もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら
分割済み[編集 | ソースを編集]
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/新幹線
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/東海
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/九州
- もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/二地域以上
北海道[編集 | ソースを編集]
石北本線(上川-遠軽)[編集 | ソースを編集]
- 1980年代
- 石勝線のように高規格路線として建設された。
- 一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
- 上川-遠軽間かな
- 一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
- 遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
- 遠軽駅の位置が史実とずれていた。
- 池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
- 名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
- 網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
- しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
- 北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
- 開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
- 「石北本線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。
- 上川-白滝間に最初から途中駅は無かった。
石勝線[編集 | ソースを編集]
- 昭和10年代
- 建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
- 建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
- 後に複数の慰霊碑が建てられた。
- トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
- 煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
- その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
- 戦後になって長大トンネルを用いた新線が開業したかもしれない。
- 開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
- 滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
- 夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
- 紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
- 1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
- 夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
- 国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
- 北海道最長国道は国道38号だった。
- 国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
- 登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
- 滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
- 開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
- しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
- 仮乗降場扱いの駅も多い。
- 占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
- 追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。
- 昭和40年代
- 特急「おおぞら」の増発と札幌~釧路間における当路線への変更が史実よりも早まっていた。
- キハ80系気動車を捻出するために、特急「はまかぜ」と特急「あさしお」と特急「まつかぜ」はキハ181系気動車に投入されていた。
- 現実の信号場は予定通り駅として開業していた。
- 国鉄末期頃には廃止された。
- 無論、昼行急行「まりも」が多数運行されていた。
- 場合によっては、史実通りに一本での運行に留まっていた可能性もあった。
- いずれにしろ、1980年10月までには札幌経由で函館~釧路間で運行されていた。
- 滝川経由の急行「狩勝」の廃止が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 特急「あおぞら」の札幌~帯広間の増発が史実よりも早まっていた。
- JR化後に特急「とかち」として分離された。
- 南千歳駅の開業が史実よりも早まっていた。
- 南千歳駅で旭川行きのあおぞらと併結分離が行われていた。
- 1975年
- 7月のダイヤ改正で開業していた。
- 特急「いしかり」の新設と同時であった。
- もしくは、3月のダイヤ改正で開業していた。
- 旭川行きの特急「あおぞら」が廃止されていた。
- 後は昭和40年代の時と同じ。
- 急行「まりも」は1978年10月のダイヤ改正で「大雪」、「利尻」と共に20系客車に置き換えられていた。
- 1976年
- 10月のダイヤ改正で開業していた。
- 特急「おき」、「はまかぜ」、「あさしお」、「まつかぜ」の181系気動車(新車製造も含む)への置き換えに伴って、余剰になったキハ80系気動車が運用していた。
- 1975年と同様に昭和40年代の時と同じ。
- 1978年
- 10月のダイヤ改正で開業していた。
- キハ183系気動車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
- もしくは、昭和40年代の時と同様に「おき」、「はまかぜ」、「あさしお」、「まつかぜ」の181系気動車への置き換えにより、キハ80系気動車を捻出し、増発に対応していたか。
- 紀勢本線(和歌山~新宮)の電化により、キハ80系気動車を捻出していたかもしれない。
- 急行「まりも」、急行「大雪」、急行「利尻」が14系客車に置き換えられていた。
- 14系15形客車の増備により、捻出していた。
- 1980年
- 10月のダイヤ改正で開業し、室蘭本線と千歳線の電化と同時であった。
- 北海道においては大規模なダイヤ改正になっていた。
- 千歳空港駅が1979年10月に開業していた。
- キハ183系気動車の登場が史実よりも早まっていた。
- 1978年の時と同様に、急行「まりも」、急行「大雪」、急行「利尻」が14系客車に置き換えられていた。
- 14系15形客車の増備により、捻出していただろう。
札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)[編集 | ソースを編集]
- 1980年代
- 早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
- 1990年頃に開業していた可能性もある。
- 6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
- 1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
- その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
- 6両編成で運行されていた。
- 栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
- 札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
- 8000形電車の登場は史実通り。
- その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)
東札幌-新さっぽろ[編集 | ソースを編集]
- 1990年代
- 当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
- 南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
- 建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。
東北[編集 | ソースを編集]
南部縦貫鉄道[編集 | ソースを編集]
- 大正時代
- 開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
- 後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
- 建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
- 農産物の輸送も行われた。
- 後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
- 多分電化はされていない。
- 七戸駅は町の中心近くに設置。
三陸鉄道[編集 | ソースを編集]
- 1960年代
- 建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
- 太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
- 当然ながら国鉄線として開業している。
- 気仙沼線や八戸線あたりも編入され「三陸本線」になっている。
- 一部区間は現実よりカーブなどが多い。
- 開通した頃は急行が走っていた。
- 列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
- 連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。
仙石線[編集 | ソースを編集]
- 1910年代
- 軌道法に準拠して建設された。
- 仙台駅付近が併用軌道だった。
- 後に高架化もしくは地下化される。
- 戦時買収を免れていたかもしれない。
- この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
- 史実の宮城交通の路線のほぼ全てがこの会社のものになっていた。
- この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
- 仙台駅付近が併用軌道だった。
- 石巻-女川も自力で建設していた。
- 仙台市電との直通も検討される。
- というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
- 国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
- 松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。
気仙沼線[編集 | ソースを編集]
- 1980年代
- 隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
- 旧国名の付いた駅は現実より少ない。
- 震災までは独自のサービスで人気を博していた。
- 「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
- 大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
- 震災の被害により一時は廃止も検討された。
- むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
- 大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
- 史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。
- むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
仙台市営地下鉄東西線[編集 | ソースを編集]
- 2010年以前
史実では2015年12月に開業。
- 遅くても、2010年12月に開業していた。
- 東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。
- しばらく運休になるが、流石に2015年12月よりも前には復旧していた。
仙台空港鉄道[編集 | ソースを編集]
- 1990年代
- 仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
- むしろ、仙台空港新旅客ターミナルの全面完成が史実よりも早まっていた。
- 開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
- 417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
- 大株主に名鉄,そのグループの宮交が。
- 国際ゆめ交流博覧会が開催された1997年春での開業を目標として建設された。
- 2001年
- 同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
- 2000年に開業した可能性が。
- 開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
- 「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。
- 2004年
- 721系電車の登場が史実よりも早まっていた。
- イオンモール名取の開店となとりりんくうタウンの街開きが史実よりも早まっていた。
- 翌年の開業1周年記念には、ゲストとして、東北楽天ゴールデンイーグルスのマスコットキャラクターであるクラッチとクラッチーナが参加していた。
阿武隈急行 (福島~丸森)[編集 | ソースを編集]
- 1887年
- 福島駅付近にある勾配を避けるために建設された。
- 白石経由は1960年代に開通し、同路線経由に変更されていた。
- 当然路線名は「東北本線」。
- 昭和40年代
- 短絡線として、開業し、特急と急行の何本かが当路線を経由してた。
- 無論、電化されていた。
- 岡多線ともに特定地方交通線における電化路線として注目されていた。
甲信越・北陸[編集 | ソースを編集]
万葉線[編集 | ソースを編集]
- 1910年代
- 開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
- いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
- 国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
- 「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
- 場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
- 開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
- 第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
- 現在の名称は「高岡電気軌道万葉線」あたりか。
- 伏木線以外にも廃止になった支線があった。
富山地方鉄道不二越・上滝線[編集 | ソースを編集]
- 1950年代
- この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
- むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。
中国・四国[編集 | ソースを編集]
予土線[編集 | ソースを編集]
- 1980年代
- 第三セクター線での開業。
- 江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
- 会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
- 史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
- 予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
- その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
- 予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
- 一部の駅に凝った装飾が施される。
- 候補:土佐大正、土佐昭和、半家
- 十川に「土佐平成」、半家に「土佐令和」なる副駅名が。
- 候補:土佐大正、土佐昭和、半家
- ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
- 牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
- あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。
木次線[編集 | ソースを編集]
- 1970年代
- 全線が最初から国鉄線として建設された。
- そこまでカーブだらけではない。
- 大東町には寄れていない。
- 島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
- 出雲坂根駅は存在しなかった。
- 三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
- 急行ちどりはもう少し存続していた。
- 備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
- 特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。
水島臨海鉄道[編集 | ソースを編集]
- 1910年代
- 主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
- 倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
- 戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
- 戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
- その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
- あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
- 当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
- 軌間762mmで開業していたかもしれない。
- 軍需輸送のために戦時国有化され、現在でも「JR水島線」となっている。
アストラムライン[編集 | ソースを編集]
- 1980年代前半
- まずは本通-長楽寺が開業。
- 市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
- 開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
- 車両の塗装は白っぽい。
- 祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
- バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
- しかし実際に開業した区間は少ない。
- 1990年頃に西風新都が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。
呉市電[編集 | ソースを編集]
- 1920年代
- 史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
- 軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
- 広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
- しかし開業することはなかった。
- 少なからぬ車両は広島のお古。
- 原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
- 人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
- 広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……
土佐くろしお鉄道[編集 | ソースを編集]
ごめん・なはり線[編集 | ソースを編集]
- 1970年代
- キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
- 奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
- 特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
- 1990年代
- 1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
- 2002年7月に室戸まで開業していた。
- その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
- 奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
- 宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 当路線にTKT-8000形気動車が導入されていた。
- 9640形気動車の一般車は登場しなかった。
- タイガースラッピング列車は2002年頃に登場していた。
宿毛線[編集 | ソースを編集]
- 1970年代
- 窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
- 土讃線に編入されていたかもしれない。
- 中村線が土讃線に編入されていた可能性もあった。
- 特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
- その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
- 中村線が土讃線に編入された場合、中村~宿毛間で宿毛線になっていた。
- 1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
- ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
- 宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
- 宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。
- 最初は地上駅として開業し、のちに高架化されていたかもしれない。
- 宿毛までに乗り入れる特急、急行が史実よりも多くなっていた。
- キハ181系気動車とキハ65系気動車が史実よりも多く増備されていた。
- キハ185系気動車も。
- キハ181系気動車とキハ65系気動車が史実よりも多く増備されていた。
- 場合によっては、中村線の開業が史実よりも早まっていた。
- 1988年
- 中村線が土佐くろしお鉄道に移管されるのと同時に開業していた。
- 1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
- 「南風」、「しまんと」が宿毛までに乗り入れる列車が史実よりも多くなっていた。
- 1994年
- 中村市、宿毛市が市制施行40周年でもあったので、これらの市にとっては、二重の喜びであった。
- 1994年12月のダイヤ改正で開業していた。
- 1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
三江線[編集 | ソースを編集]
- 1980年代以降
- 第三セクター鉄道として開業していた。
- 「三江鉄道」になっていた。
- 「江の川鉄道」だと思う。
- 「三江鉄道」になっていた。
- 観光鉄道として売り出していた。
- トロッコ列車が運行されていた。
- 下手すると通常列車よりイベント列車の方が多そう…
- 広浜線の開業が実現したりして。
内子線[編集 | ソースを編集]
- 1970年代以前
- 最初から、予讃線の一部として、開業し、伊予長浜経由の旧線は長浜支線と名乗っていた。
- 1970年代前半までに開業していたら、急行、特急の増発により、キハ181系気動車とキハ65系気動車が追加として、投入されていた。
- 予讃線の伊予市~宇和島間の電化も実現していたかもしれない。
- 1981年
- 赤字ローカル線の候補に挙がるが、解除されていた。
- 史実とあまり変わりがないか。
井原鉄道井原線[編集 | ソースを編集]
- 1930年代以前
- 井笠鉄道を買収する形で開業していた。
- 1970年代
- 倉敷~清音~矢掛間も国鉄バスの廃止が史実よりも早まっていた。
- キハ40系気動車が運行されていた。
- 吉備線の延長として計画されていたので、吉備線と一体で運行されていたかもしれない。
- 国鉄末期には特定地方交通線に指定されて、第三セクター化されていた。
- 無論、井笠鉄道の廃止が史実よりも早まっていた。
海外[編集 | ソースを編集]
英仏海峡トンネル[編集 | ソースを編集]
- 1890年代
ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。
- オリエント急行はロンドン発着だった。
- 後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
- 途中でロンドン発着とパリ発着を分割併合していたかと。
- 現実より断面が小さい。
- 大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
- むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
- 作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
- むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
- 欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
- もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
- 古くからイギリスと大陸欧州の交通網が統合されるのでBrexitは無かった。
- 1980年代
1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。
- 当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
- TGVは北線が優先的に建設される。
- 日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
- Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
- 日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。
瀋陽地下鉄(中国)[編集 | ソースを編集]
- 1940年代
- 要するに、この計画が実現。
- 北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。
ソウルメトロ(韓国)[編集 | ソースを編集]
- 1930年代
- 御堂筋線の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
- 日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。
- 当然、開業当初の名称は「京城地下鉄」。
- アジア大陸初の地下鉄になっている。
- しかし建設したのが日本なのでソウル市民がそれを誇るかは微妙。
- 規格が銀座線や御堂筋線のような第三軌条式になっている。