もしあの鉄道路線が直流電化だったら
もしあの鉄道路線の電化が○○だったら > 直流電化だったら
在来線の電化方法が全て直流電化だったら[編集 | ソースを編集]
新幹線と青函トンネル以外に日本には交流電化区間がない、茨城県内の地磁気観測所周辺は直直デッドセクションで対処していたという前提で
全般[編集 | ソースを編集]
- 在来線の交流・交直流電車は存在しない。
- 115系の製造数が103系を超えていた。
- 583系が419系・715系になることはなかった。ついでに言えば583系も直流専用車両になっていた。
- それでも2016年以前は青函トンネルも直流電化だった。
- EH800型は直流1500V/交流25kV (50Hz)の交直流電気機関車になっていた。
茨城県内[編集 | ソースを編集]
若干もし柿岡に地磁気観測所がなかったらと内容が被りますが
- 鉄道車両は全て他地域からのお古になっていた。
- 国鉄水戸と揶揄される。
- 常磐線の電車も湘南色になっていた。
北陸地方[編集 | ソースを編集]
- 史実よりも早く新快速の敦賀乗り入れが実現していた。
- 415系800番台は製造されなかった。
- 既に北陸地区を走ってたであろう113系か115系がそのまま投入。
- 高山本線や大糸線の全線電化も実現していた。
- あずさの糸魚川乗り入れも実現。
- 北陸にも223系5500番台、227系が投入される。
- もちろん三セク移管後に一部車両が引き継がれる。
- 投入前は113・115系の天国となっていた。
- 置き換え開始時期は早くて三セク化前後。史実と違ってオンボロ急行型落ちは使われていないため遅めになると思われる。
- 直江津側では新潟地区からの普通列車の乗り入れが行われている。
関門トンネル[編集 | ソースを編集]
- 博多方面から下関への直通列車の本数が増えていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- サンライズゆめが小倉か博多まで延伸運転されていた。もしくは「あさかぜ」がサンライズ車両で継続されていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- JR西日本とJR九州の会社境界は徳山駅か新山口駅になっていたかも。
山形・秋田新幹線[編集 | ソースを編集]
- 直流電化区間に直通できるミニ新幹線車両が開発されていた。
- フル規格で建設か、あるいは北越急行みたいな高速狭軌線になっていたかも
千歳線[編集 | ソースを編集]
- 1957年まで直流区間が存在した。
- 北海道の電車は直流が主流に。(津軽海峡線を除く)
- 車両のコストは下がるので、JR北海道の経営はちょっとは良くなる。
- 当然、札幌近郊の全電化区間が直流になっていた。
- 東室蘭以西の電化計画がないのが前提。
- 学園都市線も史実より早く電化されていた。
- 4ドア車も採用されていた。
- さすがに車内が寒くなりすぎでは。
奥羽本線[編集 | ソースを編集]
史実でも1949年から1968年の間福島-米沢間は直流電化でした。
- 板谷峠の補機運用はEF64のままだった。
- 山形・秋田新幹線直通化による改軌工事に交流電化への切替が加わるため、工期が延びていた。
- 山形・秋田新幹線がまとめて奥羽新幹線としてフル規格で開業していた可能性も否定できない。
- 急行「こまくさ」に165系が投入されていた。
- 東北本線黒磯~福島と磐越西線郡山~喜多方間も直流で電化され、「つばさ」「やまばと」「あいづ」はすべて183系で運行されていた。
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 189系と183系の違いはEF63と協調運転ができるかどうかしかないぞ?
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 東北新幹線全通の際、青森~新青森に789系が乗り入れられない事が問題になっていた。
- 史実でも検討されていた青森~新青森間のリレー列車が運行されていたかもしれない。
- 「スーパーはつかり」廃止以降E751系は再就職できず廃車になっていた。
- あるいは初めからE653系の番台区分として登場していた。
- 男鹿線の蓄電車はJR九州の819系改造ではなく、烏山線のアレの改造車だった。
- 直通列車や貨物の都合で恐らく羽越本線も全線直流電化になる。
仙山線[編集 | ソースを編集]
- 作並ー山寺間の電化が仙台、山形へと伸ばされる感じになっていた。
- 駅がもっと増えていた。
- それに伴い快速停車駅も増加していた。
- 仙石線と直通運転されていた。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- この場合、特に愛子~苦竹間に愛称として「山形石巻ライン」などがつけられるが、鉄道ファンなどからは「山石線」「岩線」などの別称がつけられる。
- 事故などが起きれば「問題山石線」と揶揄される。
- この場合、特に愛子~苦竹間に愛称として「山形石巻ライン」などがつけられるが、鉄道ファンなどからは「山石線」「岩線」などの別称がつけられる。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
- 奥羽本線が交流電化の場合、羽前千歳~北山形での平面交差が問題になる。
東北本線(黒磯以北)[編集 | ソースを編集]
- 東北地方の電化路線は直流電化がメインに。場合によっては北海道も。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 在来線はこのように直流電化できない事情がある場合のみに交流電化が使用されていた。
- しかし、津軽海峡線は新幹線対策で交流になっていた。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 仙台地区にE127系・E129系が導入された。
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 客車列車ではなく広島同様に72系が国鉄末期まで現役という事も考えられる。
- 流石に客車列車はない。
- 115系も寒冷地対応の専用番台になっている。
- 417・711・781系と同じMT54AもしくはMT54Eを搭載。
- マジレスすると、新潟と同じく115系1000番台入れて終わりだぞ。115系の走行性能は本州の雪ならどこでも大丈夫な設計になされてるから、直流電化されてれば本州ならどこでも走れるんだぞ。
- 417・711・781系と同じMT54AもしくはMT54Eを搭載。
- 東北新幹線開業前なら、上野~(実史上の直流電化された仙石線の終点)石巻間の直通列車が運行されていた。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 新車の導入が史実ほど進まない。
- 別名「國鐵仙台」
- 「國鐵仙臺」
- 「國鐵廣島」と比較される。
- 別名「國鐵仙台」
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- ED75は導入されず、現在のED76がED75を名乗る。
- EH500は津軽海峡線次第。
- となるとED79も存在しなかった。
- 上野発の寝台特急はEF65 1000番台が青森まで牽引する(「ゆうづる」は仙台でEF80・EF81と交替)。
- EH500は津軽海峡線次第。
- 583系を直流、近郊化した車両を導入するが民営化すぐに潰される。
- 上記通り115系が投入されていた場合はその可能性は低い。
- どころか583系自体東北に導入されていたか怪しいな。あるとすれば、直流電化だから280番台の寝台特急電車の直流版じゃない?この場合、583系の車体に直流機器だけを載せた281・283系が作られてそう。
- 東北本線中電の最遠は郡山。
- 後に史実通り宇都宮でほぼ分断される。
- 仙石東北ラインは電車で運行されていた。
- 実際に検討されていた首都圏~仙台間の臨時快速列車が運行されていた。列車名は「ムーンライトあおば」辺り。
- 18きっぱーの心強い味方として愛用されるものの2009年ダイヤ改正で臨時化→東北新幹線全通前後で廃止、と言う形になっていた。
- E751系はE653系の番台区分として製造されていた。
- 直流電化された理由は既に直流電化されていた奥羽本線や仙石線や仙山線との兼ね合いの為。
羽越本線(村上以北)[編集 | ソースを編集]
- 架線下DC運転は無かった。
- ただ需要を考えるとE127系がメインで115系は朝夕のみ。
- 後にE129系が投入される。
- 史実通り奥羽本線が交流電化だったら、秋田駅では羽越本線のホームも分離されていた。
- 「いなほ」の車両に首都圏から転用された直流車が使われていた。
- その場合、185系もしくは253系か?
- E653系は再就職先が見つからず波動用のまま。
- E653系はデビューしなかったと思う。
- その場合、185系もしくは253系か?
- 「出羽」「鳥海」及び山形新幹線開業以降の「あけぼの」は秋田までEF64が牽引していた。
- 新潟同様1980年代にはなってしまうが、115系1000番台を投入。651両が製造の総数であるが、東北三大幹線が直流電化になる場合は1000両近く作られ、115系の総製造数が103系並みになると同時に、115系1000番台の製造数だけどえらい事に
常磐線(取手以北)[編集 | ソースを編集]
- 地磁気観測所がある関係で交流電化になっているが、実は架線柱の間隔を狭くするなどの対策をすれば直流電化は可能。ただし普通の直流電化や直交流電車の導入と比べるとはるかにコストが高くつくので、交流電化になっているだけ。つくばエクスプレスも然り。
- 内房線も近所に地磁気観測所があるが、上述の方法で全線直流電化を果たしている。
- もし柿岡に地磁気観測所がなかったらとは異なり柿岡地磁気観測所があるという前提で考えてください。
- モノクラスの15両編成は常磐線から絶滅した。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 成田線の常磐線直通区間もグリーン車デビュー。
- デッドセクションがないため快速取手行きは存在せず土浦、水戸まで行ってたのではないか?需要がどこまであるのかにもよるけど。
- そして各駅停車の大半が取手行きになるので天王台は各駅のみの駅になっていた。
- そこは複々線化の遅れが原因だから史実通りかと。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 史実より早く415系鋼鉄車が絶滅していた。
- 上野東京ラインの直通の主力に。
- 高崎線・宇都宮線系統は湘南新宿ラインもあるので上野折り返しが史実よりも多く設定。常磐線系統は昼間でも毎時4本以上が東海道線の平塚や小田原、熱海まで直通。
- 常磐線の普通と快速という区別が無くなっていた。
- そもそも直交流車として分ける必要がないので、ラインカラーはオレンジ、車体は湘南色だった。
- 高崎線・宇都宮線系統との誤乗を防ぐためにスカ色かもしれない。
- そして沼津や伊東まで直通
- E501系・E531系は存在しない。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- 史実のE217系がE219系を名乗った場合、209系500番台・1000番台がE303系を名乗っていた可能性がある。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- 水戸線も直流電化になっていた。
- 同じ理論で関東鉄道常総線も直流電化しているから、103系、E231系の取手発に増結され、品川まで直通運転する。
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
- 寧ろ常磐線の変電所が流用できるので簡単に電化出来た可能性もある(その一例が流鉄)
- 竜ケ崎線ならともかく常総線は厳しいのでは?
- 寧ろ常磐線の変電所が流用できるので簡単に電化出来た可能性もある(その一例が流鉄)
- 直流化が特殊なので(架線柱の間隔の細分化)結局非電化に落ち着くかと。
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
- 流石に大洗鹿島線は電化されない。
- 401系が湘南顔・3枚扉セミクロスシート初の近郊型ではなく、111系が最初になっていた可能性があった。無論、東海道線の導入よりもこちらの方が先に導入され、東海道本線と同様の形で113系が導入されていたことは、言うまでもない。あと、485系は北陸本線系統でしか活躍しておらず、絶対数は東北三大幹線直流電化同様183系のボンネット型が登場、485系シリーズよりも絶対数が多くなっていたであろう。
北陸本線[編集 | ソースを編集]
- 関西の新快速は福井まで乗り入れ。
- 雷鳥サンダーバードを食うので、それは無い。
- 史実同様、近江舞子/米原以北各駅だろうから食い合いは発生しないかと。
- 湖西線のローカル列車は敦賀発着となっていた。113系が敦賀まで乗り入れていた。
- 永原、近江塩津、敦賀で長時間待たされることも無くなった。
- 雷鳥サンダーバードを食うので、それは無い。
- 北陸特急は281系や283系で運用。
- 国鉄時代は181系や183系だった。
- 東海道新幹線開業後151系→181系が真っ先に雷鳥・しらさぎに転用されたが、その後山陽・九州方面との運用共通化のため485系に置き換えられ、181系は史実通り全車関東に転出。
- 北陸転用時にパーラーカークロ151はクハ181に、ビュフェ車モハシ150もモハ180に改造されていた。
- 向日町の485系はJR化後直流専用に改造され183系となった。
- むしろ183系800番台は登場しなかった(七尾線に交直両用車を投入する必要が無いので)。
- 東海道新幹線開業後151系→181系が真っ先に雷鳥・しらさぎに転用されたが、その後山陽・九州方面との運用共通化のため485系に置き換えられ、181系は史実通り全車関東に転出。
- 急行列車には153系や165系が使用されていた。ただし「立山」の地鉄乗り入れ編成は勾配の関係上165系の限定運用。
- 七尾線直流電化後165系は「能登路」でも運用。
- 北陸線用のサハシ153は寿司コーナーではなく蕎麦コーナーで製造され、サハシ153-50番台となっていた。
- 大阪-青森間の特急「白鳥」はJR化後すぐの1988年3月改正で「雷鳥」と「いなほ」に系統分割されていた。なお、大阪-新潟間の「雷鳥」の金沢での系統分割(「雷鳥」と「北越」に)は史実通り。
- むしろ、287系電車と289系電車の登場が史実よりも早まっていた。
- 国鉄時代は181系や183系だった。
- 北陸ローカルは113系や115系で運用。
- 北陸ローカルの新車は125系か223系5000番台。
- 227系も投入される。
- 103系食パンを忘れてもらっては困る。
- むしろ103系は72系の後継として富山港線に投入される。車体色はもちろんスカイブルー。
- クモハ123の単行も走るかも。
- むしろ103系は72系の後継として富山港線に投入される。車体色はもちろんスカイブルー。
- サンパチの宝庫になってる悪寒。
- 70系新潟色も糸魚川あたりに足を伸ばしていた。
- もちろんあいの風とやま鉄道やIRいしかわ鉄道にも引き継がれる。
- 北陸ローカルの新車は125系か223系5000番台。
- EF81形電気機関車や485系・583系電車は登場しなかった。
- 北陸だけが交流というわけではない。関門トンネル九州側の一点で区切られる九州はともかく、東北や茨城などは数箇所で切り替わっているので、そのような地方向けにもその種の交直両用車は絶対必要。
- いや、そういう意味ではなくて、「3電気方式対応の車両が…」と言いたかったのですが…。日本海縦貫貨物列車もEF80の重連運用とかで何とかなるし…(TдT)
- 三電源方式は主目的が「東西へ転属配車させやすくする」なのでやっぱり三電源車は作られた。
- 敦賀かどっかで、交流と直流切り替えるために電気が消えて夜は真っ暗になる。
- 全線直流ならそれは無いのでは?
- 上の物全て直流電化(九州も常磐も東北も北海道も)だった場合、この線も直流電化となるのであれば485系や583系はいらなくなるよ。だって交流電化は新幹線だけになるのだから、在来線は直流電化方式で統一するのであれば交直流電車は必要なくなる訳だから。
- いや、そういう意味ではなくて、「3電気方式対応の車両が…」と言いたかったのですが…。日本海縦貫貨物列車もEF80の重連運用とかで何とかなるし…(TдT)
- ED70,ED74,EF70も存在せず、他の交流電気機関車の形式称号が繰り上がる。
- 抑速ブレーキ非装備かつ60Hzのみ対応の交直流急行形電車も存在しない。
- 北陸だけが交流というわけではない。関門トンネル九州側の一点で区切られる九州はともかく、東北や茨城などは数箇所で切り替わっているので、そのような地方向けにもその種の交直両用車は絶対必要。
- 夜行急行「きたぐに」が285系電車で運行されている。
- 逆にずっと客車で電車化がなかった。
- 寝台特急「つるぎ」はスハ25を連結。
- 変電所数は今と違って多い。
- かつての「白山」には189系が投入され、夜行急行「能登」は全区間直流電気機関車牽引による運行。
- 山陽新幹線博多開業で余剰となったサシ481がサシ189に改造されて「白山」に連結される。
- EF62が金沢まで乗り入れていた。
- あるいは急行時代に「白山」が169系化され、1972年以降は同区間の昼行に特急と急行が併存する形になる。
- 寝台特急「北陸」は285系での運行か、全区間直流電気機関車が客車を牽引して運行。
- サンライズきたぐにが走ってるかもね。
- EF58は投入されず、EF64系列かあるいは全く別形式の機関車が投入。
- 或いはEF66だったかも?
- 今の広島地区のような姿になっている。
- 419系がいることを考えるとまだましだったかも。
- 「日本海」「トワイライト」はEF66が新潟までロングラン。効率よく方転しながら機関車交換。新潟にも寄れて一石二鳥。
- 当初は直流電化される予定もあったとの話。
- 大糸線も全線電化されていた。
- この場合、直江津-糸魚川はJR東日本に帰属していた。
- そうなると、北陸本線も糸魚川までJR東になっていたかも。
- 高山本線の電化も実現していた。
- 富山駅構内に富山港線や富山地方鉄道本線とのデッドセクションが設置されることはなかった。
- 田村駅の構造はもっと単純だった。
- 急行停車駅にはならなかった。それどころか国鉄時代は坂田・河毛同様、区間運転の気動車列車しか停車しなかった。
- 21世紀になった今でも80系が「N60改造」を施されて現役で走っている。
- さすがに分割民営化前に113系が投入されているだろう。
- いや、471系だってつい最近まで現役だった位だから確実にありえるかと。それも300番代のみならず初期型も含めて。
- そもそも耐寒対策を施した史実とは全く異なる直流車が国鉄時代に導入されているはず。
- 新潟と同じく115系の溜まり場かと。JR化後の新車は独自形式だろうが。
- JR化寸前まで飯田線から転属してきた(EF61orEF58牽引の客車列車置き換えの為)戦前型電車が走っていたりして。
- いや、471系だってつい最近まで現役だった位だから確実にありえるかと。それも300番代のみならず初期型も含めて。
- さすがに分割民営化前に113系が投入されているだろう。
- それでもえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは気動車だった気がする。なぜかというと両運転台構造の電車は高価格だから。
- ET127系では過剰輸送だろう。
- むしろ125系が投入されているのでは。大糸北線も経営分離されていたなら話は別だが。
- 糸魚川快速は115系(新潟車)で運用されていたため史実より長生きした。
- えちご押上ひすい海岸駅はJR時代に「押上」として開業していた。
- 80年代に115系が新製または転入で配置。一方で急行型(165・169あたり)も普通運用に就く。民営化後(早くても2000年以降)に湖西線用の113系の一部が転属して急行型を置き換える。
- そのため湖西線は史実より新車が多い。
- それらの電車は史実通り北陸色となっている。
- 真っ青な115系も登場。
- 三セク転換前後に227系を投入し、比較的状態の良いボロを三セクに
押し付け譲渡した。- 227系も一部譲渡された。
- 単色化のときに七尾色が登場しなかった。
- 国鉄から交流・交直流車両が全て登場しなくなっていた(九州・常磐・東北・北海道の路線全て直流電化だった場合)。
鹿児島本線[編集 | ソースを編集]
- 必然的にJR九州管内の在来線は全て直流。
- 交流20000V,60Hzでの電化区間は北陸本線内だけになる。
- そもそも交流電化も北陸本線だけになるよ。
- 交流20000V,60Hzでの電化区間は北陸本線内だけになる。
- JR九州のことだから形式名が違うだけでデザインなどは全て忠実と同じ。
- 303系はほぼ変わらず。最も独自設計なのは変わらず。
- 形式名は近郊形は30*系や33*系、特急は…いい形式名が思いつかない。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 観光列車「36ぷらす3」は別の愛称が付けられる。
- JR四国みたいに私鉄風の4桁型番になっていたりして。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 肥薩おれんじ鉄道は115系を導入(というより移管)するが、1両化のため結局後で気動車化することに。
- もしくは下記のように125系のように1両単位で走れる電車を導入していた。
- 関門海峡も当然九州内と共通運用。
- 鹿児島本線や日豊本線との直通が激減することはなかった。
- 125系のように1両単位で走れる電車を導入するかもしれない。
- 肥薩おれんじ鉄道がこの電車を導入していたかもしれない。
- 交流電気機関車の形式が2つ減る。
- 国鉄時代は181系の最後の働き場所となっていた。クハ181-1を含む元151系初期車は1982年11月まで活躍し、181系100番台車はJR化後の1980年代末にJR九州初の特急車(史実の783系を直流車にした車両)に置き換えられるまで活躍し続けた。
- 九州直通の寝台特急は熊本までEF66が牽引していた。また、EF58やEF65は西鹿児島まで乗り入れていた。
- 東京〜博多間の「サンライズあさかぜ」が実現していた。
- 白に濃い青帯の九州色は誕生していない。
- 九州でも緑・橙の湘南色になっていたか。
- 国鉄末期まで門司駅は全特急通過。その代わり小倉通過の特急が減る。
- 下関発着のにちりんが予定通り走行できるようになる。