もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿/地下鉄

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神戸高速鉄道[編集 | ソースを編集]

1930年代
  1. 神戸市の第三セクター会社ではなく、阪急・阪神の延長線として開業していた。
    • 阪急・阪神と山陽は新開地を境に会社が分かれる形となっていた。
    • 阪急・阪神~山陽・神鉄に乗る場合、3社から2社に減ることから運賃が安くなっていた。
  2. 山陽電鉄の電鉄兵庫駅は戦前に廃止されていたか、三宮方面の線路がここから延長する形で建設されていた。
  3. 阪神大震災で地下トンネルが崩壊することはなかったかも。
    • 実史では戦前に建設された高架橋や地下トンネルは大きな被害を受けなかったため。
  4. 梅田~姫路の直通特急も早期に実現していた。
    • 阪急も直通特急の運行に参加していた。
      • 「省線への対抗」で開業から運行したかもしれない。大阪万博までにカルダン駆動車での運行に統一。
  5. 阪神大水害で浸水し大きな被害を受けていた恐れあり。
昭和30年代後半
  • 当初は東西線は1965年4月に開業する予定でした。
  1. 山陽3000系電車は開業時に登場していた。
    • 阪神5261形電車が史実よりも早く登場し、阪神5231形電車が史実よりも多く製造されていた。
    • 阪急2100系電車と阪急3000系電車・3100系電車も史実よりも多く製造されていた。
      • 阪急1010系電車・1100系電車も史実よりも多く製造されていたかもしれない。
  2. 阪神3601・3701形電車は最初から4両編成で登場していた。
  3. 1966年の姫路博覧会の際には臨時列車が運行されていた。
  4. メトロこうべの開業が史実よりも早まっていた。
  5. 阪神本線と阪急神戸本線の1500Vへの昇圧が1963年に早まっていた。
  6. 山陽電鉄の東二見車両基地の開設が史実よりも早まっていた。
    • 阪神電鉄の石屋川車庫の開設も史実よりも早まっていたかもしれない。
  7. 1966年と1967年における項目の一部が実現していた。
  8. 阪急2300系電車が当路線を乗り入れていたかもしれない。
  9. 1965年の項目と同様に東西線のみでの先行開業していた可能性もあり得た。
  10. 高速神戸~新開地間にデッドセクションが設けられたかもしれない。
1965年
  1. さんちかタウンが鉄道開業と同時に開業していた。
    • メトロこうべの開業も同時に開業していた。
  2. 阪神本線と阪急神戸本線の1500Vへの昇圧が1964年に早まっていた。
    • 阪急宝塚線の1500Vへの昇圧が史実よりも早まっていたかもしれない。
  3. 開業30周年の年である1995年では阪神・淡路大震災でイベントも中止となり、記念乗車券が発行されることもなかった。
  4. 東西線のみで先行開業していた可能性もある。
1966年
  1. 同年開催された姫路博覧会に合わせての開業だった。
    • 大阪方面から山陽で姫路博覧会に行く人などで博覧会の入場者が現実よりも増えていた。
      • それでも姫路モノレールの運命は一切好転しなかった。
    • 阪神・阪急も姫路博覧会のPRを行っていた。
    • 阪急梅田・阪神梅田~山陽姫路間を結ぶ臨時特急が運行されていた。
      • その後も阪急・阪神梅田-山陽姫路を結ぶ特急が運行される。国鉄時代は梅田-姫路間の通し利用者が多かった。
      • その場合は、阪急2000系電車・3000系電車、阪神7801・7901形電車で運行されていた。
        • 臨時特急は博覧会開催期間中での運行に留まっていた。六甲・阪神大石~山陽姫路間の臨時特急も運行されていた。
      • 4月3日に開業した場合、姫路大博覧会の開催日と選抜高校野球の決勝戦であったので、当日は混雑していた。
  2. 阪神本線と阪急神戸線の昇圧は1965年頃に行われていた。
  3. 阪急3000系電車の量産が史実よりも早まっていた。
    • 山陽3000系電車の量産も史実よりも早まっていた。
      • 山陽3000系電車は史実よりも多く製造されていた。その代わりに山陽2300系電車は登場しなかった。
    • 阪神7861・7961形電車と3521形電車の量産が史実よりも早まっていた。
    • 阪急5000系電車の登場も史実よりも早まっていたかもしれない。
  4. 阪神の特急・急行の6両編成化が史実よりも早まっていた。
    • 阪神7801・7901形電車と阪神7861・7961形電車と阪神3521形電車が史実よりも多く製造されていた。
  5. 1967年には日本シリーズのヘッドマークを掲げた阪急3000系電車が走行していた。
  6. 阪急宝塚線の1500Vへの昇圧が1967年に実施されていた。
  7. メトロこうべは1966年9月に開業していた。
  8. この年に放送が開始されていた「ウルトラマン」とのコラボレーションが実施されていた。
    • 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」が公開された2006年と「シン・ウルトラマン」が公開された2022年に実施されていた。
  9. 山陽3000系電車は史実よりも多く製造されていた。その代わりに山陽2300系電車は登場しなかった。
  10. 阪神の石屋川車庫は1965年に開設され、山陽の東二見車両基地は1964年か1965年に開設されていた。
  11. 神戸電鉄粟生線の複線化が史実よりも進んでいた。
    • 西鈴蘭台駅の開業も史実よりも進んでいた。
  12. 神戸電気鉄道1000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
    • 鈴蘭台車両工場・鈴蘭台検車場が1967年に完成していた。
1967年
  1. この年は、阪急千里線の北千里までの延伸開業と阪急ブレーブスのパ・リーグ初優勝という阪急にとっては、輝かしい年であった。
    • 神戸市にとっても神戸港開港100周年という節目の年でもあるので、二重の喜びであった。
    • メトロこうべも1967年9月に開業していた。
  2. 阪神本線や阪急神戸線の1500Vへの昇圧が1966年に早まっていた。
    • 阪急宝塚線の1500Vへの昇圧も1967年に早まっていた。
  3. 昭和42年7月豪雨による被害を受けて、一時不通になっていたかもしれない。
  4. 1966年の時と同様に山陽3000系電車の量産が史実よりも早まり、史実よりも多く製造されていた。その代わりに山陽2300系電車は登場しなかった。
  5. 阪神の石屋川車庫が1967年に完成し、山陽の東二見車両基地が1965年に完成していた。
  6. 須磨離宮公園が開業したのと同時期でもあった。
  7. 神戸電気鉄道1000系電車の量産が史実よりも早まっていた。
    • 鈴蘭台車両工場・鈴蘭台検車場が1968年に完成していた。
1990年代
  1. 建設理由は阪神大震災の復興。
    • 阪急・阪神・山陽・神鉄の地上側ターミナルは撤去。
  2. 神戸電鉄は三宮駅に乗り入れていた。
  3. 直通特急のスピードアップのため、途中に追い越し線が設置されていた。
  4. 地下トンネル及び駅ホームは近鉄車両の入線が可能な設計になっていた。
    • 近鉄車も新開地までは殆どが直通していた。場合によっては奈良-姫路間の直通列車も運行されていた。
  5. 阪急神戸線と神戸市営地下鉄の直通構想は浮上しなかったかもしれない。

神戸市営地下鉄[編集 | ソースを編集]

西神・山手線[編集 | ソースを編集]

1972年
  1. 新神戸駅の利用客が早いペースで増加していた。
  2. 当初の予定通り青谷・王子動物園方面に延伸されたかもしれない。
  3. 1000形は非冷房で登場した。
  4. 表向きは前年に全廃された市電の代替を兼ねた。上記の新神戸駅は当線開業時から存在した。「のぞみ」の全列車停車は2000年頃か。
1981年
  1. ポートピア博覧会に合わせて開業したことになっていた。
  2. 同じ年に開業した京都市・福岡市の地下鉄と何かと比較されていた。
  3. 1973年3月に名谷~新長田間が開業し、1979年6月に新長田~大倉山間が開業し、1981年3月に大倉山~新神戸間が開業したという具合か。
  4. 1985年3月or4月に北神急行電鉄北神線が開業していた。

北神線(北神急行電鉄)[編集 | ソースを編集]

1985年
  1. 神戸市営地下鉄西神・山手線が大倉山~新神戸間が開業したのと同時に開業した。
    • 同年開催されたユニバーシアード神戸大会に合わせる形にもなっていた。
  2. ひょっとしたら、1986年4月にずれ込んで、開業していたかもしれない。
  3. 7000系電車の登場は史実通り。
    • 但しVVVFインバータ制御車ではなく、神戸市1000形と同じチョッパ制御車となっていた。
    • 神戸市交通局1000形電車、2000形電車とともに、6両化されるのが史実よりも早まっていた。(史実では、1989年11月に実施された。)
1987年

当初の開業予定

  1. 神戸市営地下鉄西神・山手線が名谷~西神中央間が開業したのと同時に開業していた。
  2. 7000形電車は最初から6両編成で登場していた。
  3. 神戸市交通局1000形電車の増備はなく、神戸市交通局2000形電車の登場が史実よりも早まり、増備されていた。

海岸線[編集 | ソースを編集]

1980年代
元町
Motomachi
栄町
Sakaemachi
神戸
Kōbe
  1. リニア地下鉄ではなく西神・山手線と同一規格の路線となっていた。
    • 線路も当然つながっていて直通運転が行われていたかも。
    • あるいは史実で構想があった高架式新交通システムだった。
  2. 一部の駅の駅名が現実と異なっていた。
    • 「ハーバーランド」は「神戸」、「みなと元町」は「栄町」、「旧居留地・大丸前」は「元町」になっていた。
  3. JR和田岬線は廃止されていたかもしれない。
    • キハ35系300番台は登場しなかった。
1990年代

当初は1999年に完成する予定でした。

  1. 史実よりも利用客が若干多くなっていた。

京都市営地下鉄[編集 | ソースを編集]

烏丸線[編集 | ソースを編集]

1930年代
  1. (大阪市営地下鉄→大阪メトロ御堂筋線と同じく)世界恐慌の失業者対策で建設された。奈良電(→近鉄)との直通は考慮されない。
    • 南の終点が竹田ではなく中書島あたりだった。
      • 南部延伸が完了した時点で(おそらく昭和30年代)市電伏見線は消えていた。
  2. 駅構内は豪華な造り。↑の御堂筋線梅田-なんば間に近い雰囲気。
  3. 「京都人の先進性」を語るエピソードの一つとしてよく使われる。
  4. 皇紀二千六百年までに京都-北大路間は開業済み。
  5. 京都市の人口は現実より1-2割多い。
    • 戦後の景観条例もあるのでそこまで劇的に影響があったかどうかは分からない。
  6. 丸太町と四条の間では御池ではなく三条に駅が置かれていた。
  7. 戦後の阪急京都線延伸工事がさらに難しくなっていた。
    • 烏丸駅が史実より深い位置にできていたかもしれない。
  8. 史実でも検討されたように堀川通経由だった可能性も。
  9. 戦前のことなので御所付近の区間では宮内省ともめていた恐れもある。
  10. 御池線(東西線)の建設開始も早まっていた。
    • 昭和のうちに一部区間ができていたかもしれない。
1975年
  • 当初の開業目標年。
  1. あまりバリアフリーには配慮されなかった。
  2. 市電の烏丸車庫が史実より早く廃止される代わりに九条車庫が全廃まで残る。
  3. もちろん市電と地下鉄の乗り継ぎ割引もあった。
  4. 市電廃止前の工事なので一部区間では難しい工程が必要だった。
  5. 車両のデザインはもう少し古臭い感じ。
    • 開業当初の車両は非冷房、抵抗制御で登場していた。
  6. 一部駅では市電との連絡の関係で現在はあまり役に立たない出口があった。
  7. 近鉄3000系は登場時から烏丸線に乗り入れていた。
    • 量産化されていたかも。
    • 初期車は冷房準備車(ラインデリア装備)として登場していた。
1978年
  • 当初の開業予定。
  1. 京都市電の廃止と同時であった。
  2. 京都ポルタが1977年11月に開業していた。
  3. それ以外の面で史実と特に変わりなかったか。
  4. 福岡市営地下鉄の開業が史実よりも注目していた。

東西線[編集 | ソースを編集]

1970年代
  1. 京阪乗り入れがなかった。
    • どのみち京津三条~御陵or山科間は廃止されていた。直通が無かった場合は分社化が断行されていたかもしれない。
  2. 車両サイズが路面電車並みに小さかった?
    • その上で高架だったかも。ただし景観論争勃発。
  3. 嵐山まで延伸していたか。
    • 計画通り洛西ニュータウンまで延伸していただろう。但し開業は早くても1990年代末。
    • 嵐山方面は嵐電に乗り入れていたかも。
  4. ホームドアは現在も設置されていない。
  5. 烏丸御池駅は最初からこの駅名だった。
1994年
  • 当初の開業目標年
  1. 平安遷都1200年を記念して開業していた。
  2. 京阪700形は現実よりも早く登場していた。
    • 80形は冷房改造されずに廃車されていた。
  3. 六地蔵や太秦天神川への延伸も現実よりも早かった。

大阪メトロ[編集 | ソースを編集]

今里筋線[編集 | ソースを編集]

1970年代
  1. リニア式ではなく第三軌条方式になっていた。
  2. 谷町線と直通していた。
    • 太子橋今市~関目高殿(関目成育)間は新森古市経由ではなく千林大宮経由になり、谷町線と2階建ての構造になっていた。
      • 大人の事情で地下鉄清水駅を造る必要があったのでそれはない。
    • 大日~今里間や井高野(または上新庄)~文の里・八尾南間の系統も運転されていた。
  3. 井高野ではなく上新庄が起点だったかも。
  4. 1990年代以降に今里~湯里六丁目間が延伸されていた。
    • 谷町線駒川中野駅は今里筋線との交差部分に近い場所に設置され、相互乗り換えも可能となっていた。
    • JR大和路線との接続駅の名称は「杭全東部市場前」となっていた。
  5. 表向きはトロリーバスの代替路線ということになっていた。トロリーバス廃止の翌日に開業していた。
  6. 当然のことながら大阪市営地下鉄でも最悪の赤字路線として猛批判されていた。
  7. 今里筋を走る市バスは開業時に無事路線廃止できていた。

長堀鶴見緑地線[編集 | ソースを編集]

1970年代
  1. 他の地下鉄路線と同じ第三軌条方式となっていた。
    • 日本初のリニア地下鉄は都営地下鉄大江戸線となっていた。
  2. 路線名は「長堀線」となっている。
  3. 東側の鶴見緑地側ではなく都心側から開業していた。
  4. 恐らく千日前線と同様4両編成での運転となっている。
  5. 当時はOBPがまだなかったので、京橋~谷町六丁目は森ノ宮経由ではなく上町筋経由になっていたかも。
  6. 1980~90年代に大正以南鶴町方面への延伸が実現している。
  7. 当時は大阪ドームがまだなかったので「大阪ドーム前千代崎」→「ドーム前千代崎」は「千代崎」として開業していた。
    • そしてドームの開業後に改名していた。
  8. 「四ツ橋」駅は長堀線開通と同時に「心斎橋」駅に改称されていた。

千日前線[編集 | ソースを編集]

1990年代
  1. 長堀鶴見緑地線と同じくリニア地下鉄となっていた。
    • 長堀鶴見緑地線及び今里筋線との連絡線が設置されていた。
  2. 東側の終点が今里になっていた可能性がある。
  3. 1990年代に開業するスケジュールであれば、そもそも建設されていなかった可能性が一番高い。(近鉄・阪神とルートがほぼ丸かぶりなので)

御堂筋線(我孫子~中百舌鳥間)[編集 | ソースを編集]

1971年
  1. 泉北高速鉄道と同時に開業していた。
    • 場合によっては泉北高速鉄道は南海ではなく御堂筋線と直通運転していた。
      • 大阪名物の府市合わせがあるので、この2社が直通することはまずない。
  2. 中百舌鳥駅は南海・泉北高速鉄道と御堂筋線が一体構造になっていた。
    • 乗り換えが現実よりも便利になっていた。
    • 中百舌鳥駅に南海の優等列車が停車していたかもしれない。
    • 南海はわざわざ敵に塩を送るかの如く地下鉄に客を渡すようなことをしないので、いつまで経っても急行が通過するのは史実と同じ。
  3. この時点で車庫も我孫子から中百舌鳥に移転していた。
    • 10両編成化も現実よりも早かったかもしれない。
  4. 我孫子以南は高架線になっていたかもしれない。