もしあの航路が廃止されていなかったら
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国内航路[編集 | ソースを編集]
青函連絡船[編集 | ソースを編集]
- 快速海峡廃止後は青春18きっぷ利用者で賑わっていた。
- 特に深夜便は積み残しが多発する。
- 原油高の影響で民間フェリーが撤退していた。
- JR北海道の管轄だった。
- JR貨物かも。青函トンネルで運べない危険物を青函連絡船で運ぶことを検討していたから。
- この場合トラック運転手が主なターゲットとされていた。
- JR貨物かも。青函トンネルで運べない危険物を青函連絡船で運ぶことを検討していたから。
- 快速海峡は存在せず、津軽海峡線は最初から特急だけだった、18切符の特例も無い
- 北海道新幹線開業でJRから分離され、結局第三セクターか民間の運営になっていたかも。
明石海峡フェリー[編集 | ソースを編集]
- 高速1000円割引で大打撃を受けていなければほぼ間違いなく生き残っていた。
- 現在でも原付で明石海峡を横断できている。
- その代わり島内での税制優遇は無かった。
宇高連絡船[編集 | ソースを編集]
- 急行便として運航されていた。
- JR四国の管轄だろう。
- バス同様分社化されていた可能性も高い。
- 宇高を結ぶ民間フェリーが消滅していた。
- JRの船で車を運べない場合は少なくともどちらか1社は生き残っている。
仁堀連絡船[編集 | ソースを編集]
- 最長片道切符で四国がハブられることはなかった
- 1時間間隔ぐらいになっていた
- 堀江駅に特急列車が停車していた
- おそらくJR四国の管轄だった
- 広止まりの電車が仁方止まりになる。
- 仁方駅~仁方港間にシャトルバスが走る。
- 船舶は、宇高連絡船廃止後に転属してパワーアップした船になって、所要は1時間くらいになっていた。
- 史実の在来船舶も高速化改造されてた。
- 運営は四国には負担デカすぎるということで西日本。
広島-別府航路[編集 | ソースを編集]
- 柳井寄港は廃止されていたと思われる。
- この場合のルートは「広島-呉-松山-別府」となっていた。
- 大和ミュージアムやてつのくじら館がオープンした際に何らかのキャンペーンを行っている。
- 「坂の上の雲」や「平清盛」といったドラマ便乗型のものも行われた。
- 広島-松山間の高速船同様にPASPYが利用可能になっていた。
国際航路[編集 | ソースを編集]
横浜-シアトル航路[編集 | ソースを編集]
- 東京オリンピックを見越した国産客船建造計画が実現していた。
- 運航主体が日本郵船本体ではなかったかもしれない。
- 70年代後半からは豪華さが最も重視される。
- あるいは旅客輸送が実質的に「貨物のついで」と化している。
- 戦前から見られた貨物船への便乗に近い形態。
- あるいは旅客輸送が実質的に「貨物のついで」と化している。
- ライバルのAPLもまだこの航路を維持している。
横浜-サンフランシスコ航路[編集 | ソースを編集]
- 隼鷹は客船(橿原丸)に再改造されていた。
- オリンピック頃に橿原丸級貨客船が新たに建造されていた。
- 80年代前半頃に橿原丸が引退、その後継として豪華客船の建造か貨物主体の建造かでもめていた。
- 後者の路線が採用された場合、それまでの客船はクルーズ船に再改装されている。
- 橿原丸も保存船になっていた。その時点で客船としての保存か航空母艦としての保存かでもめている。
- APLやOOLも旅客営業を存続させていた。
- 東京-釧路の郵船フェリーは横浜延伸、国際航路接続で存続してる。
- 小笠原航路や博釜航路は郵船直営となっていた。
- 飛鳥や飛鳥Ⅱの船体規模が現在より拡大していた可能性も。
敦賀-ウラジオストク航路[編集 | ソースを編集]
- 日ソ国交回復後に早々と再開される。
- ソ連崩壊直後まではナホトカ発着だった。
- ウラジオストクは海軍基地があり外国人立入禁止だったため。
- 伏木港や新潟港発着のロシア航路に確実に影響していた。
- ロシア極東から京阪神への直行便という位置づけもされる。
- 現在はロシア人観光客の利用が多そう。
- 京都などにロシア人観光客が増えていた…か?
- 敦賀港線はJR西日本が継承していた。
- シベリア鉄道と組み合わせたツアーパッケージが発売されている。
伏木-ウラジオストク航路[編集 | ソースを編集]
- ロシアでの富山の知名度が上がっていた。
- 富山は史実よりさらにロシア人が増えていた。
- 海岸部にロシア人街が出来ていたかも。
神戸-南米航路[編集 | ソースを編集]
- こちらは間違いなく「貨物のついで」での存続。
- 史実でも末期はそこそこ豪華になっていたが結局は存続できず。
- 運賃が安ければ日系人が日本へ出稼ぎに行く際にも用いられる。
- この場合船客の二極化が激しくなっている。
- 往年の客船を意識した何らかの演出がある。
広島-釜山航路[編集 | ソースを編集]
- セールスポイントは「低価格でもそこそこ豪華な旅」。
- 長崎-上海航路を復活させた会社の戦略がこんな感じだった。
- この航路の船が舞台のドラマが韓国で放送されていたら本当に存続できていたかもしれない。
- さらに大きな市場を狙い中国へ延長される。
OOL客船航路[編集 | ソースを編集]
- 主に香港-北米の間を1960・70年代に運航していた。
- 一時期は日本の若者の間で「OOLの客船で旅行した」という経験が一種の勲章のように扱われた。
- 現在は中国大陸にも普通に寄港している。
- 日本郵船のように客船専門の関連会社に委託していた。
- アジアの経済発展に伴い路線が再編された。
- 東南アジアへ行く便も設定された。
- それでも貨物部門のOOCLのような世界規模の路線網にはなっていない。
- 香港が本拠地ということで1回くらいはジャッキー・チェンの映画の舞台になっていた。
- 海上大学船に改装中の「クイーン・エリザベス」が焼失していなかったら一部は現実になっていたかもしれない。