトップロードはヒーラー扱いされていたかもしれない。

1999年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  1. それでも年度代表馬はもめていた気がする。
    • ただしグラスワンダー・エルコンドルパサー・スペシャルウィークではなく、オペラオー・エルコンドルパサー・スペシャルウィークで。
  2. 馬なり1ハロン劇場でブロコレ倶楽部入りしていたか少し怪しい。

2001年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  1. 同年の年度代表馬をジャングルポケットと争っていた。
  2. メイショウドトウは…GI未勝利のまま引退していたが、種牡馬入りは流石にできていただろう。

2001年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  1. アグネスデジタルへの批判が増えていた。
    • 「クロフネを出したほうが勝負になっていた」という意見も出てくる。
  2. サイレントハンターが出遅れていなかったらこうなっていたかもしれない。

2001年のジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  1. ジャングルポケットの年度代表馬はない。
    • それどころか最優秀3歳牡馬すら怪しい。史実通りだった場合、クロフネ(こっちが優勢か)かマンハッタンカフェかで揉めそう。
    • テイエムオペラオーが年度代表馬を連続受賞したりして?あるいはアグネスデジタル?

ディープインパクト[編集 | ソースを編集]

2005年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  • 同年の菊花賞で21年ぶりの牡馬クラシック無敗三冠を達成し古馬初対決となる有馬記念に出走しましたが、先行策を取ったハーツクライを捉え切れず2着に敗れ、デビュー8戦目で初黒星を喫してしまいました。
  1. その後の成績が史実通りなら、「国内でディープインパクトに勝った馬はいない」ということになる。
  2. ハーツクライは海外GIの1勝のみで社台での種牡馬入りができていたかどうか…。

2006年の凱旋門賞[編集 | ソースを編集]

  • 勝ち馬のレイルリンクとはクビ+半馬身差でした。
  1. ディープインパクト人気はピークに達していた。
  2. JRAの前のめり気味の広告戦略もそれほど批判されなかった。
  3. その後の日本調教馬のフランス遠征にも大きな影響をもたらしていた。

ドリームパスポート[編集 | ソースを編集]

2006年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 3歳秋に神戸新聞杯(この年は中京開催)を勝ち、2番人気で挑んだ菊花賞でしたが、ソングオブウインドの2着に敗れてしまいました。
  1. 横山典弘の菊花賞連続2着記録はこの年で止まっていた。
  2. ソングオブウインド(史実勝ち馬)はGIを勝てないまま現役を引退していた。種牡馬入りしていたかどうかも怪しい。

ナリタトップロード[編集 | ソースを編集]

1999年の日本ダービー[編集 | ソースを編集]

  • 皐月賞3着後、僅差の1番人気で挑んだ日本ダービーでしたが、アドマイヤベガの2着に敗れてしまいました。
  1. 鞍上の渡辺薫彦にとっては初のGI勝利となっていた(史実では同年の菊花賞でGI初勝利)。
    • 史実通り菊花賞も勝っていたら、引退までナリタトップロードの主戦騎手を務めていたかもしれない。
  2. アドマイヤベガ(史実勝ち馬)はGIを勝てないまま現役を引退していた。
    • 兄弟馬のことを考えると種牡馬入りは史実通りな気がするが、活躍馬を出せていたかは…。

ネオユニヴァース[編集 | ソースを編集]

2003年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  • 二冠達成から果敢に宝塚記念に挑戦したネオユニヴァースでしたが、結果は4着でした。
  1. この後の成績が史実通りだとしても、年度代表馬は確実だろう。
    • ただしスティルインラブが年度代表馬になったかもしれない。
  2. 種牡馬として史実以上に成功したかも。
  3. いわゆる2億円おじさんは話題にならない。
    • ネオユニヴァースを買っとけばよかった(ネオユニヴァースのダービーに50万円注ぎ込んだのが始まりだったと言われている)のにとか言われそう。
  4. ヒシミラクルはたぶん史実通り。

2003年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 史実では3着でした。
  1. ソングオブウインドは種牡馬入りしたか?
    • アロンダイトが種牡馬入りしていたりして。ヴァーミリアンの運命は変わらない。
    • あれ?ザッツザプレンティじゃないの?(ソングオブウインドは2006年の菊花賞馬)
  2. 史実通りだった場合、デルタブルースはサンデー孫世代初のGI勝ち馬として史実以上にもてはやされれる。種牡馬入りもしただろう。

パンサラッサ[編集 | ソースを編集]

2022年の天皇賞・秋[編集 | ソースを編集]

  • 史実では大逃げを打ったものの、ゴール直前にイクイノックスに差し切られて2着でした。
  1. 盛り上がり的にはそこまで変わらないか?
  2. パンサラッサが「令和のサイレンススズカ」と呼ばれる事が史実よりも増えていた。
    • 「サイレンススズカの再来」と呼ばれていたかもしれない。
  3. イクイノックスはまた2着を取ったと揶揄されていた。
    • ネット上でシルバーコレクター扱いされていたかも。
    • 少なくとも2022年の年度代表馬には選ばれていない。その場合タイトルホルダーが2年連続で年度代表馬に選ばれていたかも。
  4. 1番人気がGIで勝てないジンクスはどこまで続いていたんだろう?
  5. 果たしてパンサラッサはサウジに行ったのだろうか?
    • 2000mでも勝てることが分かってしまうので、違う路線に行っていたかもしれない。

ビリーヴ[編集 | ソースを編集]

2003年のスプリンターズステークス[編集 | ソースを編集]

  • 同年の高松宮記念を勝ち、春秋スプリントGI制覇を目指してラストランとなるスプリンターズSに出走しましたが、ゴール直前で大外から追い込んできたデュランダルに着差約15cm差の2着に敗れてしまいました。
  1. ビリーヴは同年のJRA賞で最優秀短距離馬と最優秀4歳以上牝馬の2つの賞を獲得していた。
  2. 息子のジャンダルムは史実より早く短距離路線へ進んでいた。

ビワハヤヒデ[編集 | ソースを編集]

1993年の共同通信杯4歳ステークス[編集 | ソースを編集]

  • 前年の朝日杯3歳ステークス2着後、4歳春初戦として日本ダービーと同じ東京競馬場で開催される共同通信杯4歳Sに出走しましたが、先行したマイネルリマークを捉え切れず、ハナ差の2着に敗れてしまいました。もし勝っていたら…?
  1. 岸滋彦は少なくとも日本ダービーまではビワハヤヒデに乗り続けていた。
    • 史実ではこのレースでの敗戦の責任を取って降板し、次走の若葉ステークスからは岡部幸雄が同馬の引退まで騎乗。
  2. それでも皐月賞と日本ダービーの成績は変わらなさそうな気がする。

1993年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  • 三冠最終戦の菊花賞でようやくGI初勝利を果たし、年末の有馬記念にはファン投票1位・1番人気に推されましたが、1年ぶりの出走だったトウカイテイオーから半馬身差の2着に敗れてしまいました。もし勝っていたら…?
  1. トウカイテイオーの知名度が少しだけ下がる。
  2. 同年の年度代表馬受賞に対する批判的な意見はかなり少なくなっていた。

ファストタテヤマ[編集 | ソースを編集]

2002年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 札幌記念13着後、16番人気で出走した菊花賞の最後の直線で大外から一気に追い込みましたが、早めに抜け出したヒシミラクルにハナ差届かずの2着でした。もし勝っていたら…?
  1. ダンスインザダーク産駒では初のGI勝利となっていた(史実では翌2003年菊花賞のザッツザプレンティが産駒のGI初勝利)。
  2. ただ最終の単勝オッズは91.6倍だったので単勝万馬券にはならない。
  3. おそらく種牡馬入りは出来ていただろうが、活躍馬を出せていたかは…。
  4. ヒシミラクルは有馬記念には多分出られないだろうが、代わりにステイヤーズステークスか日経新春杯に出走している気がする。その後は史実通り?

フサイチエアデール[編集 | ソースを編集]

1999年の桜花賞[編集 | ソースを編集]

  • 3歳春にシンザン記念・報知杯4歳牝馬特別と重賞を連勝して挑んだ桜花賞でしたが、プリモディーネの2着に敗れてしまいました。
  1. 鞍上の武豊にとっては前年のファレノプシスに次ぐ桜花賞連覇となっていた。
  2. プリモディーネはGIを勝てないまま現役を引退していた。
    • 福永祐一のGI初勝利も同年の朝日杯3歳S(エイシンプレストン)までお預け。

ブエナビスタ[編集 | ソースを編集]

2009年の秋華賞[編集 | ソースを編集]

  • 桜花賞・オークスを制し牝馬三冠にリーチをかけて挑んだ秋華賞でしたが、レッドディザイアに7センチ及ばず2着入線となり、更にレース後の審議で3着馬のブロードストリートの進路を妨害したと判断され3着に降着となってしまいました。
  1. 史上3頭目の牝馬三冠を達成していた。
    • 翌年のアパパネが史実通りなら2年連続で牝馬三冠馬が誕生していた。
  2. 一方で敗れたレッドディザイアは牝馬三冠で全てブエナビスタの2着ということになっていた。GIも勝てないまま引退していたかもしれない。
    • ヴィルシーナ(2012年の牝馬三冠全レースでジェンティルドンナの2着)の影がやや薄くなっていた。

2009年のエリザベス女王杯[編集 | ソースを編集]

  • 秋華賞3着後、エリザベス女王杯に1番人気で出走しましたが、大逃げを打ったクィーンスプマンテとテイエムプリキュアを捉え切れず3着に敗れてしまいました。もし勝っていたら…?
  1. 馬券の配当が大荒れになることはなかった。
  2. 逆にこのレースでの疲労が響いて有馬記念は回避していたかもしれない。
  3. 同年の年度代表馬投票でもある程度の票を集めていた。
  4. 翌年以降もしばらくは安藤勝己が乗り続けていた。

2009年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  • エリザベス女王杯3着後、ウオッカに次ぐファン投票2位で有馬記念に出走しましたが、ドリームジャーニーの2着に敗れてしまいました。もし勝っていたら…?
  1. 有馬記念史上初の3歳牝馬による同競走制覇を達成していた。
  2. ドリームジャーニーの影がかなり薄くなる。
  3. 横山典弘じゃなくて安藤勝己が乗り続けていたらこうなっていたかもしれない。
  4. 同年の年度代表馬投票ではウオッカと票を二分していた。

2010年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  • 4歳春にヴィクトリアマイルを勝ち、ファン投票1位で挑んだ宝塚記念でしたが、ナカヤマフェスタの2着に敗れてしまいました。
  1. 秋以降も横山典弘が騎乗し続けていた。
  2. ナカヤマフェスタ(史実勝ち馬)の次走が凱旋門賞になることは無かっただろう。

2011年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  • 5歳春はドバイワールドカップ8着・ヴィクトリアマイル2着を経て、2年連続のファン投票1位で挑んだ宝塚記念でしたが、アーネストリーの2着に敗れてしまいました。
  1. もし前年の宝塚記念も勝っていたら、宝塚記念史上初の連覇を達成していた。
  2. アーネストリー(史実勝ち馬)のその後の成績は史実とあまり変わらない。ただ種牡馬入りは出来ていたかどうか…。

ベガ[編集 | ソースを編集]

1993年のエリザベス女王杯[編集 | ソースを編集]

  • オークスのレース後に脚部不安を起こし予定されていた欧州遠征をキャンセル、トライアルを使わずに直行で挑んだエリザベス女王杯でホクトベガの3着に敗れたベガ。もし勝っていたら?
  1. 史上2頭目の牝馬三冠を達成していた。
  2. 馬場鉄志アナの「ベガはベガでも…」の名実況もなかった。
  3. その後の成績も史実より良くなっていた。
    • 場合によっては繫殖入りが遅れ、アドマイヤベガやアドマイヤドンの生年がずれていたかもしれない。

マイネルデスポット[編集 | ソースを編集]

2001年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 1000万円以下の身分で出走した菊花賞でスローペースの逃げを打ち、11番人気ながらマンハッタンカフェの2着に逃げ粘ったマイネルデスポット。もし逃げ切っていたら…?
  1. 菊花賞史上初の単勝万馬券になっていた。
    • 鞍上の太宰啓介は史実より10年早く重賞を勝っていた。
  2. 種牡馬になれていたかもしれない。
  3. マンハッタンカフェは菊花賞2着の賞金で有馬記念に出走できていたかどうか…。
    • と、なると有馬記念はアメリカンボスが勝った事になっていたか。その場合、史実よりかなり種付け数が増え同じ父であるエルコンドルパサーやキングカメハメハを食っていたかもしれない。
    • 史実でのマンハッタンカフェ(3番人気)→アメリカンボス(13番人気)ではなくアメリカンボス→トゥザヴィクトリー(6番人気)での決着になり、馬連の配当は5万円以上になりそう。

マックスビューティ[編集 | ソースを編集]

1987年のエリザベス女王杯[編集 | ソースを編集]

  • 前年のメジロラモーヌに次ぐ2年連続の牝馬三冠達成を期待されていたマックスビューティでしたが、タレンティドガールから2馬身差の2着に敗れ三冠達成はなりませんでした。もし勝っていたら…?
  1. その後の成績は史実より良くなっていたかもしれない。
    • 主戦騎手の田原成貴と調教師の伊藤雄二が揉めずに、同馬の引退まで田原が主戦を務めていた。
      • 伊藤調教師の管理馬にも何度か騎乗していたかもしれない(史実ではマックスビューティから降板後、伊藤厩舎の馬には引退まで一切騎乗せず)。

ミホノブルボン[編集 | ソースを編集]

1992年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 皐月賞・日本ダービーを逃げ切り、菊花賞で史上二頭目の無敗三冠に挑んだミホノブルボンでしたが、結果は1馬身半差でライスシャワーの2着に敗れ三冠制覇はなりませんでした。
  1. 「キョウエイボーガンが出走しなかったら」か「キョウエイボーガンがスタートで出遅れていたら」こうなっていた?
    • そのキョウエイボーガンは「ミホノブルボンの三冠を邪魔した」という非難は少なくなっていただろうが、引退後は消息不明になっていたかもしれない。
      • 史実でも重賞馬にもかかわらず×××の憂き目に遭いそうだったことを考えると、仮にもう少し活躍できていたところで…というのもありそう。
    • キョウエイボーガン自身も、菊花賞以降1勝もできないってことはなかったかもしれない。
  2. ライスシャワーの影が若干薄くなっていた。

メイショウサムソン[編集 | ソースを編集]

2006年の菊花賞[編集 | ソースを編集]

  • 史実では4着でした。
  1. それでも2006年の年度代表馬は史実通りディープインパクトだった。
  2. ソングオブウインドはおそらく種牡馬入りできなかった。
  3. 種牡馬成績も多少は良くなっていた。初年度産駒JRA未勝利という不名誉な記録も残さなかったかもしれない。
  4. 2年連続で3冠馬が誕生することになり、色々と盛り上がっていた。

メジロドーベル[編集 | ソースを編集]

1997年の桜花賞[編集 | ソースを編集]

  • 史実ではここで2着→オークス・秋華賞を制覇。
  1. エアグルーヴから年度代表馬の座を奪っていたかも。
  2. キョウエイマーチはGI未勝利のまま引退した可能性が高い。
    • 現役期間がどれだけになったかは不明。
    • シーキングザパールはたぶん史実通り。
  3. メジロライアンが種牡馬として史実以上に人気になったかは不明。

ユキノサンロイヤル[編集 | ソースを編集]

2006年ジャパンカップ[編集 | ソースを編集]

  1. 多くの人間が泣かざるをえない。
  2. 但し、そうだとしてもユキノサンロイヤルの上がり三ハロンが36秒台。ディープはどれくらいやら…w
  3. メジロブライトの新馬のようなタイムのかかりすぎるレースになったと思われる。ちなみにメジロブライトの新馬のタイムは函館の芝1,800m良馬場で2分1秒6。
  4. ディープインパクトは黒歴史逝きに。

ライデンリーダー[編集 | ソースを編集]

1995年の桜花賞[編集 | ソースを編集]

  • 笠松所属馬として4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)を勝ち、桜花賞で1番人気になりましたが4着に敗れました。
  1. 笠松競馬の象徴として、オグリキャップに続く存在になっていた。
    • オグリキャップほどではないがアイドルホースとなり、グッズ売り上げも相当な物になっただろう。
  2. ロイヤルスキーの孫と言う事でアグネスフローラと比較され、サンデーサイレンス(史実ではサンデーサイレンス及び産駒種牡馬が種付けされた事は1度もない)が付けられていたかも。
    • その結果アグネスフライト・タキオン兄弟のように……と言うのは無理か?
  3. ワカオライデンも種牡馬として人気になり、現代まで父系がつながっていたかもしれない。
  4. ただオークスとエリザベス女王杯の結果はたぶんあまり変わらないか。
  5. ダンスパートナーは3着に押し下げられるがそれでもオークス出走権は獲得するので史実通りだろう。
    • ワンダーパヒュームはむしろ長生きしたかも……。弟のワンダーファングについては不明。

レガシーワールド[編集 | ソースを編集]

1992年の有馬記念[編集 | ソースを編集]

  • ジャパンカップ4着後の有馬記念で直線内を突いて一気に追い込みましたが、メジロパーマーの2着に敗れました。
  1. 鞍上の小谷内秀夫にとっては初のGI競走勝利となっていた。
  2. それでもブービー人気のメジロパーマーが2着に入るので、馬連の配当(31550円)は史実と変わらないはず。

ローエングリン[編集 | ソースを編集]

2002年の宝塚記念[編集 | ソースを編集]

  • ダービー除外後、オープン特別の駒草賞を勝ったローエングリンは宝塚記念に出走、3着に逃げ粘りました(2020年現在、3歳馬では最高着順)。もし勝っていたら…?
  1. 少なくとも菊花賞に出走することはなかった。
    • 3歳秋は神戸新聞杯→秋の天皇賞→ジャパンカップ(この年は中山芝2200)の順で出走していた。
    • 4歳時もマイル戦線ではなく、中距離路線を歩んでいた。
  2. ダンツフレームはGIを勝てないまま引退していた。でも史実よりは長生きしていたかも…。
  3. 史実より早く引退すると思われる。その結果ロゴタイプの生まれ年がずれ、オルフェーヴルやゴールドシップに影響をもたらしていた。
  4. 宝塚記念の後は横山典弘が主戦騎手を務める可能性が高い。
    • その場合、2003年の秋の天皇賞でのローエングリン(後藤浩輝)とゴーステディ(吉田豊)の勝負度外視の先頭争いはなかったか。