もしあの選手があのオリンピック大会に出場していたら
夏季[編集 | ソースを編集]
土谷和夫→東京(1964年)[編集 | ソースを編集]
- 国立競技場に日の丸が揚がることはなかった。
- 円谷幸吉が自殺することはなかったかもしれない。
松野明美→バルセロナ[編集 | ソースを編集]
- 自分で自分をほめたい(史実の選考で選出された有森の発言)はなかった。
- メダル取れてたら参議院議員転身が早かったか?
千葉すず→シドニー[編集 | ソースを編集]
- スポーツ仲裁裁判所が注目されることはなかった。
- 日本スポーツ仲裁機構設立が遅れたかも。
高橋尚子→アテネ[編集 | ソースを編集]
- 野口みずきが有名になれなかった。
- メダルを撮れたかは微妙か。
田原直哉→アテネ[編集 | ソースを編集]
- エアリアルに転向して2018年の平昌オリンピックに出場することはなかった
- 北京オリンピック前に怪我で現役引退
- 怪我をしてなくても北京オリンピック後に引退していた
棟田康幸→北京[編集 | ソースを編集]
- 石井慧は選ばれなかった。
- 棟田康幸が一度もオリンピックに出れなかった不運な選手になることはなかった
- 北京オリンピックで金メダルを獲得していた
香川真司→ロンドン[編集 | ソースを編集]
- OA枠を除くとアトランタ・シドニーオリンピックの中田英寿以来のオリンピック2大会連続出場となっていた。
- 男子サッカーは44年ぶりのメダルを獲得できていたかもしれない。
井上尚弥→ロンドン[編集 | ソースを編集]
- 少なくともプロ転向は遅れていた。
- 成績次第ではプロに転向せず、実家の塗装屋で働きながらリオオリンピックを目指していたかもしれない。
- いずれにせよ弟のプロ転向は史実通り。
冬季[編集 | ソースを編集]
武田豊樹→長野[編集 | ソースを編集]
- 清水宏保ではなく武田豊樹が金メダルを獲得していたかもしれない
- 競輪選手になることはなかった
森徹→長野[編集 | ソースを編集]
- 金メダルとまではいかなくても、メダルは獲得していた。
- 男子モーグル初のメダルが20年早く出ていた(史実では2018年平昌オリンピックの原大智)。
浅田真央→トリノ[編集 | ソースを編集]
- 落選していたのはたぶん安藤美姫
- 荒川静香が落ちていた可能性もある
- メダル争いにも加わっていた
- オリンピック後、燃え尽き症候群になっていた可能性も否定できない。
- 国際大会で不振→バンクーバー落選→引退
- 秋篠宮家の次女が日本の皇族では始めて(?)となる五輪出場(バンクーバー)を目指し、フィギュアスケートに打ち込む姿が報道されている。
- 女子パシュートの高木美帆と同じポジションだったかもしれない。尤も高木と違って実力はあったので、入賞はできただろうがメダルは厳しかっただろう。
- いずれにせよ、荒川静香が金メダルを取るのは史実通り。
- 上記の通り落選していた可能性もあるが。
- 浅田と代わりに落とされた選手の間に相当な確執が発生していた。
- 悪くすると浅田がその後ヒール扱いされていた可能性もある。