もしあの競走馬が長生きしていたら

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ウマ娘 プリティーダービーに関する記述はお控え下さい(史実が変化していれば確実に設定も変わっていたため)。
  • 新規項目を立てる場合は、死去した順にお願いします

1980年代以前没[編集 | ソースを編集]

トキノミノル[編集 | ソースを編集]

  1. 60年代前半において日本最強の種牡馬となる。
  2. 史上初の無敗の三冠馬となっていた。
  3. 共同通信杯は「トキノミノル記念」に改称されていた。
    • 史実とは逆に、共同通信杯が副題扱いになっていた。

テンポイント[編集 | ソースを編集]

  • case1 故障しなかった場合
  1. 予定通り海外に進出するが、微妙な結果に終わる。
  2. 種牡馬入りするも、産駒は大成せず。生まれ故郷で余生を過ごす。
    • TTGの残り2頭からはG1馬出てるから、1頭くらいはG1馬が出たかもしれない。
    • ネヴァーセイダイ系が長持ち……したとしても21世紀まで持つかどうか。
  3. 明石家さんまによって「ネタ」にされる事も無かった。
  4. 顕彰馬にはなっていなかった。
    • 同馬の人気を考えると史実通りな気もするが…。
  5. ハンデキャップの見直しがなされず、他の競走馬で同様の悲劇が起きた可能性も。
  • case2 史実同様に故障したが、治療に成功した場合
  1. ドキュメンタリーが制作され、ハイセイコーに匹敵するアイドルホースとなった。
  2. 競馬ブームの到来が早まった。
  3. トウショウボーイと同じく、1984年に初代顕彰馬になった。

ファンタスト[編集 | ソースを編集]

  1. 菊花賞後は中距離路線を歩んでいたかもしれない。
  2. イエローゴッドの後継種牡馬として数頭ぐらいは活躍馬を出していた。
    • クリスタルグリッターズより先にレッドゴッド系の種牡馬が導入されていた。
      • あるいはブラッシンググルームそのものが日本に来ていた?

シャダイソフィア[編集 | ソースを編集]

  1. 同期のダイナカールと共に牝馬路線の中心となっていた。
  2. 同じ牝系にあたるアンティックヴァリューは輸入されないため、ベガとその一族は産まれなかった。
    • あるいは“シャダイソフィアの1990”がベガと名付けられていた。
  3. ギャロップダイナは史実よりやや知名度が下がっていた?

キョウワサンダー[編集 | ソースを編集]

  1. 産駒が牡馬1頭のみになることはなかった。
  2. 牝馬を産んでいたらもう少し牝系が伸びていたかもしれない。
  3. それでもゼダーン系は史実通り?

サクラスターオー[編集 | ソースを編集]

  1. パーソロン→サクラショウリ→サクラスターオーの父系がもう少しは続いていた。
  2. 平井雄二調教師は1990年代に重賞の一つは勝っていただろう。
    • 2006年のサチノスイーティー(アイビスサマーダッシュ)で19年ぶりの重賞勝利という事態にはならなかった。
    • 1987年の有馬記念を勝っていれば、その年の最優秀父内国産馬になっていたかもしれない(史実では天皇賞春を勝ったミホシンザン)。
      • ただ「前年未勝利(ながら受賞していた)から復活して天皇賞春を取った」ミホシンザンとは票が割れたかもしれない。
      • 奇跡の復活という意味では(皐月賞から中7ヶ月で菊花賞を制した)スターオーも同じなんだけど、「シンザンの最高傑作」という意味ではやはり贔屓してしまう人は多かっただろう。

マティリアル[編集 | ソースを編集]

  1. マイル中距離路線でオグリキャップのライバルとして立ちはだかっていた。
  2. 種牡馬としても活躍馬を出していたと思う。
  3. 上記のサクラスターオーやゴールドシチーも健在だった場合87世代が「悲劇の世代」と呼ばれることはなかった。

フェートノーザン[編集 | ソースを編集]

  1. 予定通り無事に種牡馬入りしていた。
  2. 種付け数次第にはなるが、父と同等の活躍馬を出せていたかもしれない。

1990年代没[編集 | ソースを編集]

メルシーアトラ[編集 | ソースを編集]

  1. 1993年ぐらいまでは現役を続けていた。
    • 流石に弟のメルシーステージとの対決は実現しないか。
  2. 同期のメジロ3頭に勝てていたかは微妙なところ。
  3. サウスアトランティックの後継種牡馬になれたかも。

ケイエスミラクル[編集 | ソースを編集]

  1. 1993年ぐらいまではマイル・短距離戦線で活躍していた。
    • ニシノフラワー・サクラバクシンオーの戦績がもう少し下がっていた。
    • 92年の安田記念はケイエスミラクルが制していたかもしれない(史実ではヤマニンゼファーが勝利)。
      • その場合、鞍上の田中勝春は2007年の皐月賞(ヴィクトリー)までGIを勝てないままだったかも?
    • ダイタクヘリオスのライバルとしても扱われていた。
  2. 種牡馬としても活躍馬を出していただろう。
    • ダイイチルビーとの間にも産駒を出していた。
  3. 馬なり1ハロン劇場の初期を飾ったヘリオス・ルビー恋物語において悪役キャラにされていた公算が高い。
  4. 父親のスタッツブラックホークが輸入されていたかも。
    • その場合、ブラックホークがヌレイエフ産駒と思われない可能性が高まった?
    • 母親の従兄弟であるクラフティプロスペクターの導入はさすがにないか。

ヤマトダマシイ[編集 | ソースを編集]

  1. 1993年の牡馬クラシック戦線でビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットと激闘を繰り広げていた。
    • 驚異的な末脚でタイトルを取っていたら「これが大和魂だ!」と実況で叫ばれていた。
  2. 2010年代に重賞を4勝したガルボの母親の名前が変わっていた。
  3. 藤沢調教師のスタイルが変わらなかった可能性あり。

イージーゴア[編集 | ソースを編集]

  1. それでも父系を繋ぐレベルの産駒が出たかは微妙。
    • アンフィトリオン(父の父がサンデーサイレンス、母の父がイージーゴア)のような例は増えたかもしれない。
  2. 史実より多くの産駒が日本に輸入されていた。もしかしたら日本で重賞を勝つ産駒が現れたかも。

ライスシャワー[編集 | ソースを編集]

  1. ここまで人気が出ることはなかった。
  2. 種牡馬としては不振な成績に終わった。
    • それでもリアルシャダイの父系は2010年代も続いていた。

ワンダーパヒューム[編集 | ソースを編集]

  1. 仮に無事だったとしても、京都牝馬特別で大負けしていたら現役引退となっていただろう。
  2. 弟のワンダーファングがレース中に亡くなることも無かった…かも?

ホクトベガ[編集 | ソースを編集]

  1. 予定通り引退し、欧州で繁殖牝馬入りしていた。
  2. 横山典弘がマスコミ不信になることはなかった。
  3. 1997年のドバイワールドカップがスコールで順延にならなかったらこうなっていた?

エリモダンディー[編集 | ソースを編集]

  1. 1998年の春の天皇賞はメジロブライトじゃなくてこの馬が勝っていたかもしれない。
  2. 同じ厩舎のシルクジャスティスの成績が落ちることも無かった。

ナリタブライアン[編集 | ソースを編集]

  1. 産駒から重賞馬を出していた。
  2. 後継種牡馬もおそらく出ていた。
    • ビワハヤヒデをして重賞ウイナーゼロだった事を思うと怪しい気もするが。
  3. 早田牧場の経営状況はもう少しマシなものになっていた。
    • 早田牧場は現在も存続していたかも。
    • ただ存続した場合、ビワハイジがあれほど繁殖牝馬として成功したかは微妙。
      • 早田牧場からノーザンファームに移動後にブエナビスタを産んだので…。

サイレンススズカ[編集 | ソースを編集]

  1. 1990年後半はおろか、2000年前半まで最強馬として君臨していた。
    • グラスワンダー・スペシャルウィーク・エルコンドルパサー・テイエムオペラオーと競馬史に残る死闘を繰り広げた。
  2. 1998年11月1日の第118回天皇賞(秋)では、実史でゴールに上位入線した馬に対し「中央競馬ワイド中継」で「(タイムで)天皇賞レベルに達していない」と酷評される事も無かった。
    • 同日放送のフジテレビ「スーパー競馬」でMCの斎藤陽子が感極まる事も無く、普通に進行していた。
    • 同じくCX「スーパー競馬」で実況の塩原恒夫の名ポエム「沈黙の日曜日」は生まれなかった。
    • 同レースでの馬連が万馬券にはならなかった(実史の馬連は『6-10』で、1万2210円ついた。当時は馬単・3連複・3連単は無い)。
    • それでもちゃっかりステイゴールドが2着にはなってそう。それでオフサイドトラップが3着。
  3. 最も有力なサンデーサイレンスの後継種牡馬になっていた。
    • そのぶんアグネスタキオンやスペシャルウィークの評価は下がっていた。
      • ステイゴールドは種牡馬入りさえ微妙なところ。
        • 史実通り香港ヴァーズを勝っていれば種牡馬になっていただろう。
  4. 武豊が主戦騎手のままであれば、史実(2013年)よりも少し早くGI通算100勝を達成していた。
    • 武豊がスペシャルウィークを選び、南井克巳が主戦になってたかもしれない。(宝塚記念は南井騎乗)
      • 或いは河内洋。
  5. 死んだ年の有馬でセイウンスカイと超絶ハイペースを展開。
  6. 或いは香港カップを勝っていた。
  7. 最強世代はこちらにシフトしていた。
    • サニーブライアンの項でも言ったけど、この世代、1983年世代に類似したところがあるし、短距離と牝馬に関しては層の厚さは同等以上なので。
  8. アニメ版ウマ娘の展開が変わっていた可能性があった。
    • 変わるとしたら天皇賞秋勝利し現役を継続した場合、勝利してもレース後故障発覚→引退だったり、レース中故障も一命を取り止めた場合はそのまま。
  9. 北杜夫の著書のドクトルマンボウ遺言書の前書きのところでサイレンススズカの安楽死に触れなかった。
    • 正式タイトルは「マンボウ遺言書」。
  10. 故障せず走りきった場合は沈黙の日曜日は栄光の日曜日に変わっていた。
  11. 恐らく無事に種牡馬入りしていたらディープ産駒とスズカ産駒がGIを盛り上げたかもしれない。
  12. もしかしたら父スズカ譲りの大逃げで人気を博すアイドルホースが生まれていたかも。
  13. 因幡晃は「天馬のように(サイレンススズカ追悼歌)」を歌っていなかった。

2000年代没[編集 | ソースを編集]

シンボリインディ[編集 | ソースを編集]

  1. 2002年ぐらいまでは現役を続けていた。
    • GIは厳しいかもしれないが、GⅡ・GⅢなら複数勝っていたかも。
  2. 産駒からも重賞勝利馬を出していた。

サンデーサイレンス[編集 | ソースを編集]

  1. 今でも産駒が生まれまくっている。
    • 非SS系種牡馬の地位がもう少し上がっていた。
    • アグネスタキオンとマンハッタンカフェはリーディングサイアーになっていない。キングカメハメハは史実通りなっている可能性があるが。
      • 逆にディープインパクトはリーディングを取れなかったかも。

エルコンドルパサー[編集 | ソースを編集]

  1. キングカメハメハと共にミスプロ系種牡馬の先頭に立っていた。
    • キングカメハメハの需要は史実よりやや低下した。
  2. モンジューの産駒とエルコンの産駒で凱旋門賞リベンジマッチ(勿論、鞍上はマイケル・キネーンと蛯名正義)。
  3. ディープインパクト種牡馬入り前まではサンデーサイレンスと熾烈なリーディングサイヤー争いを繰り広げ、ディープインパクト種牡馬入り後はリーディングサイヤーが毎年入れ替わる程の戦いを繰り広げ、日本の血統レベルはさらに向上していた。
  4. ヴァーミリアンの種牡馬としての価値が史実よりも上がっていた。
    • むしろ産駒が増えて種牡馬が増えた結果下がる気がするが。

エアシャカール[編集 | ソースを編集]

  1. サンデーサイレンス×ボールドルーラー系のため、アグネスタキオンのようにダートでも走る馬を出したかもしれない。
  2. 重賞勝ち馬も出したと思われる。

アドマイヤベガ[編集 | ソースを編集]

  1. 同じ父、母父を持つハーツクライの種牡馬成績は下がっていた。
    • シュヴァルグラン、リスグラシューあたりはアドマイヤベガ産駒になっていたかもしれない。

ナリタトップロード[編集 | ソースを編集]

  1. ベッラレイア以外にも中央で重賞馬を出していた。
  2. ディクタス→サッカーボーイの父系は令和の時代でも健在していた。

ラインクラフト[編集 | ソースを編集]

  1. マイル路線でなおも活躍していた。
  2. 産駒からも重賞馬を出していた。

コスモサンビーム[編集 | ソースを編集]

  1. マイル短距離戦線の主役となっていた。
    • ロードカナロアより先に日本馬として香港スプリントを初制覇していたかもしれない。

スティルインラブ[編集 | ソースを編集]

  1. 産駒からG1級の馬を出せていたかもしれない。
  2. 余程の事が無い限り牝系も続いていただろう。

2010年代没[編集 | ソースを編集]

ゴルトブリッツ[編集 | ソースを編集]

  1. コパノリッキー、ニホンピロアワーズ、ローマンレジェンドと共にダート戦線の主役となっていた。
  2. ホッコータルマエのGI(JpnI)勝利数が2つぐらい減っていた。
  3. トーホウジャッカルと並んで、スペシャルウィークの後継種牡馬筆頭になっていた。
    • 2代母がウインドインハーヘアなので、ディープインパクト系との兼ね合いが難しく、そこまで広がりは見せなかったかも。


トレーディングレザー[編集 | ソースを編集]

  1. 日本に種牡馬として輸入されていた。
  2. 東京競馬場の高速馬場化はさほど問題視されなかった。
    • 2018年のジャパンカップは2分22秒~23秒のタイムで決着していた。
  3. ジャパンカップに外国馬が参戦しないといった事態も回避できていただろう。

シャケトラ[編集 | ソースを編集]

  1. 2019年の古馬戦線の主役に躍り出ていた。
    • 天皇賞秋でアーモンドアイに勝利していたかもしれない。
    • 間違いなく天皇賞春には勝利していた。フィエールマンの代わりに凱旋門賞へ遠征していただろう。
      • フィエールマンは国内に専念、秋はオールカマー→ジャパンカップ→有馬記念というローテをとっていた。

シーオブクラス[編集 | ソースを編集]

  1. もし疝痛を起こさず現役を続行していたらあと1~2勝はGIを取れていた。
    • もしナッソーSに出走していたらディアドラは敗れていた。
    • 凱旋門賞に出ていたら3着ぐらいには入っていたかも。
  2. 疝痛が悪化せずに治療できていたら繁殖牝馬として日本に輸入されていた。

ブルトガング[編集 | ソースを編集]

  1. 姉グランアレグリアの成績を考えればマイル~中距離戦線で主役に躍り出ていただろう。デビュー戦のパフォーマンスを考えれば猶更。
  2. 少なくとも無敗で朝日杯を制覇、コントレイルに皐月賞で勝てた可能性も。ダービーは距離的に厳しいかもしれないが…。
  3. 古馬になってからは安田記念やマイルCSでグランアレグリアとの姉弟対決も実現していただろう。