もしあの競走馬が故障していなかったら

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あ行[編集 | ソースを編集]

アグネスタキオン[編集 | ソースを編集]

  1. ダービー制覇の場合史上初の2年連続兄弟でダービー馬の快挙を成していた。
    • 河内洋は2年連続2度目ダービージョッキーに。
      • その代わり角田晃一はダービージョッキーになれないまま引退していた。
    • ただ菊花賞は勝てたかどうかわからない。あるいは秋の天皇賞に進んでいたかもしれない。
  2. ジャングルポケット、マンハッタンカフェの評価が下がっていた。
  3. アグネスフライトとの兄弟対決ではフライトが河内、タキオンには藤田伸二が騎乗。
  4. 種牡馬入りが遅れたため、サンデーサイレンスの後継としての実績は下がった。
    • その場合、2008年のリーディングサイアーは史実2位のフジキセキか。
    • ダイワスカーレットの生年がずれたため、ウオッカやブエナビスタの成績に影響をもたらしていた。ディープスカイは史実通り?

アドマイヤベガ[編集 | ソースを編集]

  1. テイエムオペラオーのグランドスラムを阻止していた。
  2. ラスカルスズカには柴田善臣が騎乗していた。
  3. アドマイヤボスの運命はあまり変わらないだろうが、アドマイヤドンはダート路線に進まなかったかも。
    • ダート路線に進まなかった場合、スターキングマンはもう少しGIを勝っていた。
      • プリエミネンスやサイレントディールもGIを勝っていたかも。

エイシンサンディ[編集 | ソースを編集]

  1. 競走成績次第では種牡馬入りできていたかどうかは微妙。
    • 種牡馬入りしなかった場合ミツアキサイレンスやセイクリムズンは別の馬の産駒になっていた。
      • 逆にエイシンチャンプは種牡馬入りしていた。

か行[編集 | ソースを編集]

カブラヤオー[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞も勝利して三冠馬になっていた。
    • 史実通りテスコガビーで桜花賞とオークスを制していた場合菅原泰夫騎手は史上初の「一年でクラシック全制覇」を達成していた。
  2. 種牡馬としてももう少し活躍馬を出せていた。

キングカメハメハ[編集 | ソースを編集]

  1. 秋シーズンは菊花賞ではなく天皇賞秋に参戦していた。
  2. それでも種牡馬としても数多くのG1馬を生み出していた。

クロフネ[編集 | ソースを編集]

  1. 予定通りフェブラリーステークス、ドバイWCを走りダート戦線の主役となっていた。
    • 一期下のゴールドアリュール、アドマイヤドンと熱戦を繰り広げていた。
  2. 種牡馬入りは1年か2年遅れるので、フサイチリシャールはおそらく生まれていない。
    • 朝日杯FS(2005年)はスーパーホーネットが勝っていた。
      • フサイチリシャールの生年によってはゴスホークケンは朝日杯FSを勝てなかった可能性がある。ドリームジャーニーは多分勝てそうだが。
  3. ユキチャンとソダシは史実通りに生まれていただろう。

さ行[編集 | ソースを編集]

サクラロータリー[編集 | ソースを編集]

  1. 牡馬クラシックを一つか二つは制していただろう。
    • 逆にサクラスターオーはクラシック1勝にとどまり、杉本清の「菊の季節にサクラが満開」という名実況も無かった。

サクラローレル[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞あたりでナリタブライアンの三冠を阻止していた。
    • よって杉本清の名実況「弟は大丈夫だ!」もなかった。
  2. 凱旋門賞にも予定通り参戦した。

サッカーボーイ[編集 | ソースを編集]

  1. オグリキャップ・イナリワン・バンブーメモリーと熱戦を繰り広げていた。
  2. 1990年末で引退の場合、キョウトシチーとゴーゴーゼットは生まれなかったか、生年が数年遅れていた。

サニーブライアン[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞も逃げ切って三冠達成。有馬記念と翌年の春の天皇賞も逃げ切り勝ち。夏場休養してオールカマーを勝った後、宝塚記念勝ち馬であるサイレンススズカと、秋の天皇賞で「逃げ馬決戦」として盛り上がった。
    • 菊花賞のトライアルは惨敗して、人気を落とすのも忘れずに
    • 仮に三冠を達成しても、下の世代が強力なのでミスターシービー(1世代下にシンボリルドルフ)のような成績になったかもしれない。
    • マチカネフクキタルは種牡馬になっていたか?

シーザリオ[編集 | ソースを編集]

  1. 秋華賞も勝っていた。
  2. 古馬戦線からはディープインパクト、ハーツクライ、ダイワメジャー等を相手に激戦を展開していた。

シルバーステート[編集 | ソースを編集]

  1. 3歳時に故障していなかったらクラシック三冠全てに参戦、いずれかは取れていた。
    • 福永騎手は史実(2018年のワグネリアン)より2年早くダービージョッキーになれていた可能性もあった。
  2. 2度目の屈腱炎が起こらなかった場合、2018年7月時点で競走馬を続けている。
    • キタサンブラック引退後の古馬戦線での主役だっただろう。
  3. G1での勝ち鞍がNHKマイル、菊花賞、天皇賞春いずれかのみの場合種牡馬入りできていたかどうかは微妙。

シンハライト[編集 | ソースを編集]

  1. 秋華賞も勝って二冠達成。
    • ヴィブロスの影が薄くなっている。
  2. 一つ下のソウルスターリング、場合によっては二つ下のアーモンドアイとも対決していた。

た行[編集 | ソースを編集]

タニノギムレット[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞にも参戦していた。
    • 菊花賞のノーリーズンは蛯名正義に乗り替っていた。
      • 勿論、スタート直後に落馬することも無い。
  2. 種牡馬入りが遅れたため、ウオッカの産まれた時期が1~2年後になる。
    • その場合、ダイワスカーレットとぶつからないためGⅠを8勝以上した可能性がある。ただブエナビスタとぶつかった場合は結局同じぐらい?

ダイワスカーレット[編集 | ソースを編集]

  1. ドバイ遠征で善戦、その後宝塚記念を逃げ切り、秋の天皇賞ではカンパニーに勝ってた可能性大。また、エリ女に出てたらあんな大荒れにはならずブエナビスタを完封して勝ってたかも。そして有馬記念を連覇し、牝馬としてGI7勝を果たす。
    • この場合、オルフェーヴルの期待度が落ちる(忠実では2009年の春秋グランプリは全兄のドリームジャーニーが勝ったため)

ダンスインザダーク[編集 | ソースを編集]

  1. 古馬戦線でも健在。菊花賞以外でG1勝利を挙げていた。
  2. 同期のライバルはエアグルーヴと同じサンデーサイレンス産駒のバブルガムフェロー。
  3. 種牡馬入りが遅れ、サンデーサイレンスの産駒種牡馬として初のGⅠ馬を出す種牡馬ではなくなっていた可能性も。

ダンツシアトル[編集 | ソースを編集]

  1. 1995年秋のローテーションは京都大賞典→ジャパンカップ→有馬記念となっていた。
    • 1995年当時、外国産馬は秋の天皇賞に出走できなかったので。
  2. 翌年も現役を続行していた。
  3. 種牡馬としての成績も史実よりは良くなっていた…かも。
    • そもそも九州で種牡馬入りしなかった?

ツルマルツヨシ[編集 | ソースを編集]

  1. トウカイテイオーに次ぐシンボリルドルフの代表産駒となっていた。
  2. テイエムオペラオーの勝ち数は史実よりも減っていた。

ディープブリランテ[編集 | ソースを編集]

  1. GIをもう1勝か2勝はしていた。
  2. ゴールドシップのライバルになっていた。その代わりフェノーメノの影が若干薄くなるかも…。
    • もしフェノーメノの成績が史実通りだった場合、2012年世代はますます最強世代と言われるようになった。
  3. 種牡馬入りが数年遅くなるので、セダブリランテスはおそらく生まれていない。

トーホウジャッカル[編集 | ソースを編集]

  1. キズナやトウカイテイオーに並ぶアイドルホースになっていた。
  2. 主戦騎手である酒井学の知名度も上がっていた。
    • 古馬戦線では武豊に代わった可能性も。
  3. 皐月賞も制していたら「馬と調教師がそれぞれ父子で三冠」という快挙を成していた。

トウカイテイオー[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞も勝ち、親子で牡馬クラシック三冠を達成していただろう。
    • レオダーバン(史実の菊花賞勝ち馬)は下手したら種牡馬にすらなれなかった。
  2. 古馬になってからも順調に成績を伸ばしていたら、4歳秋以降に海外遠征を行っていたかも?
    • 実際には春の天皇賞での故障の影響で実現せず。

ドゥラメンテ[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、2016年の凱旋門賞(シャンティイ)に挑戦で来た可能性大。そしたら、その年のダービー馬であるマカヒキと肩を並べていた。
  2. ダービー後に故障してなかった場合はキタサンブラックの出世が遅れた。
    • 凱旋門賞(2015)に挑戦してたら、トレヴが3連覇してた気がする。
    • 宝塚記念のファン投票で6位になることはなかった。
      • サイレンススズカは6位だが、当時はまだ上がり馬扱いされていたし、こちらは現役最強扱いされてたので
    • キタサンブラックは少なくとも2016年のジャパンカップと2017年の天皇賞秋は勝てなかった可能性がある(ドゥラメンテが凱旋門帰国後にJC参戦し、5歳で春ドバイ、秋国内専念と仮定)
  3. キズナやトウカイテイオーに並ぶアイドルホースになっていた。
    • 人気の背景に血統要素が大きかった両者に勝るとも劣らない血統的魅力があっただけにちょっと惜しい。
      • メジロマックイーンのように、代を重ねての血統背景は意外と受けが悪いのかもしれないけど。
    • その分、アオシマバクシンオーの絶叫が、限度を超える。
  4. タイトルホルダーの生まれ年はずれていただろう。とすると、2021年の菊花賞はオーソクレースが取っていた?

なは行[編集 | ソースを編集]

ネオユニヴァース[編集 | ソースを編集]

  1. 2005年ぐらいまでは現役を続けていた。
    • ゼンノロブロイの2004年秋のGI3連勝もなかった。
  2. 種牡馬入りが数年遅くなるので、ロジユニヴァース・アンライバルドは生まれていない(ヴィクトワールピサは史実通りか)。
    • 皐月賞はトライアンフマーチかセイウンワンダーが、ダービーはリーチザクラウンかアントニオバローズが勝っていた。

ハーツクライ[編集 | ソースを編集]

  1. ジャパンカップ・有馬記念でディープインパクトと再び好勝負を展開していた。
    • もしJCを勝って有馬に臨んだ場合、二連覇(ハーツ)vs有終の美(ディープ)でかなり盛り上がっていた。
      • 有馬記念当日の中山競馬場の入場人数が前年に比べて激減することも無かった。
  2. おそらく2007年も現役を続行していた。
    • アドマイヤラクティやウインバリアシオンなどの生年は1年ずれていたかも。
    • ジャスタウェイは史実通りか。

バブルガムフェロー[編集 | ソースを編集]

  1. 皐月賞かダービーのいずれかは勝っていた。

ピースオブワールド[編集 | ソースを編集]

  1. 2003年の牝馬クラシックでスティルインラヴ・アドマイヤグルーヴを相手に激闘を繰り広げていた。
    • スティルインラヴは牝馬三冠を達成できなかったかも。

フジキセキ[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも皐月賞・ダービーの二冠は間違いなく取れていた。
    • ただ菊花賞は史実通りマヤノトップガンが勝っていたかもしれない。
  2. マヤノトップガンが終生のライバルになってた。
    • サクラローレル、マーベラスサンデーも。
  3. 史実より種付け頭数が減り、史実ほど成功できなかった可能性も。

ま行[編集 | ソースを編集]

ミホシンザン[編集 | ソースを編集]

  1. ダービーも勝利して父子三冠馬になっていた。
    • 内国産種牡馬が現実より早く再評価されていた。
    • 柴田政人騎手は史実(1993年のウイニングチケット)より8年早くダービージョッキーになっていた。
      • よって「ダービーを勝てたら、騎手をやめてもいいくらいの気持ちで臨みます」(本人談)→「柴田政人、ダービー勝ったら騎手引退」(新聞記事) という展開は起こらなかった。
    • 史実通りダービーが重馬場だった場合は勝てなかった可能性が高い(ミホシンザンは道悪が苦手だった事と勝ったシリウスシンボリは重馬場を得意としていたため)。

ミホノブルボン[編集 | ソースを編集]

  1. ジャパンカップでトウカイテイオーや海外の強豪と戦っていた。
    • 但し勝っていたかは微妙。この年のジャパンカップの外国勢は「史上最強メンバー」と評されるほどだったので…。
  2. 1994年か1995年ぐらいまでは現役を続けていた。
  3. 種牡馬として中央競馬の重賞勝ち馬を出せていたかもしれない。

やらわ行[編集 | ソースを編集]

ヤマニングローバル[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年のGIを2つは勝っていた。
    • さすがに菊花賞のメジロマックイーンには勝てないまでも、皐月賞・日本ダービーは狙えたかもしれない。
    • 古馬まで活躍していたら…でもあの世代の前後も勢ぞろいだしな。
  2. 種牡馬としても史実より遥かに多くの活躍馬を産み出していた。
    • トウショウボーイ→ミスターシービーの父系はもう少し続いていただろう。

リオンディーズ[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞は間違いなく取れていた。
    • その場合「サトノ」冠はいまだクラシックには無縁だった。
      • 或いは天皇賞秋で勝ち鞍を獲っていた。
  2. 古馬戦線からは1歳上のキタサンブラック、同期のマカヒキ、サトノダイヤモンドと熱戦を展開していた。
    • その場合だと賞金総額(ボーナスを除いて)1位は今尚テイエムオペラオーのまま。
      • 少なくとも2017年の天皇賞秋はキタサンブラックは勝利できなかっただろう。シュヴァルグランもジャパンCを勝てたか微妙。
  3. 凱旋門賞にも参戦していた。
  4. 兄弟をみる限り、気性の悪さが出て秋以降伸び悩んだ可能性も否定できない。

レーヴディソール[編集 | ソースを編集]

  1. 桜花賞と秋華賞は間違いなく勝っていた。
    • オークスも勝っていたら2年連続で三冠牝馬が生まれていた。ジェンティルドンナも史実通りなら3年連続で三冠牝馬ということに…。
    • マルセリーナ・エリンコート・アヴェンチュラの影が薄くなっていた。
      • ディープインパクト初のGI馬はリアルインパクトになり、デュランダルは種牡馬として注目されないまま消えていた。