もしあの鉄道路線の電化が○○だったら
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全般[編集 | ソースを編集]
戦前の国鉄路線の電化計画が実現していたら[編集 | ソースを編集]
戦前の国鉄は電化が進みませんでしたが、大正10年には後藤新平鉄道院総裁が東海道線全線電化を打ち出すなど国鉄路線の電化計画はありました
- 昭和初期には東海道本線の全線電化が実現していた。
- 山陽本線も戦前のうちに岡山辺りまで電化されていた。
- 常磐線を除く全国の主要幹線は直流電化になっていた。
- 交流電化は常磐線と水戸線と新幹線ぐらいしか導入されなかった。
- 西日本の電化路線は直流電化になっていたので415系は最初から60Hz非対応だった。
- 蒸気機関車の淘汰が史実より早く進み、保存運転の機運が高まらなかったかもしれない。
- 例・現実でも蒸気機関車と同時期に作られていただろう蒸気動車や電気機関車の保存運転が皆無なので。
- 63系電車やEF13電気機関車の製造量数は多かった。
- 電車で長距離運転を行う構想はやはり出ていた。もしかすると関西急電の運行範囲は現実の新快速と同じ規模だったかもしれない。
- 湘南電車も戦前には登場していたかも。
- 戦中・終戦直後には電力不足・電気設備破壊の影響をモロに受け、ダイヤ・車両の復旧が遅れた。
非電化だったら[編集 | ソースを編集]
常磐線(取手以北)[編集 | ソースを編集]
- 電化しない理由はもちろんこれ。
- 最近までキハ30が走っていた。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- むしろ新潟NDC(というか関鉄キハ2100)風の4ドア気動車が10両編成で導入されてた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- 「スーパーひたち」「フレッシュひたち」こそ存在しないものの、専用の特急用気動車が開発されている。
- それまではつい最近までキハ181系だった。
- E501系は存在しない代わりに別の通勤用気動車が導入される。
- これが209車体だったりして。
- 逆に平以北の無煙化が早まった可能性もある。
- 直流か交流かは別にして、流石に土浦までの電化は実現している気がする。
- 水戸線も非電化になっていた。
- 水戸線が電化されていたとしたら、おそらく非電化になっているのは水戸or勝田以北だけになる。
- 15両で走るディーゼル普通列車(グリーン付)が開発される
- 形式名はキハ231系あたり
- 莫大な燃料を消費するのが問題になり、ハイブリッド気動車や蓄電池式電車が早期に導入される。
- 「主要幹線なのに非電化とは何事だ」と問題になる。
- 特に茨城県は毎年JRに電化要望を出している。
- 関東鉄道常総線が取手~の列車が気動車であることをいいことに、上野東京ラインを経由して品川まで直通する。
- つくばエクスプレスの利用者が史実より若干少なくなる。
- 仙台近郊で電化の動きが出そう。
- 取手を境に運行系統が変わる。
- 最高速度130km/hの気動車特急が上野まで乗り入れる。
- 当然ながら九州色は誕生しない。
- ≒「交流電化の実用化に失敗していたら」である。
相模線[編集 | ソースを編集]
- 神奈川県が全国初の全線電化都道府県になることはなかった。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 確かに全線電化は奈良のほうが早いが、かすがの定期運用が2006年まで残っていたから、定期列車の完全電化は神奈川が初。定期列車が完全電化された順は、神奈川→東京→沖縄→奈良。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 八高線よりも近い非電化路線になっていた。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 高崎~茅ヶ崎直通列車もあるかも。
- 電化計画がなかった場合、真っ先にキハE130系の導入対象になっていた。
- あるいはEV-E301系がこちらにも導入されている。
川越線[編集 | ソースを編集]
- 西大宮駅はあっても別の駅名になっていた。
- 埼京線直通はあり得ない。
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- LCDでは?
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- 日進駅の橋上駅化は無かった?
- 今でも日進駅・指扇駅は南古谷駅とほぼ同じ駅舎だった。
- 現在の車両はキハE130系オールロングシート車。
- 西区は現在以上にド田舎に。
- 多分八高南線も非電化のまま。
- 下手すれば川越駅は小川町同様まだJRと東武が改札内でつながっている。
- 川越西線(川越〜高麗川)
- 八高南線は電化されていない。
- 八王子直通はあっただろう。
- ダイヤ体系にしても史実とさほど変わらないはず。ただ日中は1時間2本に減便されていたかも。
八高線(八王子~高麗川)[編集 | ソースを編集]
- 今でも気動車が八王子~高崎を直通運転している。
- 八高線の「高」は高麗川の高だと勘違いされることはなかった。
- 中央線との直通運転はなかった。
- 一時的に女性専用車が導入されることもなかった。
- 東京在住のローカル線マニアは大喜び。
- 川越線と併せて八王子〜大宮間の直通列車もあった。
両毛線[編集 | ソースを編集]
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 高崎線が一部乗り入れる高崎~前橋だけ電化されていた。
- アニメ日常に気動車が登場していた。
- もしかしたら魔法少女まどか☆マギカにも。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 東武伊勢崎線末端はもう少し本数があった。
- 伊勢崎行き特急も2時間ペースであった。
- 高崎線からの乗り入れなどない。
- 前橋市が「県庁所在地なのに非電化とは何事だ」と問題視し、2.のように前橋までは電化されていたのでは。
水戸線[編集 | ソースを編集]
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 車両は水郡線で使われたキハ110系か、烏山線で使われるキハ40形1000番台。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 真岡線の三セク化直前まで直通列車があった。
- 場合によっては関東鉄道常総線と直通運転していた。
御殿場線[編集 | ソースを編集]
- 現在はオールロングシートのキハ25系が使用されている。
- 東海道線静岡地区に乗り入れるキハ25系の運用があった。
- その前はキハ40系が走っていた。
- 相模線の場合と同様、神奈川県が全国初の全線電化都道府県になることはなかった。
- 特急あさぎりには371系の気動車バージョンが導入される。
- または2階建てグリーン車を連結したキハ85系。
- 小田急電鉄は(恐らく関東大手私鉄で唯一)現在も気動車を保有している。
- 恐らく20000形の気動車バージョン。
- 名鉄キハ8500系がJRか小田急に譲渡されてる噂が出る。
- 2010年代の内に特急あさぎりは廃止されていたかもしれない。または60000形がEV-E301系みたいな蓄電池気動車になっている。
- 気動車バージョンの20000形と371系が富士急行に譲渡されたかは微妙。
- どこかの非電化第三セクター路線に譲渡されていたかも。
- 会津鉄道が有力か。
東海道本線[編集 | ソースを編集]
- この大幹線が非電化なら日本の鉄道の大半は非電化になっていた。
- 平成初期まで蒸気機関車けん引の定期列車が存在したかも。
- JRにおける電化区間は国電周辺にとどまっていた。
- 清水トンネルなどの戦前に長大トンネル・急勾配が絡む路線の電化区間は逆に撤去されていた可能性大。
- 私鉄買収線の架線撤去も行われた。
- 北陸トンネルも電化されず。青函トンネルは微妙か。
- キハ80系が「はつかり型」ではなく「湘南型」と呼ばれていた。
- 板谷峠の区間は線路を切り替えていたかも。
- それでも新幹線は電化されていた…と思いきや弾丸列車で蒸気機関車使用の話があったため一部は非電化になってしまったかも。
- 軸重がどの路線も20トン以上だったらこうなっていたかもしれない。
- 線路の規格がふにゃふにゃすぎたのが電化促進の一因になったため。
- ディーゼルカーのエンジンが民営化後アメリカ製のカミンズが席巻することはなかったかもしれない。
- 電気式気動車も数多く導入されていた。
- おそらく最初から非電化ではなく、戦争絡みで撤去ということになっていた。戦時中に東海道線の電化設備を撤去せざるを得ないほど困窮したか、終戦直後の貧困時に電化設備を維持できないから撤去したまま今に至るか。
飯田線[編集 | ソースを編集]
- ワンマン列車が史実より多くなっていた
- 車両はつい最近までキハ40が使用されていた。
- 最近になってキハ25が導入されるも、オールロングシート車になっていた。
- 7時間近くかけて走るオールロングシート長距離鈍行が誕生していたかもしれない。
- 最近になってキハ25が導入されるも、オールロングシート車になっていた。
- 豊橋ー小坂井間は単線になっていて名鉄との共用区間はなかったかもしれない。
- その場合、名鉄車の豊橋乗り入れは毎時2~3本に制限されていた。
- 特急伊那路はキハ75の急行として運転されていた。
- JRになってから豊橋から最低でも豊川まで、もしかすると本長篠あたりまで電化されていた。
- 中央本線辰野支線の岡谷〜辰野間は、電化されているにも関わらず気動車の方が多くなっていた。
- 最初から国鉄による建設ならこうなっていただろう。
草津線[編集 | ソースを編集]
- 関西本線の亀山方面からの直通が現在でも残っていた。
- 車両はキハ120では輸送力が不足するので、キハ40系が遅くまで残っていた。
- 最近になって223系車体の気動車に置き換えられている。
- 信楽高原鉄道との直通運転が真剣に検討される。
奈良線[編集 | ソースを編集]
- 京阪神から一番近い非電化路線としてファンの人気を集めていた。
- 車両は223系の気動車版に置き換えられている。
- 通勤輸送があるため3扉仕様。
- 関西本線亀山-加茂間もキハ120ではなく奈良線と共通の車両が使用されていた。
- いまだに近鉄京都線や京阪宇治線に対抗しえていない。
- それでもJR化後は高性能気動車投入や日中30分ヘッドの快速運転などのテコ入れが行われていた。
- 関西本線の奈良~木津間の電化は木津~加茂間と同時に行われた。
- 沿線住民の要望として常に「全線複線化と電化の同時実行」が挙げられている。
伯備線[編集 | ソースを編集]
- 山陰本線伯耆大山~出雲市も非電化のまま。
- 出雲市~西出雲を忘れてるぞ。
- 「サンライズ出雲」はなかった。
- 代わりに智頭急行が電化され、サンライズ出雲は智頭急行経由になっていた。
- 因美線と山陰本線も電化しないと…。
- 代わりに智頭急行が電化され、サンライズ出雲は智頭急行経由になっていた。
- 伯備線の利用者数は激減し、場合によっては地方交通線になっていたかもしれない。
- 山陽新幹線岡山駅の乗降客数も減っていた。
- キサシ181の運用期間があと3年延びた。
- 急曲線多数で非電化では速度向上が至難な伯備線に代わり、南勝線がスーパー狭軌線として、公団凍結線から見直され、建設区間も備中高梁〜中国勝山〜山守間となり、当然、倉吉線も廃線が回避される。
- 伯備線を電化した方がはるかに安上がりだと思うが…
- そもそもどれほど高規格化したところで岡山~備中高梁~倉吉~米子なんてZ字型ルートでは伯備線に勝てる気がしないが。
- ICOCAの山陰導入もなかった。
- やくもはキハ187となり「スーパーほうき」だった。
- 史実を考えれば「やくも」のままか、せめて「だいせん」ではなかろうか?
本四備讃線[編集 | ソースを編集]
- 四国の電化区間はなかった。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- 場合によっては西日本にまとめられていた可能性もある。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- マリンライナーはキハ58だった。
- 間合い運用で急行つやまとして使われていたためぼったくり批判は小さかった。
- むしろ2000系タイプの指定席が連結されていた。
- 「瀬戸」は岡山以南でDD51が牽引。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 今頃廃止されていたか、そもそも登場しなかった可能性も否定できない。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 「建設費をケチった」「露骨な四国冷遇」などと揶揄されていた可能性大。
- 史実と異なり宇野線が非電化なら可能性はあったかもしれないが…。
- 四国島内のトンネルが軽便鉄道規格で拡幅が困難が原因か。
ゆいレール[編集 | ソースを編集]
- 沖縄県の鉄道電化率は0%だった。
- 非電化のモノレールがあると話題になった。
直流電化だったら[編集 | ソースを編集]
交流電化だったら[編集 | ソースを編集]
仙石線[編集 | ソースを編集]
仙石線は東北地方のJRで唯一の直流電化路線ですが、もし交流電化されていたらどうなっていたかを考える。
- 719系や701系で運用。2007年からE721系でも運用される。
- むしろ常磐線上野口の403系・415系の墓場となる。
- 仙石線に投入された分の元山手線205系は房総地区に投入されていた。
- 現実では山手線205系の転属先に房総地区が挙がっていたが、結局房総地区には投入されなかった。
- 東北・仙山・常磐線の乗り入れを考慮して仙台駅のホームが増えていた。
- これにより新幹線開業までは、583系電車を使用した上野⇔石巻間の夜行急行列車が運行されていた。
- 恐らく、列車名は「石巻(いしのまき)」。
- 相互乗り入れが可能になるので松島の観光客がもう少し増えた。
- 東北線側にも松島海岸駅ができ、仙石線と直通可能になる。快速は仙台-岩切-松島海岸-石巻のルートをとる。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- E721系増備車で運行。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- 仙台空港-石巻というルートが実現される。
- あおば通駅はできなかった。
- 仙台~松島海岸間がほとんど東北本線と被るので、以下のように再編。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 宮城野原は現行より少し南下。現宮城野原駅を育英学園前に改称し、全国初の地下交直流区間直通運転を開始する。
- 陸前浜田~松島海岸は廃止。東北本線に接続する。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 72系970番台は登場しないか、または鶴見線、片町線あたりに配属されている。
- 史実でも中間車1両が鶴見線に投入されたことがある。
- 石巻線も仙石線と同時に電化されていたかもしれない。
- 2012年3月の石巻工業高校の選抜出場では、石巻駅から甲子園まで応援列車が運行された。
上越線[編集 | ソースを編集]
- 運用の都合上デットセクションは水上~湯檜曽間に設けられていた。
- 水上~越後湯沢の普通列車は本数が少ないこともあって羽越線同様気動車による運行となっていた。
- 「とき」は483・485系で統一され、181系最後の活躍の地は中央東線になっていた。
- 上越線経由の寝台特急は上野-長岡間もEF81が牽引していた。
- 史実の「あけぼの」がそうであったように冬季の遅延が多発していた。
- 下記同様701系が新潟県内にも入線していた。
- この場合新潟地区は全て交流電化になっていたと思われる。
白新線・羽越本線(新発田~村上)[編集 | ソースを編集]
- 羽越新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- 需要的に厳しいかと。
- 在来線は415(531)系電車が必要になる。
- 701系が新潟県内にも入線していた。
常磐線(取手以南)[編集 | ソースを編集]
常磐線の直流電化区間が取手までなのは柿岡にある地磁気観測所の影響なのは周知の事実ですがもし、常磐線が上野まで交流電化だったらを考えてみたいと思います。 (史実を多少無視している可能性がありますが)
- 通勤電車は国鉄101系を交流区間で走れるようにした国鉄701系(史実の701系とは異なる)を製造する。
- 後に出力が向上した国鉄703系が登場する。
- 「青電」の通称は付かなかった。
- むしろ上野発着の電車はすべて近郊型だったのでは。電車特定区間は設定されていただろうけど。
- 我孫子駅には黒磯駅のような交直デッドセクションが設けられている。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 211系の入線を経て、現在は209系を使用中。
- 常磐線ではなく成田線本線の佐倉方面へ乗り入れる。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 千代田線からの直通用に国鉄405系を作り綾瀬-金町間に交直デッドセクションを設ける。
- 千代田線の6000系も同様に交直流電車として製造される。
- あるいは常磐緩行線だけは直流電化されていた可能性がある。この場合成田線と常磐緩行線が直通。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
また、必要に応じて我孫子線を複線化して成田電車区を設ける。 - また、団体列車の都合により、北小金から成田線経由の団体列車を通すために鈍行線が2面3線式のホームになる。
- さらに、183系のような団体列車を比較的スムーズに流せるように柏駅も鈍行線側が2面4線になっている。
- そのため、史実にあるような我孫子寄りの留置線が廃止され、2番線と3番線の間に両渡り線が設置される。
- 逆に、松戸車両センター(旧松戸電車区)は快速線の電車が出入りするのに緩行線を渡る必要がある構造のため、直流電化で緩行線専用になる。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
- 房総各線も交流電化なら成田線我孫子支線も交流。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- ひたち用の電車も冷寒地向け(北海道ほどではない)の781系1000番台が製造される。
- 中電用の電車は国鉄711系(史実と異なる)が製造される。
- ドアは両開き3ドアで4両1編成
- 中間電動車は、後に出力が向上した国鉄713系(史実と異なる)が登場する。
- 水戸線も小山駅構内まで交流電化。
- ED71も常磐線で運用されていた。
- 東北本線黒磯以南や高崎・信越・上越線などが史実どおり直流電化だった場合、上野駅では東北・高崎線と常磐線のホームは完全に分離されていた。
- 東北本線黒磯以南も交流電化の可能性が高い。この場合高崎線は埼京線開通時に武蔵浦和回りに変更していた。
- 電化のタイミングを考えるとそれはない。むしろ、高崎線方面も全部交流電化で上野発着、埼京線は直流電化の可能性が高い。上野東京ラインも湘南新宿ラインも存在しない。
- 東北本線黒磯以南も交流電化の可能性が高い。この場合高崎線は埼京線開通時に武蔵浦和回りに変更していた。
- 成田線我孫子支線は大糸線南小谷~糸魚川間のように非電化区間となっていた。
- その場合、キハ30が使われていた。
- それでも運用の都合で特急、急行列車を中心に交直流車両が導入されていたかもしれない。
- 上野東京ラインに常磐線の列車が乗り入れる事は出来なかった。
- 常磐線の変電所を流用することができなくなるので流鉄の電化が数十年遅れる。
- 下手すりゃモータリゼーションに対抗できず60年代ごろに廃止されていたかもしれない。
- そのため、武蔵野線かつくばエクスプレスに「流山駅」が出来ていた。
- 常磐線各駅停車は直流だろうからそこからもらったかと。
- 下手すりゃモータリゼーションに対抗できず60年代ごろに廃止されていたかもしれない。
信越本線[編集 | ソースを編集]
- 全線電化開業の時点で碓氷峠も交流電化に切り替わっていた。
- EF62・EF63は交流機として製造されていた。
- EF62に当たる形式がEF71を名乗り、EF63に当たる形式がEF72を名乗っていた。史実のEF71はEF73。
- 高崎~横川は直流電化では。
- 189系はもちろん存在しない。
- そこで489系の天下になる。
- しなの鉄道は415系・459系(史実の169系に当たる車両)を導入。
- 気動車では。
- 特急「とき」に483系・485系が導入されていた。
- 篠ノ井-長野間のためだけに381系も交直流形で登場。
- 後に篠ノ井-長野間と宮内-新潟間が直流電化に転換されていた。
- 長野新幹線は軽井沢以西はミニ新幹線になっていた。
- 当時から北陸新幹線計画があったことを考えると、北陸出身の政治家に阻止されるのは目に見えている。
中央本線(甲府~多治見)[編集 | ソースを編集]
- 線内に多くの狭小トンネルがあるので掘り直さなければならなかった。
- そのため◇マークの車両はなかった。
- 「あずさ」「しなの」は交直流型電車で運行。
- E351→交直流で多く導入、E257→直流でかいじ専用。
- 急行は松本運転所の475・457系→「アルプス」「こまがね」と間合い「かいじ」、三鷹電車区の165系→大半の「かいじ」と「みのぶ」。
- 飯田線は全列車辰野止まり。
- 長野県の電化路線は交流電化になっていた。(飯田線は除く)
- 701系が投入される。
- 周波数のエリアを考えると60Hzになっていた。
- 山梨県内の変電所に周波数変換装置が設けられた。
- 交交セクションを設けるとしたら小淵沢あたりか。
- ローカル列車は当初は471系・475系・417系が導入された。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 中央線名古屋口の快速→313系交直流型、普通(と多治見までの快速)→313系。運用の幅は狭まるが。
- E531じゃハイスペックすぎるから、独自設計を導入してもおかしくないかと。
- 普通に考えたら701系が導入されると思う。
- 場合によって勝田から415系が転属してくる可能性も。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 後に直流区間が中津川までに変更される。そっちのほうが運行系統的に自然。
- 一方甲府~大月か高尾は交流に変更された。
- 寧ろ名古屋まで交流電化では?
東海道本線[編集 | ソースを編集]
- 必然的に日本の鉄道の電化は交流が主体になっていた。
- 山陽本線、中央本線なども交流電化に。
- 一方、ローカル線の電化は進まず、史実以上に非電化路線が多かった。
- 50Hz/60Hzの違いが史実より重要になっている。
- 東海道本線熱海-富士間と北陸本線糸魚川-直江津間はJR東日本になっていた。
- 長野県内は一部を除きJR東海の管轄に。
- =地磁気観測所が東京から移転しなかったらである。
- その場合、都電や私鉄や地下鉄も交流電化を余儀なくされる。…私鉄と地下鉄はともかく、都電交流電化は危険すぎるのでは?内房線方式はコストかかるし。
七尾線(津幡~和倉温泉)[編集 | ソースを編集]
- 何も変わってない?
- 使用車両は413系が主に使われていた。
- 電化工事の際に長期間不通を余儀なくされた。
湖西線[編集 | ソースを編集]
- 新快速は京都以東は全て草津方面に向かっていた。
- 線内ローカル列車は415系を使用。
- 但し寒冷地仕様となっている。
- JR西日本に113系改造ではない純正の415系が在籍していた。
- ラッシュ時はJR京都線に乗り入れて大阪駅に直通している。
- さすがに老朽化のため、2010年代に入って521系への置換えが開始される。
- 521系がひょっとしたら新快速として京阪神に…?
- デッドセクションは山科~大津京間に設置されていた。
- 北陸本線の敦賀までの直流化はもちろんなかった。
- その代わり、開業直後からローカル列車は京都~敦賀間で運行されていた。
- 北陸新幹線に移管されるかも。
- ミニ新幹線ってこと?
山陽本線(姫路以西)[編集 | ソースを編集]
- 中国地方の電化路線は交流電化がメインに。
- 285系は交直流に、381系も国鉄のことだから交直流にするだろう。
- 伯備線や四国各線も交流電化。
- 交流電化のエリアは外様大名の地域とほぼ重なるので、外様大名の地域は交流電化と言われていた。
- 車両は黄色に塗られた415系・475系が走っている。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- 広島地区限定なら直流は不要だから、多分交流専用。
- さすがに下関地区は交直流。
- アーバンネットワークの車両を転用という手が使えなくなるのでもっと早く導入しているかも。
- 広島地区限定なら直流は不要だから、多分交流専用。
- 115系3000番台ではなく419系が投入されていただろう。
- 413系や417系の導入も有り得た。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- それでも関門トンネルは直流電化のまま。
- 或いは新トンネルに掘り直した。
- その場合現在でも九州との直通列車が多く残っていた。
- 宇部・小野田・福塩・可部線も直流かもしれない。可部線は横川から地下線で広島中心部に乗り入れ。
- 門司~下関~小野田~宇部新川~新山口の運行系統ができる。
- 可部線の広島直通は気動車で残っていたが、三段峡廃止で取りやめになる。
- その代償として可部線の直流電車が地下線で本通に乗り入れる。
- もしくは415系・475系が使われ、現在では521系が使用されている。
- 新快速は全て姫路折り返し。
- 2000年代に新快速運転区間を延長するため姫路~播州赤穂間が直流電化に変更される。
- 網干に京阪神地区を担当する車両基地が設置されることはなかった。
- 高砂工場が現役でそこまでの旧高砂線は加古川駅の構内扱いに。
- 赤穂線は播州赤穂以西は非電化。そのため相生~岡山間は架線下DCとなる。
- 兵庫・岡山県境は気動車になっている。
- むしろこの区間も従来は上記の415系・475系(場合によっては413系・417系・419系)で運行され、近年になって521系での運行になっていた。
瀬戸大橋線[編集 | ソースを編集]
- 茶屋町駅あたりにデットセクションが設けられていた。
- JR化後に児島辺りに移転していた。
- 瀬戸大橋線はJR化後の開業なので初めから児島では。
- この場合どっちが交流電化なんだ?四国側か?
- 瀬戸大橋線はJR化後の開業なので初めから児島では。
- JR化後に児島辺りに移転していた。
- 交流なので新幹線乗り入れが現実味を帯びるが結局進展しない。
- 415系800番台が瀬戸大橋線に導入されていた。
- むしろステンレス車体の415系1000番台が新製投入されたのでは?塩害の影響もあるだろうし。
- 四国内の電化路線も交流電化になっていただろうか?
伯備線・山陰本線(米子~出雲市)[編集 | ソースを編集]
- 中国横断新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- よって、岡山での煩わしい乗換が解消される。
- しかし岡山都市圏においては、交直流電車を配置しなければならなくなる。
- 山陽本線が交流電化になっていれば…。
内房線[編集 | ソースを編集]
- 君津市の鹿野山に国土地理院の観測所があるが、直直デッドセクションによって全線直流電化になっている。もしこの路線が常磐北線同様、一部が交流で建設されていたら。
- 直交流電車が内房線内を走っていた。
- 直交流電車の費用の関係で、内房線経由の列車は千葉・東京止まりになっていたかも。
- その代わり外房線・総武線・成田線経由の快速が増えていた。
- 交流圏を20km圏内とすると、袖ヶ浦~岩井間が影響圏になる。
- ちなみに常磐線同様30~40kmにした場合、下手したら横浜市街地も影響圏になってしまう。
- デッドセクションは南は館山、北は袖ヶ浦か、系統上境目になる姉ヶ崎に置かれていたかも。
- そうなると、外房線は館山まで直通していたかも。
- 外房線も巻き添えを食らいそう。
- そもそも運用の都合上房総半島の殆どの路線が交流電化で建設されている気がする。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 千葉駅は最近まで黒磯方式が使われていた。
- ただしこのままでは車両基地の都合上交直流型を投入せざるを得ないので、電化に合わせて木更津辺りに車両基地が建設されていたかもしれない。
- そして動労千葉の妨害もあって715系や717系が最近まで現役だった。
- どちらにしろデッドセクションの移設で総武・成田・鹿島線共々E531系に置き換わる。
- 成田線が交流だった場合、我孫子支線を巻き込み常磐線も我孫子から先が交流になっていたと思われる。
- 直流車両が入線できないため初詣臨時列車の本数が大幅に減る。
- 常磐快速線上野~取手間も交流だったかも。
- 総武線の緩急分離の際に快速線側は交流電化。総武東京駅は品川ではなく新宿方面に延伸し中央線と直通運転していた。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 房総特急には483・485系が投入され、183系の開発は暫く遅れていた。
- 255系の代わりにE653系が数年早く投入されていた?
- 京葉線には205系をベースとした交直流対応車両が開業当時から投入されていた。
- 総武快速線もどこかのタイミングで415系に置き換わっているはず。
- 京葉線は直流のまま蘇我駅構内に直流ホームが設けられる。内房・外房直通はない。
- E131系は登場せず、房総ローカル末端は架線下DCに格下げ。
- キハE130系が追加投入され、久留里線と共通運用が組まれていた。
- さざなみ館山定期運行廃止以降架線撤去が現実味を帯びる。