もしあの鉄道路線が○○だったら/JR九州

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関門鉄道トンネル(山陽本線)[編集 | ソースを編集]

建設されなかったら[編集 | ソースを編集]

もし現在まで、関門トンネルが存在していなかったら、どうなっていたんでしょう?

  1. 山陽新幹線は下関止まり。
    • 関門橋を使ってほぼ現行ルートというのは?
    • この場合関門橋は現実の瀬戸大橋のような鉄道道路併用橋になっていた。
    • あるいは新幹線だけ関門トンネルが掘られる。
      • 貨物列車を通すため三線軌条で建設され幡生操車場や東小倉駅にアプローチ線が設けられる。
        • ここを走る機関車は直流・交流2万V・交流2万5千V対応の交直両用タイプになっていた。
          • 当初はEF81に準じた車体を持ち重連総括機能も備えた「EF82」が製造されるが、21世紀にEH500とEH800の折衷版とも言うべき「EH510」が登場する。
        • 在来線の旅客列車は東京・関西からの夜行列車が数本通過する程度だった。
  2. 415系はとっくの昔に絶滅。
    • ステンレス車が改造の上細々と福岡近郊で働いている。
    • そもそも九州に415系が入っていたがどうか…
  3. JRになってから関門連絡橋とかが開通。
  4. JR九州内で足を引っ張っていた特急いそかぜが廃止になることはなかったかもしれない。
  5. 寝台特急の横綱は「あさかぜ」
    • 富士?はやぶさ?なは?何それ?
      • 「富士」の愛称は四国行きの特急に使用され続ける。
  6. 下関市の人口はもう少し多くなっていた。
  7. 第2次世界大戦の際に関門連絡船や関森連絡船が米軍に攻撃されていた。
  8. 水底トンネル技術の進歩にはそこまで影響しない。
    • 1930年代の欧米では史実の関門トンネルより長い河口付近を横断するトンネルが存在していた。
  9. 関門橋建設工事が「プロジェクトX」で取り上げられていた。
  10. EF30はなかった。
  11. 関門連絡船の存続によりさらに手狭になるため、下関港自体がもう少し拡充されていてもおかしくはない。

高架橋になっていたら[編集 | ソースを編集]

関門国道トンネル
  1. 当然関門人道トンネルは設置されなかった。高架橋の両脇に歩道が設置されていた。
関門鉄道トンネル
  1. 鹿児島本線の門司駅付近は高架化されていた。
  2. (下関駅と門司港駅が繋がっていたら)門司港駅は高架化されていた。門司港駅は「門司駅」のままだった。
    • 駅舎は一度解体されて、高架工事の進捗に合わせて再建され、そのまま使われている。
  3. 第二次大戦中、米軍によって破壊されていた。
    • こうされないようにするためトンネルにしたはず。だから建設は戦後になる(昭和30年代ぐらい?)。
      • っていうか、そもそも当時はそんな技術は無かったのでは?
  4. 強風によって列車が運休していた。
  5. 第二次世界大戦のさい、小倉が原爆投下候補地にならなかった。(小倉が候補地になったのは、トンネルの中を爆風か吹く様子が見たかったから。)
  6. EF30はステンレス車体にならず、EF81形300番台も製造されなかった。
  7. 下関〜門司間が交流電化に変更されていたかもしれない。
新関門トンネル
  1. 関門橋の下を通っていた。瀬戸大橋のように。
  2. 安全上制限速度を設定せざるを得ないため、輸送上のおおきなネックになっていた。
  3. 結局地上区間で山をぶち抜く必要が生じる。
    • 名称は「門司トンネル」か?

旅客営業が廃止されていたら[編集 | ソースを編集]

2009年3月のダイヤ改正で九州方面に向かう定期夜行列車が全廃されたため、旅客列車に関しては全列車が下関駅で折り返す形態となり、同駅をスルーする列車は貨物列車のみとなりました。下関から九州方面に向かう列車も関門トンネルが直流電化のため新車が投入されない事態となっています。もし山陽本線の下関・門司間の旅客営業が廃止されたら…

  1. 関門トンネルを含む山陽本線の下関・門司間は貨物専用線となる。
  2. 下関―門司間はバス転換される。
    • 運行は西鉄バス北九州とサンデン交通が共同運行。
    • いや、かつてと同じく下関・門司港間に連絡船が就航する(というか既存の航路をJR化する)。船は宮島のと共通になる。
      • 昔の国鉄バスみたいに、「鉄道線の代替」としてのバスになる可能性は?つまりJR九州バスが運行するバス路線だけど鉄道路線と同じ扱い。
  3. 「青春18きっぷ」だけで九州に行くことができなくなる。
    • 連絡船で代替。
    • 山陽新幹線厚狭~小倉間を18きっぷで普通車自由席乗車可能にする。
      • 何故厚狭?ストレートに新下関じゃないの?
      • ただ、新幹線のことだから特急料金程度は徴収するかもしれない(これに関しては北海道新幹線開業後の青函トンネルのケースを見なければ断定できないが)。
        • 北海道新幹線のケースを見る限り山陽新幹線オプション券購入で特例、と言った形が妥当なところか。
  4. 山口県内から北九州市に行くには高速バスがメインとなる。
  5. 下関駅の旅客ホームが行き止まり式となる。貨物線だけが九州方面につながる。
    • 改造するのが面倒くさいから旅客営業を行っていた時代のままだったりして…。
  6. 採算の見込めない山陽本線 新下関~下関間・山陰本線 幡生~長門市がJRから経営分離し第3セクター化する。会社名は『ながと響灘鉄道』。
  7. いっそのこと国道トンネルも廃止して、関門橋の値下げをすればいい。
    • そんなことをしたら関門橋が強風で通行止めの際に車で九州に渡れなくなる。
    • 関門橋と国道トンネルは相互補完関係にあるので廃止という選択肢はありえない。
  8. 関門トンネルを通ることをセールスポイントの一つにした臨時列車が運転される。
  9. JR九州に在籍する415系の廃車ペースが早まる。

下関駅と門司港駅が繋がっていたら[編集 | ソースを編集]

もじこう
Mojiko
門司港
 
しものせき
Shimonoseki
こもりえ
Komorie
  1. 下関駅と門司港駅は移転していた。
  2. 下関は山陽本線の終点駅、鹿児島本線の起点駅となっていた。
  3. 門司港駅駅舎は近代化されていた。
    • そもそも名前が「門司駅」のままだった。当然現実の門司駅は「大里(だいり)駅」のまま。
    • 九州鉄道記念館は別の位置にできていた。
  4. 門司区内は旧門司地区への1極集中が進み、レトロな景観を生かした景勝地区か、黒崎と肩を並べる(あるいは黒崎に次ぐ)副都心となっていた。
    • そのため、都市高4号線の春日ランプ・門司IC付近まで住宅がびっしり。
      • 都市高4号線の開通も史実より早くなっていた。
  5. 市街地が大里付近でいったん断絶し、手向山を過ぎた場所(馬寄など。ちなみによみは「まいそう」)や、吉志(きし)まで旧小倉市になっていた。
    • そして、北九州市に門司市は参加せず、今も門司市が残っていた(人口13~18万人程度か。下手すりゃ特例市)。
    • 田ノ浦・白野江方面に住宅地が形成されていた。
      • 大里方面にもだが。
        • 大里地区がもっと発展していた。
  6. 山陽電気軌道が彦島に路線を伸ばしていた。
  7. 関門連絡船の廃止が早まった。

下関と小倉駅を結んでいたら[編集 | ソースを編集]

ひこしま
Hikoshima
彦島
 
しものせき
Shimonoseki
こくら
Kokura
  1. 下関駅から一直線に南下して、彦島福浦町で潜り、東小倉駅付近で出て小倉駅に至るルート。
  2. 下関と小倉の距離が縮まり、現実以上の発展をしていた。
    • 小倉駅は新幹線,山陽線,鹿児島線,日豊線,山陰線,日田彦山線の列車が乗り入れて九州一の大ターミナル駅に。
      • 機関車交換もここで行うため、昭和40年代までほとんどの客車特急が通過するということもなかった。
    • 両都市の一体化が進み本当に関門合併が実現していたかもしれない。
    • 2,3km縮んだくらいでそこまで変化するか?史実とほとんど変わらないだろう。
  3. 門司駅は大里駅のままだが、旧門司駅(門司港駅)は現実通り改称されていたかもしれない。
    • 門司港駅は今も門司区の中心として君臨する。
  4. 国鉄がJRに転換したときに、下関と小倉の間の彦島福浦地区に彦島駅ができて、住宅地区として発展。
  5. 発展による線路容量の切迫とトンネルの老朽化を背景に、旧トンネルに複線トンネルを二本建設して小倉-川中(山陰本線分岐点)までを複々線化。
    • 史実同様、建設費が問題となってそのままじゃないか?
  6. 北九州貨物ターミナル駅は開業せず、東小倉駅が現在も貨物扱いを行っている。

筑肥線[編集 | ソースを編集]

福岡市地下鉄と直通運転を行わなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 筑肥線は交流電化されていた。
    • 昭和末期に交流電化。811系や813系が投入されていた。
    • あるいは筑前前原までの電化にとどまっていたか?
    • 博多-唐津には転換クロスシートの快速が1時間ヘッドで走り、並行するバスに壊滅的打撃を与えていた。
      • ていうか、実際に地下鉄と直通運転が始まった時に昭和バスに壊滅的打撃を与えたんだけどね。いまでは福岡都市高速ができたから、再び立場が逆転したが。
      • 博多〜姪浜が元筑肥線経由のね。一番多い地域を走るからクロスシートは流石になー。
  2. 門司港発唐津行きの列車も設定されていた。
    • 東唐津」行きでは?唐津周辺の路線再編が実現したかどうか分からないため。
      • もし唐津まで電化されたならば、唐津付近の路線再編は確実に行われているはずだ。
  3. 地下鉄七隈線は建設されていなかった。
    • 何の関係があるの?
      • 博多~姪浜が廃線になってなかったら七隈線は不要。
  4. 状況次第では全線電化され、更に呼子線も実現していたでしょう。
    • 伊万里まで全線電化されたら、松浦鉄道の有田~伊万里間も電化して博多から佐世保まで筑肥線経由の特急が運転されてると思う。
      • 愛称は「平戸」あるいは「ひらど」か?
        • そのルートだと平戸口は通らないので、「からつ」か「いまり」かな・・・
      • ずっと昔には、そのルートを通る急行列車がホントにあったらしい。
        • 実在した。急行「西九州」。
      • 松浦鉄道もJR松浦線のままだったかも。
  5. 福岡空港への延伸はJRの手で行われた。
    • 篠栗線柚須より分岐。
    • 対する西鉄は福岡空港から春日原へ大牟田方面に合流。
  6. 廃止区間の「鏡駅」が残っているせいでらき☆すたファンの聖地に、「柊かがみ」がいるので。
    • 高知県に香我美駅がある。また、福島県いわき市泉駅がある。
      • というわけでそれだけで逝地もとい聖地にされることはない。
    • 地下鉄直通とは無関係に、東唐津は唐津市民から不便であったため唐津へ乗り入れを果たした気がします…
    • JR化後の交流電化と同時に東唐津付近のショートカット化は行われている。よって、電化と同時に旧東唐津駅や鏡駅は廃止されている。
  7. 福岡市営地下鉄は西鉄との直通運転を実施。その際、天神大牟田線と直通するなら標準軌になった。
  8. 一部区間は高架化されている。
    • 博多~姪浜間が高架化。
      • 筑前簑島駅は那珂川に架かる橋上駅として移転、川をまたぐ形で那の川口と美野島口が設置される。
      • 博多~姪浜間、高架化、複線化され同時に新駅が設置。
        • 筑前簑島~平尾(旧筑前高宮)間の日赤通上に日赤通駅。
        • 平尾(旧筑前高宮)~小笹間に平和駅。
        • 小笹~鳥飼間に梅光園駅(または梅光園団地駅)、六本松駅。
        • 西新~姪浜間に原団地駅、かつてあった筑前庄駅を南庄駅として復活。
  9. 西鉄平尾駅と乗り換えられるように改造されている。
    • 大昔(もちろん当時は国鉄だが、)にあったらしいJR平尾駅が復活し、乗換駅として賑わう。
  10. 博多~筑前前原間が複線化され、筑前前原以西は単線のまま。
    • 東唐津駅はスイッチバック駅から高架駅に改築され、山本駅で唐津線と接続。
      • 地下鉄と関係のない唐津周辺のルートは交流電化と同時に現実と同じルートに変更されていた。
    • 現実に筑前前原まで複線じゃないか。唐津まで複線化、と言ってほしかった。
  11. 筑肥線沿線は現在も福岡市中心部の天神などに直通できないままだった。
  12. 誰も書いてないのでひとつ。当然、筑肥線姪浜~博多間は廃止されなかった。(誰か書こうよ!)
    • 書く書かない以前に内容自体が「廃止されていない」ことが大前提に書かれている。すでに「暗黙の了解」?
    • 筑肥線の周船寺以東が福岡市内の区間になっていた。
  13. 同じように既存路線を一部廃止して建設された地下鉄路線である京都市営地下鉄東西線にも影響を与えていたかもしれない。
  14. 1980年頃に、筑肥・唐津線博多~唐津~西唐津間の交流20000V電化が実現した場合、415系500番代の登場が早まった。
    • 415系500番代は、筑肥・唐津線の電化が近づいた頃に登場していた。
      • おそらく、門司港運転区と南福岡電車区に、多数配置された。

鹿児島本線[編集 | ソースを編集]

経営分離が○○だったら[編集 | ソースを編集]

博多~鹿児島中央全区間が分離されていたら[編集 | ソースを編集]

2004年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業に伴い八代~川内間がJRから経営分離された鹿児島本線ですが、もし九州新幹線との並行部分がすべてJRから経営分離されていたら・・・

全般
  1. 鹿児島本線は門司港~博多間と鹿児島中央~鹿児島間に分断されていた。
    • 鹿児島中央~鹿児島間は日豊本線に編入されていた可能性もある。
博多~八代間
  1. 博多~熊本間は新規の第3セクター鉄道を設立して運営するか西鉄が経営を引き受けていた。
  2. 博多~熊本間がJRとは別会社となるため、新幹線に対抗して運賃だけで乗れる快速電車を運行していた。
    • 新幹線より時間はかかるものの、運賃・料金が安いのでこちらを利用する客もある程度いる。
    • 福岡~熊本間高速バス「ひのくに」が打撃を受けていた。
    • 大牟田や荒尾・玉名の各市から博多へは新幹線より在来線の方が利便性は高くなっている。
      • その結果、九州新幹線の熊本以北は現実より利用が低迷していた。
    • 停車駅が少なく最高速度130km/hの特別快速も運転され、博多-熊本を90分で結んでいた。
    • 811系は新設の第三セクター鉄道に譲渡されて快速・特別快速として使用されていた。
      • 後にリニューアルは実施されるものの転換クロスシートのままでリニューアルされていた。
  3. 熊本~八代間は八代以南と同じく肥薩おれんじ鉄道が運営。
    • 三角線も同時に転換されていた。
      • 「A列車で行こう」の種車はキハ47だった。
  4. 長崎本線・佐世保線直通の特急は鳥栖駅から別会社に乗入れて博多駅に向かう形をとっていた。
    • 久大本線直通の特急は久留米駅から(ry
    • 新鳥栖や久留米で新幹線と乗り継ぎする乗客が増えている。
  5. 新八代〜八代間で別料金を徴収されるので肥薩線利用者から大ブーイング。
  6. 上のことを考えると少なくとも熊本までは経営分離したらJR九州にとっても乗客にとっても大きな痛手になっていた。
  7. 久大本線・豊肥本線が小倉総合車両センターへの入出場ルートとして重宝される。
川内~鹿児島中央間
  1. 肥薩おれんじ鉄道は電車を使用していた
  2. 川内以北から鹿児島中央に直通する列車も現実よりは多かった。

荒尾~鹿児島中央間だったら[編集 | ソースを編集]

八代~鹿児島中央
  1. 川内ー鹿児島中央では電車が運行されていたかもしれない。
    • ただしJR九州側の片乗り入れのみ。その他は気動車。
  2. 場合によっては八代ー鹿児島中央間を走る快速列車が運行されていた。
    • 喫茶室を設けた専用車両が開発されていたかもしれない。
  3. 肥薩おれんじ鉄道の経営状態はちょっとだけよかったかも。
  4. 鹿児島本線の終点は八代駅となっていた。
    • 鹿児島中央ー鹿児島間は日豊本線に編入されていた。
    • 「鹿児島まで行かないのに何が鹿児島本線だ」と言われることに。(あれ?現実でも?)
  5. 果たしてフリーゲージトレインの切り替え場所はどこになるんだろうか?
  6. 桜島の火山灰で、より経営が悪化していた。
    • 3.と矛盾している…
  7. 神村学園前駅の開業が早まった。
    • 広木駅の開業も早まる。
  8. もちろん川内-鹿児島中央間にSUGOCAは導入されない。が、RapiCa対応になる可能性はある。
    • 沿線自治体に鹿児島市も加わる(大株主になる)から「市電や市営バス、桜島フェリーではRapiCaが使えるのに、おれんじ鉄道で使えないのはおかしい」と言われてもおかしくない。
八代~荒尾間
  1. 特急有明は九州新幹線開業と同時に大牟田発着になった。
  2. 18きっぱーは阿鼻叫喚。
    • 熊本ー宇土間だけ使えるかも。
  3. 熊本地区にSUGOCAは導入されない。

八代~川内間が廃止されていたら[編集 | ソースを編集]

2004年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業により在来線である鹿児島本線の八代~川内間はJRから経営分離され第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管されました。もしこの経営移管行われず同区間が廃止されていたら・・・

  1. もちろん肥薩おれんじ鉄道は誕生しなかった。
  2. 鹿児島方面に向かう貨物列車は八代から肥薩線を経由するか、小倉から日豊本線経由となっていた。
    • 貨物用に路線だけ残ったりして。
      • その場合、維持コストがかかり過ぎて採算が取れなくなるから結局廃止。
    • 日豊本線経由になれば、小倉~宮崎の貨物ルート復活!やったね!
    • 2020年の豪雨災害で肥薩線の存廃議論が起こることはなく、復旧は自治体負担にもならなかった。
  3. 阿久根市がさらに衰退していた。
  4. 「赤字になると考えられるなら、たとえ幹線でも廃止せよ」と言う風潮がJR内で強まっていた。
  5. 水俣駅に新幹線が直接乗り入れる。もしくは現実の新水俣駅の位置に移転する。

篠栗線[編集 | ソースを編集]

吉塚~篠栗間が複線化されていたら[編集 | ソースを編集]

当初の予定では電化と同時に吉塚~篠栗間も複線化される予定でした。

  1. 特急「かいおう」と快速の所要時間が短縮されていた。
    • 快速が柚須駅に停車することはなかった。

博多への乗り入れが史実よりも早まっていたら[編集 | ソースを編集]

史実では、1911年5月により、鹿児島本線の複線化により、起点が吉塚となり、1991年3月のダイヤ改正により、鹿児島本線が三複線化されたことにより、全列車が博多発着となりました。これが史実よりも早まっていたら…

  1. 遅くても、1985年3月のダイヤ改正までに実施されていた。
  2. 1975年3月のダイヤ改正で実施された場合、キハ66系気動車が史実よりも多く製造されていた。
    • 1980年代に実施された場合、キハ48形気動車が史実よりも多く製造されていた。
  3. 篠栗線における沿線開発が史実よりも進んでいた。
    • 勝田線の列車も博多まで乗り入れたが、廃線となるのは史実通りであったか。
  4. 篠栗線、筑豊本線(折尾~桂川間)の電化が史実よりも早まっていた。

豊肥本線[編集 | ソースを編集]

熊本~水前寺間が先行して電化されていたら[編集 | ソースを編集]

史実では、1999年10月に熊本~肥後大津間が電化されました。

  1. 恐らく国鉄時代に実施されていた。
  2. 特急「有明」が水前寺への乗り入れが一時的に中断することはなかった。
    • 史実では、電化工事のために中断していた。
    • 無論、ディーゼル機関車による牽引での乗り入れはなかった。
  3. 史実通りに1999年10月に水前寺~肥後大津間が電化されていた。

関連項目[編集 | ソースを編集]