もしあの鉄道施策が○○だったら

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独立済み[編集 | ソースを編集]

現在も続いていたら[編集 | ソースを編集]

国鉄の三等級制[編集 | ソースを編集]

  1. DXグリーン車・プレミアムグリーン車・グランクラスが一等車になっている。
    • TWILIGHT EXPRESS 瑞風・TRAIN SUITE 四季島・ななつ星in九州は全車一等寝台扱いだった。
      • カシオペアも。
    • 新幹線の100系・200系にあったグリーン個室も一等になっていた。
      • 787系のグリーン個室も。
  2. 寝台車は時刻表でSAが一等、A寝台が二等、B寝台が三等になっていた。
  3. どこの列車にも二等車が連結されていた。
    • 地方交通線クラスでは優等車は需要が限られるため、三等車のみだった。
  4. グランクラスが国会議員無料パス適用外にならない。むしろ国会議員は一等車に乗るのが当たり前になる。
  5. 史実以上に格差問題が深刻化する。

コミケットトレイン[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも赤字の削減のため車両は「あすか」から金沢の489系辺りに変更になっていた。
    • 同車両の廃車以降は恐らくは田町の183系や大宮の185系が使用されていた。
    • 少なくとも東海が機関車を嫌う以上、東海道から客車列車が消えた2009年夏出発以降は車両の変更もしくは北陸本線周りへの経路変更を余儀なくされている。
      • 経路変更が行われていた場合、終着駅は新宿になっていた。
        • そのまま国際展示場まで直通させる計画もあっただろうが没になっている。
    • ヘッドマークは「団体」だろうが、事業団の熱量次第ではビッグサイトを模したシールが両端に貼られている。
  2. コミケ自体の一般化に伴い、現在ではある程度は客足が改善している。
    • ただし本来の目的である参加者の交流としての場は失われ、単なる輸送力列車となってしまっている。
    • 天理臨のような「特定時期恒例の増発列車」になっていた。
    • JR東の単独運用となり、始発駅も大阪方面から東北方面へ変更となっている。
  3. ニコニコ超会議号は実現しなかったか、史実通り実現してもすべてミステリートレイン方式だった。

3・3・SUNフリーきっぷ[編集 | ソースを編集]

3・3・SUNフリー切符は近鉄・名鉄・南海のほぼ全線が3日間乗り放題というすごい切符でしたが残念ながら2006年限りで発行を停止しました。もしこの切符が現在でも存在していたら…

  1. 自動改札機にも対応可能なよう、磁気カードとなっている。
    • さらに、マナカ誕生の暁には、ICカード搭載型(PITAPA、manaca保持者向け)を、300円引きで販売。
  2. 2009年3月20日の阪神なんば線開業時に近鉄・名鉄・南海に加え阪神・山陽電鉄全線乗り放題の「3・3・SUNフリー切符KOBE」も発売される。
    • そしてSUN-TVがタイアップ。
    • んじゃ3・3・SUNでなしに「5・5・GOフリー切符」でしょ。
      • それじゃ、サンテレビがタイアップできない……(おっサン涙目。)
    • 阪急も加わるかもしれない。
    • それなら神戸電鉄も利用エリアに入れてあげたらどうでしょうか・・・。
    • 近鉄・名鉄・南海・京阪・阪神・阪急(神戸高速)・山陽・神戸電鉄・泉北・能勢電・大阪地下鉄→大阪メトロ…
  3. 世界のナベアツが広告に登場していた。
  4. 2009年8月の名鉄パノラマカーの引退イベントでは、この切符を使って関西から多くのファンが訪れていた。
  5. 2014年に泉北高速鉄道が南海の子会社になると、泉北線でも使えるようになっていた。
  6. 関東の大手私鉄も似たようなフリー切符を導入していたかもしれない。

操車場方式での貨物輸送[編集 | ソースを編集]

昔、国鉄の貨物輸送は、各地から貨車を操車場に集め、そこから行き先別に振り分け、別の操車場に輸送し、行き先の駅ごとに貨車を切り離す操車場方式が主流でした。しかし、操車場での組み替えに大きな時間、労力が必要で、トラック輸送が普及すると斜陽化が進み、終に1984年2月1日国鉄ダイヤ改正で完全に消滅、鉄道貨物の主流はコンテナに移りました。もし操車場方式での輸送が続いていたら…

  1. (廃止以外で)抜本的な改革が行われる。
    • 操車場のシステムが完全にコンピュータ制御になる。
    • 貨車の台車を新型にし、車掌車の最高速度である85キロで運行できる列車を多く設定する。
  2. 別府鉄道は存続している。
    • 別府鉄道の廃線は高砂線の廃止につられたものなのでそれはない。
      • 高砂線と接続している野口線は廃止されても土山線は残ったのでは?
      • 場合によっては別府鉄道が高砂線を引き継いでいた。
      • 旅客営業は採算が取れなかったので史実通りに廃止されていただろう。
    • というか、多くの私鉄で貨物輸送を取りやめることもなかった。
    • 岡山臨港鉄道も廃線になることはなかった。
  3. 現実では運用を無くし廃車となった色々な車両がたくさん働いている。
    • DD13やEF60も大量にJRへ引き継がれる。
    • 穀物ホッパ車や冷蔵車も現役バリバリ。
  4. 汐留シオサイトなどの操車場跡再開発地域は当然なかった。
    • 流石に都心近辺の操車場は郊外へ移転したと思うが。
    • 新三郷駅や吉川美南駅は開業していない。
    • ららぽーと新三郷はできなかった。
      • 「夢空間」用の24系は別の場所に保存されていた。
  5. 久宝寺駅の構造は現在とは大きく違うものになっていた。
  6. 南海をはじめいくつかの大手私鉄は現在でも貨物輸送を行なっている。
  7. つまり平均速度9.1km/hは変わっていないということだからJR化時に一部を抜いて完全廃業していただろう。
    • さすがにスピードアップしていたのでは。
  8. トラックが道路に蔓延することなく、道路事情の悪化も起きなかった。
  9. 時代の潮流を考えるとコンテナ中心にはなっていただろう。
    • コンテナごとに振り分けする形になれば省力化とセンターの多数配置も両立可能だったと思われる。

荷物・郵便列車[編集 | ソースを編集]

  1. 荷物車や郵便車の多くが淘汰されることはなかった。
    • クモユ143が短命で終わることもなかった。
    • 123系は登場しなかった。
  2. 旅客列車との分離がされていた。
  3. JR発足に際しては荷物列車の管轄を巡って議論となっていた。
    • 史実ではマニ30による現金輸送や後にコンテナで復活する郵便輸送はJR貨物が担っているのでJR貨物の管轄になっていた。
      • このため鉄道荷物会社はJR貨物に承継された。
        • 一般の駅利用者にとってJR貨物がもう少し身近な会社になっていた。
  4. コンテナによる郵便輸送はなかった。
    • それでもコンテナによる輸送がメインになった。
  5. ヤマト運輸をはじめとする宅配業者も荷物車を積極的に活用していた。
    • 専用車両も存在していた。
      • スーパーレールカーゴはこれになっていたか?

東急東横線の女性専用車両平日終日実施[編集 | ソースを編集]

  • 2005年7月から特急などで行われていたが、2006年7月に縮小された
  1. それでも設定車両は1号車に移動。
    • 各駅停車を含む全列車拡大も史実通り行われる。
  2. 東京メトロ副都心線直通実施後は渋谷で一斉に解除される。
    • その場合は元町・中華街行きは朝ラッシュ時以外渋谷からの実施になるのだろうか?
  3. 関東私鉄でも女性専用車両終日実施が広がっていた。
    • 反対派の東急に対する抗議行動が激化する。
      • 相鉄・東急直通線開業後も変更せず他社線に押しつけた場合、相鉄や埼京線、りんかい線の利用客(特に相鉄の横浜駅利用客)から迷惑乗り入れと言われる。
        • そうなれば東急目黒線もメトロ・東武・西武・都営地下鉄・埼玉高速鉄道まで実施に踏み切るかも。


種類別[編集 | ソースを編集]

幹線・地方交通線[編集 | ソースを編集]

格上げ・格下げ制度があったら[編集 | ソースを編集]

1981年に国鉄(JR)路線は幹線と地方交通線に二分されましたが、現在に至るまで輸送実態に合わせることなく、変化していません。もし、JR路線に幹線・地方交通線へ格上げ・格下げできる制度があったら?

  1. JRグループのダイヤ改正時に決められていた。
  2. JR化後に輸送密度を上回った路線のいくつかは幹線に格上げされていた。
    • 武豊線、八高線などがこれに該当した。
  3. 津軽海峡線は開業時から幹線だった。
    • これに合わせて津軽線と江差線が幹線に昇格していた。
  4. 美祢線は貨物列車全廃とともに地方交通線に降格していた。
    • 逆に可部線は短縮した時点で幹線に昇格していた。
  5. 田沢湖線は秋田新幹線のために幹線に昇格していた。
    • JR東日本は地方交通線には優等列車を設定したくないほどなので大いに考えられた。
    • ただ、地域輸送はそれほどでもないので物議を醸したかも。
  6. 地方交通線の設定状況はJR各社の経営状況にも左右される。
    • JR四国は瀬戸大橋線を除いたすべてが地方交通線になっており、JR北海道も札幌近郊の数路線以外はほとんど地方交通線扱いだった。
    • 逆にJR東海に至っては史実より幹線が増えていた。
  7. JR貨物目線だと分かりづらいと取られてしまった。

中間に地方幹線という枠組が設けられていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄時代に設定されている場合、幹線が8000人/日、地方幹線が4000人/日、地方交通線が2000人/日といったところか。
  2. 料金も3段階に設けられていた。
  3. この場合も三島会社は主要路線であっても地方幹線に格下げしていた可能性も。

休日おでかけパス[編集 | ソースを編集]

有効区間が東京近郊区間と同一だったら[編集 | ソースを編集]

前身のホリデー・パスは有効区間が国鉄時代の東京近郊区間とほぼ同一でしたが…

  1. 価格は3000円ぐらいだろうか。
  2. かわりに特急列車や新幹線に乗れなくなったかも。
    • 新幹線が使えた場合、タッチでgo新幹線の範囲と同一になる。
  3. 割引率が青春18きっぷと同じぐらいになる。

台湾の鉄道電化[編集 | ソースを編集]

日本がしていたら[編集 | ソースを編集]

台湾の鉄道電化は当初日本が技術協力する事が有力視されていたのですが、中華人民共和国承認で話がなくなり、イギリスによる工事・南アフリカ共和国イタリアの車両を輸入する事になりました。

もし「政治と経済は別」が貫かれ、日本国有鉄道が電化工事を手伝っていたら?

  1. 踏切にもうちょっと気を配るので、現実に起きた大事故がなかったか小さくすんだ…かもしれない。
  2. 車両は485系457系415系の交流専用タイプ。
    • 電気機関車はED75をそのまま、ディーゼル機関車はひょっとすると現実通りGE製の電気式かも。
  3. 客貨車を自前で造れる能力を手にしていた。
    • 電車・気動車・機関車は全て自前で造れなくとも、ライセンス生産(量産)を出来る様になっていた。
  4. 捷運は1067mm軌間で建設される。
    • 相互直通までするかどうかは微妙(電化方式が違うかもしれない)。交直流車の片乗り入れかも。
    • 少なくとも淡水線や新店線の完全造り直しはない、複線電化するだけ。
    • 現実には廃線になった短距離ローカル線や貨物線が、地元により旅客運営されて捷運化した…かもしれない。
  5. 台湾高速鉄道は地上設備・車両の両方とも日本方式にて、自国産業の集大成として純国産で建設される。

鉄道開業150年記念JR東日本パス[編集 | ソースを編集]

JR全線で使用できたら[編集 | ソースを編集]

  1. JR全線で使用できるので、「鉄道開業150年記念JRパス」になる。
  2. 小田急電鉄や智頭急行もフリー区間になっていた。
  3. サンライズ出雲・瀬戸はノビノビ座席であればこれを使って(4回まで)追加料金無しで乗車することができる。
  4. 私鉄も似たようなフリーパスを発行していたかもしれない。
  5. これを使って新幹線の新函館北斗~鹿児島中央間を乗り通す強者も現れる。
  6. それでも「のぞみ」は使用不可。
    • パスは自由席であれば追加料金無しで何回でも乗れるからのぞみでも使えるのではないだろうか。

鉄道のLCD[編集 | ソースを編集]

国鉄時代に設置していたら[編集 | ソースを編集]

  1. もちろんアナログ式だった。
    • アナログサイネージという名前には…ならないか。
  2. 春の暴動でLCDが毎年破壊される。
  3. 赤字によって一部のスポンサーが打ち切れそう。
  4. 山手線はもちろんの事、中央本線も設置。
    • 場合によっては大阪環状線も。
  5. まだディスプレイとしての液晶技術が出来ていない頃なので非常に難しい。
    • それこそブラウン管テレビを組み込んでいたんじゃないか?
    • 参考までに液晶ディスプレイが登場したのは1982年。
      • という事は、205系から設置か。(やはり山手線から設置かな?)
        • 205系の時点では山手線だけで209系から本格採用となりそう。
          • 205系山手線の第二の人生を送っている埼京線や武蔵野線などもLCDが存在しているだろう。
      • 201系はどうだろう。改造して無理やりLCD普及していたか。
  6. 今頃、新幹線にもLCDを設置していたかも…。
    • 100系車内の速度メーターもLCDになっていたりするかも。
  7. 京阪のテレビカーみたいになっていたか?

JR西日本のLCDがJR東日本並に発展していたら[編集 | ソースを編集]

  1. NHK、毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪のニュースも当然流している。
    • NHKはJR東日本と同じタイプ。

あの鉄道会社がLCDを積極的に設置していたら[編集 | ソースを編集]

JR東海
  1. やはり東海道新幹線がLCDを設置する。
    • …が、どこに設置したらいいのやら…。
  2. 某CMも流している。
  3. 採用は313系3次車から。
    • 5000番台のみになりそう。
    • 実は今でもワンマン対応車には液晶(ツーマン時はお休み)があるのだけど…さすがに含めないよね。
      • あれはどちらかと言うと運賃表ですし…。
  4. CENTRALビジョンになったりして。
  5. 遂に315系に設置されることに。
箱根登山鉄道
  1. 多分、小田急タイプか?
  2. 箱根町・箱根登山鉄道の景色が映る。
    • 恐らく江ノ島のような立場になりそうな気がする。
埼玉新都市交通
  1. 2000系がLCD普及されていた。
  2. ただ、駅が少ないため駅案内は大宮~内宿間すべて表示されていたかも。
関東鉄道
  1. 北関東でもついにLCDが設置されている鉄道がある。
  2. 関東鉄道バスのようなLCDになりそうな気がする。
  3. 流石に竜ヶ崎線には導入されないだろう。
東京臨海高速鉄道

史実では埼京線に設置されていますが、こちらでは東京臨海高速鉄道もLCD設置されている事を想定します。

  1. 埼京線と同じタイプのLCDが設置されている。
  2. 70-000形電車の時点で設置されていたら、山手線タイプのLCDになっていただろう。
  3. こちらも埼京線LCD破壊事件に巻き込まれてLCDが破壊されていた。
    • 70-000形電車運行の時にLCDが破壊されていたなら、史実より早く警備を強化し、埼京線の方は破壊されずに済まされただろう。
  4. 史実では『パッとビジョン』みたいなが導入されました。


東武鉄道の9050系のLCDの故障が少なかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 30000系列以降の車両には全て搭載されていた。
    • 特に50090系には225系のように車内両端にも設置されていた。
  2. 埼京線LCD破壊事件は史実通りか。
  3. 東武以外でのLCD普及も早まっていた。
    • ひょっとするとJR東日本は209系の時点でLCDが設置されていたかもしれない。
  4. シャープが三菱と並びLCDメーカーとして名を馳せる。

JR東日本が中距離電車にもLCDを積極的に設置していたら[編集 | ソースを編集]

高崎線や宇都宮線や東海道線で運用されているE233系電車はE231系電車との併結が考慮されており、制御伝送系の互換性の関係で液晶ディスプレイの使用ができなかったとされている。もし、高崎線や宇都宮線や東海道線にも設置されていたら。

  1. 上野東京ラインのE231系&E233系車両はどうなるやら…?
    • この場合E231系もLCD設置されているが、どっちみちE231系山手線タイプのLCDになるだろう。
  2. 高崎線のトレインチャンネル天気予報は高崎・さいたま・上野か。
    • 宇都宮線は宇都宮・さいたま・上野?
      • 那須塩原は一体どうなるだろう…。
    • 東海道線は東京・横浜・熱海?
  3. 場合によっては横須賀線もLCD設置されていた可能性あり。
    • 下に書いてあるようにE235系1000番台に設置された。
  4. グリーン車にもLCDが設置されているのは確実。
  5. 東武鉄道9050系のLCDみたいにイタズラされていた可能性あり。
    • 埼京線LCD破壊事件以前に破壊された可能性もあり得る。
  6. E235系1000番台で遂に導入されました。
  7. E531系にも導入されていただろう。

音声が流れたら[編集 | ソースを編集]

  1. わざわざ、CMを制作側で編集する事は無い。
    • そもそも字幕は無かったか、あっても耳が不自由な人ための字幕かもしれない。
  2. 自動放送と運転手放送が入る時は音声が小さくなる。
  3. トレインチャンネル天気予報のじぇいわ君は誰が声やっていただろうが?
  4. TBSニュースバードとNHK Pickup NEWSは自局のアナウンサーが喋っていた。
    • 日テレNEWS24も。
  5. 大人の60秒講座はスーパーマリオブラザーズのBGMが流れていただろう。
  6. 多分、音声はそれほど大きくないだろう。
    • その分、低音質かもしれない。(特にE231系500番台)
      • E233系はそれなりに音質は良くなっていたかもしれない。
  7. しかし、うるさくて電車の中でゆっくり出来ないという苦情の声が入っていたかもしれない。
  8. LCDが破壊されても音声は流れている。(実際埼京線がLCD破壊されても映像は流れて続いていた)
  9. 東京でも「囚われの聴衆事件」みたいな訴訟が複数起こされる。
  10. デジタルサイネージはどの画面でも1社の広告が流れるのが暗黙の了解となっていた。(複数社が別々の画面で流すとゲーセン並みにやかましくなるので)
    • もしくはこのタイミングで音声を流すのことが廃止されていた。

E129・E131系のドア上のLCDが2画面だったら[編集 | ソースを編集]

E129系には広告用、E131系には運行情報用のみの1画面しかありません

  1. もちろん新潟地区でも運行情報を流す設備がそなえられていた。
    • E127にもLCDがあったかも。
  2. =千葉地区の系統分割がなかったら。
  3. もしかしたらE131系の窓上にもLCDがあったかも。

京急の広告用LCDが撤去されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 1000形は全て2画面(広告+運行情報)LCDになっていた。
  2. 2画面に戻った際に2画面まるごと運行案内になることはなかった。
    • もしかしたら丸ノ内線のように3画面になっていたかも。

最初からTRAIN TVだったら[編集 | ソースを編集]

2024年以降JR東日本首都圏地区のLCDは番組主体のTRAIN TVに移行しましたが、これが導入当初からこの路線だったら?

  1. ニュースや天気予報が流れないため賛否両論になっていた。
  2. 任天堂の雑学クイズ(ピクミンやマリオ)はTRAIN TVの一部という位置づけになっていた。
  3. バラエティ番組のコラボが多かった。

特定地方交通線[編集 | ソースを編集]

部分廃止が認められていたら[編集 | ソースを編集]

特定地方交通線は原則として線区ごとの廃止ですが、もし、部分廃止が認められていたら?

  1. 函館本線上砂川支線・可部線可部~三段峡間などはこの時点で廃止されていた。
    • 逆に鍛冶屋線は野村(現・西脇市)~西脇間が残った。
      • この場合現実とは逆に加古川線の野村~谷川間が廃止になっていたかも。
    • 江差線の木古内~江差は松前線と同時期に廃止。
    • 札沼線も早期に大学前(現・北海道医療大学)~新十津川間が廃止されていた。
    • 勝田線はどのみち生き残れずに終わりそう。
    • 可部~河戸は残っていそう
  2. この時点で赤字路線をかなり減らしていたので、分割民営化後のJRの経営は現実よりも楽になっていた。
    • 「儲かる路線だけ残せばいい」と言う考えが史実以上に強まるので、民営化以降も合理化を名目とした強引な廃止が相次いだ恐れがある。特に東北や山陰のローカル線が危ない。
      • 「ちどり」が廃止された時点で木次線は廃止。「みよし」廃止時点で広島市の一部区間を残して芸備線は廃止。
  3. 北海道の鉄道網が現実と比べて半分くらいになっていたかも…。
    • 最悪稚内・根室への鉄道はなくなっていた。
    • 3セク転換される路線も現実より多かったかも(現実には北海道ちほく高原鉄道(後に廃止)のみ)。
    • 赤字路線が現実より少ない事から、今のJR北海道の経営危機はなく、単独での維持が困難な路線を発表することはなかった。
  4. 信越本線のような分断路線が他にも何路線か存在する。
  5. 史実では赤字83線で部分廃止対象となったいくつかの路線も廃線になっていた。
    • 三陸鉄道は八戸線の鮫から前谷地(場合によっては石巻線も継承?)までの長距離路線だった。
  6. どさくさ紛れで幹線の支線も同時期に廃線となっていた。
  7. 並行道路不整備を理由に廃止を免除されたいくつかの路線は部分廃止されていた。
    • 並行道路要項というよりはピーク時乗客要項のほうが大きいだろう。それでも石北本線や宗谷本線は国防云々で残っていた可能性がそれなりに高そうだが。
  8. 中村線は予土線のために窪川-若井間は存続させていた。
    • 青春18きっぷ利用者が土佐くろしお鉄道の運賃を取られずに済んだ。
  9. 弥彦線東三条 - 越後長沢間と播但線飾磨港 - 姫路間は特定地方交通線の取り組みで部分廃止された路線とみなされていた。
    • 内子線五郎 - 新谷間も。
    • 七尾線の和倉温泉(もしかしたら七尾)~輪島も。
  10. 幹線・地方交通線の判断も区間別でされていた。
  11. 下手すれば県境区間を中心に信越本線のように幹線の分断が相次いでいた。

貨物輸送実績もカウントしていたら[編集 | ソースを編集]

  • ちなみに、夕張線(当時)と美祢線は旅客輸送密度が4000人/日未満であったが、貨物輸送密度が4000トン/日以上であったためそもそも幹線扱いされ廃線を免れている。
    • また、第一次特定地方交通線では石炭輸送量要項(72万トン以上)があり、幌内線・歌志内線が外されている(二線とも第二次で廃止)。
    • 旅客1人/日=貨物1トン/日とみなします。
      • 特定地方交通線のボーダーが4000人/日であることを考えると0.5トン/日のほうが妥当か?
  1. 清水港線がもしかしたら廃止を免れていたかもしれない。
    • 伊勢線も。
    • 樽見線はどうなんだろ?指定されたとしても、第三次になっていた可能性はありそう。
      • 神岡線は…相当厳しそう。
    • 清水港線が残っていればJR化後に三保の松原へのアクセス路線としてある程度まともに整備されていた。
      • 清水港線の路線は2020年代にも普通に残ってると思うけどあおなみ線のように第三セクター化されていたかもしれない。
  2. 大勢にはほぼ影響なし。

基準が輸送密度2000人/日未満だったら[編集 | ソースを編集]

基準となる輸送密度は4000人/日未満でしたが、これがJR北海道が単独で維持する方針である輸送密度が2000人が基準だったら

  1. この場合第3次廃止対象路線の大半がJR線として存続することに。
    • 1961人の鍛冶屋線が史実以上に揉めた可能性大。
  2. 伊田線・田川線が2000人を上回っており、この場合平成筑豊鉄道が誕生せず糸田線が鉄道廃止の憂き目にあっていた。
  3. 当然予測輸送密度2000人以上の鉄道建設公団建設線も建設が続行され、井原線や智頭線がJR線として開業していたかもしれない。
    • 鹿島線(鹿島神宮~水戸間)、呼子線、宿毛線(輸送密度は2900人で微妙だが)もJR線として開業していた。宮福線と阿佐西線や高千穂線や盛り線もJR線として開業していたかもしれない。
  4. 幹線の認定水準は4000人以上になっていたかもしれない。

行われなかったら[編集 | ソースを編集]

特定地方交通線は国鉄再建法の下で行われたものであり、国鉄分割民営化とは別の政策でした

  1. さすがに全線存続は難しいだろうから民営化時にいくつかの路線は廃止された。
    • 経営が比較的マシな本州3社(特に東海)は廃止するにできなかった可能性も。
  2. JRの経営は現実より厳しく少なくとも完全民営化は出来なかった。
  3. 新潟鉄工所や富士重工業のレールバスが全国各地で走らなかったかもしれない。
  4. 1980年代以降に第三セクターとして開業していた路線はどうなっていたのであろうか?
    • 智頭線、井原線、北越北線、鹿島線(鹿島神宮~水戸間)などのように比較的に採算の見込みがある路線だけが開業していたかもしれない。
    • 新線建設だけは凍結→受け皿の3セク会社をつくり既存区間も引き受けという可能性が高いかな。
      • 丸森線は電化開業を待ってから阿武隈急行に編入とか。

対象としては除外されたが地元が引き受ければ経営転換が可能だったら[編集 | ソースを編集]

岡多線は廃止対象前から地元が引き受けを表明していた

  1. 大湊線が南部縦貫鉄道になっていた。
    • 相模線が相鉄になったか微妙だが。
    • 八高北線や久留里線も可能性としては案外ありそう。
  2. 会社発足時点で七尾線がのと鉄道に、山田線が三陸鉄道に移管されたかもしれない。

毎年輸送密度を計測していたら[編集 | ソースを編集]

松前線は1980年度・81年度は除外条件(平均乗車距離30km)を満たしていたものの、基準期間内(1977~79年)は29.8kmとわずかに及ばず廃止されました。

  1. 「乗って残そう運動」が少しは成果を上げていたか?
    • それでも10年も続くかどうかは微妙。
  2. 狙うとしたらピーク時乗客1方向1000人か、平均乗車距離で除外を狙っていた。
    • 「そもそも本数が少ないので乗るに乗れない」という問題もあったかもしれない。
      • 勝田線とかは結局廃止に追い込まれていただろう。
    • 下の広尾線のように「買って残そう運動」になっていた可能性も。
      • もっともそれを何年も続けられるかというと微妙だが。
  3. 逆に特定年度は満たしていてもそれ以外の年度で満たしていなければアウトとかもやってそう。国鉄の場合。
    • その場合松前線はやはり77年~79年の乗車距離を理由に廃止される。
  4. 広尾線が幸福~愛国間の切符を全国で販売して要件を満たそうとするも、結局(ry

昭和40年代に行われていたら[編集 | ソースを編集]

赤字83線の取り組みが行われた昭和40年代に行われていたら?

  1. いくつかの路線は貨物のために第3セクターに転換された。
    • 北海道の多くの路線は第3セクター化された。
      • 現在では廃線が議論されていた。
      • 殖産目的で鉄道がもっと必要ということになり、結局…あれ?
  2. 鉄道公団による新線は第3セクター路線として開業していた。
    • 気仙沼線、岡多線、伊勢線などは第3セクター路線として開業していた。
  3. 赤字83線同様、昭和40年代後半には終息していた。
  4. 田中角栄が総理大臣にならないか、なっていたとしてもオイルショックが史実より早く発生して日本列島改造論ができなければこうなっていただろう。

代替道路未整備要項が除外ではなく猶予だったら[編集 | ソースを編集]

  • 特定地方交通線の除外要件に「代替道路が未整備or雪で寸断される期間が年10日以上」というものがありましたが、これが除外ではなくあくまで「猶予」だったら?
    • 深名線は第二次特定地方交通線に指定されながらもこの要件に当てはまっていたため廃止を免れていたが、整備が完了したため1995年に廃止された。
  1. 岩泉線は早ければ2000年代初頭には廃止されていた。
    • 名松線も近い期間に復旧されることなく廃止されていたかも。
    • これらの路線のように、災害が起きて運行できない(道路より先に復旧できない)ようなら本末転倒、という扱いで早々に廃止されていたかも。
      • おそらくそれ以外の地方ローカル線にも適用されていた。東日本大震災の時は三陸側のローカル線は早々にBRT化や三陸鉄道への移管が行われていた。
  2. 越美北線は越美南線とセットの第三セクターに移管するよう検討されていたかも。
    • その場合史実の長良川鉄道ではなかった。
    • 単独で第三セクター化していた場合、場合によってはえちぜん鉄道(京福電鉄の福井区間の引き受けとどっちが先かによるが)が引き受けていた可能性も。
  3. この場合「ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1,000人以上」「平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上」「貨物輸送密度が4,000トン/日以上」の路線も下回った時点で廃止になっていたかも。
    • これで除外されたのは宗谷・石北・富良野・札沼・江差・津軽・八戸・五能・米坂・磐越東・烏山・水郡・小海・参宮・姫新・因美・境・福塩・芸備・可部・山口・小野田・香椎・唐津・後藤寺・日田彦山・三角・名松・木次・予土・山田・日南・肥薩・釧網・留萠・日高・大湊・気仙沼・花輪・釜石・北上・大船渡・陸羽西・小浜・吉都・美祢の各路線。

西日本パス[編集 | ソースを編集]

その1:1人でも利用できたら[編集 | ソースを編集]

  1. ビジネスマンの出張に利用されてしまう。
    • でも金曜日~月曜日だけなのでメリットは少ない。
  2. 鉄道ファンが大挙して九州・四国方面への鉄道旅行に出かけていた。
  3. 現実より発売枚数が大幅に増加していた。
  4. 九州方面に行くのに鉄道利用が増加し、飛行機やクルマ利用が減少していた。

その2:利用エリアにJR東海も入っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 東海道新幹線を利用して東京へ行く人も利用できる。
    • 東京~大阪間の航空利用が大幅に減少する。
    • 東京~広島・福岡間でも新幹線利用が増加する。
  2. 伊勢鉄道も利用可能となっていた。
  3. さすがにのぞみは対象外でしょう。

その3:航路やJRバスも利用できたら[編集 | ソースを編集]

  1. JR九州の博多~釜山間の「ビートル」でも使用できる。
    • つまり韓国にも行くことができる。
  2. JR高速バスでも利用できる場合、京阪神~四国方面ではバス利用が多くなる。
    • もちろんJR以外のバスでは利用できない。

その1~その3の条件をすべて満たしている場合[編集 | ソースを編集]

  1. 西日本全域に加え、東京・名古屋・韓国をも網羅した最強の企画乗車券となっていた。
  2. 週末とかには西日本パスの利用客で列車が大混雑していたかも。
  3. 高速道路の混雑緩和に役立っていたかもしれない。

その4:国鉄時代から存在していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄時代には多数の寝台列車が健在だったので、シーズンになると常に満席となり、臨時列車まで設定されていた。
    • 民営化後も寝台列車の廃止は史実より少なかった。

「ハイスクール・フリート」スタンプラリー[編集 | ソースを編集]

京浜急行電鉄での開催だったら[編集 | ソースを編集]

  • クリアファイルを貰うだけならJRを使わずとも京急を使って回ることが可能だったはいふりスタンプラリー、もし本当に京急での開催だったら?
  1. スタンプ用紙の表紙は横須賀中央駅を模したものになっていた。
  2. スタンプ設置駅は京急川崎・横浜・金沢文庫・新逗子・汐入・横須賀中央・京急久里浜・衣笠商店街?
    • みさきまぐろきっぷ辺りと大々的にタイアップしていた。
    • 横浜支社縛りがなくなるので川崎横浜の代わりに三崎口や浦賀に置かれていた可能性も。
  3. たまゆらとのタイアップの如く夏川椎菜が横須賀中央or汐入駅の一日駅長に就任していた。
    • 同時に「High Free Spirits」が汐入駅に期間限定接近メロディとして導入されていた。
  4. 京急側にやる気があれば新1000形の1編成ぐらいにラッピングが施されていたかもしれない。
  5. 刀使ノ巫女スタンプラリーは…京急は鎌倉通らないしJRのままだろうな。
    • ただし横浜支社にノウハウがなくなるので展開が変わっていたかもしれない。
    • よって2018年もスタンプラリーを行っていたはず。その代わりこちらが5月~6月開催になるか、北斗の拳とのタイアップが1ヶ月ほど遅れる。
  6. 当然、久里浜工場公開ではアニプレックスが特別ブースを出展していた。
  7. 2018年以降は駅名標への特別装飾も行われ「屛風浦」「ブルーマーメイド物横丁」みたいな駅名が誕生していた。